宗教にすがるようになった孤男2巡目
原典から遠くなるほど
神格化・権威化・大言壮語が過剰になる
さらに拝金化や迷信化も進んで行く 教祖が絶対者で無いのなら原典に戻る必要無いじゃん
今の時代を見てこれから必要なことを考えていくべき
2000年以上前の人にポストコロナの生き方聞いて答えが返ってくるか? だから何のために?
人類は皆で知恵を出し合ってアップデートを繰り返してきて今がある
過去の失敗から学ぶべきこともあるとしても
何でシューキョーの原典なんか見ようとする必要あんの?
しかも本当の原典ってだいたい口伝で失われてるし だいたい金取り組織として利用可能だからこそ拡大していったわけで
それ考えたら根っこが悪かったんじゃないのって話にもなる 政治権力との癒着による霊感商法によって
日本を支配していた宗教団体が表に出てきて
国民の間で議論が白熱している今こそ
現代の宗教の腐敗を反省すべき時でしょう だからそれで何で原典がいいって話になるの?
原典は神秘的だ素晴らしいんだ間違いが無いんだっていうのに執着し続けるから
宗教の悪を断罪出来ないんでしょ 聞きかじったこと真似して言えば勝てると思ってんのかバカがw 断罪ありきで物を言う人との間では
議論は成り立たないのではないか? まず、宗教とは何ですか?
あなたなりの定義をしてください。 いや相手が宗教の腐敗がどうこう言ってるからそれに応答する形で断罪って話をしてるだけだぞ
お前読解力なさすぎ あと話の流れとしてほぼ仏教の話をしているのに宗教とは何か議論する必要ある?
俺の個人的な定義が必要か? つらくない人生送って天の国に行く人がいる
俺みたいにつらい人生送ってそれでも信仰を捨てずにたえつづけてやっと天の国に行く人がいる
俺って本当に神に愛されてるのか イスラム教で自爆テロする人は、「死んだら天国に行ける」と洗脳されて、笑いながら自爆するんだよな
そこまで神様を信じられたら幸せかもな 大学生のとき、キリスト教の地方教会っていうのに入ってた奴がいた。
聖書を読み始めると恍惚状態になってたな。学生同士で共同生活してた。
あそこまで洗脳されてたら、かえって幸せなんだろうなと思ったよ。 >>534
実際は脅されたりして仕方なくって人も多いんじゃないの?
ああいうの遠隔で見張られててばらそうとしたりしたらドカンだったりするのでは? キリスト教は団体が大小めちゃくちゃ多くてあやしいとこも一杯ある
統一も一応キリスト教系 すこし霊感があるようなので般若心経と光明真言は暗記した 宗教という二文字に拒絶反応を示しすぎなんだよね、日本人って 般若心教って何か呪文みたいな扱いされとるよねw
厳密に言うと偽経とかなんだっけ? ネットは便利だな
ボジソワカでググるとたちまち解説が読める >>541
宗教アレルギーない?
厳密に言うと新興宗教アレルギーだけど ユダヤ教が一番いいとか言ってる人多いけど
なぜだ?? 社会で成功できるから? 前スレ1だけど、もうすぐクリスマスだね
今年もイヴ礼拝のキャンドルサービスに行くよ 浄土宗じゃなくて浄土真宗みたいだな
ベルギーのことだろう
Wikipedia見るとベルギーは監視対象にしてる団体がめちゃくちゃ多い
ベルギーの公安さんはたいへんだな 前スレ1だけど、教会のキャンドルサービス行ってきたよ
人いっぱい来てた >>555
どんな教会通ってるの?
なんか変化あった? >>554
キリスト教って一つしか無いと思ってる? 前スレ1だけど深夜に初詣に行きました
キリスト教も神道も信じてると言えば信じてるので 安倍元総理を神社に祀ろうという話が神社仏閣板にあった
権力者を神にして神社に祀る
そういうことを太古から歴史上ずっと繰り返してきて
日本を神様だらけ神社だらけにして
「神の国」などと言っているのが神道である 自然がきびしい、飢餓災害がつらい
自然界の精霊よ鎮まりたまえー! 雨を降らせたまえー!
これが縄文時代の神道だったが
時代が下るにつれ、いつの間にか権力者の人間を死後に神様にして
神社に祀るものに変わっていった
神社の神の正体は、大昔の上級国民なのだ
原始の自然宗教は、特権階級によって支配された、特権階級に都合のよい宗教に改変されていった
昔のそこらの民はみんな無知無学だからどうにもならない 日本に大乗仏教を広めるため
「日本の神社の神は本当は仏様の化身だったんだよ。すべては仏なんだ」と言い出したのが、
本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)
「いやいやそうじゃない! 仏の本当の正体が神様で、神様がちょっと仏のフリをしているだけなんだ」
と神道家が大乗仏教に対抗して言い始めたのが、
反本地垂迹説(はんほんじすいじゃくせつ)
それぞれの宗教、宗派が自宗にのみ都合のいい理論を展開していく
それが宗教学の不毛さである
それはただ、それぞれの宗門宗派で「ウチが最高!」「いやウチ以外は全部邪教!」と言い合っているだけなのだ
一貫性や普遍性がまるでなく、学問として何の役にも立たない
いや明らかに有害であり、人類の足を引っぱり続けている 現代の成り上がった特権階級が宗教団体の教祖である
統一教会の例でも分かるように、教祖に都合のよい宗教理論や霊的観念が言葉たくみに展開されていく
宗教は、教祖や幹部にのみ都合のよい、「世界救済という名目の自己実現法」なのだ
だから宗教は教祖を幸せにしてくれる
一般の信者は、わずかなご利益と引き換えに、時間、お金、労力を搾取され続けて不幸になる
それでも自分は特別だから幸せである
あの世では幸せになれる
これが一般の宗教信者の思考回路だ
今も昔も、宗教とはずっと知恵と力のある権力者の道具にすぎないのだ もともと仏閣・お寺というものは、修行者が修行をする道場だったのに
いつの間にか一般人が仏さんに願掛けをする場所に変わってしまっている
修行者が世俗を離れ、六波羅蜜という六つの修行を行う場所であったものが
現代では文化遺産、観光名所という、もっとも世俗的な場所となっている
仏閣で仏像を拝んでも意味がないのだ
それは「偶像崇拝」といって、本来の仏教とはまったく別のものである 大自然の厳しさから日本人の宗教は始まった
しかし科学や化学の力で農業革命を起こし、人間自身の力で飢餓を克服してからは、誰も雨乞いの祈祷などはしていない
科学技術を発達させ、自分自身の力で解決できれば、祈りや宗教儀式など人生に不必要であるし、
そうやって成長してゆくことが最も望ましい人類の進化なのだ 神々は「輪廻しなくても永遠に天国に居られる」計画を立てている
地上の人間を欲望に狂わせ
その限りの無い欲望、願望を叶えつづけ
地上の人間の福徳を搾取すればいい
依存させきり、一生そして死んだあとも永遠にそうする
それが魂を食われるということであり
それが地上のスピリチュアルブーム
新興宗教ブーム
パワースポットブームの正体である
神と自称している権力者の霊の成れの果てに願いを叶えてもらったとしても
福徳を搾取されて、結局借金が増えるだけであり
それは死後などに自分で支払う運命となる
受けたものはいつか必ず返さなくてはならない
神社は、高利貸しと同じである 開運とか願望成就という言葉は
実力を養う客観的で現実的な視点を暗くしてしまい
依頼心ばかりが増長し、おのれの主体性を養う思考を奪ってゆく
射幸心ばかりを煽られる主観的な視点になりがちであり
非常に有害な概念である 神とは人霊が勝手に名乗るただの肩書きである
一神教の国ではそんな名乗りをあげる人霊などいない
神社にひそむ神の正体とは・・・
