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【bayfm78】ビートルズから始まる。15【小林克也】 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001ジョン・キロックノン
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2016/07/16(土) 19:00:36.92ID:???0
■bayfm78 毎週日曜夜6:00〜7:00
石井食品提供
小林克也の司会でお送りする、ビートルズ特集番組

番組内コーナー
□ビートルズ・カレンダー
□ビートルズ・ストーリー
□リクエスト・コーナー
(紹介された人には石井食品の詰め合わせをプレゼント!)
メールアドレス beatles@bayfm.co.jp

▼前スレ
14 http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1450933593/
13 http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1433132494/
12 http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1413639594/
11 http://wc2014.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1395720697/
10 http://ai.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1377163455/
9 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1359722581/
8 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1341307124/
7 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1320067779/
6 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1295841403/
5 http://toki.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1268562055/
4 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1242461057/
3 http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1213526085/
2 http://bubble6.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1172396227/
1 http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/beatles/1104052809/
0002ジョン・キロックノン
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2016/07/16(土) 19:01:53.48ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年7月10日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(7月10日)
 ・1964年。あの年。
  ビートルズが、世界中で大爆発したw。
  大爆発だってw 日本語はいいね。
  今から52年前の今日、イギリスで「A Hard Day's Night」のLPと。
  当時はLPですよ、アルバムは。
  「A Hard Day's Night」シングルね。
  それから、同じくLPでジョージ・マーティン・オーケストラの「Off the Beatle Track」
  これは、インストゥルメンタルものです。
  
  そしてこの日に、映画「A Hard Day's Night」
  日本語の映画のタイトルは「ビートルズがやって来る ヤァ! ヤァ! ヤァ!」
  これのプレミア上映が行なわれています。
  まあ、この日は特別の日だったわけですよ。ねえ。
  すごいと思うよ、ビートルズファン、それからビートルズに携わった人たちは、もうほんとにこの日てのは忘れられない日ですよね。ええ。
 
  ビートルズの曲はですね、冒頭部分が すごい、こう引っかかるのがあるじゃないですか。
  「えっ!? こんな音で出てるの?」とか。
  それから、いわゆる、ロックの時代になって、イントロが8章節とか15章節とか、ヘタをすると1分近いイントロがあったりするんだけど。
  ビートルズの場合、勝負が速いよね。
  「ドカーン」と出て。
  その、「どんな音で出るのか」っていうのが、とても楽しみだった覚えがありますけど。
0003ジョン・キロックノン
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2016/07/16(土) 19:03:00.33ID:???0
  この「A Hard Day's Night」この出方は衝撃的です。
  まあ、これから改めて流しますので、聴いていただきたいと思います。
  いきなり「えっ!?」って言うような感じ。  
  ギターの音なんですけども。
  最初のギターのね・・・
  ギターに詳しい方、よく聞いてくださいねw
  詳しくない方もよく聞いてw。
  ずっとね「G7sus4」であると言われておりました。
  でも、ビートルズ研究家によるとですね。
  もっとめんどくさいもので、どうやら
  「Dマイナー7オンG」、これと「D7sus4オンF」 
  「この二つのコードを、2本の12弦エレキで同時に弾いてるらしい」ということです。
  そういう音がするらしいんですよね。
  さあどうでしょう? 行きますよ。  
  どうぞ!

  〜 The Beatles / A Hard Day's Night
  ttps://www.youtube.com/watch?v=09QJt9MBBUY
0004ジョン・キロックノン
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2016/07/16(土) 19:03:49.94ID:???0
□ストーリー
 ・昨年、2015年の4月1日、イギリスで一人の女性がこの世に別れを告げた。
  女性の名前はシンシア・レノン。75年の人生であった。
  彼女は生前、夫ジョンのことを中心にビートルズに関する一冊の手記を発表している。
  その内容は全て彼女が目の当りにしたこと。
  もしくは、ジョンやビートルズのメンバー、あるいはマネージャーのブライアン・エプスタインとそのスタッフ。
  そして、友人たちから直接聞いたことだけで構成されている。
  今週もロックの歴史上、最も重要なアーカイブとも言えるこのシンシアの著作からお届けしよう。

  1964年夏、ロンドン郊外サリー州ウェイブリッジにある通称「ケンウッド」という大邸宅に暮らすようになったジョンとシンシア
  ここに移り住んで間もなく、ジョージと恋人でモデルのパティ・ボイドが近くのイーシアという場所に家を買った。
  続いて、リンゴと、やはり婚約者のモリーンも、ジョンとシンシアの住まいと同じ地区で、歩きでも5分ぐらいの場所に「サニーハイツ」という名前の付いた家を買うことになった。
  リンゴと美容師のモリーンは、ロンドンとリバプールの、いわゆる遠距離恋愛であったが、その絆は堅いものであった。
  リンゴが扁桃腺炎で倒れ、かなり深刻な病状だった時にモリーンはリンゴを看病するためにリバプールから飛んで来た。
 
  ビートルズがこれから、オランダ、ホンコン、オーストラリアに向けたツアーを開始しようとしていた矢先だったので。
  ビートルズにとっては、ちょっとした危機的な状況。
  最終的に、マネージャーのブライアンがリンゴ抜きで出発することに決め、リンゴはオーストラリアに数日遅れで乗り込み、他のメンバーと合流した。
  そして翌1965年1月には、モリーンが妊娠している事が判り、急遽2月11日にロンドンのカクストンホールで結婚式が執り行われることになった。
  出来ちゃった婚、いや、授かった婚、この情況はジョンとシンシアの時と、あまりに似ていたのである。
0005ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/16(土) 19:04:36.70ID:???0
  〜 The Beatles / I Feel Fine
  ttps://www.youtube.com/watch?v=WWTC5nFgwUQ
 
  〜 The Righteous Brothers / You`ve Lost That Loving Feeling
  ttps://www.youtube.com/watch?v=4uZVwSlq8Qs

  (小林)いかがですか?
  2曲 同じ頃の大ヒット曲が続きました。

  1964年の11月、イギリスとアメリカでナンバーワン。
  ビートルズの、もちろん I Feel Fine

  そして、続いて I Feel Fine が1位の次はですね。
  ペトゥラ・クラーク(Petula Clark)という女性シンガーの「♪ダウンタウン〜」ていうのが大ヒットしたんですが。
  その次の1位が、これですね。
  いま聴いた、ライチャス・ブラザーズ(The Righteous Brothers)の、You`ve Lost That Loving Feeling
0006ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/16(土) 19:05:13.35ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「リンゴとリバプール時代から付き合っていた美容師見習いのモリーン・コックス。
  まさか、この娘まで出来ちゃった結婚になるなんて、驚きでした。
  ジョンと私の時と、あまりにも似ていたんです」
  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  こうしたジョンとビートルズに関してのエピソードは全て、シンシアが遺した手記に綴られているもの。
  ロックの歴史上最も重要なア―カイブとも言えるこの名著から続けてみよう。

  リンゴとモリーンとの結婚、それはジョンとシンシアの時と全く同じではなかった。
  違っていたのは、世界中のマスコミ連中が詳しいことを知りたくて、今か今かと待ち構えていたところだった。
  式の手配を全て仕切ったのは、ジョンの時と同じマネージャーのブライアン・エプスタイン。
  モリーンが妊娠していることは、関係者と ごく一部の親しい友人たちだけ。
  これこそまさに「トップシークレット」であった。

  マスコミの注目を逸らすため、式は朝8時から執り行うことで、結婚届けを受理する登記官も了承した。
  ポールとジェーンの婚約者はタイミングが悪いことに、北アフリカのチュニジアにバケーションに出かけていて出席は出来なかった。
  出席したのは、ジョージと恋人のパティ・ボイド、ジョンとシンシア、花嫁であるモリーンの母親、そしてリンゴの母親と、その再婚相手である義理の父親であった。
  ブライアンはジョンとシンシアの時と同じく、新郎の付添い役を務め。
  感動的な式のあと、全員がロンドンの中心にある高級住宅街ベルグレイヴィアのブライアンの自宅に招待され、お祝いのブランチをいただいた。 
  新婚カップルはイギリス南部の観光地としても有名なブライトンに隣接するホーヴという町に、たった3日間のハネムーンに出かけた。
  ロンドンに戻ったリンゴは、当然休む間もなく仕事に復帰。
  1965年、ビートルズが最も忙しかった頃のストーリーである。
0007ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/16(土) 19:06:01.36ID:???0
  〜 Gary Lewis & The Playboys / This Diamond Ring
  ttps://www.youtube.com/watch?v=bKTOizdhan8

  〜 The Beatles / Eight Days a Week
  ttps://www.youtube.com/watch?v=n7wqTzONvaY

  (小林)いかがですか?
  ビートルズの Eight Days a Week
  一週間ねw 一週間8日になっちゃうわけですねw。
  1964年。
  これはアメリカだけのシングルカットで、アメリカで1位を獲得しております。

  そして、その前は。
  ビートルズと音は違っていましたけどねえ。
  これは、1965年の アメリカでの大ヒット。
  ゲリー・ルイス&プレイボーイズ(Gary Lewis & The Playboys)というグループで。
  ゲリー・ルイスは お父さんが有名なジェリー・ルイス(Jerry Lewis)という、まあ、アメリカ一のコメディアンでしたよ。
  その頃は、ジェリー・ルイスとディーン・マーチン(Dean Martin)というね、コンビで映画が何本も作られた時代です。
  ディーン・マーチンは知ってますかねえ? 知らないですかね?。ええw
  その、ジェリールイスの息子、ゲリー・ルイス&プレイボーイズ。
  これちょっとねえ、偉い人の息子だから、いろいろなスキャンダルがあったりした人ですけども。
  音楽の世界は 突っ走っていましたね。
  This Diamond Ring ヒット曲です.
0008ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/16(土) 19:06:49.62ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「リンゴが、ロンドンとリバプールの数百キロをものともせず、長距離恋愛を実らせての結婚。
  それはもう幸せいっぱいのセレモニーでしたが、リンゴは忙しすぎました。
  ですから、新婚生活はほとんど無いに等しかったんです」
  言葉の主はジョンの最初の妻となった女性シンシア・レノン。
  こうしてお送りしているジョンとビートルズを取り巻くエピソードや史実のほとんどは、彼女の遺作となった手記にまとめられているもの。
  「作り話は一切なし」というこの名著から、もう少し続けてみよう。

  リンゴと結婚したリバプール出身の美容師見習いの妻モリーンは、この時まだ18歳になったばかり。
  マスコミの目には、リンゴの若い花嫁が「シャイで田舎者に見えた」といわれている。
  モリーンもシンシアと同じく、内助の功に徹するタイプで、インタビューすら受けたことがなかった。
  ハネムーンの時の本当に短い記者会見でも、レポーターを目の前にしたモリーンは、リンゴの手をギュッと握りしめて、ほとんど口を開かなかった。
  ある記事には「世界一有名な花婿が、世界一無名な花嫁と結婚」という見出しが付いた。
  でも、そういう夫婦の有り方が、リンゴもモリーンも望んでいたものであった。

  ジョンと同じように、リンゴも家族にはマスコミの目を向けられないようにして、そっとしておいて欲しいという願いを持っていた。
  家族を守り。安心して暮らせるようにするのが、自分の役目で、
  狂乱した状況に上手く対処するには、それが一番の方法だと認識していた。
  本当のモリーンは、マスコミが決めつけた「シャイで冴えない女の子」という印象からはほど遠く。
  おしゃべりが大好きで、よく笑い、とても愉快な子であった。
  シンシアの周りの人たちは皆、モリーンを大好きで。
  リンゴにはピッタリだと思っていた。
  ジョンもシンシアもこのカップルが近所に引っ越して来てくれて、とても嬉しかった。
  結婚当初は、リンゴが借りていたロンドンのモンタギュースクエアにあるワンルームのフラットに住んでいたが。
  しだいに、プライベートは生活と空間が必要になった。
  いつのまにか、リンゴはスーパースターになっていたのである。
0009ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/16(土) 19:07:37.68ID:???0
  〜 Ringo Starr / I'm the Greatest
  ttps://www.youtube.com/watch?v=mZ4EmA5X-PQ

  〜 The Beatles / You Know My Name (Look Up The Number)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=yWj7-TIb3cc

  (小林)ww 毛色の変わったやつをw 2曲お送りしました。

  今のやつは、ま、ふざけて67年あたりにビートルズが奏ったと思われます。
  後半のアルトサックスは、ローリング・ストーンズ(Rolling Stones)のね、
  まあ、創始者の、中心だった、昔は中心だった、ブライアン・ジョーンズ(Brian Jones)が奏ってて。
  まあ、You Know My Name という。
  これは、有名な人がよく言うセリフなんですよね。
  「こんど来たらさ、名前知ってるでしょ? 電話番号すぐ分るからさ」ていうw
  それをw、だから「オエ オエ オエ」w あの声はあれですね、ジョン・レノンですよね。
  で、ちょっと柔らかい声がポール・マッカートニーで、楽しんでいた。

  そしてその前は、1973年。
  ジョン・レノンがロサンゼルスに住んでいたころ。
  ジョン・レノンが、これプロデュースしていますね。
  リンゴ・スターのために 曲を作って、I'm the Greatest
  まるで モハメッド・アリ(Muhammad Ali)みたいな感じですけども。
  「リンゴは世界の一大有名人だ」っていう。
  で、リンゴに歌わせて。
  ジョン・レノンはプロデュースの他にピアノ。
  それから、ジョージ・ハリスンやビリー・プレストン(Billy Preston)やクラウス・フォアマン(Klaus Voormann)なんかも参加しておりました。
  やっぱり、この頃のジョンのプロデュースは、フィル・スペクター(Phil Spector)の影響をすっごい受けてるんですよ。
  だから、音の壁。
  それから、ジョージ・マーティンなんかと仕事してて。
  ジョージ・マーティンはドラマを作ったりコメディを作ったりするのが得意ですから。
  リンゴ・スターを迎える、なんてんですかね、大衆の反応なんかも、音楽に織り込んで。 
  なかなか上手い造りになっておりましたね。
  I'm the Greatest
0010ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/16(土) 19:09:07.16ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。

  (茨城県常陸大宮市/男性)
  40年近く前 私が中学一年の時、「三年生を送る会」という行事があり
  私が一年生の代表で 歌を歌うことになりました。  (小林)w
  曲目はPPMの「パフ(Puff The Magic Dragon)」
  英語など全くを読めない私は何百回もレコードを聴き返し、一語一語をカタカナで書き写し、どうにか英語らしく歌うことができました。
  のちにビートルズにのめり込み、今はビートルズの曲はほとんど歌えます。
  ちなみに「パフ」のB面は「風に吹かれて(Blowin'The Wind)」
  この歌がボブ・ディラン(Bob Dylan)の曲だということは 後になって知りました。
  思い出の曲を、名曲をお願いします。
  
  (小林)
  [茨城県常陸大宮市/男性]さんのリクエスト。

  〜 Peter Paul & Mary / Puff The Magic Dragon
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Y7lmAc3LKWM
0011ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/16(土) 19:10:28.01ID:???0
  〜 Neil Sedaka / Laughter In The Rain
  ttps://www.youtube.com/watch?v=SsYIiY2wnyU

  (小林)
  ニール・セダカ(Neil Sedaka)の Laughter In The Rain「雨に微笑みを」が流れました。

  (新宿区/女性)
  ジョンとシンシアの新居の16部屋。
  私なら何に使うかしら?と考えてみても。
  10部屋ぐらいまでしか思いつきません。
  それより何より、一人でお留守番の時は恐いでしょうねえ。
  お手伝いさんが住み込みでいてくれたらいいでしょうけど。 

  (小林)という
  うわあ、ジョン・レノンが家を買った話しから、いろいろみんな想像してますね。
  [新宿区/女性]さん、あなたのリクエストにお応えしました。
0012ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/16(土) 19:11:18.72ID:???0
  (宮城県仙台市/男性)
  毎年毎年のことですが、固定資産税や自動車税の時期になると頭に来ます。
  ま、しょうがないですよね、この国に住んでる限りは。
  リクエスト・・・もう、お分かりですよね。
  「税務署の男」です。

  (小林)ええw
  [宮城県仙台市/男性]さんw Taxman

  〜 The Beatles / Taxman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=5-lvFiLR9k8
0013ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/16(土) 19:12:18.72ID:???0
  〜 Elvis Presley / Love Me Tender
  ttps://www.youtube.com/watch?v=-Y-bd3aDMGA

  (小林)
  プレスリー(Elvis Presley)が流れました。

  (千葉県市川市/女性)
  私たちのアイドルがビートルズならば、ビートルズのアイドルと言えばエルビス・プレスリーですよね。
  ジョンも常に憧れて、エルビスを目指して活動してきた逸話も聞いたことがあります。
  父親の影響で、私の場合ゆりかごの中で ビートルズ以外にも聴いて育ちました。
  エルビスの Love Me Tender をリクエストします。
  私たちアラフォー世代には渋い歌声がたまりませんね。
  よろしくお願いします。

  (小林)
  かけましたよw。
0014ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/16(土) 19:19:21.30ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  いや実に、知ってても、改めて聞くと面白いですよねえ。
  ジョン・レノンが家を買って、それでw・・・・
  もうこれは、なんていうんですかね。
  もう数珠つながりになって、ジョージ・ハリスンもリンゴ・スターも家を買う。
  ところが、まあ、それまでには狭い所に住んでたもんでw 
  広い所へ越しちゃって、もうぜんぜん違う世界に放り込まれちゃって。
  それから体験することってのは、ほんと、面白いです。
  リンゴ・スターの、今日は、出来ちゃった婚、ていうんですか、授かった婚についてちょっとお話しいたしましたが。
  この話しはジョン・レノンの最初のカミさんの本のとおり続きますので、楽しみに待っていただきたいと思います。。

  それから、リクエストもよろしくお願いしますね。
  今日も紹介いたしましいたが、みんなちょっとこう、短かめに、無駄の無い文章で。
  ちゃんと攻める所は攻めて、そして自分のリクエストに持ってっておりました。
  もう、みなさんベテランのw、リクエスター。
  そんな風格が漂っていますw。
  もう ほんとは もう今はですね、皆さんの字を見ることは、書いた字を見ることが出来ないんですよね。
  でも、書いた文章で、そこから、この人はこういう風な人なんだあ、ていうようなこと想像したりしています。
  昔はすごかったんだからね。
  あ、リクエストの宛て先、リクエストの宛て先、えーと。
  beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてお送りしてます。
  それでは。
0016ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/19(火) 23:48:54.06ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年7月17日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(7月17日)
 ・1967年。
  この1967年は、覚えといてくださいね。
  「サマー・オブ・ラブ(Summer Of Love)」
  特に、1967年の夏はそう呼ばれました。
  まあその一つは、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」が発売になったこと。
  それから、ヒッピーとかね、圧倒的に増えたのがこの夏なんですよ。1967年。
  
  そう、今から49年前の今日、アメリカで「All You Need Is Love」
  もう、愛が全てですよ。
  これが・・・
  これB面が「Baby You're a Rich Man」
  これが発売になりました。
  まあ、ビートルズの曲の中でも一番重要曲のひとつ。
  「サマー・オブ・ラブ」のテーマみたいなもんじゃないですか。ねえ。
  愛だけあればいいわけですよ、
  でまあ、さっきも言いましたが、この1ヶ月ちょっと前に「サージェント・ペパーズ」のアルバムが出て。
  まあ、ビートルズの良い所は・・・良い所というか、これは当たり前のことなんですけど、ほんとはね。
  「シングルは アルバムに入れない」
  「シングルで金とって、アルバムでもう一回金取るってういうのは失礼にあたる」っていうふうな哲学を持ってやってますよね。

  で、ジョン・レノンは「All You Need Is Love」を作ったんですが。
  歌詞と曲がほとんど一緒に降りて来てくれたんで、30分ぐらいでこれは出来た。
  ただ、歌いこなすのに一週間かかった。
  歌いにくかったのは、最初のAメロ。  
  出だしの、ちょっとボブ・ディラン(Bob Dylan)がラップしてるような、その譜割りが難しかった、ていうことで。
0017ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/19(火) 23:49:46.89ID:???0
  それと、忘れることができないことがもう一つあります。  
  この曲は、当時世界初の試みで、衛星中継を使って31ヶ国で同時放送された宇宙中継特別番組「アワー・ワールド」
  日本語のタイトルは「我らの世界」
  このために 実は、ジョン・レノンが書いたもの。
  ビートルズはイギリス代表として出演しました。

  1967年の6月25日の生中継の際には、オーケストラは全員白いスーツ、ビートルズはサイケデリックな衣装で登場します。
  で、ビートルズの前にはですね、友人たちが招かれています。
  ローリングストーンズ(Rolling Stones)のブラアン・ジョーンズ(Brian Jones)ミック・ジャガー(Mick Jagger)キース・リチャーズ(Keith Richards )
  それから、ドノバン(Donavon)イギリスのフォークシンガー。
  キース・ムーン(Keith Moon)、フー(The Who)
  パティ・ハリソン、ジョージ・ハリスンの嫁さん。
  グラハム・ナッシュ(Graham Nash)
  それからジェーン・アッシャー、ポールの婚約者。
  マリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull)
  こういった面々が あぐらをかいて座っています。
  コーラス隊として参加しました。

  後日、これ放送されたあと、ダビングを、声を録り直して、
  これは、49年前の今日 シングルとして発売になったというわけです。
  改めて・・・・

  〜 The Beatles / All You Need Is Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=t5ze_e4R9QY

  (小林)いかがですか?
  31ヶ国で生中継された、衛星を使ってね。
  その時のために、わざわざジョンが作った曲です。
  All You Need Is Love ザ・ビートルズ
0018ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/22(金) 12:58:52.97ID:w+MHi9zf0
□ストーリー
 ・昨年、2015年の4月1日、イギリスで一人の女性がこの世に別れを告げた。
  女性の名前はシンシア・レノン。75年の人生であった。
  彼女は生前、夫ジョンのことを中心にビートルズに関する一冊の手記を発表している。
  その内容は全て彼女が目の当りにしたこと。
  もしくは、ジョンやビートルズのメンバー、あるいはマネージャーのブライアン・エプスタインとそのスタッフから直接聞いたことだけで構成されている。
  今週もロックの歴史上、最も重要なアーカイブとも言えるこのシンシアの著作からお届けしよう。

  ビートルズのメンバーの中で、ジョンとシンシアの次に結婚したのはリンゴ・スター。
  リバプールで美容師見習いとして働くモリーン・コックスとの長距離恋愛を実らせてのゴールインであった。
  式を挙げたのは1965年2月、まだリバプールの人気ローカルバンドだった頃に結婚したョンの時とは環境があまりにも変貌していた。
  1965年のビートルズといえば、正真正銘 世界一のロックバンドであった。
  世界のマスコミ連中は、リンゴの結婚を「世界一有名な花婿が、世界一無名な花嫁と挙式」と皮肉を込めて報道した。
  マスコミの目には「シャイで田舎者の女の子」に見えたモリーンであったが。
  本当の彼女は、おしゃべりが大好きで、よく笑い、とても愉快な子。

  そんな新婚カップルも、当然プライベートな空間での静かな暮らしが必要になり、
  ジョンとシンシア、そしていたずら盛りの息子ジュリアンが暮らすウェイブリッジの近くに引っ越して来た。
  ビートルズの女性陣はお互いに仲が良く。
  中でもモリーンはシンシアがそれまでに出会った人たちの中でも,、特に地に足が着いた誠実な人柄で大親友になることができた。

  そんなリンゴとモリーンが結婚して7ヶ月が経ち。
  9月になると、二人の元に長男ザックが誕生。
  このモリーンの 新しい生活のアドバイザー的存在になったシンシア。
  モリーンが本当のお姉さんのように頼りにしていたことは言うまでもない。
0019ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/22(金) 12:59:29.07ID:???0
  〜 The Beatles / Octopus' Garden
  ttps://www.youtube.com/watch?v=3MIzjTVcIdw
 
  〜 The Beatles / Lucy in the Sky with Diamonds
  ttps://www.youtube.com/watch?v=xxaOItEmu3U

  (小林)2曲続きましたね。

  1969年ですね。
  「アビーロード(Abbey Road)」の中に入っている。
  リンゴが歌う「タコの庭=Octopus' Garden」

  それから、67年の「サージェント・ペパー」の Lucy in the Sky with Diamonds

  これ、両方ともあれですね。
  ジョン・レノンが大好きな「不思議の国のアリス」の世界ですよね。 
  そういうふうな共通のものを持っていますね。
0020ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/22(金) 13:04:05.00ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「リンゴとモリーンが近所に引っ越して来てくれて、おまけにパパっそっくりの男の子=ザックまで生まれて。
  毎日忙しいけど、とっても幸せな毎日でしたね。
  やあ、それにしてもザックは可愛かったですね。
  ジュリアンも、弟が出来たみたいで大喜びでした」
  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  こうしたジョンとビートルズに関してのエピソードは、全てシンシアが遺した手記に綴られているもの。
  ロックの歴史上最も重要なア―カイブとも言えるこの名著から続けてみよう。

  シンシアは先輩ママとして、リンゴの妻であるモリーンを優しくサポートした。
  二人はよくナイスブリッジという繁華街へ買い物に出かけるようになった。
  レノン家の運転手アンソニーに送ってもらい。
  ハロッズやハービーニコルズや その間に点在するデザイナーズショップを一巡りしたあと。
  おしゃれでこじんまりしたレストランでランチを楽しむ。
  お互い息子のために、小っちゃくて可愛い服を選んだり。
  夫のためには、何か目先の変わった特別なものを見つけようと常にアンテナを張りめぐらせたりしていた。
  二人とも、夫のためにサイケデリックなシャツや、エスニックな宝飾品を買っては、夫のビックリする顔を見るのが楽しくてしょうがなかった。

  ある時は、ジョンにギターのピックを買って帰った。
  こういう時、ジョンはいつもわざと上流階級の言葉をマネして、プレゼントのことを「プレジー」と呼び。
  いつでも その「プレジー」を大歓迎していた。
  ジョンはどんなささやかな物でも、いつでも目を輝かせて見てくれるので、彼をビックリさせる物を買うのは楽しかった。
  女性はいつでもショッピングが大好きな生き物であるが、シンシアもモリーンもショッピングと同じくらい家にいることも好きであった。
  
  1960年代のロックセレブたちのプライベートライフ。
  ビートルズストーリー そのパート3でも、まだまだご紹介しよう。
0021ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/22(金) 13:04:36.29ID:???0
  〜 The Beatles / Act Naturally
  ttps://www.youtube.com/watch?v=WtcxnAxQvaM

  〜 The Beatles / Baby You're a Rich Man
  ttps://www.youtube.com/watch?v=vpCy4zhIssg

  (小林)2曲 お送りしました。
  
  Act Naturally
  これはカントリーの大ヒット曲のカバーです。
  リンゴ・スターが Act Naturally
  「自分は映画スターになるんだ」ていうね。
  「自然にやればいいんだ。地で行けばいいんだ」ていう。
  リンゴ・スターらしい内容。
  1965年「HELP!」に入っていました。
  バック・オーエンス(Buck Owens)というね、カントリーシンガー。
  有名な人ですけど、そのヒット曲ですね。

  そして、bBaby You're a Rich Man
  「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」1967
0022ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/22(金) 13:07:54.73ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「リンゴの家族が、私たちが住むケンウッドに近いイーシアに引っ越して来てくれて本当にうれしかったんです。
  リンゴの奥さんになったモリーンは、まだ18歳だっていうのに、母親になって育児も家事も本当に良くがんばっていました。
  私よりも8つも年下だっていうのに、なかなかのしっかり者でしたね」 
  言葉の主はジョンの最初の妻となった女性シンシア・レノン。
  こうしてお送りしているジョンとビートルズを取り巻くエピソードや史実のほとんどは、彼女の遺作となった手記にまとめられているもの。
  「作り話は一切なし」というこの名著から、もう少し続けてみよう。

  シンシアもモリーンも 出かけることが大好きだったが。
  モリーンはリンゴが帰って来る時には、どんな事があっても必ず家にいることにしていた。
  そしていつでも手作りの温かい料理をサッと出せるように。
  時には朝の4時半まで起きて、リンゴの帰りを待っているような献身的な妻であった。
  リンゴは自分が愛され大切にされているという満ち足りた気持ちになることが、生きるためのエネルギーだった。
  そのエネルギーさえあれば、どんな長引くレコーディングも、体力的に辛く長いコンサートツアーでも頑張ることが出来た。
  モリーン自身も、父親が外で働き、妻が家庭を守りながら夫の帰りを待つという家庭環境で育ったので、そういうスタイルを守りたかった。
  シンシアも まさにそういう家庭で育ったため、その考え方には100%同調できたのである。
  
  ジョンとシンシアは よくリンゴの家に行って、休日を一緒に過ごした。
  そこに行くと いつもパーティをやっているようで、ほんとうに楽しかった。
  リンゴはたくさんの人に囲まれていることや、面白いことが大好きで、
  自らピエロを演じたりおどけて見たりして、笑いの波をそこに居る全員に浸透させることが出来た。
  これはまさに天性のものである。
  もちろんその才能とエネルギーは、リンゴにモリーンが加わると倍増、いや、もっと増えることもあった。
  陽気で開放的な素晴らしいエネルギーなのである。
  ここから数年経って、リンゴが映画俳優として評価を得るのは、もしかするとモリーンのおかげだったのかもしれない。
0023ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/22(金) 13:09:29.24ID:???0
  〜 The Beatles / Boys
  ttps://www.youtube.com/watch?v=pEi6Ahl6KGs

  〜 The Beatles / This Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=20jzMqD-N2c

  (小林)Boy が2曲続きましたね。
  
  1963年の「Please Please Me」から、boys
  これは女性たちのグループ=シュレルズ(The Shirelles)のカバー。
  ビートルズが珍しく奏っています。
  
  そして これは「I Want To Hold Your Hand」のB面 This Boy
  This Boy は、もう一つの名は「リンゴのテーマ」と呼ばれている曲。

  2曲お送りしました。
0024ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/23(土) 16:03:19.72ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。

  (群馬県/男性)
  勉強の時や散歩などをしている時は 必ずといっていいほど拝聴しいている、群馬在住の中3の者です。
  ある月の英語の授業で、カーペンターズの歌っている「Please Mr. Postman」を歌うことになりました。
  私はその曲を大変k気に入り、家でも調べたり聴いたりしていました。
  するとこの曲は、もともとマーベレッツ(The Marvelettes )というグループが歌っていた。  
  もっと調べると ビートルズもカバーしていたことを知り。
  当時無知だった私は この事実を知って大変うれしくなりました。
  この番組の存在を知り、「Please Mr. Postman」が流れるたびに高揚しております。
  ビートルズでもカーペンターズ(The Carpenters)でもマーベレッツでもいいので。

  (小林)これは[群馬県/男性]さん
  それでは、ビートルズ・・・

  〜 The Beatles / Please Mr. Postman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=cAa8s0yxf0c

  (小林)郵便屋さんが来るのをね、待っているわけですよね。
  ね、ラブレターをね。
  ビートルズバージョンでお送りしました。
0025ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/23(土) 16:04:34.12ID:???0
  (神奈川県茅ケ崎市/男性)
  小林克也様 はじめまして。
  わたくし[神奈川県茅ケ崎市/男性]と申しまする。
  ビートルズを語らせたら、めんどくさいやつと自負しております。
  さて、我が町神奈川県茅ヶ崎市といえば、ミスター・ケイスケ・クワタ。
  そして克也さんとくれば、ナンバーワンバンド。
  リクエストはご想像通り、「茅ヶ崎は今日も黄色い」をお願いいたします。
  
  (小林)ていうw
  これはね、桑田佳祐作詞作曲です。
  1983年かな?
  「茅ヶ崎は今日も黄色い」ザ・ナンバーワンバンド

  〜 ザ・ナンバーワンバンド / 茅ヶ崎は今日も黄色い
  ttps://www.youtube.com/watch?v=wN62t8_I8ww
0026ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/23(土) 16:06:05.03ID:???0
  〜 Pink Floyd / Time
  ttps://www.youtube.com/watch?v=JwYX52BP2Sk

  (小林)すごいことをやりましたよ。
  ピンクフロイドの Time を、かけちゃいました。
  どうでしたか皆さん?。
  前知識なしで聴いて、このサウンドの世界、どう思われましたか?
 
  (茨城県牛久市/男性)
  ジョンのマイホームに関する物語、興味深く聴いてます。
  24時間の監視生活を強いられた体験。
  想像するだに恐ろしい。
  ところで私、先日から腰痛で不自由な生活を強いられています。
  これまで経験が無かったので、歳のせいかとも思っていますが。
  そんな私のリクエスト、ぜひとも応えていただければと思います。
  この曲は無理でしょうか?。
  たしか、アビーロード・スタジオで録音されたということで。
  「アルバムが売れて あっという間に大金持ちになった」とロジャー・ウォーターズ(Roger Waters)が言っておりました。
  中学の時から大好きだった・・・

  (小林)w
  まあ、難しい中学生だったわけですねえw
  これは、クレジットを見て・・・・
  ピンク・フロイドは、まあ皆さんそれぞれ調べてください。すごいです。
  アラン・パーソンズ(Alan Parsons)という80年代になって、ポップスのヒットを飛ばすアラン・パーソンズがね、エンジニアを務めています。
  あと、クリス・トーマス(Kris Thomas)も名を連ねています。
  クリス・トーマスというと セックス・ピストルズ(Sex Pistols)だとかね、ポール・マッカートニーだとか。
  そうですね、イネクシス(iNexus )だとか、いろんなグループをプロデュースした偉い・・・
  あっ、加藤和彦さんたちもプロデュースしましたね。
  というわけで、ピンク・フロイド! お送りしました。 
0027ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/23(土) 16:07:04.63ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」

  ビートルズの嫁たち、恋人たちの物語。
  なかなか良いですよねw。
  こういうのね。
    
  それから、リクエストもよろしくお願いします。
  ピンク・フロイド、かかりますからね。
  皆さんそれぞれの、自分たちの環境だとか、ちょっと短く伝えていただければと思います。
  beatles@bayfm.co.jp
  こちらで待っています。
0028ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/26(火) 22:58:53.13ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年7月24日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(7月24日)
 ・1969年。
  今から47年前の今日。
  スタジオは第2スタジオ。
  ビートルズのお馴染みのスタジオです。
  ビートルズは、この頃はね「アビーロード(Abbey Road)」のアルバムのレコーディング中。
  ところが、この日はポールがちょっと早くから来てアルバイト的なことをやります。
  他のね、ジョージ、リンゴ、ジョンとは関係ないこと。
  これ、この3人は知ってるんですけど。

  何かっていうと。
  ポールがバッドフィンガー(Badfinger)っていうグループをね、プロデュースしてて。
  バッドフィンガーのために曲を書いて、デモを録るわけです。
  で、早くから来て。
  ポールはね、アビーロードスタジオの近所に住んでたんで、早く来て。
  そして、何をやったかというと、先ず ピアノの弾き語りで、ワンテイク録っちゃうわけね。
  自分の歌を。
  で、これあの普通メトロノームとかそういう、ドンカマとかね、テンポをキープするものが要るんですけど。
  ポールはそんなの、天才的にもうテンポキープが出来ちゃう。
  で、ドラムズをポールが本人が叩いて、それに合わせて叩くんですよね。
  で、それもワンテイクで決めちゃう。
  で、ベースを入れる、録音する。
  もうワンテイク。
  で、最後に自分のボーカルをちゃんと録り直して。
  ラテンの、パーカッションのマラカスを足して。
  で、すぐミックスダウン。
  一時間もかからない。
  ポールは早業ですよね。
  なんでも あっという間に出来ちゃう、っていう。
0029ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/26(火) 22:59:46.29ID:???0
  で、この「Come and Get It」は、バッドフィンガー、ポールがプロデュースする。
  まあ、第二のビートルズとか、第三のビートルズとか いろいろその頃言われましたけども。
  で、こをですね、なんと「マジック・クリスチャン(The Magic Christian)」という映画。
  これが、ジョンなんかも大好きな、大尊敬する ピーター・セラーズ(Peter Sellers)
  それから、リンゴ・スター。
  この、ダブルメインキャストですよ。
  これの映画のテーマ音楽として使われるわけですね。

  やっぱり商売上手かったですね。
  アップルがみんなやっちゃうわけ、ポールが音楽を作って。
  自分の所のね、子飼いのグループが音楽をやって。
  なんか日本の芸能に ちょっと似てるような世界でありますけども。
  
  で、まあ、我々の目の前にそれが現われたのは、実は1996年になって「アンソロジー(Anthology)3」にこの時の模様が・・・
  ポールが1時間で片付けたサウンドが入っています。
  デモバージョンを聴いていただきましょう。
  一応ポールだけど、ザ・ビートルズというw 名義になっています。
  ポールが作っても「ジョンとポール」ていうのと同じことですね。
  ザ・ビートルズの「Come and Get It」

  〜 The Beatles / Come and Get It
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rhSE0pJnSLU

  (小林)アハハw
  プロデューサーも誰もいないw
  ポール一人で曲を作って、ねえ。
  もちろん 作詞作曲です。
  で、このインストのパートは1時間以内に全部やって。
  それも、最後のトラックダウンまでやっちゃうという。
  ポールの2声が、2つ声が聴こえてました。
  これ、最初のデモの時に入れて、最初に録ったやつ、それから本格的に録ったやつ、その2つが残されてるからですね。
  この曲もあれですよ、おそらくポールのことだから1時間以内で作っちゃったんじゃないかと思いますよ。
  そのコンセプトが「欲しかったら、こっち、自分で取りに来なよ」ていう。
  「If you want it, Come and get it」
  これがテーマだったわけです。
  それを中心にね、メロディを作って。
  あっという間ですよね。ええ。
  ポールの正体がだんだん分かって来ましたか?
0030ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/29(金) 13:48:42.80ID:???0
□ストーリー
 ・昨年、2015年4月1日、イギリスで一人の女性が75年の人生の幕を閉じた。
  女性の名前はシンシア・レノン。
  彼女は生前、夫ジョンのことを中心にビートルズに関する一冊の手記を発表している。
  その内容は全て彼女が目の当りにしたこと。
  もしくは、ジョンやビートルズのメンバー、あるいはマネージャーのブライアン・エプスタイン、そのスタッフの皆から直接聞いたことだけで構成されている。
  今週もロックの歴史上、最も重要なアーカイブとも言えるこのシンシアの著作からお届けしよう。

  1964年夏、ジョンとシンシアはロンドン郊外のサリー州ウェイブリッジという場所に、部屋数16という御屋敷を購入した。
  ケンウッドという屋号まで付いた大邸宅。
  そして、そこから間もなく、リンゴと恋人のモーリーン(Maureen)も同じウェイブリッジに居を構えた。
  すると、とんとん拍子とでも言うべきか、モーリーンが子供を授かったことが判り。
  翌年 1965年2月、リンゴとモーリーンはロンドンで結婚式を挙げた。
  もちろんマスコミには極秘である。
  出来ちゃった結婚が 良いとか良くないとか、そういう倫理的なことはさて置き。
  リンゴもモーリーンも、とても幸せであった。  
  結婚して7ヶ月が経ち、9月になると、二人の元には長男のザックが誕生。
  ママ友であったシンシアにとって、モーリーンは8歳も年下ではあったが、すごく気の合う仲間であった。
 
  ジョンとシンシアは、よくリンゴの家に行って休日を一緒に過ごした。
  そこに行くと、いつでもパーティをやっているようで、ほんとうに楽しかった。
  リンゴはたくさんの人に囲まれていることや、面白いことが大好きで。
  自らピエロを演じたりおどけて見たりして、笑いの波がみんなにも広がっていく。
  リンゴとモーリーンが揃ったら、なおさら陽気でオープンな空気を醸し出さずにはいられない。
  さらにリンゴは、リビングにパブを真似たスペースを作って、そこに「フライング・カウ」という店の名前まで付けていた。
  その店がまた、かなり本格的で笑えるものであった。
0031ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/29(金) 13:49:41.83ID:???0
  〜 Ringo Starr / You're Sixteen
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Xroiz9ssBIU
 
  〜 The Beatles / If I Needed Someone
  ttps://www.youtube.com/watch?v=OEjyMynFWMU

  (小林)2曲続きましたねえ。

  If I Needed Someone
  これは「ラバーソウル(Rubber Soul)です。
  「ラバーソウル」のアルバムに入っていますよね。
  ビートルズが、まあギャーギャー騒ぐ女の子たちのためじゃなくて。
  自分たちのために、音楽を本格的に作り始めたアルバムの中に If I Needed Someone
  まあ、だからコーラスなんか、すっごい良いですよね、この曲は。
  武道館でもビートルズはこの曲を演奏しました。

  そしてその前は。
  リードボーカルは、ちょっと頼りないけどもw
  もう、サポートは・・・
  カズーはポールですからね。
  カズーは、分かりますよね。
  ポール・マッカートニーが奏っていました。
  これは、リンゴのソロですけども。
  アメリカで1位になるんですよ。
  イギリスでは さすが4位でしたけども。
  他人のカバーでした。
  この頃、リンゴ・スターには、あれですね、1位の作品が2つぐらいありました。
  「Photograph」ってのがありました。
  これもカバー大成功でしたね。
  これ、ジョニー・バーネット(Johnny Burnette)という人のカバーです。
  You're Sixteen
0032ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/29(金) 13:52:06.25ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「私とジョンと、それにジュリアンが暮らすケンウッドのすぐ近所にリンゴとモリーンが引っ越して来てくれて。
  おまけに、リンゴそっくりのザックまで生まれて。
  1965年の私たちは、ほんとうに笑って暮らしていました」
  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  こうしたジョンとビートルズに関してのエピソードは、全てシンシアが遺した手記に綴られているもの。
  ロックの歴史上最も重要なア―カイブとも言えるこの名著から続けてみよう。

  シンシアはこんなことまで教えてくれた。
  「リンゴが自宅のリビングに作ったパブみたいなスペース、これが最高に笑える空間でした」
  その笑えるリンゴの店の名は「フライング・カウ」直訳すると「空飛ぶ牛」
  そこにはカウンターとキャッシュレジスター、つまり売り上げを入れてお釣りを出すあのレジ。
  そして、シルバーの大ジョッキと、鏡張りの壁と、ビリヤード台まで揃っていた。
  その店のマスターであるリンゴは、カウンターの向こうにサッと立って。
  シンシアを始めとする友人たち皆に、冷たいビールや、素敵な色をしたカクテルまで何でも作ってくれた。
  そしてその間、モーリーンは次から次へと料理を出してくれるのだ。
  そこは、とてもゆったりとした居心地の良い家で。
  あの当時の、あの殺人的なスケジュールをこなしていたビートルズにとっては、まさにそういう場でくつろぐ時間こそが究極の贅沢のような感じがしていた。

  リンゴの家も、ジョンの家に負けないくらい広大な敷地。
  プライベートスペースがあるので、リンゴはゴーカートのレーシングトラックも作った。
  モーリーンとシンシアがアフタヌーンティーを楽しみながら、おしゃべりをしたり。
  ザックとジュリアンを連れて散歩に出ている間、リンゴとジョンはゴーカートレースをしたり、ビリヤードをしたりして、わずかな休日を楽しんだ。
  これが、アメリカのヒットチャートでベスト5の全てを独占するという大記録を打ち立てた、あのビートルズの束の間の休息だったのである。
0033ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/29(金) 13:53:00.89ID:???0
  〜 The Beatles / Can't Buy Me Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=jH-1nG5QDPA

  〜 The Beatles / Twist and Shout
  ttps://www.youtube.com/watch?v=OKh5k2cTk7c

  (小林)いやあ〜、初期のもんですけどもw。
  いいですか?。
  Can't Buy Me Love がかかりましたね。
  これ1964年の4月、アメリカで1位ですよね。
  1位4週間続けて。
  2位が Twist and Shout ねw。
  で、3位が She Loves You
  4位が I Want To Hold Your Hand
  5位が Please Please Me
  すごいでしょ? アメリカのチャートね。
  でも、今聴いた Twist and Shoutは、だけはほら、ジョン・レノンがハードロック唱法ですよ、ねえ。
  この、やっぱり、すごいですね。
  ジョン・レノンていう人はねw
  
  あ、プレスリー(Elvis Presley)もすごかったんですよ。
  プレスリーもねえ。
  なんだ?「Jailhouse Rock」=「監獄ロック」
  あれでは、やっぱりハードロックを始めていますからね。
  みんなこの頃、50年代60年代ていうのは、両方の歌い方が出来たんですね。
0034ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/29(金) 13:58:18.03ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「リンゴとモーリーンの家には、本格的なバーがあったり。
  広い敷地を利用したゴーカートのレーシングコースがあったり。
  それはもう、楽しいものが満載でした」  
  言葉の主はジョンの最初の妻となった女性シンシア・レノン。
  こうしてお送りしているジョンとビートルズを取り巻くエピソードや史実のほとんどは、彼女の遺作となった手記にまとめられているもの。
  「作り話は一切なし」というこの名著から、もう少し続けてみよう。

  シンシアはこういうことも話している。
  「いろんなことに興味を持つリンゴは、この頃自分で短編映画を作ることにも夢中でした」
  リンゴは8ミリカメラや映写機、そしてサウンドトラックを作るためのテープレコーダーや編集機材まで、かなり本格的な装備を持っていた。
  時には、まだハイハイ状態のザックと2歳になったイタズラ盛りのジュリアンをベビーシッタに任せて、みんなでリンゴの新作を鑑賞することもあった。
  中には15分間ずーっと、モーリーンの顔を撮り続けた作品もあったが、ほとんどは実験的すぎて観客の絶賛を浴びる、とまでは行かなかったのが現実。
  
  そして、それから程無く、ジョージと恋人のパティも。
  ジョンやリンゴの住むウェイブリッジから20分ぐらいのイーシアという場所に大きな平屋の家を買い暮らすようになった。
  そのジョージの家の外観は、何色もの鮮やかな色で塗られていて。
  近ずくにつれて、目の覚めるようなサイケデリックなデザインが目に飛び込んで来るようになっていた。
  家の中は、リンゴの家とは好対照。
  ジョージの家はデザイン雑誌を見ているような、最新流行のセンスあふれる内装といった感じで、どこを見ても、テレビは一つも置いてなかった。
  ここが、テレビはいつも点けっ放しのジョンの家にも、全ての部屋にテレビを置いているリンゴの家とも 全く逆の印象を与えたのである。

  こうしてビートルズのメンバーは、時が経つにつれて、お互いますます親しくなり、ほとんど年がら年中一緒に過ごすのが当たり前のようになっていた。
  シンシアは語る。
  「それはおそらく、ビートルズとその家族と同じくらい 極めて特殊な状況に置かれている人が他には誰もいなかったからだと思います。
  たったの2年間で、収入が100倍、いや1000倍か、もっとそれ以上になった人は、歴史上ほとんどいなかったんですから」
0035ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/07/29(金) 13:59:21.07ID:???0
  〜 The Beatles / Being for the Benefit of Mr. Kite!-I Want You (She's So Heavy)-Helter Skelter

  〜 The Beatles / Tomorrow Never Knows


  (小林)いやあ、すごい世界の メドレーでしたねw。

  最後は「Tomorrow Never Knows」という、これはまあ1966年の「リボルバー(Revolver)」に入っている。

  そしてその前は、2006年のジョージ・マーティンとその息子が担当した「LOVE」のアルバムから。
  これも見事な、ねえ、出来でしたね。
  なんか、新しい感覚でやったんだろうね。
  なんかもう、ビートルズの有名な世界を「ちょっと違う様に聴かせよう」ていうことで。
  「Being for the Benefit of Mr. Kite!」
  それから「I Want You (She's So Heavy)」「Helter Skelter」
  3曲がメドレーになっていました。

  だから、合計4曲メドレーだね。
0036ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/01(月) 13:24:11.59ID:4QA1gCrS0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。

  (浦安市/男性)
  ツェッペリン(Led Zeppelin)の「天国への階段」が盗作の疑惑が浮上しましたね。
  先日アメリカで、盗作ではないこと、の評決が下されました。
  盗作疑惑が出ることは 一流バンドの証かなと思います。  (小林)へへw
  そこで、「天国への階段」をリクエスト。
  また、イギリスではEU離脱、残留の是非を問う選挙が行われ、離脱派が勝利。
  政財界はもちろん、音楽界にも影響がありそうすね。

  (小林)そうだね。
  イギリスていう国は、なんての、政治経済がちょっと不安定だと、すぐ音楽に症状が出るというw。
  だから、セックス・ピストルズ(Sex Pistols)なんかも出て来たりした時代もありましたよね。
  だから、ちょっと半(なか)ば期待しているんですけども。
  さあ、それじゃ、裁判に勝ったという、レッド・ツェッペリンの名曲。
  ちょっと長いですが、最後まで・・・ Stairway to Heaven

  〜 Led Zeppelin / Stairway to Heaven
  ttps://www.youtube.com/watch?v=oW_7XBrDBAA

  (小林)完奏しましたよ。
  どうですかw? Stairway to Heaven
  これ、ぜったい盗作じゃないと思っている。
  メンバーも自信があったみたいですよね。
  良かったですね。
0037ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/01(月) 13:25:11.86ID:???0
  (成田市/女性)
  ビートルズ来日50年、ということで いろいろイベントがあるようですが。
  昔の映像をテレビで見ると、日本でも熱狂的な人気で、日本中の話題になった様子に、改めてすっごいなと思います。
  で、50年経った今でも色褪せないビートルズの楽曲、やっぱり素敵です。
  来日コンサートでの1曲目をお願いします。

  (小林)
  [成田市/女性]さんのリクエスト、Rock & Roll Music

  〜 The Beatles / Rock & Roll Music
  ttps://www.youtube.com/watch?v=18mxYphnOAE

  (小林)
  Rock & Roll Music がかかりましたw
0038ホワイトアルバムさん
垢版 |
2016/08/01(月) 13:26:39.85ID:???0
  (小林)
  さあ、それじゃね・・・

  (木更津市/男性)
  ビートルズ来日50周年というお祭りの中。
  私にとっての武道館ライブの1曲は「Nowhere Man」です
  もちろん、アルバム「ラバーソウル(Rubber Soul)」のものも良いんですけど。
  生演奏での映像を見ることができる現在、あのジョンの姿がまぶしく見えます。 (小林)まぶしく見えます。これがいいですね。まぶしく見える。
  これからも、そしていつまでも 日曜日の夕方6時を楽しみにしています。
 
  (小林)
  [木更津市/男性]さん、ありがとうございます。
  ビートルズの、Nowhere Man

  〜 The Beatles / Nowhere Man
  ttps://www.youtube.com/watch?v=GruVywUtohs
0039ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/01(月) 13:28:59.04ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」

  まあ、ビートルズの何年間のあいだでの、なかなか良い情景をお伝えしておりますよね。
  このところね。
  メンバーが仲が良い、家族ぐるみっていう。
  
  それからリクエストもよろしくお願いします。
  beatles@bayfm.co.jp
  です。
0040ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/02(火) 20:21:13.53ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年7月31日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(7月31日)
 ・1966年。
  50年前の今日。
  これね、問題なんですよ、これは。
  アメリカの「デートブック」ていう雑誌にジョン・レノンのインタビューが載るんです。
  このインタビューていうのは、春にロンドンの「イブニング・スタンダード新聞」で出たやつが、そのまま出たんですよね。
  で、相手がちょっとジョンと関係があったんじゃないかという女性記者のモーリーン・クリーヴ(Maureen Cleave)。

  で、ジョンが
  「キリスト教は消えてなくなるよ。
  僕らは今やイエスより人気があるみたいだね。
  ロックンロールとキリスト教、どっちが先に無くなるかわかんないけど。
  イエスはそれは正しかったよ。
  だけど、弟子たちが馬鹿な凡人だった。
  僕に言わせれば、やつらがキリスト教をねじ曲げて滅ぼしたんだよ」
  てなことを言うわけですよw。

  で、これはイギリスじゃ何の問題もなかった。
  アメリカでも、問題は無かったであろうと思われるんですけど。
  アメリカの南部は、特に保守的で「バイブルベルト」と呼ばれているアメリカの南部の放送局だとか新聞だとか、世論がすごかったわけです。
  「けしからん!!」ってことでね。
  要するに、ラジオ局はビートルズの曲を放送禁止。
  で、ビートルズのいろいろな関係の物を、例えば町の広場に持って来て燃やすとかね。
  で、スペインとか、バチカンみたいにキリスト教の強い所では、ジョンの言葉を非難したり。
  南アフリカではビートルズの音楽、やっぱりラジオでかからなかった。
  
  で、最終的にはね、ツアーも有ったことだし、ジョン・レノンはシカゴで記者会見するんです。
  そこで「もし僕が『テレビがイエスより人気がある』と言ったら 何ごとも無かったかもわからないけど。
  『ビートルズが人気がある』と言った。それ、ちょっと後悔している。
  僕は別に 神様に反対しているわけじゃないし、反キリストじゃあないし、反教会でもないし。
  ただ、事実を話しただけだ」
  ていうようなことを言うんですよ。
  で「僕はビートルズがイエスより良くて偉大だとは話してないんだよ。
  イエスを人として僕らと比べたりもしていないんだよ」
  っていうようなことを言うんですけども。
  その記者会見の舞台裏で「ジョンはシクシク泣いていた」ていうエピソード。
  よっぽど悔しかったんだと思いますよ。
0041ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/02(火) 20:25:01.48ID:???0
  それから約4年経って「プラスティック・オノバンド(Plastic Ono Band )」という、まあジョンのソロアルバムですよね。
  この中に「神様(God)」ていう曲があって、ここではもうジョンが好きなことを言っておりまして。
  これはやっぱりジョンの偉さじゃないかと思います。
  スタイルはビートルズの音楽のスタイルとちょっと違いますが。
  もし、もう踏み込んで興味がある方は、訳を確かめていただきたいと思います。
  プラスティック・オノバンド名義で God

  〜 John Lennon / God
  ttps://www.youtube.com/watch?v=M9H8eVcL58s

  (小林)ほら「もう、夢は終わった」で終わるんですよ。God
  ねえ、出だしがあれだからね。
  「神様っていうのは、人間の痛みを計る思い」とか、まあ「概念ていうか、考えみたいなもんだ」ていう問題発言から始まるわけですよね。
  それで、だけど、リーピートすると。
  「イエスも信じない。ケネディも、ヒットラーも信じない。お釈迦様も信じない。経典も信じない。」
  「ディランも、ビートルズも信じない」 
  あれがちょっとw 子供っぽくてw いいんだよねw 可愛くなるんだよね。エヘヘw
  ジョン・レノン、プラスティック・オノバンド、God
  いかがでしたか?
0042ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/05(金) 17:39:03.55ID:???0
□ストーリー
 ・「ジョンと私とジュリアンが、ウェイブリッジに家を買って、その数ヶ月後にリンゴとモーリーンがすぐ近くに越して来て、ザックが生まれて。
  さらにそのウェイブリッジから20分ぐらいのイーシアという場所に ジョージとパティが家を買ったんです。
  こうしてビートルズのメンバーは時が経つにつれて、お互いますます親しくなり。
  ほとんど年がら年中一緒に過ごすのが当たり前のようになっていました。
  それは、おそらくビートルズと、その家族と同じくらい極めて特殊な状況に置かれている人が、他には誰もいなかったからだと思います。
  たったの2年間で、収入が100倍、いや1000倍、いやもっとそれ以上になった人は、歴史上もほとんどいなかったんですから」

  こう証言してくれたのはシンシア・レノン。
  もちろん、ジョン・レノンの最初の妻。
  シンシアは昨年2015年の4月1日、75年の人生にその幕を閉じた。
  彼女は生前、夫ジョンのことを中心にビートルズに関する一冊の手記を発表している。
  その内容は全て彼女が目の当りにしたこと。
  もしくは、ジョンやビートルズのメンバー、あるいはマネージャーのブライアン・エプスタインとそのスタッフの皆から直接聞いたことだけで構成されている。
  今週もロックの歴史上、最も重要なアーカイブとも言えるこのシンシアの著作からお届けしよう。

  ビートルズの面々にとって、他のメンバーやその家族は、自分たちにとっての第二の家族のような感覚だった。
  ロンドンの中心地にある高級住宅街セントジョーンズ・ウッドにタウンハウスを買ったポールでさえも、婚約者で女優のジェーンを連れてウェイブリッジに頻繁にやって来た。
  ビートルズファミリーは他の誰よりも、他のどこよりも、お互いの家を訪ねあうことが多かった。
  とシンシアは記憶している。

  休暇といえば ほとんどメンバーの誰かと、またはメンバー全員と一緒に過ごしたし。
  クリスマスイブには、たいてい誰かの家にみんなが集まることになっていて、プレゼントを交換した。
  メンバーや家族間には 対立や蟠(わだかま)りが一切なく。
  とにかく、みんな仲が良かった。
  ちょっとした意見の食い違いも、常に会っていることで すぐに解消した。 

  1965年のビートルズは、まさにファミリーそのものだったのである。
0043ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/05(金) 17:39:57.11ID:???0
  〜 The Beatles / All Together Now
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2FLde6Shxq8
 
  〜 George Harrison / When We Was Fab
  ttps://www.youtube.com/watch?v=0SCWLeli264

  (小林)わあ、シタールが、モヤモヤモヤーっと融けていく感じ、ですよねw
  まあ、20年ぐらい前を懐かしんで、ジョージ・ハリスンが「Cloud Nine」のアルバムで奏っています。
  リンゴ・スターがドラムを叩いていたり。
  それからELOのジェフ・リン(Jeff Lynne)がプロデュースしたり、とかね。
  When We Was Fab
  Fab というのは、ビートルズが「Fab Four」と呼ばれていたからですね。
  When We Was Fab という曲です。

  そして、まあコンセプトは「イエローサブマリン(Yellow Submarine)」ですね。
  アルバムもそうですが、All Together Now
0044ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/05(金) 17:41:44.46ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・ジョンと他のメンバー3人との関係は、相手によってそれぞれ違っていました」
  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  こうしたジョンとビートルズに関してのエピソードは、全てシンシアが遺した手記に綴られているもの。
  ロックの歴史上最も重要なア―カイブとも言えるこの名著から続けてみよう。

  シンシアは続けてくれた。
  「ジョンが一緒にいて 一番リラックス出来るのはリンゴで。
  リンゴがよく冗談を言うと、ジョンはお腹の皮がよじれるほど大笑いしました。
  ジョージには、弟に対するのと同じような感情を懐いていて、かわいくてしょうがないという思いと。
  どこかちょっと 軽く見ているところがありました。
  3人の中では ポールが一番近い存在でしたが。
  ジョンとポールの関係には、とても複雑なものがありましたね」 

  その、ジョンとポールの関係とはどういうものだったのだろう。
  例えば、ジョンがピアノに向かって座り、ポールが歌詞を書き留めたりギターをつま弾いたりして曲を作るのに、
  とても長い時間を一緒に過ごすのである。
  その間に食べたサンドイッチや飲んだ紅茶の量といったら、ものすごいことになる。
  とにかくその間は、自分たちの目の前にある目標に完全に没頭している。
  二人が一緒に仕事をしている時には、ものすごく神経が張りつめている。
  だから、いったん作業が終わると、余熱を吹き飛ばすように、二人別々になってリラックスする必要がある。

  余暇の時間だけをとってみると、ジョンはポールと過ごすよりも、リンゴやジョージと過ごす時間の方がはるかに多かった。
  そして メンバー間の親しさが、マネージャーのブライアンとの関係にまで及ぶことは決して無かった。
  ブライアンはあくまでボスであり、ブライアン自身、メンバーとはプライベートにおいては距離を置くことを選んだ。
  ビートルズにとってのブライアンの役割は、友人でありながらも、確実に「先生」であった。
  決して気軽に付き合える存在ではなかったのである。  
0045ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/05(金) 17:43:03.79ID:???0
  〜 The Beatles / For No One
  ttps://www.youtube.com/watch?v=SuvMcoZVYUM

  〜 The Beatles / Paperback Writer
  ttps://www.youtube.com/watch?v=VC2-fv6CFsc

  (小林)2曲 続きましたね。
  
  「リボルバー(Revolver)」のアルバムから、For No One という。
  1966年。

  そして同じ年。
  これは、えーと、6月にアメリカ、イギリス、ドイツ、オーストラリア、などでナンバーワン。
  ちょうどビートルズが日本へ来た頃w ナンバーワンです。
  (Paperback Writer)
0046ジョン・キロックノン
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2016/08/05(金) 17:47:33.88ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインは、日ごろから
  『ビートルズはそろそろ エルビス・プレスリーを越える存在になるね』と言ってました。
  最初は 誰もが笑って相手にしませんでしたが。
  そのうち、それも大法螺ではないと、多くの関係者が思い始めていたんです。
  言葉の主はジョンの最初の妻となった女性シンシア・レノン。
  こうしてお送りしているジョンとビートルズを取り巻くエピソードや史実のほとんどは、彼女の遺作となった手記にまとめられているもの。
  「作り話は一切なし」というこの名著から、もう少し続けてみよう。

  たしかに、エルビスは押しも押されもせぬロックンロールのキングの座に君臨していた。
  その頃は、まだビートルズというバンド名さえ それほど浸透はしていなかったのである。
  ところが、1965年までには、ブライアンの予言が見事に的中した。
  ビートルズは世界一ビッグなポップグループになり、エルビスも他のどんな人気ミュージシャンをも遥かにしのぐ存在となっていた。
  ビートルズの4人の顔は地球上のあらゆる国で知れ渡るほど有名になった。
  ビートルマニア現象は、遠くオーストラリア、フィリピン、日本、スカンジナビアのような国々にまで及んだ。

  そのころイギリスにいた ジョンやシンシアたちは、後に呼ばれる「スウィンギング60s(Swinging Sixties)」のまさに中心に身を置いていた。
  表現の自由が許されるようになり、楽しみや喜びに満ち溢れ、突飛な行動もまかり通りようになった。
  そんな時代の到来とともに、とっておきの楽しみをクリスマスまで我慢する必要がなくなった。
  それどころか、毎日がパーティだ。
  しかも、睡眠を削って、クタクタになるまで楽しみに没頭することさえ よくある時代であった。
  セレブ達の世界では、イギリス全体がいつでもパーティ大歓迎、というような感覚で。
  ジョンやシンシアは 常にファッショナブルな人たちが主催するパーティのVIPリストのトップに位置していた。
  1965年から3年以上、流行の先端を行くレストランやナイトクラブに出かけたり。
  有名人が主催するパーティに招待されたり。
  デザイナーズブティックで買い物をしたり。
  その時の写真が 雑誌に掲載されたりもした。
  
  こうした「スウィンギング60s」の様子は、来週さらに詳しくお届けしよう。
0047ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/05(金) 17:49:33.08ID:???0
  〜 The Beatles / Day Tripper
  ttps://www.youtube.com/watch?v=yyPCKgzoiVk

  〜 The Beatles / Good Morning Good Morning
  ttps://www.youtube.com/watch?v=juWyWBLLC8A

  (小林)w、もうこれはね、これは、みんなにやらせてるもんねw エヘヘ。
  あの「サージェント・ペパーズ(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」の中に入っている。
  これ、ないがしろにされるような曲ですけど。
  こうやって 単体で聴くとすごいでしょう? これね。
  トータルで聴くと、ただ、サッと過ぎて行くような感じですが。
  これ、1曲で聴くとすごいよ、これも。
  Good Morning Good Morning

  そしてその前は。
  ナンバーワンは、イギリスでナンバーワンですね。
  アメリカでは5位ですね。
  「We Can Work It Out」
  ポール・マッカートニーの「We Can Work It Out」とカップリングの曲です。
  Day Tripper
0048ジョン・キロックノン
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2016/08/06(土) 17:09:21.83ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。

  (大阪市/男性)50代
  リンゴ・スターの10月来日公演が決まりました。
  バックミュージシャン、目を見張るほど豪華ですね。
  トト(TOTO)のスティーブ・ルーカサ(Steve Lukather)グレイグ・ローリー(Gregg Rolie) 
  すごいメンバーです。
  今回はその中でも、トッド・ラングレン(Todd Rundgren)
  ユートピア(Utopia)時代の作品「DEFACE THE MUSIC」より。
  「Just Want to Touch You」=抱きしめたいぜ」  (小林)へへw。まあこの人はビートルズをやりたくてしょうがなかったんだろうね。
  アルバムの邦題も良いセンスです。  
  「抱きしめたいぜ」人を喰ったようなジャケット写真がまた楽しいですね。

  (小林)ていう。
  そうです。若い人はどうでしょう?
  トッド・ラングレンという。
  この人は、すごい人、天才的な人だったんですけどね、やっぱりね。
  彼のグループ=ユートピアを結成して、いろんな面白いこともやっていますが。
  じゃあ、リクエストにお応えして、I Just Want to Touch You

  〜 Utopia / I Just Want to Touch You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MM_evfv9-fQ
0049ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/06(土) 17:10:29.24ID:???0
  〜 David Lee Roth / California Girls
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rsMW3VSHAKg

  (小林)2曲ね。
  
  California Girls
  これは、ヴァン・ヘイレン(Van Halen)ですよ。
  あ、ヴァン・ヘイレンじゃないw
  デイビッド・リー・ロス(David Lee Roth)ですよ。
  ヴァン・ヘイレンのボーカルだった人。
  ソロのやつですね。

  (浦安市/男性)
  番組でかかる曲に合わせて一緒に歌うのが毎週日曜日の楽しみとなっています。
  ビートルズストーリーも、ジョンの豪邸購入まで進んできました。
  いろいろ、スーパースターの自宅購入には、やはり様々なエピソードと共に紆余曲折がありますね。
  さて、ビーチボーイズ(Beach Boys)のオリジナルも良いですけども・・・

  (小林)ていうことで、デイビッド・リー・ロス(David Lee Roth)のカバー。
  なに? 季節に合う? 暑苦しいから?
  アハハw
  [浦安市/男性]さん、ありがとうございます。
0050ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/06(土) 17:12:06.82ID:???0
  (千葉市稲毛区/男性)
  シンシアの手記、面白いですね。
  今週はどのような展開になるのでしょうか。
  私ごとで恐縮ですが、7月10日は54歳になりました。
  克也さんからも、おめでとうのひと言をいただけたら。 (小林)私は山下達郎ですか?
  さて、今回はこの曲をリクエスト。
  ロカビリーバンドでは著名な彼ら。
  癒される名曲です。
  
  (小林)
  [千葉市稲毛区/男性]さん、ストレイ・キャッツ(Stray Cats) Lonely Summer Nights

  〜 Stray Cats / Lonely Summer Nights
  ttps://www.youtube.com/watch?v=zAXPyxtvlOg
0051ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/06(土) 17:13:35.11ID:???0
  〜 The Beatles / Across The Universe
  ttps://www.youtube.com/watch?v=zC4poOpZG9w

  (小林)Across The Universe がかかりましたね。

  (川崎市/男性)32歳
  今でも色褪せない耳触りの良さを感じつつ、小林克也さんの声によるビートルズの過去のエピソード。
  毎週楽しみにしています。
  こんな雨の多い季節は「Rain」となぜか「Across The Universe」が聴きたくなります。
  で、今日は「Across The Universe」
  
  (小林)やっぱり、あれじゃないですかね。
  ぶ厚い音の壁・・・じゃないですかね。
  あれが、なんとなく、そういう感じにさせるような。
  僕の場合は、ですけど。
  ハイ。いかがでしたか?
  
  これからも、当時気付かなかった魅力を、再発見させてくれる選曲を期待しています。
  ハイ。よろしくお願いいたします。
  [川崎市/男性]さん、ありがとう。
0052ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/06(土) 17:15:13.20ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)いかがですか?「ビートルズから始まる」

  シンシアが、本に記した、ビートルズそれぞれの関係は。
  やっぱり、いい加減なところじゃなくて、ちゃんと押さえてて良いですよね。
  やっぱり、ジョンとポールの関係。
  それから、ジョンとジョージ、ジョンとリンゴ。
  「それぞれ、違うんだ」ていうことで、よーく分かりますよね。
  まだ、この話しはずっと続きます。
  来週は「スウィンギング60s」のお話しです。

  それから、リクエストよろしくお願いします。
  それぞれの方が、ビートルズとの関わり合い。
  そして 自分の最近の事、昔の事、ちょこっと書いてくださるのがとてもありがたいです。
  リクエスト、メールは
  beatles@bayfm.co.jp
  採用されると、イシイのミートボールなどをセットにしてプレゼントしております。
  よろしくお願いします。

  まあ、初心者の方とかね。
  もう、「ビートルズ、俺は飽きた!」みたいな人もw いてもいいと思うんですよw ね。
  それから、最近のことだとか、昔のこと。
  僕らの知らないようなことも。
  もし良かったら、付け加えていただければ、紹介し甲斐がありますので、よろしく。
  お相手は、小林克也でした。
0054ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/08(月) 17:57:09.70ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年8月07日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(8月7日)
 ・1968年。
  つまり今から48年前の今日。
  スタジオでは「Hey Jude」のコピー、テープコピー。
  これはテープをコピーして、いよいよ完成したっていうことで、配られるわけですね。

  それから、夜から、8時45分てありますね。
  夜明けまで、5時半ぐらいまで。
  何をやっていたかというと。
  「Not Guilty」という曲を録音。
  これはテイク46まで行った。
  46まで行ったw
  すごいじゃないですか。
  ジョージ・マーティンがプロデューサー、エンジニアはケン・スコット(Ken Scott)
  セカンド・エンジニアはジョン・スミス(John Smith)

  この頃のビートルズは、マネージャー=ブライアン・エプスタインを失います。
  彼が自殺しちゃうわけですね。
  でも、がんばりました。
  「ホワイトアルバム(The BEATLES)」のレコーディングをやっています。
  で、アビーロードスタジオはようやく、8トラック。
  8トラックのテレコを、ようやく導入するんですよ。
  アメリカなんかも、だいぶ前から8トラックですよ。
  だから、その前までは、4トラックを・・・
  なんていうんですかね、2台シンクロさせてがんばっていた。
  で、まあ、倍の8トラックの環境が出来上がった。
  そんな中「Hey Jude」のミックスがこの日に完成して。
  テレコを、え〜っと、テープを、テーピング、テープをコピーしていた。
0055ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/08(月) 17:59:50.56ID:???0
  で、ジョージの作品「Not Guilty」
  これはね、結局ね、テイク100以上行くらしいですね。
  まあ、このテイク100っていうのはですね。
  この日に初めて「Not Guilty」を聴いたと思います。
  ジョージ・ハリスンが作ったわけですが。
  「これなんだよ」ってこと、渡されて、それで奏るわけですから。
  テイク100行ったわけですね。
  「Aメロディでおしまい」とか「あー、ごめん。間違えた」とか
  そういうふうな 小さいこともあって、テイク100まで行った。
 
  で、この曲は、なんとボツになるんですよ。
  アルバムに入らないんです。
  結局ジョージ・ハリスンの1979年のソロアルバム「慈愛の輝き(George Harrison)」
  これで、初披露。
  それからビートルズのバージョンは1996年の「アンソロジー(Anthology)3」に入っています。
  さあ、それじゃ 改めて聴いてみる Not Guilty

  〜 The Beatles / Not Guilty
  ttps://www.youtube.com/watch?v=X4wbSeM1gus

  (小林)いかがですか?
  ビートルズの、作品はジョージ・ハリスンの「Not Guilty」
  「無罪です」ってw 
  これ、ジョージ・ハリスンぽくない、感じがしますよね。
  一見聴いたところ、ねえ。
  ジョージ・ハリスン、やっぱり、気分を新たに、がんばっていたんでしょうね。
  でもこれは、採用されなかったw、という。
0056ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/10(水) 13:12:14.55ID:???0
□ストーリー
 ・「ビートルズが全世界で大ブレークし、ジョンと私がウェイブリッジに家を買った1964年。
  それはまさに『スウィンギング・ロンドン』の幕開けの時代でした」
  こう話してくれたのは、シンシア・レノン。
  もちろん、ジョン・レノンの最初の妻。
  シンシアは昨年2015年4月1日、75年の人生に その幕を閉じた。
  彼女は生前、夫ジョンのことを中心にビートルズに関する一冊の手記を発表している。
  その内容は全て彼女が目の当りにしたこと。
  もしくは、ジョンやビートルズのメンバー、あるいはマネージャーのブライアン・エプスタインとそのスタッフの皆から直接聞いたことだけで構成されている。
  今週もロックの歴史上、最も重要なアーカイブとも言えるこのシンシアの著作からお届けしよう。

  そのころ、イギリスにいたジョンやシンシアたちは、後に呼ばれる「スウィンギング60s(Swinging Sixties)」のまさに中心に身を置いていた。
  表現の自由が許されるようになり、楽しみや喜びに満ち溢れ、突飛な行動もまかり通るようになった。
  そんな時代の到来とともに、とっておきの楽しみをクリスマスまで我慢する必要がなくなった。
  それどころか、毎日がパーティだ。
  しかも、睡眠を削ってクタクタになるまで楽しみに没頭することさえ よくある時代であった。
  セレブ達の世界では、イギリス全体がいつでもパーティ大歓迎、というような感覚で。
  ジョンやシンシアは、常にファッショナブルな人たちが主催するパーティのVIPリストのトップに位置していた。
  1965年から3年以上、流行の先端を行くレストランやナイトクラブに出かけたり。
  有名人が主催するパーティに招待されたり。
  デザイナーズブティックで買い物をしたり。
  その時の写真が 雑誌に掲載されたりもした。

  シンシアは語る。
  「あのころの私の生活は、とても極端でした」
  ある夜は、映画の試写会に出席し、あちこちからフラッシュを浴び、ファンの大群の絶叫に包まれていたかと思うと。
  その翌朝は、ほかのママ友となんら変わりなく、ジュリアンを保育所に送って行く。
  シンシアはまさに2重生活を送っているのと同じ状況だったのである。
0057ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/10(水) 13:13:02.46ID:???0
  〜 The Beatles / Wait
  ttps://www.youtube.com/watch?v=HcNpeG8DRkU
 
  〜 The Beatles / Ticket To Ride
  ttps://www.youtube.com/watch?v=QuCOkyFpzts

  (小林)2曲お送りしましたね。
  
  「ラバーソウル(Rubber Soul)」のね、1965年のアルバムから、Wait  

  そして 同じ年の「HELP!」から、Ticket To Ride
0058ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/10(水) 13:14:55.27ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「あのころの私の生活は、とても極端でしたねえ」
  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  こうしたジョンとビートルズに関してのエピソードは、全てシンシアが遺した手記に綴られているもの。
  ロックの歴史上最も重要なア―カイブとも言えるその名著から続けてみよう。

  シンシアはこう話してくれた。
  「前の晩にクラブをハシゴしたかと思ったら、翌朝は長男ジュリアンを保育所に送るんです。
  あるいは、昼間 食料品や日用品を買いに 近くの店に立ち寄るんですが。
  私が一人でいる時には『あ、あれ、ジョンの奥さんのシンシアじゃないの?』なんて気付かれることはまずありませんでしたから。
  そして、また夜が訪れると、レコーディングを終えたジョンと会う。
  というように、まさに両極端な生活でした」

  多くの場合は、ビートルズがレコーディングを終える少し前に、メンバーの妻や恋人あるいは婚約者と一緒に、スタジオを訪れて。
  そして、その日の成果を聴いて、
  そのあと、みんなでロンドンのお洒落なクラブに繰り出して踊ったり、たくさんの有名な人たちとおしゃべりを楽しんだりした。
  こうして、ビートルズのメンバーだけではなく、ビートルズの愛した女性たちもロンドンの有名人になっていったのである。

  シンシアはこうも語っている。
  「私たち自身、有名人だと言われながら、中身はまだまだ世間知らずでした」
  もちろん、ポールの婚約者で女優のジェーンや、ジョージの恋人でモデルのパティは、すでに有名人であったため、
  シンシアやリンゴの妻モーリーンとは かなり状況が違った。
  なにせ、シンシアとモーリーンはリバプールの出身だった。
  当時は今よりもはるかに地域格差があった時代。
  シンシアはそれを痛感していた。
  洗練されているわけでもなく、センスも無い。
  リバプールにいたころは、オシャレなナイトクラブといえば、パブへスコッチのコーク割を飲みに行くくらいであった。
  シンシアもモーリーンも まだまだ田舎臭さが抜けていなかったのである。
0059ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/10(水) 13:15:56.55ID:???0
  〜 The Beatles / Penny Lane
  ttps://www.youtube.com/watch?v=QDXPTPo2oZU

  〜 The Beatles / Hey Jude(LOVE)

  (小林)このあとの盛り上がりは ご存知のところであります。
  Hey Jude
  これはちなみに、2006年の「LOVE」
  ジョージ・マーティンと息子のジャイルズ・マーティン(Giles Martin)ね。
  この二人がプロデュースを担当している、見事な作品。

  そしてその前は Penny Lane
  これは、お馴染みですね。
  「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」の中に入っていました。
  シングルとして アメリカでナンバーワン、イギリスではナンバーツーだったそうです。

  2曲。
0060ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/10(水) 13:27:19.01ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「時代はまさに『スウィンギング60s』
  ですが、田舎者の私や、まだ二十歳(はたち)にも満たないモーリーンにとって、最初はおっかなびっくりでしたね。
  なにせ、ロンドンとリバプールの文化の格差はものすごいものでしたから」
  言葉の主はジョンの最初の妻となった女性シンシア・レノン。
  こうしてお送りしているジョンとビートルズを取り巻くエピソードや史実のほとんどは、彼女の遺作となった手記にまとめられているもの。
  「作り話は一切なし」というこの名著から、もう少し続けてみよう。

  リバプール時代、それはジョンとシンシアにとっては美術大学に通う学生時代でもあった。
  あの頃、オシャレな夜の過ごし方といえば、パブに「スコッチアンドコーク」や、洋ナシの発酵酒である「ベイビーシャム」を飲みに行くことぐらい。
  しかし、それすらクリスマスや誕生日に限定されていた。
  いつもは、ビールかコーラを飲むくらいでお終いであった。
  外食なんて、ほとんどしなかった時代。
  ほんのたまにレストランに行くくらいのお金が入った時でも、カレー屋に行ったり、
  カフェでチキンとフィッシュアンドチップスを食べたりするくらいの、ほんとうに地味な生活であった。

  ジョンとシンシアはロンドンに来て最初に、ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインから「ロンドン生活におけるコツ」を教えてもらった。
  ブライアンはすでにベルグレービアという、ロンドンでも高級な地区にあるお洒落なフラット、アメリカ流に言えば「アパートメント」に落ち着いていて。
  さっそく、一流の人たちや、一流の場所と親しむように努力をしていた。
  ジョンもシンシアも、どこから手を付けていいのか、さっぱり判らなかったのであるが。
  とりあえず、ブライアンの真似をすればなんとか格好がついたので、とてもありがたかった。

  ブライアンは手始めにロンドンでの夜の楽しみ方の一例を示すため、ジョン夫妻をディナーに連れ出してくれた。
  先ずは、イーバリーストリートにあるゲイのフランス人のカップルが経営する「プール・オポー」というレストランに入った。
  ロンドンにやって来たばかりのジョンとシンシアから見ると、その男性のカップルは見るからに華々しく退廃的ななにかを醸し出していた。
  レストランの中はとても居心地が良い空間である。
  さて、エプスタイン先生による授業「ロンドン生活を楽しむコツ」は来週に続く。
0061ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/10(水) 13:29:23.84ID:???0
  〜 The Who / I Can't Explain
  ttps://www.youtube.com/watch?v=h3h--K5928M

  〜 The Kinks / Waterloo Sunset
  ttps://www.youtube.com/watch?v=N_MqfF0WBsU

  (小林)2曲。
  ビートルじゃなくて、ビートルズの、まあライバルというか、同期の。
  ちょっと後輩の・・・サウンドを聴きましたね。
  
  まず、ザ・フー(The Who)の I Can't Explain
  これ、65年のデビューシングルです。
  I Can't Explain
  トップテンに入りましたね、イギリスでは。

  そして、キンクス(The Kinks)の Waterloo Sunset
  これは、イギリスで2位まで上がった。
  1967年の曲です。
0062ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/11(木) 13:04:03.24ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。

  (東京都大田区/男性)
  久しぶりにリクエストです。
  ビリーJクレイマー&ダコタス(Billy J Kramer & the Dakotas)の「I`ll Keep You Satisfied」をお願いします。
  この曲はレノン・マッカートニーが作ったビートルズ初期の名曲だと思います。
  残念ながら、ビートルズ自身としてのレコーディングはされないようなので。
  ビリーJクレイマーの歌声から「ジョンが歌ったとしたら、どのようなフィーリングになるのかなあ〜」などと想像しています。
  
  (小林)さあ、それでは[東京都大田区/男性]さん
  あなたのリクエストは I`ll Keep You Satisfied

  〜 Billy J Kramer & the Dakotas / I`ll Keep You Satisfied
  ttps://www.youtube.com/watch?v=r6O6AJeRkUw
0063ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/11(木) 13:05:21.89ID:???0
  〜 Stevie Wonder / Stay Gold
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Y3QhA2WiyFI

  (小林)スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)が、最後ハーモニカで閉めています。
  Stay Gold という曲。

  (船橋市/男性)
  夏になると、ビートルズから思い出されるのは、バハマの海が印象的だった映画「HELP!」
  中学生の時、たまたまテレビで放送があり、ビデオもまだ無い時代。
  カセットに音だけ録音して、何度も聴き返していたのを思い出します。
  そして、ビートルズではありませんが、夏になると思い出す映画と曲があります。
  十代の最後の夏、友達に誘われ見に行った、フランシス・フォード・コッポラ監督作品の映画「アウトサイダー」
  当時のヤングスターと呼ばれた若手俳優が大勢出演していた青春映画。
  今も暑い夏がやって来ると映画の中のセリフ「ステイ ゴールド」とともに
  自分も若かった あの夏の日々を思い出します。
  そんな映画で出会った スティービー・ワンダーの歌う主題歌。
  しばらくCD化もされず、なかなか聴くことができなかった名曲。
  彼の曲は良い曲がたくさんあります。
  でも、スティービーと言えば、自分はこの曲が好きなんですよね。

  (小林)ていう。
  Stay Gold お送りしました。
0064ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/11(木) 13:07:00.49ID:???0
  (大阪市/男性)
  克也さん、ジョージ・ハリスンが1974年に立ち上げた「ダークホース・レーベル」でシタールの師匠ラビ・シャンカールのアルバムがリリースされていました。
 その中の1枚のアルバム、A面の1曲目「I Am Missing You」という曲が、シングルカットされたと思います。
  当時は 何度もオンエアされて、ポップで聴きやすい、なかなか良い曲だと思っていたんですが。
  その後 40年以上聴いておりません。
  当時、若かった私の ヒット曲に対する感性を、今現在の耳で検証してみたいのでリクエストします。
  なんか、中学校の同窓会に出席するようで、ちょっとドキドキします。
  
  (小林)というこれは、大阪からいただきましたね。
  [大阪市/男性]さん57歳、あなたのリクエストで、シタールのラビ・シャンカール(Ravi Shankar)の I Am Missing You

  〜 Ravi Shankar / I Am Missing You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=gFiEVpPxOBo
0065ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/11(木) 13:09:25.73ID:???0
  〜 Jerry Lee Lewis / Great Balls of Fire
  ttps://www.youtube.com/watch?v=7IjgZGhHrYY

  (小林)いかがですか?w
  これね、ラビ・シャンカールから、
  今聴いたのは、ジェリー・リー・ルイス(Jerry Lee Lewis)の「火の玉ロック」ていう日本語のタイトルが付いておりましたが。
  曲は、Great Balls of Fire という曲ですね。

  (柏市/男性)60代
  ビートルズのジョンが書いた日記のことで、問題になった人がいます。
  彼はジョンの秘書でした。
  彼の書いた本の中で、ジョンが「火の玉ロック」という歌を誉めていました。
  
  (小林)ていう。
  なんか、ちょっと状態がわかんないような内容なんですが。
  ジェリー・リー・ルイス、この人は、まあね。
  プレスリー(Elvis Presley)なんかよりも 前からやってた人で。
  それを 後から追っかけて来たプレスリーが 先に売れちゃったもんで。
  有名なのは あれですね、プレスリーのメンフィスのグレイスランドというエリアに広大な屋敷があるわけですけど。
  そこは、もちろんガードマンとかがねえ、管理しているわけですよね。入口出口を。
  それで、なんか酔っぱらっちゃって「開けろ!開けろ!プレスリーに会わせろ!」って、先輩がですよ。
  なんか、行っちゃって、つまみ出されちゃった、ていうエピソードを、僕は聞いたことありましてw。
  どういう人なのか? と思いました。
  この人は、あれですよ、エルトン・ジョン(Elton John)なんかと同じように、ピアノを弾きながらロックする人で。
  もう、興が乗ってくると、
  まあだいたいカントリーブーツだったりするわけですが。
  カントリーブーツを鍵盤の上に、足を乗っけたりするような、ワイルドな演奏法でも有名な人でした。
0066ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/11(木) 13:11:07.56ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  夏のこの時刻は、やっぱり、混んでたりしてますよね。
  混んだ所で、車の中で、この番組なんか聴いてらっしゃる方けっこう多いと思いますけど。
  なかなか良いもんでしょう? 渋滞の中でビートルズの話し聞いたりとか。昔かーしの。
  今日はちょっと知名度の低い、初めて聴くような曲も有ったんじゃないかと思いますけど。
  ねえ、どうですか? こういう体験は。
  もしよかったら、リクエストで参加してください。
  採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにして差し上げています。
  メールアドレスは
  beatles@bayfm.co.jp
  こちらで待っております。

  一方、ジョン・レノンの最初の上さんが書いた・・・去年亡くなった人ですけども。
  なーんか、ほんとにあれですよねえ。
  もう有名に、いきなり有名になっちゃって。
  いろんな、ナウい所へ案内されるんだけど。
  ちょっと浮いてる、田舎出身の自分がいるっていう。
  なかなか面白い話し、来週もお楽しみに。
  小林克也でした。
0068ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/15(月) 18:25:48.19ID:5sX0zPpv0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年8月14日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(8月14日)
 ・1962年。
  まだ、ビートルズのことは誰も知らない。
  ええw、もちろん地元の人間は知っています。
  今から54年前の今日。
  ブライアンが、マネージャーが、リンゴ・スターに接触を試みて。
  そして、「ピート・ベスト(Pete Best)の代わりのドラマーとしてやってくれないか?」というふうな話しをする。
  まあ、最初のアプローチだったでしょうね。
  
  ビートルズは「シルヴァ・ビートルズ(Silver Beatles)」と名乗っていた頃がありました。
  そして「ビートルズ」になるわけですけれども。
  ドラマーはずっとピート・ベスト。
  で、彼のお母さん(モナ)はインド系のお母さんで、息子の成功を夢見て、もう応援し続けます。
  でっかい家に住んでいて、その広大な地下室を改装して「カスバ・コーヒークラブ」というのをオープンします。
  コーヒークラブです。
  昼間営業、ノンアルコールの店です。
  純粋に音楽好きが集まるクラブ。高校生の出入りも可能。
  このモナの計らいで、ビートルズは毎月最初にブッキングされるわけです。
  だから、この「カスバ・コーヒークラブ」のレギュラー出演を務めていたわけですね。
  で、数回に渡ってハンブルグ巡業をして。
  ここで、ピートを含め、ジョン、ポール、ジョージの四人はミュージシャンとして男として、いろんな人生の勉強をいたします。
  そして、ビートルズはすごいタフな、ライブなんかもう本当に「ぜったいお前をウケさすぞ!」「笑わせるぞ!」みたいなグループになって行くわけです。

  で、リバプール1の人気ドラマーだったリンゴ・スター=リチャード・スターキー。
  ハンブルグで何回かピートの代役をやっていて。
  「うわあ、良いドラマーだなあ」
  ポールたちは思っていたんです。
  もう、ドラムだけで、叩くだけで、お客が踊る。
  スウィングするドラムですよね、リンゴ・スターの。
0069ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/15(月) 18:27:45.48ID:???0
  リンゴは、ものすごい人気者だったんですよ。
  というのは、まだ有名になる前の、スウェーデンとかフランスなんかは、リンゴ・スターがやっぱりテクニックは有るし、味わい深い。
  それから、あんまり笑わない、その表情がとてもいいわけですよね。
  人気者だったわけです。
  
  では、そのリンゴに取って代わられた無念のドラマー=ピート・ベストのプレーを・・・
  これはですね、1962年の6月6日の録音ということになります。
  もちろん、スタジオは後の「アビーロード」、同じスタジオです。
  さあ、それじゃ、リンゴが叩いていないビートルズの Love Me Do

  〜 The Beatles / Love Me Do(Anthology 1)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=i1mgIZrlLSE

  (小林)リンゴ・スターが叩いてない Love Me Do
  どうですか、ドラムを中心に聴きましたか?
  それとも、ジョンやポールの歌とか そういうのも聴いてくれたでしょうか。
  こういう頃のやつってのは、こうなんての、ビートルズが売れた後の音楽に慣れるじゃないですか?。
  それで、これを聴くとね「ああ・・・、そう、こんな、ちょっと青いな」とかね。
  ピート・ベストは、やっぱりリンゴには負けますよね、このドラムズじゃね。
  クビになっちゃいますよねえ。ええw
  そういうふうなことが、皆さん 届きましたか?
  皆さん 判断できましたか?
0070ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/17(水) 18:46:20.10ID:???0
□ストーリー
 ・「ジョンと私はロンドンに来て最初に、ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインから『ロンドン生活におけるコツ』を教えてもらったんです。
  なんでもブライアンの真似をしたんですよ。
  すごく助かりました。
  ブライアンは、手始めにゲイのカップルが経営する『プールオポ(Poule Au Pot)』というレストランにつれて行ってくれました。
  ジョンと私から見ると、その男性のカップルは見るからに華々しく退廃的ななにかを醸し出していたんです」

  こう話してくれたのは、シンシア・レノン。
  もちろん、ジョン・レノンの最初の妻。
  シンシアは昨年2015年4月1日、75年の人生にその幕を閉じた。
  彼女は生前、夫ジョンのことを中心にビートルズに関する一冊の手記を発表している。
  その内容は全て彼女が目の当りにしたこと。
  もしくは、ジョンやビートルズのメンバー、あるいはマネージャーのブライアン・エプスタインとそのスタッフの皆から直接聞いたことだけで構成されている。
  今週もロックの歴史上、最も重要なアーカイブと言われるこのシンシアの著作からお届けしよう。

  ブライアン・エプスタインがジョンとシンシアを招待してくれたレストランは、「プールオポ」という名前で。
  フランス人のゲイのカップルが切り盛りしていた。
  居心地の良い店の壁には、真紅とグリーンとゴールドの錦織のドレープ、掛け布が下がり。
  ロウソクが融けて燭台代わりのボトルを覆って自然なオブジェになっていた。
  ジョンもシンシアもその雰囲気を感じて、すっかりその店が気に入ってしまった。
  残念なことに、メニューに書かれたフランス語は全く判らなかった。

  ゲイの経営者ということで、彼もまたゲイであるブライアンは水を得た魚のようであった。
  当時、同性愛者であることは まだ不法である、という不文律があった。
  そのため、多くの同性愛者はそれを隠して生きていたのであるが。
  この店「プールオポ」は、最初からカミングアウトしていて、それが支持を集めていた。
  ブライアンは当然、ゲイであることは隠していたので、この店はとてもありがたかった。
  ジョンもシンシアもそんなブライアンを見て、この夜はとても嬉しかったのである。
0071ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/17(水) 18:47:19.31ID:???0
  〜 The Beatles / Revolution 1
  ttps://www.youtube.com/watch?v=iUNoVcUAEs8
 
  〜 The Beatles / You've Got To Hide Your Love Away
  ttps://www.youtube.com/watch?v=P_tocAd0vA4

  (小林)1965年の、アルバムは「HELP!」です。
  You've Got To Hide Your Love Away
  ジョン・レノンが、まあ、ボブ・ディラン(Bob Dylan)の影響を受けてる、と言われる曲ですよね。
  
  で、その前に聴いたやつは
  「ホワイトアルバム(The BEATLES)」 68年の中の Revolution、1です。
0072ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/17(水) 18:49:16.51ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ブライアンはとても頭が切れ、有能を絵に描いたような人物でしたが。
  自分がゲイであることにコンプレックスを持っていたことは確かだと思います。
  そんな彼にとって、大都会であるロンドンは居心地の良い街だったのだと思います」
  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  こうしたジョンとビートルズに関してのエピソードは、全てシンシアが遺した手記に綴られているもの。
  ロックの歴史上最も重要なア―カイブとも言えるこの名著から続けてみよう。

  「ゲイのカップルの経営するレストランは、ブライアンにとって最高の環境でした。
  ここにいれば警戒心も緩められたし、自分が社会から爪弾きにされているような惨めな思いをしなくてすむ。
  それが、何よりも素晴らしいことだったんです」

  その夜、どんな料理をオーダーするかは、当然ブライアンにお任せであった。
  フレンチオニオンスープに、コッコーヴァン(Coq au Vin)=鳥のワイン煮込み。
  デザートは洋梨のベル・エレーヌ(Belle-Helene)風。
  そして、ブルゴーニュワインの「プイィ・フュイッセ」を選んでくれた。
  食事は素晴らしかった。
  食事中に二人のフランス人オーナーが突拍子もない冗談を言って、ジョンとシンシアそしてブライアンを大笑いさせてくれる、という大サービスも付いていた。
  店にいる間じゅう、ジョンとシンシアはずっとブルゴーニュワインの銘柄「プイィ・フュイッセ(Pouilly-Fuisse)」の正しい発音を練習していたのであるが。
  最後まで上達は見られず、店中のお客さんを楽しませるだけで終わってしまった。
 
  そのあとも、ブライアンは定期的に、ロンドンでも話題になっている店などに連れて行ってくれて。
  ウェイブリッジの邸宅に引っ越すまでには、なんとかロンドンの街での楽しみ方を身に付けていた。
  もちろん、ブライアンには感謝してもしきれないレノン夫妻であった。
0073ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/17(水) 18:50:31.23ID:???0
  〜 The Rolling Stones / Street Fighting Man
  ttps://www.youtube.com/watch?v=jFvtMp7hRF8

  〜 Cream / I Feel Free
  ttps://www.youtube.com/watch?v=X-asd2_--40

  (小林)ビートルズじゃないグループ。

  ローリングストーンズ(The Rolling Stones)の Street Fighting Man
  これは、ちなみに1968年「Beggars Banquet」という名アルバムに入っています。
  
  それから、今聴いたやつは、クリーム(Cream)
  エリック・クラプトン(Eric Clapton)がいましたね。
  クリーム(Cream)の I Feel Free
  1966年
0074ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/17(水) 18:51:46.19ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインは、本当に親代わりのような存在でした。
  ロンドンに引っ越して来たばかりで、文字通り右も左も分からなかったジョンと私に、優しい手を差し出してくれたのです。
  感謝してもしきれません」
  言葉の主はジョンの最初の妻となった女性シンシア・レノン。
  こうしてお送りしているジョンとビートルズを取り巻くエピソードや史実のほとんどは、彼女の遺作となった手記にまとめられているもの。
  「作り話は一切なし」というこの名著から、もう少し続けてみよう。

  食通でもあるブライアンに案内されて、いくつもの一流レストランに足を運んだジョンとシンシアのレノン夫妻。
  しかし、いくら最高級のナイトクラブやレストランやパーティに行っても。
  そうした洗練された料理には、どうしてもなじめなかった。
  ジョンは超一流のシェフが作ってくれる どんな素晴らしい料理よりも。
  依然として、ベーコンサンドイッチや、庶民の味とも言えるステーキサンドイッチを好きだった。

  ジョンがシンシアを連れて遊びに行くクラブの中でも、お気に入りの一つが「アドリブクラブ」だった
  あまり目立たないドアを開け一歩入ると、エレベーターホールにつながっていて。
  そこから最上級階のクラブに上がって行くのである。
  店の中は、ミニマルアート風に最低限度の内装になっていて。
  クッションを置いた長椅子と、長くて低いテーブルがダンスフロアをぐるりと囲んでいるだけである。
  ここは一晩中にぎやかで、当時のほとんどのポップスターがお気に入りの場所であった。
  クラブには、双子のシンガーの「ポールとバリー・ライアン(Paul & Barry Ryan)」や
  リバプール時代からの仲間「フレディ&ドリーマーズ((Freddie and The Dreamers)」「ジェリー&ペイスメイカーズ(Gerry and the Pacemakers)」
  それに「ザ・フー(The Who)」「ローリングストーンズ(Rolling Stones)」「アニマルズ(The Animals)」「ジョージィ・フェイム(Georgie Fame)」なども常連で、
  夜通しおしゃべりをしたり、踊ったりして過ごした。
  ザ・フーのドラマー=キース・ムーン(Keith Moon)とは、シンシアが会うたびに哲学的な会話を楽しんだ。
  キースには「狂気のロッカー」のようなイメージがあったが、本当は繊細で真面目な人物であった。
  と、シンシアは証言する。

  こうして、今夜も「スウィンギング60s」な夜は、朝を迎えるまで続いていくのである。
0075ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/17(水) 18:54:48.34ID:???0
  〜 Georgie Fame and the Blue Flames / Yeh! Yeh!
  ttps://www.youtube.com/watch?v=jf-cCL3TOCo

  〜 Marianne Faithfull / As Tears Go By
  ttps://www.youtube.com/watch?v=of21WYW5t5g

  (小林)というわけで、アドリブクラブ、ロンドン。
  アドリブクラブってのは、まあ、今でいう「クラブ」ですよねw クラブ。
  みんな踊ったりとか、しゃべったり、できる。
  だから、今のクラブなんかと ちょっと音量なんかが違うんだろうねえ。ええw
  そんな所では、こういった人とたちが来ていた。

  まあ、さっきも名前が出ていましたが、ジョージィ・フェイム(Georgie Fame)
  えーと、グループの名前はブルー・フレイムス(Blue Flames)で、Yeh! Yeh! ていう曲です。
  1964年。

  それから、マリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull) As Tears Go By
  これちょっとお馴染みじゃないですか? ビートルズの曲を聴く方にとっては。
  ミック・ジャガー(Mick Jagger) それからキース・リチャーズ(Keith Richards)両方が付き合ったw、有名な女性。
  この子は あれだよね、歌手じゃなかったんですよね。
  歌わせちゃった、ていうw、自分たちが曲を作って。
  面白いですよね。
  で、この人は、ちょっと逆に、興味深いのは70年代の終わりに・・・
  終わりになって、一時なにもやってなかったんですけど。
  音楽、復帰してまして。
  もうぜんぜん違う声で、すっごい存在になってるよ。
0076ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/19(金) 13:23:06.39ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。


  (小林)
  若い頃からリクエストくれてるよね。

  (東京都品川区/女性)
  今年はビートルズ来日50周年という記念すべき年ですね。
  1966年の初夏を、日本のビートルズファンはどんな気持ちで過ごしたのか。
  今、どんな人生を送っているのか。
  そして、これからの未来は。
  そんな思いを歌っている村田和人さんの作品をリクエストします。
  タイトルとは対照的に、いつまでも変わらないビートルズへの愛情が感じられる一曲だと思います。
  村田和人さんは、今年の2月62歳でお亡くなりになっています。

  (小林)では、彼の
  「ビートルズを聴いてはいけません」
 
  〜 村田和人 / ビートルズを聴いてはいけません
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2jyuEnkKr4c
0077ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/19(金) 13:24:22.66ID:???0
  〜 The Ventures / I Feel Fine
  ttps://www.youtube.com/watch?v=TCEB1qkhC9Y

  (小林)エヘヘヘw
  ベンチャーズ(The Ventures)の I Feel Fine
  
  (千葉市/男性)
  暑い毎日が続きますが、日曜日のこの時間はエアコンもかけず、ラジオにしがみついて聴いております。
  50年前の友人の言葉ですが「夏だ! 海だ! ベンチャーズだ!」
  ということで  I Feel Fine ビートルズをカバーしております。

  (小林)
  まあ、ベンチャーズはオリジナルメンバーは、もう今年からいないんですよね。
  みんな、その2世とか他のメンバーが、のれんを継いでるっていうか。
  でも、彼らのスタイルは独特でね。
  自分たち言ってましたね「俺たちは最初はね、ノーキーとか、上手いやつが必要だから入れたんだけど。
  俺たちは、やっぱりリズムで、叩くようにギター弾いてたんで。
  やっぱりロックンロールだったんじゃないかぁ」みたいなことをね、言っておりました。
0078ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/19(金) 13:25:41.26ID:???0
  (東京都新宿区/男性)
  薬物中毒から立ち直るためのリハビリテーションを「そんなのヤダヤダ!」と歌ってるんだそうですね。
  破滅型の天才に心を惹かれます。
  この映画の評判いいですよ。
  ドキュメンタリー映画「エイミー(AMY)」
  見に行こうと思います。
  
  (小林)
  エイミー・ワインハウス(Amy Winehouse)のことを描いた映画ですね。
  エイミー・ワインハウスはこの曲が有名なんですが。
  今日 [東京都新宿区/男性]さんがリクエストしているのは、えーと。
  テレビでね、ジュブス・ホーランドというミュージシャンが
  この人なかなかセンスいい人で、人気がある番組なんですが。
  それに出て、歌った時のライブの、エイミー・ワインハウスの Rehab

  〜 Amy Winehouse / Rehab
  ttps://www.youtube.com/watch?v=KUmZp8pR1uc
0079ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/19(金) 13:27:15.81ID:???0
  〜 坂本九 / 上を向いて歩こう
  ttps://www.youtube.com/watch?v=bGV08K75DRI

  (千葉県市川市/女性)
  ビートルズはイギリス、日本が誇る伝統的な歌は坂本九「上を向いて歩こう」
  日本人で唯一 ビルボード誌でナンバーワンという記録を出したことは有名ですよね。
  先日、作詞家の永六輔さんが亡くなりましたが。
  世界に認められた素晴らしい曲を遺した方だと、初めて知りました。
  二人のご冥福を。

  (小林)
  というか、坂本九、それから永六輔の二人だと思われますが。
  ちがいますよ[千葉県市川市/女性]さん、中村八大という大作曲家、この三人の仕事ですからね。ええ。
  ご冥福を、ということで。
  だけど、永六輔さんの仕事量からいくと、作詞ていうのは約、一生のうち10分の1ぐらいですね。
  やっぱり10分の9は、素晴らしい、いろんな事を残してくれた人です。
0080ジョン・キロックノン 
垢版 |
2016/08/19(金) 13:28:14.98ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」

  リクエストは、とても大切にしています。
  お聴きのとおりです。
  お気軽に参加してくださいね。
  素晴らしい曲を 選んでくださいね。

  beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにして差し上げております。
   
  そして、面白いジョン・レノンの話し。
  まだまだ 続きます。
  来週をお楽しみに。
0082ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/22(月) 19:13:38.41ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年8月21日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(8月21日)
 ・今から53年前の今日。1963年。
  ビートルズのすごさは、まだ日本に伝わっていません。
  イギリスで、すごいことになっています。
  デビューアルバム「Please Please Me」
  これが、まあデビューして、もちろん1位を獲得するんだけども。
  トップテンにずっと入り続けています。22週目。
  そして、もう早くも、次のアルバムを作ってるんです。
  53年前の今日は。

  スタジオ3。3スタw
  3スタ。
  で、彼らのスタジオの、これは、コントロールルームオンリー。
  日本で言うと「サブ」とか「副調」とか言うんですけども、
  そこで、何が行われてるかというと。
  ミキシング、モノのミキシングです。
  「Devil In Her Heart」から「Money (That's What I Want)」
  それから「You Really Got A Hold On Me」
  「Please Mr. Postman」「Till There Was You」「Roll Over Beethoven」ええ。
  ここまでが、みんなカバーですよ。
  そして「All My Loving」「It Won't Be Long」
  で、プロデューサーがジョージ・マーティン。
  エンジニアがノーマン・スミス(Norman smith)。
  それから、セカンドエンジニアがアシスタントがジェフ・エメリック(Geoff Emerick)という。
  こういう、すごい、ね。

  次のアルバムを、もうやってるんだよ。
  すっごいことでしょ?。
  で、最初のアルバムはw ほとんど1日で作っちゃった。ね。
  でもう、次の用意している、53年前今日やっているアルバムも。
  これ全部、あれですから、ミックスしちゃうわけですから。
  まあ、録音して。
  録音の期間はちょっと長いと思いますけども。
0083ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/22(月) 19:15:45.34ID:???0
  2枚目のアルバム「With The Beatles」
  ぽぼ半数の曲がカバー曲。
  「ビートルズはオリジナルにこだわった」っていうのは有名な話しですけども。
  ビートルズの曲が、オリジナルが無かったかというと、そうじゃなくて。
  この時点で「レノン・マッカートニーの曲のストックは、数十曲あった」とも言われているのだけども。
  一方でビートルズは、ジョージ・マーティンの強い希望で、レベルを落としちゃいけない。
  だから、まだビートルズのオリジナルに自信が無かったわけですね。
  だから、彼らが好きなカバーを奏った。
  あとその、ビートルズメンバーもそうだったと思うんですけども。
  ライブでウケける、あの熱気を残したかったわけですね。
  だから、ライブで絶対ウケるやつは人の・・・
  まだほら、自分たちのヒットがね、知られる前から奏ってるわけですから。
  その、カバーを奏った、ていう。
  まあ、両方とも本当のことだと思いますが。

  じゃあ、その中からw
  その中から最もビートルズらしい曲に仕上がったカバー曲。
  これ、行きますよ。
  Please Mr. Postman

  〜 The Beatles / Please Mr. Postman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=cAa8s0yxf0c

  (小林)いかがですか?
  ビートルズの Please Mr. Postman
  モータウンの大ヒット曲を、ビートルズが料理をして。
  ビートルズらしい、最もビートルズっぽいカバーと言われていますが。
  これは、ほんと上出来ですよね。これは。
  「オリジナルを上回るカバー」の一つですよ。
  ビートルズが奏って。
  だから、逆に言うとビートルズはその・・・
  こういうふうなモータウンに影響を受けてるって言われるんだけども。
  やっぱ曲の良さっていうのも、あったんだろうね。

  それから、この「ビートルズから始まる」ですけど。
  70年代になると、カーペンターズ()がカバーするんですよ。
  カーペンターズのカバーつうのは、これはまたビートルズを聴いてるから。
  ビートルズのカバーみたいな感じになるんですよ。
  で、リチャード()はアレンジの名人ですよね。
  あの人の商売アレンジは。
  やっぱり、あの人もビートルズから頂いてるんじゃないか?、ていう。
  やっぱり、この番組のタイトルは「ビートルズから始まる」ですけども。
  誰かが始めて、ずーっとつながってるw、ていう感じですね。
0084ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/26(金) 13:21:17.29ID:???0
□ストーリー
 ・「ビートルズがロンドンを拠点に全世界へと羽ばたいていた1960年代の中頃。
  時代は『スウィンギング60s(シクスティーズ)』であり『スウィンギング・ロンドン』とも言われていました。
  つまり、ロンドンが最も輝いていた数年間でしたねえ」
  こう話してくれたのはシンシア・レノン。
  もちろん、ジョン・レノンの最初の妻。
  シンシアは昨年2015年の4月1日、75年の人生にその幕を閉じた。
  彼女は生前、夫ジョンのことを中心にビートルズに関する一冊の手記を発表している。
  ビートルズに最も近かった女性の貴重な体験談として綴られている名著。
  今週もロックの歴史上、最も重要なアーカイブとも言えるこのシンシアの著作からお届けしよう。

  「スウィンギング・ロンドン」を象徴するかのような店「アドリブクラブ」には、多くのミュージシャン仲間が集まった。
  リバプール時代からの仲間で、ビートルズと同じ事務所に所属するジェリー&ペイスメーカーズ(Gerry and the Pacemakers)
  デビューしたての生粋のロンドンのバンド=ザ・フー(The Who)ローリングストーンズ(Rolling Stones)アニマルズ(The Animals)
  ジョージイ・フェイム(Georgie Fame)なども常連で、夜通しおしゃべりをしたり、踊ったりして過ごしていた。
  ザ・フーのドラマー=キース・ムーン(Keith Moon)とは、シンシアが会うたびに哲学的な会話を楽しんだ。
  キースには「狂気のロッカー」のようなイメージがあったが、本当は繊細で真面目な人物であった。
  と、シンシアは証言する。
  こうして毎晩「スウィンギング60s」な夜は朝を迎えるまで続いていた。
 
  シンシアはさらに続けてくれた。
  「クラブでのパーティのあと、明け方に家路に着く時、たいていは、ジョージと恋人のパティか、リンゴと妻のモーリーンと一緒でした。
  遊ぶことに夢中で、お腹がペコペコのことが多かったので、途中運転手に道沿いのカフェにちょっと立ち寄るように言ってミートパイを食べたあと。
  息子のジュリアンを起こして幼稚園に送る時間に間に合うように家に到着するんです。
  そのあとベッドにバッタリと倒れ込んで、数時間の睡眠を摂る。
  これが当時の私たちの日常でした。
  それはもう、楽しい時代でしたねえ」
0085ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/26(金) 13:22:00.47ID:???0
  〜 The Beatles / Rain
  ttps://www.youtube.com/watch?v=VKmJGXhSmaY
 
  〜 The Beatles / Good Day Sunshine
  ttps://www.youtube.com/watch?v=JcjOeoEsBaQ

  (小林)2曲続きました。
  
  ジョンの Rain ですね。
  「Paperback Writer」のB面。
  
  そして、Good Day Sunshine
  ポールの作品。

  あのね、ちょっとね言っておきたいことがあって。
  「スウィンギング60s」とか「スウィンギング・ロンドン」ていうのはね。
  ちょっと分かりずらいんですけど。
  「スウィング」ていうのはね、50年代の終わりから60年代,まあ70年代ぐらいまで流行った、スラングなんですよ。
  で、何から来てるかっていうと「スウィング・ミュージック」から来てるわけね。
  ジャズから来てて。
  その当時「お前カッコイイな。ノッてるな」っていう時「You swing」とか言うんですよ。
  可笑しいでしょ。ねえw
  だから例えば、ビートルズ見たら「The group swings men」というと「あのグループ、すっごいねえ」ていう「スウィング」を使うんですよね。
  だから、「スウィンギング・ロンドン」とかね「スウィンギング60s」というと「ノッってた、カッコイイ、60年代」ていう意味ですね
0086ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/26(金) 13:22:55.24ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「1965年になると、息子のジュリアンも2歳になりイタズラッ子になっていましたが。
  ビートルズ人気はさらに上がっていましたので、経済的にも余裕があり。
  私が、ジョンのクラブ遊びにも付き合えるようになりました。
  夜の10時にジュリアンをベビーシッターに預けて、お抱え運転手の車でロンドンの街へ繰り出して、夜明けに家に着いて、ジュリアンを幼稚園に送り届ける。
  そして、何時間かベッドに倒れ込む、という、普通の主婦とはまったくかけ離れた日常生活を送っていました。
  それはもう、楽しい日々でしたねえ」
  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  こうしたジョンとビートルズに関してのエピソードは、全てシンシアが遺した手記に綴られているもの。
  ロックの歴史上最も重要なア―カイブとも言えるこの名著から続けてみよう。

  シンシアは語ってくれた。
  「最初に常連になったアドリブクラブの他に、よく通ったお気に入りの店に『バック・オネイルズ(Bag O'Nails)』というクラブがありました。
  アドリブクラブとは対照的に、この店は内装が濃い色合いでまとまっていて。
  ロウソクが所どころをほのかに照らし、座ると沈んでしまうようなソファーが置いてありました。
  でもなにより、この店の良い所は、ステーキとオニオンのバゲットサンドが一晩中注文できるところでした。
  ビートルズの四人は、一日のレコーディングを終えて腹ペコでやって来ては、このバゲットサンドを山のように注文してペロリと平らげていました。
  考えてみるとジョンもまだ20代の半ば、若者だったわけですから。
  食欲もすごかったわけです」

  最初にロンドンに居を構えたマネージャーのブライアン・エプスタインは。
  ロンドン中心部の高級なエリア=ベルグレイヴィアのフラットに住んでいた。
  フラットといっても超高級となると、かなりの招待客を呼んでのパーティも開けるくらいの広さ。
  スペースだけではなく、そこは上品で正統派のセンスの良さが感じられた。
  パーティの常連は、有名なテレビ司会者、映画俳優、音楽ジャーナリスト夫妻、大成功をした青年実業家。
  そして、イギリスからデビューし大きな話題となっていた、あのジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)も名を連ねていたのである。
0087ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/26(金) 13:23:47.75ID:???0
  〜 The Jimi Hendrix Experience / Hey Joe
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rXwMrBb2x1Q

  〜 The Beatles / Love You To

  (小林)いかがですか?
  ねえ。
  「リボルバー(Revolver)」の中に、これ入っているんだよねw。
  ジョージ・ハリスンが、独特の世界を。
  もうインド音楽に入り込んでるジョージが。
  もう、インド人のミュージシャンを連れて来て。
  だから、他の3人は入ってない世界。
  Love You To ていう曲。

  そして「スウィンギング・ロンドン」
  イカしたロンドンにいたのは。
  あの、アメリカ人だけどイギリスから人気が出たジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス(The Jimi Hendrix Experience)の Hey Joe
  これもう、ジミヘンの音楽っていうのはあれですよね、R&Bを自分流に新しくした感じですよね。
  下世話、内容はだから下世話なやつが多かったですね。
  これなんか、適当。
  もう 「お前、ヘイ、ジョー!。お前、どこへ行くんだ? どこ行くんだ?。鉄砲持ってどこ行くんだ? ええ?」
  「逃げた上さんと、なに? 上さん殺しに? あ、その男を殺しに?」みたいなw、そんな歌ですからw。
0088ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/26(金) 13:24:53.52ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ビートルズがアメリカで、そして世界中で大成功を収めたことで、イギリスのアーティストの海外での評価が著しく上がりました。
  1964年に『ブリティッシュ・インヴェイジョン(British Invasion)』のブームが沸き起こり。
  ビートルズ以外のバンドやシンガーも全米チャートに次々と記録を残します。  
  さらに1965年になると、あのローリングストーンズ(Rolling Stones)も『Satisfaction』で念願の全米1位に輝きましたから。
  もう、ロックンロールはアメリカだけのものではなくなりました。
  『イギリスのミュージシャンは アメリカの真似っこ』という時代はすっかり終わっていたわけです」

  言葉の主はジョンの最初の妻となった女性シンシア・レノン。
  こうしてお送りしているジョンとビートルズを取り巻くエピソードや史実のほとんどは、彼女の遺作となった手記にまとめられているもの。
  「作り話は一切なし」という名著から、もう少し続けてみよう。

  イギリスのアーティストが全米、そして全世界で成功を収めると、当然のようにロンドンの街も活気にあふれていった。
  「スウィンギング・ロンドン」という時代の始まりである。
  ビートルズやローリングストーンズ、ヤードバーズ、ザ・フーといった人気バンドのメンバーが、夜な夜なクラブに集まって交流を深めるようになり。
  上等なワインやおいしい料理を楽しむようになると、次は、あの「イケナイ物」を試してみるようになる。
  あの「イケナイ物」とは、もちろん、今では世界中のほとんどの国で違法となっており。
  国によっては、逮捕されると一生監獄から出られないほどの重い刑に処される所もあるほどである。
  これが まかり通っていた。
  というのも、1960年代中期ならではのお話し。
  今とは まったく時代が違うのである。

  こういった刺激物に対し、シンシアはこう語っている。
  「こうした物を体に入れることを、まるでビールを飲む事と同じくらいにしか考えていない人もたくさんいました。
  たしかに、私も気分転換に試してみたこともありましたが、どうしても好きにはなれなかったんです。
  だって、自分自身をコントロールできなくするなんて、バカげたことですよ。
  『スウィンギング・ロンドン』という響きはクールかもしれませんが。
  実際には、そういう良くないカルチャーを生み出したことも事実なんです」
0089ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/26(金) 13:25:52.41ID:???0
  〜 The Rolling Stones / Satisfaction
  ttps://www.youtube.com/watch?v=nrIPxlFzDi0

  〜 The Beatles / Ticket To Ride
  ttps://www.youtube.com/watch?v=pUj-ko3AWUw

  (小林)いかがですか?
  2曲続きました。
  いずれも1965年ですね、

  イギリスでナンバーワンの Ticket To Ride

  その前は、 Satisfaction
  まあ、いろんな所で、ナンバーワン。
  イギリスでもアメリカでも、いろんな国でナンバーワンになっていますが。
  これで、ローリングストーンズもビートルズを追いかけていって一人前になった、という。
  ただ、歌の内容とかはね。
  やっぱりビートルズとはぜんぜん歌詞が違う世界を描くことに、ローリングストーンズは成功しています。
0090ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/27(土) 13:59:40.49ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。


  (千葉県船橋市/男性)
  毎回の放送楽しみにしています。
  今年はビートルズ来日50周年と聞き。
  姉と兄と両親、さらには洋楽は全く判らない爺ちゃん婆ちゃんがテレビの前で
  一時間、黙って見ていたのが、昨日の事のように鮮明に思い出されます。
  
  (小林)ていう[千葉県船橋市/男性]さん
  爺ちゃん婆ちゃんの歳に近付いてきましたねw
  では例の曲を。

  〜 The Beatles / I Want To Hold your Hand
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ipADNlW7yBM

  〜 Timothy B Schmit / So Much in Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Q-TRYvuQz-g

  (小林2曲続きましたね。
  I Want To Hold your Hand

  そしてこれは So Much in Love という。
  イーグルズ(The Eagles)の後期のベースのでメンバーになった、ティモシー・シュミット(Timothy B Schmit)のヒット曲であります。 

  (習志野市/男性)
  80年代、テレビのCMにも使われており。
  年配のリスナーの皆様も 一度は耳にしたことがあるはず。
  若いリスナーの皆さんもぜひ・・・。

  (小林)ていう
  「紹介して欲しい」
  これ、あれですね。
  コーラスを奏っているグループの人たちにとっては教科書みたいな曲で。
  ライブの前なんか「おい、ちょっと、チェックしよう」ってこれ奏ったりするグループも、昔はよくいたもんですけども。
0091ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/27(土) 14:01:06.61ID:???0
  (桶川市/女性)
  私はビートルズ大好きで、昨年リバプールに行ってきました。
  でも、ツアーだったので満足できませんでした。
  改めて行きたいと思います。 (小林)やっぱり、自分が行きたいとこへね。
                         話しを知ってれば知ってるほど、あそこへ行きたい、ここに行きたいってことで。
                         また行きますか?
  私の若い頃の 好きな曲の一つ。
  最近、聴いてないので。

  (小林)ていう
  And I Love Her

  〜 The Beatles / And I Love Her
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Nm4YlZ3oYsQ
0092ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/27(土) 14:02:31.06ID:???0
  〜 Maurice White / Boogie Wonderland
  ttps://www.youtube.com/watch?v=god7hAPv8f0

  (小林)
  これはね・・・

  (北海道稚内市/男性)
  今年前半、モーリス・ホワイト(Maurice White)が亡くなり。
  青春の1ページが また閉ざされたと、寂しくなります。
  「宇宙のファンタジー」も好きですが。
  しっかりボーカルもあり、プロデューサー力も発揮した、この曲で。

  (小林)ていう Boogie Wonderland
  大ヒット曲ですもんね、これね。
  それから、あれじゃないですかねえ。
  これはね、シカゴの女性3人組のエモーションズ(The Emotions)が参加してるんですよ。
  で、同じ事務所にしちゃったんですよ。
  だから、エモーションズも参加して華やかだったから、良いのかな?
  [北海道稚内市/男性]さん。
0093ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/27(土) 14:03:40.76ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)
  ビートルズが有名になった頃のね。
  ジョンの最初のカミさんの、シンシアの話しは面白いよね。
  普通の人と、もう真逆の生活をw 
  子供がいるのにね、したりするんですね。
  この話しは続きますよ。
  
  それからリクエストよろしくお願いします。
  beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにして待っております。
  お相手は小林克也でした。
0095ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/29(月) 18:19:37.49ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年8月28日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(8月28日)
 ・今からちょうど50年前の今日。
  50年前の今日です。
  1966年。
  これは、日本に来た年ですからね。
  来日50周年ですからね。
  でも、この日はロサンゼルスのドジャース球場、ドジャースタジアムで、ビートルズはコンサート。
  で、問題はこの翌日。   
  サンフランシスコのキャンドルスティック球場で、最後のコンサート。
  ビートルズは、ほら、もうコンサートをやらなくなるわけですよ。
  だから、「ラス前」ってことになるわけですね。今日が。

  で、「いよいよ 明日でおしまいだよ」ていうことで。
  「明日までで おしまいかぁ。もう、ツアーやらないのか。ライブやらないのかぁ」
  「休みかなあ。ボーっとできるのかなぁ」
  「でも、アルバムはなあ、ちゃんとやらなきゃ」
  みんな いろいろ考えますよね。
  「アルバム、どういうアイデアでやろうか」とかね。

  でも、マネージャーのブライアン・エプスタインの所へは、
  「次のツアー、ビートルズお願いします」「うちへ 来てください」
  「ところで、ウチはアメリカのなんとかいう会社ですけども、どこどこでやらないですか?」とか
  そういうライブの仕事が、すっごい舞い込んでくるわけですよね。
  ブライアンは、ほんとに複雑です。
  「こんなにリクエストがあるのに、あのやつら、もうコンサート辞めちゃって・・・」
  でまあ、結局、結果からいうと、次の夏に、マネージャーのブライアン・エプスタインは亡くなるわけですよね。
  仕事が無くなったような感じになるんでしょうね。
0096ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/08/29(月) 18:21:40.23ID:zoNAjaIV0
  さあ、ビートルズは、そういうことで、どれくらいコンサ−トを、何回ぐらいやったのか、ていうことを考えてみますとね。
  まあ、あのヘレン・シャピロ(Helen Shapiro)という十代のアイドルの前座をやった、そういうことがあったり。
  それからね、キャバーン・クラブなんかに出ましたよね。
  その前は、ハンブルグなんか行って。
  もうこれは何回じゃなくて、一日の7時間か8時間ぐらい、まあこれ休憩入れて奏るわけでしょうけども。 
  そういうのを総合すると、コンサートは500本ぐらい奏ったんじゃないか、と言われております。

  で、50年前の今日。
  この時点で、ビートルズのシングルはね「Yellow Submarine」と。
  で、「Eleanor Rigby」
  ライブで当然やれないようなw 「Yellow Submarine」
  それから、ライブでちょっと受けない、あまりにも暗い「Eleanor Rigby」
  もう、あんまりライブのことを考えてないですよね。
 
  そういうわけで。
  それでは、ビートルズの・・・
  これは「Yellow Submarine」ちょっと聴いて。
  これライブどうしてできないのか、考えながら聴きましょうか?。
  Yellow Submarine

  〜 The Beatles / Yellow Submarine
  ttps://www.youtube.com/watch?v=xj_xf_wCpRY

  (小林)というわけで
  Yellow Submarine 改めて聴きましたけども。
  やっぱり、いろんな音が入っていますよね。
  パーカッションも入ってるし、ブラスも入ってるし。
  それから、エフェクトがいっぱい入っちゃってて。
  再現するとなると、これは無理だけど。
  考えようによっては音頭みたいな感じで「せーの」でやると、けっこうみんなが一緒に歌ってくれてw 
  違う意味のウケ方するかもわからない曲ですね。
0097ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/01(木) 13:45:04.58ID:???0
□ストーリー
 ・「1960年代当時、ナイトクラブを中心に流行っていた、あの『イケナイ物』を体に入れること。
  まるでビールを飲む事と同じくらいにしか考えていない人もたくさんいました。
  たしかに、私も気分転換に試してみたことはありましたが、どうしても好きにはなれなかったんです。
  だって、わざわざ自分自身をコントロールできなくするなんて、バカげたことですよ。
  『スウィンギング・ロンドン』という響きはクールかもしれませんが。
  実際には、そういう良くないカルチャーを生み出したことも事実なんです」

  こう話すのはシンシア・レノン。
  もちろん、ジョン・レノンの最初の妻。
  シンシアは昨年2015年4月1日、75年の人生にその幕を閉じた。
  彼女は生前、夫ジョンのことを中心にビートルズに関する一冊の手記を発表している。
  ビートルズに最も近かった女性の貴重な体験談として綴られている名著。
  今週もロックの歴史上、最も重要なアーカイブとも言えるこのシンシアの著作からお届けしよう。

  シンシアの言う「良くないカルチャー」は誉められたものではないが、そういうカルチャーが交友関係を広めていったのもまた事実であった。
  ジョンはすでに、世界中で知らない人はいないくらい有名になっていた。
  おまけにロンドンは小さな町である。
  それも、ショービジネスシーンの中での交友ということになると、その規模は町どころか村の規模。
  そういった時代の空気の中、1965年1月。
  ジョンはピーター・クック(Peter Cook)とダドリー・ムーア(Dudley Moore)という有名なコメディアンが出演する風刺的なテレビ番組「Not Only... But Also」に出演した。
  ジョンとピーターは会った瞬間から気が合って、ずいぶん親しくなった。
  突飛なくらいのユーモアのセンスや、シャープな頭の良さが共通していたのである。
  会って間もない頃、ピーターと奥さんのウェンディが、ジョンとシンシアをランチに招待してくれた。
  ロンドン北部の高級住宅街ハムステッドにある夫妻の家は、雑誌から抜け出たような華やかさがあり、完璧であった。
  ジョンとシンシアは思わず顔を見合わせた。
  ジョンの顔には「こんな豪華な屋敷に呼ばれるなんて、これはかなりヤバいぞ」と書いてあったことは言うまでもない。
0098ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/01(木) 13:46:19.41ID:???0
  〜 The Beatles / Being for the Benefit of Mr. Kite!

