会社辞めて起業したいんだが、アドバイス欲しい
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昔からの夢を叶えたい!
じゃなくて、
今の職場から逃げたい!
っていう後ろ向きな理由で起業したいんだが、アドバイス欲しい。
頑張るのはいいけど、ストレスはあまり感じたくない!
金持ちになりたい訳じゃなく、普通の生活をストレス少な目で生きたい!
資本ほぼ0なら、IT系かサービス系かなぁ、くらいにしか考えられてないんだが、俺の将来についてちょっと妄想してみようよ 一応念を押しておくと自分の行動のコントロールは飽くまで感覚で行うもの。
思えばなんでも叶うのなら誰も苦労はしない。 いくら緻密に計算してもその通りにことが進むとは限らない。
失敗や凡ミスを通してしかつかめない感覚というものもある。
人間はいい加減で大雑把なものだという認識に基づいた荒々しい闘争心も人間には必要。 人との争いを避ける人間が必ずしも他人に寛容とは限らない。
そういう人は争うことへの免疫ができていないから、些細なことで争いに巻き込まれる。
心のキャパシティを広げる為にはまず争いを否定しないこと。 若干訂正
争いを否定しない→争うことを否定しない
人は実際に人に迷惑をかけていかないと人の心の痛みも分からない。 自分がされて嫌なことは人にはしない、で人との軋轢を回避する人間は
人の心の痛みを頭で理解しているだけで、心の底では分かっていない。
自分の攻撃性を抑圧する人間にできるのは上っ面の共感だけで、
本気で情けをかけることはできない。 人生に確かな手ごたえを求めないこと。
押さえるべきを押さえたら、後は成り行きにまかせること。
状況のただなかに身を置いて、流れに身をゆだねることでしか見えないこともある。
大切なのは闘いに酔わないこと。 なんだか哲学スレみたいだ。
気持ちの持ちようとしては参考になるよ。
ありがとな。 どんな逆境でも心を折らないこと。勝ち味の鋭さより打たれ強さの方が余程重要。 失敗はその先に突き抜けるもの。委縮するためのものではない。 自分を高めようと思うことは悪いことではないが、あまり根をつめると不完全であることを受け入れられなくなる。
努力するのは当然として、好調な自分をキープするためのメンテナンスぐらいに軽く考えること。 まとめると、修正や工夫と言った小手先のテクニックではなく、
自分の感覚をどこまで信頼して身を預けられるかということ。
それで駄目なら自分の力が及ばなかったというだけのこと。
スタイルの微調整はその後の話。 付け加えればモチベーションは自分の内部から掘り起こすもの。
外部に求めるものではない。 こういうことを続けることに嫌気がさした。大体のことはやった。
ただ、俺がただの統失の引きこもりに過ぎないということ、それに良い様に遊ばれていたに過ぎないということ。
後は自分の好きなように進んでくれ。 製造業は終わったとか言われるのも言いたいことはわかるけどなんだかんだ安定性はあるよね
黒字だけど倒産する企業も多いわけで
ITならアプデで終了のとこリコールやらメンテやらそういうのにお金かかるのは痛いよな 続けるか。
無駄を削ぎ落そうとしないこと。急がば回れと言う言葉もあるが、人生はそれをなくしたら何も残らない。
相手と呼吸を合わせるゆとりがあれば見えてくるものもあるだろう。
常に全力を意識せず、2割方の力を残しておくこと。厳しい局面だからこそあえて。退路をふさがないこと。 訂正
力を残す→気持ちを残す
全力を尽くすにせよ気持ちを入れすぎないこと たまに俺は本当に生身の人間なんだろうかと思わないでもない。
分からないし、分かったところでどうなるものでもない。
今のネット漬けの生活の縛りから抜け出し、現実にとび込むことができる時がくれば、
自ずと明らかになるだろう。 なにも分かってはいない。分かったふりをしているだけだ。
そうと分かりつつも前に進むしかない。
前に進もう。 結局そういうこっちゃな。大層なこっちゃないねん。
あーめんどくさ。なにもかもめんどくさいわ。 例題
自己資本100%(俗にいう無借金)
資本金100万
月商100万円の黒字企業がたちまち資金ショートして
黒字倒産する。
この意味がわからない人間(90%)が起業するから
失敗するに決まってるよ
別スレに書いたコピペですまんが
これが分からなければ経営者になるセンスがないから
起業は辞めといた方がいい
アメリカみたいに何回か会社つぶしても
チャレンジできる社会なら失敗に学ぶという方法も
あるけど
日本はワンチャンスだから要注意。
アメリカ
人や企画に対して投資する文化。
借金踏み倒しても『貸す方の見る目が無かったんだ』
日本
資産を借金のかたにはめ、利率を稼ぐ文化
(金融機関なんていうより大きな質屋w) もうすこし気楽にいってもいいんじゃないかな。あまり前のめりに生きてもしょうがないですよ。
色んなことがあります。 >>224
そんなことは分かってるよ
利益
224は利益出てればいいとw?
黒字倒産が何故あるか
考えろって言いたいんだよ
この例題は 俺は会社作って25年、5社経営してる。
起業家精神ある若者にはアドバイスしたいが、ここのやつはグズグズ言ってるだけで行動出来ないヘタレクズ。何もできないまま年寄りになって後悔するぞ。
まずやって、失敗して学べ。
日本でだって失敗したって平気、破産したって全然平気。免責受けてやり直せる、借金なぞ、借りた方も、貸した奴も同じリスクあって当たり前と開き直れ。 223と226だけど
227さんのように
何があってもへこたれない精神力
これこそ起業家の資質(1割の人) 自分の心を守ろうとだけはすんなよ。
負ければ心は痛いし勝てばうれしい。
ここをごまかす人間はどんなに成功しても人としては失敗作。 龍神連合五代目総長・清水(葛飾区青戸6−26−6)の挑発
清水「糞関東連合文句があったらいつでも俺様を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 糞関東連合の見立・石元・伊藤リオンの糞野郎どもは
龍神連合五代目総長の俺様がぶちのめしてやるぜっ!! 賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」(挑戦状) ま、あんまり深く考え込まんこっちゃな。
大した生きもんやないで。 張りつめた心を緩ませること。目的に遊びを持たせること。 後は自分の攻撃性と向き合うだけ。肝心な時にそれを出せるかどうか。
簡単なことではないよ。 自分の力の及ぶ限りは決して投げ出さないこと。
及ばない事態には前向きに受け入れ、無駄に力まないこと。 人間は基本的に身の丈を超えた生き方はできないが、
時には一か八かの博打をしてしまう生き物だということは押さえておく必要がある。
自分の感情に嘘はつけないということ。 何もメシの種になるようなスキルや知識が無いなら
アムウェイをはじめてみるっていうのも一つの手だと思う 知らず知らず細かなことに捉われて生きている心の縛りを解きほぐすこと。
余裕がある範囲で日々の生活のリズムから足を抜いてみるのも一つの選択肢。 最後は自分は自分、人は人。共感も温情もこのラインを明確に。 目的を追求しすぎない。心に遊びを持たせてバランス感覚を整える。 どーなんやろ。ほんまにこれでええんやろか。よー分からん。
まあ大崩れさえせえへんかったらそれでええわ。 メンタルゆうんは強けりゃええゆうもんでもないからな。大崩れだけはせんように。 失敗は失敗。あるものとしてそこにあるもの。もう少し気持ちを入れていこう。 すごくおもしろい嘘みたいに金の生る木を作れる方法
参考までに書いておきます
いいことありますよおに『羽山のサユレイザ』とはとは
G2Q 大事の前のプレッシャー・緊張感はついてまわるもの。あまり軽々と越えられても困る。 今まで言ってきたことを簡単にまとめると、
お前なんか全然大した人間ちゃうわ、あんま調子に乗んな、ってこと。 自分に課すハードルは能力の振れ幅の下の方に設定しておいた方がいい。
勝負にこだわるのと縛られて身動きが取れなくなるのとの違い。
と言ってそう簡単にいかないのが世の中なわけで。 少し世の中をなめすぎた意見だったかもしれない・・・ 諦めなければ必ず夢はかなうとは俺は思てへんからな。
それでもやらなあかんけどな。
それだけ。 そういうもんなんだからしょうがない。
多分こういうことを延々と続けていくんだと思うよ。 それがなかったらもはや人とは言えん。人間は間違うもの。 創価学会の実権は、原田稔会長や谷川佳樹主任副会長ら「四人組」と呼ばれる執行部が握っている。執行部は例年、
池田大作名誉会長の誕生日の1月2日に、池田氏が療養中とされる東京・信濃町の学会施設に“池田詣で”を行うのが慣例だ。
ところが今年、かつてない異変が起きた。
「執行部の面会が初めて池田家側から拒否された」(池田家に近い関係者)というのだ。
目下、その解釈をめぐって、二つの見方が信者たちに流れている。
