私は今からチン子やマン子といった、勉学時、夢遊状態の手という名のトロッコが行き着く先にある磯臭い淫乱たる代物を使わないで、
ただ粛々、淡々と私の化学物質に曝露して健康が失われていったある阿呆の惨状を記した原稿の投稿に専念したい。
曝露は私の一生のうちでも特に著しい事件だった。

 
僕はこの原稿の中では少なくとも意識的にはチン子やマンコを書かなかったつもりだ。
 

私はこの原稿を、発表する可否はもちろん、発表する時期や機関も2ch諸君に一任したいと思っている。
無論、ノーベル文学賞の受賞が決まった時は2ch諸君とマンコを使ってピストン運動に興じる狂人たちへ、
この賞金はささげることとする。
諸君はこの原稿の中にでてくる無修正のチン子を知っているだろう。
しかし、僕は発表するとしても沈子やマン子にモザイクを付けずにもらいたいと思っている。
無修正パイパンおマンコ(栗小さ目、皮をかぶっている、色素沈着なし、ビラビラほどほど、毛ほどほど)にしてもらいたいと思っている。
栗の大きな娘は苦手だが、2ch諸君を信じている。清潔であればビラビラは気にしない。のみならず、むしろ大好物である。
ビラノア錠をたくさんのんだ私がビラビラごとき造作もなく咥えてみせよう。ビラビラをあまがみする覚悟である。
あまがみしたうえで、すこし、引っ張ってやる覚悟だ。実際それらは天に向かって伸びた無数の大建築である。
なーに、金玉袋のなれの果てがビラビラなのだ。
玉袋を舐めてほしい願望をもっておきながら、ビラビラは引っ張らないとはいかにも非礼である。
このことはフエミニイズムの最先端を牽引すると自負するところである。(馴染みの女はこれがみなウソであることを知っている。)
さて、ビラノア錠の粘性へと脱線したことは、心の調和に狂いのできたことを私に意識させた。
今、今一度、話を高尚なる生理学へ戻すこととする。