人望は真心から生じる。人望を得て友人や恋人を得たいという利己的な心からは人望は得られない。人望は得ようと望んで得るものではない。
打算なしの利他的な心、優しさ(愛情)や義憤が心の底から生じる人間には「この人は本物だ。」と感じる何かがある。利己的な人の利己的な願望にタダで応じる人はいないが、こういう人には「協力すべきだ。」と本心から思う。
そうやって人が善意で手を組む集団の中心にいる人、リーダーを、人望がある人というのである。「人望を得られればメリットが得られるだろう、何なら美人の彼女を得られるかも。」という考えは現実には間違っている。人望を得てもそういうものが得られるわけではない。人望によって得られるものは、ただ自分の善意から生じる行動に協力してくれる人だけだ。
そう考えて、俺に人望がない理由はわかったし、人望が何を意味するのかがわかったことで、実は自分は人望を欲していないこともわかった。
人望がある人の人生とは、経済的に成功して人脈が豊富で、ハーレムを謳歌するような人生とは全く違う。国境なき医師団や香港の民主化活動化のような、実現が難しく普通の人にはモチベーションが枯れ尽きてしまうような困難な目的のために身を粉にして働く、天国と地獄で言えば地獄の部類に入る人生であった。