自然に死ぬ野生動物か自殺する人間か
生きたまま、下半身から食われるシカやウシたち。
気づいたら頭からパリパリ食われてる昆虫や魚たち。
こんなのより
人間の方が不幸なはずはないだろう。 >>2
不幸だと認識できる人間だからから不幸なのだと思うのであって
認識できない生物は悲しいとも何とも思ってないんだろ?
感情があったことのメリットは大きいがデメリットもあったな
そもそも何で感情を持つようになったのか?必要だったのか?
我々が生きる意味とは何なのか こうやって謳歌(実際は不幸だが)していても何時かは骨となるんだよな?
自分の存在していられるのは何時までなのだろうな
この存在が消えて無くなるかと思うと不思議で仕様がない
仮に自分が老人になるまで生きたとして
其処にはもう両親はいないんだろう
何処に行くのかな?今日も数時間前に話したが
何時かは消えてなくなるんだよな・・・・
何で?もっと一緒に暮らせれたら良いのに・・・
母は長生きはあまりしたくないと言ってるが(笑)
其処のところはまあ個人によってさまざまだ 生まれた瞬間から死からは逃れられないんだよな
責任転嫁をするつもりはないが
そういうのを意識すると何もする気がなくなってくる
して-何になるか?ばかり考えてしまうな
楽しいことをしていても<ふと>立ち止まれば
嗚呼・・・・死ぬんだよなぁと考えてしまう
もう何なのか。いい加減にしてほしい 死ぬのも嫌だ生きるのも嫌だ
生まれてくるのも嫌だ生まれてこないのも嫌だ
これが自分の正直な感想です
我侭な人間で御免なさい 「死ぬのは嫌だ」死んだら何処に行くのか分からないという得体の知れない恐怖
「生きるのは嫌だ」死(骨・灰)に向かって生きるのは地獄
「生まれてくるのは嫌だ」上に同じ
「生まれてこないのは嫌だ」生まれてこなかったら何処に居るのか?考えるとゾッとする
死んだら何処に行くの?生前の意識はないにしても生まれ変わるのは嫌だな
今後どのような運命が自分を待ち受けてるのかは知らないが
何処か悲惨な国に生まれて惨殺されるよりかはマシだろう 死んだら無になるってのは最高の幸福だよ
本当は何度も何度も生まれ変わって生きる苦しみを得る
生物はおそらくそうだろう
なぜって、死ねば無よ、などとせば、ならば自分が
生まれたのはなぜという問いに答えられないからね 無から有が生じることは論理的にありえない以上、
自分がこの世に生を受けたことは「その前の生」があったことの
証明にほかならない。無から生まれて無に帰すものなど
論理的に存在しないのだ。これを知ってしまうと
死こそ最高の幸福だということが認識できる 古代ギリシャ人は「この世に生まれてきたことがそもそも最悪の
不幸なのだ」と考えた。その通り。生まれてこないものが
最高の幸せものである。
ではなぜ君やボクは生まれてきたのか? この地球上にある、あるいは宇宙空間のどこかに存在する
生命とは、なぜ生まれてきたのか?
ギリシャ人もインド人も「この世に生まれてきたいと願った
魂がこの世にうまれた」とする。この世の魔境は自分の心が
生み出した化物である、と。
ギリシャ人はこれで終わった。
インド人はここから抜けだそうと模索した。
ジャイナ教と仏教がそれである。
君は仏性があるみたいだから、ブッダの言葉を読んでみるといい。