一つは、2010年5月の本部幹部会出席を最後に表舞台から姿を消した池田が、
執行部と面会できないほど体調が悪化した、という見方である。
そして、もう一つが、池田家と執行部の間に“亀裂”が生じ始めた、というものだ
9月8日、機関紙「聖教新聞」で四半世紀にわたり連載された池田の小説『新・人間革命』が完結を迎えたことは、「時代の終わりが近い」ことを信者たちにあらためて実感させた。
その最たる例が、学会を母体とする公明党の苦境に表れている
党を挙げての“総力戦”となった9月30日の沖縄県知事選挙でも敗北を喫した。
ttps://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181009-00181605-diamond-bus_all&p=1 個人経営で5年。
都内の駅前で家賃30万のとこで商売してる。ニートからの借り入れ400。
今は懐に入るのは30万前後。
テンションではじめたけど、なんとかなってる。借金も返した。
バカだからできたのかも…
もちろん辛いことも沢山あったけど。
基本バカだから… 社会的地位の高低に関わらず一人の人間の力など知れたもの。
それは安倍だろうが宮崎駿だろうが引きこもりの無職だろうが同じこと。
という認識に立って初めて自らの立場に応じた責任を自覚できる。
そういうことだ。 何かを否定する時だけやたら能力を発揮するのが今の日本人。
あらゆるモチベーションをそこにしか注げない。
もったいないよなあ。 どんな強い人間も最初から強いわけではない。
まずは自分の弱さを受け入れないと、先には進めない。 経営のことはまったくわからんが、法律事務所の事務員として
破産関係の仕事やってました。自分が新人事務員の頃、初めて
法人破産申し立てをやった社長さん、その時はいつも暗ーい顔して大変そうで・・
やっぱ起業って大変なんだなーって・・・・大丈夫かなあって心配したほどです。
数年後。。。別の会社名の社長という名刺を持って、お久しぶりーって
相談の電話をかけてきた。 その後、別の方でもそういうこと何度も何度もありました。
一番大切なのは、良い意味でのお気楽さと厚かましさかなと実感。
、 頭と体が完全に一致するというのは本来そんなに簡単なことじゃないってこと。
すり合わせる努力なしに楽には勝たせないよ。 予定調和っすなあ。
気持ちに揺らぎやムラ、それとの葛藤が全くないのは人として信用できん。 極論を恐れずに言うと、人生は一に拡大、二に成長、三四がなくて五に安定。
人生設計・生活防衛なんてもんは、いよいよ行きづまって生存の不安が現実のものとして
見えてきてからでも改めてゆっくり考えればいい。
人間とはそういうもの。 喜怒哀(苦)楽の感情が湧き起こるのは当たり前だが、後味を残さないこと。
クールとか冷静とかいう問題ではなく、感情に振り回されないとはそういうこと。 ざっくり噛み砕いて言うと、あらゆることに意味があるっちゅうこっちゃな。 人間には無限の可能性が眠っていると言った世迷い事を信じる程能天気ではない。
そんなものを心の支えにしなければ成り立たないモチベーションなどろくなもんじゃない。
まあそんなことを本気で信じ込んでいるのは一部の勝ち組だけだろうが、
なんとなくそういうものとして受け入れることで、容易く人生に絶望する凡人を量産しているのも事実。 自他の線引きをきっちりつけること。
自分の立場ですべきこと、する必要のないこと、すべきでないことのラインを明確に。 人間は理屈で動く生き物ではないってこと。
人の心を動かすのは内に秘めた情理のみ。
上っ面の計算を超えるから人を巻き込むことができる。 自分の行く先を固定化させないこと。
現在を起点として、未来・過去にも手に届く距離というものがある。
自分の中にないものはないものとして、あるもので進むしかない。 いくら自分を厳しく律したつもりでも人間間違う時は間違うし、
むしろガチガチに管理するから失敗に歯止めがかからなくなることもある。
