北関東に住む家庭持ち障碍者です。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
* スペック
*
* 男性
* 55才
* 脳性小児麻痺
* 車椅子
* 自動車免許あり
* 在宅ワーク
* 息子:大学生
スレが立ったらいろいろ書いてみる。
スレ違いだったら教えて。
よろしく。 見てる人いるんだな。
ポツリポツリ書いていく。
奥さんは今、着替えやお風呂も入れないくらい障害が重度になった。
嫁ガチャに完全失敗。
でも離婚できない。 おれはほぼ毎朝奥さんのおむつ交換をしてる。
6つ下なのにここまで重度になると思わなかった。
まいったね 俺がここに来たのは、本音を話す場が欲しかった。
友達も過程をもったら疎遠になって吐き出す場が無い。
良い事も悪い事も吐き出したいという気持ちだ。 20数年前に結婚した時は奥さんも日常生活を一人でこなすくらいは出来てた。
数年前に転倒した時に背骨を傷つけて、下半身に麻痺が出てしまったんだ。
それで着替えやトイレを介助しなくてはいけなくなった。
俺が黙ってそれをやっているのは愛情じゃなくて、息子にやらせたくないから。
結果、負担は大きくなった。 息子は親に恵まれなかったかもしれないが、
普通に育って良かったよ。
最初は高卒で働くかと思ったら、高校は進学校で
大学も行くことになってしまったよ。
奨学金を借りてるから大変なんだけどな。 親の苦労を見て育った子は親孝行してくれると思いますよ >>15
あと数年後にどうなってるか楽しみだが、不安でもある。 俺は普通の学校に通ったことがない。所謂「養護学校」に通っていた。
もう50年くらい前の養護学校というのは義務教育ではなかった為に小学校から
試験で落とされて在宅生活に戻されるというシビアな時代だった。
将来性があって一人で何でもこなせる子は別に問題はないが、何も出来ない子は
そこから遅れをとってしまう。
父兄にとってもあまりいい話ではない。
だから普通の常識とか躾とかされないままでいる子は同級生の中でも生存競争が
激しくなるのだ。
そんなの12年間も続けたら心身ともに変になって行く。 年齢と学年がズレずに入学出来たのは良かったが、親が身支度の全部を
両親が全部やっていた俺はいきなり寮に入ることになった。
ここでせめて服の着脱やトイレのやり方を親が仕込んでいたら、
多少は学校生活が楽だったかもしれない。
うまく体を動かせない俺の面倒を見る寮母達は頭の痛い子だと思ったことだろう。
小さい頃の話はおいおい書いていく。 ここを見ている人に知ってもらいたいのは、自分が客観的にどういう人間なのかを
知ってもらいたいから。
これまで生きてきた中で障碍者として、人間として、人格的にどういう存在なのかが
全くわからないでいる。
こういうのをアイデンティティの確認というのかもしれないが、過去や現在を
明かすことによって何かを感じられればと思う。
「構ってちゃん」って言われればそれまでなのだが、そんな理由である。 俺には兄弟が二人いる。年齢は程々はなれているが、仲が良いか悪いかは分
からない。
両方とも比較的固い職業に就いているが、忙しいので偶に電話するくらいだ。
コロナの影響もあって一緒に行動することも少ない。
この距離感はお互いのためにも良いのだと思う。
はっきり言って経済的な格差から感じるに、俺は恵まれてるとは言えない。
それでも両親の残してくれた財産や、国からの年金、少ないが給料貰っている分、
生活は出来る。
欲を言えば切りがないが、それでも兄弟たちや親戚たちにやっかみの気持ちは持た
ないようにしている。
もし、ずっと無職で親のスネだけをかじって生きていたら、今の生活もありえな
いし、必要以上の卑屈さで疎まれていた。
息子が将来のためにと大都市にいる兄弟に会っている。
見本となる親が世間をあまり知らないのだから、良い影響になる。 ヨメガチャか
自分より動けなくなった嫁を捨てたいと?
