大場登・森さち子 著 「精神分析とユング心理学」より

フロイトは詩人が子どもの遊びとまったく同じことをすることに注目している。
詩人も、自分独自の空想世界をつくり出し、その空想世界に非常に真剣に取り組む。
たいへんな情緒的エネルギーを注ぎ込む。
しかし、一方で、現実世界と空想世界を明確に分けている。
言葉との戯れの中で、もしそれが現実であれば到底受け入れることができないような、
楽しみとなることはないような多くの事を、空想の中でも楽しいものに換える。
不快なものも、文学や劇の中で表現されると、読者や観客にとって、それは楽しみの源泉となるのである。



準児童ポルノ規制派の人は、それが文学や劇の中で表現された物だと言うことを忘れていないだろうか?
文学や劇の中で表現された物を楽しむ人達が、現実世界でもそれを求めているとでも言うのだろうか?