菅野完がさ、前回衆院選の辻元清美みたいな、ゆるふわ選挙やってたら負けるとか言って、さらにウィークネスフォビアでマジョリティの内面分析の持論を言って、要するに「大衆はアホやからいかにそのツボを突くか」って事を言ってるんだけど、それってさ、ネジが一個足りねえんだよなやっぱり。頭悪いよなぁーほんと?横川も似たような感覚だしさ。

マジョリティの主体性を汲み取る事イコール【媚びへつらうゆるふわ】…という認識になってるのがアホなんだよ。そしてその対案が【ストロングスタイル】という、蚊でも思いつくようなアホな答えだよね。ネジがねえんだよ。

ゆるふわじゃない。ポイントは、マジョリティに相対して【整合性という門戸が開かれている事】なんだよ。論理立ってる事がポイントなの。実際にその門戸が稼働するかどうかはどうでもいい。門戸があるという事が大事なんだよ。マジョリティに【疎通しているシステム】を有してる事たよね。

つまり候補者調整をやるならプロセスに怪しさがない事とか、調整の理由が説明されている事。知る人ぞ知るコア情報・裏情報なんてものに重きを置かず、見たければ誰でも見られる論理がある事だよ。
菅野完みたいな「人民の心理はこうだから、そのアホを投票に行かせるためには」なんていう思考がアホなの。それって負けた後の屁理屈・愚痴にも転用できるわけであって、その時点で怪しいよね。臆病者の発想なんだよ。

つまり何が言いたいかというと、限界系はすでにアウトなの。限界系の反対語はゆるふわじゃないからな?限界系の反対語は論理だよ。非論理が限界系なんだよ。だから選挙で負けるの。限界系の体臭プンプンさせて、それはいわゆる世間から見た「往年のサヨク」なんだよ。嫌われるヤツ。
論理こそが社会との疎通なのであって、それが準備されてれば票は入るよね。