うちの夫も持病持ちになった妻を鬱陶しく思ってるんだわ
やっぱりそういうもんなんだね >>21
もう少しヘルパーさんの利用を考えてほしい。
口数を少なくしてほしい。
若い頃は別れられるんじゃないかと密かに色々
やってみたが、今になったらもういいやって感じw >>22
前向きに考えれば良かったと思う。
ちょっと卑屈に考えると「俺は少しも見本にならない」 >>23
失敗したことが通じているので、これでいいんですよ。 正直にいうと反応があって嬉しい。
書き込みをしてくれた方々、ありがとうございます。
他の掲示板やSNSで書き込みしないのは、色々事情があっての事だ。
本名を名乗らなきゃいけなかったFBは登録人数が多い反面、リア友が多くて
困る。
他のSNSは趣味の世界に染まっているので、今書いているテーマには合わない。
ここは余程問題にならない限り、本音を言っても大丈夫だろうと思ったのだ。
例えばこれまで関係を持った女性の事を詳しく書くなんて出来ないからね。
つまり、これから出す話には「人間としてどうなの?」という事も明らかにするつもり
なのだ。
反応には顰蹙も誤解もあるだろうが、やってきた事実だから飾らずに書いていければ
と思う。 25歳の時に障碍者が沢山働いている会社に入った。
仕事の内容や、一般常識をあまり理解せずに入ったので、実際プログラマーなんて仕事は向
いていなかった。
それでも生活できれば耐えられるだろうと思って、4年位は誤魔化し誤魔化しで端末相手に
仕事をしていたが、限界はやってくるもんだ。
感情のコントロールがうまく行かなかったり、障碍特有の体の緊張が強くなって、楽になる
ように毎日酒を飲んでいたのだが、慢性的な二日酔いと相まって、自動車事故を起こしたり、
情緒不安定が顕著になった。
近くの神経科病院で診察を受けたら躁鬱病ということでいくつかの薬を飲むようになる。
これが現在まで途切れることのない投薬の始まりだ。
薬のおかげで体は随分楽になって状態が随分落ち着いた。こんなに楽になるならもっと早
く病院に行けばよかったと思ったほどだ。
でも酒はやめられなくて、薬と酒を一緒に飲むのがその時の普通になってしまった。
あの頃に比べれば現在は酒量がかなり減った。年を取った事もあるが、家庭を持ってから夜
中に車の運転をしなければならない事情があったからだ。 高校生の時には月に2回位実家に帰ると酒を飲んだりタバコを吸ったりして、割と自由に
していた。
普段は親元を離れ寮に入っていたので抑圧された鬱憤の捌け口だったかもしれないが、あ
まり先の未来が見えない事への八つ当たりだったかもしれない。
障碍で手足が自由に動かない人間に明るい未来なんかあるのかという自問自答と、どっか
で楽にくたばれないものかと思う日々だった。
高校3年生になっても真剣に将来の事を考えず、卒業したら何とか在宅して暮らすのを望
んでいて、進路相談や担任を如何に言い包めるかばかり考えていたので、周囲にとっては
「こいつ大丈夫か?」と思われていただろう。
卒業まで半年を切っていよいよ切羽詰まった。何せ現場実習は将来を自分で見いだせない
連中が掃き溜めのようにいる施設に行ったものだから、在宅になるのは真実味を帯びて、教
師達はそれを止めようと圧力ばかりかけてくる。当時は在宅の障碍者が家から出なくなっ
て障碍が重度化したり、精神的に落ち込んで自殺をするような先輩方が多かったから、俺も
そうなってしまうだろうと思ってしまったのだろう。
そんな事はわからない。親はそれでも在宅させていいじゃないかと思ってた節があるし、自
滅って自分の所為ってものだ。勝手にさせてほしい。
そういう事を内心思ったが、段々教師たちの圧が鬱陶しくなってしまい、神奈川県にある職
能訓練施設に見学へ行って、2月末に願書を出して卒業式二日前に面接と来てもいいという
返事をもらったのだった。 自動車の免許を18歳の時に取得したが、生活の色々な時間の制約とあまりやる気が無かっ
たせいで通うまでの時間と取得までの時間は普通の人よりかなりかかってしまった。
うちの学校は自動車学校に通っていいと許可が出るまで予備的な学科試験があり、ある程
度点数を獲得しないと通わせてもらえないルールがあった。
始めから免許取れると思っていなかった俺は、そういったルールなんか関係無いし、免許試
験場で試された適応作業で総重量1.5トン以内の自動車限定で運転するよう決められてし
まった。しかも自動車学校には大きいセダンの障碍者用車両しかなくて、通おうとする気持
