【赤いイチロー#51】広島・鈴木誠也【神ってる】©2ch.net
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◆鈴木 誠也(すずき・せいや)1994年(平6)8月18日、東京都生まれ。二松学舎大付3年夏の東東京大会はベスト8止まりで甲子園出場はなし。高校通算43本塁打。12年ドラフト2位で広島入団。13年9月14日の巨人戦でプロ初出場。14年11月には21Uワールドカップに日本代表として出場、大会首位打者に輝いた。1メートル81、87キロ。右投げ右打ち。 【広島】誠也のタイムリーで1回に1点先取「打ったのはフォーク」
ttp://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20161027-OHT1T50125.html 鈴木誠也“170キロ”打撃マシンで目慣らし!大谷165キロをフルスイングだ
広島・鈴木誠也外野手(22)が17日、22日に開幕する日本シリーズでの日本ハム・大谷攻略を誓った。「ああいう選手に負けたくないという気持ちでやってきた」と同級生との初対戦を心待ちにした。 チームはマツダスタジアムで全体練習を行い、高速マシンでバント練習。165キロ右腕の攻略に乗り出した。
胸が躍る。高校時代から背中を追ってきた同級生の怪物と、ついに最高峰の舞台で相まみえる。鈴木が165キロ右腕・大谷との初対戦に闘志をみなぎらせた。 「ああいう選手が目標というか、負けたくないという気持ちでやってきた。最高の舞台で対戦できるのは楽しみ。意識すると思うけど、思い切ってやりたい」
大谷が165キロを記録したパ・リーグのCSファイナルS第5戦は見ていなかったという。 とを知ると「目隠しをして打席に入りましょうか」と苦笑い。それでも気後れはない。「打てる、打てないはあると思うけど、思い切ってスイングしていきたい」と口元を引き締めた。
日本シリーズでは個人的な悔しさも晴らしたい。CSファイナルSは11打席連続無安打を記録するなど、打率・083と苦しんだ。休日だった16日は、故郷の東京に帰省。リフレッシュして、この日の全体練習に臨んだ。 「野球から完全に離れたかった。球場もボールもバットもユニホームも見たくなかった。CSの4試合は全て忘れた。反省としては残っているけど、気持ちは切り替えられた」
この日、11月に行われる侍ジャパンの強化試合で、日本代表に初選出されることが分かった。菊池、野村とともに日の丸を背負うが、まずは日本シリーズに目を向ける。 チームも大谷攻略に乗り出した。リーグ優勝を決めた9月10日以降、練習中はマツダスタジアム一塁ベンチ前に設置される打撃マシンの設定速度を上げている。この日は石井打撃コーチの発案で、さらに打撃マシンを1メートル前進させてバント練習。 球団関係者が「170キロぐらい出ているんじゃないか」と話す球速で目慣らしを始めた。
鈴木もしっかりとボールを見極めた。「調子はよくなかったので、いい状態に持っていけるようにしたい」。大谷との初対決まであとわずか。32年ぶりの日本一へに向けて、一日も無駄にはしない。
ttp://www.daily.co.jp/baseball/carp/2016/10/18/0009590027.shtml 巨人ドラ6大江、先輩の神ってる広島鈴木と対戦希望
ttp://www.nikkansports.com/baseball/news/1729967.html 西岡(笑)
絡むな疫病神、インケツ西岡
“チャラ男”がサヨナラ満塁弾 日ハム西川を変えた懲罰抹消
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161028-00000018-nkgendai-base
たった一振りで、札幌ドームを興奮の坩堝に変えた。
27日の日本シリーズ第5戦、日本ハムの西川遥輝(24)が、92年の杉浦(ヤクルト)以来となる、日本シリーズでのサヨナラ満塁ホームランを放った。
今シリーズは直前の打席まで20打数2安打、打率1割。
それが九回2死満塁の場面で、これ以上ない大仕事を果たし、チームの日本一王手に貢献した。
お立ち台では「何が起きたのか分からないくらい、興奮しています。叫びすぎて、ノドがかれてしまいそうです」と、興奮冷めやらぬ体の西川。
■怠慢プレーを連発
10年ドラフト2位で、智弁和歌山から日ハム入り。甲子園常連の名門校とはいえ、大学や社会人を経ずに、直接プロの門を叩いて活躍した選手は、これまで一人もいなかった。
西川は内野から外野とポジションを替えながら、14年には143試合に出場するなど、高卒4年目でレギュラーに定着した。
ところが球団OBは「それで慢心したのでしょう」と、こう続ける。
「当時の西川は髪の毛を伸ばして茶色に染めるなど、見た目も言動もチャラつくようになった。グラウンド内でも集中力を欠く怠慢プレーを連発。
昨季は夏場の試合でアウトカウントを勘違いして外野席にボールを投げ入れたり、ボールカウントを間違えて牽制死など、つまらないミスが相次いだ。
これが首脳陣の逆鱗に触れ、9月に懲罰の意味を込めて二軍落ち。外野は岡の台頭や右翼にコンバートされた近藤の存在もあり、自分も安泰ではないと悟ったのでしょう。すっかり反省し、髪の毛も短くして野球に専念するようになった」
かつて西川は中田に可愛がられ、オフは西岡(阪神)らともつるむなど、球団の顔をしかめさせていた。
「彼らは肩で風を切って大阪の町を闊歩していた。それも西川が増長した一因でしょう。最近は中田とも距離を取るようになったようです」(前出のOB) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています