確かに色々と読解力が無い、と云うか、他者の文脈の読み取りを自己防衛的に拒絶している様に見える。
690のリンク先の文章では、
当該人物が強固な想い込みによって早計に手術に先走った時期が2003年だそうだが、
2003年の段階でその人がRLEの重要性などと云った考え方にどのぐらいアクセスし得たのだろうか?
2017年と多少状況が違っていたりするのではないか?
しかも吃音に悩み疎外感を覚え云々の処から解釈するに、
そもそも自他の区別が発達出来ない程度には他者との広汎な或いは緊密な交流が阻害され、
思い込んだら一直線に行動してしまうぐらいに視野を狭く囲い込まれていたのではないだろうか?
そうなれば、仮に2003年時点でRLEの重要性についての考え方にアクセスする術が社会基盤として有ったのだとしても
その人物には拾い上げて吟味するだけの余裕が、文化資本が、神経発達資本が、無かったのかも知れない。
例えばそんな風にでも解釈してみたら、693自身の当事者経験だけに照らした「色々変な気がします」みたいな所感にはならないのではないか?

自分と異なる他者同士の区別も雑過ぎる。
自分がアウトプットしたい事への想いが強過ぎて、インプットが疎かになってはいないか?
(こう言い放つとブーメラン臭くなって来ると云う、罠)