ちを更に下げていく。
そんな状況を見かねて親は、条件に合う自動車を親父の名前で購入して自動車学校に持ち
込んで教習を受けようという事を言い出した。どうにもやる気のない俺にモチベーション
を上げる気だったのか、あるいは環境を整えてやれば逃げ場も無くなると考えたのか。結局
多額のお金がかかる事になってしまい、引っ込みがつかなかった俺は一晩で教習書を暗記
して予備学科試験をさっさとパスして自動車学校に通うことになった。
仮免を一発で、本試験も三回目で合格したものの、実地は半年かかっていたので、先の不安
を考えると喜ぶだけでは済まされない。 最近、楽しいと思う事がないと感じるのは「鬱病」の所為だと自覚できるようになった。
ちょっとした事で何もやる気が出なかった、積極的に外に出ない、周囲の事に無関心なんて
いうのは病気以外何でもない。
これの解決法は眠って気分を変えるのが一番で、他の方法もあるにはあるが、お金が多少か
かるので、今の生活状況では出来ないことだ。
在宅ワークというのはこういう時に便利なもので、いちいち他人の顔を伺って、気疲れしな
いで済む。外で仕事をしていた時は苦手な人が沢山いて、それだけで憂鬱になって、末期に
なると自分は今何をやっているのか分からなくなる。
薬は眠気を誘うが、寝ていれば気分が落ち着き、家族に八つ当たりするような事もない。最
低だと思うが、手のかかる家族が鬱陶しくなってしまっていた。
今日は気分が悪い。昨夜、You Tubeで観た動画があまり良い内容ではなくて、気が滅入っ
てしまったからだ。バカバカしくて笑える動画を選んでいたつもりだったが、暗くてハッピ
ーエンドじゃないからだ。2チャンネルの投稿を動画化したものだったが、いかんせん障碍
者ネタは後味悪い。
やっぱり不倫して自滅する連中のネタは創作であっても面白い。 デリヘル嬢で思い出したが、結婚して間もない頃を思い出した。結婚してもデリヘルを利用
していたのは、当時、奥さんが昼間働いていたので、デリヘル嬢を家に呼んでもどうという
ことがないし、休みもバラバラだったのでホテルに行って呼ぶのも楽だったからである。
それまで俺は障碍者の女性とはエッチ経験が無くて、奥さんの事は3ヶ月位で飽きてしま
ったのだ。だからってそういう方向へ行って良いものかは人間性のあり方を問われると思
うが、奥さんエッチの経験が無いから、楽しめなかったんだよ。
そんな事を続けていたら仕事場のちょっと重めの障碍者同僚にデリヘル店の仲介をするよ
うになった。お金をもらってはいなかったが、店の電話番号と価格、嬢の評判とかを教えて
いたのだ。言語障害のある奴は予約の電話をするのも通じないから、ホテルの場所と部屋の
番号を電話で予め聞いて店に電話を入れるという感じだ。
まるでポン引きみたいな事をやっていたなと思い返すが、あまりそれについて後悔とか申
し訳ないとかという気持ちはない。俺は店にとって馴染み客の範疇を越えていないと思っ
ていたし、怖い職業の人が出てきてトラブルになっても困る。ただ、ある店の電話係は無職
時代の顔見知りで、アッチ側に籍を置くオジサンだ。
仕事場ではストレスが溜まる一方で、家庭と遊びのバランスを上手く取れればそれでよか
ったのだが、歪なことをやっているとどこかで変になっていくようだ。少しずつ頭が変にな
り、病院の薬が増えたり、減ったりが顕著になった。 反応してくれたのは嬉しいが、全く内容の意味がわからない。すまない。怒っているのかス
トレスを感じているのか、単なる自己紹介なのか真意を分かりかねる。
絡みたいなら何でも問うてほしいから、よろしくお願いします。 今は周囲や行政に守られて生きている。例えば年金とか息子の奨学金、ヘルパー派遣制度ま
で、利用できるものは最大限に使っている。だから昔ほど世間に対する不満はあまりない。
最近、選挙が重なって演説車が家の前を通る。多少うるさいと思いつつも、いつかお世話に
なるかもしれないから、黙っておこうと見過ごす。
大分前だが、宗教絡みでよく新聞をとってくれと頼まれたり暇だったから集会に出てくれ
という友人がいた。当然選挙の協力も頼まれる。俺は心も病んでいたから適当に付き合った。
それほど興味があった訳ではないが、女子高生とかたまに集会に来てたし、女性と話すのが
好きだったから別に構わないかと気にしなかった。多少の違和感を感じたのはもう少し後
だ。
一緒に酒を飲みに行く時は普通に女好きで仕事の時もいろいろ気を使ってくれたたので、