人間の限界を弁えた上で、根をつめ過ぎないこと。 負けた時に負けた理由なんかいくら考えてもしゃーないよ。
負けた事実だけを噛みしめればそれでいい。当座はね。 起業したい方、起業資金は投資を受けることが出来ます。
失敗しないためには300万円からの運転資金が必要です。
やる気や経験のある方でしたら
エンジェル投資家に投資を受けることが出来ます。
興味のある方は
『エンジェル投資家グッドエンジェル』で検索してみて下さい。
エンジェル投資とは失敗したときの返済が不要になることをエンジェル投資といいます。
アメリカ、中国では、銀行からの融資よりもエンジェル投資のが活発に行われてます。
このようにリスク背負って活発に投資する国が経済大国として強者となっています。 何かをすればそこには必ず批判・反発・抵抗は湧き起こる。
それはそういうものと諦めるしかない。 過ぎたるは猶及ばざるが如し。不足があるのなら補えばいい。
人間、足るを知ることも必要。 一つの考えに留まり続けないことも大切。
自分や他人を責めることが悪いのではなく、心がこわばって抜き差しならなくなるのが問題。 昨今嫌われる勇気なんてのが取りざたされているが、
勇気なんて力こぶを入れている時点でまだまだ甘ちゃんやね。
嫌われるのがデフォルトになってしまえば、何を思い悩むことも企むこともない。
無理して嫌われる必要はないが、好かれる必要もないわけでな。 言うまでもなく人生は無駄の積み重ねの上に成り立っている。
ある程度の目星をつけて進む必要があるにせよ、全てを管理できるというのは思い上がりというもの。
効率的な目標の為に生活の全てを犠牲にしないこと。 世の中そういうものだと前向きに諦めるということ。
自分の限界が分かれば無駄なものをしょい込んだり、人に押し付けることもない。
自然体で通すものは通すということ。 ま、人の生き方なんて人それぞれで外野が口を出すことではないのかもしれんね。
自分で自分を追い立てて生きるのはしんどいだろうなあ。
自分が納得しているのなら誰も文句は言えない。 できひんことはできひんけど、少なくとも生きることに本気にはならなあかんにゃろな。
それで駄目ならしゃーない。 上に立つということは人の人生に責任を持つということ。そこから逃れることはできない。 欠点を隠そうとしないこと。
そんなものはあって当たり前なので、卑下することも開き直る必要もない。
むきになって責め立てる向きには、憐れみを覚えつつも取り合わないこと。 人の意見はどんな耳の痛い意見でも聞く耳を持つ。
しかしながら従うことも含めて、最後に決めるのは自分。
それが個人の自由ということ。 怒り、あるいは相手を嫌うことを人間関係の選択肢の一つに含めない情愛は、
どんなに必死に押し付けて来ようとも愛情とは認めない。
それはどこまでいってもまがい物の愛情。
波風を立てずにいこうとしてもいずれは追いつめられて人を恨むんだから、
怒りぐらいは自分の手元に引き付けておけってこと。
どこまでなら大丈夫かの匙加減さえ見誤らなければその方が健康的。 衝突する前からへしょれてしまうような骨なしならしょうがないが、
少しは気骨があるのなら緊張の高まりをセーブしたり、後からリカバリーするテクニックはいくらでもある。
が、それは衝突を恐れない構えがあった上での話。日々の経験の中からつかみ取るしかない。 自分や他人に過剰な期待をしないこと。俺はそれしか言っていない。
向上心の意味を履き違えないこと。 好意であれ悪意であれ相手の領域に踏み込むときは、
干渉する枠をきっちり定め、主体性の領域を侵害しないこと。
人格を認めるとはそういうこと。 もちろんそれは双方向のものである以上、相手が自分の主体性をないがしろにしてくることもある。
そこに厳格な一線を持つ限りにおいて。 後は流れに身をまかせるだけ。思い通りには行かないもんさ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています