いや、第3話で隠されてるのは「ミヒの意思」なんだ。
ミヒが息子が死んだことにしても守りたかったもの。
そのとっかかりだと思う。
ならミヒの意思として「チュンサンが死んだ」を決定的なものとして
現実感を交えて視聴者に植え付ける必要がある。
その方法は、誰がチュンサンの死を告げるかにかかってくる。
それを、「登校したらみんなが泣いてるから」では、現実感ゼロ。
それを述べて視聴者も納得する人物はゴリラ先生を置いて他にない。
ユジンが登校してくるが全然急いでない、つまり遅刻でない。
なら教室入って、まず「昨夜約束して会えなかったチュンサンがいない」と気づく。
ユジン「チュンサンどうしたん?」「うん、知らない」「ふーん??」
てとこでゴリラ先生が登場する。
「おはよう。みんなに報告することがある。実はカン・ジュンサンが昨夜。。。亡くなった。
 交通事故だそうだ。葬儀は身内だけで行うそうだ。」
「え、先生、私たちが行っちゃ駄目なんですか?」
「家族の希望だからな。悪く思うな。お前たちだけでジュンサンを見送ってやれ」
そこから、みんながシクシク泣き出す。ユジンは先生がいるから、階段を駆け下りて出て行くことはしない。
そして、女のスキャット「ウウウウーウー」が流れて湖に山荘に行った5人がいるとこになる。

な、こうしたら、ミヒの「ジュンサンは死んだことにして、学校の友達にはバレないようにする」
という企みは現実感を帯びて達成されるんだ。