>>76
>話し合いのうえ、「ボランティア精神旺盛な人」に“一旦”引き継ぐというだけ。

この「地域の団体の話し合い」というのが、実は最大の問題でもあるんじゃないか、と思うんだけどね。
まず「本人の自由な意思」で決めるべき問題が、「地域の団体」という募金とは関係のない団体内部の問題にすりかえられてしまう。

参加したい人に「自ら」参加してもらうのではなく、まず「地域の団体で集める」という無理やり巻き込む構造を作った上で「どうしても協力しないと言うのなら、地域の団体内部の問題として反対してみろ」「裁判でも起こしてみろ」と。
「協力を望むなら募金団体に協力する」はずのものを、「地域の団体の当番として協力する」のが当然の状況、「協力しないなら地域の団体に反対しなければいけない」状況にすりかえてしまう。

共同募金の強制体制の根源は、こうした協力を望む個人ではなく地域の団体として行わせる、無理やり巻き込むという点にあるわけで。

町内会、管理組合の中で「話し合い」をして「集金役」を決めれば、もうそれは「募金」「ボランティア」ではなくなってしまうよね。
「団体の当番として誰かが行う」ことを前提とする以上、「たらし回し」「押し付け合い」としか言いようがないのだから。

自治会や管理組合という地域での生活や立場といったものがどうしても入り込む団体で、「団体として外部団体のための集金活動を行う(誰かを集金人として差し出す)」ことを前提に「話し合い」を行えば、どうなるか……

重要なのは、まず「地域の団体の話し合い」で集金活動を行わせることをやめる、ということだよね。
自治会ではなく管理組合に集めさせる、というのは何の解決にもなっていないし、「強制体制をなくすためにできること」とは違うのではないかな。

それは、むしろ強制体制の「根」を広げることになりかねない。