  〜 The Beatles / Maxwell's Silver Hammer

  (小林)へへへw。
  ビートルズにはこういうふうな、作品がありますよね。
  面白いですよね。
  昔の歌なのか、なんか物語り、おとぎ噺のテーマなのか?
  で、よくわかんない、ていう。
  
  Being for the Benefit of Mr. Kite!
  「カイトさんのためのもの」というんですかね?
  「マックスウェルのシルバーハンマー」銀のハンマー?
  エヘヘヘw 
  これは、それぞれ「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」
  それから「アビーロード(Abbey Road)」の中からお送りしました。
0099ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/01(木) 13:47:16.05ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ロックの世界で大成功を収めたとはいえ、ジョンはまだ24歳の青年です。
  イギリスで超有名なコメディアン夫婦に招待されるなんて、明らかに分不相応でした」
  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  こうしたジョンとビートルズに関してのエピソードは、全てシンシアが遺した手記に綴られているもの。
  ロックの歴史上最も重要なア―カイブとも言えるこの名著から続けてみよう。

  1965年1月。
  ジョンがテレビ番組に呼ばれたことを切っ掛けに、有名なコメディアン=ピーター・クックのお屋敷でのランチに招待された。
  その屋敷は、外観も内装も家具も、その全てが完璧であった。
  シンシアは思った。
  「こういう人たちは、どうしてこうも自然体でゴージャスでセンスが良く、全ての事が完璧に運ぶのでしょう。
  これには、打ちのめされました」
  広々としたキッチンには、ブロンズ製の鍋が並び、ドライフラワーが飾られ。
  一方に据えられた大きなレンジの上では、いくつもの鍋がおいしそうな匂いを漂わせている。
  部屋の中央に置かれた、樫の木で出来た長くどっしりしたテーブルの上には、
  美しいクリスタルのグラスと、煌(きらめ)くようなナイフ・フォーク・スプーンのセットが並び。
  花瓶には、庭から摘んできたあふれるほどの花々が丁寧に、かつセンス良く活けてある。
  料理は申し分なく、ジョンとシンシアは、この日生まれて初めてガーリックを味わった。
  イタリア人やフランス人、そして日本人からすると理解できないことであるが。
  1965年当時のリバプールには大蒜(ニンニク)などというものは存在していなかった。

  そしてこの日、ピーター・クックの相方であるダドリー・ムーアも招かれていて。
  テーブルを囲んでいると、そのうちに ピーター&ダドのコメディになってしまった。
  そこに、わざと大げさなリバプール訛りで話すジョンも参加。
  宴会は大きく盛り上がり、超高級ワインのボトルが次々と空いていったことは言うまでもない
0100ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/01(木) 13:48:30.35ID:???0
  〜 The Beatles / Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey
  ttps://www.youtube.com/watch?v=E6zVGE3myi4

  〜 The Beatles / I've Got A Feeling

  (小林)
  1970年「Let It Be」の中の
  I've Got A Feeling

  その前は、あれですね。
  「ホワイトアルバム(The BEATLES)」の中の
  Everybody's Got Something to Hide Except Me and My Monkey
  というw
  ちょっとね、意味不明の感じですよね。
  「僕と、僕のお猿以外には、みんな何か隠したがってるものがある」っていう。
  
  それからね、二人のコメディアンが出ますよね。
  これ、古い方は 顔見たら判ると思いますよ。
  あと、ダドリー・ムーアは20年後にクリストファー・クロス(Christopher Cross)がさ「ニューヨーク・シティ・セレナーデ(Arthur's Theme)」ていう大ヒットを飛ばすんですが。
  あれは、アカデミー賞音楽賞を取るんですよね。
  その映画の「アーサー(Arthur)」っていう映画の主演を務めておりました。
0101ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/01(木) 13:49:48.65ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンがテレビ番組に出演したことが切っ掛けで、番組のホストであるピーター・クック夫妻のランチパーティに招待されたんです。
  お屋敷も、お料理も、完ぺきでした。
  そして、信じてもらえないかもしれませんが。
  この日ジョンと私は ガーリックというものを生まれて初めて口にしたんです。
  リバプール出身ということは、そこまで田舎者である、ということを痛感させられたランチでした。
  ただ、すごく楽しかったんです」
 
  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  こうしてお送りしているジョンとビートルズを取り巻くエピソードや史実のほとんどは、彼女の遺作となった手記にまとめられているもの。
  「作り話は一切なし」というこの名著から、もう少し続けてみよう。

  ピーター・クック夫妻のランチパーティには、相方であるダドリー・ムーアも顔を出してくれた。
  このコンビの会話は、食事の席でのなんてことのない日常会話ですら 演芸場の芸人みたいに可笑しくて、全員大笑いしていた。
  さらに途中から、リバプール出身の青年の役でジョンが加わると、これがまた大盛り上がり。
  ジョンとシンシアは本当に久しぶりに大笑いした最高の時間であった。

  宴もそろそろお開きになろうとしていた時、ジョンが口を開いた。
  「ピーターさんと奥様のウェンディさん。今日はお招きいただき、本当にありがとうございました。
  いやあ、こんな笑わせていただいたのは、本当に何年かぶりです。
  どうでしょう? もしお時間があれば、来週末、お礼に我が家にお招きしたいのですが」
  と、この招待の言葉に、ピーター夫妻とダドリーは大感激である。
  「それは、とても光栄です。来週はおそらくだいじょうぶです。
  時間が決まったら、お電話下さい。楽しみにしていますよ」
  ジョンの提案は、それはもうショービジネス界の社交術としては完璧なものであった。

  が、次の瞬間、シンシアはその社交的な笑顔そのままで硬直してしまった。
  「私には、こんな素敵な料理で持て成すことなど無理!
  ああ! ジョン。勝手に決めないで・・・」
  さて、この翌週の食事会、シンシアはどんな作戦を持って、お持て成しするのか?
  それは、来週聴いてのお楽しみ、ということで。
0102ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/01(木) 13:50:42.62ID:???0
  〜 The Beatles / I'm Down
  ttps://www.youtube.com/watch?v=X7dHoEmUtIs

  〜 The Beatles / Hey Bulldog
  ttps://www.youtube.com/watch?v=xg4STdxRg-4

  (小林)
  Hey Bulldog

  そしてその前は
  「HELP!」のB面です。
  でもこのねえ、ハードな I'm Down ていう曲は、
  名曲「Yesterday」と同じ日に録音したそうです。
0103ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/05(月) 13:22:08.28ID:UQY+6o+e0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。

  (三鷹市/男性)
  毎週この時間を楽しみにしております。
  今回のリクエスト「I'm Outta Time」
  オアシス(Oasis)の最後のアルバムに入っている。
  オアシスのソングライターといえば、もちろん兄のノエル(Noel Gallagher)ですが。
  なんと、この曲の作詞作曲は弟のリアム(Liam Gallagher)です。
  リアムがジョン・レノンへ捧げた曲で
  曲の中でジョンのインタビューをサンプリングしています。
  サウンドといい、メロディといい、とても強烈な愛を感じます。
  しかも、あの弟にもこんな良い曲が書けるんですねえ。
  やっぱりギャラガー兄弟はすごい。
  ケンカしてる場合じゃない。  (小林)w もうケンカして解散しちゃったわけですからw
  リアムはインタビューで
  「ジョン・レノンがオアシスの曲をカバーするなら?」
  という質問に
  「この曲だろう」
  と応えています。
  一方、ノエルは「オアシスの一員なんだから」 (小林)兄の方がね。
  「オアシスなんだから、良い曲書いて当然」
  と言っていたそうです。
  ちなみに、この曲のドラムズはリンゴの息子。
  「ビートルズストーリー」ではまだ赤ちゃんのザック(Zak)です。
  
  (小林)ていう。
  さあ、それじゃ[三鷹市/男性]さん、あなたのリクエストで・・・
  あ、あの、ノエルはあれだもんね、息子がレノンていう名前を付けてるもんね。
  I'm Outta Time

  〜 Oasis / I'm Outta Time
  ttps://www.youtube.com/watch?v=bPm6f1HNzgw
0104ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/05(月) 13:22:50.53ID:???0
  〜 Aerosmith / I'm Down
  ttps://www.youtube.com/watch?v=JKSKiSqQjX4

  (小林)ノエル・ギャラガーの歌声のあとは・・・
  いかがでしたか?
  エアロ・スミス(Aerosmith)です。
  エアロ・スミスの「この曲どこかで聴いたことあるなあ?」なんて思ってる方、正解です。
  今日かかったばっかりですww

  (市川市/女性)
  2017年にはサヨナラツアーが決まったエアロ・スミス。
  私が生まれた頃結成されたわけで、かなり長寿なロックバンドで大好きです。
  歳がバレてしまいますが。
  ボーカルのスティーブン・タイラー(Steven Tyler)もビートルズの影響を受けたのか、ロックバンドには珍しくメロディアスな曲をたくさん造ってヒットさせてますね。
  エアロ・スミスがカバーした I'm Down を聴いてみたいので。

  (小林)というわけで。
  ポール・マッカートニーが歌ってましたねw さっきはね。
  スティーブン・タイラーのボーカルはいかがでしたか?。
  [市川市/女性]さん,リクエストありがとうございます。
0105ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/05(月) 13:23:53.09ID:???0
  (大阪市/男性)
  先日、ジェームス・ブラウン(James Brown)のドキュメント風伝記映画を見ました。
  別名「ファンクのゴッドファーザー」にふさわしい風格。
  妥協の無いショーマンスピリット。
  エゴの塊りのようなワガママな強烈な印象を残しました。
  でも、ファンと接した時の目の表情が穏やかで、「大事にする人だな」とも思いました。
  リクエストは、ビートルズの活動期と重なった時に発表された「Cold Sweat」をお願いします。
  
  (小林)ていう。
  これは大阪からいただきましたよ[大阪市/男性]さん。
  ジェームス・ブラウンの・・
  これ「Cold Sweat」って、文字通り「冷や汗」ですけども
  イケナイ物の中毒なんかの時の「冷や汗」とも言われておりますが。
  どうでしょう?!
 
  〜 James Brown / Cold Sweat
  ttps://www.youtube.com/watch?v=CJ0p7k-KzWM

  (小林)wジェームス・ブラウンの Cold Sweat
  これを・・・どうですか?
  もう、ぜんぜん違う世界に入りましたねえw
  さ、それじゃちょっと引き戻しますよ。
0106ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/05(月) 13:24:49.26ID:???0
  (横浜市/男性)
  初のリクエストでございます。
  夏の終わりはもう近い、ということで。
  1973年のアメリカ映画「アメリカン・グラフィティ(American Graffiti)」のラストシーン   (小林)ていうか、これエンドロールですね。
  で流れたビーチボーイズ(The Beach boys)の「All summer long」
  この曲は毎年この時期に聴きたくなるんです。
  夏が大好きなので、夏が終わりという現実が悲しくもあり、切なくもあり。
  その終わりを忘れさせるほどの陽気な楽しさも同居した、絶妙な名曲だと思います。

  (小林)表現がなかなか良いですねえ。
  ビーチボーイズ

  〜 The Beach boys / All summer long
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2tytTebj8ic
0107ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/05(月) 13:26:32.72ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」

  というわけで、お話しの方はいよいよ。 
  若きジョン・レノン夫妻がですね。
  イギリスの有名なコメディアン2人をお招きするという。
  どんなことをするのか。ね、嫁さんが・・・
  楽しみですね。

  リクエストの方も。
  ジェームス・ブラウンを聴くこともできました。
  まあ、あの、みなさんにはこの番組でね
  「ビートルズには実は、ビーチボーイズというライバルがいたんだ」ていう話しはしておりますが。
  ライバルも登場しました。
  まあ、いろんな。
  あ、エアロも良かった、ね。
  リクエストお待ちしております。
  ひとこと何か添えて、よろしくお願いいたします。
  採用だとイシイのミートボールをセットにしてお送りしております。
  アドレスは
  beatles@bayfm.co.jp
  です。
  それではまた。
0108ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/06(火) 13:33:58.45ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年9月04日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(9月4日)
 ・1962年。
  54年前の今日。
  ビートルズは一日中スタジオです。
  これはですね、契約が終わって2回目の、だからまだこのEMIのスタジオに慣れていないんだよね。
  1回目は6月に、一応なんかオーディションみたいな形で入って・・・
  本格的に入った54年前の今日。

  仕事はちょっと遅めです。
  午後2時半から5時まで。
  これから録音するっていう6曲をね、リハーサルするわけですね。
  これ2時間半ぐらいリハーサル6曲奏って。

  それから、まあ今日は初日、ほとんど初日だっていうんで。
  「アルピノ」というレストランへ行って。
  ビートルズの4人と、それから助手のニール・アスピノール(Neil Aspinall)ビートルズのスタッフ。
  それからジョージ・マーティン。
  優雅な夕食を1時間半。
  そしてスタジオに戻って、7時から夜の10時までに録音するのが「Love Me Do」を15テイク。
  「Love Me Do」

  で、もう一つは「How Do You Do It」
  これは、有名な曲ですよ。
  有名なっていうのは、どうして有名かっていうと。
  ジョージ・マーティンは ビートルズはやっぱり、「作詞作曲力が不十分じゃないか?」と思って
  「最初はやっぱりプロに頼もう」ということで、プロの作曲家に頼みました。
  それが「How Do You Do It」
  でも、ジョン・レノンは「俺たちは、絶対にオリジナルしかやりません」と宣言するんです。
  で、ジョージ・マーティンは「わかった」ていう。
  この話しは この番組で何回かしていますよね。 
  で、その「How Do You Do It」、オリジナルじゃないけど「一応録音しておこうよ」ていうんで録音をいたします。
0109ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/06(火) 13:36:06.74ID:???0
  さあ、今日はですね、その54年前15回もテイクをやり直したという。
  15回もどうしてかかったかというと、実はリンゴ・スターはビートルズでスタジオに入るのは初めてだった。
  その前の6月に入った時は、ピート・ベスト(Pete Best)ですね。
  その間にいろいろあって、新しくドラマーがリンゴ・スターになって、15テイクもあった。
  で、これは何週間前ですかねえ、ピート・ベストのバージョンの「Love Me Do」を1曲目におかけしたことがあるんですけど。
  あれはもう、ビートルズが二流バンドみたいに聴こえてましたよね。
  あのドラマーはダメですよね。

  では、リンゴはどうだったのか?
  それではね、今から54年前のw 今日録音した、リンゴ・スターの腕前を聴いてください。
  Love Me Do

  〜 The Beatles / Love Me Do
  ttps://www.youtube.com/watch?v=jltwPrSdF18

  (小林)いかがですか?
  54年前の今日、15テイクも録ったというビートルズの Love Me Do
  聴くとやっぱり、これ、良いじゃないですか。
  でも、なんかおかしい、なんかおかしい、って感じた方。
  実は、ジョンがハーモニカを吹いていたので「♪ラブミードゥ〜」ですぐフォローでハーモニかが入って来るじゃないですか?
  そこのところは、みんなが、我々が馴染んでるやつは、ジョン・レノンが歌ってるんだよね。
  ハーモニかもジョン・レノンなんだよね。
  でもそのトラックが足りないってことで、ポールは自信無さげにw 歌っておりましたw。
  だから、ジョージ・マーティン=プロデューサーとしての印象は・・・
  「リンゴも、う〜ん、まあまあOKだけどなあ。
  ポールはどうしようなあ。ポールも弱いなあ〜」
  みたいな印象だったんだと思いますよ。
0110ジョン・キロックノン
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2016/09/07(水) 18:18:43.73ID:???0
□ストーリー
 ・「私にはこんな素敵な料理で持て成すことなど無理。ああ・・・ジョン。勝手に決めないで!」
  心の中で叫んでいるのはシンシア・レノン。
  もちろん、ジョン・レノンの最初の妻。
  ジョンが自宅に招きたいと思っているのは、テレビ司会者としても超有名な喜劇俳優ピーター・クック(Peter Cook)とダドリー・ムーア(Dudley Moore)
  もちろん奥様も一緒である。
  このイギリス国内でも超VIPともいえるこのコンビを招くことになるなんて、あまりにも大変なこと。
  見方を変えると、ジョンとビートルズもそれほどまでのVIPになっていた、と言うこともできる。
  それにしても、シンシアにはあまりに重い任務である。
  さて、どうしたものか。
  
  こうしたジョンとビートルズに関してのエピソードは、シンシアが書き遺してくれた一冊の手記に記録されているもの。
  それはビートルズに最も近かった女性の貴重な体験談として綴られている名著。
  今週もロックの歴史上、最も重要なアーカイブとも言えるこのシンシアの著作からお届けしよう。

  とにもかくにもピーター・クックはイギリスのショービジネスの世界でもトップクラスの存在。
  その奥方のウェンディのお持て成し術もまさにトップクラス。
  ジョンの「今度は、うちにいらっしゃいませんか?」という大風呂敷発言は、
  ピーターとウェンディに持て成された後にジョンがうっかり口に出してしまった事である。
  シンシアは開いた口が塞がらない状態で、パニックに陥る頭をやっとの思いで整理した。
  「たった今ご馳走になった、非の打ちどころの無いランチに、いったいどうやって太刀打ちしろというの?
  たしかに、結婚当初は壊滅的だった私の料理の腕も少しはマシになった。
  オーブン料理だって、うちで食べるくらいのレベルであればなんとか、という程度。
  でも、そんなものを出しても喜ぶ人なんていないでしょう?
  ああ、困った!」
  
  そんなパニックの中、シンシアは自分の家に有る物を瞬時に思い返していた。
  「うちには立派なダイニングテーブルもあれば、クリスタルの銀のナイフやフォーク、リネンのテーブルクロスとナプキンなら有ることは有る。
  しかし、最大の問題は料理。どうしたものか?」
  すでに、気を失いそうなシンシアであった。。
0111ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/07(水) 18:19:28.93ID:???0
  〜 The Beatles / Helter Skelter
  ttps://www.youtube.com/watch?v=UXOkzEXJuDs
 
  〜 The Beatles / Two Of Us
  ttps://www.youtube.com/watch?v=8D2HuYXLNFk

  (小林)1970年ですね。
  「Let It Be」のアルバムから Two Of Us
  
  そして、これは「ホワイトアルバム(The BEATLES)」の中の
  Helter Skelter
0112ジョン・キロックノン
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2016/09/07(水) 18:21:22.80ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンがピーター・クック夫妻のランチに招待されるなんて、明らかに分不相応でしたが。
  それ以上に、こちらからご招待するなんて、どう考えてもおかしいことでした。
  ジョンはたまに こういう大風呂敷発言をしてしまう傾向があったんです。
  それにしても、困りました。
  リバプール出身の田舎者であるこの私に、いったいどういうお持て成しをさせようとしているのか。
  20数年の人生の中でも、最も困った場面でした」

  困り果てている言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  こうしたジョンとビートルズに関してのエピソードは、全てシンシアが遺した手記に綴られているもの。
  ロックの歴史上最も重要なア―カイブとも言えるこの名著から続けてみよう。

  ダイニングテーブル、クリスタルや銀のナイフとフォーク、リネンのテーブルクロス、ナプキン。
  そのくらいなら、ずっと使わずに仕舞ってある。
  あとは天の助けとも言うべきビンテージのワインは、地下室のセラーに置いてある。
  これは育ちの良いマネージャーのブライアン・エプスタインが用意してくれたものであった。
  ただし、それがどんな素性のどんな味のワインなのか、ジョンにもシンシアにも皆目見当がつかない。
  どんな料理に合うか、なんて考えたこともなかった。
   
  時の流れとは残酷なもので、いよいよ夕食会の日が近づいてくると、知恵を絞り苦労のすえ、シンシアの中では最高のメニューを作り上げた。
  前菜はエビのカクテル。
  エビは冷凍のものを使うこととし、カクテルソースはビンから出せばいい。
  コースのメインは、ローストラムにしよう。
  デザートは、アップルクランブル。
  甘く煮たリンゴを覆うホロホロとしたお菓子の生地は箱入りの出来合いのものがある。
  カスタードクリームは缶詰めがある。
  そして、ワインを楽しむための締めくくりのチーズ、これは切って出すだけで何とかなる。
  シンシアなりに工夫したメニューも、ディナーの前日までにはなんとか完成したのである。
0113ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/07(水) 18:22:02.82ID:???0
  〜 The Beatles / Martha my dear
  ttps://vimeo.com/163585422

  (小林)いかがですか? 
  曲の方は1968年の「ホワイトアルバム(The BEATLES)」
  やっぱ、ポールはすごいと、ね。
  ちょっとおしゃれで、けっこうノッているw 曲です。
  Martha my dear
0114ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/07(水) 18:23:22.79ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンのお得意の大風呂敷のせいで。
  イギリスのコメディアンの中でも最高級のVIPであるピーター・クック夫妻と相方のダドリー・ムーアをディナーに招くことになり。
  私は完全にパニック状態に陥りましたが、ビン詰めや冷凍食品の手を借りて、なんとかお持て成しメニューを作り上げました。
  胃が痛くなる苦行でしたね、あれは」

  言葉の主はジョンの最初の妻となった女性シンシア・レノン。
  こうしてお送りしているジョンとビートルズを取り巻くエピソードや史実のほとんどは、彼女の遺作となってしまった手記にまとめられているもの。
  「作り話は一切なし」というこの名著から、もう少し続けてみよう。

  ジョンがピーター・クックのテレビ番組にゲストとして出演したことが切っ掛けで。
  ピーターとウェンディ夫妻のランチパーティに招待され。
  その帰り際に、ジョンは、こんどはこの夫婦をウェイブリッジの自宅へディナーにお呼びすることになった。
  最初はパニック状態であったシンシアも知恵を搾り、なんとか当日を迎えることになった。
  直前になって、ピーターの相方であるダドリー・ムーアから「仕事が入ってしまったため今夜はどうしても来られない」と申し訳なさそうに断わりの連絡が入った。
  主賓であるピーター夫妻は8時に見えることになっていて。
  遅刻常習犯のジョンも「この日は余裕を持って、スタジオを出るから」と約束して仕事に行った。

  シンシアは緊張してガチガチになっていた。
  長男の2歳児ジュリアンは、それを直感的に感じ取って、いつもにも増してイタズラを仕掛けてくる。
  ジュリアンはそれまで、ダイニングテーブルを使うという景色を見たことが無かったので、いったい何が起こるのか興味深々である。
  お客様が見えるまで、あと30分という時まで迫ると、シンシアはまたパニックに陥った。
  「花!。そうだ、花を飾るのを、すっかり忘れていた」
  シンシアはもう夜だというのに、広い庭をあっちへ躓(つまず)きこっちへ躓きしながら、なんとか花を摘んだ。
  そしてあと15分。
  彼女は洋服を着替え、身繕いをした。
  肉はオーブンの中。
  野菜の準備もOK。
  「やれやれ・・・」シンシアがようやくホッとため息を吐いたその瞬間、ピーター・クックとウェンディ夫妻が到着した。
0115ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/07(水) 18:24:56.47ID:???0
  〜 The Beatles / Lady Madonna
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Q8SnIII46oQ

  〜 The Beatles / I Am The Walrus
  ttps://www.youtube.com/watch?v=UKIs1J_nB4A

  (小林)音楽の方は、同じ時期のポールそしてジョンの作品。
  Lady Madonna
  それからジョンは I Am The Walrus

  なんか、絵で言うとね。
  ポールは こうなんての、時代劇の・・・
  まあ「印象派の絵」とかそんな感じですかね。

  ジョンはもう、こうなんか、時代を超越した「不思議な国のアリス」みたいな世界w
  ちょっとw まともに聴くとワケわかんなくなったりするようなw 曲ですよね。
   I Am The Walrus
  
0116ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/09(金) 13:12:35.10ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。


  (松戸市/男性)
  シンシア・レノンの手記によるビートルズス―トーリーは、
  高級住宅街の大邸宅で優雅な暮らしを始めたところに、
  リンゴやジョージまで近所に住むという急展開。
  目が離せません。
  ビートルズに出会ったのは中学生の頃のFMラジオ。
  その頃は、ソロ活動をしている四人と、解散したビートルズがいました。  (小林)そうだよねえ。古い曲、新しい曲かけるわけですから。
  FMラジオからきれいな音で流れてきた「抱きしめたい」「She loves you」に心を奪われ、ビートルズファンになりました。
  6歳上の兄の影響が大きく、洋楽を聴くようになって歌謡曲とは別の世界を感じました。
  「花のサンフランシスコ(San Francisco)」「マサチューセッツ(Massachusetts)」など、アメリカンな雰囲気です。

  (小林)ていう。
  「マサチューセッツ」?
  でも 面白いよね。アメリカンっつても。
  イギリスのグループがやってたり、オーストラリアのグループがやってたり。
  「そんな中から特に聴きたい曲、ザ・シーカーズ(The Seekers)」
  オーストラリア発イギリスかな? グループかな?
  シーカーズ Georgy Girl 

  〜 The Seekers / Georgy Girl
  ttps://www.youtube.com/watch?v=AJaittLdfVo
0117ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/09(金) 13:15:57.07ID:???0
  〜 竹内まりや / SEPTEMBER
  ttps://www.youtube.com/watch?v=VweSwuryo9w

  (小林)いやあ、いろいろ思い出しました。
  ありがとうございますね。
  「SEPTEMBER」竹内まりや

  (松戸市/男性)
  日曜日、この番組を聴きながら、家族全員の食事を作っているアラフィフおやじです。
  25年ぐらい前の話しですが、杉真理さん、伊藤銀次さん、EPOさん、のジョイントコンサートがありました。
  その時のトークで、EPOさんが「私のレコードデビューは、竹内まりや/SEPTEMBERだった」とカミングアウト。 (小林)wカミングアウト
  それを聞いて、とても驚きました。
  コーラスで参加されていたんですね。
  まりやさんの作品は、ご本人や ご主人の達郎さんがされていることが多いですが。
  初期のものは、そうじゃないケースがあるんですね。
  ということで・・・

  (小林)というリクエスト。
0118ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/09(金) 13:19:08.46ID:???0
  (八王子市/女性)
  先日、76歳のリンゴ・スターが、ビートルズのメンバーの中で初めて曾(ひい)お爺ちゃんになったそうです。
  つまり、リンゴの息子で、いま50歳のザック・スターキー(Zak Starkey)の娘さんのお子さんですね。
  男の子だそうです。
  リンゴのお孫さんは、5年前ベラキス(Belakiss)というバンドで、世界に先駆け日本でデビューしました。
  所属事務所は、あの「オフィス・オーガスタ」  (小林)wアハハ
  克也さんの番組にも出られていましたね。
  このバンドでベースを弾いているのが、リンゴのお孫さんのターシャ・スターキー(Tatia Starkey)
  美人さんです。
  きっとお子さんも強力な音楽の遺伝を受け継がれていることでしょう。
  そんな彼女のバンドもすごくいいものを受け継いだ音楽性で好みだったんですが、今はどうされているんでしょうか?

  (小林)
  今、解散しているみたいですね[八王子市/女性]さん。
  [八王子市/女性]さん、じゃあちょっと昔なつかしい。
  まだ、ヒットには至りませんでしたが。
  リンゴ・スターのお孫さんが入っている、でしたね。
  ベラキスの Only You

  〜 Belakiss / Only You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=0_DzfbVbqIE
0119ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/09(金) 13:20:07.96ID:???0
  〜 吉田拓郎 / 今日までそして明日から
  ttps://www.youtube.com/watch?v=0X-fCFAOUjw

  (小林)吉田拓郎「今日までそして明日から」
  これリクエストは・・・

  (柏市/男性)
  6年前の8月19日。
  僕が埼玉県ふじみ野市で仕事の事故で死にかけた日。
  その時は救急ヘリで埼玉医大に運ばれ、脳外科医の熊井戸先生の手術のおかげで一命を取り留めました。
  熊井戸先生に改めてお礼を言います。
  僕のリクエストは8歳のころから大好きな吉田拓郎、この曲をリクエスト。
  やはり、この曲と熊井戸先生の腕で、僕は今生きていると強く思うからです。

  (小林)ていうことで。
  喜んでいただけましたか?[柏市/男性]さん。
0120ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/09(金) 13:21:14.70ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttp://www.youtube.com/watch?v=44merHfG_K4

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?

  もう、夫のジョン・レノンがね。
  「こんど僕の家に来てくださいよ。ごちそうしますから」って言うもんだから。ねえ。
  とても有名なコメディアンが来ると。
  ドアでノックが聴こえて、入って来た。
  というところまでw
  お伝えしました。
  その続きは、また来週です。
  よろしくお願いします。

  それから、リクエストどうもいろいろありがとうございます。
  個人的なビートルズとの関わり。
  あるいはビートルズとは関係ないような、実は関係あるような曲。
  リクエスト待っております。
  採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてお送りしています。
  メールは
  beatles@bayfm.co.jp
  です。
  リクエスト、頼みましたね。
  お相手は小林克也でした。
0122ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/12(月) 20:17:04.92ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年9月11日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6W774VU8zW4

□ビートルズカレンダー(9月11日)
 ・1964年。
  今から52年前の今日。
  まあビートルズが世界的に有名になった年です。

  52年前の今日。
  ジョージ・ハリスンの音楽出版社「ハリソングス(Harrisongs Ltd)」
  ハリスン(Harrison)でしょ。それと「ソングズ(Songs)」をかけた、くっつけた。
  「ハリソングス」という音楽出版社を設立いたしました。

  実はジョージ・ハリスンという人は、とても優しい声でおなじみ。
  それからまあ、ビートルズの中でもジョンとポールの影に隠れて、ちょっと地味な存在。
  最初の頃はね、この頃は、全世界で人気者になったとはいえ、やっぱりポールとねジョンのスター性にはかなわなかった、と思うんですけども。
  やっぱりこの人は、とても細かい人で、将来も読むことが出来た。
  自分は曲をもう作ってるわけですよね。
  で、ジョンとポールは「ノーザンソングス(Northern Songs Ltd)」という、これは有名です。
  リバプールは北国ていうことですかね、「ノーザンソングス」という出版社を設立して、ここで楽曲を管理する。

  で、実はですね、音楽出版社ていうのは、まあ、簡単にというと語弊がありますけど。
  会社作ったらね、儲からなきゃしょうがないわけですから。
  でも簡単にオープンすることが出来るんですよ。
  たとえばAという株式会社があると、そこの株式会社の出版部門で管理することが出来るから、まあ音楽出版業務も兼ねるということなんですよね。
  で、出版ていうのは、何かはっきりしないと思いますけども。
  実は その曲を いろんな人たちが使うというと、お金が入るわけですね。
  そういうことですね。
  あと、譜面を売ったりとかですね。
  たとえば「コマーシャルに使いたいんだけど」つったら、やっぱりそれで請求出来たりするんです。

  でも、ジョージ・ハリスンの場合は、その会社を設立した時点で「Don't Bother Me」ていう1曲しかなかったんだよね。
  で、そういう音楽を管理する出版社を作ったていうことは、ジョージ・ハリスンはいかに将来を見ていたか。
  細かいことに気を遣う人だったんじゃないか、ということがわかります。
0123ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/12(月) 20:18:43.34ID:???0
  ちなみにですね、ジョージ・ハリスンに「ノーザンソング(Northern Song)」ていう曲があるんですけども。
  これは、アニメのサントラに入っているんですけども。
  なーんかね、ちょっとポールとジョンに対する僻(ひが)みじゃないけども、そういう風なものが感じられるような曲なんですよ。
  これは「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」に入らなかった。
  で「Yellow Submarine」にひっそりと収録された曲。

  これ 改めて聴いてみますか?。
  ちょっと寂しい曲ですよ。
  ビートルズ、Only a Northern Song

  〜 The Beatles / Only a Northern Song
  ttps://www.youtube.com/watch?v=jseNW86zSx4

  (小林)Only a Northern Song
  まあ、脇役としては・・・脇役としては立派な存在ですね。ジョージ・ハリスンのね。
  というわけで、52年前 音楽出版社。
  だからこのジョージ・ハリスンのハリソングスがこの曲も管理しているという。

  まあ、後になって「Something」なんて最高傑作が生まれるんだけど。
  これ、ビートルズがずーっとあったころは、ポールはやっぱりジョージ・ハリスンのことはあんまり認めてないんですよね。
  「Something」が入った時に、ジョンは「このビートルズの最後のアルバムの中で、Something が一番良い」って誉めるんですよね。
  で、ポール・マッカートニーは「いや、お前の曲の中で、一番良いな」っていうw
  だからポールはちょっと皮肉がありますよね。ジョージ・ハリスンに対しては。
0124ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/14(水) 20:43:56.96ID:???0
□ストーリー
 ・「お客様が見えるまであと30分まで迫ると、私はまたパニックに陥ったんです。
  花! そうだ! 花を飾るのをすっかり忘れていた。
  私はもう夜だというのに広い庭を、あっちへ躓(つまず)きこっちへ躓きしながら、なんとか花を摘んだんです。
  そしてあと15分という時、洋服を着替え、身繕(みづくろい)もOK。
  肉はオーブンの中。
  野菜の準備もOK。
  やれやれ・・・と、ようやくホッとため息を吐いたその瞬間、ピーター・クック(Peter Cook)とウェンディ夫妻が到着したんです」

  こう話してくれたのはシンシア・レノン。
  もちろん、ジョン・レノンの最初の妻。
  シンシアは昨年2015年4月1日、75年の人生に幕を閉じた。
  彼女は生前、夫ジョンのことを中心にビートルズに関する一冊の手記を発表している。
  ビートルズに最も近かった女性の貴重な体験談として綴られている名著。
  今週もロックの歴史上、最も重要なアーカイブとも言えるこのシンシアの著作からお届けしよう。

  今夜のゲストであるイギリスの超有名コメディアン=ピーター・クックとウェンディ夫妻が到着すると先ずグラスに飲み物を注ぎ、
  ジョンが帰って来るまで二人が手持ち無沙汰にならいように、少し前に大慌てでボールに放り込んでおいたナッツとポテトチップスを手渡した。
  それからの2時間、これがシンシアにとって人生の中で最も長い2時間であった。
  なにしろ、ジョンが帰って来ないのである。
  せめてもの救いは、テーブルの周りを歩き回っては愛想を振りまいてくれるジュリアンの存在。
  この夜のジュリアンは大きなイタズラもせずに、ニコニコと機嫌も良かった。
  お料理は お出しする時間を考えて仕込んであったので、メインの肉料理はオーブンの中で静かに味の衰える一途をたどっていた。

  ようやくジョンが帰って来たのが、夜の10時。
  機嫌良く嬉しそうな微笑みを浮かべ、しきりに謝っている。
  その表情から明らかに、あのイケナイ物を嗜(たしな)んでいるのが判った。
  ジョンもシンシアと同じくらい緊張していたのが、これで証明されたのである。
0125ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/14(水) 20:44:59.97ID:???0
  〜 The Beatles / HELP!
  ttps://www.youtube.com/watch?v=8xqLfz_LPm4
 
  〜 The Beatles / She's A Woman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=L9aLhEqfqLY

  (小林)2曲続きました。

  1965年の名作。
  ジョンにとっては初めて、彼は自分のことを歌にしました。
  HELP!
  その後は、自分の事を歌にする習慣がジョンにはずーっと続くわけですけども。
  
  HELP!に続いて、She's A Woman
  これは「I Feel Fine」のB面です。
  ポール・マッカートニーがリトル・リチャード(Little Richard)風のボーカルでがんばっております。
0126ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/14(水) 20:46:35.80ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「その夜のお客様であるピーター・クックとウェンディ夫妻をお待たせすること2時間。
  やっと帰宅したジョンはすっかり上機嫌でした。
  それが逆に、どうも怪しかったんです」
  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  こうしたジョンとビートルズに関してのエピソードは、全てジョンが遺した手記に綴られているもの。
  ロックの歴史上最も重要なア―カイブとも言えるこの名著から続けてみよう。

  なぜジョンが上機嫌だったのか。
  それは、お察しのとおり、あの「イケナイ物」のため。
  もちろん今では世界中のほとんどの国で違法扱いとなり、特に厳しい国では終身刑で一生監獄から出られない場合もある。
  本当にイケナイ物である。

  ディナーが始まると、出された料理を全員で平らげ、ワインも数本空いた。
  料理に使っているソースなどが、ビン詰めであることや、出来合いの物であることも 全くばれることもなく
  結果、その夜の持て成しは大成功であった。
  ピーター・クックとウェンディ夫妻は、その後も何度も夕食を共にし、一緒に外食を楽しむこともあったくらいである。

  それから数ヶ月経ったある週末に。
  「アメリカのビートルズ」という触れ込みで人気のあったモンキーズ(The Monkees)のマイク・ネスミス(Mike Nesmith)が奥さんを連れて訪ねて来た。
  モンキーズとはアメリカツアーで一緒になり、ジョンがウェイブリッジの自宅に招待したのである。
  ジョンは本当にやって来るとは思っていなかったらしく、とてもあわてていた。
  この頃になると、シンシアもすっかり肝が据わって、突然の来客もあわてずに持て成した。

  ピーター・クックの一件で、料理のレパートリーもかなり増えていたのである。
  その他レノン家の訪問客の中には、ボブ・ディラン(Bob Dylan)や、ジョーン・バエズ(Joan Baez)もいた。
  ボブ・ディランはジョンの親友となり、お互いの音楽に影響を与え合う存在であった。
  ある晩ひょっこりやって来て、夕食を共にする友人で。
  ほとんどの場合は「近くまで来てるんだけど、少し寄ってもいいかな?」と電話をかけてやって来る。
  もしその場面をファンが見たら、とても信じられない光景であっただろう。
0127ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/14(水) 20:49:32.58ID:???0
  〜 Bob Dylan / Like a Rolling Stone


  〜 The Beatles / You got to hide your love away
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1I5hVWgPuO8

  (小林)ボブ・ディラン、ジョン・レノンと順番にかかりました。
  
  ボブ・ディランの代表作 Like a Rolling Stone

  そして、もう明らかに、やっぱりボブ・ディランの影響を受けていますよね。
  これは、ねw エヘヘw
  「HELP!」のアルバムに入ってます。
  65年ですよ、もう影響受けてます。
  You got to hide your love away
  ジョン・レノンのリードボーカル、ビートルズ。
0128ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/14(水) 20:52:15.86ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ロンドンの中心地から郊外の家=ウェイブリッジのケンウッドに引っ越して来て以来。
  ディナーに来てくれる友人も増えました。
  ビートルズのメンバーはもちろん。
  イギリス国民にとっては神様のような存在であるコメディアン=ピーター・クックとダドリー・ムーア。
  そして、アメリカからはボブ・ディランまで、ひょっこりやって来ては、夜通しセッションをしたり。
  とにかく、楽しい我が家でしたねえ」

  言葉の主はジョンの最初の妻となった女性シンシア・レノン。
  こうしてお送りしているジョンとビートルズを取り巻くエピソードや史実のほとんどは、彼女の遺作となった手記にまとめられているもの。
  「作り話は一切なし」というこの名著から、あと少し続けてみよう。

  この頃1965年当時、ジョンもシンシアも、自分たちにはお金があるんだろうとは思っていたが。
  それが具体的にいくらくらいなのか、そのお金で何が買えるのか、よく分かっていなかった。
  なんせ家では、リバプール時代と同じくらい質素な暮らしをしていたからである。
  先ず、ジョンもシンシアもお酒はあまり飲まなかった。
  夕食時にはビールやワインよりも、一杯の牛乳を飲む方が好きだったのである。

  ジョンはシンシアに生活費として50ポンドを手渡してくれていて、その額は当時としてはかなりの高額だったことは確かである。
  当時のイギリスの平均的な労働者が週末に受け取る給料が10ポンドぐらいであったので、その5倍、今の日本円に換算すると40万円くらいだろうか。
  たしかに余裕のある暮らしぶりである。
  シンシアはこう語っている。
  「私は気前よく散財するタイプではありませんでしたが、靴だけは別でしたね。
  家からすぐウェイブリッジの靴屋に行くたびに、店員たちに乗せられ。
  一時間後には、両手いっぱいの紙袋を下げて車まで運ぶんです。
  そのせいで生活費をまたジョンからもらわなければならない、ということもしばしば。
  あとは、ジュリアンの洋服。
  これだけは散財しましたねえ。
  ジュリアンはドレスアップしたり、カメラに向かってポーズを取ることが大好きでしたから。
  ドレスアップをするとジュリアンは、その恰好を見せにロレインというブロンドの可愛い女の子に会いに行くんです。
  それはそれは、可愛らしい景色でした。
  贅沢をするといってもその程度でしたね」
0129ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/14(水) 20:53:14.18ID:???0
  〜 The Beatles / In My Life
  ttps://www.youtube.com/watch?v=UKQpRgxyyqo

  (小林)というわけで
  「Rubber Soul」からお送りしましたね。
  1965年 In My Life
0130ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/16(金) 13:18:16.99ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。


  (小林)60代になりましたかw

  (ひたちなか市/男性)
  こっちもビートルズへのオマージュであることは最近のアルバム、DVDを見れば明らかですね。
  ルーフトップコンサートそのものでしたね。
  本物のビートルズの発売は無いのかな?
  そう、それは斉藤和義「攻めていこーぜ!」

  〜 斉藤和義 / 攻めていこーぜ!
  ttp://www.dailymotion.com/video/x33lgz9
0131ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/16(金) 13:19:16.27ID:???0
  〜 パフィー / これが私の生きる道
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ixEL1CXwCP0

  (北海道浦河郡/男性)
  昔ラジオから流れてきた、この曲を聴いて
  「なんだこれは! どこを聴いてもビートルズサウンドだな!」
  と驚いていた父の姿を思い出してました。
  恥ずかしながら私のビートルズとの出会いは、
  学生時代に聴いたこの歌が切っ掛けっだったことは恥ずかしいのでここだけの話しにしといてください。

  (小林)
  [北海道浦河郡/男性]さん、パフィー「これが私の生きる道」
  奥田民生が「ビートルズごっこ」していた曲ですね。
0132ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/16(金) 13:20:59.16ID:???0
  (横浜市/男性)
  南海の海を想像する美しい曲で、残暑を乗り切りましょうね。
  
  (小林)
  というのは[横浜市/男性]さん。
  高中正義です。BLUE LAGOON

  〜 高中正義 / BLUE LAGOON
  ttps://www.youtube.com/watch?v=4YLHY85gD48

  〜 The Beach Boys / Surfer Girl
  ttps://www.youtube.com/watch?v=lHNcMs8W660

  (小林)
  ビーチボーイズ(Beach Boys)の「Surfer Girl」が流れました。

  (千葉市/男性)
  克也さん、ブライアンがゲイであるとか、ジョンはステーキサンドが好きとか。
  面白い内容 盛りだくさんですね。
  ところで先週、ピート・ベスト(Pete Best)が叩く「Love Me Do」を初めて聴きました。
  あれじゃあ、リンゴがメンバーに抜擢されるわけです。
  正直あまりの酷さに驚きました。
  できたらスチュアート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe)が演奏している曲も聴かせて下さい。

  (小林)w ヘタだったらしいからねえ。
  [千葉市/男性]さん50代、ありがとうございます。
0133ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/16(金) 13:24:19.49ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」

  やっとジョンの家は、普通の家庭らしくなっていくわけですよね。
  シンシアの話しは、まだまだ続きます。
  お楽しみに。

  それからリクエストの方もよろしくお願いします。
  イシイののミートボールなどをセットにして用意しておりまして。
  リクエスト採用されるとそれが贈られるという。
  ですからまあ、自分勝手がいいですね。
  メッセージも添えてリクエストしていただきたいと思います。
  「ビートルズから始まる」ですから。
  まあ、ビートルズに影響を受けた、あるいは影響を与えた人たちの音楽もお待ちしております。
  あるいは、ビートルズの単純に好きな曲もね。
  待っております。
0135ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/19(月) 18:08:44.92ID:???0
申し訳けありませんが、9月18日放送の「ビートルズから始まる」の留守録に失敗しました。 <(_ _)>
その前の番組は録れていたので原因がよくわかりません。 (´・ω・`)
0138ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/20(火) 18:16:45.72ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年9月18日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(9月18日)
 ・1963年、今日。
  53年前の今日。
  イギリスのチャートはすごいことになっています。
  1位は「She Loves You」3週目の1位です。
  そして、アルバムチャートは「Please Please Me」のアルバム。
  トップテンにず〜っと入って売れ続けていて、26週目。
  もう半年ぐらい、ず〜っとナンバー・・・ナンバーワンていうか、トップテンに入っていたっていうことで。
  「She Loves You」強力な曲がナンバーワン。
  すごいでしょ?

  でも、日本には このことは伝えられない。
  そして、アメリカ人も知らない。
  これ、おかしいですよね。
  今だったら、とんでもないことじゃないですか?、ねえ。
  その理由はただひとつですよ。
  EMIと協力関係にあった、いつもEMIのアーティストをアメリカで紹介するキャピトルレコード(Capitol Records)が。
  「ビートルズなんかw、売れないんじゃないの?」ていうことでw 
  やってくれなかったわけですよね、キャピトルレコードが。
  だから「スワン(Swan)」という小ーさなマイナーレ―ベルと契約するわけで。
  だから面白いですね、そういうことを考えると。
  
  そしてまあ、年が明けると大変なことになるわけですが。  
  ちょうどこの時期はですね。
  アメリカ、音楽的に良くないですよね。
  というのは、ほら、50年代のちょっと終わりぐらいから、ロックンロールがすごいことになって。
  プレスリー(Elvis Presley)を始めとしてね。
  バディ・ホリー(Buddy Holly)だとか、エディ・コクラン(Eddie Cochran)だとか、ジーン・ビンセント(Gene Vincent)なんか出て来るんだけども。
  その勢いは4年ぐらい経つと、もうポシャっちゃうんですよ。
  それで「なーんだ、ロックンロールってくだらねえじゃん」
  もう「僕のティディベア人形に、君のティディベア人形になりたい、とかクダラナイ歌じゃん」みたいな。
  だから、ディラン(Bob Dylan)なんかのフォークとか、そういうのがジワジワーっ。
  それから、ちょっと違った形でビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)みたいなのがジワジワーっと来てるんだけど。
  チャートは面白くないんですよね。
0139ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/20(火) 18:18:47.14ID:pTxi3wOT0
  チャートは どういうな人たちが頑張ってたか、ていうとね。
  ガールズグループなんですよ。ガールズグループ。
  その頃は、ビートルズみたいに自分たちの曲は自分たちで作って奏るっていうんじゃなくて。
  もう本当の専門家が、作っていたわけですよね。
  その女の子のグループはどんなグループがいたかというと。
  シュプリームズ(The Supremes)がまず代表的ですよね。
  ビートルズにアメリカが攻められるようになって、アメリカで唯一ナンバーワンで対抗するのはシュプリームズです。
  で、このころは他に ロネッツ(The Ronettes)だとかね、ディキシー・カップス(The Dixie Cups)とかね、シュレルズ(The Shirelles)とかあったわけですよ。
  でもこの、この人たちのヒット曲は、けっこう突っ張ったね、ロックしてるんだよね。
 
  じゃあ、その中の代表的なね、1963年。
  ちょうどイギリスでは、アメリカはもうぜんぜんイギリスのことを知らないで「She Loves You」がイギリスでナンバーワンになってたころ、
  アメリカの夏のナンバーワン。
  これはニュージャジーのグループで、エンジェルス(Angels)ていう。
  これね、やっぱ内容もね。
  「あんた、私の彼が帰って来たら、黙っちゃいないわよ。注意しなさいよ」
  みたいなところから始まるんですよ。
  突っ張ってるんです。
  エンジェルス、My Boyfriend's Back

  〜 Angels / My Boyfriend's Back
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qFdzJ0j8lYo

  (小林)これ、63年ですからね。
  63年のナンバーワンですから。
  まあ、アメリカはビートルズのことを知らなかったけど。
  こういうガールズグループのねえ、曲を見る限り。
  なーんか、「女の子が元気がいい」っていう感じじゃなかったかなあ、と思いますね。
  で、ビートルズは「すっごいぜ!」みたいに感じてたわけですよね。
  ですから、この頃のガールズグループなんかの曲を、けっこうビートルズはカバーしてますよね。
0140ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/24(土) 17:18:45.40ID:???0
□ストーリー
 ・「ロンドン市内のフラットに住んでいたころは、友人をゲストに招くなんて、ほとんどありませんでしたが。
  この、ウェイブリッジのお屋敷を買って以来、いつのまにか友人たちが集まって来るようになっていました。
  これは、お持て成し料理など作ったこともない私にとって 修行のシーズンでした。
  出来合いの物などで、ごまかしながらの持て成しでしたが。
  回を重ねるにつれて、どんどん自分が楽しくなっていくんです。
  これも、良い思い出ですねえ」

  こう話してくれるのはシンシア・レノン。
  もちろん、ジョン・レノンの最初の妻であった女性。
  今週もビートルズストーリーは、このシンシアが遺してくれた手記の中からお届けしよう。。

  ジョンの家に招かれるゲストの中には、イギリスの国民的コメディアンであるピーター・クック(Peter Cook)とダドリー・ムーア(Dudley Moore)の黄金コンビ。
  アメリカツアー中にジョンが親しくなったモンキーズ(The Monkees)のマイク・ネスミス(Mike Nesmith)などがいた。
  それ以外にも、ツアーのためニューヨークからロンドンに来ていたボブ・ディラン(Bob Dylan)と、
  ジョーン・バエズ(Joan Baez)といった当時のフォークロックのスーパースターなども。
  「今から行ってもいかな?」と電話をかけてきて、ふらっと立ち寄るぐらい、この家は誰にでもオープンであった。

  そしてシンシアは当時の暮らしぶりについても続けてくれた。
  「リバプール時代は、本当に質素な暮らしでしたので。
  ロンドンの郊外ウェイブリッジのお屋敷に住むようになっても、生活はそれほど贅沢ではなかったと思います。
  でも、毎週ジョンが私にくれる生活費は50万円くらいでしたので、やっぱり贅沢だったのかもしれません。
  なんせ、お金に困ったという記憶がないんですから。
  一年前まででは、考えられなかった生活です」

  あまり贅沢はしていなかったと語るシンシアであるが。
  それでも一般人とはかなりの格差がある。
  シンシアにとって高級ブランドの靴を買うこと、長男ジュリアンのための子供服を買うことは、「別腹」であった。
  さらにこれに、ジョンの買い物への欲求が加わると、それはとんでもないものになって行くことは時間の問題だったのである。
0141ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/24(土) 17:20:15.47ID:???0
  〜 The Beatles / I Feel Fine
  ttps://www.youtube.com/watch?v=-YDETXM1JTk
 
  〜 The Beatles / Money
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Ilnz6hyk3oU

  (小林)有名な曲が2曲流れました。

  I Feel Fine
  これはもうね、イギリスやアメリカで、64年にナンバーワンですからね。

  そしてこの Money
  これは、バレット・ストロング(Barrett Strong)、モータウンというね。
  さっきシュプリームズの話しをしましたが。
  そこのね、レコード会社のスターです。
  の、カバーですね。
  で、ジョン・レノンが歌っていましたけど。
  これもう、デビューアルバムの最後も、ジョンがシャウトします。
  で、このアルバムは1963年。
  63年、同じ年ですけどもねw
  に出た「With The Beatles」の方ですね。
  2枚目のアルバム。
  この最後も、この Money でジョン・レノンがシャウトしておりました。
0142ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/24(土) 17:21:19.58ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「つい一年前までは、倹約生活を心がける一般的な主婦だった私ですが。
  間違いなくビートルズのブレイクとともに贅沢志向にシフトしていきました。
  なんせ会計士に『お金ならいくらでもありますから、ご安心を』などと言われていたんです。
  私の買い物中毒が落ちつくと、こんどはジョンにそれが飛び火して行きましたね」
 
  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  こうしたジョンとビートルズに関してのエピソードは、全てシンシアが遺した手記に綴られているもの。
  この中から続けてみよう。

  ジョンにはもともと金銭感覚というものが無かった。
  別の言い方をすると「お金の有る無しにかかわらず、買い物が大好きだった」と言うことができる。
  ビートルズの人気が脅威的なものになっていた頃、通常の営業時間に一般人に混じって買い物をすることが出来ない四人のために、
  夜の8時以降、貸し切りにしてくれるお店も出て来た。
  店の経営者もスタッフも、ビートルズに会いたいのである。
  そんなことは喜んで引き受けてくれた。

  こんな時メンバー全員、世の主婦がスーパーマーケットで買い物をするように、店内でカートを勢いよく走らせ。
  良い物を見つけては大はしゃぎしながら 手に取ってた。
  こんな時ジョンは子供のように目を輝かせながら、シンシアへのプレゼントとジュリアンへのおもちゃ、そして自分の洋服を山のように持ち帰った。
  ある時はシンシアのために美しいカルティエのゴールドの腕時計と豪華なベルベットのジュエリーボックスに入ったブレスレットを買ってきたこともあった。

  さらにジョンはシンシアが身に着けるランジェリーにもこだわりがあった。
  ジョンが買ってくる女性用下着は、もはや舞踏会に着て行ってもいいくらい華やかでセクシーなものであり、それは下着ではなく「衣装」と呼べるもの。
  息子のジュリアンが寝静まると、二人は「ファッションショー」と称して、ジョンが買ってきたランジェリーやネグリジェをシンシアが身に着け。
  その姿をジョンが楽しむという時間を作った。
  1965年当時、ウェイブリッジのお屋敷に住んでいた頃の二人は、まさに「この世の春」を満喫していたのである。
0143ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/24(土) 17:27:37.45ID:???0
  〜 The Beatles / Girl
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2ea0LXJuV2U

  〜 The Beatles / Something
  ttps://www.youtube.com/watch?v=dNKpwRvFedY

  (小林)2曲 続きました。

  Girl
  これは「ラバーソウル(Rubber Soul)」のアルバムに入っていましたね。
  この頃は 深読みの時代ですから。
  Girl のバックのコーラスが「ティッ ティッ ティッ ティッ」って。
  「ティット(Tits)」ていうのは「おっぱい」ですから、そんな・・・
  そうは言ってないんですよw
  でもw「そう、言ってるよね」みたいなこととかねw。
  まあ、そうやって楽しんだんです、昔はね、昔のファンは。
  Girl

  そして、Something は「アビーロード(Abbey Road)」のアルバム。
  これはジョージ・ハリスンの大傑作。
0144ジョン・キロックノン
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2016/09/24(土) 17:29:16.09ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「日中は買い物など出来ないビートルズのメンバーにとって営業時間外に開けてくれる店は、もう遊園地状態でした。
  ジョンだけでも、もう考えられないほどの買い物をするのに。
  これに、ポール、ジョージ、リンゴが加わると、想像を絶する買い物になるんです。
  開いた口がふさがらない、とは、まさにこういう時に使う言葉だって知らされました」

  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  エピソードの多くは、彼女の遺作となった手記にまとめられているもの。
  「作り話は一切なし」というこの名著から、もう少し続けてみよう。

  1965年当時、ビートルズのメンバーの中で結婚しているのは、ジョンとリンゴだけ。
  ジョンには2歳児のジュリアンがいたが、リンゴの最初の子供であるザックはまだ生まれたばかりである。
  そうなると おもちゃを買い与える対象はジュリアンに限定される。
  もともと子供が大好きなポールは、ジョンと買い物に出ると、決まって車のトランクいっぱいのジュリアンへのおみやげを買ってジョンの家を訪れた。
  もちろん半分はジョンが買った物であるが。
  とにかく、ジョンとポールはジュリアンのおもちゃを買う時でも 全力で競争する仲であった。
  そういうおもちゃは、だいたい8歳から9歳向けのもので。
  ジョンはあまりにも選ぶことに夢中になって、自分の息子がまだ2歳だということをすっかり忘れてしまっているのである。
  難しいおもちゃは、包みを開けずに、そのままジュリアンが大きくなるまで取って置くことにする。
  ところがジュリアンは、すぐにそれを見つけ出してきてしまう。

  このエピソードに関して、母親のシンシアはこう語っている。
  「ジュリアが3歳の頃、8歳以上の子供を対象とした組み立て式のおもちゃを見つけてきたんです。
  親バカかもしれませんが、驚いたことにジュリアンは適正年齢の子供が要する半分の時間で、そのおもちゃを組み立ててしまいました。
  もちろん説明書など読めるわけがないので、勘だけで組み立てたわけです。
  これを見てジョンはこう言いました」
  『やったぞ! ジュリアン。それでこそ僕の息子だ。
  パパなんて、3歳でこんなことぜったいに出来なかった。
  ジュリアンは、ほんとうに偉いなあ。
  ほんと大したやつだ』
0145ジョン・キロックノン
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2016/09/24(土) 17:29:58.08ID:???0
  〜 The Beatles / Ob-La-Di, Ob-La-Da
  ttps://www.youtube.com/watch?v=SwvtpdDld_g

  〜 The Beatles / All together now
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2FLde6Shxq8

  (小林)後半のビートルズ。

  ポールの作品 Ob-La-Di, Ob-La-Da
  これは「ホワイトアルバム(The BEATLES)」

  そして「イエローサブマリン(Yellow Submarine)」の中から
  All together now
0146ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/24(土) 19:55:45.22ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてプレゼント。


  (千葉市/男性)50代
  毎週楽しみにしています。
  シンシアの手記、面白いですね。
  自宅へコメディアンを招待するジョンとシンシア。
  このあとの展開がとても気になります。  (小林)ええ。もう展開、今日もお送りしました。
  さて、夏も終わり、懐かしいこの曲をリクエストします。

  (小林)ていうことで。
  これは矢沢永吉が珍しく・・・
  あの人、作詞を自分でやらない人ですが。
  これは作詞も作曲も彼が担当した。
  やっぱり今の季節に。ねえ。
  アコースティックで時々奏ったりするらしいですね。
  「夏の終わり」キャロル

  〜 キャロル / 夏の終わり
  ttps://www.youtube.com/watch?v=-p20S3gp4XM
0147ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/24(土) 19:56:49.90ID:???0
  〜 Queen / We Are The Champions
  ttps://www.youtube.com/watch?v=04854XqcfCY

  (小林)クイーン We Are The Champions
  久しぶりにかかったんじゃないかなぁ。アハハw
  
  (名古屋市/男性)
  アメリカ大統領選挙でのお騒がせ候補者=ドナルド・トランプが党大会で使って。
  メンバーから「許可を出してない」と文句をつけられましたね。
  そして克也さん、広島カープ優勝おめでとうございます。 

  (小林)www っていうことで。
  We Are The Champions ですか? ハイ、ありがとうございますw。
0148ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/24(土) 19:58:32.97ID:???0
  (小林)あ、SMAPのファンだろうねえ。

  (松戸市/女性)
  ビートルズと出会ったのは私が中学の頃。40年前。
  40ウン年前。
  初めて買ったアルバム「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」
  好きなアルバム「リボルバー(Revolver)」
  「ラバーソウル(Rubber Soul)」はエンジ色のオデオン盤を持っています。 (小林)ほう。すごいファンじゃないですか。
  BayFMのタイムテーブルでは、この番組のあとに・・・
  後の番組に、草g君と香取慎吾君がリラックスした雰囲気で、もう20年も続けている番組があります。
  剛君がバラエティ番組の企画で「ギターマンへの道」としてギターの練習を始め。
  「せっかくだからライブに呼んでくれませんか?」と声をかけたところ。
  トライセラトップスが「どうぞ」といって、2度もライブに参加しました。
  そのご縁で、一昨年SMAPのライブの剛君のソロ曲も提供してくれました。
  それが「藍色GANG」です。
  SMAPのライブでは、剛君がスタンドマイクでギターをかき鳴らしながら歌いました。
  トライセラのライブでも彼は歌いました。
  トライセラの和田さんはビートルズの大ファンだそうです。
  「アビーロード(Abbey Road)」の「Because」とか「You Never Give Me Your Money」を彷彿とさせるコーラスが入っていて。
  初めて聴いた時なんか、懐かしい気もしました。

  (小林)
  という[松戸市/女性]さん、あなたのリクエストはSMAPです。
  「藍色のギャング」 

  〜 SMAP / 藍色のGANG
0149ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/24(土) 20:00:18.89ID:???0
  〜 The Beatles / No Reply
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ILdBDOPoEDQ

  (小林)リクエストは・・・

  (調布市/男性)50歳
  バーチャルリアリティでビートルズを復活させて欲しいと思う、今日このごろです。

  (小林)まあ、一行の文章しか書いてないんですがw 
  No Reply が、かかりましたけども。
  おそらく、あれですよね。
  ビートルズのファンであり、いっぱい書くことは有ったんだと思いますよ。
  だから、この、想像するの僕は好きなんですけどね。
  この人は絶対、ビートルズを聴きながら映像が頭の中で走っているんだよね。映像が、ビートルズの。
  まあほんとに、実際に観てないんでしょうけども。
  ねえ、観たら絶対「観た」ってこと・・・
  ああそうだ、歳でいくと観てないねw ええ。
  だから、こういう人きっと多いはずですよ。
  やっぱり音楽を聴きながらね、映像が、頭の中走ってる。
0150ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/24(土) 20:01:21.81ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」

  話しの方は、面白いね。
  ビートルズ、売れちゃってね。
  でも、ビートルズって悲しいよねw 
  有名になったらw 普通のスーパーとか行けないんだもんね。
  でも、スーパーを閉めて、貸し切っちゃって。
  で、買い物合戦。
  それも、カートに乗ったり、カートを走らせたりしながら。
  やっぱり頭の中に絵が浮かぶと、「楽しそうだなあ」と思うと同時に。
  ちょっと 悲しさも走りますねえw。
  そういう感じw
  来週のお話しをお楽しみに。

  それから、リクエストよろしくお願いいたします。
  メールは
  beatles@bayfm.co.jp
  です。
  毎回言ってますが。
  採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにして
  ファンの方リスナーの方を甘やかしております。
  よろしくお願いします。
0152ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/27(火) 13:52:46.94ID:ovQ2+usZ0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年9月25日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(9月25日)
 ・1967年。
  今から49年前の今日。
  EMIスタジオの第二スタジオ。
  この日はねえ「The Fool On The Hill(フール・オンザ・ヒル)」の日です。
  ま、でもスタートは例によって遅いんだな、彼らはね。
  で、夜の7時から朝の3時まで。
  もう本格的に「The Fool On The Hill」
  テイク1からテイク3を奏って。

  で、いわゆるこの前も説明したことあると思いますが。
  「ピンポン」ていうね。
  当時、4トラしか使ってないですから、
  それを、テイク3をテイク4に、ボリュームなんかもちゃんと考えながら、移すんですよね。
  ダビングしちゃうんですよね。
  それをやっていましたね。
  で、そのあとがテイク4を使ってモノミキシングをやっています。
  モノのミキシングをやっています。
  これは、「The Fool On The Hill」という、これはビートルズの渋い名曲ですが、ポールの作品で。
  特に後半のポールは、いろいろ作風が変わってくるとか、言われています。
  例えば「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」あたりから
  ポールの詩だとか作風が変わってくる。 

  この曲は有名な話し、ガリレオね。
  知ってますよね?
  小学校で習ったよね。
  あのほら「太陽じゃなくて、地球が周ってるんだよ」
  「地球が太陽の周り周ってるんだよ」って言った、ていう。
  それで「そんなバカなことをやるやつは家に閉じ込めておけ」ていうね。
  自宅謹慎を命じられたw
  彼をモデルにして・・・ 
  だから「The Fool On The Hill」ていう、その丘の上に、山の上でずーっと朝日から太陽がこうあって周るのを見てる ね。
  「東から西に行くのを見てる人が、薄ら笑いを浮かべて」っていうのは、ガリレオのことなんだよね。
0153ジョン・キロックノン
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2016/09/27(火) 13:55:24.58ID:???0
  で、ちょっとここで、カバーの話しをしますけども。
  この「The Fool On The Hill」ていうのは、カバーがすごい多いです。
  もちろん「Yesterday」てのがギネスブックになってて、一番カバーされたんですけど。
  ここでね、若い人たちにちょっと言っておきたいのはね。
  ビートルズが60年代、すっごいことになるじゃないですか?
  その裏で、実はビートルズの音楽と同じくらいすごいパワーを出してヨーロッパやアメリカや日本なんかで広がった音楽は「ボサノバ」ってのがあるんですよ。
  ブラジル発の。
  で、夜になるとボサノバを聴き、大人はボサノバを聴きにクラブへ行ったりとか。
  この頃は、例えばジャズなんかも、まだまだすごかったんですよね。
  で、渡辺貞夫ていうとても有名なジャズのミュージシャンが、バークレイから、アメリカから帰って来て。
  もちろん彼のスタイルで演奏するんだけど。
  「やっぱりジャズもすごいけど ビートルズもすごいね」つって、ビートルズのカバー奏るんですよ。
  それが「Yesterday」とか、静かなやつなんです。
  ボサノバって静かな抑えたうねりですから、静かな曲を奏るんですよね。
  「And I love Her」とか「Michelle」とか奏るんです。

  でその、ブラジルの音楽は、とても注目をされました。
  で、アントニオ・カルロス・ジョビン(Antonio Carlos Jobim)とか有名な人がいますけど。
  ポップスでは、セルジオ・メンデス(Sergio Mendes)ていう有名な男がいるわけです。
  で、彼がこれをカバーするんです。
  そしたら、アメリカで大ヒットになるんです。
  その大人のイージーリスニングでは6週間ナンバーワンです。
  分かります? イージーリスニング。
  で、イージーリスニングはボサノバなんかが主役だったんですよ、ね。
  だから、みんなビートルズが主役、ビートルズだけだと思ってるでしょ?
  ぜんぜん違うんだから。
  そういうことをね、頭に入れて。
  それじゃあ、この頃セルジオ・メンデスが名乗っていたのは「セルジオ・メンデス&ブラジル'66」こういうグループでした。
  The Fool On The Hill

  〜 Sergio Mendes & Brasil '66 / The Fool On The Hill
  ttps://www.youtube.com/watch?v=VEHckjjbE8I

  (小林)というわけで。
  アメリカで、ばっかりじゃなくて、世界的な大ヒットだった。
  セルジオ・メンデス&ブラジル '66。
  日本の、日本人の好みっていうのは、けっこうノンジャンルだったり。
  なんていうんですかね、ボーダーを越えちゃうっていう。
  クロスオーバーしちゃいますから。
  「ビートルズも聴くんだけども、こういうのも聴くんだよ。ジャズだって聴くんだよ」っていう。
  そういうふうな大人が多かった時代のヒット曲。
0154ジョン・キロックノン
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2016/09/29(木) 13:44:36.01ID:???0
□ストーリー
 ・「天文学的売り上げで、ロックの世界で類を見ないレベルの成功を収めたビートルズでしたが。
  常に誰かに監視されているストレスのホコ先は、ショッピングに向けられました。
  もちろんその買い物への欲求は、メンバーの家族や恋人にも伝染していったんです」

  こう話してくれたのはシンシア・レノン。
  もちろん、ジョン・レノンの最初の妻であった女性。
  今週もビートルズストーリーは、このシンシアが遺してくれた手記の中からお届けしよう。。

  さらに彼女はこう証言している。
  「ジョンの一番の道楽は、なんといっても車でした」
  ロンドン郊外ウェイブリッジにあるケンウッドと呼ばれるお屋敷に引っ越して来てまもなく。
  ジョンはロールスロイスを買って、お抱え運転手のアンソニーの運転であちこちへ出かけるようになった。
  それから2年後、「フラワーパワー」と呼ばれるヒッピーの勢力がイギリス中に拡散していた頃。
  ジョンはそのロールスロイスをサイケデリックな色に塗り変えてもらった。
  「サイケなロールスロイス。それは素晴らしい仕上がりでしたが。
  そのせいで、車に乗って出かけると、すぐに『ジョンとシンシアが来た』ってバレてしまうんです。
  これには困りましたねえ」

  そしてこんどは、シンシアが運転免許を取ると、ジョンは可愛らしくて素敵な白のミニクーパーをプレゼントしてくれた。
  シンシアはそのミニクーパーを運転するのが大好きだった。
  ハウスキーパーのドットを連れてのお買い物は、いつもシンシアの運転するミニクーパーとなった。

  そしてある日、ジョンはワクワクした様子で帰って来て、シンシアに目を瞑るように言って庭に連れ出した。
  目を開けると、そこにはシンシアの新しい車であるゴールドのポルシェが停まっていた。
  ところがその数週間後、朝起きてみると、ポルシェは影も形も無くなっていて。
  代わりに真っ赤なフェラーリが停まっていた。
  ひと口に「車道楽」と言っても、いろいろなパターンがあるが。
  ジョンの場合は、かなり特殊なものであったことは言うまでもない。
0155ジョン・キロックノン
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2016/09/29(木) 13:45:11.97ID:???0
  〜 The Beatles / Any Time at All
  ttps://www.youtube.com/watch?v=I7zinZ82GWg
 
  〜 Paul McCartney / Drive My Car
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2PLMwwqYPCw

  (小林)ポールのライブですね。
  これは1993年のね。
  「The New World Tou」の中から Drive My Car

  そしてその前は 1964年 
  アルバムは「A Hard Day's Night」
  曲は Any Time at All
0156ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/29(木) 13:47:01.88ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「車道楽といっても、ジョンの場合はかなり特殊でした。
  私に白い可愛らしいミニクーパーをプレゼントしてくれたと思ったら。
  それが突然、金色のポルシェに変わって。
  さらに、何の前ぶれもなくイタリアンレッドのフェラーリが現われたり。
  これには毎回驚かされましたねえ」

  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  こうしたジョンとビートルズに関してのエピソードは、全てシンシアが遺した手記に綴られているもの。
  この中から続けてみよう。

  こうした、衝動的な車の買い替えをくり返していたころ、ジョンも運転免許を取得していたので。
  シンシアの車を下取りに出しては自分の車を買い替えていた。
  というのがジョンの言い分である。
  いつものように気前の良いことではある。
  けれども、いつもジョンはそういう衝動的な行動に走りがちで、思いやりに欠けていた。
  シンシアが気を悪くしないかどうか? など、おそらく一瞬も考えずに、思いついたらすぐ実行に移してしまう。
  自分がいったんこうと決めたら、相手が誰であろうと、問題が何だろうと「自分に歩調を合わせるのが当たり前」と考えるのがジョン・レノンという人間であった。

  そしてその次に、シンシアに買い与えられたのが、グリーンのフォルクスワーゲン・ビートルだった。
  シンシアはこの車も好きではあったが、前に買ってもらったゴールドのポルシェほどではなかった。

  一方ジョンは、フェラーリに乗って出かけるのが好きだった。
  ただ、残念なことに、彼の運転は最悪であり。
  ジョンの助手席に座るということは、ジェットコースターに乗るのと同じ恐怖を味あわされること。
  急にハンドルを切ったりするので、車はカーブで電柱にぶつかったり。
  歩道に乗り上げたりが、日常のこと。
  その上、アクセルは踏みっぱなしで、息もつけないくらいの猛スピードである。
  その後、ジョンの運転が少しは上達した、という噂は誰も聞いたことが無いという。
0157ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/29(木) 13:47:45.44ID:???0
  〜 John Lennon / Instant Karma 
  ttps://www.youtube.com/watch?v=F3qvosHHcWc

  〜 The Beatles / Norwegian Wood
  ttps://www.youtube.com/watch?v=7VsRSVBI7ao

  (小林)ということで、お馴染みの曲が・・・

  Instant Karma
  これはジョン・レノンのソロですね。
  名義は「Plastic Ono Band」

  そして「ノルウェーの森=Norwegian Wood」
  これは、1965。

  ちなみに、ジョンのシングル Instant Karma は1970年。
0158ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/29(木) 13:49:27.84ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンの衝動買いや、突然買い替えたりする車の道楽には、いつも驚かされましたが。
  ケンウッドで過ごした日々は楽しい思い出です」
  
  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  お送りしているエピソードの多くは、彼女の遺作となった手記にまとめられているもの。
  「作り話は一切なし」この名著から、もう少し続けてみよう。

  ロンドン郊外ウェイブリッジ地区にある「ケンウッド」と呼ばれるお屋敷での暮らしの中には楽しいことがたくさんあった。
  家を改装している期間に住んでいた屋根裏部屋を出て、下の階に住むようになると。
  屋根裏部屋は、中の物を全部出して、少し手を入れ。
  部屋の一つは、我が家のゲーム場に生まれ代わった。

  ちょうど当時のイギリスの模型レース「スケーレックス(SCALEX)」が大ヒットしていた頃で。
  ジョンはカーレースのセットを3つ買い、それを屋根裏部屋に広げて一つの巨大なレーストラックを作った。
  この家を訪ねる人は誰でも、特にポール、ジョージ、リンゴが来ると、屋根裏部屋に引っぱられて行き。
  レーストラック専用の部屋で、時間無制限の白熱したレースを展開させられることになる。
  ジョンは血も涙もない勝負師となって、いつも一番強そうな車をまっ先に選ぶ。
  ジョンと息子のジュリアンがチームを組み、他の参加者は対戦相手となる。
  大人も子供もかなり本気になって叫んだり、歓声を上げたり、大騒ぎしながら、レースは勝負が付くまで終わらない。
  「ズルだ! お前の車こっそり馬力を上げただろう。クソ!。ハメられた!」
  こうして、カーレースは夜を徹して続くケンウッドの名物ゲームとなったのである。

  レノンファミリーの1964年から65年にかけての暮らしぶりを紹介してきたビートルズストーリー。 
  来週は、ジョンがこの家で、どういう風に作曲をしていたのか。
  その詳細は次回のお楽しみということで
  どうぞ、お聴き逃しのないように。
0159ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/29(木) 13:50:30.50ID:???0
  〜 The Beatles / Being for the Benefit of Mr. Kite!
  ttps://www.youtube.com/watch?v=3CHTsA7LtX0

  〜 Paul McCartney / Another Day
  ttps://www.youtube.com/watch?v=JodPHplACCE

  (小林)
  ポール・マッカートニーのソロシングル第一号 Another Day
  これ、残念ながらねえ、1位を取るヒットにはならなかったわけですね。
  
  その前は Being for the Benefit of Mr. Kite
  「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」の中に入っています。
  まあ、こういう奇妙な曲があるというのが ビートルズの特長。
0160ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/30(金) 18:24:53.93ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。


  (世田谷区/男性)20代
  この番組は日曜の夕飯前の楽しみになっています。
  僕はビートルズ、ローリングストーンズが大好きです。
  ですから、その2組と「ブリティッシュ4大バンド」と呼ばれるザ・フー(The Who)キンクス(The Kinks)については代表的な曲は知っていますが。
  ビートルズとストーンズと並べた時に、特に描いている歌詞に関しては、どんなスタンスを取っているのか?
  克也なりの視点でお話しくださると・・・。   (小林)ていうw

  (小林)困っちゃいますねw
  やっぱり、キンクスは、こうなんてのかな、なんかちょっとバラエティがありますよね。
  楽しいバラエティが。で、いつもユーモアのセンスが。
  これは、ビートルズなんかとおんなじ。
  フーはね、物語性だとかね、けっこう・・・
  フーは、ほとんど歌詞はピート・タウンゼント(Pete Townshend)の世界ですから。
  ピート・タウンゼントはねえ、小説家にでもなれるような・・・
  特に彼の短編集なんか読んじゃうと、フーの世界が一発で解かりますんで[世田谷区/男性]さん勉強の方よろしく。
  それじゃあ、あなたのリクエスト、2曲ありますが。
  一方の、こっちの方ですね。
  キンクス Wish I Could Fly Like Superman

  〜 The Kinks / (Wish I Could Fly Like) Superman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=9ql_m-4jdZE
0161ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/30(金) 18:26:09.39ID:???0
  〜 Smash Mouth / I'm A Believer
  ttps://www.youtube.com/watch?v=0mYBSayCsH0

  (新宿区/男性)50代
  時々ラジオから流れていて、カッコいいカバーだと思いました。
  
  (小林)ていう
  そうなんですよね、モンキーズ(The Monkees)のカバーを奏っている。
  I'm A Believer のカバーは、スマッシュ・マウス(Smash Mouth)という。
  やっぱり時代によって、ロック、新しいロックのグループの・・・
  そのなんての、傾向とかね。
  「オルタナ」なんて言葉が出始めた、頃のグループですよね。
  サンフランシスコのグループ。
  「シュレックのテーマ」 テーマなのかな? の映画で使われた、ということですね。
0162ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/30(金) 18:27:47.60ID:???0
  (小林)それから、こんどは・・・

  (旭市/男性)
  9月4日は66歳の誕生日。
  若い頃、ビートルズを夢中で聴いていた時は「When I'm 64」になった時なんて想像も出来なかったけど。
  さらに、プラス2。      (小林)あ、66歳だ。
  幸か不幸か、ほとんど変わらない日々です。
  ほぼ毎年、この誕生日前後は旅をしています。
  「マジカル・ミステリー・ツアー」ならぬ「フィジカル・ヒステリー・ツアー」です。
  青春18きっぷで「ラウンドトリップ、ロールアップ、ただいまスタート」    (小林)ww なんですか、楽しそうじゃないですかw
  で、リクエストは When I'm Sixty-Four

  〜 The Beatles / When I'm Sixty-Four
  ttps://www.youtube.com/watch?v=vAzaOZfgf0M
0163ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/30(金) 18:29:30.52ID:???0
  〜 Christopher Cross / Arthur's Theme
  ttps://www.youtube.com/watch?v=EDmp91YXLaU

  (小林)今日最後にかかったのは
  クリストファー・クロス(Christopher Cross)の「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」 
  ていうか・・・
  
  (不明/男女不明)
  ピーター・クック(Peter Cook)夫妻のランチパーティのエピソード、面白いですねえ。
  登場するダドリー・ムーア(Dudley Moore)はこの頃から活躍していたんですね。
  「アーサー(Arthur)」は大好きな映画です。

  (小林)そうです、その映画の・・・
  いやまあ、ダドリー・ムーアとライザ・ミネリ(Liza Minnelli)が共演してましたが。
  ダドリー・ムーアはこの頃から、そうです、活躍して・・・
  まあ、今 亡くなってしまいましたが。
  大好きな映画の中から。
  これは、バカラック(Burt Bacharach)が頼まれてね。
  で、アカデミーの主題歌賞を取りましたね。
  クリストファー・クロス、「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」をお送りしました。
0164ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/09/30(金) 18:30:24.63ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?

  来週は、このリッチな新しい屋敷で。
  ジョンが作曲に励む姿を、描いてお送りします。
  お楽しみに。
  
  それから リクエストよろしくお願いします。
  採用されるとイシイのミートボールなどセットにして送っております。
  beatles@bayfm.co.jp
  こちらで待っております。
0166ジョン・キロックノン
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2016/10/03(月) 18:45:38.06ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年10月02日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(10月2日)
 ・1968年。
  48年前の今日。
  スタジオはねえ「トライデントスタジオ」という。
  ロンドンのトライデントスタジオ
  もう、ジョージ・マーティンのプロデューサーも社員じゃなくて、みんなフリーになってますから。
  どのスタジオを選ぼうがいいわけでw
  トライデントスタジオ、4時から、えーと、朝の3時、うわあ、これはすごいw
  午後4時に始まって、朝の3時半まで。

  何やってたかっていうと。
  「Honey Pie」という曲を、テイク1にオーバーダブを、いろんなものを被せてた。
  ジョージ・マーティンがプロデューサーで、その仕事をしていた、ていうことなんですが。
  これは「ホワイトアルバム(The BEATLES)」です。あの2枚組の。
  アップルレコードをビートルズが立ち上げまして。
  その自分たちのレーベルから出す初めてのアルバム。
  で、ご存知のとおり、その前は、それぞれがインドへ行ったりして。
  ジョン・レノンなんか「ほとんどそこで書いた」なんて言われるぐらい
  曲はもう溜まっちゃってて。
  だけどまあ、みんなそれぞれ好きな事をやるわけですね。

  で、面白いのは。
  ビートルズはテクニックなんかよりもロックンロールが持つカッコ良さ、潔さを大切にしたバンドだ、とよく言われるんですけども。
  これは、結果論です。
  ビートルズはそれくらい、みんなに雰囲気・・・・
  「ああ!、これは潔さ、カッコ良さ、持ってるな!」って感じさせたんですよね。
  だから、ビートルズはそういうような雰囲気を持っていた。
  それから、メンバー、特にジョン・レノンとポール・マッカートニーは遊びの心を持っていて。
  自分たちはロックのグループだという意識はすごいあるんだけども。
  実は、時代もあるし。
  それから、育ち、影響もあるし。
0167ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/03(月) 18:49:26.50ID:???0
  いわゆるミュージックホールとかね、ラウンジという所で・・
  ミュージックホールというのはね。
  例えば、日本で言うと、寄席がありますよね 落語の。
  あれにバンドが入ってるような所だと思えばいいですよ。

  ラウンジっていうのは、ガンガン奏ってはいけないような所での音楽。
  そういうような所で音楽てのは、けっこう発達してるわけですよね。
  たとえば、この頃は「ボサノバ」なんてのは、ラウンジのミュージック。
  だから、そういうふうな空間を大切にする音楽を作るのがとても上手かった。
  ていう ことなんですよ。
  それは、ジャズであったり。 
  まあ昔の民謡ぽいものであったりするんだけど。
 
  これが、これから聴いていただくのは。
  まあその、ラウンジで奏るようなものですね。
  で、音楽は「昔かーし、そういえば、無声映画とか白黒映画でこういうような音楽を聴いたな」
  そういうようなのを感じさせるのって、ものを作るのが大得意だったんです。
  で、ちなみにポールが作ったこの曲。
  ジョンがそれにふさわしいギターソロも聴かせてくれております。
  さあ、それじゃ「ホワイトアルバム(The BEATLES)」から、
  今日お送りするのは Honey Pie

  〜 The Beatles / Honey Pie
  ttps://www.youtube.com/watch?v=JV6Pp3GJY2I

  (小林)えー、次の曲(Savoy Truffle)へつながってますがw
  ビートルズの「Honey Pie」
  こんどはまったく違う、ねえ。
  こんどはロック(Savoy Truffle)に変えるわけですけど。

  これはあれですよね、ナレーションぽく。
  バースで、「北国のイギリスの田舎からハリウッドへ行って、彼女は銀幕の大スターになっちゃった」
  それで、その女の子を想う田舎の青年の役をやってるわけですよ、ポール・マッカートニーが。
  「もう帰って来てくれよ。君が恋しくて、胸をかきむしってる」みたいなw 感じですよね。
  「自分はお金が無いし、働くの嫌いだから」wwwていう。
  まあ、ちょっと笑わせながら、ちょっと哀愁を感じさせるっていう、得意技があったわけですね。
  特に、ポールとジョンにはね。
  ビートルズの Honey Pie
0168ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/06(木) 13:37:14.92ID:???0
□ストーリー
 ・「ウェイブリッジのお屋敷は、ジョンがツアーやレコーディングから解放された時間を家族や友人たちと寛ぐ最高の空間。
  と同時に、ビートルズの楽曲を作るジョンにとっての聖域でもあったわけです」
  こう話してくれたのはシンシア・レノン。
  もちろん、ジョンの最初の妻であった女性。
  今週もビートルズストーリーは、このシンシアが遺してくれた手記の中からお届けしています。

  ケンウッドという屋号の付いたこの屋敷の屋根裏部屋の一つは、急ごしらえではあったが、
  一応はデモテープぐらいは録音できるプライベートスタジオとなっていた。
  スタジオの中は、いつも散らかし放題。
  クッション型の座椅子の周りには、レコードが散乱しているし。
  部屋のあちこちには、歌詞を殴り書きしたメモが落ちているし。
  肝心のレコーディング機材も、いたる所に置いてあった。

  ジョンは時々、この部屋に姿を消して、何時間かすると、シンシアたちがいる下の階に向かってこう叫んだ。
  「シン! なにしてんだ。早く上がって来て、こいつを聴いてみろよ!」
  シンシアがすぐに上がって行かないと、ジョンはまた叫ぶ。
  「早くシン! なんでもいいから! そんなの放っておけよ! 今君に聴いて欲しいんだよ!」
  そんな時シンシアはこう応えるのだ。
  「承知しました。ご主人様。わかったわよ。いま行くわねー」

  屋根裏部屋に上がって行くと、できたての曲を聴いて欲しくてウズウズしているジョンが待っていた。  
  感想を求められているシンシアは、曲を聴いてコメントする。
  あるいは、ジョンがまだ歌詞の一部をどうしようかと行き詰まっている時は、
  シンシアの言葉が、多少なりともヒントになる時もあった。

  今さらながらではあるが、シンシアはジョンが創り出す音楽は全て大好きだった。
  ジョンの音楽はロックンロールの枠を超えて、グングン進化していた。
  この頃はちょうどビートルズの5枚目のアルバムで。
  最新主演映画のサウンドトラックにもなる「あのアルバム」のための曲作り期間だったのである。
0169ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/06(木) 13:37:54.27ID:???0
  〜 The Beatles / Help!
  ttps://www.youtube.com/watch?v=8xqLfz_LPm4
 
  〜 The Beatles / I'm Down
  ttps://www.youtube.com/watch?v=X3rTprsWCp8

  (小林)ちょうどビートルズのお話しに登場する「Help! 」
  ねえ、画期的な曲ですけど。
  何回、何回も聴いてますが。
  何回聴いても飽きないねw
  
  そしてそのB面ていうのが。
  B面は、ポールが担当していましたね。
  I'm Down
  これはポール得意のリトル・リチャード(Little Richard)風のR&B声で歌っておりました。
  
  屋根裏のスタジオていっても、すっごい広いからね。
  おそらく30畳とか50畳ぐらいあるような広さ、だと思います。
0170ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/06(木) 13:39:52.56ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・ジョンの曲は、時に怒りや悲しみが現われていたり、時に挑戦的だったりするけど。
  そういう正直な気持ちや激しさが、曲にさらなる魅力を添えるのです。
  天才的でした」
  言葉の主はジョンの最初の妻、シンシア・レノンの手記から続いてお送りしよう。

  ある夜遅く、ジョンがアルバム「HELP!」に収録されることになる「You're Going To Lose That Girl」を書いていた時。
  やはりいつもと同じように、屋根裏部屋にあるプライベートスタジオから
  「早く聴いてみて!」とシンシアを呼んだ。

  その時のジョンは音楽に夢中になって何時間も部屋に閉じこもっていたので。
  シンシアは 夜食でもどうかと思い。
  「ベーコンサンドとミルクティはどう?」と声をかけた。
  するとジョンは満面の笑みを浮かべて。
  「完璧だねえ。シンには僕の心が読めるんだ」
  とご機嫌な様子。
  本当に素敵な笑顔である。

  ジョンの曲作りには、決まったやり方など一切ない。
  なにかアイデアが浮かぶと、昼間だろうと、夜だろうと、時間にかかわらず。
  「スタジオ」と呼んでいる屋根裏部屋に直行する。
  ジョンが夜中にベッドから飛び出して、歌詞を書きつけたり、思いついたメロディをピアノで弾いてみたり。
  あるいは、曲が完成するまで、明け方近くまで起きていたりすることに、シンシアも慣れっこになっていた。
  時々、曲が出来るまで5時間以上もピアノに向かっていることもあった。
  そういう時は、シンシアもそばに座って、枕カバーを縫ったり、息子ジュリアンのカーディガンを編んだりして同じ時間を過ごした。

  するとそのうち ポールと電話でのやりとりが始まる。
  お互いに受話器の向こうにいる相棒に向かって、楽器を弾いたり、歌ったりするのである。

  時にはジョンが「シン。君も一緒に歌ってみたら?」と誘われたこともあった。
  ジョンとシンシアのお気に入りのデュエットソングは、「ブルームーン(Blue Moon)」
  しかし、ジョンの評価は・・・
  「うーん。シン。君が教会の聖歌隊にいたことは認めるよ。
  だけどね、ちょっと気取り過ぎかなあ。
  ここは教会じゃないんだから。
  さあ、力抜いて。もう一回」
0171ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/06(木) 13:43:07.49ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ビートルズを発端に、私たちを取り巻く嵐のような日常に振り回され。
  時には、ジョンの女性問題に心を悩ませながら。
  それでも、夫婦関係も家族の絆(きずな)も、心配するようなことは何もありませんでした。
  ジョンも私も、一緒にいられるのが嬉しくて。
  自分たちの恵まれた運命に、驚くくらい幸せだったんです」
 
  お送りしているエピソードの多くは、シンシア・レノンの遺作となった手記にまとめられているもの。
  「作り話は一切なし」というこの名著から。
 
  ジョンとシンシアは、間違いなく幸せであった。
  が、それは完璧ということではない。
  今や世界一であり、史上最高の人気を誇るザ・ビートルズのメンバーであることは、四人全員相当なプレッシャーであった。
  イギリスで定期的なツアーに出る他に、依然として数ヶ月ごとに大規模な海外ツアーも展開していた時代である。
  しかもそれに加えて、年に4枚のオリジナルソングのシングル盤。
  そして、年に2枚のアルバムの発売。
  という、厳しいビジネスプランでビートルズは稼働していた。
  1990年代以降、アルバムとアルバムの間は3年〜4年というペースで活動するアーティストもごく普通になってきたのに比べ。
  ビートルズが、いかに超人的なペースで活動をしていたかがよく分かる話しである。
 
  しかし、そんな中でも、ジョンが仕事で家を離れていると、お互いの愛情はさらに深まった。
  ジョンはできるだけ頻繁に電話をくれたのであるが、彼は手紙を書く方が好きだった。
  それは優しさにあふれていて、しかも笑える内容の手紙である。
  手紙を通してジョンは様々なエピソードを語り、考えに耽(ふけ)り。
  シンシアやジュリアンに会えないことがどんなに寂しいことか。
  家に帰る日がどれだけ待ち遠しいか、長々と綴って寄こした。
  その詳しい手紙の内容は、また来週にお届けすることにしよう。
0172ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/06(木) 13:44:10.86ID:???0
  〜 John Lennon / Just Because
  ttps://www.youtube.com/watch?v=M0Imb-7BpTI

  (小林)ジョン・レノンがね、独特の歌い方をしていますね。
  これは1975年の、あの「Rock 'N Roll」のアルバムの中に入っています。
  全部カバーでね。
  
  数曲は、あの 塀の向こうにいるフィル・スペクター(Phil Spector)がプロデュースした、ていう。
  これもそうですね、フィル・スペクター。
  ジョン・レノン Just Because
0173ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/07(金) 18:12:53.97ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。


  (小金井市/男性)
  初めて投稿したのは中学の時、今ではもう大学生になりました。
  この夏、大学のプログラムでイギリスに短期留学していました。
  もちろんリバプールにも行きました。
  ロンドンではアビーロードも通りました。  (小林)w
  留学といっても、ほとんど旅行でしたね。
  リクエストは、滞在地がシェフィールドだったので。
  シェフィールドが産んだ超ビッグバンド、アークティク・モンキーズ(Arctic Monkeys)の曲をお願いします。
  
  (小林)
  リクエストありがとう。
  アークティク・モンキーで、Reckless Serenade

  〜 Arctic Monkeys / Reckless Serenade
  ttps://www.youtube.com/watch?v=vmkTYZfapMk

  〜 Cyndi Lauper / True Colors
  ttps://www.youtube.com/watch?v=LPn0KFlbqX8

  (小林)
  シンディー・ローパー(Cyndi Lauper)のバラード、ななかないいですよね。
  True Colors

  (成田市/女性)
  日本の震災時に手を差し伸べてくれる海外アーティストといえばシンディー・ローパー。
  心温まる数々のエピソードに、感謝の念をこめてリクエスト。
  True Colors

  (小林)シンディー・ローパーね。
0174ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/07(金) 18:13:53.07ID:???0
  (小林)そして・・・

  (市川市/女性)
  カリフォルニア州の大学で、燦々(さんさん)とした気持ち良い太陽のもと過ごしていた頃。
  私のシェアルームには、いつも地元の「ナインティーン・ナインティ・ナイン」というラジオ番組が流れていて。
  気持ちが上がる時はいつも電話リクエストをしていたので、すっかり常連になり。
  DJの方に覚えられてしまったほど。
  友達の家から、当時付き合っていた「アメリカ人の彼に捧げる曲を」と電話で話すと。
  「ラジオの本番でメッセージを話してみないか?」と頼まれ。 
  友達に励まされ、恥ずかしながらダメ出しされつつ、なんとかOKが出て。
  無事、私の名前でラジオ局に流れてしまったのが、当時カムバックを果たしていたジャネット・ジャクソン(Janet Jackson)の
  Love will never do (without you)
  懐かしい思い出を振り返りながら、皆さんにもこんな十代の記憶を思い出していただきたくてリクエストしました。
  
  (小林)ていうことで
  ジャネット・ジャクソン Love will never do without you

  〜 Janet Jackson / Love will never do (without you)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=LQiLuBNMnkk
0175ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/07(金) 18:15:21.34ID:???0
  〜 John Lennon / ( Just Like ) Starting Over
  ttps://www.youtube.com/watch?v=iAJ2AoEwDvY

  (小林)
  もうすぐジョンの誕生日ですねえ。
  かかっちゃいましたね、Just Like Starting Over

  (府中市/男性)50代
  克也さんが、犬が考え事をしている某ビクターのCMで、広島弁でシャウトしているころからのファンです。 (小林)ww
  先日、六本木のアビーロードに初めて行きました。
  「もっと早く行っていればよかった」と思うほど良かった。
  娘の誕生日も祝ってもらえました。
  少しづつ寒くなって来ると、ジョンのことを思い出します。
  「がんばれ」って励まされます。

  (小林)ありがとうございます。
0176ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/07(金) 18:16:42.00ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」

  というわけで、来週はね。
  ジョン・レノンの、この頃の手紙も紹介します。
  
  リクエストよろしくお願いしますね。
  採用された方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしています。 
  beatles@bayfm.co.jp
  こっちで待っております。
  小林克也でした。
0177ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/07(金) 18:20:32.65ID:???0
>>170
抜けていました。このあとに入ります。


  〜 Elvis Presley / Blue Moon
  ttps://www.youtube.com/watch?v=MiY5auB3OWg

  〜 Paul McCartney / Blue Moon Of Kentucky
  ttps://www.youtube.com/watch?v=kET22b28lqI

  (小林)というわけで
  ジョン・レノンとシンシアが、まあ、家の中でデュエットする時は「Blue Moon」ということでね。
  Blue Moon はスタンダードナンバーというか、ジャズっぽいポップスですよね。
  エルビス・プレスリー(Elvis Presley)のバージョンで Blue Moon をお送りしました。

  そして、今聴いたやつはポール・マッカートニーの Blue Moon Of Kentucky
  これ、Blue Moon Of Kentucky ていうエルビス・プレスリーのヒット曲があるんですが。
  それを 1991年、「アンプラグド(Unplugged)」で奏ったやつですよね。

  で、ポール・マッカートニーはプレスリーのマネも上手かったんですが。
  プレスリーの声というのはね、バリトンなんですよ。
  ポール・マッカートニーはキーが高いじゃない。
  だから、後半「ポールの声が低いなあ」みたいに・・・
  だから、プレスリーと、プレスリーのマネするんだけど。
  やっぱ、ポールはポールですよね。
  プレスリーは、ポールなんかよりキーが低いから、逆に声が高いときに裏声、どこらへんで裏声になるのか、計算して。
  そこらへんがなんか、自分の魅力だと、プレスリーは知ってたみたいです。
0179ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/10(月) 20:43:00.45ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年10月09日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(10月9日)
 ・1961年。
  今から55年前の今日。
  ジョンの誕生日、21歳の誕生日。
  何をやったかというと。
  ライブの仕事が2週間ぐらい空いたために。
  ジョンはポール・マッカートニーとヒッチハイクでパリに出かけます。
  もともとね、スペインに行こうとしたんだけど、やっぱりパリに行って、パリで遊んだということなんだけど。

  これ、ヒッチハイクってわかりますよね? ね、アハハハハ。
  で、パリまで行くんだよ。
  で、だけどほら、髪が長くていかにもロックンローラーみたいじゃない?
  だから、怪しまれないように、二人は・・・なんてんだろうなあ。
  つばの広い・・・探検家がよく・・・判るかなあ・・・
  ※ボーラーハットというんですけども。
  あの帽子を買って、それで、ヒッチハイクしたんだ。
  可愛いねえ。

  それで、パリへ行って。
  それで、長い髪だけど、ビートルズヘアカットていうのはこの時に、パリの街角で会ったユルゲン・フォルマー(Jurgen Vollmer)
  ユルゲン・フォルマーという、名前からいうとドイツ人ですね。
  彼のマネをした。
  つまりそれが、「マッシュルームカット」であった、という。
  わかる?

  だから、それまでは、まだいわゆる、なんていうんですかね。
  「ダックテイル」ていうか、横にこう・・・
  日本で言うと「リーゼント」とか言ったりするけど。
  ああいう、ヘアだった。
  それもちょっと不良っぽいとダメだから、探検家みたいな帽子で行って。
  そして、マッシュルームカットにした、っていうことなんですよ。
  本人が言うには、ね。ふたりが言うにはw
0180ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/10(月) 20:45:09.87ID:???0
  さあ、それじゃあ、まだ ビートルズは誰も知らない頃ですよ、ねえ。
  イギリスでは、どんな音楽がヒットしていたのか。
  その頃ちょーど、彼らがヒッチハイクをした頃。
  イギリスで1位の曲は、ザ・シャドウズ(The Shadows)ていう。
  クリフ・リチャード(Cliff Richard)のバックを務めたりした有名なグループです。
  ザ・シャドウズの Kon Tiki

  〜 The Shadows / Kon Tiki
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rRrISegvqpU

  (小林)いかがですか?
  これがイギリスで1位だった。
  日本ではベンチャーズ (The Ventures)のブームがね、ビートルズのちょっと前にあるんですけども。
  これは イギリスの地元のグループです。
  ザ・シャドウズ、Kon Tiki
 
参考:※ボーラーハット
ttps://encrypted-tbn3.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcQ2sURpIHQYZ2x0orwjOujvzOyilyqlT9F37pxC13Oiz6gAcRjx 
0181ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/15(土) 14:40:24.97ID:???0
□ストーリー
 ・昨年4月1日、イギリスで一人の女性が75歳の人生に幕を閉じた。
  彼女の名前はシンシア・レノン。  
  あのジョン・レノンの最初の妻として知られる女性。
  今週もビートルズストーリーは、このシンシアが遺してくれた手記のなかからお届けしよう。
 
  シンシアはこう語っている。
  「海外での大規模なツアーに出ると、ジョンはできるだけ電話をかけてきてくれました。
  もちろん、それも嬉しかったんですが、私はジョンの手紙が好きだったんです。
  優しさにあふれていて、しかも、笑える手紙でした」

  シンシアはその手記の中で、そんなジョンからの一通の手紙を公開している。
  こんな内容である。
  「今、ジュリアンを一人の人間として、とても悲しく思っている。
  言っている意味わかるかな?
  ジュリアンは、もう赤ん坊でも、僕の赤ちゃんでもなく、僕の人生になくてはならない立派な生を受けた一人の存在になっている。
  僕の大事なジュリアン。
  僕のすべて。
  ジュリアンに会うのが待ちきれない。09:35
  これまで会えないのが、こんなにも辛く感じたことはなかったな。
  本物の父親の気持ちになれるまで、こんなに長い時間がかかったよ。
  楽屋で何時間も 出番待ちをしていたりすると。
  これまでジュリアンと一緒にいることや、一緒に遊ぶことを怠って、自分がどれだけ時間を無駄にしてきたかを考えている。
  僕のしてきたことは、ぜんぶ間違いだ。
  心から後悔しているよ。10:05
  今日はこのへんで終わりにしておくね。
  自分が、なんて考えの足りない愚か者かと思うと、すっかり落ち込んでしまったから。
  それに、こっちはまだ午後3時で、今 こんなしおれた気分になるのはマズいからね。
  本当は、泣きたくてたまらないんだ。
  それじゃ、もう行くよ。
  ダラダラ退屈な手紙だと思われないようにね。
  大好きだよ。シンへ。
  ジョンより」
0182ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/15(土) 14:41:32.16ID:???0
  〜 John Lennon / Jealous Guy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=DzhyKn1ThpU
 
  〜 The Beatles / Anna
  ttps://www.youtube.com/watch?v=WVZDeeorBYk

  (小林)2曲 流れましたね。
  
  Jealous Guy は、もう71年、ソロになって「Imagine」のアルバムに入っている。
  フィル・スペクター(Phil Spector)がプロデュースした名曲。
  Jealous Guy

  そして、今の曲は
  「Please Please Me」に入っています。
  Anna ていう。
  アーサー・アレクサンダー(Arthur Alexander)ていう人のカバーです。
  この頃はねえ、ビートルズはもうウケることがもう一番ていうことで。
  曲が無かったわけじゃないんですよ。
  曲はいっぱい持っていたんだけども。
  ウケるっていうことを中心に、カバーも入れた、ていうことですね。
0183ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/15(土) 14:43:06.96ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「海外ツアー先からのジョンの手紙は、とても彼らしい文体で、面白いものでしたが。
  それ以上に どれだけ息子ジュリアンを愛しているのか、どれだけ早く家に帰りたいのか。
  そんな気持ちが手に取るようにわかるもので、私も読んでいて切なくなるほどでした」
  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  シンシアが遺した手記から。
  
  ジョンの手紙は、いつもこれほど思いに耽(ふけ)って書かれていたわけではない。
  けれども、そういう手紙が届くことも珍しくはなかった。
  ジョンは自分の気持ちをそのままストレートに文字にする方が、いろいろな意味で楽に感じる様で。
  ハンブルグ時代からそうだったように、手紙はシンシアに自分の本心を伝達する手段だったのである。

  それから数年後に、シンシアとジョンが離婚した時。
  シンシアは、ジョンがくれた他の何通かといっしょに
  先ほど紹介した、その手紙も売却してしまった。

  ところが何年かして、その所有者が手紙を売りに出した時。
  ポール・マッカートニーが、それを買い取って。
  綺麗な額縁に入れて、シンシアとジュリアンにプレゼントしてくれた。

  シンシアは語る。
  「それはもう、嬉しくて、胸が熱くなりました。
  ポールの思いやりの深さに、感謝の気持ちでいっぱいになったんです。
  だからこの手紙は、私の中に様々な感情を呼び覚ます、特別な宝物になっているんです」

  ジョンはシンシアとジュリアンを本当に愛していて。
  ツアーで会えない事を、心から寂しく思い。
  その手紙の言葉のすべてが本心であることはわかる。
  しかし、本心どおりに生きては行けないことも、
  アーティストの妻であるシンシアは充分に理解しているつもりだったのである。
0184ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/15(土) 14:45:50.17ID:???0
  〜 John Lennon / Grow Old With Me
  ttps://www.youtube.com/watch?v=yfOeURWq_kI

  〜 The Beatles / Oh! Darling
  ttps://www.youtube.com/watch?v=eF_mhA7HT2Y

  (小林)1969、「アビーロード(Abbey Road)」
  そのアルバムから「Oh! Darling」
  ポールが、もちろん歌っていましたが。
  ピアノはジョンでした。
  なかなか、なかなか渋かった。

  そして その前は。
  やっぱり、ジョン・レノンが自分のマンションのダコタハウスで録音したという。
  アレンジ関係はジョージ・マーティンがやりました。
  「ジョン・レノン・アンソロジー(Anthology)」の中から Grow Old With Me
  まあこれはヨーコに捧げたラブ・・・。
  こいうやつは今日も、ほら、「Jealous Guy」とか、やりましたけど。
  ポールのメロディよりも、ジョンの方が泣かせるメロディ?
  つまり哀愁のメロディは、なんかジョンの方がちょっと上って感じもするんだけど。
  
0185ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/15(土) 14:46:55.50ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンは私とアートスクールで出会った頃から、あまり性格は変わっていません。
  いつもロックと自分の事ばかり考えているんです。
  でも、それが周りの人間に迷惑だとか そういうことではないんです。
  アーティストとはそういうものなのだと、私は思っていました」
  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  「作り話は一切なし」というこの彼女の名著から。
 
  「ジョンは 私と息子のジュリアンを本当に愛してくれていることは間違いありませんでした。
  ただジョンの気持ちは そこまででした。
  ジョンそのものが変わることはないんです。
  もちろん ジュリアンと触れる時間を増やして、ジュリアンをもっと良く知ろうと努力をしていた時期もありました。
  それでもやはり息子が父親にかまって欲しくてたまらない時に、当の父親は他の事で頭があまりにもいっぱいで。
  幼い息子のためにエネルギーを注ぐことができなかったんです」

  ツアーから帰ると、ジョンは疲労困憊していて、数日間はほとんど眠っていた。
  だからいつもジュリアンを静かにさせたり、ベッドルームに近ずけないようにしたりしなければならなかった。
  ジュリアンはジョンが家にいない間 、寂しく思って何枚も何枚もパパのために絵を描いていた。
  ジョンが帰ってくれば、もうジョンの顔を見たくて仕方がないのだ。

  ジョンが家にいる時はいつも内線電話でジョンを起こし、お茶を一杯入れることになっていた。
  朝からずっとパパに会いたくて辛抱強く待っていたジュリアンは、シンシアがOKの合図を出すと
  ジョンの元に走って行って飛びつき、ぎゅっと抱きつけてもらったり、おしゃべりをしたりする。
  それでも、ツアー明けのジョンは、まだ現実の世界には戻っていなかったのである。
0186ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/15(土) 14:48:01.34ID:???0
  〜 The Beatles / Rock & Roll Music
  ttps://www.youtube.com/watch?v=TBiLhQpaUaM

  〜 The Beatles / Roll Over Beethoven
  ttps://www.youtube.com/watch?v=e4-16zxVMw0

  (小林)
  Roll Over Beethoven
  これはチャック・ベリー(Chuck Berry)ものが2曲。
  Roll Over Beethoven
  これは1963年「With The Beatles」のアルバムに入ってて。
  あ、ジョージがリードボーカルね。
  まあこれは、ジョンが普通やるんでしょうけど。
  これは ジョンの愛情。
  
  そしてその前は。
  64年の「ビートルズフォーセール(Beatles For Sale)」から
  Rock & Roll Music

  チャック・ベリーの、2曲ともカバー。
0187ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/15(土) 23:24:46.55ID:???0
□リクエスト
  メールは 
  beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送り。

  (千葉市/男性)
  「ハリウッド・ボウル・ライブ」を買って聴きながらメールしています。
  以前のライブレコードはオーディエンスの音が大きく雰囲気は味わえますが。
  演奏は聴こえて来なくてガッカリでした。
  今回はプロデューサーが あのジョージ・マーティンの息子さんのジャイルズ・マーティン(Giles Martin)ということで大いに期待していましたが。
  さすが期待した以上の素晴らしい出来栄え。
  あらためて「ビートルズは最強のライブバンドだ」と再認識しています。
  ジョージのギター ジョンのリズムギター、ポールのベース、リンゴのドラムス。
  クリアになって、ライブでもスタジオと同じようなクオリティで演奏しているのがよく分かって、鳥肌モノですね。
  今日はその中から エンディング曲をお願いします。
  ラスト曲なので、ポールのMCからかけていただけると盛り上がり最高。
  映画の「EIGHT DAYS A WEEK」も見に行くのが楽しみですねえ。

  (小林)という
  依然としてビートルズどっぷりの[千葉市/男性]さんのリクエストで
  Long Tall Sally

  〜 The Beatles / Long Tall Sally
  ttps://www.youtube.com/watch?v=kxT0DcRR9cQ
0188ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/15(土) 23:25:52.77ID:???0
  〜 The Beatles / Mr. Moonlight
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2YfWQG5gI4A

  (小林)えー w 
  Mr. Moonlight が流れました。

  (茨城県牛久市/女性)
  今日はリクエスト、Mr. Moonlight をお願いします。
  秋は月が美しい時期です。
  月に願いを込めた 彼女を愛する気持ちを表現した1曲。
  この曲の初めの一声は 誰の声ですか?  (小林)これ、ジョンの声ですよ。
                                   これ、歌い出しすっごいカッコイイよね。
  誰の声ですか?             (小林)ジョンです。
  初めて聴いた時、素敵な響きに感動し、ゾクッとしたのを覚えています。
  この曲にまつわるエピソードがありましたらぜひ。

  (小林) 
  エピソードは、まあ、これ皆さんにですけども。
  いろいろあったら、もうWikiだとかね、ウィキペディアとかああいうの調べると出てます。
  これはなんか、「アンソロジー1」に2曲はいってるのかかな? 違うテイクが。
  なんかね、「2回録音した」とありますね。
  2回目には、ポールがハモンドオルガンを弾いたとか、いろいろありますけど。
0189ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/15(土) 23:27:56.85ID:???0
  (千葉市/男性)
  このところ、毎晩涼しくなり 秋を感じるようになりました。
  秋といえば おいしい食材がたくさんありますが。
  素晴らしい名曲も多くあります。
  この季節になると、聴きたくなる1曲をリクエストさせていただきます。

  (小林)
  [千葉市/男性]さんね、これね、おそらく日本語のタイトルで「秋風の恋」ってあるけど。
  これは「秋風」の「秋」の字も、この曲の中には入ってないですから。
  やっぱり、レコード会社の陰謀に乗っちゃったわけね、ええw
  だから、これは、いつ聴いてもOK。
  ただ「もう、すごく会いたい」っていう曲です。
  イングランド・ダン(England Dan)そしてジョン・フォード・コーリー(John Ford Coley) I'd Really Love To See You Tonight

  〜 England Dan & John Ford Coley / I'd Really Love To See You Tonight
  ttps://www.youtube.com/watch?v=tiiPdARuPh8
0190ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/15(土) 23:29:14.30ID:???0
  〜 The Beatles / Let It Be
  ttps://www.youtube.com/watch?v=eOXDt1XvHgY

  (小林)これはねえ、リクエスト2通来ていますね。

  (市川市/女性)50代
  この夏休みの帰省を利用して、故郷の山形の中学校のクラス会が開かれました。
  80歳を過ぎた担任の先生も元気に参加してくれて。
  「昔、授業でビートルズの歌を歌ったり訳したりしたね」と懐かしい思い出に花が咲きました。
  2次会はカラオケに行き、みんなでビートルズの歌合戦となり、楽しい日を過ごすことができました。
  
  (小林)良かったですねw
  同じ市川市の・・・
  こちらは30代です。

  (市川市/女性)
  私の子供もアレルギー性だから、イシイの「いっしょがいいね」のCMを聴いて共感して買うようになりました。
  ビートルズの「Let It Be」をリクエストします。
  
  (小林)という
  あ、ちょっと、送られますよ、イシイのミートボールなどがw
  よろしく。
0191ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/15(土) 23:30:49.51ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  ジョンの物語を、最初のカミさんのシンシアが綴ってるわけですが。
  もうほんとに、ビートルズが世界一のグループになって。
  大きな屋敷も買って、幸せいっぱい。
  でも、忙しくてしょうがない。
  ビートルズとしての勤めがあるわけですよね。
  だから、夢中で過ごして、ねえ、もうほんと。
  ジョン・レノンは、忙しい日もあったけど。
  家族のことを思って過ごすわけですが。
  だんだん、幸せに見えた中にも、暗さが漂うようになってくるわけですよ。暗さが。
  風が吹くようになってくるんですよ。
  このあとも、違う意味で期待していただきたいと思います。

  それから、リクエストの方。
  beatles@bayfm.co.jp
  です。
  みなさん、まあ、好きな事・・・
  書く事がなければ、強引に2〜3行なにか書いて。
  それからまあ、エピソードとかありましたら・・・
  ビートルズに限ることはないですからね。
  「ビートルズから始まる」ていう番組ですから。
  お待ちしております。
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてお送りしております。
  お相手は小林克也でした。
0193ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/17(月) 13:15:36.58ID:???0
10月16日放送の「ビートルズから始まる」は録音に失敗しました。 (´・ω・`)
Radikoの仕様変更のため録音ソフトが機能しなかったようです。 
おわび致します。 <(_ _)>
0196ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/18(火) 20:47:54.00ID:H1Ae4Vsj0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年10月16日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(10月16日)
 ・1992年。
  今から24年前の今日。
  ニューヨークのマジソンスクウェアガーデンで。
  まあ、ニューヨークのマジソンスクウェアガーデン2万人入ります。
  大コンサートが行われました。01:33
  ボブ・ディラン(Bob Dylan)のデビュー30周年を祝うライブイベント。
  これはディランがやるんじゃないんです。
  ディランを称えるために、いろんなミュージシャンが集まる。
  これはレコード会社が、まあレコーディングをするということもあって。
  いろいろブッキングも大変だったと思うんですけど。
  すっごい人たちが集まるんです。
  ゲスト20人以上。
  で、この模様は2枚組のライブアルバムに収められているんですが。

  ビートルズのファンの方は、ボブ・ディランがビートルズにすごい影響を与えたっていうことはご存知だと思いますけどね。
  これね、全般に渡って、ディランの音楽的なスタイルばっかりじゃなくて、ディランがいろんな音楽を・・・
  もうね、この人はすっごい音楽を聴いてるの。
  それから、すっごいラジオのファンなの。
  で、彼はほら、ラジオにあまりにも造詣が深くて、ラジオの歴史まで語れるような人なんですけども。
  まあ、ビートルズが一番大きく影響を受けた、ていうのは・・・
  例えばビートルズは、はっきり言ってラブソングばかりだったでしょ、男と女の歌ばっかりだったでしょ。
  でも、「Paperback Writer」だとか、例えば「Taxman」だとか。
  ああいったものを書くようになった、てのは・・・それは・・・
  スタイルはちょっと影響を感じないかもわかんない。
  ああいうものを書くようになった、ていうのはディランのモノの見方がビートルズに、まあ移っちゃったわけです。
  だからビートルズは、ボブ・ディランからいろんなものを・・・

  それからディランのことは、しょっちゅう話題になっていたみたいだよ。
  特にポールは「ディランはいいよなあ。一人だからなあ。四人で分けなくていいよなあ」w なんて話してたw ていうのが
  ちょっと僕はw 印象に残ってますが。
0197ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/18(火) 20:49:50.81ID:???0
  さあ、その2枚組ライブCDの中から、これを聴いていただきます。
  これ ボブ・ディランが入っています。
  で、ロジャー・マギン(Roger McGuinn)トム・ペティ(Tom Petty)ニールヤング(Neil Young)エリック・クラプトン(Eric Clapton)
  そして、ジョージ・ハリスンが入っている「My Back Pages」

  〜 Bob Dylan / My Back Pages(Live)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=szkwob0ZeAk

参考資料
  〜 Bob Dylan / 30th Anniversary Concert Celebration
  ttps://www.youtube.com/watch?v=_sh05PyTURs

  (小林)いかがですか?
  マジソンスクウェアガーデンのディランへ捧げる。
  ディラン本人も、もちろん最後の方は歌っていましたけども。
  なんとなく、みんなディランの影響を、ボーカルも影響を受けてたような歌い方をしますね。
  ジョージ・ハリスンなんかも、一生懸命自分らしさを出して。
  やっぱりディランに、やっぱり曲はディランの歌ってのがありますけど。
  中でも、だれだ? ニール・ヤングはぜんぜん違っていましたね。
  やっぱり、だから、若い人は、これなんか一人一人の味がちょっとわかんないかもわかんないけど。
  例えばね、例えば日本で桑田佳祐のトリビュートするっていうんで いろんなボーカリストが集まって・・・
  みんな、ほら、桑田佳祐みたいな声になるわけよ・・・サザンをやると。
  でも例えば、清四郎がいるとw 絶対桑田の声にならないとか。
  陽水がいるとならない、とかあるじゃないですかw  
  そんな存在、ニール・ヤングがおりましたね。
  なんか、聴くと面白いですね。
  これは、年配の方は、若い人に説明すると、してあげると面白味がもっともっと伝わりそうですね。
0198ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/20(木) 23:37:54.01ID:???0
□ストーリー
 ・昨年4月1日イギリスで一人の女性が75歳の人生に幕を閉じた。
  彼女の名前はシンシア・レノン。  
  あのジョン・レノンの最初の妻として知られる女性。
  今週もビートルズストーリーは、このシンシアが遺してくれた手記の中からお届けしよう。

  シンシアはこう語っている。
  「ツアーから帰ると、ジョンは疲労のあまり、数日間はほとんど眠っていました。
  そんな時はいつも内線電話でジョンを起こし、お茶を一杯入れるんです。
  朝からずっとパパに会いたくて辛抱強く待っていた、まだ3歳のジュリアンは、私がOKの合図を出すと
  ジョンの元に走って行って飛びつき、ぎゅっと抱しめてもらったり、おしゃべりをしたりしていました。
  それでも、ツアー明けのジョンは、まだ現実の世界には戻っていなかったと思います」

  そして、そのジョンの意識が現実に戻り、いったんエンジンがかかると、まるで大竜巻のようにエネルギーにあふれ。
  ジョンがいない間に起った出来事を一部始終知りたがった。
  そして次は、ジュリアンとレスリング。
  ジュリアンは それはもう嬉しくて、どこにでもジョンの後にくっついて歩くのである。

  そしてジュリアンとの遊びが一区切りつくと。
  こんどは 膨大な量のファンレターに目を通す。
  1964年の全米ツアー以来、ファンレターは一部づつではなく、大きな紙袋、あるいは袋よりもさらに大きな段ボール箱で届けられるのが普通であった。
  そんな時、何にでも興味を示すジュリアンは、パパに「これはなあに? お手紙?」と尋ねる。
  するとジョンはこう言うのである。
  「ジュリアン。この手紙は全部大切なものなんだ。
  僕らのパンやバターと同じだ。わかるかな?
  これはジュリアンの朝ごはんになる。
  こっちは晩御飯だ。
  そしてこれは、パパの新しいギターになるんだ」

  もちろんこんな時でも、ジョンの頭の中には、あの想像もつかないライブツアーの景色が浮かんでいたのである。
0199ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/20(木) 23:38:33.73ID:???0
  〜 The Beatles / Twist and Shout(Live At The Hollywood Bowl)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=QElJzUmgEuo
 
  〜 The Beatles / She's a Woman(Live At The Hollywood Bowl)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=G0PQ5HTjqY8

  (小林)すっごいよねえw
  もう話題の、ねえ、新しい良い音になった「ハリウッドボウル(At The Hollywood Bowl)」のライブの中から。
  Twist and Shout

  そして、She's a Woman
  2曲お送りしました。
0200ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/20(木) 23:39:41.55ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・ジョンの最初の妻シンシアはこう語る。
  「ビートルズの演奏と、そこに集まる何千何万というファンの喚声と金切り声。
  それはもう熱狂を通り越して、この世の物とは思えないくらいのものでした」
  そんな想像を絶するワールドツアーから自宅に戻ったジョンは、息子のジュリアンと過ごすのが大好きだった。
  しかし、あの天才的なアーティストのジョン・レノンのこと。  
  とにかく、気が短かかった。
  ジョンの気分には 予想不可能の部分があり。
  時々ジュリアンのことでイライラしたり、我慢が出来なかったりする。

  ある時は、夕食の最中に「ジュリアンの食べ方が汚い」と怒鳴り散らした。
  すると、母親のシンシアはこう怒鳴り返した。
  「あなたがもっと家にいたら、これが3歳の子供のごく普通の食べ方だっていうことが分かるはずよ!
  さあもう、放っといて。ジュリアンの好きにさせてちょうだい」

  ジョンに怒鳴り返して感極まったシンシアは涙があふれて二階へ駆け上がった。
  ジョンが突然怒りを爆発させた時の、ジュリアンの顔を見てショックを受け。
  シンシアまで感情的になってしまった。

 しかし、こういう諍(いさか)いは稀な事、
  シンシアも 昨日や今日ジョンと暮らし始めたわけではない。
  ジョンがピリピリしている時には、彼から遠ざかっていた方がいい、ということが分かるようになっていた。
  そしてジュリアンも、子供ながら学習していたのである。
  しかし、自分の父親が世界的に有名な、イギリスにとって国宝的なアーティストであることをジュリアンが学習するのは
  まだ先の事であった。
0201ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/20(木) 23:41:52.13ID:???0
  〜 The Beatles / Ticket To Ride
  ttps://www.youtube.com/watch?v=pUj-ko3AWUw

  〜 The Beatles / If I Needed Someone
  ttps://www.nico video.jp/watch/sm20532833

  (小林)2曲つながっていました。
  Ticket To Ride、If I Needed Someone

  「HELP!」のアルバム。
  そして「Rubber Soul」のアルバム。  
  いちおうジョージ・ハリスンの12弦ギターがつながっておりました。

  それから、If I Needed Someone
  三声のハーモニー。
  こういうようなものにもビートルズは挑戦して・・・
  このあとですよね、だいぶあとですよね。
  例えば・・・クロスビー・スティルズ・ナッシュ・アンド・ヤング(Crosby, Stills, Nash & Young)とかいったコーラスが聴こえるようになるのは。
0202ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/20(木) 23:43:01.50ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ジョン・レノンという人物は本当はどういう人なのか? よく質問されましたが。
  10年近くも一緒にいる私でさえも、よく分からない部分がありました。
  アーティストはそういうものである、と、半ばあきらめている部分もありましたから」
  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  彼女が遺してくれた手記の中から。

  ある夜、ジョンとシンシアは奥の部屋のいつもの居場所で夕食を摂りながら。
  ジョンがツアーに出かけている間に有ったことを、お互いに教え合った。
  ジュリアンは両親の足元で、おもちゃで遊んでいる。
  そんな時ジョンは「家が一番だ」と、何度も何度も言うのである。

  「ああ、シン。こういう生活が最高だよお。
  ところで、お母さんは元気?
  また何か面白いものを買ってくれたのかなあ?
  伝えてくれたよね? 
  またとない面白いものを見つけたら、僕らの代わりに買っておいてって。
  いくらかかったって構わないんだから。
  あ、そうだ、それから、ここの本棚をいっぱいにしなきゃ。
  本を買うのも忘れないでくれよ。
  君のお母さんに、革張りの本を買うように頼んどいてくれない?。
  革張りなら見栄えがするだろう」

  ケンウッドと呼ばれるジョンの家の玄関ホールは、壁一面が本棚になっていたが。
  そこはまだ、ほとんど手つかず状態。
  義理の母親を想ってのことである。
  そういったジョンの人に優しい一面は、あまり伝わっていない事実であった。
0203ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/20(木) 23:44:37.85ID:???0
  〜 The Beatles / This Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=O_vqE2hBWkg

  〜 The Beatles / P.S. I Love You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=FroDoCeYsv0

  (小林)というわけで。
  ビートルズの初期の感じが、いかにもありますよね。
  そして全部、いわゆるシングルのB面。

  This Boy は「I Want To Hold Your Hand」のB面。

  そして P.S. I Love You
  わかりますか、A面は?
  「Love Me Do」
0204ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/22(土) 15:16:05.53ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。


  (世田谷区/男性)17歳
  初めてこの曲を聴いて、イントロがカッコよく、よく聴いていました。
  最近はあまりにもイントロを気に入ってしまい、そこばっかり聴いています(笑)
  さらに、こないだムーディー・ブルース(Moody Blues)の元メンバー=デニー・レーン(Denny Laine)がウィングス(Wings)に加入していたのを知り。
  ビートルズとすごい近い関係にあったんだと思って、さっそくメールしました。
  よろしくお願いします。

  (小林)
  ただ、これはもう デニー・レーンが去ったあとのムーディー・ブルースの曲です。
  リクエストは[世田谷区/男性]さん、17歳。
  17歳でこんな古いのが好きなの?
  ムーディー・ブルース、Gemini Dream

  〜 Moody Blues / Gemini Dream
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6hW9fADmFrc
0205ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/22(土) 15:17:35.42ID:???0
  〜 David Bowie / Across The Universe
  ttps://www.youtube.com/watch?v=cgvTDCiX6Vw

  (小林)
  デビッド・ボウイ(David Bowie)の「ヤングアメリカン(Young Americans)」のアルバムに入っています。
  Across The Universe
  ジョン・レノンとデビッド・ボウイは尊敬しあっていた仲です。
  このカバーは見事です。

  (千葉市/男性)
  いつも車の中で聴いています。
  克也さんとは、自分が高校の時、千葉のどこかの楽屋でお会いして話しをしました。
  あの時以来のファンです。
  克也さんは まだアンチャン風でカッコ良かったな。 (小林)ww
  野太い声が忘れられません。
  今年は、年の初めにボウイが死去。
  心底驚きました。
  未来の異星人なのに・・・
  まだ、悪い冗談かと疑っています。   (小林)そういう感じだよね。
  ジョンもボウイも他の世界にいるなんて。

  (小林)これは[千葉市/男性]さん。60代の方です。
0206ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/22(土) 15:18:43.09ID:???0
  (東京都渋谷区/男性)
  毎回楽しく聴いています。
  スケーとの羽生選手が「プリンスの曲を使う」と発表。
  羽生選手はプリンスの全盛を知らないと思いますが。
  リアルタイムで全盛時代を知っている私にとって嬉しいかぎり。
  プリンスは全盛時代、ビートルズのように「アルバムからシングルカットしない」と発表。
  アルバムを発売していました。
  しかし、思うように売り上げが伸びず、シングルをカットすることにした、ということがありました。
  プリンスの・・・・

  (小林)この曲はねえ。
  プリンスの地元の野球チームのミネソタ・ツインズ。
  ホームランが出るたびに、この曲を球場に流します。
  そして、プリンスが亡くなった時は、球場全体、紫(むらさき)色の照明に包まれたそうです。
  Let's Go Crazy

  〜 Prince / Let's Go Crazy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=HJURMUtwD1o
0207ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/22(土) 15:20:48.80ID:???0
  〜 The Beatles / Blackbird
  ttps://www.youtube.com/watch?v=NL6Cb85l8uM

  (小林)ポールがアコースティックギター1本で弾き語る曲ですが。
  
  (松戸市/女性)
  長い間、歌詞の内容に深く興味を持っていませんでした。
  有りがち、ちょっと反省。
  調べたところ、この曲はアメリカの公民権運動を支持する歌だそうですね。
  ブラックはアフリカ系アメリカ人、バードは女性を意味するとか
  抑圧された者たちへの応援歌なんですねえ。  (小林)ていう。
  次の番組のMCたちに捧げたい。

  (小林)ああ、そうですかw なるほど。
  これは[松戸市/女性]さん
  ただ、あからさまに そういう風な感じ・・・
  「そういう風にも取れる」「取ろうと思えば取れる」ていう。
  「自由に向かって飛べ」ていう。
  取れる、という感じですかね。
  なかなかこれ、さりげない良い曲で。
  インドで作った、と言われています。w
0208ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/22(土) 15:22:14.61ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?