地上に肉体を持っていた時分から、民の血税をすすり栄華を欲しいままにしてきた古代の特権階級の人間であり、
優越意識を強く持ち、死後、おのれは神であるなどという不遜な思いを持つに至った者たちである
そんな日本では神として祀られ
自分を神だと思いこんでいる人間霊たちだが
しかしその本当の心根は驕慢かつ残忍非道な者も多く
新興宗教の教祖や霊能者などを操って裏で悪いことを行っている恐ろしい存在もいる
名前に神という肩書きが付いていれば、犬でも蛇でも悪人でも何でもかんでも平身低頭して拝み出す日本人の宗教観は底が浅いのではないだろうか
旧約聖書にもそのような者たちが批判されている箇所がある
中国の孟子という思想書は革命的であるために
日本の神々に忌み嫌われ、孟子を載せた日本ゆきの船が三度も沈んだと伝えられている
霊的支配者、すなわち神社の神々の言い分では、日本ではどんな理不尽でも大人しく特権階級に従わなければならない国だからだそうだ ルソーは上記の封建主義を批判する書籍を出したのち、
周囲からの迫害を受け、神々からも攻撃されているとの妄想まで出てきたそうだが、
おそらく妄想ではなく、実際にフランスを支配していた霊的存在からも攻撃や迫害をされていたと思われる
そもそも日本では
一般人を命(みこと)と呼び
偉い人を尊(みこと)と呼んだ
それだけの違いだったのに
いつの間にか神様と人間という関係性に変わってしまった 権力者 死してのちには神名乗り 神社建てさせ 日本支配す
神という 肩書きつける権力者 ただの人間 心きたなし
神社にて 願い叶えばのちわるし 死後に借金 払う運命
八百万(やおよろず) 神の安売り大セール われもわれもと 神と言い出す
神という 既得権益できあがる 神社続々 建てられし国 権力者 神社つくりて神となる 神の肩書き 拝まれるため
神社霊 教団創り 世を乱す 死してのちにも 尽きせぬ野心
拝み教 哲学なくば迷信化 無知な大衆 だましだす神
人間を 拝んでみてものちわるし 百害ありて 一利のみあり
教団は 世界救うと嘘ついて 神の権力 広げゆくため 教団は カネと時間と労力を 無限に奪う 搾取計画
口ばかり その心根は悪魔かな 神示霊言 信用ならず
搾取する カネと福徳両方を 願い祈るな 拝み宗教
悪魔なり 神と名乗りし人の霊 日本支配し 民を狂わす
宗教は 大言壮語神格化 言葉によりて 創るまぼろし たかだか2000年ほど生きているだけで
勝手に何十億年も歴史のある富士山を占拠したつもりになり
おのれが神になったつもりで
人間よ、安易に富士にのぼるななどとおこがましくのたまう
コノハナサクヤヒメほか、神道という中身のない拝み原始宗教が生んだ
邪悪な、古い産業廃棄物人間霊である
悪魔たちに支配されたこの国 宗教という民に搾取と詐称と支配を行う
もっとも愚劣な集団を作り出してる原因である悪魔たちである 民の血税をすする寄生虫である特権階級の霊を神社に祀り拝む神道という原始宗教
世間から逃げ出し生産を周囲の人々に押し付けたコジキどもを仏菩薩名僧にして拝む卑屈な宗教の仏教 教祖を神にして寄生しその権威を使って威張るゴミクズどもを大量生産する新興宗教 言葉だけは綺麗なのだ
権威的な物言いや、古めかしい言葉遣いや
抽象的な観念だけは発達しているのだ
だが実態は悪魔の軍団なのだ 霊(自分を神とかいってる死んだ人間)が宗教を作りたがっているのだ
おのれの汚い野心のために
それが天啓や神示の正体である 前スレ1だけど、教会の礼拝に行ってきたよ
やっぱ神様を信じると良いことがあると思う
俺は神様はいると思う 宗教は教えだけ聞くと割といいこと言ってるよな
だが入信して多額のお布施や献金するくらいなら他のことにお金使った方が良い
今は封建時代じゃないから教えのいいところだけを学んで
個人個人で実践しくのが正しいだろう 信仰してる宗教の月刊誌だけ購入してる。
読むと気分がすっきりするな。 この世に生まれて人生を生きる意味になります。
正答は怒ること。怒りを学び、生じた報じられる動物を得ることです。
この世は畜生界と気付きますがそれは定かではありません。 仏教は怒りをコントロールし強制解放になりますので、
自己を誇り切れず満たされないために自己を間違い易いです。
らしさの課題ですが、正しさを十分に満たすことが必要になります。
正しさが十分のままに苦しみ抜ければ我は誇り高いです。 その意味で仏教は正しさの論理を変える信仰で危険な現況です。
悪果、善果は問題ではありません。本末転倒とも言えます。
論理を変えずに正しい自然な論理のまま生活をして正しく過ごすことを目指せる信仰こそ、
間違いない望まれる宗教です。 章は仮称であり変えるには間違わずに苦しみ気付き閃き開くしかありません。
見られるということであるはずの認め方による方法もありますが、
個人負担が大きすぎるので無理です。
章という仮称の理由だと見ています。 章という人身売買で強くなる手段は永続によって弱くなり過ぎる危険があります。
弱くなる危険こそ忌避したくなるものですが、心配されるのは権力差です。
仏教僧様の教える経典による学びゆえ。
権力差があった上でより上の権力を超長期間使用した場合、弱体化の心配があり、
時代経過を見て替えることは安心でしょう。知りませんが。 >>588
宗派はあんまり気にしてないよ
牧師とかの教会関係者も、別に自分たちの宗派はどうこうだから~という気持ちはないみたい
みんな「キリスト教」という括りで信仰してる
カトリックとプロテスタントの間には、隔たりはあるのかもしれないけど 宗教論はどうでもいい
要は神様も人間も変わらないということなんだよ
神様って言うとなんでも願いを聞いてくれてなんでもわかってくれて
なんでも味方してくれると思うけど
そうじゃないの
頑張れば応援するけど頑張らなければ応援しない
可哀想に思えば同情して味方するけど本人があまりに悪い場合は同情しない
喜んでる人が好きで感謝しない人は嫌い
不潔な人と清潔な人だったら清潔な人が好き
それでも本当に落ち込んだ時には抱きしめてもくれるけど思いあがったら突き放す
神様だからなんでもわかってくれるというのは甘えにすぎず
いかに神様を納得させるってことが大事なんだよ・・・
うまく言えんがね 交渉やプレゼンが有効な神様という教義か
教祖始めるの? 神様はその人ができる範囲のギリギリまでは頑張ることを要求するから
能力が高い人ほど要求水準も高くなる
低い人は生きてるだけで素晴らしいんだよと言ってもらえるw あやしい宗教の運営側のトップ近くになれば儲かるかも 今はキリスト教が静かに動いてるからな
まだまだ何かあるぞ >>597
自主的に頑張りたいのではなく神様に命令されるから頑張るの?
神様に生きてるだけで素晴らしいんだよと言ってもらってはじめて素晴らしい部分を納得するの?
そんな他者の意見のみに依存しているだけの価値観なんて尊いとは思えないな
自分自身がないただの人形じゃないか 宗教は他者の価値観に洗脳されて人形になる道
楽な道ではあるけれど
本当の自主的に創り出していく自由や創造性がないのではないだろうか
自分自身の判断や価値観を放棄している 生産活動を他人に押し付けたまま
自分勝手に責任を放擲して、世俗から逃げ出し
世間での複雑な人間関係によって人情の機微や情緒なども身につけることができなかった
人格の未完成で粗暴・頑迷・自己中心的なままの
自分だけが浄土に行こうとした乞食の先祖の老僧を守護霊にするな!
