「正論は嫌われる」とはよく言われる言葉であるが、それに至るまでの理由は実際の所様々である。

・主張する人への信頼性の無さ
いわゆる「お前が言うな」というやつである。例え発せられた主張だけは正論であっても、現実では誰が言ったかと言うことも重要視されるため、
どんな裏があるか分からないような人間の言葉では残念ながら単純には受け入れられにくい、既に信頼を損なう悪評が立っている様な人間の場合ではなおさらである。
また、正論を言うだけで、その正論に基づく行動を常日頃から実践していない様な人(例えば口先では正論ばかり言うが本人自身の性格や態度はいい加減で無責任でやることなすこと不徹底、といった人物が言った場合など)も同様である。

・言葉遣いや態度の悪さ
自身の主張が正論であることに酔い、相手を論破するために大上段から振りかざすような言動を取っていれば相手からは当然不評を買うことになる。
純粋に正義感が先走りしてしまっているような層もいれば、ストレス解消の目的などで意図的にこの様な扱い方をしていたり、他者の主張を「正論だ」と引っ張ってきて人を追い詰めるためだけに利用する層はネットでも非常に多い。
そもそも言葉遣いの悪さは議論において避けるべき基本の一つである。

・そもそも正論ではない
正論は耳に痛い意見であったりすることが多いが、別に毒舌や辛口だから正論だというわけではない。
また、都合の良い部分だけを切り取り、現実的でない理想を語るような主張も本来道理にかなう正論ではないのだが、詭弁であっても何となく厳しい批判自体が正論だと勘違いされてしまうこともある。
それが逆に正論という言葉自体のイメージに影響している面も少なくない。