外画やる声優のほうが実力あるみたいな風潮 Part2
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外画やる声優のほうが実力あるみたいな風潮
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/voice/1349058160/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:----: EXT was configured >白髪で、長身で、いつももの静かで周囲に威厳を放ち、畏敬されている老人がいる。
だが彼は同時に老獪であり、孤独であり、仕事先にわざわざ飼猫を二匹連れてきて、
寝る前にはかならず猫と遊んでいる。そしてときに怒りを炸裂させたかと思うと、
子供っぽく懇願し、内気にして感傷的である。
自分の周囲に対しては帰依を要求する独裁者ではあるが、謎めいていてその人格の深さを
見通すことが容易ではない。約(つづ)めていえば、
旧約聖書の神様を人間に仕立てあげたような人物である。
父親の死後、希薄ではあるが恒常的な喪に耽っていた少女の前に、ある日突然、
この老人が現われる。それも全世界の映画ファンに畏怖されている監督として。
彼は彼女の声を聴きたいといい、ひとたび聴いてしまうと、この声といつもともにいたいという。
こうして少女は、演技の経験もないズブの素人であるというのに、
彼の新作に主役として抜擢されることとなる。だが真実はやがて表明する。
素人だからこそ抜擢されたのだ。職業的な俳優のいかにも演技らしい演技こそ、
この監督が憎んでやまないものであった。あらゆる意図も内面的感情も消し去って、
無表情のうちに科白を棒読み同然に口にすることこそが、彼の求めるところだったのである。
こうしてロベール・ブレッソン監督、アンヌ・ヴィアゼムスキー主演による
『バルタザールどこへ行く』Au hasard Barthazar の撮影が、1965年に開始された。
> 1965年、一人の少女が老齢の映画監督と出会った。少女は17歳、
いまだ自分が何者であるかを知らず、翌年に控えた大学受験のことを気にかけていた。
いや、高名な文学者の家系に生まれた彼女は、その時むしろ、
将来に対して漠然とした不安を抱きながら、作家として名を成す
祖父と伯父の重圧から抜け出すために、文学とは違う別の道を、懸命に探していたのだった。
監督ロベール・ブレッソンは、そんな彼女に映画女優という最高のプレゼントを与えたのである。 > それから約40年後、少女はその時の経験をもとに一冊の小説を書き上げることになるだろう。
そしてその時、少女はもう「少女」ではなく、さらに「女優」でもなく、
祖父や伯父と同じ文学の道に転身し、堂々たるキャリアを築き上げた
紛れもない小説家となっているだろう。
そう、それが今われわれの知るアンヌ・ヴィアゼムスキーという女性なのだ。
https://webfrance.hakusuisha.co.jp/posts/171 フランスLe Monde紙の報道によれば、フランスの女優・小説家のアンヌ・ヴィアゼムスキーさんが
癌によって10月5日に逝去。70歳でした。
アンヌ・ヴィアゼムスキーさん(Anne Wiazemsky、1947年5月14日 – 2017年10月5日)
フランスの女優、小説家、映画監督。1952年にノーベル文学賞を受賞した、
フランソワ・モーリアックの孫(母方の祖父)。1947年5月14日、ドイツ・ベルリンで生まれ、
1964年に著名な映画監督ロベール・ブレッソンの作品、
『バルタザールどこへ行く』で女優デビュー。1967年、ジャン=リュック・ゴダールの
『中国女』に主演。ゴダール映画には合計7本出演しました
(なおゴダールと1967年に結婚していますが、1979年に離婚)。
その他、パゾリーニやフィリップ・ガレルの作品にも出演しています。
日本においてはゴダールのミューズ・ファム・ファタールとして著名な
ヴィアゼムスキーさんですが、40歳を過ぎて小説家としてのキャリアを積み、
人気作家としてフランスでは有名でした。十数冊の著作のうち、
入手可能な邦訳が数点ありますのでご紹介します。
この中で、『愛の賛歌』はフランスで映画化もされています。
『彼女のひたむきな12カ月』は、映画監督ジャン=リュック・ゴダールとの関係や、
当時の状況を生き生きと描き出した自伝的小説です。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています