コミケが江戸時代からあったら・・・其之弐
>>292
紙の姫とは…陰陽師の操る式神のようなもので御座いますかな?
詳しい事は判り申さんが、何でも陰と陽ただ二つの符を何億何兆と重ねた術式にて
仮想の中にしか在せぬモノを現実と見紛う出来映えにて目前に現すとか 拙者不覚にも
いくさ船が女体化した最新の遊戯
『艦船収集』の虜となってしもうたので
是非ともこの夏の祭で
冊子を手中にしたいのだが
果たして拙者が望む
『日本丸』(太閤殿下の御座船)が
ぺるり提督率いるめりけん艦隊に手込めにされる冊子は
見つかるであろうか… 幾星霜を越えても和綴じの同人誌があるのは雅なことよ
かような文化は継承されて欲しい(真面) よう!八っつぁん!!
今年の古見毛も暑くてかなわねぇなぁ!!
ところで伊藤若冲先生の新刊は手に入ったかい?
鶏幼女の獣姦モノたぁ…
いやはや、若冲先生の創造力には恐れ入るねぇ… 「画題『蛸と海女』にて『透部』一幅所望つかまつる」
「絵師急病にて不在也。大晦日に又来られよ」
「残念無念」 ・織田信長と森蘭丸が
・反乱の首謀者として自決前に捕らえられた天草四郎が屈強な男たちに
・生類憐れみの令の時代に盛りのついた犬に組み敷かれて 犬は伊勢神宮にとっては不浄の生き物だったと言う。犬が神宮の敷地内に入ることは禁じられていたばかりか、
穢れの対象でさえあった。そうした千年の時代背景を持ちながら、犬が単独で伊勢参りを果たしたのは1771年のこと。
江戸時代の人々にとって伊勢参りは一生に一度は果たしたい夢。式年遷宮に合わせて起きたお蔭参りや抜け参りのブームを見てもわかる。
伊勢参りに行くためなら奉公先の主人の目を盗んだり、お札を降らせたりするのは日常茶飯事。
しかし経済的な理由や多忙を理由に断念せざるを得ない者がいたのも事実。そんなとき一人の男が自分の犬に代参させることを思いつく。
犬の首に「伊勢参り」の札と道中のエサ代や宿場代をくくりつければ旅犬のできあがりだ。
信心深いのは飼い主だけで、犬が自発的に行ったわけではないのが面白いところ。
そんな旅犬を江戸庶民は放ってはおかない。宿場ではエサと寝床を用意してやり、いくばくかの銭まで喜捨してやり、
次の宿場まで人をつけて継ぎ送りにした。飼い主こそ同行しなかったが、地域ぐるみでちゃんと伊勢まで送りとどけたのだ。
なにやら人間が参詣の旅に出るよりも効率がよいような気さえしてくる。現に無事飼い主のもとに帰還した犬の首には
出かけたときより多くのお金がくくりつけられていたという。重過ぎで気の毒に思った人が両替までして持ってやったというから
至れり尽くせりである。誰もが憧れた伊勢参りであるから、それが人であろうと犬(ときには豚や牛まで!)であろうとみんなで協力するのだ。
動物であっても伊勢参りに行く者には敬意を払う。
参詣の人々でにぎわう宿場町を、多くの人に見守られ、気にかけられながら伊勢をめざす犬。
なにやら考えるだけでもほほえましい。その時代のおおらかさを実感できる。 夏はでいだらぼっちと戦う侍たちを描いた話が女子に人気だったというが
冬もその人気は続くのかのう 娘に化身する黒船たちを描いた草紙が奴どもに人気なのはわかるが 寺子屋の子供達が幕府を立ち上げて悪徳大名と戦う話の新刊は?
確か町娘が将軍名乗るんだっけ。 遂に出時多流の符を使い決済を成す者が現れたそうな
館内にもえれきの波が飛び交いそれを狼煙の如く繋ぐ者多数
真に世の流れの早き事光の如し 今まで東方の妖女どもが気炎を上げておったが
昨今は黒船に似た妖女が吠えておるようじゃの >>309
わっちは将軍と南蛮の姫君のご落胤が姫の兄様とやり合う話の方が好みでありんす。 >>294
『艦船収集』は今の所は、日の本の戦船しか対象になっていない。
しかも江戸幕府以前に限定。
江戸幕府開府以降は、五百石以上の戦船は建造禁止だからね。 美濃国の農家に江戸の人気芸者が突然現れる話が始まった。 最近はやれ大船を潰す、やれ新設の私塾に圧されて伝統ある藩校が廃止の憂き目に会いそうだと
世知辛い作品が多くなってきておるのう
これも世相というものか そろそろ江戸には着いたでござるか?
江戸に着いてからも台場に渡ろうとすれば海坊主に襲われるようであるし
今年はなかなかに大変なようぞ 江戸は風があって何とか過ごしやすかったようでござんすね >>314
遅変事だが…
艦船収集だが、毛唐の戦船に関しては、普魯西(プロイセン)しか出さぬそうな。
普魯西はまともな戦船なんて一隻も持っていない国だから、これは毛唐の戦船なんて
出さないぞと、遠回しに言っているね。 拙者の刀が、人になっておるでないか。町民の乙女たちが鍛えておるとはまことしやかに…夢か幻か
町民の男衆が船を乙女に似たてたり、破廉恥な南蛮衣で唄い踊る乙女たち悶々しとるわ…
あと5年後は南蛮諸国を合わせた競争があるそうな 唐人どもが競って我が店の品物を買っていってくれる御蔭で今は上首尾じゃが、いつまで続いてくれるのやら 小三毛目録の満礼歩でも唐人が大挙して攻めてきた報告があったのう でぇたらぼっちが進撃するだとさぁ、あんな剣をもち戦う南蛮人に倭人の俺らの名がにあわねぇべか。 大筒の山車に乗り海の乙女達の意気込みが漁村の活気を取り戻すときいたべ 烏賊の花札が流行っておると聞いたが任天堂の家庭用遊戯の類としては異例の多さであったな
元は人外に近き物ながら人に近づけることなくそのままで春画としたものが殆どだったのは驚いた 今年の夏コミでは葛飾北斎の春画が大量に出回るのであろうな、
葛飾北斎の描いた春画ではないぞ「葛飾北斎を描いた春画」だぞ、
まさか北斎先生も自分(と娘)が春画にされるとは思うまいて・・・、 版画方式の和本は大量生産出来ないし、価格も高かったから、同人誌として頒布するには不向きだったから、それより手軽な一枚刷りの浮世絵が販売スペースにずらりと並んで、同人浮世絵とか販売するのが主流だったかも。
コピー本出す代わりに、手書きの本をわざわざ自力で何冊も同じ内容の書いて売ったりとか。 ガチだと一般の本一冊で万単位の値段付けられてて、大名だとか大商人だとかの金持ち以外の一般庶民には高くて買えないからレンタルで済ましてた時代だから、
売られているものは本ですらなくて、浮世絵とか一枚刷りの瓦版みたいな同人誌ばかりで、そんなものに現代の価値で千円だとか、それくらいの値札が付いてる世界。
そんな世界だから、同人誌も一般庶民には、なかなか買いにくくて同人誌の回覧会なんかが盛んだったかも。 皆の衆、参加は徒歩か船か?
もしや馬や籠を使うなんて大名はおらんよな