>>803
確かに表面の状況はそうだけど、
詳細は違う。

当時は、
・本田が急成長中だった(親善試合はずっと中村俊輔中心)

・中澤&闘莉王CBコンビ最盛期←だから、ブロックを作ってチームとして守ればなんとかなる計算ができた。

・ハイプレスを捨て、
岡田監督が夢の中で思いついた布陣を初戦の直前2試合で試しはまった(FW本田)

・一番大きいのは、高地トレーニングをしてボールが浮き上がらないように蹴るトレーニングをしてきた日本代表
本田のシュートが何とかゴール内に納まり、初戦勝利したこと。
もし、それが無かったら、いきなり直前で形を変えて、結果が出なかったということで、チームが崩壊していたと
当時の日本代表選手が発言している。

今からでも監督岡ちゃんに変えてしまえ>>
今、日本サッカー協会副会長辞任して、今治のオーナーに戻っている(現場になるべく口出ししないようにしている)。
本人は、現場復帰したいらしいが。