天皇家の正体とは、『隋書』百済伝にあるように「百済百濟之先、出自高麗國。其人雜有新羅、高麗、倭等、亦有中國人。
百済の先祖は高句麗国より出る。そこの人は新羅、高句麗、倭などが混在しており、また中国人もいる。と記されている。
つまり、倭人は百済の臣民であり、百済が倭人にとって宗主国であったと考えられており、
天孫族といわれた百済にいた百済王賊分家が日向の地にわたり、神武日王として即位し、機内を順次征服して奈良の地に
古代朝鮮語で首都の意味の「ナラ」と改称し朝鮮系纒向王朝を開いたと言われている。