同じ職場にいる内は良かったが、奴はあまり真面目に通勤しなくなって、やがて退職してし
まった。それからは福祉器具の業者を始めて、ある程度の付き合いがあったのだが、車椅子
を注文した時に変な設計をされて納品された。とんだポンコツを持って来やがったなと感
じつつも、熱心なのは宗教勧誘の時だけかよと思った。そんな感じだから福祉器具業者も長
くは続かなかったようだ。こいつに再会したのは平成大合併のすぐ後で、なぜか市役所職員
になっていた。
公務員って宗教勧誘をやっていいんだっけ、と思いながらも信じた宗教は世間の体制派に
寄っているので、そいつはそれでいいと判断したのだろうな。
何に勝利したのかよくわからん機関新聞の見出しを見ると思っていたのは、何と戦ってる
のか、それは本当に素晴らしいことなのか、その本当の意味だ。
俺はそんな事より大事な時に話を聞いてくれる女の子の側がいいんだよ。 肉棒に口が近付いて、咥えてもらえると思ったのにお預けを食らい身悶えする >>38
身悶えするのが楽しいかどうかだな
>>39
やってくれる相手がいていいな >>41
すまないが、ここ1年以上EDに悩んでいる。言葉やビデオで勃っている内は良かったが、
そのへんに興味が無くなってきたから、去年の今頃、デリヘル嬢を呼んだが全く勃たなかっ
た。
これも老いかと思って、今は女性に対しても何かしようと思わなくなった。その時のデリヘ
ル嬢は24歳で胸もデカく、パイパンだったのに反応しないってのは明らかにおかしいと考
えたが、障碍者の体力なんてそんな物かもしれない。いつまでも元気でいたいと思っても、
体が反応しないなら女性との距離も自然に遠のくのである。
悔しいのは勃たなくなる前にもっとエッチをしておきたかったと思うが、今更何もする気
にはならない。
3日程前犬の散歩をしていたら、息子の同級生の女性と話した。挨拶みたいなもので「大き
くなったね。働いているの?」くらいの言葉だったが、この娘のお母さんは俺の好みに合っ
た人だったのできっとこの娘も美人になるだろうと昔から見ていたが、やはりいい感じに
育っていた。過去の姿を確認したのは彼女が保育園から小学校の頃だったな。当時はダンス
教室に通っていて小さいのに髪の毛を染めていたのが印象に残っている。
EDの話に戻るが、無理してまでエッチな関係する相手を探す気力はもう無い。予想するに
俺が誘っておいて勃たなかったらその女性も呆れて2度と会ってはくれないだろう。変な
下心で人間関係を壊すのも、人としてどうかと思うしな。
このまま大人しく家の中で過ごしていよう。 ちょっと前に実兄に電話をしたら、近い内に実家を取り壊すという話があった。もう誰も住
んではいないし、実母は介護付きホームに入ったままだから、必要はないだろうとの判断だ。
俺も実家を離れて30年くらい経ってしまっているし、特に思い入れのある物があるわけで
はなかったから、兄に全部任せると伝えた。
小学校から高校までと神奈川の就労支援施設で14年は長く実家にいる事が無かったので、
俺の私物は少ないし、23才くらいで居心地の悪さを感じて家を出てしまってからはあまり
寄らなくなった。
兄貴と弟は育っていけば家から出てしまう。普通ならそういうものだが、前にも言ったが俺
は大人になったら家に居着くものだと思っていた。障碍者で働く能力も無いのだし、何で遠
くの学校に親元離れていたのに出ていかなきゃならないのかをよく理解は出来ていなかっ
たのだ。だから大人になっていく普通の人間の考えなど俺の頭では難しい考えだ。親はそれ
でも甘えさせてくれるから余計にダラダラと過ごす時間が過ぎる。そんな考えを変えよう
としたのは、もて余した性欲の捌け口が無かったからだ。
親のくれる小遣いでテレクラや風俗に言ってその場限りの性欲を満たすことは、それほど
罪悪感にならなった。だが、何をやっても浅はかで、逆に何もしない方が周囲に迷惑がかか
らないという現状は耐え難く、非生産的な毎日は若者のやることじゃないと思うに至るの
は時間がかかるものだ。
そんな実家に思いを馳せる気持ちはあまり無いのだ。 良かった。
誰にも影響がなかった。
安心放置だねwww 某SNSで女性は好きだが「信用していない」と言った。
50再半ぱなもの、これくらいの思考なんかどうってこと無い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています