ポール・マッカートニーの環境保護運動は有名である。ポールは
PETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)の会員であり、
シー・シェパード(海洋生物保護のために実力行使に訴える団体)を
支持もしている。

 様々な意見が上記団体には出ており、紛糾もしている。しかし私
は上記問題の孕む最も枢要な1点は、上記運動が一種の道徳的・人
倫的真理として機能し、影響を与えている点ではないかと考える。
この運動はただ環境保護や生態系や生物保護を訴える点に本質があ
るのではない。それが人類全体の道徳として、また内的な倫理と
して、機能させようとするのが特徴だと言える。

 かつて或る思想家はこう書いている。
《階序に対する畜群の不倶戴天の敵意。彼らの本能は、平等をでっ
ちあげる者たち(キリスト)には好都合である。強い個々人(至上
の者たち)に対しては、畜群は、敵意を抱き、公平を欠き、節度
なく、不遜で、厚かましく、無遠慮で、臆病で、不実で、冷酷で、
陰険で、嫉妬深く、復讐欲に燃える。》(『権力への意志 上』
p.284ニーチェ ちくま文庫)

 道徳や人倫を訴える心性には、強者にたいして同情や憐憫や
罪悪を訴え、優位に立ってしまう逆立ちした権力への意志が
働いているというのがニーチェの看破したものであった。

 道徳や人倫は権力への意志の屈折した形態である。ポールが現在
これに没頭することは権力への意志の発現の歴史的に考証されて
きた様態を表している。人類に課すべき善であることを訴える
このような運動に加担することが、人間を高揚させる真理として
の美にかかわる者としての劣化を表しているのは明らかである。