ショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義) ショックを利用した民営化政策とは
始まりはチリのピノチェト独裁政権下で経済担当顧問をしていたのが、新自由主義の生みの親ともいわれている
ミル○ン・フリードマンとその弟子達いわゆるシ○ゴ学派の面々。この経済政策を始めてチリで実験を行った。
構造調○(改○)という名のもとに、徹底した民○化・規制緩○・自○貿易・社○政策予算の削減といった政策を断行する。
が、チリ国家(独裁政権時)の経済はよくならず、国民の約40%もの貧困率をもたらすといった、いわゆる格差だけが拡大していった状況に陥った。チリ国家や国民が疲弊するその一方で利益をあげていったものたちがいた。そうグローバ○企業といわれるものたちである。
彼らはチリのうまみのある銅○や電○事業を次々と自分達の傘下におさめていってしまう。民営○という名のもとに。
チリだけではなく彼らは世界中でこの主流経済思想を広めていく。アルゼ○チン・ボリビ○・南アフリ○・ポー○ンド・ロ○ア・中○
イギ○ス・アメリ○・イ○ク・スリラン○・ア○ア諸国そして日本にも。
「危機が無ければ危○をおこせばいい。」


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