『その動きでは、そのセリフにはならない』

一端の役者であれば、生理的に不自然さを感知出来る
逆に言えば、自然に演じられる人間ほど凄い

400年もの昔、シェイクスピアは己の演劇観をハムレットに語らせているけど
こんな基本的な事から逸脱する山寺宏一が祭り上げられているのは不思議な話


>といって、あまりさらりと喋られても困る。その辺の呼吸はめいめい分別にしたがうよりほかはない。

>要するに、せりふにうごきを合わせ、うごきに即してせりふを言う、ただそれだけのことだが、

>そのさい心すべきは、自然の節度を越えぬということ。何事につけ、誇張は劇の本質に反するからな。
>もともと、いや、今日でも変りはないが、劇というものは、いわば、自然に向かって鏡をかかげ、
>善は善なるままに、悪は悪なるままに、その眞の姿を抉りだし、時代の様相を浮かびあがらせる……