  リクエストの方、よろしくお願いしますね。
  リクエストも、みんなそれぞれ違っててけっこうですからw
  違ってる方が面白いから、ねw
  もう、うるさい趣味の人、ぜんぜんうるさくない人。
  まあ、身の回りに起きたことなんかも ちょっとメモしてお寄せいただきたいと思います。
  採用されると、イシイののミートボールなどセットにして送りますので。
  アドレスは
  beatles@bayfm.co.jp
  です。

  そして、ジョン・レノンの最初の奥さんが語る、ジョン・レノンの日常生活。
  なかなか興味があるでしょう?
  で、やっぱ、この人は変わった人だw てのがよく伝わってくるんですけどもw。
  ね、楽しみにしてください。
  お相手は小林克也でした。
0210ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/24(月) 18:16:06.61ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年10月23日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(10月23日)
 ・1968年。
  48年前の今日。
  第一スタジオ。
  ジョージ・マーティン・オーケストラ。
  これ、40何人ですよ、41人。
  すごいですよね、総勢41人のオーケストラが。
  これねえ、ビートルズじゃなくて、ジョージ・マーティンの仕事で。
  ビートルズのサントラていう仕事は、64年の「A Hard Day's Night」が、まあこれはサントラの形でしたね。
  それから、この日はですね、「イエローサブマリン(Yellow Submarine)」に収録される曲を奏っていたわけです。

  ジョージ・マーティンという人がいたから、ビートルズは有った、今のビートルズは有った、て言うことができると思います。  
  やっぱり、歳はねえ1926年生まれで。
  ジョン・レノンより14歳年上です。
  だから、一つ上の世代ですかねえ。二つ上の世代ですかねえ。
  数え方で違うと思うんですが。
  ロックンロールの洗礼は受けてないんですよ。
  ジャズだとか、クラシックだとか。
  で、ジョージ・マーティンはクラシックに精通していました。

  それから、ビートルズが契約したのは、端の端のレーベルだから。大きな会社の。
  で、例えば、コメディなんかの色物を作ったりとか、真ん中じゃなくて端の方の。
  まあクラシックの音楽だとか、ジャズの音楽だとかを担当していた。

  だから、例えばですよ、
  「A Day in the Life」だとか「Yesterday」だとか。
  ああいうふうなのは、ジョージ・マーティンの知恵なんですよね。
  ジョージ・マーティンからのサジェスチョンなんです。
  それから「Yellow Submarine」なんかの、あのにぎやかな潜水艦の中のような状態。
  あれもやっぱり、コメディなんかを作ってたから、もうジョージ・マーティンなんか、それ専門ですから、ねえ。
  すごい人だったわけですね。

  さあ、それじゃ。
  総勢41人のオーケストラで、48年前の今日録音したその曲とは。
  ザ・ビートルズ Sea of time

  〜 The Beatles / Sea of time
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Xe4gY-Jemzg

  (小林)アニメ「イエローサブマリン(Yellow Submarine)」から。
  ビートルズ Sea of time
  ビートルズ名義ですね。
  でも、41人のオーケストラを使っている。
0211ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/28(金) 13:32:43.10ID:???0
□ストーリー
 ・ビートルズストーリー、今回もジョンの最初の妻シンシアが遺した手記からお届けしよう。

  1965年に入り、ビートルズがMBE勲章=Member of the British Empire=大英帝国第5級勲章をもらうことが発表された。
  その理由は、ビートルズが外貨獲得に多大な貢献をした、というもの。
  こうなるとあらゆる方面で驚きの声が上がり。
  体制の柱となるような人達からは、どよめきが起こった。
  新聞各紙はビートルズへの叙勲について白熱した討論を繰り広げ。
  タイムズ紙には怒りの手紙も数多く届いた。
  しかし、ほとんどのイギリス国民は、自分たちのお気に入りのポップスターがご褒美を貰えることを喜んでいた。
  もちろん1965年当時、これはまったくもって前代未聞の事件であった。
  こういう部門でも、やはりビートルズが道を開拓した。
  まさに、「ビートルズから始まった」のである。

  最初の一報は、すっかり舞い上がっているマネージャーのブライアン・エプスタインからの電話。
  「ジョン。信じられないと思うけど。
  僕自身も最初は信じられなかったんだから。
  君たちが、MBE勲章をもらえることになったんだよ。
  たった今、確認の連絡が王室から入ったんだ。
  素晴らしいだろう?。
  さっきから何度もほっぺたをつねっているんだけど、どうやら夢じゃなさそうなんだよ。
  MBEだよ。
  女王陛下からだよw
  バッキンガム宮殿に行くんだよ!」
 
  ジョンの返事は、もう少し地に足が付いたものであった。
  「なんだって?、ブライアン。
  また、冗談かよw
  騙されないぞw
  ロックバンドに勲章なんて、そんなの誰が信じる?
  戦争に行ったやつとか、おせっかい焼きの善人とか、せいぜい体制側のやつらだろう?
  俺はだまされないぞ」
0212ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/28(金) 13:33:29.42ID:???0
  〜 The Beatles / Birthday
  ttps://www.youtube.com/watch?v=hMb1wPfE1Iw
 
  〜 The Beatles / I Feel Fine
  ttps://www.youtube.com/watch?v=WWTC5nFgwUQ

  (小林)2曲続きました。

  最初は Birthday
  お馴染みの曲ですが。
  これは「ホワイトアルバム」ですね「The BEATLES」
  1968年のアルバムから。

  そして、I Feel Fine は
  1964年の大ヒット。
  もちろん、イギリスやアメリカでもナンバーワンです。
0213ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/28(金) 13:35:13.64ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「おい、ブライアン。
  勲章って、それ、もらえるって・・・。
  俺たちビートルズがもらえるって・・・本当だったらヤバいぞ。
  シンシアやミミに早く教えないと」
  舞い上がりの伝染病は、マネージャーのブライアンからすぐにジョンに感染した。
  ジョンは早くみんなに言いたくて待ちきれなくなった。
 
  この時はまだ「へっ、こんな勲章なんて 突っ返してやろうか」などとは夢にも思っていなかった。
  ビートルズだって歴史と伝統の国 大英帝国の国民なのである。
  
  それから数ヶ月後。
  メンバー四人とブライアンは、叙勲式に向かうため宮殿に向かった。
  シンシア、モーリーン、パーティら妻や恋人たちは一緒に行けたらどんなに素敵なことかと思ったが。
  それは、誰もが許さなかった。
  ビートルズが宮殿に行くのである。
  また、あの熱狂的な狂信的な際限を知らないファンたちによって、その宮殿が取り囲まれることくらい誰にでも想像がついた。
  結果、シンシアたちは「その様子をテレビで見ることが一番賢明である」という結論に達した。

  そして、ジョンはこう発言。
  「ミミは、ギターで食っていけるわけがない、って言ってたけど。
  今回だけは、前言を撤回してもらわないとな」
  これに関しては、育ての親であるミミ伯母さんが、まだビートルズの成功を誉めてくれてはいなかったので。
  ジョンは相当不満に思っていたのである。
  そして「今度こそミミの鼻を明かしてやることができる。これは歴史的なことだ」ジョンはそう思った。

  そしてそれが現実となった。
  ついにミミが、こう言ってきたのである。
  「ジョン?。もう私、自分のことのように嬉しいわ。
  ねえ、お願いがあるんだけど。
  この勲章、私が持っていてもいいかしら?」
  もちろんジョンは承諾した。
  この日から数年間、ジョンがもらった勲章は、ミミの家のリビングのテレビの上に飾られることになるのである。
0214ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/28(金) 13:36:09.15ID:???0
  〜 The Beatles / Revolution
  ttps://www.youtube.com/watch?v=PpCVVCBA2_4

  〜 The Beatles / Martha My Dear
  ttps://www.youtube.com/watch?v=NfovHMQ8qyM

  (小林)
  1968年の「ホワイトアルバム」に入っています。
  「The BEATLES」というアルバムに入っています。
  Martha My Dear
  こう言うやつが入っているからねえ。
  ビートルズってね、幅が広くて深くなってくんだよね。

  そして、その前は Revolution というジョン・レノンのね。
  革命っていうことに対するジョン・レノンの態度表明の歌ですよね。
  これ、名曲だと言う人がいますよ。
  これがB面なんですよ。
  で、A面は何だと思いますか?
  A面「Hey Jude」ですからw
  これはすごいですよねえ。
  A面もB面も すっごい曲ですよね。
0215ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/28(金) 13:39:01.72ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ミミを満足させるのは何よりも難しいこと」
  これはジョンの口癖。
  しかし、その口癖は的を得ていた。
  それだけ ミミ伯母さんは偏屈者であり、扱いに苦労する要注意人物であった。
  この事実は、ジョンの最初の妻となった女性シンシアが書いた手記の中でも証言されている。
  この名著からもう少し。

  「もうリバプールにいるのはイヤ!」
  と電話のたびにジョンに不平をこぼしていたミミ。
  彼女には仲の良い友達がいなかったこともその理由であったが。
  それよりも、ミミの住む家、つまりジョンの実家をひと目見ようと毎日のように世界中のファンが覗きに来る。
  これはもう、ミミでなくても耐えられなかった。
  しまいにはジョンが「じゃあさ、リバプール以外だと、どこで暮らしたいんだよ?」
  と言い出す始末。

  この問い掛けに、ミミはすぐに「ボーンマス」と叫んだ。
  ボーンマスはイギリスの海辺の街である。
  ミミは以前から海辺の家に住みたがっていた。
  誰でも老後は暖かい所に住みたいものである。

  しかしジョンはミミを気遣った。
  「でもさあ、おばさん。
  そうすると、リバプールにいる兄弟や甥っ子姪っ子にも会えなくなるよ。
  それでもいいの?」
  するとミミは 高らかに笑いながらこう答えた。
  「ああ、そのこと? 
  それだったら大丈夫よ。
  ここに居たって、どうせほとんど会わないんだし。
  だいたいあの人たちがここに来る時は、何かお願い事がある時だけ。
  そんなの、どうでもいいってことよ」
  ジョンもシンシアも驚いてしまい、
  すぐに ボーンマスに良さそうな物件がないか捜し始めた。
  ミミにはケンウッドに泊まってもらって。
  なるべく安全で使い勝手のいい一軒家を捜して回った。
  これにはシンシアもかなり疲れてしまった。
  ミミ伯母さん、本当に要注意人物であった。
0216ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/28(金) 13:39:35.34ID:???0
  〜 The Beatles / You Can't Do That
  ttps://www.youtube.com/watch?v=vUIcEGH1ICE

  〜 The Beatles / Here, There And Everywhere
  ttps://www.youtube.com/watch?v=HMAf4Uq9mrs

  (小林)
  ビートルズの You Can't Do That
  「A Hard Day's Night」の、1964年のアルバムですね。
  
  そして、Here, There And Everywhere
  これは66年の「Revolver」のアルバムから。
0217ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/31(月) 13:12:41.66ID:???0
□リクエスト
  <スペシャルパーティのお知らせ>
  日時 11/30(水) 18:30開場 / 19:00開演
  詳しくはbayfmのHP参照
  ttp://www.bayfm.co.jp/info/index.html#beatles
  応募フォーム
  ttps://bayfm78.net/lk/en/enquete_form.htm?enq_id=1136

  リクエストメールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。


  (横浜市/男性)
  先日ボブ・ディラン(Bob Dylan)がフランク・シナトラ(Frank Sinatra)をカバーしたアルバム「Shadows In The Night」を購入。
  最近のディランといえば、しゃがれた声が印象的だったんですが。
  このアルバムでは、ささやくように優しく歌っていて、最初は少し驚きましたが。
  驚くほど、聴くほどに、心地良くなり。
  今ではすっかり愛聴盤になっています。
  そこで克也さんにお願いなんですが。
  本家のフランク・シナトラのバージョンを聞かせていただけないでしょうか?
  Full Moon and Empty Arms
  今の時代、ユーチューブなどを使えば簡単に聴けてしまうかもしれないけど。
  ぜひ、克也さんの紹介で、ラジオから聴いてみたい。

  (小林)w
  [横浜市/男性]さん28歳。
  じゃあ、「満月の良い月が出ているのに、両腕が空いている」という、フランク・シナトラ。
  Full Moon and Empty Arm

  〜 Frank Sinatra / Full Moon and Empty Arms
  ttps://www.youtube.com/watch?v=-9xwVTWhdeM
0218ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/31(月) 13:14:34.31ID:???0
  〜 The Faces / Jealous Guy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=KlqqlddVQs0

  (小林)えー リクエスト・・・
  ジョン・レノンのカバーをやった、ていうようなことを
  ロッド・スチュアート(Rod Stewart)が言ってますが。
  これはね、リクエストはね・・・
  50になりましたかw

  (浦安市/男性)
  10月9日はジョンと息子のショーンの誕生日。
  そこで、ジョンの数ある名曲の中から悩んだ末「Jealous Guy」の曲を思いつきました。
  ロッド・スチュアートがカバーする Jealous Guy ライブで。

  (小林)
  これは、名義はフェイセス(The Faces)ロッド・スチュアートがフェイセスのリードボーカルだったころ。
  歌もんが2つ続いちゃいましたけど、あれですね。
  フランク・シナトラの、ボブ・ディランがカバーした、オリジナルの Full Moon and Empty Arms ね。
  これといい・・・
  これはですね、声から分かるんですけども、今はシナトラの…なんてんですかね。
  後半の声を聴くと、ああいう声じゃないんですよね。
  後半、これはまあ40以前の声だと思うんですけどもね。
  すごい艶(つや)がありますよね。
  それから、えーと、40ぐらいかな?
  ロッド・スチュアートも、この人、喉を手術しますから。
  今は、あんな声じゃないんですよね。
  今は、もっと透きとおった声になっちゃってるんですよねw。
0219ジョン・キロックノン
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2016/10/31(月) 13:16:14.51ID:???0
  (小林)さて、続いて。

  (茨城県古河市/男性)
  先日、ビートルズをこよなく愛する大阪の高校時代の友人が、たまプラーザにいるので大宮に呼び出し。
  軽く飲んでから、カラオケ店に行き。
  私は「ビートルズメドレー123」を熱唱しまくり。
  友人もビートルズを歌いまくりで、ストレスが解消されました。
  その友人と約束しました。
  「今度、六本木の外国人バーに行ってビートルズを歌いまくりで、セクシーな外国人のオネエチャンとイチャイチャしようぜ」と。
  私に言わせれば、50歳以上で洋楽を歌う人が ビートルズは歌えないなんて許せません。
  そんなやつらには「ズートルビ」の歌がお似合いなんですね。(笑い)
  リクエストは、なかなかかけられないビートルズのイヤらしいジョンの歌。

  (小林)まあ、イヤらしいというか、ぶっ飛んでるんだよね、これは。
  なんての、セクシュアルな含みがあるような感じがあるけど。
  それを、ジョンの歌は越えてますから。
  [茨城県古河市/男性]さん あなたのリクエストで。
  あ、直訳するとね、「幸せとは暖かいガンで、暖かい鉄砲だ」ていう。
  まあ、タイトルの方がちょっとそれっぽいかな。
  Happiness Is A Warm Gun
  
  〜 The Beatles / Happiness Is A Warm Gun
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Tjhb6dVnyvU
0220ジョン・キロックノン
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2016/10/31(月) 13:17:18.76ID:???0
  〜 The Beatles / Michelle
  ttps://www.youtube.com/watch?v=BKvee-w0uBc

  (小林)
  Happiness Is A Warm Gun に続いては
  こんどは Michelle が流れましたねw
  雰囲気がガラリと変わって・・・・ 

  (松戸市/男性)
  両親が大のビートルズファン。
  小さい頃から我が家にはビートルズの歌が流れていました。
  時々両親が ギターを弾きながら、この歌をハモっていたので。
  自然と耳に馴染んでいて、カラオケでよく歌っています。
  
  (小林)
  はい[松戸市/男性]さんありがとう。
0221ジョン・キロックノン
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2016/10/31(月) 13:19:46.83ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?

  リクエスト ほんとに・・・
  いろんな方向からリクエストありますよね。
  ビートルズのいろんな ところとか。
  それから、ビートルズに関わる他の曲とか。
  楽しませていただいております。
  リクエスト よろしくお願いします
  採用される率、ちょっと高いんですけど、あの・・・ あ、低いんですけどw
  よろしくw

  あと、お話し。
  ジョン・レノンの話しは。
  成功したらね、いろんなことが、また、成功したなりに増えて来て。
  大変なジョン・レノンを中心に描いた、ジョン・レノンの最初の奥さんの話し。
  面白いと思います。
  また来週をお楽しみに。
  お相手は小林克也でした。
0222ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/31(月) 18:42:51.91ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年10月30日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(10月30日)
 ・1961年。
  今から55年前の今日。
  まあ、ビートルズ伝説の始まりの頃ですよね。

  その、今日から2日前。
  有名な事柄が、事件じゃないですけども ありました。
  登場人物は、ビートルズのマネージャーとなるブライアン・エプスタイン。
  ブライアン・エプスタインは実業家のお父さんから North End Music Stores=NEMS(ネムズ)というレコードショップを任されていました。
  彼が店長です。

  で、彼は、ブライアンは、大変な音楽ファンです。
  特に一番強いのは、映画関係の音楽はすごく強かった。
  でも、5年ぐらい前に始まったロックはちょっと弱かった。
  でも、彼の知識は相当なもので。
  店では、イギリス国内で発売されているレコードは全て在庫している、ということをモットーにしている。
  それから、彼は店長として仕入れるわけですよね、
  で、ヒットするかしないかを当てる名人だった。
  「これは、大ヒットするだろう。だから、うちはもう(例えば)100枚は売り切れるから100枚買おう」とか。
  「これはヒットしないだろう。まあ、5枚くらいでいいかな」
  そういうふうな、仕入れの天才。
  で、仕入れたやつは全部売り切る。
  そういうことをモットーにしておりました。

  ところがですよ。
  55年前の今日の2日前に、有名な「レイモンド・ジョーンズ」なる青年ていうか若者がですね。
  「ビートルズのマイ・ボニー(My Bonnie)をください」
  ところが、店長のブライアンは知らないわけですよ。
  「なんだ、それは?」
  そしてその日の午後、もう一人来るんですよね。
  「ビートルズのあの曲をください。マイ・ボニーをください」
  そして2日後、それが今から55年前の今日ですw
  二人の女の子が「ビートルズのマイ・ボニーをください。ありますか?」
  無いわけです。

  で、伝説としては、「これはちょっと、俺としては・・・」ていうことで。
  アリステア・テイラー(Alistair Taylor)という人を連れて、近くの、まあ近くにキャバーン・クラブがあるわけですよね。
  そこへ、ビートルズを見に行くという話し、ご存知だと思いますが。
0223ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/10/31(月) 18:44:31.44ID:???0
  さあその「マイ・ボニー」というのは、いったい何であったかというと。
  ビートルズがハンブルグに行ってる時に、先輩格のトニー・シェリダン(Tony Sheridan)というイギリスのロックンローラーから
  「バックを頼むよ」っていう、「伴奏をね、頼むよ」ていうことで。
  それをプロデュースしていたのは、イージーリスニング系の音楽では、日本でも大ヒットを飛ばしていたベルト・ケンプフェルト(Bert Kaempfert)という人で。
  彼は、フランク・シナトラ(Frank Sinatra)の「Strangers in The Night」を作曲したりして、レコード会社では偉い人。
  彼がプロデュースしたわけですね。
  で、「まあ一発録りだから、学校の体育館みたいな所でいいだろう」っていうところで奏った。
  あの音、みなさん知ってますよね?

  あらためて聴きましょう。
  トニー・シェリダン(Tony Sheridan)&ビートボーイズ(Beat Brothers)
  ビートボーイズって名乗っておりました。
  トニー・シェリダン&ビートボーイズ「マイ・ボニー」 

  〜 The Beatles With Tony Sheridan / My Bonnie
  ttps://www.youtube.com/watch?v=IgkAgyQgEH4

  (小林)いかがですか?
  ねえ、伴奏を勤めた。
  そしてバックで、声を出していましたねえ。
  面白かったですね。
  この曲は まあ、みなさん小さい頃に学校で習ったりする曲の一つですけども。
  これを、ロックにしたバージョン。
  面白いのは・・・トニー・シェリダン。
  「ブリーン バック、ブリーン バック」って歌ってるんだけど。
  バックで、ポールだとかジョン・レノンはね「ブリーン バッカ、ブリーン バッカ」って。
  ちょっとこれ黒人ぽい出し方やってるんですね、あれ面白いですよね。
  ビートルズの方が、やっぱりもう入り込んでるってのが、よく分かります。
0224ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/02(水) 19:31:23.87ID:???0
□ストーリー
 ・ビートルズストーリー。
  今回もジョンの最初の妻シンシアが遺した手記からお届けしよう。

  まずは、シンシアの証言から。
  彼女はこう語っている。
  「ジョンの育ての親であるミミ伯母さんに家を買ってあげるなんて、ジョンはほんとうにお人好し。
  というか、突然、気前が良くなる時があるんです」
  最初は イングランドの南部に位置する海辺のリゾート地であるボーンマス(Bournemouth)の物件を探していたのであるが。
  なかなか良い物が見つからない。
  結果、ボーンマスの隣りに位置するプール(Poole) という漁師町の海が見える絶好の場所に落ち着いた。

  ミミがそれまで住んでいたリバプールの家を6000ポンドで売却し。
  新しい家に25000ポンドを支払った。
  これは当時ジョンとシンシアそして息子ジュリアンが住むケンウッドよりも高い価格である。
  さすが、海辺の家は高い。

  1965年の夏、ミミが引越しを済ませ、プールの家に落ち着くと。
  ジョンたち家族3人で訪ねて行った。
  ミミは気ままな一人暮らしであること、環境が良いことで、リバプールにいた時よりもずっとゆったりしているように見えた。
  ここは太陽がまぶしいくらいだったので、ビーチに出ることにした。
  急いでピクニックの仕度を整え。
  バケツとシャベルを買って、砂のお城を作ったり、浅瀬でバチャバチャ音を立てて水遊びをしたり、日光浴をしたり。
  ジュリアンは大喜びである。
  ジョンはつばの広い日除け帽をかぶり、短パンにTシャツ姿だったので、大勢の人がいるビーチでも、誰にも気付かれずに済んだ。
  まさに天国。

  ジュリアンも自分たちも、これからは好きな時にいくらでも、ここまでミミに会いに来ればいい、と思っていたのであるが。
  悲しいことに、この時がジョンの家族にとって、最初で最後の訪問になってしまった。
  なぜなら、ジョンはますますミュージシャンとしての仕事が忙しくなって。
  その後何年も、ミミと会うチャンスは訪れなかったのである。
  そして、ミミに関しては、さらに一悶着があった。
0225ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/02(水) 19:32:05.28ID:???0
  〜 The Beatles / Mother Nature's Son
  ttps://www.youtube.com/watch?v=lHJdXMuiXRg

  (小林)いかがですか?
  1968年のあの「ホワイトアルバム」=「The BEATLES」の中に入っている
  Mother Nature's Son

  ご存知のとおり・・・
  まあ、半ば騙されてw ビートルズたちはインドへ行くわけですが。
  インドでポールとジョンは、すごい量の曲を書くんですよね。
  だから、あの時は騙されて行ったんだけど、経済効果はすごかった。
  と言うことが出来るんですが。
0226ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/02(水) 19:33:49.01ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンの気前の良さは、もう病的でしたね。
  私たち庶民の感覚とは、あまりに違いました」  
  これはジョンの最初の妻シンシアの証言。
  彼女が遺したジョンとビートルズのストーリーを続けてみよう。

  ジョンが気前のいい理由。
  それは、ビートルズが大ブレイクして、大金持ちになった今。
  その財産を「一族や友達に別けてあげたい」という気持ちからであった。
  ジョンは先ず、シンシアの母親のために、自分たちが住むウェイブリッジからも近い場所に家を買ってあげた。
  お母さんが住んでいれば、シンシアも安心できるし。
  ジョンとシンシアが出かける時も、孫のジュリアンを見てくれて本当に助かった。

  ジョンとシンシアは、ジョンの叔母さんのミミと、シンシアの母親に毎週30ポンドのお小遣いを渡していた。
  シンシアのお母さんは、これをものすごく喜び「うれしい」と言って 。
  そのお金のほとんどを、ジョンとシンシアの家に飾れそうな装飾品や骨董品を買ったり。
  ジョンのコレクションになりそうな時計を買ったりして、結局はジョンのために使った。
  ところが、ミミがこの事を知ると、またややこしい事に発展してしまった。

  ある日電話が鳴って、シンシアが「もしもし」と言うか言わないかのうちに
  ミミがマシンガンのようにまくし立てた。
  「あなたのお母さんが、私と同じ額のお小遣いをもらってるって聞いたんだけど。
  それって、どういうこと?
  ジョンからお金をせしめる道理が、いったいどこにあるわけ?
  ジョンに伝えといて、私がことのほか気を悪くしてるってね」
  シンシアが反応する前にガチャンと電話は切れた。

  このことをジョンに話したら、ミミのことは相手にしてもしょうがない、という反応である。
  ジョンはさらにこう続けた。
  「それがミミなんだよ。シン。
  絶対に満足するってことを知らないんだから。
  君ももう分かってるだろ? 放っとけ。
  考えたって、どうしようもならないんだから」
0227ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/02(水) 19:34:30.47ID:???0
  〜 The Beatles / When I Get Home
  ttps://www.youtube.com/watch?v=PdvDXqTE0UY

  〜 The Beatles / You Can't Do That(Live at Hollywood Bowl)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=q2SD7teI8vQ

  (小林)wwこれは(You Can't Do That)、出されたばっかりの・・・
  「Hollywood Bowl」ロサンゼルスのね、ハリウッドボウルでのライブ。
  もう、女の子のね、嬌声がすごいわけですけども。
  ちょっと抑えてあるのかな?
  音は良くなっています。
  この曲は、ちなみに、そのアルバムにボーナストラックとして入ってて。
  だから、当時は入ってなかった、曲ですよね。
  
  そしてその前は・・・
  1964年「「A Hard Day's Night」のアルバムから。
  When I Get Home
0228ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/02(水) 19:36:37.97ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「終始気前の良いジョンの恩恵を受けたのは、育ての親であるミミ伯母様だけではありませんでした。
  それにしても、ここまで気前が良いと、これはもう病気ですね」
  この発言はジョンの最初の妻シンシアのもの。
  彼女が遺した手記の中から。
 
  ジョンの成功の恩恵にあずかったもう一人は、学生時代からの古い友達=ピート・ショットン。
  ピートはジョンがリバプールで高校生の頃に結成したバンド=クォーリメン(Quarry_men)のオリジナルメンバー。
  そして、幼馴染み。
  ミュージシャンとしての才能は恵まれなかったようで、早いうちに脱退していた。
  しかし、それでもジョンとピートの友情は続いていて。
  ジョンはピートがスーパーマーケットを開業するに当たって、銀行にも相手にされていないピートに資金として2万ポンド。
  現在の貨幣価値で、なんと億単位の金を援助している。

  このピートの店は、ジョンが家族と住んでいたウェイブリッジからそれほど遠くないヘイリングアイランドという所にあった。
  そのためピートは、しょっちゅうジョンの家にやって来た。
  いつもなんの連絡もなく、フラッと現われては、当たり前のように2〜3日は泊まって行くので。
  さすがにシンシアも腹が立って仕方がなかった。
  後に ビートルズがアップルという会社を設立した時には、
  ジョンの一声で、このピート・ショットンをアップルの社員として雇い入れることにもなる。

  そしてこのジョンの気前の良さは、ミミやピートだけに留まらなかった。
  あまり知られていないことであるが、ジョンには2人の妹がいたのである。
  ジョン家ケンウッドを訪れた妹たちのストーリーは、来週たっぷりお届けすることにしよう。
0229ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/02(水) 19:38:28.35ID:???0
  〜 The Beatles / I'll Be Back
  ttps://www.youtube.com/watch?v=b-IuUQ8JD4g

  〜 The Beatles / I've Got A Feeling


  (小林)いやあ。
  ビートルズが始まった頃の曲ね。
  I'll Be Back
  「A Hard Day's Night」のアルバムね。
  これ64年。

  そして今聴いたやつは
  I've Got A Feeling
  これ、ちょっと違うバージョンだったのは、判ったでしょうかw
  「Let It Be」のアルバム・・・
  「Let It Be」を ポールが ほら、「やり直せ!」って、ちょっとやり直した「Naked 」の
  2003年のアルバム。
  でも、なんかポールとジョンが仲が良さそうで、これが流れると、なんか安心しましたね。
  I've Got A Feeling
0230ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/05(土) 16:56:42.89ID:???0
□リクエスト
  その前に<恒例のスペシャルパーティのお知らせ>
  日時 11/30(水) 19:00開演
  場所 オオクラ千葉ホテル
  75組150名の方ををご招待
  詳しくはbayfmのHP参照
  ttp://www.bayfm.co.jp/info/index.html#beatles
  応募フォーム
  ttps://bayfm78.net/lk/en/enquete_form.htm?enq_id=1136>
  ハガキFAXでも受け付け
  締め切りは11月20日到着分まで


  (小林)最初の方。61になったね。
  [横浜市/男性]さんはもう11年、もう全部この番組聴いてるんじゃない?
  大レギュラーですね。何回紹介しましたかねえ。
  もう10回以上ですね、20回ぐらい紹介してますかね?

  (横浜市/男性)
  ビートルズのライブアルバムを買いました。
  演奏が良く判るすごいクオリティですね。
  この演奏をワーキャーで消されては、やる気が失せると思います。
  しかし観客としては、やむを得ないことだったんでしょうね。  (小林)w
  映画が22日から上映されますが、やはり50年前と同じ台風が来ますね。なんの因縁か。
  リクエストは日本公演のオープニング曲。
  
  (小林)それでは大レギュラー[横浜市/男性]さんのリクエスト
  Rock & Roll Music

  〜 The Beatles / Rock & Roll Music
  ttps://www.youtube.com/watch?v=18mxYphnOAE
0231ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/05(土) 16:58:08.17ID:???0
  〜 The Beatles / Here Comes The Sun
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1Y1wSvfrfYw

  (小林)
  やっぱりジョージ・ハリスンじゃないとこれは書けないよね。
  ビートルズは、やっぱりジョージ・ハリスンがいたっていうことで、ぜんぜん違いますね。
  ということで、ああ、これは[浦安市/男性]さん。
  というわけで、曲は Rock & Roll Music から いきなり Here Comes The Sun
  ビートルズの、まあ、十八番(おはこ)w 古い言い方ですがw
  そういうのが流れましたw

  (浦安市/男性)
  今年の秋の始まりは、雨が多くて、時々晴れると太陽のありがたさが実感できました。
  そこで Here Comes The Sun     (小林)ていうw
  追伸。
  ベイエフエム開局27周年、おめでとうございます。

  (小林)ありがとうございます。
0232ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/05(土) 17:02:28.55ID:???0
  (小林)よく名前を・・・
  また、大レギュラーの方が登場いたします。[渋谷区/男性]さん。
  この人も、あれですね、やっぱりこの番組を初めからずっと聴いてる人でしょうね。

  (渋谷区/男性)
  映画「EIGHT DAYS A WEEK」を観て来ました。感動です。
  映画タイトルを見ながら思い出したことがありました。
  ビートルズと同じ頃デビューしたスペンサー・デイビス・グループ(Spencer Davis Group)のアルバムで
  「Eight Gigs a Week」というのがあったような気がします。
  日本ではあまり知られていないと思いますが。
  とても黒っぽいグループなのでとても好きでした。
                         (小林)そう「黒っぽい」って日本人が使うけどね。
                             これ、ほんとに黒っぽいっていうのは問題。問題だよね。
                             どういうところが黒っぽいのか、っていうのが・・・
  こんどCDショップで捜してみたいと思いますが。
  今日は「Gimme Some Lovin'」を聴かせていただけませんか?。
  ビートルズがカバーしている曲は、オリジナルを越えて素晴らしい出来ですが。
  スペンサー・デイビス・グループのカバーもなかなかのもんだと思いませんか?
0233ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/05(土) 17:04:01.18ID:???0
  (小林)ていう。
  これは、オリジナルですね。
  スペンサー・デイビス・グループっていうのは。
  文字通りスペンサー・デイビスっていうミュージシャンが頭(かしら)なんですけども。
  実は、スティービー・ウィンウッド(Steve Winwood)って知ってますかねえ。
  80年代すごいヒットをソロとして出していますよ。
  スティービー・ウィンウッドのお兄ちゃんが、もう信頼されてこのスペンサー・デイビス・グループでやっていました。
  で、ボーカルを探すわけですよ、ボーカルを。
  で、なかなか良いボーカルがいないんですよ。
  で、「そういえば 弟はすごい」と、「うちの弟はほんとすごい」と。
  ちょっと歳は若いけど、連れて来てバンドといしょに奏らせてみよう、ってことで連れて来るわけですよ。
  そしたらみんな、彼が歌うとポカーンと口を開けて「おっ、すっごいじゃない!」
  でも、その、なんていうんですかね、若さ・・・
  この日はですね、なんとスティービー・ウィンウッドは 半ズボンを履いてきたんです。
  ほんとにもう、まだ大人じゃないというw。印しですよね。
  で、その子供がね、14〜5歳のころ連れて来られるわけですけども。
  すごいっていうことでレギュラーになって。
  これから聴く曲は、もうスタンダードナンバーです。
  映画なんかでも、よく使われた。
  「ブルース・ブラザーズ(The Blues Brothers)」で使われたのかな? これは。
  だから、黒っぽいて言うふうに[渋谷区/男性]さんが言っているのは
  「この曲は、まるでリズム&ブルースの曲みたい」
  でも、実はスペンサー・デイビス。
  それから、そのスティービー・ウィンウッドのお兄ちゃん。
  スティービー・ウィンウッドもボーカルとして「ここはこう直した方が良いんじゃない?」ていうことで。
  この3人のオリジナルです。
  だから、これオリジナルなんですからね。
  こんなすごいグループがいたっていうことをね、忘れないでくださいね。
  スペンサー・デイビス・グループ  Gimme Some Lovin' 

  〜 Spencer Davis Group / Gimme Some Lovin'
  ttps://www.youtube.com/watch?v=VjLIESmLdhg
0234ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/05(土) 17:06:06.75ID:???0
  〜 The Beatles / While My Guitar Gently Weeps

  (小林)いや、今日はリクエスト、ジョージの曲が2曲流れました。
  ジョージといっても、これはけっこうジョージの友達のエリック・クラプトン(Eric Clapton)が来てね
  助けたことはお馴染みだし。
  この曲は ほんと エリック・クラプトンが入ってすごいものになってるし。
  また、歌詞なんかもね、この曲が気に入ってる人は 全部自分の物にしてくださいね。  

  (市川市/女性)
  シンシアの手記も、ビートルズの奥さんならではの苦労が聞けて面白くなってきましたね。
  ポールやジョンの影の立役者として、がんばっていたジョージ・ハリスンですが。
  「Something」や「Here Comes The Sun」のような 地味に良い味を出した名曲を歌っていたのもジョージならでは。
  意外に忘れられないジョージの名曲。
  While My Guitar Gently Weeps みたいな名曲もぜひオンエアーしてください。

  (小林)ていうことで、リクエストおかけいたしました。
  だけど、あれはねえ、エリック・クラプトンの名前が入っていない、ていう。
  とにかくほら、この人たちは、「鉄のルール」を守っていたわけですよね。
  ジョンだけが書いても「ジョンとポール」
  ポールだけが書いても「ジョンとポール」
  まあ、エリック・クラプトンが書けば もちろん「エリック・クラプトン」ですけども。
  他の、ほら、エリックなんかのクレジットは無いわけですね。
  これは、あの・・・
  昔はみんなそうだった。
  日本の歌謡曲なんかもね。
  例えば、有名な、ジャズで有名なサックスの人とか、ドラムズの人がフィーチャーされてよく歌謡曲の中に入っているわけ。
  絶対に、その人たちの名前は書いてないものね。
  そういう、今だとちょっと考えられないような、感じですよね。
0235ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/05(土) 17:07:20.86ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?

  リクエスト、どうもありがとうございました。
  リクエスト、レギュラーの方ばっかりじゃなくて。
  もう、新入りもいっぱい紹介しますんで、よろしくお願いします。
  beatles@bayfm.co.jp
  採用されるとイシイのミートボールなどをセットにして贈らせていただいています。
  
  それから11月30日
  「ビートルズから始まる スペシャルパーティ」
  これは盛り上がりますから。
  それぞれ調べて、必ず応募してくださいね。
  待っております。
  というわけで、お相手は小林克也でした。
0236ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/05(土) 17:51:51.11ID:???0
>>230
<スペシャルパーティ>は主催者の都合により中止となりました。
詳しくはbayfmのHP参照
ttp://www.bayfm.co.jp/info/index.html#beatles
0237ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/07(月) 18:24:17.37ID:yMmIbULS0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年11月06日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(11月6日)
 ・今日はビートルズのことじゃないんですが。
  ビートルズに関係あります。
  
  1968年。
  今から48年前の今日。
  ジョー・コッカー(Joe Cocker)が、あの「With A Little Help From My Friends」
  これは「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」のアルバムの中でリンゴ・スターがいきなり歌うやつですが。
  これを、ジョー・コッカーがカバーした曲が、イギリスでナンバーワンになった。
  若い方もいっぱい聴いているこの番組、「ジョー・コッカーっていったい誰?」ていうね。
  この頃のジョー・コッカーの存在感はすごかったんですよ。
  この曲でヒットして、すごいことになるんです。

  もともとは、この人はビートルズみたいにシンガーソングライターじゃない。
  歌は・・・作らない人なんですよ。
  歌がすごいんですよ。
  それで、この人の歌い方は、もう、なんか、この世の終わりみたいなw 感じで歌うんです。
  で、「ブルーアイドソウル」って言いかたありますよね。
  あれは「白人が黒人のマネ」つんだけど。
  黒人たちも一目置くんんですよ、この人。
 
  僕はライオネル・リッチー(Lionel Richie)に会った時に。
  ライオネル・リッチー、東京音楽祭で、ジョー・コッカーが隣にいて。
  「上がっちゃったよ」みたいな話しをして。
  この人は、ほんと別格です。

  で、この「With A Little Help From My Friends」ていう曲はですね。
  「僕がちょっと音痴で 外れて歌っても 助けてくれるかい?」ていう歌なんですよ。
  それを、ジョー・コッカーが歌うてのは、どういうことかというとね。
  もう一つ大切なのは。
  この頃はねえ、もうヒッピーなんかの時代で「イケナイもの」があふれていて。
  で、ジョー・コッカーは、まあ、はっきり言って、この人はもう、そういうものをやったりとかね。
  アルコールとか、飲んでステージに上がるんですよ。

  東京へ来た時も、東京の代々木公演のライブでビールをしこたま飲んで。
  それで、歌の途中でステージの脇に行って吐いてるわけです。 
  ステージの上で吐いたりとか、そういうふうなことをやる人なんです。
  その人が、歌になるとビシッと決めて、ワアーっと歌うわけ。
  それで、その歌の内容が「俺がちょっと外したら みんな 助けてくれるかい?」っていう。
  もう、みんなお客がもう彼に引き込まれるんですよ、これを。
  だから、これこそ本当のカバーバージョンですよね。
  リンゴのバージョンじゃなく、まったく違うふうに歌ってヒットさせた。
  残念ながら、そのジョー・コッカーは一昨年肺がんのために70で亡くなっていますが。
0238ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/07(月) 18:25:55.66ID:???0
  さあそれじゃ、そのジョー・コッカーの、リンゴ・スターの歌です。
  With A Little Help From My Friends

  〜 Joe Cocker / With A Little Help From My Friends
  ttps://www.youtube.com/watch?v=_wG6Cgmgn5U

  (小林)これはもう、延々と奏ってるわけですよねw
  これも、一つの完璧なカバーバージョンのカタチですよね。
  ジョー・コッカー。
  まあ、ムチャクチャって言うとおかしいですけども。
  そういうような、なんか、いろいろ恵まれない人だったわけですよね。
  だから、生き方も特別だった、ていう。

  80年代、ライオネル・リチーなんかが参加した東京音楽祭。
  僕はですね、番組で、彼にインタビューができるはずだったんですよ。
  それで、その夜、みんなパーティがあって。
  みんなもう揃ってるんだよね、出演者たちは。
  で、ジョー・コッカーも成田へ、だいぶ前に着いたっていうのに。
  「成田から出れない」っていう。えぇw 事情がありましてw
  どういう事情かw もうね、推察できると思いますが。
  そんなエピソードがいっぱいあるジョー・コッカーをお送りしました。
0239ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/11(金) 18:55:27.19ID:???0
□ストーリー
 ・ビートルズストーリー、今回もジョンの最初の妻シンシアが遺した手記からお届けしよう。
  
  ジョンとシンシアが初めて住んだ一軒家、というかお屋敷ケンウッド。
  あまりに荒れ果てて使いにくかったこの家の大改修が終わり、やっと落ち着いたころ。
  ジョンの妹、ジュリアとジャッキーが泊まりに来てくれた。

  ジョン・レノンのファンの中でも、ジョンが一人っ子であると思ってる人もかなり多いみたいであるが。
  実は、ジョンの母親が最初の夫=フレッド・レノンと別れ、次のパートナーとの間に二人の女の子を儲けている。
  それが、ジュリアとジャッキー。
  元気いっぱいで可愛らしいティーンエイジャーの二人は、胸をときめかせながら有名人になった兄を訪ねて来た。
  ジュリアは中等教育終了共通試験で 上級試験に合格。
  こえからチェスターカレッジに進み、フランス語を勉強しようと思っているところだった。
  妹のジャッキーには、美容師になるという目標があった。
  当時のイギリスの女の子の中で、美容師というのは大人気職業だったのである。

  ジョンはリバプール時代からこの二人の妹を可愛がり、しょっちゅう家に遊びに行っていた。
  そんな中、ジョンが結婚し、リバプールを1年半前に離れて以来の兄妹の再開であったため。
  ジョンもシンシアも、二人を喜ばせてあげようとプランを練っていた。
  二人はまず、飛行機に乗ったことがなかったので、チケットを押さえて送ってあげた。
  ロンドンのヒースロー空港へは、レノン家の運転手アンソニーにロールスロイスで迎えに行ってもらった。

  到着すると、さっそく家の中を案内。
  ジョンが得意気なのは、黙って見守るシンシアにはよーく判った。
  大きなソファーを置いた広々としたリビング。
  オーク材を張りめぐらしたダイニングと、それを照らす豪華なシャンデリア。
  そして6つのベッドルーム。
  この家には、十代の女の子の目を丸くさせるもので いっぱいだったのであった。
0240ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/11(金) 18:56:10.58ID:???0
  〜 The Beatles / Two of Us

  〜 The Beatles / For No One
  ttps://www.youtube.com/watch?v=bR-H8L544TI

  (小林)2曲 続きましたね。

  1970年になりますね。
  「Let It Be」に入っていた Two of Us
  この曲は好きな人はけっこう多いですよ。

  そして
  「Revolver」の中から
  For No One
0241ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/11(金) 18:58:18.01ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「えっ? なに? この部屋、学校の体育館みたいに広い。
  革張りのソファー、シャンデリア。
  なになに? いったい何人が泊まれるのぉ?
  もう、すごすぎる!
  お城みたいじゃない!」

  これは あまり知られていないジョンの妹二人が、兄の住むケンウッドを訪ねた時の驚きの反応。
  そしてその中でも一番ビックリしたのは ジョンとシンシアが使っているベッドルーム。
  一面に敷きつめられた白い絨毯、専用のバスルームにはジャグージ付きの最新式バスタブ。
  男女別の洗面台もあった。
 
  このジョンの妹=ジュリアとジャッキーが泊まっている間。
  ジョンは3回ほどレコーディングスタジオに行かなければならなかったのを除いては、
  ずっと妹たちと過ごすことができた。
  ジョンが留守の間は、シンシアが二人をロンドン見物や買い物に連れ出した。
  運転手のアンソニーとシンシアとで、珍しいもの面白いものを見せ、体験させ、
  マジカル・ミステリー・ツアーのような楽しさいっぱいの小さな旅を演出した。
  最後に行った百貨店「ハーベイニコルズ」では「欲しい物、何でも好きなだけ選んでいいわよ」とシンシアが二人に告げると。
  「そんなこと、ほんとに信じていいの?」と信じられない様子。
  でも次の瞬間、本当に嬉しそうに笑って、洋服選びに夢中になった。
  あれこれ試着してみては棚に戻したり、気に入って大喜びしたり、それはもう大はしゃぎである。

  「いくらなんでも、これはダメよね? 高すぎるもの」
  するとシンシアは「つまらないこと言わないで。何でも好きな物って言ったはずよ」と切り返す。
  シンシアは二人が洋服を選んでいるのを見ているだけで、最高に幸せな気持ちになった。
  ジョンは妹たちが可愛くて、めちゃくちゃ甘えてもらいたいと思っていた。
  シンシアにとっても、二人は気立てが良くて、きちんと躾けられていて、こんなに無邪気に喜んでくれて。
  可愛くてたまらない女の子たちだったのである。
0242ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/11(金) 18:58:54.95ID:???0
  〜 The Beatles / Please Mr. Postman
  ttps://www.youtube.com/watch?v=cAa8s0yxf0c

  〜 The Beatles / Strawberry Fields Forever
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rdIeSHYin88

  (小林)お馴染みの曲が 2曲。

  63年「With The Beatles」から Please Mr. Postman
  もちろん カバーですね。
  ビートルズの名カバー。

  そして1967年。
  「Magical Mystery Tour」から
   Strawberry Fields Forever
0243ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/11(金) 19:00:31.24ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンの二人の妹たちは本当に可愛くて、なんでも買ってあげたい気分でした」
  この発言はジョンの最初の妻シンシア。
  彼女のリアルな手記から。

  リバプールから初めての飛行機に乗ってロンドンへやって来たジョンの妹ジュリアとジャッキー。
  百貨店での買い物がひとしきり終わったところで、ジョンとシンシアの長男ジュリアンが厭きてしまってむずかり出した。
  ということで、こんどはそのジュリアンを連れて子供服売り場へ行く。
  三人であれこれ手を貸しながらジュリアンにジーンズやセーターを試着させた。
  どれも黒いものばかり。
  新しい服を着たジュリアンは、得意気にポーズを取ったり、踊って見せたりするので 
  店員も妹たちも買い物客も、そしてシンシアまでお腹をかかえて苦しくなるくらい笑ってしまった。
  パパそっくりなのである。
  まさに、「ミニビートル」である。
  足りないものは 小さなギターだけ。
  こうして夕方には、車のトランクいっぱいに妹たちの洋服を積んで家路についた。

  次の日の夜は、二人にとって一番のハイライト。
  兄ジョン・レノンのライブステージを初めて見るのである。
  ビートルズはフィンズベリーパーク・アストリアという劇場のステージに立つことになっていて。
  ジョンは二人をVIPとして招待していた。
  会場まで二人をロールスロイスで送り、その車にはシンシアと、珍しくジョンも一緒に乗っていた。

  会場の外では大勢のファンが渦を巻き、凄まじい絶叫をあげ。
  中には 我を失って気絶する女の子たちもいて。
  警官隊は群衆を押し留めようと汗だくになっている。
  このあまりの光景に、ジュリアもジャッキーも目を丸くした。
  このあと、さらにビックリの連続になるビートルズのステージレポートは、また来週ということで。
  どうぞご期待ください。
0244ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/11(金) 19:01:04.21ID:???0
  〜 The Beatles / She loves you
  ttps://www.youtube.com/watch?v=yr22Iv-g1kY

  (小林)これはw すごいw

  「Live At The Hollywood」
  まあ、今年改めて音が良くなったりして発売になっていますが。
  その中からお送りしました。
  もちろん 録音は1964年、夏ですね。
0245ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/12(土) 16:22:26.44ID:???0
□リクエスト
  その前に<重要な発表>
  11月30日開催予定のスペシャルパーティは
  出演予定の華原朋美さんの体調不良のため中止となりました。


  (東村山市/女性)
  9月公開のビートルズ映画「EIGHT DAYS A WEEK」を観てきました。
  ライブ会場に来ているファンの熱狂ぶりがものすごくて。
  だんだん、大型会場や、音楽機材や、警備体制も追いつかなくなって。
  ビートルズ本人たちも疲れていき。
  ライブをしなくなって行く様子が、よく描かれていました。
  一本のマイクスタンドに顔を寄せ合って歌うポールやジョージの姿がとてもキュートで。
  自分が観客だったら、やっぱり絶叫するだろうと思いました。 (小林)w
  そういえば、イントロ無しの「HELP!」の歌い出し、目くばせとかしてなかったように思えるけど。
  どうやって合わせたのか、これから観に行く人、教えてください。

  (小林)ていう。
  やっぱりね、これは「HELP!」ですからねw
  すごいと思いますけどw。
  これはねえ、種明かしすると、あれだよね。
  だいたい、僕の予想だと、足でやってると思うんだけどw
  どうか、わかんないですよね。
  本当にそうなんですよ。
  これ、ビートルズのライブをですね、ローリングストーンズ(Rolling Stones)の連中なんかも観に来る時があるわけですよね。
  で、自分たちのコンサートでは考えられないくらい、こんな大騒ぎの中で。
  ミック・ジャガー(Mick Jagger)たちが、言ったことがあるんですよね。
  「よく、コンサートやってられるなあ」って。
  「これだと、絶対おれたちは出来ないよ」っていう。
  そんなすごいんですよ。
  だから、あの頃の、アンプの出力とか、ちょっと詳しくはわからないんですけども。
  あれだったら絶対無理だった、と思うんですけどもね。
  それが、記録されて残ってるてことは、大したものですね。
  
  さあ、それじゃ。
  僕の説では、絶対足でカウントを取ってるかなんか やってると思われるw
  [東村山市/女性]さん、あなたのリクエストに応えて、ビートルズの「HELP!」です。

  〜 The Beatles / HELP!
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ixt1qfIgWEw
0246ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/12(土) 16:23:49.14ID:???0
  〜 The Beatles / All My Loving
  ttps://www.youtube.com/watch?v=twjKjcEO8qI

  (小林)Help から All My Loving
  
  (品川区/女性)
  私が小学校3年生の時ビートルズが来日公演をしました
  まだ小さくてよくわからず、中学1年で初めて「ヤア ヤア ヤア!」の映画をテレビの放送で見ました。
  「 All My Loving」がかかり、4人の姿が映るのを見た時、心に電気が流れ、目が釘づけになりました。
  それ以来の 大ファンです。

  (小林)で、 「All My Loving」ねw
  はい、ありがとうございます。
  もう、これだけで、もうね。
  小学3年生、すぐ、パッと。
  僕ら、歳がパッと判ったりしますけど。
0247ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/12(土) 16:25:20.40ID:???0
  (木更津市/男性)
  いつも楽しいビートルズの放送ありがとうございます。
  最近では、ビートルズの映像を容易に鑑賞できますが。
  その中でも 私が最も好きなシーンは、
  アビーロード・スタジオの屋上   (小林)アビーロード・スタジオじゃないですよ。[木更津市/男性]さん。
                           これは、アップル・・・自分たちの会社ですよね。
  あの屋上でジョンが熱唱している「Don't Let Me Down」です。
  今から47年も前に撮影された映像を感動しながら見ています。
  そこで、今回は「Don't Let Me Down」をリクエストします。  (小林)w ええw
  最後に、いつまでもこの素晴らしい番組を続けてください。

  (小林)ていう。
  ありがとうございます。[木更津市/男性]さん。
  さあ、それじゃ、例のあの曲。
  どうするんですか? いっしょに歌うんですか? あなたは。

  〜 The Beatles / Don't Let Me Down
  ttps://www.youtube.com/watch?v=NCtzkaL2t_Y
0248ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/12(土) 16:27:36.51ID:???0
  〜 Carpenters / Superstar
  ttps://www.youtube.com/watch?v=EezQX8_QPRQ

  (小林)いやあ
  これ、名曲ですよ、名曲ですよ。

  (茨城県常陸大宮市/男性)
  ビートルズ、今から・・・  (小林)え?
  今から「ビートルズから始まる」を聴くところです。 (小林)はァ リクエストを書いてくれたのがね。
  明日から仕事 の憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれる、日曜の楽しみです。
  ビートルズを聴き始めたころ、カーペンターズ(Carpenters)も聴くようになりました。
  ビートルズのカバーもたくさん歌っていますよね。  
  カレン(Karen)のあの澄んだ声、ウットリしてしまいます。
  カーペンターズを聴くきっかけになった寂しげなイントロ、重ぐるしいベースで始まる曲。
  「Superstar(スーパースター)」です。
  もちろん、私にとってのスーパースターはビートルズです。
  
  (小林)ていう。
  いや、これは[茨城県常陸大宮市/男性]さんが すごいよく聴いてるっていう。
  これはねえ、例えばほら、ビートルズがジョージ・マーティンの元、マッカートニーもレノンも素晴らしいアレンジをやった。
  これはねえ、カレンのお兄さんの最高傑作ですよ。
  で、カーペンターズの良さってのは・・・
  なんての? 「Top of the World」ていうのも、まあ、ああいうのも良いんだけど。
  楽しいやつも良いんだけど。
  こういうふうに、悲しいやつが、やっぱり最高です。カーペンターズはね。
  あのほら、ロックのギタリストに憧れる、グルーピーの女の子の悲しい物語なんですよ。
  ええw
  あ、ちょっと、リチャード(Richard)は、これ歌詞も変えてるんですよね。
  今日、冒頭にお送りしたジョー・コッカーの仲間のレオン・ラッセル(Leon Russell)ていう人が作った曲で。
  まあ、あの頃は、時代が違ってますからね。
  ちょっとリチャード・・・歌詞をちょっと、青少年向けに変えてます。
0249ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/12(土) 16:28:50.88ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)というわけで。
  ますます面白くなっている、ジョン夫婦の話しも期待してくださいね。
  
  リクエストは
  beatles@bayfm.co.jp
  採用されるとイシイのミートボールなどをセットにしてお送りしています。
  お相手は小林克也でした。
0251ホワイトアルバムさん
垢版 |
2016/11/13(日) 00:23:16.97ID:???0
ここ数年スペシャルライブのクオリティがあまり…
これを機にビートルズフリークの定番ミュージシャンで立て直して欲しいところ
0252ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/15(火) 13:13:40.27ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年11月13日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(11月13日)
 ・1966年。
  今からちょうど50年前の今日。
  日曜日でした。
  ビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインは、いろんな仕事をし始めます。  
  もうビートルズはねえ、コンサートをだんだんやらなくなるわけですが。
  まだやってますよ、この頃は。
  でも、いろんな仕事をし始めて、その一つがサビル・シアター(Saville Theatre)ていう劇場を経営していて。
  ここで彼が、アメリカから、ほとんどアメリカからですが、アーティストを連れて来てコンサートを奏る。
  そういう仕事もやっておりました。

  そして50年前の今日、サビル・シアターでは・・・
  アメリカのモータウンを代表するフォー・トップス(The Four Tops)というグループです。
  このコンサートをやりました。
  で、これは大変なことなんで、おそらくビートルズなんかも観たんだと思いますけども。
  その後で、ブライアン・エプスタインのマンションで、まあ、パーティがあるんですね。
  このパーティは、100人ぐらい入っても平気な所です。

  そのゲストは、もちろんビートルズの4人。
  それからローリングストーンズ(Rolling Stones)のメンバーたち。
  ミック・ジャガー(Mick Jagger)やキース・リチャード(Keith Richards)チャーリー・ワッツ(Charlie Watts)
  それから、アニマルズ(The Animals)、エリック・バードン(Eric Burdon)来ております。
  それから、ドノバン(Donavon)
  もう、いろんな人たち、100人ぐらい集めて大パーティをやった。

  つまり、この頃がブライアン・エプスタイン、マネージャーとして、まあ、絶頂にあったわけですよね。
  絶頂にあったわけです。
  しかし、その後の事はご存知だと思いますけども。

  もともと、アメリカのリズム&ブルースへの憧れがありました。
  だから、ビートルズもどんなグループにしようか。
  ジョンもポールもですね、リズム&ブルースが大好きで。
  それを吸収した感じのロックバンドを目指していた。
0253ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/15(火) 13:16:26.50ID:???0
  というわけで、
  さあ、それではモータウンのサウンドを改めて聴いていただきたいと思いますが。
  ちょうどこの頃、イギリスで1位だったんです。 
  だから、フォー・トップスのコンサートは大いに盛り上がりました。
  この曲が1位でした。
  もちろん、このコンサートで奏ったはずです。
  Reach Out I'll Be There

  〜 The Four Tops / (Reach Out) I'll Be There
  ttps://www.youtube.com/watch?v=5SpkOcbVYS0

  (小林)いかがですか?
  フォー・トップス。
  モータウンで一番売れてたグループの一つです。
  50年前の今日、ビートルズのマネージャー=ブライアン・エプスタインが招いて。
  自分の劇場でコンサートを奏って。
  そして自分のマンションで大パーティをやった。
  Reach Out I'll Be There

  で、ビートルズはこのモータウン・レコードていうのが大好きで。
  ご存知のとおり、最初に出した「With The Beatles」の あのアルバムでは「Please Mr. Postman」これマーバレッツ(The Marvelettes)
  それから「Money」バレット・ストロング(Barrett Strong)
  これも、みんなモータウンのヒット曲。
  ビートルズが、やっぱり、ビートルズの夢を実現させようとマネージャーは思ってたわけですね。

  ちなみに、フォー・トップス Reach Out I'll Be There
  これは、余談ですけど。
  この番組にいつも出て来るフィル・スペクター(Phil Spector)という偉いプロデューサー。
  「この曲はディラン(Bob Dylan)の影響をすげえ受けてる」
  あのほら、Aメロの例えば「the way you hang your head」とか。
  「〜 you're afraid」とか。
  「あれがディラン節だ」なんてことを言っておりました。
0254ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/17(木) 18:25:49.26ID:Pllq0zWB0
□ストーリー
 ・ビートルズストーリー。
  今週もジョン・レノンの最初の妻シンシアが遺してくれた手記の中からお届けしよう。

  リバプールから初めての飛行機に乗ってロンドンまでやって来たジョンの妹ジュリアとジャッキー。
  二人ともまだ無邪気なティーンエイジャーである。
  「なんでも好きな物を好きなだけ買ってもかまわない」という百貨店での買い物がひとしきり終わったところで帰宅。
  次の日の夜は、二人にとって一番のハイライト。
  兄ジョンのライブステージを初めて観るのである。

  ビートルズはフィンズベリーパーク・アストリアという劇場のステージに立つことになっていて。
  ジョンは二人をVIPとして招待していた。
  会場まで二人をロールスロイスで送り。
  会場の外では大勢のファンが渦を巻き、凄まじい絶叫をあげ。
  中には、我を失って気絶する女の子たちもいて。
  警官隊は群衆を押し留めようと汗だくになっている。
  このあまりの光景に、ジュリアもジャッキーも目を丸くした。

  シンシアにとっては、もう見慣れた光景ではあったが。
  二人の妹にとっては、それはもう驚きを超越したもので、恐怖にも近い感覚。
  特に、車から楽屋口までの人混みの中を突進しなければならない場面では、二人とも覚悟を決めて臨んだ。
  やっとの思いで楽屋に到着すると、そこにはポール、ジョージ、リンゴ、三人の他にミック・ジャガー(Mick Jagger)も来ていて。
  憧れのスターとお話しができた。
  最高の経験である。

  ジョンは妹たちのために、出来るだけステージに一番近い真ん中の席を確保してくれた。
  とは言っても、それは4列目で。
  1列目から3列目は、ファンがステージに殺到しないように、ロープで非常線が張られていたのである。
  ところが、ここなら大丈夫と油断していた矢先に、ファンが座席によじ登って、ステージ目がけて押し寄せて来た。
  「ああ、このままじゃ 下敷きになっちゃう!」
  二人の妹もシンシアも絶対絶命のピンチである。
0255ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/17(木) 18:26:52.75ID:???0
  〜 The Beatles / Boys (live)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=h2t9DIh4kMA
 
  〜 The Beatles / This Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=O_vqE2hBWkg

  (小林)初期の曲ですけどね。2曲
  
  片方は最初の曲はもちろんライブで。
  これは音は良かったと思いますが。
  ハリウッドボウルでのライブ。
  今年発売になったアルバムの中から、リンゴ・スターが・・・
  リンゴ・スターの、この頃は十八番(おはこ)だったんですね。 
  ガールズグループの曲を Boys
  「ボーイズ(Boys)」てのは、ガールが歌ってボーイズだったわけですよね。
  だけどそれを「ガールズ」に変えないで歌っていた、っていう。
  ちょっとした、まあエピソードみたいなものがあります。
 
  そして This Boy は「I Want To Hold your Hand」のB面です。
  this boy は that boy が彼なんですよ。
  彼が取っちゃうわけですね。
  this boy は、いつも待っている、という。
  失恋の歌 お送りしました
0256ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/17(木) 18:28:08.77ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「あぁ、このままじゃ下敷きになっちゃう!」
  二人の妹もシンシアも絶対絶命のピンチ。
  と、次の瞬間、三人は屈強なボディーガードにヒョイと持ち上げられ、なんと、助かった。
  その後のショーはステージの袖から観ることになった。

  コンサートが終わると、ジョンは打ち上げパーティがあるのでシンシアが二人の妹を連れてウェイブリッジの自宅に戻った。
  みんなで打ち上げに出席してもよかったのであるが、やはり二人はまだ十代。
  お兄さんのジョンとしては、やはりまだ二人には早い、と判断したのである。
 
  その数日後、妹たちはリバプールへ帰って行った。
  シンシアはすっかり気の抜けた炭酸飲料みたいになってしまった。
  義理のお姉さんとして頑張り過ぎたのだ。
  でも二人は その数ヶ月後には、また遊びに来てくれた。
  二度目の来訪の時には、彼女たちをアビーロードスタジオに招待した。
  レコーディング見学である。
  レコーディングしていたのは、シングル曲となる「Day Tripper」
  プロデューサーのジョージ・マーティンにも会った。

  シンシアは語る。
  「リバプールからロンドンなんて、飛行機で1〜2時間。
  ほんとは、もっとちょくちょく来てもらいたかったんです。
  ジョンも私も大歓迎に決まってますから。
  でも実際は、ジョンが留守のことが多いし。
  家にいたとしても、ツアー帰りで、抜け殻のようになっている事もありましたし。
  なかなかタイミングが難しいんです」
  ということで、結局二人がジョンの元を訪れたのは、この2回目が最後になった。
  
  妹たちのうち、ジュリアはフランス語を勉強するために大学に入り。
  ジャッキーは美容師の見習いとして働き出した。
  そしてさらに、その数ヶ月後、二人にとって、あまりに悲し過ぎる出来事が起こったのである。
0257ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/17(木) 18:28:45.80ID:???0
  〜 The Beatles / Day Tripper
  ttps://www.youtube.com/watch?v=yyPCKgzoiVk

  〜 The Beatles / Because

  (小林)2曲 お送りしました。

  Day Tripper これは1965年
  アメリカでもイギリスでも ナンバーワンの大ヒット曲。
  
  そして「Abbey Road」1969年のアルバム。
  このアルバムがビシッと締まったのは、
  この Because という、すごいハーモニーを聴かせたこと。
0258ジョン・キロックノン
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2016/11/17(木) 18:29:41.14ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンが可愛がっていた二人の妹ジュリアとジャッキーにとって、
  あまりに悲惨な事件が起こったのは、
  ウェイブリッジに遊びに来て数ヶ月後のことでした。」
  言葉の主はジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  お送りしているエピソードの多くは彼女の遺作となった手記にまとめられているもの。

  「姉妹のうち、姉のジュリアがフランス語を学ぶために大学に入り。
  妹のジャッキーは、当時の人気職業である美容師見習いとして働き出してから数ヶ月後。
  お父さんのボビーを、交通事故で亡くしてしまったんです」
  ご存知のとおり、ジョンと妹たちは父親が違うが、母親は同じ。
  そう、ジョンが高校生の時に亡くなった、あのジュリアである。
  彼女は2度目の結婚で生まれた娘に 自分と同じ「ジュリア」という名前を付けた。
  そしてさらに、その妹も生まれ、幸せな家庭生活を営んでいたが。
  非番で勤務外だった警察官の運転する車に跳ねられて死亡。
  そして二人の妹たちの実の父親であるボビー・ダイキンズも交通事故でこの世を去った。
  あまりにも悲しい出来事である。

  しかし、不思議な事に、この事実がジョンとシンシアに知らされたのは、ずっと後になってのこと。
  そして、二人の後見人はリバプールに住むハリー叔母さんに決まった。
  自分の妹たちが孤児になってしまったことに、ジョンは心を痛めた。
  そして二人のために何かしてあげたいと思い。
  ハリー叔母さんとその夫であるノーマン叔父さんに「家を買ってあげたい」と申し出た。
  夫婦は驚いてはいたが、ジョンの提案を喜んで受けることにした。

  ジョンは親戚一族に対する愛情は 本当に深いものであった。
  みんなは その愛情を快く受けることにした。
  その一方で、ジョンがどうしても許せない人物が、ウェイブリッジを訪ねて来るのである。
0259ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/17(木) 18:30:46.55ID:???0
  〜 The Beatles / Being for the Benefit of Mr. Kite!
  ttps://www.youtube.com/watch?v=3CHTsA7LtX0&t=98s

  〜 The Beatles / All I've Got To Do
  ttps://www.youtube.com/watch?v=yeSaUeSqn-Y

  (小林)2曲続きました。
  
  1967年。
  アルバムは「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」
  Being for the Benefit of Mr. Kite!
  隠れた名曲ですよね、これはねw。

  そして、
  「With The Beatles」1963年
  All I've Got To Do

  ということで、2曲お送りしました。

  果たして、ジョンの家に来た・・・
  あの・・・ 誰なんだ? 誰なんだw
  また来週。
0260ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/21(月) 18:10:14.64ID:???0
□リクエスト
  その前に<重要なお知らせ>
  11月30日予定のスペシャルパーティ。
  華原朋美、体調不良ということで中止になりました。
  必ず日を改めてお知らせしますので待っていてください。


  (埼玉県白岡市/男性)28歳
  遅くなりましたが、広島カープの優勝おめでとうございます。
              (小林)日本シリーズはまあ、ちょっとねえ。
  そして、クライマックスシリーズの始球式の大役
  お疲れ様でした。

  (小林)
  いや僕が、第一試合、DeNAとの試合、アハハハw
  始球式で投げたんですよ。
  でも、キャッチャーへ届かなかったんですよ。
  バッターの後ろ行っちゃったんですよ
  でも、笑いは取れたというw。話しなんですがw
  ちょっとだいぶ前の話しになってしまいますがw
  で、[埼玉県白岡市/男性]さんのリクエストは「永遠に不滅のミスター・ベースボール」
  これは小林克也とザ・ナンバーワンバンドがやっています。
  「南佳孝作品にしては異色のように思います」
  そうですよ、南佳孝は、まあ有名なところでは、「モンローウォーク」だとか。
  それから「♪ウォンチュー」とか、ああいったのでお馴染みだと思いますけど。
  これはねえ、こうなんての、色物っぽく見えるけど。
  ぼくらの間でね、南佳孝に「長島さん好きでしょ?」「ね、ミスター好きでしょ?」
  「だから、長島さんに捧げる曲を作ろうよ。楽しい曲じゃないといけないよ」
  ていうことで。
  で、彼が作曲して。
  で、僕らがそれを聴きながら。
  「ああ、ここはこれでいいなあ」とか。
  寄ってたかって詩を付けたんですよね。
  で、キーボードの深町君ていうのがいまして。
  彼が長島さんのモノマネが上手いんですよ。
  それで、まあ実現されたと、曲が出来上がったと いうことで。
  [埼玉県白岡市/男性]さん、あなたのリクエストで、ナンバーワンバンドで「永遠不滅のミスター・ベースボール」

  〜 ザ・ナンバーワンバンド / 永遠不滅のミスター・ベースボール
0261ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/21(月) 18:11:13.38ID:???0
  〜 Scorpions / Across the Universe
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ESSiufFTxJQ

  (小林)曲が続きましたね。

  (千葉県/男性)40代
  久しぶりにリクエストします。
  今年はビートルズの来日から50周年で盛り上がった夏。
  先日はドキュメンタリー映画「EIGHT DAYS A WEEK」を観て。
  古い映像がデジタルリマスターされている、その綺麗さ、臨場感あふれる音響に驚き。
  今の技術のすごさに感心してしまいました。
  そして50周年といえば、      (小林)ここからが、あれだねえw
  去年になりますが、ドイツのハードロックバンド=スコーピオンズ(Scorpions)が結成から50周年を迎え。
  このたび久々に来日してベテランならではの 素晴らしい公演を聴かせてくれました。
  そんな彼らが若い頃に影響を受けたアーティストのトリビュート&カバーアルバム「Comeblack」からこの曲を。

  (小林)ということで
  Across the Universe ジョン・レノンの曲を。
  「まあ、彼らのロックな曲もいいですけど。
  秋の夜長の日曜夕方、ていうことで、こんな曲はどうでしょう?」
  ということでおかけしました。
0262ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/21(月) 18:13:24.44ID:???0
 (大阪市/男性)50代
  ボブ・ディラン(Bob Dylan) やりましたね。
  2016年ノーベル文学賞。
  世界中のポピュラー音楽ファンがど肝を抜かれたと思います。
  以前から、受賞のウワサがあることは知っていましたが。
  ファンの願望が大方だと思っていたので。
  まさか、本当になるとは・・・
  出版不況の影響もあるんでしょうか。

  (小林)って書いてありますが。
  えーと、リクエストは「血の轍(Blood on the Tracks)」から行くんだね。
  1975年。
  でも、ボブ・ディランのね、伝記を読むとね、ボブ・ディランがね、あれはよくわかりますよね。
  世界がボブ・ディランのことを誤解してるんだよね。
  だから日本でもディランが文学賞ていうんで、だいたいどこの局も「風に吹かれて」をかけて。
  ディランはこういう人でした、って。
  あれも一部の・・・ ま、20分の一か10分の一ぐらいの本当で。
  あとの本当のディランのことが伝わってなかったと思います。
  気になる方はディランの伝説、伝記なんか読んでください。
  さあ、それじゃ「Blood on the Tracks」から「おれはさびしくなるよ」
  これ英語では「You're Gonna Make Me Lonesome When You Go」

  〜 Bob Dylan / You're Gonna Make Me Lonesome When You Go
  ttps://www.youtube.com/watch?v=vVXwVc4BGjo
0263ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/21(月) 18:15:22.43ID:???0
  〜 忌野清志郎 / 風に吹かれて
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qzC1onDOt5U

  (小林)忌野清志郎がカバーした「風に吹かれて」

  (船橋市/男性)
  本人は気にしてない?
  ライブに集中しているから?

  (小林)ていう。
  これはあれだよね。
  ミック・ジャガー(Mick Jagger)たちとコンサートやって。
  なんか、ミックが聞いたとか聞かなかったとか。
  それで、ボブ・ディランは「なんだあの人間は? どういう人間なんだ? 俺に賞をくれて・・・」
  「みたいなことを ちょっとしゃべったよ」ていうことでしたね。
  ということで。

  やっぱりね、この曲が出て、みんな誤解したんですよね。
  それで「新しいい世代の代弁者だ」っていうことで。
  なんかほら、ベトナム戦争とかそういうのがあるじゃないですか?
  そうすると、もうね、一般の人も新聞社だとかマスコミも、家へ、もう真夜中だとか、誰も応えてくれない朝早くだとか。
  もう、関係なしに来るんだって。
  困っちゃって、それで、何回も引越しするんですよ。ボブ・ディランは。
  で、付き合っていたのが、この頃あれですよね、ジョーン・バエズ(Joan Baez)ていう。
  ジョーン・バエズは出るのが好きな人。
  「あんたも、もっと表へ出てしゃべりなさいよ」って言われて。
  「いやだよ俺は」っていう。

  あと、ディランの口調っていうのはね。
  「We Are The World 」のボブ・ディランが出た時の、メイキングが面白いんですよ。
  クインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)だとかね、スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)が、ディランにね歌い方言ってんの。
  「お前こうやって、♪ウィアーザワード ♪ウィ―アーザ…」ディラン節でやるんだよね。
  あれ面白いんだけど。
  ディランのしゃべりは「なんでお前は、俺がやんなきゃダメなんだよ」て。
  ディランの言葉使い悪いですから。
  ディランっていうのは学者っぽいとか、そういうイメージは忘れた方がいいですね。  
0264ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/21(月) 18:16:04.28ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」

  ジョン・レノンの家に来るのは誰ですかねw
  来週、楽しみですよねw
  
  で、リクエスト。
  イシイのミートボールなどセットにして採用されるとお送りしますのでよろしく。
  beatles@bayfm.co.jp
  奮(ふる)って応募ください。
0265ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/23(水) 11:47:05.77ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」 bayfm 78.0MHz
 2016年11月20日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(11月20日)
 ・1995年。
  今から21年前の今日。
  これは大変なニュースです。
  
  ロンドンのサボイホテルで、朝の11時半から発表があります。
  世界のいろんな国からテレビ局や新聞社が参加。
  でも、一つの国で一社しか参加できなかった。
  日本はどこが行ったかわかりませんけども。
  それで、発表されたのは何かというと。

  発表はジョージ・マーティン、それからELOのジェフ・リン(Jeff Lynne)
  それからビートルズの事務所から、ニール・アスピノール(Neil Aspinall)
  三人が「Anthology(アンソロジー)1」の発売を告げたわけですね。
  
  それで、電話線で、電話ラインを使って、チリには「Free As A Bird」
  これの目玉の一つである「Free As A Bird」が送られて放送された、とか。
  その日に「Anthology1」のコピーが、これはマザーコピーだと思いますが。
  EMIに雇われたw、EMIが金を出したw 飛行機数台が世界各国へそれを持ってったという。
  で、すぐプレスされて発売されるわけですね。
  これは大変だったわけです。

  だから、これが好評だったから「Anthology1」「Anthology2」「Anthology3」と出るわけですが。
  この年は年末にこれが発売になって。
  ウィンドウズ95も発売。
  すごい事が起きた年でしたね。  

  さあ、その目玉となった「Free As A Bird」
  これは、オノ・ヨーコが提供したカセットのデモテープ。
  これがデジタルレコーディングの技術のおかげで、奇跡を見ることができました。
  これは、担当したのはELOのジェフ・リン。

  で、ビートルズが参加して、ジョン・レノンの残したものを、完成させるわけですけども。
  その要(かなめ)となったのは、やっぱりジョージ・ハリスンのスライドギター。
  最初はあまり期待してなかったポール・マッカートニーも、セッションに参加して。
  「ジョージのやつ、こんなにブルージーなギタリスト、上手くなったのか」
  「こんなブルージーなギタリストに成長したのか」と言う。
  認めたという発言があります。
0266ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/23(水) 11:47:43.92ID:???0
  じゃあ、その「Anthology1」の目玉。
  Free As A Bird ビートルズ。

  〜 The Beatles / Free As A Bird
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ODIvONHPqpk

  (小林)エヘヘw
  Free As A Bird、 これは あのねえ。
  グループが、もう解散してから25年以上経って。
  こういうのが出た時は、なんか、こう元気が出たっていうか。
  ほんとに、なんか暖かかったね、気持ちがね。
  それ覚えてますね。

  ビートルズの Free As A Bird
0267ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/24(木) 18:43:50.61ID:???0
□ストーリー
 ・「リバプールに住むジョンの妹たちも、親戚の皆さんも、本当に良い人ばかりでした。
  ただ、唯一の例外は、ジョの育ての親であるミミ伯母さん。
  あの偏屈で曲がった性格は、いったいどこから来るものなのか。
  まったく理解できませんでした」
  こう語るのはジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  今週もビートルズストーリーはこのシンシアが遺してくれた手記から。

  ジョンのリバプールの親、家族、親戚のことを表記している伝記はそう多くはないが。
  さすがにリバプール時代からの連れ合いであるシンシアの証言は間違いのないこと。
  彼女はこう続けている。
  「一族の中で、ジョンが会いたくない、と思っていた人が一人だけいました。
  それは実の父親である、通称“アルフ”=アルフレッド・レノンでした」

  ある日シンシアが新聞を広げたら、そのアルフのことが載っていて。
  彼はロンドン南部のハンプトンにあるグレイハウンドホテルでウェイターとして働いていることが判った。
  この記事によると、アルフは、同僚から新聞に載ったジョンの写真を見せられ。
  「おい。このジョン・レノンていう青年、大スターらしいが、お前の親戚か?」
  と尋ねられるまで、自分の息子が世界的なカリスマミュージシャンであることなど全く知らずに生きてきた。
  アルフは1950年代以降のポップ音楽には興味が無かったのだ。
  自分が20年前に捨てた息子が、今や億万長者になっていると知って、急に連絡を取ってみたくなったらしく。
  ジョンが留守の時に、突然アルフがケンウッドにやって来た。
  ケンウッドとは、ジョンと家族が暮らす屋敷の屋号である。
 
  シンシアがドアを開けると、頭のてっ辺が薄くなり、白髪交じりの艶のない髪をした小柄な男がそこに立っていた。
  まるでホームレスのようにだらしなく、みすぼらしいのに、その顔はシンシアが不安を覚えるくらい、ジョンにそっくりだったのである。

参考:アルフレッドとジョン・レノン
ttp://livedoor.blogimg.jp/fulltimeblog/imgs/d/6/d66f9e3e.jpg
0268ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/24(木) 18:44:41.82ID:???0
  〜 The Beatles / Sexy Sadie
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2IcK4S5lDE0
 
  〜 The Beatles / Old Brown Shoe
  ttps://www.youtube.com/watch?v=T-NZGCpeb2A

  (小林)どうですか?
  初めて聴いた方は いますかねえ?
  やっぱりあの、ビートルズのね 代表的な作品いっぱいあります
  その陰に隠れている名曲があるわけですが。
  
  Sexy Sadie
  これは「ホワイトアルバム(The BEATLES)」の中に入ってるやつ。
  
  そして Old Brown Shoe
  これは「ジョンとヨーコのバラード(Ballad of John and Yoko)」のB面ですね。
  これはちなみにディラン(Bob Dylan)の「Highway 61 Revisited」に、
  これにインスパイアされた、とあります。
0269ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/24(木) 18:45:45.51ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ある日、ドアをノックする人がいるので、開けてみたら。
  そこには、ホームレス寸前という感じの、みすぼらしい初老の男性が立っていたのです。
  それが、驚いたことに、ジョンにそっくりでした」
  ジョンの最初の妻シンシア・レノンが遺した手記から続けてみよう。
 
  シンシアはショックだった。
  ジョンの父親が現われるなんて。
  シンシアは気を取り直して、アルフを家に招き入れ、紅茶とチーズトーストを出して、彼を孫に引き合わわせた。
  すると「ジョンに会いたいんだ」とアルフが発言。
  シンシアは待つように勧めた。
  ジョンは、あと1〜2時間で帰ってくる。
  もちろん、ジョンがどういう反応を示すか、それは大きな心配事である。
  しかし、目の前にいるのは、まぎれもないジョン・レノンの父親。
  追い返すわけにはいかない。

  それに、シンシアは20年前にジョンを捨てたこの男にも、少し興味があった。
  アルフとは少し会話を続けたが、双方とも、どうもぎこちない。
  アルフは「自分のこのみすぼらしい風貌が、こんなお屋敷にはふさわしくなく。
  シンシアにイヤな思いをさせているのではないか」と不安に思っていたのである。
  するとシンシアは、こう提案した。
  「私、昔から人の髪をいじるのが好きなんです。
  ジョンと結婚する前まで、自分の母親の髪は私が切っていたんです。
  よかったら、お父様の髪 切りましょうか?」

  すると意外にも、アルフは嬉しそうにうなずいた。
  20年ぶりに我が息子と面会するのである。髪くらいスッキリした方が良い、とシンシアの申し出を受け容れた。
  髪を切ってもらって、さらに2時間待ったが、ジョンは帰ってこなかった。
  こうして、アルフは帰って行った。
  なんとも寂しそうな背中であったことは、言うまでもない。
0270ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/24(木) 18:46:58.74ID:???0
  〜 The Beatles / Norwegian Wood
  ttps://www.youtube.com/watch?v=lY5i4-rWh44

  〜 The Beatles / You Really Got A Hold On Me
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Uqi6ZDfZmPA

  (小林)2曲続きました。

  「ノルウェーの森」というw 日本語のタイトルがある Norwegian Wood
  カッコ This Bird has Flown 
  「虜の鳥は逃げたのであった」ていう。
  ね、女性が逃げたわけですね、けっきょくね。
  ビートルズの、ジョン・レノンの。
  これは「Rubber Soul」の中の傑作。

  そして、今聴いた You Really Got A Hold On Me は
  スモーキー・ロビンソン(Smokey' Robinson)という人が、後にモータウンの副社長になる人なんですが。
  あの人がリードボーカルを取っているミラクルズ(The Miracles)
  ビートルズ、これは「With The Beatles」のアルバムに入っていました。
  1963年。
0271ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/24(木) 18:47:43.77ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ある日、ケンウッドに突然ジョンのお父さん=アルフがやって来たんです」
  ジョンの最初の妻シンシア・レノンは語っている。

  「夜遅くに、ジョンが帰って来てすぐ、お父さんが尋ねて来たことを教えたんです。
  ジョンは明らかに不快な表情をしました」
  ジョンは実は、この数週間前に、アルフと会っていたことをシンシアに話してくれた。
  当時ビートルズは主演映画の2作目「HELP!4人はアイドル」の撮影中であったが。
  その映画スタジオの控室にアルフが突然やって来た、というのである。
  それは性質(タチ)の悪いタブロイド新聞の記者の仕業であった。
  今や世界的なアイドルグループのリーダーと、長い間行方不明だった父親との涙の再開をスクープしようとういう、ゲスな狙いである。
  ジョンは激しい衝撃を受けて、記者に対して怒りを爆発させた。

  そしてアルフには「まだ仕事中だ。すぐに帰ってくれ」とだけ告げた。
  そんなことが有ったなんて、何も聞いていなかったシンシアは、ショックだった。
  なぜそんな大事な事を ジョンは教えてくれなかったのだろう。
  もちろんシンシアは、父親の事はジョンにとって最も微妙な問題であり。
  話題になどしたくはない、してはいけない、という、触れてはいけない領域であることを理解していた。
  ジョンはその控室での再会を自分の心の奥底に仕舞い込み、蓋をしてしまっていたのである。

  それでもジョンは、逆に自分から父親に連絡を取るようになり、会うことにした。
  そうして数か月間をかけて、ゆっくり二人の関係は 良いものになって行った。
  もちろん、お互いのの複雑な気持ちを完全には修復できないことは、認めた上での関係回復だったのであろう。
  ジョンはアルフが、お金目当てで会いに来たことは判っていた。
  しかし、そんなことはどうでもよかった。
  
  シンシアはこの二人の関係を、じっと見守るしかなかったのである。
0272ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/24(木) 18:48:27.15ID:???0
  〜 The Beatles / The Word
  ttps://www.youtube.com/watch?v=il--BWceG18

  〜 The Beatles / I'm a Loser
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Zk9FvwfdDcg

  (小林)1964年ね。
  I'm a Loser

  そして、The Word
  これは、65年。
  「Rubber Soul」ですよ。
  メンフィス・ソウル がかっていましたね。
0273ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/26(土) 23:32:56.38ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。


  (茨城県竜ケ崎市/男性)28歳
  こんばんは。「ビートルズから始まる」を聴き始めてからちょうど10年になりました。
  自分はそんな自覚は無いんですが、改めて時が過ぎるのが速いなあと思っています。
  さあ、リクエストですが、
  僕はビートルズの数多い曲の中で一番最初に好きになった「She Loves You」をリクエストします。
  百歳になるまで、がんばって下さい。(小林)w

  (小林)
  [茨城県竜ケ崎市/男性]さんが、つまり10年ていうことは。
  18歳の高校卒業ぐらいの歳から聴きはじめて。
  [茨城県竜ケ崎市/男性]さんの名前はね、ちょくちょくリクエストしたりしてるんで、ちゃんと覚えてるんですけど。
  おそらく[茨城県竜ケ崎市/男性]さんは、この10年の間にビートルズを聴くことによって、この番組を聴くことによって。
  自分の音楽観なんかもね、ちょっと変わって行ってんじゃないかな。
  それが良い方に変わって行ってると良いなあ、と思うんですけども。

  それから、最初に好きになった曲 She Loves You
  これ、正解ですよ。
  あの初期の中で She Loves You は・・・
  ビートルズのメンバーやスタッフも言ってますけど。
  これは、あの有名なね、スタジオにファンが飛び込んできて大変なことになった時の録音なんですよね。
  だから、すっごいエネルギーが出てる。
  だから、[茨城県竜ケ崎市/男性]さんのリクエスト、好きになった曲は正解だったんだね。
  これです。

  〜 The Beatles / She Loves You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=T0YifXhm-Zc

  (小林)お馴染みの She Loves You です。
  まあ、初期のやつの人気投票をしたら、これが必ず1位か2位を取るんじゃないかと思われます。
  
  ビートルズのファンは ビートルズに けっこうね、たびたび接してると思いますが。
  ビートルズと関係なくなった時に、忘れたころに これがガーンと来るとね、やられますよ She Loves You
0274ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/26(土) 23:34:19.68ID:???0
  (小林)
  さあ続いて、ティーンエイジャーがビートルズの曲を発見した物語のような
  素晴らしいリクエスト。

  (不明/男性)16歳
  私が幼い頃、近くのスーパーの屋上が、ちょっとした遊園地みたいになっていて。
  私のお気に入りは、キリンの電車でした。
  キリンの人形が運転する2両編成の電車は軽快な音楽と共にグルッと一周します。
  スーパーに買い物に行くと、いつも乗っていました。
  ところが、私が幼稚園年長さんのころ、スーパーが閉店してしまって。
  以来、キリンの電車に乗ることもなくなってしまったんです。
  やがて成長した私は、ラジオから流れてきた曲に懐かしさを覚えました。
  キリンの電車で流れていた曲が、ビートルズの「Ob-La-Di, Ob-La-Da」だったんです。
   
  (小林)
  あなたが自分の力で、自分の体験で発見しましたね。
  ねえ、同じような・・・・
  この人は16歳ですよw
  こんどは、37の中年男がw 発見してます。

  (深谷市/男性)37歳
  鹿島アントラーズのサポーターです。
  鹿島が勝つと、鹿島サポーターが必ず「Ob-La-Di, Ob-La-Da」を歌い 勝利を祝います。
  あとで、ビートルズの本物を聴いたら、しっくりきてドハマりしたのでリクエストします。
  それが「Ob-La-Di, Ob-La-Da」です。

  (小林)
  10代と30代後半の男が発見した、この曲の良さ。

  〜 The Beatles / Ob-La-Di, Ob-La-Da
  ttps://www.youtube.com/watch?v=SwvtpdDld_g

  (小林)名曲が流れましたね。リクエストね。
0275ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/26(土) 23:35:56.02ID:???0
  (小林)今度も名曲ですけどw

  (不明/男性)52歳
  克也さんこんばんは。
  毎週この番組を楽しみにしています。
  52歳のビートルズファンです。
  20代の頃ビートルズと同じくらいよく聴いていたのが、クイーン(Queen)です。
  クイーンの曲は実に多彩で、一曲一曲 起承転結があるようで。
  どの曲を聴いても、クイーンワールドに引き込まれてしまいます。
  またボーカルであるフレディ・マーキュリー(Freddie Mercury)の歌声も曲を引き立てています。
  フレディが亡くなって かれこれ25年。
  あの歌声は私の心の中で 今も生き続けています。
  リクエストはどの曲にしようかと、迷ってしまいました。

  (小林)ていう。
  まあ、僕なんかも経験あるんですけど。
  これ、おそらく放送局の人間、経験あると思うんですよw
  「おお。これ英語じゃないぞ。TEO、テオー、TORRI。イタリア語だ。
  そうか、フレディ・マーキュリー、オペラ好きだから、イタリア語で来たか」
  もっとよく読むと「テヲ・トリアッテ」だってw
  Teo Torriatte

  〜 Queen / Teo Torriatte (Let Us Cling Together)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eo7iPe0aCE
0276ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/26(土) 23:38:06.40ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?

  ジョン・レノンの話しは、あれでしょ。
  惹き付けられるでしょ?
  ねえ、ビートルズファンじゃない方もw
  この話しを聴いていたら、いつのまにかビートルズファンになってしまう、みたいな。

  これね、ジョンばっかりじゃないんですよ。
  ポールにも ちょっと面白い話しがあるんですよね。
  ポールのお母さんも 早く亡くなったり。
  ジョージはね、また、お父さんが 都バスみたいな・・・
  都バスじゃないかw 向こうは。
  バスの運転手をしてて。
  だけど ジョージのためにお母さんががんばる。
  それから、リンゴ・スターの場合は ちょっと違いますからね。
  それぞれね、家庭の事情があって面白いんですけど。

  ジョンのお父さん、長い間別れてたお父さん、ねえ。
  小さい時に、お母さんが
  「お前、どっちを選ぶ?」
  お父さんと お母さんが、ほら、別れるって時に。
  ジョンは最初、幼かったジョンは、お父さんに付いて行こうとするんですよね。
  ニュージーランドへ行く お父さんに。
  でも、最後に「それじゃあね」ってお母さんが言ったら。
  お母さんの方へ ジョンが走って行くわけですよ。
  で、ジョンはお母さんに引き取られる。
  なんて話しが あるわけですが。

  来週も お楽しみに。
  目が離せないでしょ?
0278ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/29(火) 13:32:43.76ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年11月27日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(11月27日)
 ・1963年。
  いやあ、この年はイギリスで・・・、もうイギリスを征服する年ですね。
  今から53年前の今日。
  「She Loves You」がナンバーワン。あの「She Loves You」が。
  まあ、これが、けっきょく13週トップテンに入っていた。
  それから「Please Please Me」のアルバムも、もうバカ売れですよねw
  もう1年近く、チャートに入ったりする。
  もう、ビートルズマニアが生まれるわけですが。

  この「She Loves You」っていうのはですね。
  イギリスでは「Please Please Me」
  それから「 From Me To You」に続く3枚目のナンバーワンなんですけども。
  いろいろな特徴があります。
  これはもう本当にすごい曲。
 
  先ず、歌詞が「I love you」とか「You love me」とかじゃなくて。
  「She loves You」ていう。
  「彼女が お前のことを 好きだよ」っていう。
  これはまあ、ジョージ・マーティンもこの歌詞にはびっくりした、ということですね。

  それから、サビから始まる。
  で、その部分が「♪ She loves you Yeah Yeah Yeah」という、もうこれだけ。
  で、ジョン・レノンはプレスリー(Elvis Presley) の歌を聴いてて。
  「♪オール シューク アップ(All Shook Up) アハン ハン、アハハン、イエ イエ」っていうのがあって。
  ああいう、歌詞じゃないやつを付けたのをやりたかった。
  それが、ここで実現します。

  で、その、それまでの曲に比べて、リズムが・・・、ドラム、特にベース。
  これがすごい、ダイナミック、パワフルになっています。
  これは、ベテランエンジニアのノーマン・スミス(Norman Smith)の貢献のおかげです。

  で、この曲を作った時は。
  実は、この番組でも話したことがあるんですが。
  門番の隙を見て、ファンたちが、スタジオに入り込んじゃったわけですよ。
  それで、何十人ものファンが入って、大混乱で。
  守衛さんが ぶっ飛ばされたりとか、そういうことがあって。
  で、彼らはスタジオのドアを閉めて。
  「お前ら早く! 絶対出るな!」ってことで。
  もう、ファンに囲まれてるわけですよね。
  そんな中で、その興奮の中で奏ったから。
  すっごい、今までこんな集中したビートルズは無かった、ていう。
0279ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/11/29(火) 13:35:45.65ID:???0
  あとですね、100万あっという間に売っちゃった。
  100万 あっという間に越えちゃった。

  それから、音楽としては、オープニングのドラム。
  リンゴ・スターのフィルインというかフレーズ。
  まあ、ピックアップフレーズが すごい、面白い。
  これがあるから生きてるっていう、コーラスが。
  あと、エンディングのコーラス。
  これは、実はシックススと言ってね。
  ビートルズは、おそらくジョージ・マーティンに教えてもらった。
  その当時、アメリカのインストゥルメンタルバンド。
  それも、ちょっとソフィスティケートされたバンドが使っていたコード。
  それで、終わってるんですよ。

  だから、いろんな聴きどころがあるんで。
  改めて ですよ、行きますよ。
  ビートルズの She Loves You

  〜 The Beatles / She Loves You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=T0YifXhm-Zc

  (小林)どうですか?
  改めて聴く She Loves You 
  ねえ、ちょっと新しく聴こえたでしょう?
  
  何がすごかったですか?
  いろいろ まあ皆さんそれぞれ感じられたことと思います。
  まあ、ちなみに、この頃 年齢はあれですね。
  ジョージ・ハリスンだけが10代か、まだか。
  まだ、そんな感じ ですよね?。
  19歳ぐらいかな? ジョージ・ハリスン。
  そんな ビートルズです。
0280ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/01(木) 21:17:30.29ID:???0
□ストーリー
 ・「私、根っから人の髪をいじるのが好きなんです。
  ジョンと結婚する前まで、自分の母親の髪は私が切っていたんです。
  よかったら、お父様の髪 切りましょうか?」
  こう語るのはジョンの最初の妻シンシア。
  今週もビートルズストーリーはこのシンシアが遺してくれた手記の中から。

  突然、ジョンが家族と暮らすウェイブリッジのお屋敷に、ジョンの父親アルフが訪ねて来た。
  かなりくたびれた初老の男という印象のアルフであったが。
  ジョンの妻シンシアは快く迎え入れ、お茶を出して持て成したが。
  どうもぎこちない空気は増すばかり。
  そこでシンシアは「髪を切らせてほしい」と義理の父親に申し出たところ。
  意外にもアルフは嬉しそうに頷(うなず)いた。
  20年ぶりに我が息子と面会するのである。
  髪くらいスッキリした方が良いと、シンシアの申し出を受け入れた。
  髪を切ってもらって、さらに2時間待ったが、ジョンは帰ってこなかった。
  こうして、アルフは帰って行った。

  実は、この頃ジョンは、アルフが映画スタジオの楽屋を訪ねて来たのをきっかけに、父親と会うようになり。
  二人はその後何ヶ月かかけて、次第に親しくなっていった。
  もちろん、お互いの複雑な気持ちを、完全には修復できないことは認めた上での関係回復だったのであろう。
  ジョンは、アルフがお金目当てで会いに来たことは分かっていた。
  しかし、そんなことはどうでもよかった。
  ジョンの心の片隅には、親子関係を修復したいという、かすかな望みがまだあったのかもしれない。

  ジョンはシンシアに 一度だけこんなことを言った。
  「あの人は、警戒しなくても大丈夫だよ。シン。
  ちょっとイカレてるけどな。僕みたいに。
  あの人に会うようになって、僕は、どうしてこんな風になったのか、これで判ったんだよ」
  父親の中に自分自身の姿を見たことも、そして自分がどういう血を受け継いでいるのかが判ったことも。
  ジョンにとっては、本当に大きな意味を持つことだったのである。
0281ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/01(木) 21:18:10.59ID:???0
  〜 John Lennon / Crippled Inside
  ttps://www.youtube.com/watch?v=xIqaIfaJ3-E
 
  〜 The Beatles / Across the universe
  ttps://www.youtube.com/watch?v=zyEdqOWAE6k

  (小林)2曲続きました。
  
  Crippled Inside
  これは、ビートルズの時代にはジョンは書かなかったでしょうね。
  ソロになって書いた Crippled Inside
  自分の心の中を、ねえ。
  Crippled ていう単語で、ねえ。ハイ。
  
  Across the universe はお馴染みです。
  「Let It Be」のアルバムに入っています。
0282ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/01(木) 21:19:41.98ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「便乗ビジネスと呼ばれるものは、今も昔もたくさんあるわけですが。
  1965年のクリスマスシーズンに乗っかった、あの商品にはビックリさせられました」
  ジョンの最初の妻シンシア・レノンが語る、この便乗商品とはいったい何なのか。
  シンシアが遺した手記には、こう綴られている。

  ジョンが、実の父親であるアルフと再会した1965年の12月に発売されたその商品とは。
  アルフが作った一枚のシングルレコード。
  タイトルは「That's My Life」(My love and my home)
  歌手の名は アルフレッド・レノン。
  そう、実名といえば実名。
  今や世界中のトップアイドルグループ=ビートルズのリーダーであるジョン・レノンの父親であることを最大限に利用するには
  「レノン」という文字を使うのが最も効果的、とレコード会社もそれに飛び付いた。
  レコードの内容・出来に関しては、それはもう酷いものであった。
  ジョンにとって、赤恥以外の何物でもない。
  息子の成功にあやかろうという父親のその厚かましさに、ジョンは激怒した。
  マネージャーのブライアン・エプスタインに頼んで、
  どんな手段を使ってもいいから、アルフにバカげた真似をやめさせようともした。
  ブライアンが実際に手を下したかどうかは、今となっては解らないことではあるが。
  このアルフのレコードは、ヒットチャートにも入らなかったし、そのうちに消えてしまった。

  次にジョンを驚かせたのは、アルフが自分の孫ほども若い恋人を連れて現われた時であった。
  ポーリーン(Pauline)というその子は、まだ19歳の学生。
  この時アルフは56歳。
  二人は真剣に愛を誓い合い。
  ポーリーンの母親が血相を変えて反対しているにもかかわらず結婚するつもりでいた。

  さらに、アルフは、ジョンとシンシアに「ポーリーンに仕事の世話をしてもらえないか?」
  と頼みに来たので、面倒を見ることにし。
  ファンレターの整理と、秘書的な仕事をしてもらうようにした。
  そして、その流れで数ヶ月間、ポーリーンを家に置いてあげることになったが。
  それは、まさに悪夢の日々であった。
0283ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/01(木) 21:22:38.59ID:???0
  〜 Freddie Lennon / That's My Life
  ttps://www.youtube.com/watch?v=azAiSG09FBk

  〜 The Beatles / In My Life
  ttps://www.youtube.com/watch?v=UKQpRgxyyqo

  (小林)いかがですか?
  ごくさりげなく、2曲を並べましたが。 
  これはやっぱり、今までどの放送局もやったことが無いんじゃないでしょうかw ね。
  ジョン・レノンの 自分の半生の歌ですよね。
  で、ジョンのお父さんのw 自分の半生の歌ですねw ええw

  In My Life は、ご存知のとおり1965年。
  あの「Rubber Soul」ね。
  もう、ビートルズがちょっと、一歩二歩三歩、五歩ぐらい前進したアルバムに入っていました。

  で、同じ時に発売されたのが、ジョンのお父さん。
  ジョンが子供のころ逢うことができなかった。
  ね、お母さん、そして伯母に育てられたから。
  でも、お父さんと、ジョンのお母さんが、若者の頃のデートはね。
  公園なんかへ行って。
  お父さんは、音楽が大好きで。
  特にミュージカルなんか大好きで。
  例えば雨が降ると「♪Singin' in the Rain〜」とか、で。
  お母さんに歌ってあげて。
  ミュージカルごっこなんかしていました。
  だから、なんとなく歌心があるし。
  なんとなく声が似てた、ていうのが分かりますけど。

  日本語に「極楽トンボ」てのがありますが。
  ジョンのお父さんは、その極楽トンボみたいな感じだったらしいですよね。
  デートはするんだけど、結婚の事はあんまり考えなくて。
  だから、生活するっていう感じが、ちょっと欠けてた人らしいですよ。
0284ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/01(木) 21:25:58.61ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンのお父さんアルフが、19歳の女の子を『自分の恋人だ』と言って連れて来たんです。
  それはもう大事件でした」
  これはシンシア・レノンの証言。
  彼女の遺した手記の中から、もう少し続けてみよう。

  アルフが このポーリーンという19歳の女学生に「仕事を世話してやってくれ」と頼むので。
  ジョンの家に引き取り、ファンレターの整理などの仕事をさせることになった。
  数ヶ月の間、このポーリーンとジョンの家族は 一緒に暮らしたのであるが。
  それはもう大変な毎日であった。

  彼女はいつも泣いてばかりいた。
  アルフのことで自分の母親としょっちゅう言い争っていた。
  ポーリーンが使っていたのは屋根裏部屋で。
  電話に向かって金切り声を上げたり、しゃくり上げたりしているのが、下の階まで筒抜け状態。
  しまいには ポーリーンもアルフも、彼女の両親を説得することをあきらめ、駆け落ちした。

  ポーリーンは、10年後にアルフが亡くなるまで添い遂げ、息子を二人儲けている。
  ジョンもシンシアも、ジョンのその腹違いの弟たちには一度も会ったことが無かった。
  さらに、ジョンとシンシアが別れた後も、アルフはまたジョンに会いに来たらしく
  ジョンはアルフを冷たくあしらったという。
  それでも、ジョンはアルフが亡くなる前には、電話で話すようになっていた。
  アルフが亡くなったのは1976年の1月。
  この頃ジョンはニューヨークに住んでいたのであるが。
  自分の父親には それなりの支援をしていた。
  このように、決して暖かい家庭に恵まれたとは言えない、むしろその180度反対の人生を送ってきたジョンであったが。
  そういった経験の全てを作品に盛り込む、あるいはモチーフにする想像力がジョンにはあった。
  そういった想像力が、ジョンの作品に、ある一種の陰りとして存在していることは、まぎれもない事実である。

  ジョンの送ってきた人生のストーリー。
  来週からは、1960年代後半の、サイケデリックの時代に突入する。
0285ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/01(木) 21:27:19.31ID:???0
  〜 The Beatles / Wait
  ttps://www.youtube.com/watch?v=6O5w5h2T87c

  〜 The Beatles / Paperback Writer
  ttps://www.youtube.com/watch?v=VC2-fv6CFsc

  (小林)
  ビートルズの Paperback Writer
  これは1966年。
  ビートルズが日本にやってきた頃、ちょうどイギリスやアメリカでナンバーワン。
  
  そしてその前は「Rubber Soul」のアルバムから Wait
0286ホワイトアルバムさん
垢版 |
2016/12/03(土) 16:22:54.91ID:???0
□リクエスト
  アドレスは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。


  (小林)いつもリクエストありがとう。

  (八千代市/男性)
  毎週、夕飯のBGMとして聴いています。
  80年代人気を博したデッド・オア・アライブ(Dead Or Alive)のピート・バーンズ(Pete Burns)が心不全で亡くなりました。
  僕の青春時代に輝いていたアーティストが またしても逝去、ショックです。
  彼はリバプール出身、やはりビートルズの影響を受けた中の一人・・・  

  (小林)・・・かどうかは知りませんけどね[八千代市/男性]さん。
  この人は、あれですね、ちょっと変わった人ですね。
  良い曲も書きましたね。
  ただ、でっかいヒットが一発残っています。
  それを リクエストくれました。
  まあ、ちょうど東京なんかでは「マハラジャ」とかね。
  ああいったものが、ああいったディスコが・・・
  で、この、なんてんですかね、独特のディスコサウンドが流行った時代。
  それに乗りましたね、これはね。
  デッド・オア・アライブの You Spin Me Round  

  〜 Dead Or Alive / You Spin Me Round
  ttps://www.youtube.com/watch?v=PGNiXGX2nLU
0287ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/03(土) 16:23:51.94ID:???0
  〜 The Beatles / Blackbird
  ttps://www.youtube.com/watch?v=NL6Cb85l8uM

  (小林)ハハハw 鳥がww
  聴くたびに鳥が、違うことを言っているような感じもしますが。

  (調布市/男性)
  ビートルズの楽曲は いい意味で「耳タコ」なんですが。
  Blackbird みたいな、少し雰囲気の違う静かな曲調の楽曲を聴くと。
  ホッとすると同時に、新鮮な衝撃を受けてしまいます。

  (小林)
  まあね、[調布市/男性]さんみたいにストレートなモノ言いは とても良いと思いますよ。
  だから、ビートルズから離れるんだよね。
  うん、それでしばらく経ってビートルズに帰って来ると、またぜんぜん違うということじゃないでしょうかね。
0288ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/03(土) 16:24:21.34ID:???0
  (船橋市/男性)50代
  リンゴの日本公演に行ってきました。
  ボーカルもドラムも、ただただ圧巻のひとこと。
  ビートルズ時代からソロ曲まで、思う存分堪能しました。、
  リクエストはリンゴに負けじと、茶目っ気たっぷりにトッド・ラングレンが熱唱した曲をお願いします。
  Love Is The Answer
 
  〜 Todd Rundgren / Love Is The Answer
  ttps://www.youtube.com/watch?v=IjMKz0wCGmw
0289ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/03(土) 16:25:08.77ID:???0
  〜 The Beatles / Get Back
  ttps://www.youtube.com/watch?v=gbSvs5sPEOM

  (小林)
  「どうだったかな? オーディション、パスかな?」ってねw
  ジョン・レノンがしゃべってますがw
  お馴染みの Get Back
  えっと、これはですね・・・

  (館山市/男性)55歳
  ビートルズ、母親の年代が奔(はし)り。
  同級生のお母さんがLPたくさん持ってたなあ。  (小林)LPね
  その同級生が中学の文化祭で「Get Back」を歌ったが。
  マイクの調子が悪かったのか
  「ゲッバー ゲッバー」しか聴こえなくて大ウケ。
  思い出の曲です。
  お願いします。

  (小林)  
  ということで Get Back をおかけしました。
0290ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/03(土) 16:27:32.92ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたでしょうか?

  リクエスト、ほんとうにありがとうございます。
  リクエストね、なに書いてもいいですからね。
  なんか、関係ないことでも、自分の感じたことでも。
  政治の事でも、経済の事でもw
  でも、なんかつながるんだよw
  曲をかけると。
  よろしくお願いします。

  そして、ビートルズストーリー。
  ジョン・レノンのお話しを・・・
  まあ、これ実録モノ、ジョン・レノンですかね。
  ジョンの長く別れていたお父さんが、久しぶりに帰って来て。
  お父さんも 金ないわけですよね。
  わかりますよね。
  でも、お父さんはほんと、ジョン・レノンに性質が、ちょっとおそらく似てるはずですよ。
  そのお父さん、声も似てましたね。
  珍しい曲が さりげなくかかりましたね。

  これは、この番組、ラジコで・・・
  まあ、この番組に限らないですけど。
  ラジコで、前の番組が聴くことが出来るんですよ。
  一週間ぐらい前、一週間以内だと。
  また、チェックしてください。
  録音録るのもいいかもわかんないよ。
  あのお父さんの声なんか、ね。
  面白いですよね。
  
  リクエストの宛て先は
  beatles@bayfm.co.jp
  こちらで待っております。
  採用の方には、イシイのミートボールなどをセットにしてお送りしております。
  よろしく。
  お相手は小林克也でした。
0291ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/05(月) 18:25:56.44ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年12月04日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(12月4日)
 ・1964年。
  52年前の今日。
  ビートルズが4枚目のアルバムを発売しました。
  これイギリスでの話し。
  で、もう1964年に4枚目。
  だから、アメリカとか世界中で売れるようになったこの年でしょ。
  でも、イギリスでは1年も前から売れていたから、これズレるわけですね。
  イギリスのアルバムと、それからアメリカのアルバムなり。
  もちろん日本のアルバムともね。
  だから、そのアルバムごとに曲が違っていたり。
  ちょっとね、いろいろあったりするわけですけどw

  ま、ビートルズはデビューアルバム、セカンドアルバム、2枚目のアルバムまでは、ほとんど半分がカバー曲、人の歌。
  これはまあ、ライブでウケるから、っていう理由もあって、それを入れるんですけど、カバー曲をね。
  でも、3枚目の「A Hard Day's Night」のアルバムは、14曲全部がオリジナルです。
  そして4枚目「Beatles For Sale」
  52年前の今日、発売になったアルバムは、再びカバーとオリジナルが混合。
  これは ビートルズがオリジナルは書けなくなった、ていうことばっかりじゃなくて。
  オリジナルに負けないぐらい「ライブで奏るとウケるような曲を入れよう!」という。
  ま、ビートルズの姿勢ですよね。
  「ライブバンドとしてもウチはすごいんだよ!」ていうことで。

  で、アルバムのために書いたオリジナルも、やっぱり明らかにビートルズは進化しています。
  フォークロックの影響もあります。
  この年に ニューヨークに行った時に「ホテルに来てくれたボブ・ディラン(Bob Dylan)の影響だ」とジョンは言ってますけど。
  もちろんボブ・ディランもイギリス行ったら、ビートルズに会ったり、ストーンズ(Rolling Stones)、特にブライアン・ジョーンズ(Brian Jones)たちと交友を深めて。
  やっぱり、ディランはビートルズに影響を与えたばっかりじゃない、お互いに影響を与えあっているのね、これは。
  面白いことに。

  アルバム「Beatles For Sale」明らかに それまでのスタイルではないビートルズの新境地が見られるんですけど。
  これはねえ、ちょっと聴いてください。
  それまでね、どういう曲だったか、ていうのをちょっと頭の中に入れて。
  これが4枚目の中に入っています。
  明らかに違います。
  ザ・ビートルズ I'm A Loser

  〜 The Beatles / I'm A Loser
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Zk9FvwfdDcg

  (小林)どうですか?
  やっぱりw やっぱり違いますよね。
  ビートルズ、油乗ってる ていうんですかね。
  なんかほんとにノッテるっていうのが よく感じてきます。
  これ4枚目のね。
  つまり52年前の今日発売になった、4枚目の中の曲を紹介しました。
0292ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/08(木) 13:23:43.81ID:iOypz/Vn0
□ストーリー
 ・「1965年の後半あたりから、私たちの生活を変えてしまったもの。
  それは、様々なサイケデリック体験です」
  こう語るのはジョンの最初の妻であるシンシア・レノン。
  今週もビートルズストーリーは、このシンシアが遺してくれた手記の中からお届けしよう。

  1960年代のロックミュージックは、手探り状態の芸術であり。
  それまで誰もやったことの無いあらゆる手法を試してみる、ということが大切、と理解されていた。
  ドラッグもその一つであるが、これはもちろん現代社会においては100%違法であり。
  誰が見ても許されないこと。
  国によっては終身刑、あるいは死刑になることもある重罪とみなされている。
  もはや時代が違うのである。

  こうした時代に入っても、ジョンは仕事をおろそかにすることはなかった。
  レコーディングやツアーの間は、絶対にノンドラッグを貫いていた。
  そんな時代と並行して、ビートルズはアーティストとして次の段階に入っていった。
  彼らは3年の間、ノンストップでツアーとレコーディングにがんばってきた。
  ジョンも、ポール、ジョージ、リンゴも、精神的にも、肉体的にも、もうすっかり疲れ切っていた。
  一年間で主要な海外ツアーは3回。
  来る日も来る日も、数え切れないほどのファンの前で演奏を続けた。
  どの会場でも、絶叫を上げる観客に向かって、決まったレパートリーを繰り返し歌い続け。
  しかも、演奏は半分以上の客には聴こえていなかった。
  メンバーは皆思っていた。
  「もう、たくさんだ」
  
  ライブツアーに加えて、曲を作り、シングルとアルバムを契約通り制作し。
  1965年の時点では「A Hard Day's Night」「HELP!」という2本の主演映画にも出演した。
  メンバーはできれば3作にも主演したいと願っていたが、もはやスケジュールはぎっしりで、そんな余裕は無い。
  この流れで行けば、来年も、また次の年も、長いツアーの合間にレコーディングである。
  英気を養う時間など、どこにも見当たらなかった。
0293ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/08(木) 13:24:20.37ID:???0
  〜 The Beatles / When I Get Home
  ttps://www.youtube.com/watch?v=D4iZ4N8mtvo
 
  〜 The Beatles / Everybody's Trying To Be My Baby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=b3vRT3Go6BY

  (小林)初期の作品が2曲続いています。
  
  When I Get Home
  これは さきほど紹介した、3枚目と言いましたね。
  「A Hard Day's Night」のアルバムに入っていました。

  そして、今聴いた Everybody's Trying To Be My Baby
  これは、「Blue Suede Shoes」などでお馴染みかもしれませんが。
  カール・パーキンス(Carl Perkins)の曲のカバー。
  これが、52年前の今日 発売になった4枚目の中に入っていた曲であります。
0294ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/08(木) 13:25:11.49ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「1963年後半からの、ビートルズのスケジュールは異常でした。
  若いから出来たとはいえ、本当にかわいそうなくらいだったんです。
  それでも、ジョンはステージに立って、ファンの前に姿を見せることが大好きだったんです。
  それが自分の人生だ、と言ってましたね」
  と証言するのはジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  彼女が記した手記の中から。

  しかし、もはや限界であった。
  ツアー、レコーディング、映画出演、その全てをこなすのは もう無理である。
  どんなにがんばったところでビートルズも生身の人間。
  このまま続けると、肉体的にも精神的にも破綻を来たすだろう。
  みんなそう考えるようになっていた。

  「このままじゃダメだ。
  ようし、思い切って、何かを手放そうじゃないか?」
  誰からともなく、そういう意見が出た。
  反対する者はいない。
  結果、ビートルズが手放したのは、コンサートツアー。
  ライブ活動を停止することにした。

  その代り、レコーディングや映画製作、それに他の新しいプロジェクトを立ち上げることも出来るだろうし、専念出来る。
  そして何より、四人とその家族や恋人にとって一番大切な休暇を取ることもできる。
  そう考えたのである。

  1966年、ビートルズの最後のツアーの地となるアメリカへ出かける前にドイツを訪れ。
  第二の故郷とも言えるハンブルグ公演では、熱烈な歓迎を受けた。
  そのあと一行は、東京、フィリピンへと向かった。
  ライブ活動を停止する、という自分たちの決断が受け容れられたことを、ジョンは嬉しく思っていた。
  ジョンはもうすっかり消耗しきっていて。
  あとはひたすら、誰にも邪魔されずに自宅に居たいと願うくらい。
  もはや、限界の限界に達していたのである。
0295ホワイトアルバムさん
垢版 |
2016/12/08(木) 13:25:35.17ID:???0
  〜 The Beatles / I'm Only Sleeping
  ttps://www.youtube.com/watch?v=38wIuDAq2yg

  〜 The Beatles / If I needed someone
  ttps://www.youtube.com/watch?v=XTtmZ7D77hA

  (小林)If I needed someone
  「Rubber Soul」のアルバムから。

  そして、その前の I'm Only Sleeping
  これは「Revolver」ですね
0296ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/08(木) 13:26:23.52ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「『海外ツアーに出ると、どうしても断わり切れないファンサービスがあるんだ』って
  ジョンはよく言ってましたね。
  スケジュール的に本当に辛かったみたいです」
  これはジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  彼女の遺した手記の中から続く。

  ツアーに出れば、ビートルズの元には、病気の人や身体的なハンディキャップを持った人たちが集まって来るので。
  ジョンはそういうことも、できれば避けたかった。
  それは差別的な考えでそう言っているのではなく。
  そうした人々や、その親たちが、ステージの最前列に座り。
  ビートルズをまるで救世主でも見るかのような目で見ることが 耐えられなかった。
  「俺は、ごく普通の人間なんだぁ!」と叫びたい気分だったのである。
  仮にライブの本数が半分であれば、そんな考え方にも ならなかったかもしれない。
  こういった場面でも、ジョンとビートルズは限界の場所に立たされていたのである。

  いずれにしても、ジョンはステージに立つことより、曲を書いたり、レコーディングしたりすることの方が好きだった。
  一人で作業するか、ビートルズのメンバーと、一握りの才能あるエンジニアやプロデューサーたちとだけスタジオに入る方がずっと良いと思っていた。
  実のところ、ジョンはもうずっと前から、コンサート活動にはすっかり興味を失っていたのだ。

  ジョンはビートルズを「演奏する四匹のサル」と呼んでいた。
  群衆に叫び声を上げてもらうため、ステージに上がったり下がったりするよう芸を仕込まれた、猿回しのサルである。
  いくらステージで演奏しても、生まれて来るものは何もない。
  もしビートルズがステージを永遠に去ってしまったら、きっと世界中から猛烈な非難を浴びるだろうということは、ジョンも充分に承知していた。

  けれども、どうしても、その日が来るのが待ちきれなかったのだ。
  世界的なアイドルグループのメンバーの気持ちなどというものは、本人にしか判らないものだ、とよく言われるが。
  ビートルズのメンバーの中でも特にジョンが、ここまで追い詰められていたとは。
  誰にも理解されないことだったのである。
0297ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/08(木) 13:35:23.15ID:???0
  〜 The Beatles / Rock and roll music(live in Budokan)
  〜 The Beatles / She is A Woman(live in Budokan)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=LMqe9QAJfw4

  (小林)これは東京の武道館です。
  1966年。
  演奏した順に Rock and roll music、 She is A Woman
0298ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/10(土) 16:07:26.62ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてプレゼント。

  (小林)最初の方は、時々くださるんですが・・・

  (横浜市/男性)
  我が家ではもう10年くらい前から、克也さんの番組を聴きながら晩御飯を食べる習慣になっており。
  息子は生まれた時からずっと聴いております。  
  2歳の時に、この番組でかかったジーン・ヴィンセント(Gene Vincent)の「Be-Bop-A-Lula」ね (小林)「ビーバッパルーラ♪」ていうやつ
  それから昔のロックを、ユーチューブで聴きまくるようになって。   (小林)え〜っ?
  リトル・リチャード(Little Richard)、エルビス(Elvis Presley)、バディ・ホリー(Buddy Holly)、エバリー(Everly Brothers)  (小林)ね。
  そういった50年代のロックンロール、一通り聴いた上でビートルズが好きになったのは3歳くらいからです。

  (小林)ていう。
  その息子さんの代筆、代筆メールか。
  [横浜市/男性の息子]君、横浜市。

  (横浜市/男性の息子)
  克也さんへ。
  ビートルズを楽しく聴いています。
  僕はビートルズを聴いて育ちました。
  今日は映画を観ました。
  かけて欲しい曲は「Helter Skelter」です。

  (小林)ていうw
  [横浜市/男性の息子]君は、もうすぐ誕生日だねw
  あ、誕生日過ぎちゃったのかな?。
  ああ、誕生日だったんだw
  おめでとうw
  誕生日だったんだ、おめでとう。

  Helter Skelter ねえ。
  あのねえ、[横浜市/男性の息子]君ね、これね、Helter Skelterってのはね。
  危ない滑り台なんだよ。
  回転滑り台ってね、グルグル回りながら降りる滑り台でね。
  昔の遊園地はあったらしいよ。イギリスの遊園地なんか。
  だからねえ、ポールが滑るんだよ。
  そしたらねえ、下でね声が聴こえるから滑ってくと。
  彼女のところへ行くわけ。
  そうすると、彼女がいないんだよ。
  で、声が上からまた・・・
  「おお、上かあ」って思って。
  どれくらい上かなあと思うとね。
  もう、3q上だったりするような。
  ちょっと、ぶっ飛んだ回転滑り台に乗った歌だよ。
  行くよー  Helter Skelter 

  〜 The Beatles / Helter Skelter
  ttps://www.youtube.com/watch?v=UXOkzEXJuDs
0299ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/10(土) 16:08:45.42ID:???0
  〜 The Beatles / Golden slumbers - Carry that weight - The end

  (小林)いやあ
  [横浜市/男性の息子]君のねリクエストとね[八王子市/男性]君のリクエストで。
  ちょっとしたトリップができましたね、ありがとう。
  これはもうw いろんな曲が流れましたけどw 
  有名なところですよね。

  (八王子市/男性)
  ラジコの番組で、今日初めて知り聴いています。
  「ビートルズから始まる」まさしくその通り、私の音楽遍歴はビートルズから始まっています。 
  「抱きしめたい」「She Loves You」を今から40年ほど前に聴いてからハマってしまいました。
  弟と小遣いを出し合ってLPを全部そろえたりもしました。
  「アビーロード(Abbey Road)」のB面、懐かしい表現ですが、メドレー最高!。
  時間が許す限りでいいので。

  (小林)ていうことで、かけました。
  それも、Helter Skelter から続いたメドレーだったから、良かったでしょう? ねえ。
  すごいよリクエスト。
  リクエスト こういうふうにして盛り上げたいよね。
0300ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/10(土) 16:09:40.95ID:???0
  (銚子市/男性)
  久々のリクエストです。
  先日、ラジオを聴いて、流れてきた曲がとてもビートルズっぽいなと思ったんで。  (小林)なになに?
  この番組で、ぜひ取り上げていただきたくメールしました。
  個人的にはビートルズの中期から後期にかけての楽曲の影響を感じます。
  いかがでしょうか?
  
  (小林)そういう感じかな。
  これは[銚子市/男性]さん26歳。
  それじゃあ、レモン・トゥィッグズ(The Lemon Twigs)の曲を聴いてみましょう。
  These Words

  〜 The Lemon Twigs / These Words
  ttps://www.youtube.com/watch?v=LncJE2otRVA

  (小林)いやあ
  ビートルズの臭いがw 臭いがするよw
  これは17歳と19歳の兄弟デュオ、ニューヨーク出身。
  で、アルバム「Do Hollywood」ていうのを出したばっかりだそうです。
  レモン・トゥィッグズの「These Words」
0301ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/10(土) 16:10:55.78ID:???0
  (船橋市/女性)
  克也さん。
  11月初めの放送、高校時代の同窓会で渋谷へ行った父77歳を最寄りの駅まで迎えに行く間に車を停めて聴いていました。
  父もとっても懐かしがっていました。     (小林)お父さんと一緒に聴いたんだ。
  私はビートルズ あまり知らないけど、私が好きなのは「Let It Be」です。
  生まれる前の曲ですが、わが娘18歳・・・  (小林)この方は[船橋市/女性]さん42歳、娘さん18歳
  まで浸透しています。
  よろしくお願いします。
 
  (小林)わかりました。

  〜 The Beatles / Let It Be
  ttps://www.youtube.com/watch?v=0D5JJZl6MB0
0302ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/10(土) 16:12:17.15ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?

  ジョン・レノンの話しも面白いし、ね。
  今日はリクエストも盛り上がったね。
  リクエストは前半は、ポールのメドレー最高だったですよね。
  ですから、まあまあ・・・書く内容もあれですけど。
  やっぱり、曲もね。ええw
  Let It Be とかそういうふうな普通の曲もOKです。
  それから、ちょっと珍しい曲もOKです。
  まあ、ビートルズの影響を受けたレモン・トゥィッグズみたいなね。
  そういうのもOKです。
  だから、有限だけど 無限です。
  w w よくわかんないw
  待ってますよ。

  採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてお送りしています。
  メールは
  beatles@bayfm.co.jp
  こちらで待っております。
  小林克也でした。
0304ホワイトアルバムさん
垢版 |
2016/12/11(日) 18:49:19.59ID:/n1IikaE0
12月11日実況
台本があるのかどうかわかりませんが、今日の放送で小林克也さん、
Drive My CarをRevolverからって言いましたよね。
それからHelpがシングルヴァージョン(mono)だったのは分かって選んだことなのか?
知らないでやったことなのか?
0306ホワイトアルバムさん
垢版 |
2016/12/12(月) 19:51:34.79ID:EaZiWtwJ0
もしかしたら、このスレ維持してるのナポリさん?
違うのなら違うと言ってください。
0308ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/12(月) 22:24:26.81ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年12月11日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(12月11日)
 ・1968年。
  48年前の今日。
  ローリングストーンズ(Rolling Stones)が企画した「ロックンロール・サーカス」
  これのフィルム撮りが行われました。
  そして、ジョン・レノンがそこで「Yer Blues」を歌った、と出ています。

  48年前の今日。
  1968年というとローリングストーンズの、もちろんビートルズもすごかった、当たり前ですよね。
  ビートルズが一等一番先を走ってるわけですが。
  ビートルズは、だけどコンサートを辞めて、そして自分たちのレコード会社も作って。
  ヒット的に言うと「Hey Jude」が、もう700万も売れている。
  2枚組の「ビートルズ(The BEATLES)」のアルバム、出ている。

  で、ストーンズはというと。
  ストーンズも歴史的に言うとね、
  ブライアン・ジョンーンズ(Brian Jones)がリーダーだった。
  もうこの人は、もう徹底してブルースだったんだけども。
  ブライアン・ジョーンズを、ミック・ジャガー(Mick Jagger)とキース・リチャード(Keith Richards)が追い出した形になって。
  ブライアン・ジョンーンズは亡くなりますね。
  で、ミックとキースは独特の・・・・
  やっぱりビートルズの後を追っかけるんだけど、「俺たちは、俺たちだけの世界」みたいなのが出てくるんですよ。 
  「Sympathy For The Devil」=「悪魔を哀れむ歌」を含むアルバム「Beggars Banquet」
  やっぱりこれは、ビートルズとは全く違う。
  ビートルズとは違うローリングストーンズ。

  そのローリングストーンズが「ロックンロールはサーカスだ」
  ロックンロールとサーカスを融合させようというコンセプトで、自分たちでお金を出して企画制作したもの。
  これがですね、実はあとで見ると・・・
  特にミック・ジャガーが気に入らなかったのは、フー(The Who)がすごい良かった。
  ジェスロ・タル(Jethro Tull )がすごいカッコ良かった。
  でも、「ストーンズ、これじゃ損しちゃうよ」ていうことで。
  本当はテレビで放送する予定だったのが、放送しなかったんですね。ええw
  だから、30年近く経った1996年に、ビデオとCDで発売になりましたw
0309ホワイトアルバムさん
垢版 |
2016/12/12(月) 22:25:16.03ID:???0
  その中で、ジョン・レノンが奏っています。
  このメンバーがすごい。
  ギター・ボーカルはジョン・レノンね。
  リードギターが、エリック・クラプトン(Eric Clapton)です。
  ドラムスはジミ・ヘンドッリックス・エクスペリエンス(Jimi Hendrix Experience)のミッチ・ミッチェル(Mitch Mitchell)が担当。
  ベースが キース・リチャーズ(Keith Richards)
  そして、ジョンの側(かたわら)にはヨーコがいました。
  そして、奏ったのが Yer Blues
  それじゃ、このグループの名前がですね。
  ダーティ・マック(Dirty Mack)ていう名前だったんですよw
  臨時グループの名前が、ジョン・レノン率いるダーティ・マックの Yer Blues

  〜 Dirty Mack / Yer Blues
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Iuy-10Ejck4

  (小林)いかがですか? ねえ。
  ストーンズが主催して、こういうバンドが受けたり、他のグループが受けたり。
  ミック・ジャガー、面白くなかったのかもw わかりませんけどもw
  どうですか?
  これ バンドが見えるでしょ? ねえ。
  エリック・クラプトンだとか、聴いててバンドが見えないですか?
  なかなかこれ名演だと思います。
  それから特に、ジョン・レノンのボーカルはやっぱり。
  こういうブルースはね、元々黒人の物じゃないですか?
  音楽でいう、黒人のボーカルは「泣き」が入るんですよね
  ジョンのボーカルは、ぜんぜん叫びでしょ。
  だから、これが、ハードロックボーカルの始まりなんですよね、ジョン・レノンてのはね。
  ええ、独特ですよね。
  ダーティ・マックの Yer Blues を聴いていただきました。
0310ホワイトアルバムさん
垢版 |
2016/12/12(月) 23:38:14.92ID:pgsgj3qp0
>>309 ここで言われてるジョンの即席バンドは、Dirty MackではなくてDirty Mac、
つまり「汚ねえマック(マッカートニー)」の意味だそうです。
小林克也さんが少し苦笑しながらDirty Macを繰り返したのは、
きっとそのことを言いたかったのでしょう。
いや私はアンチポールじゃありませんけどね。
0311ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/15(木) 18:03:03.70ID:???0
□ストーリー
 ・「このままじゃダメだ。ようし、思い切って何かを手放そうじゃないか?」
  誰からともなく そういう意見が出た。
  ビートルズのメンバーに反対する者はいない。
  アルバムだって、ライブでの演奏を気にせずに、いろんなアイデアを盛り込んで作ってみたいし。
  3作目の映画は、出来るならば自分たちの演出でやってみたい。
  音楽だけじゃない、アート全般に渡る新しい何かを、才能ある連中を集めてやってみたい。
  みんなで意見を出し合っていたら、そのアイデアはどんどん湧き出て来る。
  そして、何よりも必要なのは、休暇を取ること。
  家族や恋人とゆっくりとした時間を過ごす、そんなごく普通のことを四人はすっかり忘れてしまっていたのである。

  こうして、ビートルズは1966年8月をもって、ライブ活動を辞めることにした。
  この時点では、それがずっと続くのか? いや、一時的なものなのか? それは誰にもわからないことであった。
  もちろん、それでもツアーのオファーは来た。
  アメリカの大物プロモーターは「ギャラは今の3倍、いや、5倍用意しよう。それでもダメなのか?」
  と執拗に食い下がった。
  マネージャーのブライアン・エプスタインは断わるのに必死であった。
  また、ブライアン本人は、次のアルバムを発表したら「小規模でもいい、ツアーを再開したい」と心から願っていた。
  たしかに「一度ライブの世界から離れたら、ロックミュージシャンとして復帰に時間を要するだろう」
  と、ジョンもポールも少し不安をいだいていた。

  しかし、ジョンの妻シンシアは少し楽天的に考えた。
  それは、あくまでも家族としての意見。
  ツアー活動を辞めるということは、ジョンが家にいる時間が増え、家族として一緒にいられるということ。
  父親がそばにいるようになれば、息子のジュリアンにとって素晴らしいことである。
  それにツアーを停止すれば、その分だけプレッシャーも軽減し
  「イケナイ物を摂取することも少なくなるだろう」
  と願ってもいた。
  シンシアは、あの昔のジョンに戻って欲しかったのである。
0312ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/15(木) 18:03:46.90ID:???0
  〜 The Beatles / Help!
  ttps://www.youtube.com/watch?v=8xqLfz_LPm4
 
  〜 The Beatles / I Feel Fine
  ttps://www.youtube.com/watch?v=WWTC5nFgwUQ

  (小林)えー 2曲の勢いはすごいですよね。
  もう何回も聴いている曲なのに。
  
  Help! 
  ねえ、この潔(いさぎよ)いスタート。

  それから I Feel Fine もイントロ賞ですよね。
  見事につながりましたねえ。
0313ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/15(木) 18:04:23.85ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「1960年代中頃、多くのミュージシャンや芸術家がそうであったように。
  ジョンもビートルズのメンバーも、あのイケナイ物と仲良くなってしまいました。
  これは、ツアーに出て、いろいろなミュージシャンから受けた悪い影響だと、私はそう思っていたのです」
  こう証言するのはジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  シンシアが記した手記の中から。

  「ビートルズがツアーを停止したらどうなるか?」
  シンシアは考えた。
  ジョンはきっと、昔の優しくひょうきん者のジョンに戻ってくれるに違いない。
  ジョンはツアーが無くなったら、家に居られることになることや。
  息子のジュリアンと一緒にいられる時間が増えて、父親らしいことをしてやれること。
  また、シンシアとも夫婦らしい毎日を取り戻せることなど、話してくれた。
  それが、ジョンにとっての喜びであることも。

  更にこれから先、ジョンが仕事で家を空ける時は「出来るだけジュリアンとシンシアも一緒に行けることにしよう」
  ということで二人の意見は一致した。
  そのころジョンは、もっと映画を撮ろうと考えていて。
  そうなれば海外に出かけることにもなるかもしれないと、そんな夢を膨らませていた。

  そんな予定も夢もいっぱいで、シンシアはそれまで何カ月も、いや、何年も味わったことのない幸せに浸っていた。
  浮かれ気分のシンシアは、ジョンが残りのツアーに出ている間、母親とジュリアンを連れて休暇に出かけることにした。
  彼女の母親は「イタリアのペーザロ(Pesaro)に行こう」と言った。
  アドリア海に面したリゾート地である。
  母親は一度行ったことがあるので「その時に泊まった、ある一族の経営する家庭的な雰囲気のホテルはどうか」と言う。
  「そこなら、あなとのこと誰も知らないから、ゆっくり休めるでしょう」
  果たして思い通りに行くか?。
  シンシアは安心半分、不安も半分であった。
0314ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/15(木) 18:05:19.28ID:???0
  〜 The Beatles / Drive My Car
  ttps://www.youtube.com/watch?v=trrepsAwcTg

  〜 The Beatles / Baby It's You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=SuqXq3J3Mow

  (小林)2曲つながりましたね。

  ※Drive My Car は「Revolver」の中に入っている、ね。
  ジョンとポールのダブルボーカルと言いますか。

  そして Baby It's You は1963年。
  ごく初期。
  これは、シュレルズ(The Shirelles)の、女性グループの曲なんだけれも。
  60年代70年代、大活躍する大作曲家のバート・バカラック(Burt Bacharach)の作品、
  Baby It's You
  ジョン・レノンのボーカルです。

※=音声のまま。
0315ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/15(木) 18:06:40.97ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「イタリアのペーザロだったら、あなたとジュリアンが行ってもパパラッチに騒がれることもないわ。
  前に泊まったホテルも家族営業で、とても良くしてもらったわ」
  これはジョンの最初の妻シンシア・レノンの母親の発言。
  シンシアの遺した手記の中から続けよう。

  ペーザロはイタリアの東海岸アドリア海に面した港町で、静かな観光地である。
  ところが、このリゾート地で、まさかの事態が発生した。
  シンシアと息子のジュリアン、そしてシンシアの母親の3人が予約してあったホテルに到着していない段階で、イタリアのパパラッチに勘づかれてしまった。

  飛行機の乗り替えの時に、空港でシンシアがジュリアンを抱いて、次の飛行機に乗り継ごうとしている所を写真に撮られ。
  その写真がイタリア中の雑誌に掲載されてしまったのだ。
  それからというもの、シンシアがビーチに行くたび。
  「小っちゃいビートル。リトルビートルにキスがしたい」とか
  「抱っこしたい」という大勢の人たちが取り囲むようになった。
  可哀そうなことにジュリアンはおびえていた。
  シンシアはジュリアンを連れてその場を立ち去り、ホテルに隠れていなければならなかった。
  このホテルを経営するパッサーニファミリーは、シンシアたちを守ろうと精一杯のことをしてくれた。
  シンシアたちを裏口から出して、誰にも邪魔されない居心地の良いこじんまりとしたレストランにも案内してくれた。
  とても良い人たちだったので「ビートルズをめぐる狂乱が収まったら、いつかまた泊まりに来ます」と約束してホテルを後にし。
  この旅行は終わった。

  そして、リゾートから一転。
  1966年7月初旬にウェイブリッジの自宅に帰ると。
  その数日後、ジョンが帰って来た。
  ジョンは家族と会えて、ものすごく嬉しそうで、一家団欒の幸せなひと時を過ごした。
  しかし、それも束の間。
  8月に行われる最後のアメリカツアーの準備が始まった。
  
  しかし、またしてもジョンの周りには、ぶ厚い暗雲がたちこめていたのである。
0316ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/15(木) 18:07:37.12ID:???0
  〜 The Beatles / The Night Before
  ttps://www.youtube.com/watch?v=D9FOX2RvfZY

  〜 The Beatles / Baby's in Black
  ttps://www.youtube.com/watch?v=rVYuGVdGhhE

  (小林)2曲続きました。
  
  1965年「HELP!」の中に入っている
  The Night Before

  それから、Baby's in Black
  「いつも黒を着てる」っていう、この歌は、あれですね
  ジョンの親友で、ほら、もうほんの短い期間、ビートルズのベースを勤めたサトクリフ(Stuart Sutcliffe)の。
  ドイツ人の女性と結婚しましたよね、写真家と。
  そのアストリッド(Astrid Kirchherr)に捧げた曲。
  Baby's in Black
0317ホワイトアルバムさん
垢版 |
2016/12/15(木) 20:20:34.43ID:wINWHt3w0
>>314 ※=音声のまま。
で、あなたはどう思うのですか?
0318ホワイトアルバムさん
垢版 |
2016/12/16(金) 04:39:34.34ID:???0
どう思うも何も
RevolverじゃなくてRubber Soulに入っているのは明らかなんだから
答えようがないだろうよ
0319ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/17(土) 15:55:14.39ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。


  (世田谷区/女性)高校生
  こんばんは。
  今年はビートルズの曲はもちろん、四人のソロ曲をいろいろ聴いた一年でした。   (小林)えー?、若いのに
  今まで、ポール、ジョン、リンゴはちょくちょく聴いていたんですが。
  ジョージ・ハリスンは、インド音楽のイメージが強くて、なかなか聴こうと思いませんでした。
  しかし、同級生に勧められ、ジョージの魅力に気が付きました。
  インド系ばかりかと思っていましたが。
  ロックやブルース系と言っていいのかわかりませんが、そういう曲調のものも多く、どんどんハマってしまいました。
  そこで、イントロがカッコ良すぎるこの曲を・・・  

  (小林)ていう
  さあそれじゃ[世田谷区/女性]さんのリクエストで
  ジョージ・ハリスンの Devil's Radio 

  〜 George Harrison / Devil's Radio
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Ogghq9Cj4Fo

  〜 Ringo Starr / 思い出のフォトグラフ(Photograph)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=t6CMSuT98-E

  (小林)ジョージ・ハリスンの Devil's Radio から
  ジョージ・ハリスンとリンゴ・スターが共作した。
  リンゴが歌っている「思い出のフォトグラフ」
  やっぱりジョージのメロウさが、メロウさがこの中に入っていますね。
  これ全米ナンバーワンの世界的なヒットになりましたね。
0320ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/17(土) 15:56:35.83ID:???0
  (千葉市花見川区/男性)
  毎週日曜日の放送を聴いている、57歳のオジサンリスナーです。
  ビートルズストーリーは興味深く聴いています。
  さて、ビートルズ来日公演から50周年ですね。
  今年どこかのラジオで聞いたのですが、
  湯川れい子さんが、ビートルズの宿泊するホテルに取材に行った話しをしていました。
  ポールと話しをすることが出来て、最後に「写真を」となった時。
  「誰と?」と聞かれ、「リンゴ!」と湯川さんは答えたそうです。
  当時の一番人気はリンゴ・スターだったんですね。

  (小林)ていう、ハイw
  リンゴ・スターはもう初期はあれですよね。
  アメリカなんか、特にリンゴが一番でしたね。
  断トツでね。
  さあ、というわけでリンゴ・スター「思い出のフォトグラフ」が流れたんですが。
0321ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/17(土) 15:58:32.66ID:???0
  (小林)続いて

  (千葉市/女性)
  今回、初めてリクエストします。
  実は、3年前のスペシャルパーティ   (小林)この番組の公開録音。
  幸運にも参加しました。
  ちょうど、この季節になると、あの楽しかった時間が蘇えってきて。
  最近また思い出してしまいました。
  佐藤竹善さんと、ピアニストの塩野谷悟さんのユニット
  そして、ミス・オオジャさんも出ました。
  本当に素晴らしいライブでした。
  リクエストは佐藤竹善さんのカバーアルバムから「CORNERSTONES」から 

  (小林)「CORNERSTONES5」かな?
  これはですね。
  リクオというピアニストと一緒に奏っています。
  佐藤竹善&フレンズで「レディ・マドンナ」

  〜 佐藤竹善 / レディ・マドンナ
0322ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/17(土) 15:59:45.16ID:???0
  〜 Diana Ross & Lionel Ritchie / Endless Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=JM_R1R28kLM

  (不明/男性)
  克也さん、この時期になると、どの局からも山下達郎「クリスマスイブ」が聴こえてきますね
  私はダイアナ・ロス(Diana Ross)&ライオネル・リッチー(Lionel Ritchie)の「Endless Love」をリクエストします。(小林)w
  草津温泉で。

  (小林)w
  草津温泉行くんですかw えー。
  [不明/男性]さん
  リクエストありがとう。
0323ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/17(土) 16:01:04.85ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  ジョン・レノンがいなくてもですよ、ねえ。
  カミさんと、子供と、カミさんのお母さんが、イタリア行って、ねえ。
  それでも 大騒ぎされるってんですから。
  ビートルズはすっごいことになってたわけですね。
  さあ、来週もお楽しみに。

  それから、リクエストよろしくお願いします。
  beatles@bayfm.co.jp
  です。
  採用されるとイシイのミートボールなどをセットにしてお送りしております。
  お相手は小林克也でした。
0325ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/19(月) 18:42:44.49ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年12月18日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(12月18日)
 ・1967年。
  今から49年前の今日。
  もう年末でしょうねw
  年末と言ってもいいと思いますがw

  ポールは、婚約者のジェーンと自分の農場で、スコットランドの農場で過ごす。
  と、あります。
  1967年は「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」の年。
  これが終わると、ポールは許嫁(いいなずけ)のジェーンの劇団がアメリカで興行をやっているということで。
  そこに、参加するわけですよね。
  観に行くわけですよね。
  で、誕生日を祝ったりしながら。
  で、飛行機の中で「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・・・」じゃなくてw
  飛行機の中で「マジカル・ミステリー・ツアー(Magical Mystery Tour)」ていうアルバムのコンセプトを想い付いて。
  それも録音しちゃう。

  すっごいですよ。
  二つのすごいアルバムを録音した、その後で。
  スタッフのニール・アスピノールに頼んで、
  「農場の広告が出ているから、これちょっと見に行って来い」ということで。
  ポールは見ないで農場を買うわけです。スコットランドの。
  海の近くだから、実際にはね、けっこうカビだらけで酷い農場だったんですけども。
  でも、ポール・マッカートニーは、木箱を重ね合わせてテーブルを作ったり。
  お嬢様育ちの婚約者のジェーンは、金属製のバスタブ、電熱器で温めてお風呂にしたり。
  その電熱器を使ってカリフラワーチーズを作ったり。
  楽しんでいた。

  でも、ポールはあれですよね。
  ジェーンの留守中に、アメリカ人女性フランシーヌ・シュワルツていう人と浮気をしてw
  この婚約は解消してしまうんですね。
  けっきょく、リンダ・イーストマンと結婚し。
  この農場で過ごすようになって。
  この農場で、ポールのソロアルバムが録音されるんです。
  まあ、そういった農場ですから、楽器はまあそこそこ揃っていたけども。
  あったのは、マイクロフォンと、4トラックのテレコだけ。
  そんな環境で、ポールはファーストアルバムを作るわけですね。
  そうろんねw
0326ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/19(月) 18:43:53.45ID:???0
  ていうことで、話しが長くなりましたがw。
  その農場で作ったという、有名な曲を聴きましょうか。
  ポール・マッカートニー That Would Be Something

  〜 Paul McCartney / That Would Be Something
  ttps://www.youtube.com/watch?v=_1SpG24rksA

  (小林)ポール・マッカートニーの That Would Be Something
  「すごいことだろうなあ」っていう That Would Be Something
  どうしたら「すごいこと」かっていうと。
  「雨が降っている中で、君と会うのはすごいだろうなあ」っていう。
  で、これはあれですよね。
  聴いたらすぐ分かるでしょう?
  ポール・マッカートニーの天才ぶりからいくと。
  1時間ぐらいで録ったようなw 曲じゃない?
  作って録っちゃった、自分ちの4トラで、っていう。
  で、ヒューマンボックスまで、ヒューマンビートボックスまでw やってますよねえ。
  すごいですよね。
  でもねえ、4トラでこの年は、もう最高の苦労するわけ。
  今の機材だったら簡単にできることを、4トラックでジョージ・マーティンたちとポールは一生懸命やったから。
  もうほんとに、このソロアルバムの時はリラックスして、自宅で録ってるような感じだったんだろうね。
0327ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/24(土) 16:24:06.33ID:???0
□ストーリー
 ・「イタリアのペーザロだったら絶対に大丈夫。
  パパラッチなんかへっちゃらよ」
  と、自信たっぷりに娘のシンシアと孫のジュリアンを旅行に連れて行こうとしたシンシアの母親。
  結果は悲惨であった。
  やはりここにもパパラッチは先乗りしていた。
  もちろん、このホテルを経営するパッサーニファミリーは、シンシアたちを守ろうと精一杯のことをしてくれた。
  シンシアたちを裏口から出して、誰にも邪魔されない居心地の良いこじんまりとしたレストランにも案内してくれた。
  とても良い人たちだったので「ビートルズをめぐる狂乱が収まったら、いつかまた泊まりに来ます」と約束してホテルを後にし。
  この旅行は終わった。

  そして、リゾートから一転。
  1966年7月初旬にウェイブリッジの自宅に帰ると。
  その数日後、ジョンが帰って来た。
  久しぶりの一家団欒を楽しんでいたジョンであったが、
  最後のアメリカツアーの準備に入ったジョンの周りには、またしても黒い雲がたちこめた。

  事件の発端は、この数ヶ月前。
  ジョンがロンドンの「イブニング・スタンダード」という新聞記者=モーリン・クリーブのロングインタビューを受けたこと。
  このクリーブとういう女性記者は、ジョンの親しい友人で。
  もちろんビートルズのファンであり、共感者でもあった。
  そんな打ち解けた雰囲気の中で、おそらくジョンは気を緩めてしまったかのような発言をした。
  その内容をご紹介しよう。

  「キリスト教は、いずれ無くなるだろう。
  消滅への一途をたどるだけだ。
  議論する必要もない。
  僕の言ってることは正しいよ。
  そのうち僕が正しいことが証明される日が来るはずだ。
  今や、キリストよりも僕らの方が人気者だ。
  ロックンロールとキリスト教では、どっちが先に消えるのか。
  僕は知らないけどね。
  勘違いしないで欲しいんだけど、キリスト自身は良かったんだ。
  ただ、弟子たちが頭にぶくてお粗末だった。
  僕が思うに、教えを歪めてダメにしたのは、そういうやつらなんだよ」
0328ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/24(土) 16:24:56.73ID:???0
  〜 John Lennon / God
  ttps://www.youtube.com/watch?v=jknynk5vny8
 
  〜 The Beatles / The Ballad Of John And Yoko
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ugOtHXQEypk

  (小林)というわけで。
  2曲、ジョン・レノン物がかかりましたが。
  
  これは、The Ballad Of John And Yoko
  ジョンとヨーコが結婚式を出るためにイギリスを出て、ね。
  いろいろな目に合うw、っていうのを。
  それを、もう歌にしちゃって。
  この頃はビートルズは不仲が伝えられていたけど。
  これはあれですよ、ポールと二人きりで作って。
  それで、録音したわけですよね。
  ポールが、だからドラムズ、それからベース、リードギター、ピアノ。
  それから、マラカスまで弾いています。
  ビートルズ The Ballad Of John And Yoko

  そしてその前は、ジョンのソロアルバムです。
  プラスティック・オノバンド(Plastic Ono Band)名義のソロアルバム。
  「もう何も信じない」つって羅列されるじゃないですか、ねえ。
  何が出てくるんです?、最後に「ビートルズを信じない」って
  信じるのは何か? 「信じるのは自分だけ」みたいなw
  それで、God というタイトルですね。
  このアルバムは、だから4人のソロアルバムの最初のアルバムとしては
  ジョンが一番売れなかったんじゃないかな?w
0329ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/24(土) 16:26:19.18ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンがイギリスの新聞のインタビューで語った、キリスト教発言。
  あのちっぽけな記事が、あれほどの事態にまで発展するなんて、誰も想像していませんでした」
  と証言するのはジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  彼女が記した手記の中から。

  ジョンがその場のはずみで言ってしまったコメントで
  ジョン自身、誰にも共感してもらおうとは思ってもいなかった。
  意見を求められたから答えただけのことである。
  もちろん、「こんなことを言ったら 議論の的になるだろう」ということも判っていた。 
  けれども、ジョンはもともと「他の人に良く思われないかもしれない」という理由で尻込みして
  思っていることを言わないような人間ではなかった。
  1966年の3月に、インタビューが新聞紙上で発表された時は、騒ぎにも何もならなかったし。
  ジョンの周りの皆も やがて忘れてしまっていた。

  ところが、7月の終わりにアメリカの「デートブック」という雑誌が、
  ジョンのコメントを ロンドンの「イブニング・スタンダード」の許可を得て転載した。
  「ビートルズはキリストよりも人気者だ」という一節だけが抜き出され。
  アメリカのメディアに取り上げられて、それからが大混乱。
  その数日のうちに アメリカ合衆国全域に渡る多くのラジオ局でビートルズの曲を放送禁止にし。
  各メディアの解説者たちは怒りを露わにし。
  中でも「バイブルベルト」と言われるれるアメリカ南部の特に信仰の厚い地帯では、憤慨のあまり激しい抗議行動に発展する勢いを見せた。
  人々の憤りはアメリカだけに留まらず、全世界へと広まった。

  ジョンの元には抗議の手紙や、嫌がらせの手紙が山のように届くようになった。
  その一方で、ジョンの意見に同意する手紙や、励ましの手紙もたくさんもらった。
  ジョンの妻シンシアたちは 毎日届く手紙の山を「応援」と「非難」の山に別け。
  ジョンは「どちらの山が高いか?」シンシアに訊いた。
  ジョンは困惑し動揺していた。
0330ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/24(土) 16:27:09.20ID:???0
  〜 The Beatles / Revolution 1
  ttps://www.youtube.com/watch?v=iUNoVcUAEs8

  〜 The Beatles / She's Leaving Home
  ttps://www.youtube.com/watch?v=oAYiuFBqyLE

  (小林)1967年
  「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」のアルバムに入っている She's Leaving Home

  そして、Revolution 1 は「The BEATLES」つまり「ホワイトアルバム」
  68年のアルバムの中に入っている ジョンの名作。
0331ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/24(土) 16:28:23.01ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「キリスト教発言による騒動で、ジョンの元には抗議の手紙や嫌がらせの手紙が山のように届くようになりました。
  その一方で、ジョンの意見に同意する手紙や、励ましの手紙もたくさんもらったんです。
  私たちは毎日届く手紙の山を「応援」と「非難」の山に分け、ジョンはどちらの山が高いか訊いて来るんです。
  ジョンがちょっと口を滑らせたことが、ここまで大勢の人の感情を揺さぶってしまうのか。
  ジョンは困惑し動揺していました」
  これはジョンの最初の妻シンシア・レノンの証言。
  彼女の遺した手記の中から続く。

  さらに酷かったのは、霊媒師からの警告。
  ウェイブリッジにあるジョンの自宅には飛行機が墜落するとか。
  他にも恐ろしいことが起こるという不吉な予言の手紙が届いた。
  ジョンもシンシアも、それには全く取り合わなかったが。
  その中のたった一つの警告が、ジョンに衝撃を与えた。
  それ以外の不吉な予言と違って、その警告からは敵意や怒りがまったく感じられなかった
  警告の内容は「ジョンがアメリカにいる間に、銃で撃たれるだろう」というものだった。
  ジョンは恐怖を感じ、沈み込んだまま、それでもツアーに出かけて行った。

  自分が真実だと思っうことを言っただけで、
  なにも最初から世間を挑発し、これほどまでの怒りや憎しみを掻き立ててやろうというつもりは全く無かったのである。
  もちろん シンシアも恐かった。34:07
  ジョンが行かなくてもいいように止めることが出来るものなら、体を張ってでも止めたかった。
  これが最後の別れになど、なるはずが無いと願いながら、悲しい思いでお互いきつく抱きしめあった。34:23
  ツアーの間、ずっとシンシアは固唾をのんで、ジョンのことを考えていた。
  テレビのニュースは欠かさず見て。
  マネージャーのブライアン・エプスタインのオフィスとは日に何回も連絡を取り。
  ジョンが仕事の合い間をみて電話をくれた時などは、以前よりもいろいろと話しをした。

  最後の全米ツアーが始まる直前、ジョンは記者会見を開いて、このキリスト教発言について謝罪した。
  もちろん、まったくの不本意な謝罪である。
  この時の楽屋裏でジョンが泣いていたことは、あまり知られていない事実である。
0332ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/24(土) 16:29:00.29ID:???0
  〜 John Lennon / Happy Xmas (War Is Over)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=z8Vfp48laS8

  (小林)もうすっかりお馴染み。
  ジョン&ヨーコ Happy Xmas (War Is Over)
0333ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/24(土) 21:52:28.57ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。


  (小林)
  もう、今やあれですね。いろんな所から来るようになりましたね。

  (大阪府大東市/男性)
  ビートルズファン歴42年。50代。
  リンゴが来日、とても明るく元気なおじいさん。今や、曾おじいさん。
  ハツラツとしたライブパフォーマンスが楽しみです。   (小林)あ、これは、リンゴの前だ。前に来ましたね。
  映画「EIGHT DAYS A WEEK」で若き日のビートルズに感動しています。
  50年前、あんなに悪い音響環境で、しっかりした演奏を奏った若者たちに敬意満々です。
  当時のライブは リンゴもドラミングしながら歌っています。
  その後イーグルズ(Eagles)やキッス(KISS)、フィル・コリンズ(Phil Collins)、素敵なボーカルドラマーたくさんいますが。
  ドラムを叩きながらリードボーカルを取るロックミュージシャンてのは、リンゴがまさに先駆けだったのではないでしょうか?
  大好きなドラマーです。
  ビートルズの、えーと、できればハリウッドボウルのライブ盤で・・・

  (小林)そうです、これはもう新しい音で聴きましょう。
   Boys!

  〜 The Beatles / Boys(hollywood bowl)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=h2t9DIh4kMA

  〜 The Beatles / I Should Have Known Better(恋する二人)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ylk0dHB4Mxs

  (小林)リンゴの Boys から・・・
  こんどは、これですね「恋する二人」ていうんですかねw 

  (八街市/男性)
  私がギターは弾かないんですが。
  昔、ジョージ・ハリスンのギターにめっちゃくちゃハマりました。
  リッケンバッカ―の12弦、「Can't Buy Me Love」が最初かな?と思ったんですが。
  ジョージの12弦の神髄は「恋する二人」らしいですね。
  ジョージ・ハリスン、12弦の神髄をリクエストします。
  「恋する二人」

  (小林)
  これは[八街市/男性]さん、50代の方です。
  I Should Have Known Bette
0334ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/24(土) 21:54:19.29ID:???0
  (小林)ハイ、続いて・・・

  (大阪市/男性)50代
  「リンゴ・スターとオールスターバンド」初日大阪公演行きました。
  ひときわ冴える真っ赤なジャケットを着たリンゴが小走りに登場。
  盛り上がります。
  目立ったのは、中年から初老を迎えた年代の男性。
  腕組みしながら、微動だにせず、難しい顔で鑑賞しておられました。
  例の「ビートルズを叩き出せ運動」の残党でしょうか? (小林)そんなことはない。古い世代はそうなんだって。違うんだって。
                                         と言っても[大阪市/男性]さんも50代ですけど。
  グレッグ・ローリー(Greg Laurie)のパートで、
  リンゴが私の大好きなサンタナ(Santana)の曲でドラムズを叩くのを見て。
  なぜか、とても不思議な気持ちでした。         (小林)サンタナとビートルズが結び付かなかったんだ。そうなんだ。
  リクエストはサンタナです。
  「僕のリズムを聴いとくれ」 Oye Como Va
  
  〜 Carlos Santana / Oye Como Va
  ttps://www.youtube.com/watch?v=8NsJ84YV1oA
0335ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/24(土) 21:55:15.41ID:???0
  〜 The Beatles / Here Comes The Sun

  (春日部市/女性)
  東京ディズニシーのスプリングカーニバルで聴いて。
  後に、ビートルズの曲と知り驚き、ビートルズが好きになりました。

  (小林)[春日部市/女性]さん、20代。
  ビートルズ、Here Comes The Sun
0336ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/24(土) 21:56:11.99ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」

  まあ、ジョン・レノンのキリストに関する発言ていうのがあった年は。
  ビートルズの、ほんと命の危機が何度か有った、一番ヤバい年だったw わけですよね。
  来週をお楽しみに。

  リクエストの方 よろしくお願いします。
  長く書いてくださってもけっこうですよ。
  で、ササッと短い文も・・・
  あんまり長すぎると、ちゃんと要領よくカットして放送したりw しております。
  よろしくお願いします。
  beatles@bayfm.co.jp
  イシイのミートボールなどをセットにして採用の方にはお送りしています。
0337ジョン・キロックノン
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2016/12/27(火) 13:11:49.57ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2016年12月25日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(12月25日)
 ・クリスマス。
  1959年。
  今から57年前のクリスマスデイ。

  リンゴ・スターが、義理のお父さん。
  つまり、お母さんが結婚。
  大工さんをやっていたお父さんと結婚して。
  そのお父さん、ちょっとお金があります。
  珍しいですよ。
  ドラムキットをクリスマスプレゼントとして息子に、義理の息子に。
  だから、リンゴ・スター大喜びですよ。
  運命的なクリスマス。
  サンタクロースに感謝。
  これが無かったらリンゴはビートルズに入れなかったw ていう。
  まあ、そうとう、当たり前の事ですけどw
 
  リンゴ・スターは、ご存知だと思いますが。
  この放送でも、もう大昔にやりましたけど。
  リンゴ・スターは、もう病気がちでね、ほとんど小学校行ってなかった、って話しをしましたよね。
  だから、読み書きができなかった、ていう。
  あ、読み書きは出来たんでしょうけど。ちょっと不十分だった。わけですよね。

  腹膜炎を起こして入院して。
  で、やっと退院できるって時に、病院のベッドからコケて。
  こんどは、肋骨と足を折る、また病院に帰る。
  小学校にほとんど行ってない。
  勉強の面はかなり遅れて。
  だから、リンゴ・スターはドラムズになって、やっぱり脚光を浴びると同時に、いろいろ勉強してるんです。
  あの人 勉強家ですよ。ええ。

  で、そんなリンゴが、まあベッドでよく聴いていたのは、ラジオから流れるアメリカのカントリー。
  バック・オーエンス(Buck Owens)とか ビル・モンロー(Bill Monroe)、ハンク・ウィリアムス(Hank Williams)、カール・パーキンス(Carl Perkins)
  知ってる人 いましたか?
  カール・パーキンスは「Blue suede shoes」の人だから。
  リンゴ・スター、カール・パーキンス大好きだもんね。

  で、まあ、19歳でドラムを始めた。
  ちょっと遅い。
  でも、リバプールでは一番人気だった ロリーストーム&ハリケーンズ(Rory Storm and the Hurricanes)でプロとして活躍して。
  まあ、ビートルズのジョージ・ハリスンと ドイツに両方ともね、出稼ぎに行ってたころ仲良しになって。
  だから、ビートルズに入った頃は、リンゴ・スターが一番身なりが良かった。
  着ている物が違うんだもの、稼ぎが違うから。
  それから、リンゴはカッコイイ指輪をいっぱい持ってた。
  だから、指輪が趣味だから「リング」から「リンゴ―」って呼ばれるようになった。
  本名はリチャード(Richard)ですけどもね。
  リンゴと呼ばれるようになったわけです。
0338ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/27(火) 13:13:15.48ID:???0
  リンゴ・スターのドラミングは、ハードロック系のドラムでじゃなくて。
  どちらかというと昔風のジャズ系の、リズムノリが良い。
  そして シャレた気分にさせる、スウィングするドラムです。
  これはなかなかね、リンゴみたいな叩き方をする人、ロックの時代になるといなくなるんですよ。
  で、もう一つの特徴は、リズムの雰囲気っていうか、ノリを変えることができる。
  曲の中で変えたりすることができる。
  だから、この独特のリンゴのスタイルが、ポールの天才的なベースラインと相まって。
  もう、他にマネできないビートルズのあのリズムが生まれていた。

  さあ、それじゃ、これはみなさんお馴染みの曲ですけど。
  リンゴのドラム、ポールのベース、に注目して聴くのは初めてだと思います。
  ザ・ビートルズ Magical Mystery Tour

  〜 The Beatles / Magical Mystery Tour

  (小林)どうですか?
  ビートルズの Magical Mystery Tour
  いろいろ曲調が変わったりするけど。
  リンゴ・スターねえ、すごいでしょ? あのドラムス。
  ポールのベースも、そりゃカッコイイですけどもw
  リンゴも、これはすごい技です。
  だから、昔の言葉を使うと「ショーバンのドラマー」でもあったわけです。
  ショーバンというのは、ショーなんかを奏ったりすることでも。
  だから、上手くないとできないw
  ショーバンていう言葉があったんです。
  今は使わないですね。
0339ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/30(金) 01:53:06.87ID:???0
□ストーリー
 ・「キリスト教は、いずれ無くなるだろう。
  消滅への一途をたどるだけだ。
  議論する必要もない。
  僕の言ってることは正しいし。
  そのうち僕が正しいことが証明される日が来るはずだ。
  今や、キリストよりも僕らの方が人気者だ。
  ロックンロールとキリスト教では、どっちが先に消えるのか。
  僕はわかんないけど。
  勘違いしないで欲しいんだけど、キリスト自身は良かったんだよ。
  ただ、弟子たちが頭がにぶくてお粗末だった。
  僕が思うに、教えを歪めてダメにしたのは、そういうやつらなんだよ」

  これは1966年の3月、ジョンがロンドンの「イブニングスタンダード」という新聞の記者モリーン・クリーブのロングインタビューを受けた時の発言。
  このクリーブという女性記者はジョンの親しい友人で、もちろんビートルズのファンであり共感者でもあった。
  そんな打ち解けた雰囲気の中で、おそらくジョンは気を緩めてしまったかのような発言をしてしまった、と思われる。

  確かに軽率であった。
  しかし、その文面をきちんと確認してみると。
  ジョンはキリスト教そのものを批判したり見下しているわけではなく。
  現在の宗教ビジネスの在り方、それに群がっているインチキな連中を非難している と解釈されるべきではないだろうか。
  いずれにしても当初、イギリスを始めとするヨーロッパでは、ほとんど話題にもならなかった。
  やはりビートルズは4人がそろってのアイドルだったのだろう。

  しかし、アメリカでは、そうは問屋が卸さなかった。
  ジョンの発言から4ヶ月が経過した1966年7月。
  「デートブック」という雑誌がジョンの発言を転載。
  それも「ビートルズはキリストよりも人気者だ」と、明らかに悪意を持った見出しを付けられ。
  それがキャッチコピーのように蔓延し、ジョンの立場を最悪なものにした。
  特に「バイブルベルト」と呼ばれるアメリカ南部の、特に信仰の厚い地域ではビートルズの排斥運動にまで発展してしまった。
  ビートルズに関連する雑誌、ポスター、そしてレコードまでも。
  まるでキャンプファイアーのように燃やされてしまう、という大事件となったのである。
0340ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/30(金) 01:53:39.33ID:???0
  〜 The Beatles / Helter Skelter
  ttps://www.youtube.com/watch?v=UXOkzEXJuDs
 
  〜 The Beatles / I Am The Walrus
  ttps://www.youtube.com/watch?v=BrtXl9xgh9M

  (小林)ちょっと独特の世界がね、2つ続きましたけど。
  
  「ホワイトアルバム」から「The BEATLES」から
  Helter Skelter
  回転すべり台。
 
  そして「Magical Mystery Tour」から。
  これは1967年ですね。
  I Am The Walrus
0341ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/30(金) 01:55:28.13ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンのキリスト教発言で、オフィスに届く手紙は急激に増えました。
  でもそれは、非難するというものばかりではなく。
  実は、ジョンを支持するという内容のものも多かったんです。」
  こう証言するのはジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  彼女が遺した手記の中から。

  結果、最後となるアメリカツアーを前に、ジョンの「キリスト教発言」は大事件となり。
  スペインやオランダなどでも集会に多くの人が集まったり。
  「ラジオでビートルズの曲をかけてはいけない」といった規制がされたり。
  前代未聞の状況となった。

  そしてついにジョンは決断した。
  「謝らなきゃならないっていうんなら、喜んで謝るよ」
  言われたことは 何でもやる。
  でも、僕が何か言ったせいで、ツアーが取りやめになったとしたら。
  どのツラ下げて みんなに会えっていうんだ?」

  すると、ジョンに対してビートルズの広報担当者トニー・バーロウは、
  「報道陣に単に謝罪するよりも、情況説明に集中する方がいい」と勧めた。
  また、マネージャーのブライアン・エプスタインは、現在の危険な情況を考慮しこう言った。
  「ジョン。脅かしじゃなくて、今は本当に君が暗殺される恐れもあるんだ。
  僕はツアーをキャンセルしても構わない。
  ジョージとポールとリンゴに話すのは、僕の仕事だ。
  君はなにも心配することはないから」

  結局1966年8月11日、最後のツアーのためにビートルズはロスアンゼルス空港に到着した。
  すぐさまジョンは記者会見に臨んだ。
  もちろん、アメリカの3大テレビネットワークであるABC、CBS、NBAの記者団をはじめとする多くの関係者が集結していた。
  会場の裏ではジョンがすすり泣いていたが、ブライアンに励まされ、長い謝罪会見は終わった。
  これからビートルズは最後のツアーに臨むのである。
0342ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/30(金) 01:56:10.48ID:???0
  〜 The Beatles / Ticket To Ride (Live At The Hollywood Bowl)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=j39JxkYsEpY

  〜 The Beatles / Got to Get You Into My Life
  ttps://www.youtube.com/watch?v=yJ8WI3Q9jm4

  (小林)1966年、
  アルバムは「Revolver」
  ポール・マッカートニー。
  Got to Get You Into My Life

  そしてその前は
  Ticket To Ride
  これは、えーと
  ロサンゼルスのハリウッドボウルでのライブ。
  新しい音になっています。
  これは ラストツアーじゃなくて。
  ラス前ツアーの中の Ticket To Ride
0343ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/30(金) 01:57:21.06ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「最初で最後の日本ツアーのあと、フィリピンではマルコス政権と一悶着があり。
  逃げるように飛行機に飛び乗ったビートルズ。
  そしてジョンのキリスト教発言があり、最後の全米ツアー。
  いや、ビートルズとして最後のツアーも その幕を降ろしました」
  これはジョンの最初の妻シンシア・レノンの証言。
  彼女の遺した手記の中から。

  1966年8月29日。
  サンフランシスコはキャンドルスティックパークという野球場でのステージを最後にツアーは終了した。
  もちろんこの時点で、ビートルズは2度とファンの前で演奏することは無いだろう、とは関係者以外誰も想像すらしていなかった。
  その翌日、ジョンがロンドン郊外ウェイブリッジの自宅に戻ってきた。
  全てが無事に終わってホッとした上に、あまりにも疲労困憊していたので、ジョンはまるまる2日間、つまり48時間眠り続けた。

  そしてツアーもライブ活動も完全に停止したことで、メンバー全員気持ちが楽になったと同時に。
  実際に辞めてみると、こんどは「その先どうしようか?」ということで、ちょっとした戸惑いを感じていた。
  もちろん、レコード会社との契約がある。
  引き続きレコードは作るけれども。
  いったん休暇を取ったら、その後は 他にいったい何をするんだろう?
  だんだんにメンバーそれぞれが 別々の方向に動き始め。 
  興味のある独自の分野を展開させていった。

  リンゴは、家族といっしょに過ごす時間を大いに増やす絶好のチャンスだと考えていた。
  この頃、四人の中では、誰よりもリンゴが家族を優先させて。
  妻や子供といっしょに家で過ごすことほど落ち着くものはないと信じていた。

  ポールとジョージは旅行に出かけることにした。
  ポールは恋人のジェーンと共にアフリカ横断の旅に出て。
  一方ジョージと妻のパティは、インドへ向った。
  ジョージはビートルズが主演した2作目の映画「HELP!4人はアイドル」のセットで小道具として使われたシタールに触って以来。
  ますますインド音楽に興味を示すようになっていた。
  これが、ジョージの何度目かの意識革命となっていったのである。
0344ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/30(金) 01:58:12.93ID:???0
  〜 The Beatles / Love You To
  ttps://www.youtube.com/watch?v=LI4P96z7hcQ

  〜 The Rolling Stones / Paint It, Black
  ttps://www.youtube.com/watch?v=O4irXQhgMqg

  (小林)音楽は1966年ね。

  最後のツアーの年です。
  日本に来た年でもあります。
  やはりジョージ・ハリスンは、ここへ行っちゃったんですよねw
  Love You To ていう曲。
  インドの影響が感じられます。
  これはもう「Revolver」の中に入っています。

  そして、ライバルのローリングストーンズはビートルズに負けじと。
  やっぱり同じような雰囲気じゃないですか?
  「Paint It, Black」「黒く塗れ」
0345ホワイトアルバムさん
垢版 |
2016/12/31(土) 16:37:42.42ID:???0
かつて、東芝EMIでビートルズ担当のディレクターをされていた
石坂敬一さん(→ユニバーサル・ジャパン→ワーナーミュージック・ジャパン)が
お亡くなりになったそうです。
合掌
0346ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/31(土) 20:25:13.18ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。


  (習志野市/男性)
  いつもこの番組を楽しみにしている52歳のビートルズファンです。
  先日、ビルボードライブ東京六本木で行なわれた「薬師丸ひろ子ライブ」に行ってきました。
  どちらかといえば、女優というより歌手としての薬師丸ひろ子さんの方が好きで。
  あの透き通った心地の良い歌声に威力を感じています。
  ライブ当日、東京では54年ぶりの11月の初雪で、とても寒い日だったんですが。
  あの、艶(あで)やかで、どこかほっこりした薬師丸さんの歌声を聴いて 
  とても暖かな気持ちにさせてもらい満足して帰りました。
  ライブでも披露された、30年以上前のヒット曲をお願いします。
  この曲は、私がちょうど働き始めたばかりの頃で。
  カセットテープに録って、愛車の中でよく聴いていた懐かしい曲です。
  「探偵物語り」 

  〜 薬師丸ひろ子 / 探偵物語り
  ttps://www.youtube.com/watch?v=UX1RlgD6ENA
0347ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/31(土) 20:26:06.97ID:???0
  〜 小林克也とザ・ナンバーワンバンド / ケンタッキーの東
  ttps://www.youtube.com/watch?v=E8VbYNKAvAI

  (小林)いかがですか?
  薬師丸ひろ子の後から流れてきたのは、これです。

  (習志野市/男性)
  クリスマスですね。
  そこで ふと、この曲を聴きたくなりました。
  クリスマスのチキンじゃないですけど。
  小林克也とザ・ナンバーワンバンドで「ケンタッキーの東」

  (小林)ええもう30・・・30、ああそう・・・
  それ以上前の曲ですw
0348ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/31(土) 20:27:46.77ID:???0
  (小林)さて、長いメールをいただきましたが。

  (不明/女性)
  克也さん、こんにちは。いつも素敵な番組ありがとうございます。
  ラジオ大好きで いつも聴いています。
  投稿というものも初めてします。
  無精な私が重い腰を上げたのは、今日52歳の誕生日を迎えて、克也さんにお礼を言いたくて。
  1980年代初頭、高校生だった私は、英語が大好きで。
  当時なかなか生の英語に触れる機会が無い中 百万人の英語を見つけ。
  克也さんのポップソングの歌詞の解説を通して英語を学ぶ番組を心待ちにしておりました。
  現在は、東京語学学校の英語教師をしております。
  5年前、ビートルズの歌詞を通して英語を学ぶコーナーを、克也さんをマネてやってみました。
  おかげ様で大好評でした。
  克也さんから戴いたものを、何十年も後になって社会に還元できたかな? と自負しております。
  私の英語キャリア、人生の発展に貢献してくださった克也さんに、改めまして申し上げたいです。
  Thank you so much. I all your lot.
  リクエストはやはり、克也さんの番組を通して初めて知って以来。
  私の中で不動の地位を誇る この曲をお願いします。
  
  (小林)
  [不明/女性]さんのリクエストは Girl

  〜 The Beatles / Girl
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2ea0LXJuV2U
0349ジョン・キロックノン
垢版 |
2016/12/31(土) 20:29:23.12ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでしたか?

  リクエストの方も、本当にありがとうございます。 
  いろんなリクエストが来ていて、とても嬉しいです。

  ビートルズストーリーの方はね。
  ジョンの最初の上さんの手記から 放送しておりますけども。
  日本に来た後、すぐビートルズはフィリピンに行くんですよね。
  フィリピンの事は詳しくは書いてなかったんですけども。
  マルコスの嫁さんのイメルダっていう人が「パーティを開きたい」ね。
  で、「パーティを開きたい。いろんな人を招きたい」
  ビートルズは断ったんですよ。
  で、断わったもんで、それが新聞に出ちゃって、テレビなんかでも放送されて。
  ビートルズは、もう国民の敵になっちゃうんですよ。
  だから、帰る時は・・・ 
  あれですよ、もう、ジョージ・ハリスンなんかぶん殴られたりとか。
  お客が飛行場で帰らせないようにするんですよね。
  それで、もうマネージャーは、ブライアンなんかは売上金をそのまま置いて飛行機に乗って。
  そして、アメリカ行ったら、大変な目に・・・
  またジョンのね、あの発言で、暗殺の危機を感じながらもツアーをやった。
  ていうことですよね。

  さあ、リクエスト採用の方には、
  イシイのミートボールなどセットにしてプレゼントしておりますのでよろしくお願いします。
  beatles@bayfm.co.jp
  こちらで待っております。
  小林克也でした。
0351ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/05(木) 12:50:48.12ID:jaYkgfCR0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2017年1月01日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(1月1日)
 ・あけましておめでとう。小林克也です。
  ビートルズカレンダー行きますよ。お正月。  
  1月1日、ビートルズは仕事したのか?
  まあ、日本と…日本人はだいたい仕事しないじゃないですか。
  まあ、特殊な産業ていうか、ねえ、サービス業とかを除いて。
  だけど、ビートルズはね、一番有名な1月1日のお仕事は、1962年。
  今から55年前の今日。
  リバプールのバンド=ビートルズは ブライアン・エプスタインをマネージャーにして。
  ブライアン・エプスタインはマネージャーとしても初めて、ロンドン行っていろいろ売り込んで。
  デッから良い情報が入るわけです。良い答えが。
  
  「1月1日ロンドンのデッカに来てくれ。オーディションやるから」
  そうなんです。
  この日はオーディション。
  で、ビートルズは車で大晦日の夜から行ったんですよw
  で、運転したローディのニール・アスピノールが、道間違えて10時間かかってるんです。ロンドンへ。
  で、寒くて、ジョン・レノン、ポール・マッカートニーは風邪ひいてます。
  で、ホテル取ってくれたんだけど、寝るヒマない。
  寝てないんですよ。
  ほとんど徹夜です。
  メンバーの半分は風邪ひいてるわけです。
  それで15曲奏るんです。15曲。

  そのねえ、レパートリーの広さはすごいです。
  ただ、オリジナルはねえ「Like Dreamers Do」ていうのと。
  それから「Love Of The Loved」
  ちょっと有名じゃないオリジナルの2曲を奏るんですが。
  他は、もうカバーです。
  中には尊敬するプロデューサー=フィル・スペクター(Phil Spector)が高校生の頃の作品だとか。
  「Money」これはレコード出しましたね。
  あとねえ、キワモノ「The Sheik Of Araby」
  それから、ラテン「Besame Mucho」なんかを奏っています。
0352ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/05(木) 12:51:47.88ID:???0
  でも、ダメだったんですよね。
  これはねえ、ダメだったんですよね。
  落とされちゃうわけですよね。
  おかしいですね。
  で、この日の午後、ロンドンのバンドが同じくオーディションを受けて。
  そのバンドが受かったんです。
  ビートルズが落ちて。
  その受かったバンドというのが「トレメローズ(The Tremeloes)」というグループなんですけども。
  トレメローズは、もちろんデッカからアルバムを出してシングルを出します。

  その中の曲を聴いていただきます。
  トレメローズの、正式にはブライアン・プール&トレメローズ(Brian Poole and The Tremeloes)が、ビートルズの「Twist And Shout」
  これがヒットしたおかげで、彼らのこの「Twist And Shout」もヒットしています。
  ビートルズ=ジョン・レノンが歌った「Twist And Shout」と、このオーディションで合格したトレメローズの「Twist And Shout」
  ちょっと聴いてみていただきましょうか。
  じゃあこの、トレメローズ。

  〜 The Tremeloes / Twist And Shout
  ttps://www.youtube.com/watch?v=iA-LMH5Fm00

  (小林)そう。受かった方のトレメローズの Twist And Shout ね。
  まあ、僕たちはビートルズに馴染んでいるから言えますけど。
  だけど、まあ客観的に聴いたとしても。
  やっぱ、ジョン・レノンのあのボーカルがいないよねw
  もう圧倒的な、ああいう強力な人がいないもんねw
  それだけは確かですねw
0353ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/06(金) 13:42:07.09ID:???0
□ストーリー
 ・「1966年8月29日でビートルズはツアーを卒業しました。
  地元での小さな演奏も含めてライブ活動を完全に停止したことで
  メンバー全員、気持ちが楽になったと同時に
  実際に辞めてみると、こんどはその先どうしようか? ということで戸惑いも有ったと思います」
  これはジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノンの発言。
  今週もシンシアが遺してくれた手記からお送りしよう。

  ライブのスケジュールがまったく白紙状態であったため。
  最初はボーっとしていたメンバーも、それぞれが別々の方向に動き始め。
  興味のある独自の分野を展開させていった。

  四人の中では、誰よりもリンゴが家族を優先させていて。
  妻や子供といっしょに家で過ごすことほど落ち着くものはないと信じていた。
  ポールは恋人のジェーンと共にアフリカの横断の旅に出て。
  一方ジョージと妻のパティは、インドへ向った。
  ジョージはビートルズが主演した2作目の映画「HELP!4人はアイドル」のセットで小道具として使ったシタールに触って以来。
  ますますインド音楽に興味を示すようになっていた。
  実際には、むしろジョージよりも妻のパティの方が、精神的な意味でのインド哲学にはまっていたとされている。

  ジョンは映画「How I Won The War/ジョン・レノンの僕の戦争」に出演することになっていた。
  反戦・戦争反対というテーマに惹かれたのと、ビートルズの主演映画2作品の製作にも携われたことが よっぽど嬉しかったらしく。
  「将来は映画の方向に行ってもいいかな?」とまで考えていたのである。
  ビートルズの映画では自分自身を演じていたので、純粋に俳優として出演するのはこの時が初めてで。
  楽しさや期待感半分、不安もまた半分であった。
  撮影は、まずドイツで、続いてスペインの海辺の町アルメリアで行われた。
  実はこの頃から、ジョンの風防も少し変貌していったのである。
0354ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/06(金) 13:42:55.50ID:???0
  〜 The Beatles / Yellow Submarine
  ttps://www.youtube.com/watch?v=xj_xf_wCpRY
 
  〜 The Beatles / You've Got To Hide Your Love Away
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1I5hVWgPuO8

  (小林)2曲続きました。

  Yellow Submarine
  これは「Revolver」に入っていましたよ。
  知ってますよね。66年。

  そして「HELP!」の中に入っていたのは。
  このジョン・レノンの
  You've Got To Hide Your Love Away
  なんとなくディランぽい。
0355ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/06(金) 13:44:07.35ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ジョンの映画に賭ける情熱と、役作りには正直脱帽でした。
  本当に役者になりたかったんですね」
  と証言するのはジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  彼女が記した手記の中から。

  ジョンは個人としての主演映画「How I Won The War/ジョン・レノンの僕の戦争」での役=兵卒グリップ・リードの役づくりのために長かった髪を短く切り。
  国民保健サービスから無料で提供されるレンズの小さい丸メガネ、通称「おばあちゃんメガネ」をかけてみた。
  これが、かけてみるとなかなか良い。
  もともと極度の近眼だったジョンは、ここ何年かの間、少なくともオフィシャルな場面ではコンタクトレンズを入れようと頑張っていた。
  しかし、あるコンサートの時、ファンがステージに向かって“ジェリーベイビーズ”という硬いグミみたいなお菓子を投げて来るので困っていたが。
  それがある日 ジョンの目に当たり、演奏を中止してしまった。
  もちろんコンタクトも外した。
  当時のコンタクトレンズはガラス製のハードタイプでしかなく、角膜や瞼の裏などが炎症を起こしやすいジョンには不向きであった。
  そんなこともあり、映画の役作りのためにもらった「おばあちゃんメガネ」をジョンはいたく気に入ってしまい、自分のトレードマークとなった。

  その映画「How I Won The War/ジョン・レノンの僕の戦争」は低予算ながら、まずまずの成功を収め。
  あちこちの評論家たちの間でもジョンの演技は高く評価された。
  ビートルズ作品でお馴染みの監督兼プロデューサーのリチャード・レスターからも
  「ジョンは良い役者になれるよ」
  と太鼓判を押された。
  ジョンもすっかりその気になって、次の出演依頼を待っていたのであるが。
  映画の現場で一つだけ気に入らないことがあった。
  それは、撮影当日までにセリフを覚えなければいけないこと。
  そして、待ち時間が長くて我慢ができないことであった。
0356ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/06(金) 13:45:08.98ID:???0
  〜 The Beatles / Revolution
  ttps://www.youtube.com/watch?v=BGLGzRXY5Bw

  〜 The Beatles / Bad Boy
  ttps://www.youtube.com/watch?v=NRQvxf6fNIE

  (小林)Revolution
  実は、B面だったんですよね。B面。
  A面は「Hey Jude」だからね。
  この頃は、ジョンとポールがA面を交代した・・・
  交代、なんての?
  ジョンが奏ったらポール、ポールが奏ったらジョン
  ていうような順番で。
  だから、Revolution はB面だった曲ですよ。
  
  で、Bad Boy てのは。
  あのほら、ビートルズはアメリカで、イギリスに遅れること1年弱。
  だから、イギリスのLPとアメリカのLPは、曲がぜんぜん違うんですよ。
  で、アメリカはアルバムを作る時に
  「曲が足りないから、曲を至急お願いします」w っていう要請が来た。
  「仕方ねえな」つんで、もうこれ即席でやっつけ仕事だったと思いますけど。
  ジョン・レノンがリードボーカルを取っていました。
  えーと、だれだっけ?
  ラリー・ウィリアムス( Larry William)のヒット曲。
  Bad Boy というやつをね、奏っておりました。
  これはアメリカ盤のアルバム「ビートルズ VI」?の中に入っています。
0357ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/06(金) 13:46:44.01ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「初めての主演映画『ジョン・レノンの僕の戦争』が成功して、ジョンはご機嫌でした。
  一度は役者としてやって行こうとまで決めていたんですが。
  やはり時間的な制約が大きいこと。
  それに、作家が書いたセリフを覚えること、に我慢が出来ず。
  やはり、ロックの世界に戻ってきました」
  これはジョンの最初の妻シンシア・レノンの証言。
  彼女の遺した手記の中から続く。

  「やはり、俺には映画よりロックの方が向いている」
  そう確信したジョンは、自宅のプライベートスタジオに籠り、新しい曲を書き始めた。
  妻のシンシアも、そんなひた向きで創作意欲にあふれている時のジョンが好きであった。
  ただし、やはりまだイケナイ物をやめていなかったジョンの魂は、愛する家族の元を離れてどこかをさ迷っているように見えた。

  そんな中、ある朝のこと。
  新聞を読んでいたジョンが、目に留まった記事をシンシアに差し出した。
  それは、オノ・ヨーコという日本人アーティストの事を書いた記事で。
  いろいろな人のお尻のアップの写真を集めた映像作品を作ったという内容だった。
  「シン、ちょっと見てみろよ。
  これって冗談だろうなあ。
  まあ、もしそうだとしても、よくやるなあ。
  まさか本気じゃないよな」
  感心するやらあきれるやらで、二人でゲラゲラ笑い合った。
  「イカレてるな。頭がどうかしているよ」
  ジョンはそう続けた。
  シンシアも全くの同感。
  この頃はジョンもシンシアも、前衛芸術やコンセプチュアルアートに対する理解など微塵もなく。
  結局、新聞はゴミ箱行きとなった。
  その後、二人の間でオノ・ヨーコの話題が登ることもなく過ぎて行った。

  けれど、ある夜、二人でベッドに横になっていた時。
  ジョンに何の本を読んでいるのか尋ねたことがあった。
  その本のタイトルは「グレープ・フルーツ」
  ジョンはこう言った。  
  「ああ、この本?。例のあのイカレた前衛アーティストが送って来たんだ。
  彼女の名前・・・ああ、オノ・ヨーコ?」
0358ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/06(金) 13:47:21.58ID:???0
  〜 John Lennon / I'm Losing You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Clmxqsxb7ss

  〜 The Beatles / Baby You're a Rich Man
  ttps://www.youtube.com/watch?v=ibeZTSrwRiI

  (小林)2曲続きました。
  
  この曲は Baby You're a Rich Man
  1967年の「Magical Mystery Tour」のアルバムの中に入っている。
  
  そしてその前は
  I'm Losing You
  「Double Fantasy」のアウトテイクです。
0359ホワイトアルバムさん
垢版 |
2017/01/09(月) 23:14:41.45ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。


  (富里市/男性)
  中学生の頃ビートルズに出会ってから洋楽ファンになりました。
  様々なバンドの楽曲を聴いてきました
  その中でも特に好きなのが、ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)とエクスペリエンス(Experience)
  クリーム(Cream)、スティービー・レイ・ボーン(Stevie Ray Vaughan)、ダブルトラブル(Double Trouble)
  ジージートップ(ZZ Top)三人編成のバンド。
  彼らの曲を聴いて。
  特にライブではギター、ベース、ドラムのシンプルな編成とは思えないパワーにあふれた演奏力と音の厚みのすごさを感じます。
  そんな3人バンドの中から、BBA=ベッグボガー&アピース。   (小林)ジェフ・ベック(Jeff Beck)が入っていますね。
  スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)の名曲「迷信」のカバーを。
  ジャパンライブ・バージョンで。

  (小林)ていう。
  これ武道館でのライブだと思いますが、
  その時の客の一人、僕でしたねw。
  それじゃあ、[富里市/男性]ベッグボガー&アピース、Superstition

  〜 Beck Bogert & Appice / Superstition
  https://www.youtube.com/watch?v=xyyhm1D7zlI

  (小林)当時このアルバムはそうとう売れましたねえw
  思い出しましたねw
0360ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/09(月) 23:16:14.42ID:???0
  (府中市/男性)
  小林さん。季節によって聴きたくなる音楽はありますか?  (小林)僕はあんまりないんですよね。鈍感なのかなあ。
  私はこの時期になると無性にプログレを聴きたくなります。
  特にイエス(Yes)が好きで、来週の・・・   (小林)ああ、東京公演・・・その頃にいただきました。東京公演、行ったはずです。
  イエスのファーストアルバムから。    (小林)ビートルズのカバーですね。
  Every Little Thing           (小林)ね。

  (小林)
  これは[府中市/男性]さん。
  お正月は、やっぱちょっと長めですけども、じっくりイエスの世界に入り込んで・・・

  〜 Yes / Every Little Thing
  ttps://www.youtube.com/watch?v=f-6ml1ZYu_Q

  (小林)
  いかがですか? ねぇ。
  イエス(Yes)の Every Little Thing
  ビートルズのカバーですよ。
  この頃は あれですね。
  カバーをやるといっても、プログレッシブなロックグループがいたんで。
  ぜんぜん変わった雰囲気に仕上がっていますよね。
  そしてね、この頃の特徴なんですけど。
  例えば、今だとグループで・・・なんての、ひと塊にしてイエスがどうのって言うけど。
  この頃は昔のジャズを鑑賞したみたいに、誰が良いとかね。
  メンバーの誰が良いとか。
  イエスは、例えば、ギターのスティーブ・ハウ(Steve Howe)ていうギタリストがいますけど。
  サービスしてたじゃないですか、
  デイトリッパーのフレッター「♪タタタタ〜」 「おゃー?」なんて思って。
  「あ、スティーブ・ハウがいい」とか。
  「いやいや、リック・ウェイクマン(Rick Wakeman)ってキーボードがいいから」だとかね。
  そういうふうに。
  メンバーに、こだわったりしておりましたね。
  今とちょっと・・・だから、関心がちょっと違うんじゃないかと、思いますが。
0361ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/09(月) 23:17:21.27ID:???0
  (木更津市/男性)
  日曜の午後6時の楽しいひと時、提供いただきありがとうございます。
  休日に一日中のんびりビートルズサウンドに耳を傾けるのが私の至福の時です。
  ビートルズの曲には、当時の時代背景があり。
  どのような心境で曲作りをしていたのか、非常に興味があります。
  ジョージはこの名曲をどのようにして作りあげたのか?。
  ということを考えると、大変感慨深いものがあります (小林)w
 
  (小林)ていう。
  ええ、ねえ。
  やっぱり 深く入ろうとしていますよね。
  昔の聴き方だと思うんですけどw
  じゃあ、ジョージの傑作 Something

  〜 The Beatles / Something
0362ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/09(月) 23:18:02.83ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがでしたか?

  お話しの方は。
  いよいよ、オノ・ヨーコの名前が出ましたねえw
  なんか・・・ なんかの予感ですねえw
  
  また来週をお楽しみに。
  リクエストの方もよろしくお願いします。
  採用になるとイシイのミートボールなどセットにしてお送りしています。
  メールアドレスは
  beatles@bayfm.co.jp
  こちらで待っております。
  小林克也でした。
0364ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/10(火) 22:52:44.02ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2017年1月08日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(1月8日)
 ・おめでたいことですよ、これはw
  あの人が生まれたんです。
  今から82年前のw 今日。
  エルビス・プレスリー(Elvis Presley)が、ミシシッピ州のテューペロという小さな村みたいな所に生まれました。
  だからプレスリーは生きていれば82歳になります。
  「ビートルズから始まる」、やっぱりプレスリーから始まったわけですよ、実はw
  プレスリーはこの南部の田舎町に生まれて、まあご存知の方はねえ、世界を支配する様なエンターテイナーになるわけですけど。

  ちょうどジョンが中学3年の頃、日本で言うとね。
  ポール・マッカートニーが高校2年生の頃。
  耳にするわけです、プレスリー。
  耳にしたのが「ハートブレイク・ホテル(Heartbreak Hotel)」という。
  これを耳にして、衝撃を受けます。
  ジョンは後になって
  「あれ以来、プレスリーを聴いてから。ロックンロールだけがリアルで、それ以外の物はアンリアルなものになってしまった」
  と言ってます。
  まあ、最近では「アンリアル」と言うと日本語の「やばい」みたいな、「すっげえ」てことになるんで。
  まあ、意訳すると「ロックンロールだけが本物で、他はニセモノになった」とでも訳す方がいいかもわかんない。
  だからプレスリーがいなかったら、ビートルズのミュージシャンとしてのスタートは遅れていたかもわかんない

  プレスリーの役割りはね、若い人たちに言うと。
  その頃はね、カントリーミュージックだとかね、黒人たちのR&Bなんかがあふれてて。
  ロックとか、そういう呼ばれ方しなかったんですが。
  プレスリーが出て来て大ヒット、もうこれはもう世界中が注目したわけですから。
  それで、まあ・・・なんてのかな、最後のひと押し、彼のひと押しでロックンロールが生まれた、と考えるとわかりやすいと思います。
  で、もう憧れの的ですから、ビートルズはプレスリーの、いろんなカバーを奏るグループですけど。
  プレスリーのカバーは奏ってない、てのは敬意を表してるし。
  「プレスリーを奏ったら自分たちは2番手になる」てのがよく分かってた。
0365ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/10(火) 22:53:33.82ID:???0
  だから、もう憧れの人だから。
  アメリカツアーやった時に、プレスリーの家へ行ってます。
  で、いろいろ質問したり、「なんで曲を書いたりしないのか?」とか。
  いろいろ困らせる質問をしたりするわけですけど。
  それが終わったあとで、ジョン・レノンの言葉では「もう、プレスリーは死んでいた」
  もちろん生きていたわけだ、「死んでいた」ていうような、もうグサリと刺さるようなことを言いますよね。

  でも、プレスリーのウェストハリウッドの家でセッションを奏ったりして。
  これは、残念ながら録音をしてなかったっていうことで、我々は耳にすることはできないんだけども。
  いろんなプレスリーの曲を、みんな知ってますからね、ビートルズの連中は。
  だから、いっしょにプレスリーと奏った。
  おそらく、これも奏ったと思われます。
  だって、ジョン・レノンが大好きだった曲だから。
  All Shook Up  

  〜 Elvis Presley / All Shook Up
  ttps://www.youtube.com/watch?v=3rQEbQJx5Bo

  (小林)いかがですか? 
  2分ならない、2分弱の曲ですよ。
  プレスリーの All Shook Up
  これは、ジョン・レノンが後になって語ってるけど。
  これを聴いた時に、どこがカッコ良いかというと。
  サビの所で「フフフン、フフフン、イエ〜イエィ」 
  もう歌詞が無くて あれで、ああいう歌っての初めて聴いて。
  こういうのは絶対やりたいと思っていた、っていうことで。
  あの「She loves you, yeah, yeah, yeah 」つうのをジョン・レノンは作った。
  ていうようなことを語っておりましたね。
0366ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/13(金) 13:20:23.60ID:???0
□ストーリー
 ・「ある夜、二人でベッドに横になっていた時。
  ジョンがある本を読んでいたんです。
  私はちょっと気になって、ジョンに『何の本を読んでるの?』尋ねたんです。
  するとジョンは
  『ああ、この本ね。グレープ・フルーツていうんだ。
  例のあのイカレた前衛アーティストが送ってきたんだ。
  ほら、例の女、オノ・ヨーコ』」
  これはジョン・レノンの最初の妻シンシア・レノンの発言。
  ジョンに最も近かった女性シンシアが遺してくれた手記からお送りしよう。

  夫婦の会話は続いた。
  シンシアはこう訊いたのである。
  「オノ・ヨーコ? あなたがその人に会ったなんて知らなかったわ」
  するとジョンは 本から目を上げてこう言った。
  「ああ、個展に行ったんだよ。
  ジョン・ダンバーに誘われてね。
  あの女、やっぱりイカレてたよ」
  ジョンが言うジョン・ダンバーという男は、ジョンの飲み仲間であり。
  ロンドンの中心部にインディカという小さなギャラリーを持っていた。
  ダンバーはミック・ジャガー(Mick Jagger)の恋人だったマリアンヌ・フェイスフルの前の夫だった人物でもある。
  彼は交友範囲が広く、自分のギャラリーで開く個展に友人を招くことは当たり前のことであり。
  シンシアもそれ以上は気にもしなかった。

  シンシアが知らなかったのは、そのころヨーコがジョンにピタリと狙いを定めようとしていたこと。
  恋愛関係以前に、彼女の作品制作に関してのパトロン、つまりスポンサーとしてジョンがふさわしいと考えていた。
  それから数ヶ月の間に、ヨーコはジョンに宛ててたくさんの手紙やカードを送ってきていた。
  しかし それ自体も、シンシアは全く気付かずの状態。
  それどころか、ヨーコがジョンに会おうと思って何度もウェイブリッジの家にまでやって来たことすら、シンシアもジョンも知らなかった。
  二人の留守中だったからである。
  ハウスキーパーのドットは「また、ジョンのファンが尋ねて来た」ぐらいにしか思わず。
  「シンシアに伝える必要もないだろう」とドットは判断していたのである
0367ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/13(金) 13:21:05.06ID:???0
  〜 The Beatles / Rain
  ttps://www.youtube.com/watch?v=jTxlDC93mXs
 
  〜 The Beatles / Tomorrow Never Knows
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Ah2ckzXgrx4

  (小林)
  1966年、アルバムは「Revolver」
  もう、ビートルズはいろんな実験をくり返しています。
  Tomorrow Never Knows
  もう、これはあれですよね。
  何回聴いても、どこを聴くかですよねw。
  まあ有名な話し、ジョン・レノンは、自分の声がですね。
  「ダライラマが山の上から有難い言葉を垂れているようなエフェクトにしたい」ていうことで。
  いろいろ苦労して。
  天井からロープを垂らして、それにぶら下がってグルグルマイクの周りを回してもらって歌ったw だとか。
  いろんな実験をやった。
  この頃なんです。
  この曲の途中です。
  だから曲の後半なんかは、特にエフェクトがかかったジョンの歌がけっこう生きてると思うんですが。

  そしてその前は、やはり1966年。
  これは「ペーパーバック(Paperback Writer)」のB面なんですけど。
  これは捨て曲じゃなくて、すっごい良い曲。
  良い曲だけど、なんての、他の曲を生かすような、渋さがありますね。
  ビートルズの Rain お送りしました。
0368ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/13(金) 13:22:13.83ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「確かに、オノ・ヨーコという少し変わった風貌のアジア人の女性が
  ウェイブリッジのジョンとシンシアの家にやって来ました。
  もちろん、ジョン目当てだったと思います。
  ただその時私は、ヨーコがアーティストだなんて知らなかったものですから。
  特に報告もしなかったんです」
  これは、ジョンとシンシア、そしてジュリアンの住むウェイブリッジのお屋敷のハウスキーパーをしていた女性ドロシー・ジャーレット。
  通称ドロシーの証言。
  もちろん、このエピソードもジョンの最初の妻シンシア・レノンが遺した手記の中に記されている。

  ビートルズがコンサートを辞めた1966年の夏以降。
  シンシアはジョンとの関係がしっくり行かなくなっている、とはっきりと感じ取っていた。
  それでもシンシアは、以前のようにジョンと心を通わせたくて必死だった。
  それまでも、決して自分に自信があるわけではなかったのに、このごろでは尚更であり、すっかり自信喪失していた。

  ポールの恋人で婚約者のジェーン・アッシャーは、教養の高い家に生まれ育ち、女優としても有名だった。
  ジョージと結婚したパティ・ボイドは、美貌のモデルであり。
  リンゴの妻モーリーンは、まだ若くて、なにしろ愛らしい女性。
  それに比べて、自分にはいったいどんな取柄があるというのだろう。
  シンシアは考えるだけでも辛かった。
  特に彼女が気にしていたのが、鼻の形。
  自分が写っている新聞記事のスクラップブックをパラパラめくって見て「問題は自分の鼻にある」という結論を出した。

  そして思い切ってジョンに話してみた。
  「ジョン。私、鼻を整形したいんだけど」
  するとジョンはこう答えた。
  「なんだって? 整形なんてバカバカしいと思わないのか?
  僕は、君のその顔全部、好きなんだから。
  まあでも、どうしてもと言うんだったら、好きにしていいよ。
  そのかわり、失敗して泣き付いてきても僕は知らないからね」
0369ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/13(金) 13:23:01.75ID:???0
  〜 The Beatles / I'm Only Sleeping
  ttps://www.youtube.com/watch?v=38wIuDAq2yg

  〜 The Beatles / The Fool On The Hill
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fgbmzSGK_0E

  (小林)66年 67年、2曲続きましたね。

  「Revolver」の66年のアルバムから I'm Only Sleeping
  これも、好きな人は多いはずですよ。
  だから、日本に武道館でやりますよね、来て。
  その前に「Revolver」というすっごいアルバムの仕事を終えて、武道館でライブを奏った。
  やっぱり、その時のね四人の心の中をお察しするにあれですね。
  「お仕事、お仕事」って、きっとw・・・あれだよねw、心と体が違ってたんじゃないかw
  ていうように 思っちゃいますよね。
  
  で、67年は。
  67年は大変な年ですよ。
  だから「Sgt. Pepper’s 」と、それから「Magical Mystery Tour」
  すごい2枚のアルバムを出してるわけですが。
  その「Magical Mystery Tour」の方から。
  これも名曲、The Fool On The Hill
0370ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/13(金) 13:24:00.53ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「なんだって? 鼻を整形だなんて、バカバカしいと思わないのか?
  僕は、君のその顔全部、好きなんだから。
  でも、どうしてもって言うんだったら、好きにしたらいい。
  そのかわり、失敗して泣き付いてきても僕は知らないから」
  これはジョンの最初の妻シンシア・レノンに話した言葉。
  シンシアが遺した手記の中から。

  こうしていよいよ手術、という時。
  シンシアは「これで生まれ変われる」という気持ちに胸をふくらませ、ロンドンクリニックの受付けを済ませた。
  「新しい鼻になったら、今より明るくて積極的で自信に満ち溢れ、しかもセクシーな女性になるのだ」と自分に喝を入れた。

  手術が終わると、シンシアは包帯でグルグル巻きにされた鼻のまま、病院のベッドに横たわっていた。
  病室には、大人でも抱えるのが大変なほどの大きなバラの花束が届いた。
  そしてカードには、こんなメッセージが添えられていた。
  「ノーズはたとえ別の名前であったとしても、その本質的な美しさは変わらない。
  愛を込めて。ジョンとジュリアンより」
  これを読んだシンシアは「ローズとノーズを掛けるなんて、いかにもジョンらしい」とクスリと笑ってしまった。
  このジョンのシャレは引用元が存在する。
  それは「A Rose by any other name would smell as sweet」
  「名前などあまり重要ではない。実態が大切」
  というシェイクスピアの言葉を捩(もじ)ったものであった。

  二日後、シンシアの包帯は取れ。
  彼女は小ぶりですらりとした鼻を手に入れることができた。
  ただ、それに気付く友人は、ほとんどいなかったことが、シンシアにはショックだった。
  肝心のジョンは、この新しい鼻を気に入ってくれたが。
  それでもなお、ジョンは「鼻を整形するなんて、馬鹿げている」と思っていたことを付け加えておこう。
0371ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/13(金) 13:25:00.81ID:???0
  〜 The Beatles / One After 909


  〜 The Beatles / Act Naturally
  ttps://www.youtube.com/watch?v=WtcxnAxQvaM

  (小林)2曲おおくりしました。

  One After 909
  これは」ジョン・レノンの初期の作品だけど。
  アルバムは1970年「Let It Be」

  それから、リンゴ・スターの Act Naturally
  これは、バック・オーエンス(Buck Owens)が、カントリーの偉大なシンガーが、
  リンゴが好きだったわけですね。
  だから、カバーしました。
0372ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/14(土) 14:16:08.02ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。


  (江戸川区/女性)
  エマーソン・レイク&パーマー(Emerson, Lake & Palmer)のグレッグ・レイク(Greg Lake)が亡くなりました。
  ライブ盤「展覧会の絵」から「The Great Gates of Kiev」をリクエストします。
  「There's no end to my life 」僕の、私の人生には終わりはない」という歌詞が出てきて。
  亡くなったグレッグの歌声が良いんです。
  
  (小林)ということで、エマーソン・レイク&パーマーで。
  The Great Gates of Kiev

  〜 Emerson, Lake & Palmer / The Great Gates of Kiev
  ttps://www.youtube.com/watch?v=SZK_fFtwKs0

  (小林)いやあw いいね、いいね。
  エマーソン・レイク&パーマー ね。
  昔、まだまだ何十年も前、BAYFMが無い時代。
  エマーソン・レイク&パーマーがすごくてね。
  初めて日本にやって来た時ね。
  当時の赤坂ヒルトンの彼らの部屋から放送したことがあるんですけども。
  グレッグ・レイクは「俺、ちょっとシャワー浴びてくる」って。
  「空港から着いたばかりで、シャワー浴びてくる」って、シャワー浴びに行って。
  真っ裸で出て来て、ブランブランさせながら笑わせようとしていましたね、僕をね。
  悪いやつでしたねw
0373ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/14(土) 14:16:49.58ID:???0
  (千葉県銚子市/男性)
  チープ・トリック(Cheap Trick)の来日公演に行って参りました。
  40代と50代が中心だったんで。
  「今日はのんびり観られそうだな」なんて甘く見てたんですが。
  ショーが始まってビックリ、おしくらまんじゅう状態。
  みんな、暴れる暴れる。
  チープ・トリックでこんなにヘトヘトになるなんて、思いませんでした。
  アンコール「Surrender」で感涙にむせびながら。
  「どうして自分は、こんなにチープ・トリックが好きなんだろう?」と考えていました。
  自分がビートルズにハマったのは、チープ・トリックがカバーした「Magical Mystery Tour」を聴いたことがきっかけでした。  

  (小林)
  [千葉県銚子市/男性]さん、あなたのリクエストはチープ・トリックで Magical Mystery Tour.

  〜 Cheap Trick / Magical Mystery Tour 
  ttps://www.youtube.com/watch?v=N79Rk_iKiRs

  (小林)チープ・トリックの解釈の Magical Mystery Tour 
0374ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/14(土) 14:17:24.23ID:???0
  (小林)さあそれじゃ。
  チープ・トリックから、ジョージ・ハリスンですねえ。
  
  (富津市/男性)57歳
  スライドギターが素晴らしい曲です。
  この曲を聴くと、初めて聴いたころのことを思い出します。
  克也さんの「ベストヒットUSA」だったと思います。
  あの頃の良き時代にタイムスリップして 軽く一杯ビールをやろうと思います。 (小林)w
  妻も一緒に楽しみに聴かせています。
  よろしくお願いします。

  (小林)
  というわけで、This is love
 
  〜 George Harrison / This is love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qoAlj_kDadI
0375ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/14(土) 14:18:51.57ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  やっぱり、ジョンの最初の上さんの書いた、もう本当に事実に基づいた話し。
  楽しみにしてる方 いると思いますが。
  ヨーコの名前が登場してきました。
  ちょっと痛みを伴う、独特の暗さが漂いはじめましたw
  来週、来週気になるでしょうw
  ねえ。
  来週も聴いてください。

  そえからリクエスト。
  宛て先は
  beatles@bayfm.co.jp
  イシイのミートボールなどをセットにして採用の方には送らせていただいておりますので。
  まあ、気軽にね、リクエストして。
  あとで、忘れといてくださいねw。へへw。
0377ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/16(月) 18:37:23.97ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2017年1月15日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(1月15日)
 ・1966年。
  51年前の今日。
  名曲「We Can Work It Out」これが、ナンバーワン。
  もちろんビートルズはジョンとポールがねえ、中心になって書いてて。
  その二人がどうやって曲を書くかなんて、この番組でいろいろお伝えしてて。
  その二人・・・ 一人だけが書いたり。
  これはまあ「We Can Work It Out」ていうのはポールの曲として有名ですが。

  ところがですね、ジョンとポールの関係というのがすごいんですよ。
  ポールの曲でも、ジョンが一発言うことで、ひと言だけつけ加えることで、その曲のその・・・
  まあ、有名なのは、この番組でもちょっとやったと思いますけど。
  「Drive My Car」が、あれですよね。
  ポールがジョンの家行く途中で作っちゃって。
  歌詞が、なんかどうも… 違うラブソングの歌詞を充てて。
  ジョンが
  「それはお前、ドライブ・マイ・カーにした方がいいよ。
  ブルースの世界ではな。車を、僕の車を運転するって。
  車ってのは、まあセクシュアルにいろいろ意味が出てくるから」
  っていうことで。
  ジョンのひと言で、あれですよね。

  で、「We Can Work It Out」もですね。
  これ、ポール・マッカートニーの歌なんですよ。
  それで、男がね・・・
  男と女の感性が違うから、ちょっとこう・・・
  ちょっとこう、なんてのかな、行き違うところがあるわけです。
  「おれは、どんどんドンドンしゃべり続けてもいいんだよ。君のために」
  で、女の子は・・・
  いや、女の子の方は「お前は、行動に移すかもわかんない」
  それで、二人は別れることになるかもわかんない。
  いろいろ、「お前と俺のやり方が違うんだ」
  「でも、なんとかなるよ」ってポールが歌ってるんだよね。
  それを、ね。

  ところが、ジョンが真ん中で出てきてね。
  「人生は短いんだよ。そんな喧嘩してるヒマはないんだよ」ってw
  こう一発入るんですよ。
  そうすると、この曲が、男女の恋の諍(いさか)いの歌が、ちょっと深くなるんですよね。
  これがジョンの役割なんですよ。
0378ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/16(月) 18:38:32.40ID:???0
  改めて聴いていただきたいと思います。
  ビートルズの We Can Work It Out

  〜 The Beatles / We Can Work It Out
  ttps://www.youtube.com/watch?v=omovUmbbAgo

  (小林)どうですか? We Can Work It Out
  ポールの声、それからジョンの声と 別々で聴いてもらえましたか?
  で、中頃で「Life is very short=人生は短いんだから。友よ、そんな喧嘩をする時間はないんだよ」って。
  あれが入ったことによって、この曲はねえ、すっごいですよね。
  だから、ジョンはこの曲では影を作ってるわけですよね。
  だから、この曲がもっと明るく見えるっていう。
  そんな感じ。
  ビートルズの、ジョンとポールの関係、判っていただけましたか?
0379ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/19(木) 14:36:09.54ID:1H5MaWNd0
□ストーリー
 ・ジョン・レノンを中心としたビートルズストーリー。
  今週もそのジョンの最初の妻シンシアが遺してくれた手記からお送りしよう。

  1967年2月。
  ビートルズはジョンの作品「Strawberry Fields Forever」と、ポールの「Penny Lane」を、両A面シングルとして発表した。
  「ストロベリー・フィールズ(Strawberry Fields)」「ペニー・レイン(Penny Lane)」両方ともリバプールに実在する場所の名前で。
  二人が実際によく行った思い出の地へのオマージュである。

  ペニー・レインは、リバプール郊外の中心にある小さなショッピング街のような所で。
  ジョン、ポール、ジョージの家が近くに有った。
  ペニー・レインで落ち合ったり、買い物をしたり、そこからバスに乗ったりした所。
  ストロベリー・フィールズは、ウールトン地区にあるミミ伯母さんの家に近い孤児院の名前である。
  ジョンは子供のころ、よくその孤児院の赤いレンガで出来た壁を乗り越えて中に入り込んだ。
  そしてストロベリー・フィールドというその名前を愛した。

  シングルレコードはイギリスのチャートでナンバーワンを獲得。
  しかし今回は初登場1位を逃した。
  アメリカではペニー・レインの方が推し曲であったため1位を獲得。
  イギリスでは2位止まりと、両方の曲が素晴らしい成績を残した。
  しかし、ビートルズはライブツアーを辞めている。
  このまま落ち目になってしまうのか?
  それとも、新たなステージに入って変貌を遂げるのか?
  スタッフや家族たちは、みんな成り行きを見守るしかなかった。

  メンバーの4人はそのヒットの後も、数ヶ月の間スタジオに籠(こも)りっきりでレコーディングを続け。
  結果、出来上がったのが、1967年6月に発売されたニューアルバム「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」だった。
  収録曲の中には、夢と現実の間を行ったり来たりするようなものがあったり、かなりカラフルな雰囲気を持っていた。
  そしてその華やかで幻想的な作風は、まさにその頃のイギリスの作風にピッタリだった。
  時代は「フラワーパワー」と呼ばれたヒッピー文化の全盛期で。
  愛と平和をスローガンに掲げ。
  まさに、サイケデリック時代が到来していたのである。
0380ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/19(木) 14:36:46.53ID:???0
  〜 The Beatles / Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band
  ttps://www.youtube.com/watch?v=guiNy0jSKk

  〜 The Beatles / With a Little Help from My Friends
  ttps://www.youtube.com/watch?v=SkyqRP8S93Y

  (小林)というわけで
  Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band
  昔はアナログですから、針を落とすと「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」という曲が始まって。
  そして、間を置かずくっ付いたような感じで「ちょっと僕が調子はずれで歌っても助けてくれるかい?友達たち」
  っていう「With a Little Help from My Friends」リンゴ・スターの歌。
  これが続くわけですが。
  そのままお送りしました。
  ちょっと楽をしたw というわけですねw
  はい。
0381ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/19(木) 14:37:49.12ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「1967年という時代は、まさに百花繚乱。
  ヒッピーやフラワーパワーがシンボルとなっていました」
  と語るのはジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  彼女が記した手記の中から続けよう。

  ヒッピー文化の1967年、周りにはサイケデリックな物があふれかえっていた。
  ミニスカートが流行し、みんながカフタンと呼ばれる長袖で丈の長いアラブ風の服や。
  愛と平和を象徴するビーズのネックレスを求めて、ヒッピーファッションの中心地ロンドンのカーナビ―ストリートを目指した。

  ビートルズの最新アルバム「サージェント・ペパー」にはジョンの曲「Lucy In The Sky With Diamonds」が収録されていて。
  多くのロックファンや評論家たちは、この曲の頭文字から、当時のイケナイ物の代表格「LSDのことを歌っているにちがいない」と決めつけてかかった。
  でも実際には、ジョンとシンシアの息子ジュリアンの言った言葉が元になっている。

  ジュリアンが幼稚園の友達=ルーシーを描いた絵を持って家に帰って来た時。
  「ジュリアン、よく描けてるね。これは何の絵なの?」と尋ねたところ。
  ジュリアンはこう答えたのだ。
  「仲良しのルーシーが、ダイアモンドを付けて、空にいるところ」
  言うまでもなく、ジョンは、息子のイマジネーションから素直に生まれた夢のある純粋無垢なこの言葉がとても気に入った。

  そして自宅のプライベートスタジオに籠り、新しい曲を一気に書き上げた。
  もちろん、こんな曲を発表したら、いつものマスコミの攻撃が来ることは分かっていた。
  しかしジョンは「こんなの 単なる偶然だよ」としらっぱくれて攻撃をかわしたのだ。
  ジョン・レノンという類いまれな才能を持ったアーティストの真の力量を見せつけた一曲であることは言うまでもない。
0382ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/19(木) 14:38:49.21ID:???0
  〜 The Beatles / Lucy In The Sky With Diamonds
  ttps://www.youtube.com/watch?v=eKXfqpg-Q-k

  〜 Procol Harum / A Whiter Shade Of Pale
  ttps://www.youtube.com/watch?v=Mb3iPP-tHdA

  (小林)というわけでw
  1967年の ビートルズの方ねw
  Lucy In The Sky With Diamonds
  ジョン・レノンの。
  やっぱりだけど、これは切っ掛けは息子だったかもわかんないけど。
  内容はけっこうサイケデリックでね。
  ワケのわからないような風景が、展開しますね。
  
  それはこの A Whiter Shade Of Pale でも同じです。
  プロコル・ハルム(Procol Harum)の名曲で。
  これはジョン・レノンが、ちなみに、メチャクチャ「この曲が一番良い」ってことで。
  毎日毎日聴いていた、というエピソードのある曲であります。
0383ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/19(木) 14:39:47.18ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・1967年という時代は、音楽や芸術にとっては、ものすごくパワーをくれた力強い年でした。
  ただ、あまりに多くの人たちが、あのイケナイ物に依存するようになったことだけが残念だったんです。
  ジョンもご多分に漏れず、その中の一人でした。
  このまま私やジュリアンから離れてしまうかのようにも思えて、泣いて過ごした日々でしたが。
  これを解決するために、一筋の光が見えたんです」
  これはジョンの最初の妻シンシア・レノンの発言。
  彼女の遺した手記の中から続く。

  イケナイ物からきっぱりと手を切るための動機づけになるものが、まるで奇跡のように、マハリシ・マヘシ・ヨギという人物の形でやって来た。
  1967年、フラワーパワーが全開となっていたその年の夏。
  ジョージとパティのカップルは、以前にも増してインドの精神的な信仰にのめり込むようになっていた。
  パティは最初 自己流で瞑想を学ぼうとしていたのであるが、それはなかなか難しい事だとわかった。
  その頃ちょうど「スピリチュアル・リジェネレーション ・ムーブメント」という組織が
  「超越瞑想=トランス・メディテーション」に関しての講演を開くというので参加してみたのである。
  講演を聞いて、パティもこの組織に加わることに決めた。
  そして8月には、組織の指導者であるマハリシがインドからやって来て、ウェールズ北部のバンゴアという街でサマーセミナーを開くことがわかった。
  セミナーの2日前には、ロンドンのヒルトンホテルでも講演をするというのである。
 
  ジョージとパティは講話を聴きに行こうと決めていた。
  ジョンとシンシアにも、参加するようにしきりに勧めていた。
  シンシアは今一つ乗り気ではなかったため、家で留守番。
  ジョンは、ジョージ、パティ、ポール、婚約者のジェーン、そしてリンゴと共に出かけて行った。

  数時間後、家に帰って来たジョンは、かなりの興奮状態でこう言った。
  「素晴らしかったよ、シン。超越瞑想っていうのはすごくシンプルで。
  しかも人生を180度変えるパワーを持っているんだ。
  もっと早く出会っていたら良かったよ」
0384ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/19(木) 14:40:46.35ID:???0
  〜 The Beatles / I am the Walrus
  ttps://www.youtube.com/watch?v=VjL_n6MPIWc

  〜 Cream / Sunshine Of Your Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=zt51rITH3EA

  (小林)2曲かかりましたねw
  若い方にはどうなんでしょうね?
  このようにね1960年代の後半のこの曲が2曲かかると
  もう、すっごいサイケの極致みたいな感じになるんですが。
  
  ぶっ飛んだ内容の、I am the Walrus
  ジョン・レノンの作品としてお馴染みです。
  でも、これはあれですよ、2006年になって、ジョージ・マーティン親子が自分たちの解釈で、
  ちょっとビートルズをやり直した、あの「LOVE」のアルバムのバージョンです。

  そして、Sunshine Of Your Love
  これも、LPとかアルバムのバージョンじゃなくてw
  シングルのために、いろんなイントロだとか、間奏、ギターの間奏とかね、ああいうのがもうほんと短縮されている。
  クリーム(Cream)のバージョン、お送りしました。
0385ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/21(土) 18:27:30.89ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。


  (柏市/男性)60代後半
  お久しぶりです。今週のビートルズ最高でした。
  今回のリクエストはマイレコードコレクションには無い曲で、映画「いちご白書」の中の「Circle Game」です。
  ふと、映画を思い出し、聴きたくなりました。
  よろしくお願いします。

  (小林)これは、アーティストがあれですね。
  ネイティブアメリカンていうのかな?
  昔の言い方だとアメリカンインディアンの血が混じってるシンガーソングライター=バフィ・セント・メリー(Buffy Sainte Marie)
  ジョニ・ミッチェル(Joni Mitchell)や、他のバージョンと違って独特の味があります。
  バフィ・セント・メリーで The Circle Game

  〜 Buffy Sainte Marie / The Circle Game
  ttps://www.youtube.com/watch?v=LSiDB1lkwZg
0386ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/21(土) 18:31:19.95ID:???0
  〜 The Beatles / From Me To You
  ttps://www.youtube.com/watch?v=cJmXKnttMMQ

  (小林)ビートルズが流れましたね。
  From Me To You
  
  (船橋市/女性)
  リクエスト3回目です。覚えてくれていますか?
  1回目はビートルズを聴きはじめた切っ掛けを。
  そして2回目は、ポールの影響でベジタリアンになったことを。
  で、リクエストしました。
  最近スウェーデン人の彼氏に近い人が出来て。
  誕生日にスウェーデン語で、誕生日の歌を歌ってくれて。
  「It's my birthday present from you」と言ったところ。
  「From me to you」「あなたからのバースデープレゼントなんだね」と言ったら。
  「いや、From me to you」「私からあなたへ」と言われ。
  もちろんビートルズを思い出し、一緒に電話越しに聴いていました。
  大好きなビートルズ、彼、どちらからも祝ってもらえて幸せでした。
  ところで、スウェーデンとビートルズが関連する曲や出来ごとってありますか?
  最近恋をしている影響で、ラブソングの見方が変わり。
  ビートルズの歌詞に一喜一憂している自分がいます。
  
  (小林)ということで
  あなた[船橋市/女性]さん21歳、恋する21歳からリクエストいただきました。
0387ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/21(土) 18:35:41.62ID:???0
  (小林)続いて・・・

  (千葉市/男性)
  毎週日曜日の夕刻、アルコールを楽しみながら、ビートルズが始まるのを拝聴しております。
  シンシアの手記に記載されている内容は面白いですね。
  ジョンの妹さんたちや実の父親が訪ねてくる。
  これもジョンが一流のミュージシャンになったからだと思います。
  自分たちの曲を聴いてくれないファンに不満を持って、レコードに特化したビートルズ。
  4人の音楽に関する方向性がどのように変化して行ったのか、楽しみです。

  (小林)という[千葉市/男性]さん、50代の方。
  そこまで言っといて、リクエストがサム・クック(Sam Cooke)だって。
  You send me

  〜 Sam Cooke / You send me
  ttps://www.youtube.com/watch?v=mrwfB4aAZZc

  (小林)
  サム・クックの You send me
  まあこれは、名唱名曲とされているわけですが。
  50代の[千葉市/男性]さんがリクエスト
  でも、50代はビートルズオンタイムじゃないんだよね。ねえ。
  それで、そのビートルズよりもサム・クックが古いんだよねw 相当ね。
  でその前 21歳の方がリクエスト。
  だからもう、なんか時代を、なんか越えてる曲がずっとかかるわけですよね。
  面白いですねえ。
  若い人も古い曲を聴いてくれている、という。
  古い曲でも残ってる、というんですかね。
0388ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/21(土) 18:37:34.58ID:???0
  (小林)
  最後のリクエストはですね。

  (新宿区/男性)50代
  若い人が初めてUB40というグループ名を聴いたら。
  AKB48みたいなものだと思うでしょう。 

  (小林)思わないと思いますよw 
  これは本物を聴いたら。
  UB40てのはあれですよね。
  イギリスの失業保険証みたいな。
  それをUB40て言う。
  まあ「U」だから「Unemployment」とかそういう略だと思うんですけども。
  それをグループ名にして。
  この人たちは面白いですよ。
  なんか自分たちの音楽あんまりやらない人で、カバーが得意な人たちで。
  まあ黒人でもないんだけど、ジャマイカ風味で売れちゃった人です。
  これも実は、ニール・ダイアモンド(Neil Diamond)という人のね、曲をカバーして。
  メッチャくっちゃヒットしたんですよ。
  [新宿区/男性]さんのリクエストは、UB40の Red Red Wine

  〜 UB 40 / Red Red Wine
  ttps://www.youtube.com/watch?v=LXbtsCDh-Go
0389ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/21(土) 18:38:21.98ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」いかがですか?

  ジョン・レノンのお話しを、ずっと楽しみにしてらっしゃる方もいると思います。
  まあ、先週はね、オノ・ヨーコの名前が出てきて。あ、続きはどうなるのか?
  すぐ続かないんですよ。
  まだ、本気じゃないかから。
  で、今日は、1967年の。
  もうこれは重要な年ですよ。
  アメリカでは「サマー・オブ・ラブ」と呼んだ。
  家出人がね 多く出て、この番組でも何回も言ってますけど。
  で、みんなサンフランシスコに集まった。
  イギリスは、まあロンドンですけどもねw
5
  リクエストお待ちしております。
  リクエストは、あて先は
  beatles@bayfm.co.jp
  採用されるとイシイのミートボールなどをセットにして送られるということになっております。
  かなり皆さんを甘やかせております、この番組は。
  よろしくお願いします。
  待っております。
  お相手は小林克也でした。
0391ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/24(火) 19:31:08.34ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2017年1月22日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(1月22日)
 ・今から48年前の今日。
  1969年。
  ビートルズ、終わりに差しかかっています。
  で、これは「Let It Be」というタイトルで公開されるビートルズの最後の映画作品に関する録音そして撮影の日なんです。

  1969年はどうして始まるか、というと。
  だんだん、4人の間が広がってきて、なんか親密じゃないなあ。
  で、ポール・マッカートニーがいちおうリーダー的な存在だから考えるんですよね。「ビートルズ、どうしたらいいか?」
  で、考えたのが、「ビートルズは、もう一回ライブをやろう」
  で、「ライブを奏るためにはどうしよう」ていう。
  まあ「Let It Be」という映画をやることによって、みんながもっと親密になって。
  昔みたいに盛り上がることを期待して。

  ポール・マッカートニーは あのひげ面ですよ。
  覚えていますかねえ?
  で、着ているのが、なんかちょっと防寒ぽいようなチェックのシャツかなんか着てて。
  あのポールですよ。あのポールがね、みんなを呼んで。
  最初は、映画の撮影所へ集まるんですよ。1月の、お正月に。
  トゥウィッケナム映画スタジオ。
  そこで、奏るんです。
  でも、なかなか ちょっと寒いしw、
  撮影のスタジオってのは寒いんですよ。
  それで、盛り上がらない、演奏の方も。
  で、日を改めて、自分たちのスタジオ。
  サビルローの3番地の、アップルスタジオに48年前の今日集まるんです。

  で、なにを奏ったかというと。
  まあ、定かじゃないんですけども。
  「Dig A Pony」とか「I've Got A Feeling」「Don't Let Me Down」「Rocker」
  「ラストダンスは私に」知ってるでしょこれ。
  「She Came In Through The Bathroom Window」とかね、奏るんです。
  もちろんプロデューサーがジョージ・マーティン。

  で、ここで奏るんですけども。
  このアップルスタジオっていうのがね。
  実は、「マジック・アレックス」っていう、ポールやジョンが信頼を置いた人間に任せてた。
  これが、とんだ食わせ物で、ぜんぜん、お金ばっかり食って何も出来てなかったっていうことで。
  他の物ですね、ミキサーだとか、マイクロフォン、テープレコーダーなんか、みんなレンタルでそこへ持って来て録音した。
  ということなんです。
  で、翌週は屋上セッションを奏ったりする。
  あの頃のことですよね。
  48年前の今日。
0392ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/24(火) 19:31:53.49ID:???0
  それでは、その頃の録音、これです。
  ビートルズの、改めて聴いてください Dig A Pony

  〜 The Beatles / Dig A Pony
  ttps://www.youtube.com/watch?v=sjXCiWYbGi0

  (小林)wwいかがですか?w アップル・スタジオ。
  「シャローム」って言ってるねw
  いやあ、ポールがビートルズを元に戻そうと。
  一生懸命のポール・マッカートニーの積極さが・・・出てるじゃないですか?
  ねえ、いちばんポールが・・・
  ポールのボーカルもすごい生き生きとしてるんですけど。
  元に戻そうとして、戻らなかったわけですよね。
  ちょっと、オノ・ヨーコもいたんでしょう、この場所に。
  ジョンとヨーコは、ちょっと・・・こう。
  ちょっと、良いバイブが出ていないわけですよ。
  そんな雰囲気が伝わるという。
  これは、アルバムに入っているやつは、あれですからね。
  屋上の録音ですから。
  これは、その自称発明家「マジック・アレックス」が、ちゃんとやれなかったスタジオで録った、ちゃんとした曲ですよね。
  Dig A Pony お送りしました。
0393ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/27(金) 13:25:58.96ID:???0
□ストーリー
 ・「素晴らしかったよ! シン。
  超越瞑想っていうのはすごくシンプルで、分かりやすくて。
  しかも人生を180度変えるパワーを持っているんだ。
  もっと早く出会ってたら良かったのになあ」
  これは1967年8月の、ジョン・レノンの発言。
  ジョン・レノンを中心としたビートルズストーリー。
  今週もそのジョンの最初の妻シンシアが遺してくれた手記からお送りします。

 1967年、フラワーパワーが全開となっていたその年の夏。
  ジョージとパティのカップルは、以前にも増してインドの精神的な信仰にのめり込むようになっていた。
  パティは最初、自己流で瞑想を学ぼうとしていたのであるが、それはなかなか難しい事だとわかった。
  そんな中、この8月の最終週には組織の指導者であるマハリシがインドからやって来て、
  ウェールズ北部のバンゴアという町でサマーセミナーを開くことがわかった。
  セミナーの2日前には、ロンドンのヒルトンホテルでも講演をするというのである。

ジョージとパティは講話を聴きに行こうと決めていて、ジョンとシンシアにも参加するようにしきりに勧めていた。
  シンシアは今一つ乗り気ではなかったため、家で留守番。
  ジョンは、ジョージ、パティ、ポール、婚約者のジェーン、そしてリンゴと共に参加した。
  数時間後、家に帰って来たジョンはかなりの興奮状態。
  「シン! すごいよ! すごかったよ!」
  この一点張りである。
  この参加した他のメンバーたちと同じように、ジョンもマハリシのカリスマ性に惹かれ。
  瞑想すれば、誰でも煩悩から解き放たれて、悟りの境地に達することができる、という教えにすっかり心を奪われてしまっていた。
  マハリシはビートルズをバンゴアで行われるセミナーに招待した。
  期間は8月4週目の週末から始まって10日間の予定。
  もちろん、ジョンは興味津々であった。
0394ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/27(金) 13:28:00.30ID:???0
  〜 The Beatles / Being For The Benefit Of Mr. Kite!
  ttps://www.youtube.com/watch?v=3CHTsA7LtX0&t=96s
 
  〜 The Beatles / The Inner Light
  ttps://www.youtube.com/watch?v=M1RcYhhtojQ

  (小林)どうですか?
  サイケデリック元年の頃の音楽ですよ。

  僕の古ーい友達はね、この The Inner Light
  「Lady Madonna」の裏に入っていた曲ですけど。
  「いけない、こんな、こんな魔法の音みたいな・・・」w
  「自分が、入って行ったら、もう違う人間になってしまう・・・」w
  「一生懸命抵抗した」w みたいなことをw
  そういう時代ですよね。そういうの。

  その前は Being For The Benefit Of Mr. Kite!
  これは「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」のアルバムの中に入っていて。
  これもあれですよ、やっぱり。
  あの時代は珍しかったんですよ。
  なんか古いヨーロッパ的な変なものが入ってる曲ですよね。
  だから、もうロックの中に無かったんですよ。
  こういったものが、要素が。
  それ、ビートルズが持って来たんですよね。
0395ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/27(金) 13:29:13.39ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「超越瞑想のカリスマ的指導者マハリシ・マヘシ・ヨギの教えに、ビートルズは全員興味を持っていました。
  もちろん最初は、妻のパティの誘いでのめり込んだジョージが最初でしたが。
  めったに他人を信じることの無いジョンが、あそこまで興奮するなんて、
  結婚してから 初めて見るジョンの姿でしたね」
  と語るのはジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  彼女が記した手記の中から。

  夫ジョンのあまりの興奮状態に触発され、シンシアも少しづつ興味を持ち始めた。
  そしてついに、自分もそのセミナーに参加し、それがいったいどういうものなのか?
  実際に確かめて見たいという気持ちでいっぱいになり、シンシアも興奮していた。

  このサマーセミナーには、ジョージと妻のパティ、そのパティの妹でファッションモデルのジェニー・ボイド。
  そしてポールも行くことになっていた。
  あの実務主義者、唯物論者とも言えるポールまでもが参加するとは。
  やはり時代は1967年であった。

  あまり長旅が好きではないリンゴも、ギリギリまで迷って、やはり行くことに決めた。
  やはりリンゴにとっても 一番の友達はビートルズのメンバー。
  もう迷うことはない。
  リンゴの妻のモリーンは二人目の子供ジェーソンを出産したばかりで、まだ病院にいたため不参加。
  ビートルズのメンバーと家族以外に参加するのは、ビートルズが立ち上げた会社アップル・コープの若いギリシャ人のアレックス・マーダス。
  アレックスの持つ電子工学の専門知識がビートルズにとって役立つことがあるかもしれない、ということで。
  インディカギャラリーのオーナーで、マリアンヌ・フェイスフル()の元夫である人物=ジョン・ダンバー()から紹介されたのである。
  マリアンヌはこの時点ではミック・ジャガー()の恋人となっていた。

  話しはアレックス・マーダスに戻るが。
  彼はすぐに「マジック・アレックス」のニックネームで呼ばれ、ビートルズの側近として最も重要視される存在となった。
  スタジオの中でも外でも頼りにされるようになったのである。
  
0396ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/27(金) 13:30:35.59ID:???0
  〜 The Silkie / You'Ve Got To Hide Your Love Away
  ttps://www.youtube.com/watch?v=272VYnM4rQc

  〜 Bob Dylan / Rainy Day Women
  ttps://www.youtube.com/watch?v=h0Zxd5jp-lI

  (小林)いやあ、すごいですよね。
  やっぱり時代の景色とか空気ていうのは、映画だとかね、フィルムだとかそういったものの絵の中に残されているから。
  音の中に一番残されてるような気がします。

  1966年のボブ・ディラン(Bob Dylan)の Rainy Day Women
  もう「みーんな酔っぱらわなきゃダメよおまえら〜」みたいな感じ。
  「エ〜」もうイケナイ物で「パラ酔い」っていうような感じですよね。

  で、その前はシルキー(The Silkie)で。
  これはジョンがディランに影響を受けて書いた You'Ve Got To Hide Your Love Away
  でもw シルキーの連中が歌うとw
  もうほんと酔っぱらってハイになったディランみたいだったでしょうw ねえ。
  だけど、これ、プロデュースがポールなんですよ。ビートルズなんですよ。
  ポールはちょっと違います。
  サビに入る所で、ポールの号令みたいなのが入るんですよね。
  それは、まあ ポールの号令じゃなかったかもわかんないですけど.。
  あれが無かったらダメなんですよ。
  「ヘイ!」っていうのが入るじゃないですかw  
  みんなを 起こすんです。「Hey! You'Ve Got To Hide Your Love Away」ていうw
  あれが、ビートルズだったんですよね。
0397ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/27(金) 13:32:40.97ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ギリシャからロンドンにやって来た青年=アレックス・マーダスは電子工学に詳しいというふれ込みで、
  ビートルズの会社アップル・コープに入社しました。
  彼はすぐに『マジック・アレックス』というニックネームで呼ばれることになり。
  ビートルズにとっては、スタジオの中だけではなく、外に出ても重宝される、なくてはならない存在となったのです」
  これはジョンの最初の妻シンシア・レノンの発言。
  彼女の遺した手記の中から。

  そのマジック・アレックスも同行することになった1967年8月の、マハリシ・マヘシュ・ヨギのサマーセミナー。
  「サイケデリック元年」とも言える1967年は、ドラッグ文化の真っただ中でもあったが。
  この超越瞑想の教祖であるマハリシは、「反ドラッグ」を唱えていた。
  瞑想することによって、どんなドラッグを使うよりもパワフルに、自ら自然に恍惚状態まで導くことが出来るというのがマハリシの教えであった。
  
  ジョンはそのような概念に とても心を動かされ。
  自分でもすでに「悟り」とはどういうものか、宇宙規模の認識とはなにか。
  さらにドラッグの力を借りず、自らを恍惚へと導くこと、について語り始めていた。
  だから、もちろんシンシアも全面的にマハリシの教えを支持した。
  おそらく、これこそがジョンの求めていた新しい方向性であり。
  たぶん、今度こそシンシアもジョンと共に喜びを分かち合えるかもしれないと思った。

  ロンドンでの公演は8月24日木曜日の夜に行われた。
  翌週金曜日、シンシアは息子のジュリアンを週末の間お手伝いさんのドットに預かってもらうようにお願いして、荷造りをした。
  26日の土曜日にロンドンのユーストン駅から出る、バンゴア行きの列車に乗って出発する予定である。
  ビートルズの一行に加えて、ローリングストーンズのミック・ジャガーと、恋人のマリアンヌ・フェイスフルも一緒に行くことになった。
  全員マハリシの一行と同じ列車で行くのであるが。
  列車には間違いなく多くのパパラッチが乗り込んでくるであろう。
  それだけが心配なシンシアであった。
0398ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/27(金) 13:33:24.51ID:???0
  〜 The Rolling Stones / 19th Nervous Breakdown
  ttps://www.youtube.com/watch?v=o_sf8XFkmUg

  (小林)ローリングストーンズですよ。
  ビートルズを追っかけたローリングストーンズ。ねえ。
  でも、60年代中頃から、だんだん良くなって来るんですよね。
  ストーンズはね。
  日本語のタイトルは たしか「19回目の神経衰弱」とか付いていると思いますが。
  19th Nervous Breakdown
0399ジョン・キロックノン
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2017/01/28(土) 15:58:38.24ID:???0
□リクエスト
  メールは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。

  (千葉市/男性)
  年末にジョージ・マイケル(George Michael)が亡くなって。
  デヴィッド・ボウイ(David Bowie)に始まって、プリンス(Prince)
  80年代中盤を盛り上げてくれたアーティストがいなくなるのは寂しい限りです。
  2016は海外でも国内でも有名な方がたくさん亡くなりました。
  2017年は良い年になるといいですね。
  今年は信念をもって仕事をしたいと思います。

  (小林)そうですね。
  あなたのリクエストは Faith ですけども。
  この頃は、プリンスやマイケル(MichaelJackson)よりも、この人の方がアルバム売ってましたからね。
  すごかったですよねえ。
  これはまあ彼の一番売れたアルバム、それのタイトルソングです。
  ジョージ・マイケルの Faith

  〜 George Michael / Faith
  ttps://www.youtube.com/watch?v=C9iDBkJqxNg

  〜 竹内まりや / マージービートで唄わせて

  (小林)ジョージ・マイケルからね。
  いきなりこの曲に変わってビックリした方も多いと思いますがw。
  
  (茨城県稲敷郡/男性)50代
  去年の紅白でポール・マッカートニーのメッセージが流れ、盛り上がってしまいました。
  ところで、テレビ番組のBGMによくビートルズが使われますが。
  ほんの一瞬イントロが流れただけで曲名を当てると、妻が驚きます。
  たぶん、この番組を聴かれている人はみなさんそうだと思いますが。
  某テレビ東京で「タクシー代払う代わりに家について行っていいですか?」という番組で。
  「Let It Be」がBGMで使われていて。
  その場面になると、涙ぐむほど感動してしまいます。

  (小林)ていう。
  [茨城県稲敷郡/男性]さんのリクエスト。
  竹内まりや「マージービートで歌わせて」ていうw
0400ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/28(土) 16:00:59.51ID:???0
  (東京都八王子市/男性)
  リスナー歴7年の大学生です。
  気が向いたので初めてリクエストします。 (小林)w
  私はまさしく、ビートルズから始まって、
  ビーチボーイズ(The Beach Boys)やストーンズ(Rolling Stones)ピンクフロイド(Pink Floyd)
  といった60年70年代の洋楽に興味を持つようになりました。
  そしてその先達となったのが克也さんの番組の数々でした。
  これからも末永くよろしくお願いします。 
  リクエストはこのメールをしている時点で一番聴きたい曲にします。(小林)いやあw 若いのに古いのが好きなんだw 
  ソニー&シェール(Sonny & Cher)です。
  この曲は一度聴いた時から心に残り続ける完璧な曲だと思います。
  
  (小林)[東京都八王子市/男性]さんあなたのリクエストで
  ソニー&シェールの I Got You Babe

  〜 Sonny & Cher / I Got You Babe
  ttps://www.youtube.com/watch?v=80QHRTQ3Kmw
0401ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/28(土) 16:02:01.50ID:???0
  〜 The Beatles / The Fool On The Hill
  ttps://www.youtube.com/watch?v=fgbmzSGK_0E

  (小林)ポール・マッカートニー、名曲が流れましたね。
  
  (富山県砺波市/男性)
  この前、星加 ルミ子さんのラジオで   (小林)星加 ルミ子さんていうと、ミュージックライフの初期の編集長かな?
                                ビートルズなんかにね、会った人ですよね。
  「The Fool On The Hill」のレコーディングに立ち会えたとのこと。
  そこに歌詞が書いてあって、ポールはベースかアンプでも触っていたのでしょうか。
  そこにジョンが来て、その歌詞を赤ペンで直していた。
  二人の共同作業がこうして作られていたのかと、感心しました。
  
  (小林)ちょっと、意味不明瞭な所がありますけど。
  だいたい、気持ちはわかります。
  「そこで、The Fool On The Hill をリクエスト」
0402ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/28(土) 16:03:24.15ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)「ビートルズから始まる」今日はいかがでした?

  話しの方も、けっこう面白いですよね。
  超越瞑想、やっぱりインドの音楽や、インドの哲学、インドの思想っていうものに
  先ず最初にやられたのが、ジョージの上さんですよね。 
  で、みんなw 行くことになってw。
  とうとうあれ インドへ行くんですよね。
  その話しなんかも、どうなるかっての ご存知だと思いますけども。
  やっぱり、知ってても面白いお話しですね、こういうのは。
  はい、来週はどうなるんでしょうか。

  それからリクエストよろしくお願いします。
  リクエストのメールは
  beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどをセットにしてお送りしております。
0404ジョン・キロックノン
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2017/01/30(月) 19:07:18.14ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2017年1月29日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(1月29日)
 ・1964年。
  あの年。
  今からもう53年前の今日。
  53年前の今日。

  ビートルズはパリのオランピアで興行をやっています。
  これは有名な話しですよね。
  それで、ずーっとパリにいて。
  実はドイツから、ドイツの会社から要請があるわけです。
  ビートルズを売ってて好調なんだけど。
  どうもドイツ語だと「ドイツ語で歌ってくれると、もっともっとドイツでヒットするんだけどなあ」
  ていうことで。
  「ようし!」っていうことでw
  プロデューサーのジョージ・マーティンがパリに行って。
  これ、なんか朝早いんだよね。
  スタートが正午ちょっと前ですけど。
  ビートルズは、もう寝てますよ。ねえ。
  そこまで行って、叩き起こすわけですよ。

  「これから、スタジオ行くよ。マルコーニスタジオだよ。録音録るよ」
  「何を録音録るの?」
  「コン・ギミー・ダイン・ハンド(Komm, Gib Mir Deine Hand)。ジー・リヒ・ディヒ(Sie Liebt Dich)」
  「なにそれ?」
  「いや。これは”She Loves You”とか、みんなヒット曲をドイツ語で録るんだ」って。
  「もう、キャッシュボックスで1位になったから、行かなくていいじゃん」ていうことで。
  「いいよ」
  「いや、起きろ! みんな着替えろ」
  っていうことでね。
  ジョージ・マーティンが発破をかけるわけですよね。

  それで「やだよ」って逃げ回ったりするところへ。
  ジョージ・マーティンが枕を投げて「お前ら、しっかりしろ!」とかなんか。
  これが写真に撮られて、たしかキャッシュボックスかなんかに載って。
  これはもう皆さんも、売れる前のビートルズが枕投げをやってる写真ご覧になったことあると思いますが。
  この日なんですよ。
  53年前の。

参考:ttp://blog-imgs-42.fc2.com/b/e/a/beasma/inthe007.jpg
0405ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/01/30(月) 19:08:19.21ID:???0
  結果はね、ドイツ語で録るということで。
  ビートルズには珍しく、11テイク?
  これね、慣れないドイツ語なんで「I Want To Hold Your Hand」かな?
  11テイク奏ったらしいですよ。

  でも、またその後の逸話があって。
  ロンドンへ持って帰るじゃないですか?
  そうすると、テープがよれてて、高音が出てないんだって。
  よく調べると、ドラムズのハイハットね。
  ハイハット、金物のね、金属の音の。
  あれが出てない。 
  そこで、エンジニアのノーマン・スミス(Norman Smith)が
  自分がスタジオへドラムセット、ドラムをセットして。
  で、自分は元々ドラマーだったから。
  ハイハットだけ、音を入れたという。
  まあ、そういったエピソードがあります。

  これもまあ、すごいビートルズファンにとっては有り難い情報かもわかりませんw
  ビートルズの本人たちは知らないことじゃないでしょうか?
  そんなことはね。

  はい、それじゃ改めまして、ビートルズの Can't Buy Me Love 

  〜 The Beatles / Can't Buy Me Love
  ttps://www.youtube.com/watch?v=524BS0thExg

  (小林)いやあ、珍しい録音です。
0406ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/02/01(水) 18:42:13.93ID:???0
□ストーリー
 ・ジョン・レノンを中心としたビートルズストーリー。
  今週もそのジョンの最初の妻シンシアが遺してくれた手記からお送りしよう。

  「サイケデリック元年」とも言えるこの1967年は、ドラッグ文化も急成長した。
  しかし、超越瞑想の教師であるマハリシは「反ドラッグ」を唱えていた。
  瞑想することによって、どんなドラッグを使うよりもパワフルに 自ら自然に恍惚状態まで導くことが出来る。
  というのがマハリシの教えであった。 
  シンシアは「これでジョンのドラッグ依存が治ってくれれば」と思い。
  自分もセミナーに同行することを決めた。

  8月26日の土曜日に、ロンドンのユーストン駅から出る、バンゴア行きの列車に乗って出発する予定である。
  ビートルズの一行に加えて、ローリングストーンズのミック・ジャガー(Mick Jagger)と、恋人のマリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull)も一緒に行くことになった。
  全員マハリシの一行と同じ列車で行くのである。

  ビートルズが ブライアン・エプスタインやローディのニール・アスピノール、マル・エヴァンスを同行せずにどこかへ出かけるのは、この数年来で初めてのこと。
  ブライアンはみんなが出かけることを知っていて「週明けには自分も合流できるかもしれない」と、周囲に話していた。
  ジョンはまるで遠足に出かける子供のようにはしゃいで、同時に緊張もしていた。
  こんな弱音を吐いていたのである。
  「なあ、シン。ここだけの話しなんだけど。
  ブライアンやニール、マル 無しで出かけるのは、まるでズボンを履かないで動き回るような気がするんだよ」
  たしかに、ライブツアーを卒業してすぐに撮影に臨んだ『僕の戦争』の時も、ニールはしっかり同行して、完璧なサポートをしてくれた。
  ジョンにとっては、それだけが不安材料だったのである。
0407ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/02/01(水) 18:43:55.41ID:???0
  〜 The Beatles / Revolution 1
  ttps://www.youtube.com/watch?v=iUNoVcUAEs8
 
  〜 The Beatles / Lovely Rita
  ttps://www.youtube.com/watch?v=5I5QtW0Th9s

  (小林)2曲、かかりましたね。

  これは「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」のアルバムに入っている曲
  Lovely Rita

  そしてその前は
  1968年
  その翌年になりますが
  「ホワイトアルバム=The BEATLES」のアルバムに入っています。
  まあ、ご存知の方はご存知だと思いますがw
  このあと、マハリシを追っかけてインドへ行くんですよね。
  で、インドで大変な目に遭うわけですが。
  帰って来て、作ったのがこれです。
  Revolution 1
  インドで、もちろん書いたものと思われます。
0408ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/02/01(水) 18:45:56.23ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「ウェールズの町バンゴアへ向けて家を出たのは、よく晴れた明るい朝でした」
  と語るのは、ジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  彼女が記した手記の中から。

  念には念を入れるタイプのシンシアは、この日も早めに出かけられるように前々から準備をしていたのであるが。
  駅まで一緒に車に乗って行くことになっていたジョージとパティ、そしてリンゴが、遅れてやって来た。
  運転手のアンソニーが駅の入り口に車を着けたのが、列車の出発まであと5分というギリギリの時間。
  ジョンは他のメンバーと車から飛出し、プラットホームまで一目散に走って行った。
  シンシアと荷物はそのまま車の中。
  呆れたものである。

  しかしジョンにとって これは普通のこと。
  もう何年ものあいだ、荷物でもなんでも、やっかいなものは全てスタッフの誰かが運んでくれるのである。
  その結果が これであった。
  仕方なくシンシアは 二人分の荷物を抱えて大急ぎでジョンの後を追った。
  駅は障害物だらけである。
  ファンやマスコミ、警官、一般の乗客、あらゆる人たちが入り乱れている。
  シンシアは人ごみを押し分けながら、必死で前に進んで行く。
  
  ところが、ようやくプラットホームにたどり着いたところで、大柄な警察官に道を遮られてしまった。
  そして、シンシアがビートルズ一行の一人だということを知らないその警官に脇に追いやられてしまったのである。
  警官はこう言った。
  「残念ながら遅すぎたようだね、お嬢さん。列車はもう出発だ」
  すると誰かが手を貸してくれるように、シンシアは大声で助けを求めた。
  「ジョン! ジョン! ジョンはどこなの? どこにいるの!」
  やっとジョンが 列車の窓から頭を突き出して、シンシアが乗り遅れたことを知り、こちらに向かって叫んだ。
  「その人に、僕と一緒だって言うんだ!。乗せてくれって言うんだ!」 
0409ジョン・キロックノン
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2017/02/01(水) 18:47:19.21ID:???0
  〜 The Beatles / Good Morning Good Morning
  ttps://www.youtube.com/watch?v=OMu2YDuDtp4

  〜 The Beach Boys / Sloop John B
  ttps://www.youtube.com/watch?v=HW5yLvoJMD4

  (小林)いかがですか?
  2曲かかりましたよォ。
  
  Good Morning Good Morning というのは
  「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」ですよね。
  
  そして、ビーチボーイズ(The Beach Boys)がかかりました。
  「Pet Sounds」のアルバムから Sloop John B
  で、この番組を聴いてらっしゃる方に、ちょっと言っておきたいのは。
  「ビートルズから始まる」
  もちろんそれは、ある所を切り取ってるだけであって。
  ビートルズから始まったわけじゃなくて。
  この頃は、実は、ビートルズはビーチボーイズと、その頃流行りの言葉で言うとね。
  実際によく使われたのは「ミューチュアル・アドミレーション(mutual admiration)」という。
  お互いに尊敬し合っている間がらで。
  特にポール・マッカートニーはブライアンと交流がもちろんあって。
  もちろんビーチボーイズのね。
  で、有名な話しは。
  ポール・マッカートニーは自分の子供全員に、この「Pet Sounds」のアルバムを買い与えているっていう。
  だから、視野が狭くならないようにw ていうことでw
  ね、今は若い人たちでビートルズに帰って来るのはいいですけど。
  全部、大局を見て、自分のね 好みを見つけないといけないですからねw
  視野が狭くなっちゃうからねw 
  というわけで、ビーチボーイズの Sloop John B がかかりました。
0410ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/02/01(水) 18:49:02.62ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・ジョンの最初の妻シンシア・レノンの発言。
  彼女の遺した手記の中から続く。

  巨漢の警察官がこう言った。
  「残念ながら遅すぎたようだね、お嬢さん。列車はもう出発だ」
  するとシンシアは、誰かが手を貸してくれるように、大声で助けを求めた。
  「ジョン! ジョン! ジョンはどこなの? どこにいるの!」
  やっとジョンが列車の窓から頭を突き出して、シンシアが乗り遅れたことを知り、こちらに向かって叫んだ。
  「その人に、僕と一緒だって言うんだ!。乗せてくれって言うんだ!」

  これは1967年8月の最終週。
  超越瞑想の教祖マハリシ・マヘシ・ヨギがウェールズのバンゴアという町で行なうセミナーに出発する朝の景色。
  シンシアは列車に遅れまいと必死に走って叫んだ。
  しかし、もう遅すぎた。
  列車はすでにプラットホームをどんどん離れて行こうとしている。
  シンシアは取り残され、荷物を両手に持ったまま、そこにポツンと佇(たたず)んでいる。
  涙が頬(ほほ)を伝わって落ちた。
  マスコミ連中がシンシアを取り囲み、あちこちでフラッシュが焚かれ。
  自分が ただの間抜けのように思えてきた。
  もう、顔から火が出る思いだ。

  マネージャーのブライアン・エプスタインの秘書であるピーター・ブラウンが、ビートルズ一行を見送りに来ていた。
  ピーターがシンシアの肩を抱いてこう言った。
  「シンシアさん、心配はご無用です。すぐに車を手配しますから。
  なに、飛ばして行ったら列車なんかよりも早く着きますから。
  早回りして、みんなを驚かせてやればいいんです」
  この明るいピーターの言葉に、シンシアは少し救われた気がした
  「ありがとう、ピーター・・・」
  シンシアは元気を装ったが。
  悲しかったのは、列車に遅れたことではなかった。
  こういうことが、自分とジョンの私生活の危機を象徴しているようだ、と思えてならなかったのである。
  
0411ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/02/01(水) 18:50:19.52ID:???0
  〜 The Beatles / Girl
  ttps://www.youtube.com/watch?v=2ea0LXJuV2U

  〜 The Beatles / Getting Better
  ttps://www.youtube.com/watch?v=QvMQWte5pik

  (小林)2曲続きました、ね。

  アイドルバンド的なビートルズを卒業した「ラバーソウル(Rubber Soul)」のアルバムから
  Girl

  そして、このところ多いですよね。
  「サージェント・ペパー(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」の曲をかけていますよね。
   Getting Better
0412ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/02/03(金) 17:49:50.15ID:FrZb3fZd0
□リクエスト
  <スペシャル・パーティのお知らせ>
  3月15日(水)夜7時から
  会場:オークラ千葉ホテル
  75組150名様をご招待
  応募〆切 2月28日
  詳しくは bayfmのHP参照
  http://www.bayfm.co.jp/info/

  リクエスト、アドレスは beatles@bayfm.co.jp
  採用の方にはイシイのミートボールなどセットにしてプレゼント。


  (船橋市/男性)
  新聞でステイタス・クォー(Status Quo)のギタリストが亡くなったのを見て。
  こんどは、その日のラジオでワム(Wham!)のジョージ・マイケル(George Michael)が亡くなったと知り驚きました。
  去年はデヴィッド・ボウイ(David Bowie)やらプリンス(Prince)やら、いろんなアーティストが亡くなりましたが。
  このバンドは、まだまだ元気です。
  何歳になっても続けてくれるんじゃないかと  (小林)w
  思うバンドです。

  (小林)ねえ。ブルースのカバーアルバムを出したばっかりだからね。
  [船橋市/男性]さん、あなたのリクエストは、ローリングストーンズ(Rolling Stones)の Dead Flowers

  〜 The Rolling Stones / Dead Flowers
  ttps://www.youtube.com/watch?v=_emq_NzO7H8

  (小林)ねえ。
  これは、純粋のカントリーじゃないですけど。
  すごいカントリーフレーバー。
  つまりアメリカのカントリーウェスタンの影響みたいなのが窺がうことができるわけですけど。

  ストーンズはビートルズを追っかけたようなイメージがすごいあります。
  それは60年代で終わりで、70年代に入るとキッパリと、なんか60年代を捨て去ったような感じ?
  自分たちの、ほらあのベロのマークでお馴染みの、あのレーベルを作るわけですよ。
  そして、アメリカで録音を、もちろん本格的にやったりするんですけど。
  アメリカの南部の音楽の影響がすっごい強いですよね。
  これ「Sticky Fingers」の中に入ってるわけです。
  ビートルズとぜんぜん違いますよね。
  ビートルズの中で、ジョージ・ハリスンがちょっとその気があるかな?っていう活動を見せるわけですが。
  70年代はね。
0413ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/02/03(金) 17:51:03.58ID:???0
  (小林)さあ、続いてね。

  (江東区/男性)50代
  16年を振り返ると、大物ミュージシャンがいっぱい亡くなりました。
                 (小林)ま、いろいろ名前が書いてあるわけで、重なるんでちょっと省きますけど。
  私がショックだったのは、
  アース・ウィンド&ファイアー(Earth, Wind & Fire)のモーリス・ホワイト(Maurice White)の死。
  リクエストはもちろんアース・ウィンド&ファイアーのビートルズのカバー曲です。

  (小林)そう。
  これは映画「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」てのがあったんですが。
  プロデューサーが、ほら、「サタデーナイトフィーバー」それから「グリース」なんかをプロデュースした人。
  2作はすっごいヒットしたんだけど、これだけはヒットしなかったんだよねw
  この中に入っていた、いろんな人がビートルズカバーするんだけど。
  これが、やっぱり一番上出来だと思います。
  みんな ただ単なるカバーバージョンだけど。
  これはもう自分たちのモノにしてるもんね。
  アース・ウィンド・ファイアー、やっぱりさすが、モーリス・ホワイトはすごいやつ。
  曲はポール・マッカートニーの Got to Get You Into My Life

  〜 Earth, Wind & Fire / Got to Get You Into My Life
  ttps://www.youtube.com/watch?v=VJPWXq6b1fA
0414ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/02/03(金) 17:51:54.30ID:???0
  〜 Roberta Flack / Killing Me Softly
  ttps://www.youtube.com/watch?v=5OyM0R5uRPQ

  (千葉市中央/男性)
  先日、柏のキネマ旬報シアターで「男と女」制作50周年記念デジタルリマスター版を見ました。
  私はかなり前情報を仕入れて見たんですが、
  50年前に見た人が冒頭あたりで、ピエール・バルー(Pierre Barouh)が・・・ 
                         (小林)そうなんです、ピエール・バルーが亡くなったということで。
  ピエール・バルーがボサノバを弾き語りしているシーン。
  違和感を感じたろうなあ、と思いました。
  それにしても、伝説のラストシーンのカメラワークは最高でしたよ。
  掛布さんがフォードのGT40を購入したのも納得です。
  リクエストはロバータ・フラック(Roberta Flack)の・・・

  (小林)ねw
  まあ、ロバータ・フラックが気に入っちゃって。
  3ヶ月ああでもないこうでもないと言って、作り直したりね。
  またやったりして、3ヶ月かかった、という伝説の曲をお送りしました。
0415ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/02/03(金) 17:52:52.78ID:???0
  BGM 〜 The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
  ttps://www.youtube.com/watch?v=qSkbRtYmzxg

□エンディング  
  (小林)というわけで
  この番組のスペシャルパーティの応募 忘れないようにね。
  よろしくお願いします。
  
  リクエストはメールは
  beatles@bayfm.co.jp
  です。
  採用されるとイシイのミートボールなどをセットにしてお送りしております。
  小林克也でした。
0417ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/02/06(月) 22:23:55.98ID:???0
このスレは500KBを越えています。
512KBまであと少しですが、続けます。
DAT落ちしたら次スレを立てる予定です。
0418ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/02/06(月) 22:26:30.75ID:???0
■石井食品Presents「ビートルズから始まる。」bayfm 78.0MHz
 2017年2月5日(日)18:00〜19:00 放送内容  DJ:小林克也

  BGM 〜 Instrumental / Eleanor Rigby
  ttps://www.youtube.com/watch?v=1eY_SNXnxbc

□ビートルズカレンダー(2月5日)
 ・1965年。
  52年前の今日。
  これはね、ちょっとw、忘れてもいい。
  試験には出ないからw

  エリッソ男爵夫人、男爵ですよ。貴族です。
  男爵夫人が、ブライアン、つまりビートルズのマネージャーの所へ会いに来て。
  「もしも良かったら、うちの娘マリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull)をお宅で預かってくれませんか?」
  さあ、このマリアンヌ・フェイスフルというのは、この年で19歳です。
  あまりにもポップスの世界では有名な人なんですけども。
  この人は 順番から話すとあれですよね。
  旦那がジョン・ダンバーという、17歳でジョン・ダンバーと結婚して。
  これが金持ちでインディカ・ギャラリーてのをやっていて。
  このインディカ・ギャラリーは、個展をやっているオノ・ヨーコとジョン・レノンが会う所ですよね。

  でも、この17歳のマリアンヌ・フェイスフルは、なかなか、男が・・・なんてのかなw、手放さない、ていうw
  放っておけないような子で。
  ローリングストーンズの3人、ミック・ジャガー(Mick Jagger)、キース・リチャーズ(Keith Richards)ね、それからブライアン・ジョーンズ(Brian Jones)
  いろいろ有ったことは有名です。
  そして、ローリングストーンズが初めて作った「As tears go by」を、ストーンズの前に歌わせて。
  デッカレコードから65年にデビューさせるわけです、ね。

  そして、そのあとで来るわけですよ。お母さんが。
  マリアンヌ・フェイスフルのお母さん。
  マリアンヌ・フェイスフルは、だから貴族の出です。 
  お母さんはオーストリア人で、イギリスのロンドンの大学教授と結婚しました。
  離婚するわけですが、でも男爵です。バロンです。

  で、結局はね、やるんですよ。
  ちょっと有名になってるから「なんかやろうか」ていうことで。
  ポールも立ち会ってレコーディングするわけですが。
0419ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/02/06(月) 22:27:36.82ID:???0
  それをちょっと、聴いてもらえます? 面白いんで。
  おそらく初めて聴かれると思います。
  僕も実は 初めて聴くんです。
  マリアンヌ・フェイスフルのね、あのほら「As tears go by」はちょっと素人娘がやっている、て言う感じがあるんですが。
  これはどうでしょうか? Yesterday

  〜 Marianne Faithfull / Yesterday
  ttps://www.youtube.com/watch?v=gORyrU1xQpg

  (小林)ヘヘヘw
  どうですか?、すっごいよねw。
  ポールのバックとぜんぜん違うじゃないですか。
  やっぱり、「こんな子にはこんなバックを」ていうふうに考えたんですかね。
  結局、ビートルズの事務所に所属してこれを出す。
  それが、最高36位まで上がる、と。
  でも、この年にローリングストーンズがツアーがあると、ツアーに同行してって。
  もうね、キース・リチャーズとデキたり、ミック・ジャガーの恋人になったりとか。
  ちなみに、今ユーチューブなんかで探すと、マリアンヌ・フェイスフルが30代40代の頃の歌声を聴くことが出来ると思います。
  これみんな ビックリする。
  人生とはそういうもんだったのか、という。
  すごい勉強になりますから、おのおので学習するように。
  よろしく。
0420ホワイトアルバムさん
垢版 |
2017/02/07(火) 13:38:11.62ID:???0
>>405
>はい、それじゃ改めまして、ビートルズの Can't Buy Me Love

話の流れからしてドイツ語版がかかると思ってたので
思わず「え?」って声が出てしまいましたw
0422ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/02/09(木) 17:46:24.33ID:???0
□ストーリー
 ・ジョン・レノンを中心としたビートルズストーリー。
  今週もそのジョンの最初の妻シンシアが遺してくれた手記からお送りしよう。

  1967年8月の最終週。
  超越瞑想の教祖マハリシ・マヘシ・ヨギがウェールズのバンゴアという町で行なうセミナーに出発する朝。
  駅にたどり着くやいなや、そこは大勢のマスコミと熱狂的なビートルズファンでいっぱいだった。
  ジョンは荷物を全てシンシアに任せ、全速力で列車のホームに向かって走り出した。
  シンシアは列車に遅れまいと、必死に走って叫んだ。 
  「待ってジョン! 私を置いて行かないで!」
  しかし、もう遅すぎた。
  列車はすでにプラットホームをどんどん離れて行こうとしている。

  シンシアは取り残され、荷物を両手に持ったまま、そこにポツンと佇(たたず)んでいる。
  涙が頬(ほほ)を伝わって落ちた。
  マスコミ連中がシンシアを取り囲み、あちこちでフラッシュが焚かれた。
  自分が ただの間抜けのように思えてきた。
  もう、顔から火が出る思いだ。

  マネージャーのブライアン・エプスタインの秘書であるピーター・ブラウンが、ビートルズ一行を見送りに来ていたのであるが。
  そのピーターがシンシアの肩を抱いてこう言った。
  「シンシアさん、心配はご無用です。すぐに車を手配しますから。
  なに、飛ばして行ったら列車なんかよりも早く着きますから。
  早回りして、みんなを驚かせてやればいいんです」
  この明るいピーターの言葉に、シンシアは少し救われた気がした。
  「ありがとう、ピーター・・・」
  シンシアは元気を装ったが。
  悲しかったのは、列車に遅れたことではなかった。
  こういうことが自分とジョンの私生活の危機を象徴しているかのように、思えてならなかったのである。

  20世紀最大の天才と称される夫ジョンと、
  ジョンの妻であるということだけで、何らとりえもなく、あと数年で30歳になるシンシア。
  あまりに住む世界が違う気がして、涙が止まらなかったのである。
0423ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/02/09(木) 17:46:55.34ID:???0
  〜 The Beatles / She's Leaving Home
  ttps://www.youtube.com/watch?v=oAYiuFBqyLE
 
  〜 The Beatles / I'm Only Sleeping
  ttps://www.youtube.com/watch?v=38wIuDAq2yg

  (小林)1966年
  もうかなり実験的なことをやっています。 
  アルバムは「Revolver」です。
  ジョンの作品です。
  I'm Only Sleeping

  そしてその前は。
  67年ですね。
  「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」の中から
  She's Leaving Home
0424ジョン・キロックノン
垢版 |
2017/02/09(木) 17:47:53.32ID:???0
□ストーリー(続き)
 ・「バンゴア行きの列車に乗り遅れた時に、私が涙を流した理由。
  それは、自分以外には判らないことだったと思います」
  と語るのはジョンの最初の妻シンシア・レノン。
  彼女が記した手記の中から。

  「私が泣いたのは、この時の出来事が、私たちの結婚生活を象徴しているように思えて仕方がなかったからなんです。 
  ジョンは列車に乗り、未来に向けてどんどんスピードを上げて行く。私を取り残して。
  私はそこに立って、遠くへ消えていく列車を見送りながら。
  プラットホームにいる自分が感じている孤独は、いつかきっと永遠の物になるに違いない、と確信を持っていたんです」

  結局、ビートルズがメジャーデビューする前からのローディ=ニール・アスピノールが運転して、シンシアをバンゴアまで送ってくれた。
  6時間の旅であった。
  列車にはマスコミ、というよりはパパラッチが大勢乗っているので、まるでサーカス団の移動のようにお祭り騒ぎになっているのだろうけど。
  車の旅は静かだし、気楽でもあった。
  でも窓から外の目映(まばゆ)いばかりの美しい田園風景を見ていると、心の中が恐怖でいっぱいになってきた。
  「ジョンと私は この先どうなるのだろう?」
  シンシアの悩みは それに尽きていた。

  シンシアは列車に乗って来たみんなより少し遅れて静かに到着した。
  駅ではビートルズ一行を出迎えに来た絶叫するファンや、ファンよりも多い数のマスコミでごった返していた。
  海辺の小さな町バンゴアが「今日はいったい何ごとか?」というふうな騒ぎである。
  シンシアは先に着いたみんなから抱きしめられたり、キスされたりしながら温かく迎えられた。ジョンを除いて。

  ジョンからはキツイ口調で叱られ続けたのだ。
  「君はどうして いつもビリなんだ。
  いったいどんなマネをしたら、あの列車に乗り遅れるなんていう芸当ができるんだ?」
  いつものように黙って叱られ続けるシンシアであった。
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