そんな奴がつきまとってきたら子孫が迷惑する! >>603
おまえは実力もないのに綺麗事言ってるだけ
会社の嫌な上司の人形や
世間の噂話やくだらない奴らの人形になるより
大きなものに従った方がよっぽど吉
神とは概念の一つの表現にすぎない
「自然」「理想」「エネルギー」「調和」「愛」「美」などとも言い換えられる つまり週刊誌の星占いみたいな漠然としたものなのか
現実から遊離していて具体性がまるでないな 大川リュウホウ死んだな。
息子がyoutubeで父親ディスってるの面白いから、時々見てた。 >>609
はあ?基本は>>593
逃げてる奴は神様は味方しない
おまえみたいな腐った奴はな あいつは神様が味方しないからダメとか
ただの選民思想じゃないか
ナチスと同類だよ 神様という権威を使って
そこに寄生し
俺は神様に認められ
あいつは神様が味方しないという差別主義
それが宗教の本質 宗教を理解できない奴は単なるバカ
バカなりにはっちゃけて楽しく人生送れてる奴は
それはそれでいいかもしらんが
一番しょうもないのは
はっちゃけることも現実で根性出すこともできない根暗人間の分際で
他人を攻撃し出す>>614のようなバカ
おまえは何がしたいのって感じw あらゆる宗教のうちでキリスト教は、疑いもなく最も寛容を教えたはずの宗教である。
しかし、現在までのところキリスト教徒は、すべての人間のうちで最も不寛容な人たちであった。
ヴォルテール 「哲学辞典」 まあ結局のとこ5ちゃんに来る程度の世代で本当に信心を持つのも難しいだろ
>>597のやつなんかもしょせんビジネス書とか自己啓蒙書みたいな内容に書き換えて消化してるし
生活と信仰が一緒にはなってないんだろうなというのが見て取れる >>618
むしろ行き詰まった時に助けてもらえたとか
奇跡が起きたとか
守られてると実感するという経験がないから
youは宗教や神様を理屈だけで考えちゃうんでしょ >>619
神様に祈願して奇跡とやらが起こっても
君は孫正義や野口英世のようには絶対になれないし
せいぜい体の不調が治ったとかそれくらいでしょ
日本の少子化や高齢化や鳥インフルエンザや東日本大震災や新型コロナウイルスや
増税や介護問題や年金問題や移民問題や日本の二流国化をいつまで経ってもまるで解決できないでしょ
君んとこの教団のお偉いお偉い最高の神様の教祖様もノーベル経済学賞を取るような
世界の貧困を解決できるような経済学者ひとつ書くこともできず
金儲けしたりエンタメ芸で遊んだりしてるだけでしょ?
ちっぽけな奇跡しか起こせない雑多な俗神なんかを拝む幼稚な信仰なんか
けっきょく内輪の自己賛美的な虚栄以外はなにも生み出さないでしょ 誤字
×経済学者ひとつ書くこともできず
〇経済学書ひとつ書くこともできず
ね >>619
馬の耳に念仏ってこのことだなー
俺が618で何を書いたのか全くわかっていないね
世界にはまだ信仰と共に生きている人たちもいるけど
その人達がみんな奇跡体験してると?
お前が言ってるのはむしろ詐欺占い師とかにズブズブハマっちゃう被害者の話だわ >>623
こいつも頭悪いね
頑張って生きてないから屁理屈でしか神様を捉えられない >>627
神の解釈なんて人それぞれだ
一つの統一された答えがあると思ってるのがバカの証拠 宗教は一つの模範解答というか
こういう答えは如何なもんでっしゃろ
というね考え方の見本みたいなもん
それが良いと思ったらそこに付いていくのもよし
違うと思ったら自分なりにやっていくのもよし
まあ今の時代は宗教団体や教義を信じるよりも
特定の宗教を信じたり団体に属さずに
神を一つのエネルギーや秩序と捉えている人の方が増えている気がするね 婆さんはPL、母親は立正佼成会
従姉は創価、叔父は住職、俺は神社巡りが趣味
ちなみにみんな貧乏底辺で性格もおかしな人間ばかり 四国では無いが地元の八十八か所霊場の御堂を全部回った もともと仏閣・お寺というものは、修行者が修行をする道場だったのに
いつの間にか一般人が仏さんに願掛けをする場所に変わってしまっています
修行者が世俗を離れ、六波羅蜜という六つの修行を行う場所であったものが
現代では文化遺産、観光名所という、もっとも世俗的な場所となっています
仏閣で仏像を拝んでも意味がないのです
それは「偶像崇拝」といって、本来の仏教とはまったく別のものです 修行しているだけでは食っていけないのだから
僧を敬って寄付などをすればいいことがありますよというシステムは
仏教の早い段階、あるいは仏教以前から存在していたはずで
寺に参拝してお賽銭をあげるのはその仕組みの一部に過ぎない
また仏陀を尊いものとしなければそもそも仏教が成立し得ないことからも
仏陀のシンボルとしての仏像を敬うことは教えと矛盾しない
そこに文句を言うんだったらそもそも社会生活捨てて「修行」生活に引きこもって真理が得られるのか?ってとこに疑問を持つべき 神がいると思いつつ不幸な人生歩むより神はいないと思いながら不幸な人生歩むほうが神を敬ってない?
神を信じてる人間に不幸な人生歩ませるなんて神の評判下げるだけ そこで便利な原罪ちゃんというシステムがあります
あくまでも人間が悪いことをしたせいでキビシー状況なのですw おかげさまで資産が過去最高値まで増えた。
これも神様のおかげです。 キリスト教会・自宅の仏壇・近所の神社
これ全部に祈ってたら、ようやくいいことあったわ キリスト教は前世の徳を教義にしていない。
前世の徳、父長制、祖先崇拝は儒学を官学としてきた日本の文化に染み付いちゃったもの。
但しキリスト教は冥福が教義に入っているから注意。 これまで何箇所かの教会に行ってみたけど、次の日曜日にまた別の教会に行ってみるわ 合わないなら教区変えないと駄目だぞ。
教区毎に神父or牧師と信者のカラーが全く違うから。 私は黙っていた、だが隣にはいつもいたと言うやつだな。 2000年代に教会通い始めたら、ある女と出会えたから、今もとりあえず通っている なんとなく唯識理解し始めた
いわゆる創造主的な神とそれほど矛盾しない感覚 31日の日曜日はイースターだぞ
一応教会へレッツゴー 仏典も聖書もコーランも読んだが
宗教はどうしても信じることができなかった 7月17日から900も下げてるやつは幸せ
真面目に見てみると凄い人なんだね 自分の孫からの電話は電話さえしてないってだけ
その理由もなく今さらだが
https://nd.ie.v/CuuBiTQ/5SKW1p4 >>227
って言われまくったけど当事者に凸して聞いたら普通の変換じゃん 教会の礼拝って日曜の朝なんてくそめんどい
終末の夜やれよ いままで音楽を心の拠り所にしてきて
トムヨークをキリストのように崇めていたが
もう持たなくなってきた
聖書読んでみようかな ボン・ジョヴィのリヴィン・オン・ア・プレイヤーなんてすごく宗教的な歌詞だよな 前スレ1だけど、
とりま1ヶ月に1度のペースで教会の礼拝に行ってるわ カルト宗教にハマらなければいいんじゃない?
制度宗教ってそもそもコミュニティづくりのためのものでしょう >>323
放蕩や犯罪も最初から計画されてるんでしょスピリチュアルだと 信仰に限らず、すべての道は縁によって成就し、縁は天より授けられるものである。
宗教に限らず、古来より真を悟り得た多くの人々はみな善縁によってこれを成就したのである。
ゆえにその環境の順境、逆境は我が霊の真のすがたをひらき明らかにするに役立つもので、たかい知恵の人は、よく縁の通り過ぎた方向をつまびらかに調べて、それにもとづいて自らを救う。
知恵の無い人は善縁に遇っても自らさとらないので、善い縁は日々に遠く離れ、邪な縁によって日々に堕落する。
しかし善い縁にはその初めには必ず逆境があり、それによってその心身をいましめ、畏(おそ)れさして、これを正しき路に帰らしめんと導くものであり、邪な縁には必ず順境があって、それに迷わせて醒めず、めぐりめぐって迷いの途に入らしめることを知らなければならない。
これを考えて自らを救う志のある人は、まず心を正しくして本源を清浄にし、いわゆる奢(おごり)飾(かざる)ことを捨てて淡白に移り、虚名を卑しんで実質を求めるに努め、根本を尊んで枝葉を抑え制(とど)め、思意を高尚にして、言葉を少くし、息を安らかにして、静思して黙悟し、己の明徳を明らかにして事理に通達し、順境に居てもまよわず、逆境に在っても苦しみ悶えず、一切の環境の縁はみな我が成道の助けに役立つものと為すのは、これはすなわち善縁中の最もすぐれた因縁である。 真の神髄というのは、日常生活の中にこそ存在する。
たとえば、身の周りを徹底的に整理整頓すること、これすなわち頭の中を整理整頓することにつながる。
なぜなら、住まいとは『主(す)』がいるから住まいであり、ゆえにこの住まいがぐじゃぐじゃしていると、己もぐじゃぐじゃとなり、主を失い、他や環境などの従となっていいように操られ、邪霊の巣となり、忘却を促進させたり、霊妙さを失って、することなすことが冴えなくなってゆく。
そうならないためにこそ徹底した整理整頓と日常の掃除をする。
家族や周囲は必ずといってよいほど『掃除しろ、洗濯しろ、清潔にしろ』とうるさくいう。
また、どんな会社でも団体でもそのことについて、多かれ少なかれ厳しく指導している。
いったいどうしてか。疑問や反発を感じている人も少なくない。
実はこれは、整理整頓自体が大事というよりも、もっと霊的な意味を内包している。
自分が寝起きする住まいとか建物には、必ず神が存在している。
そこをしっかりと整理整頓することによって、家の中の対流(神なる気)が良い方に流れ始め、霊光が明らかになっていく。
これをやらなければ、ドロドロしたものがいつも家の中に沈滞し、大事なところを見忘れる愚かな人間や運の悪い人間になってしまう。
これが修業のひとつの基本といえる。 また、掃除をしなければいけないのは、単に『汚いから』ではない。
孟子は「まず、他に働きかけるよりも、みずからに内在する明徳を明らかにすることが肝要である」と述べたが、
徹底して整理整頓することによって、そこに住む神や自分の明徳を明らかにし、霊妙の輝きを維持することができる。
掃除や洗濯を『やらなければいけない作業』と義務的に捉えてしまいがちだが、この考えは絶対に捨てなければいけない。
邪霊を祓い、みずからの主を取り戻して、己の明徳を明らかにする。
この整理整頓の意義さえ、しっかり把握できれば、それを率先して気分よく行うようになり、皿洗いにしても、ごみ捨てにしても、洗濯にしても命の洗濯、心のごみ捨てとなって心身ともに清められていく。
最も平凡で最も当たり前の生活をすることこそが最高の修業となる。 近所の変わり者おじさんがゴミ屋敷に住んでるのは、発達障害や依存症じゃなくて邪霊の仕業でしたかそうですか