ここ数ヶ月フェミ側とあえて言うが、あちら側の意見で唯一といってもいい
ある程度統一された意見として一箇所譲らない部分があって気になっていて調べていたのだが

表現の自由を盾に何でも表現していいわけがないだろうという部分

これはオタク側でもあるだろうし、フェミ側でもあるだろうと思われる
ただ宇崎ちゃんの件にしても娘の友達にしても
その2つを問題にしてるようでフェミ側は、これがいいならどこまででも良いってならないか?
ってのを危惧してるのは感じる(自分は両方特に問題ないと思う

極端な例をあげれば自主規制で成人指定してる絵等を表現の自由で町中に置いてもいいのか
AVを街の電気屋のTVコーナーで表現の自由を盾に流してもいいのか
もちろん極端な例であって、実際どこまで表現の自由でやれるかは不明だし
猥褻物図画頒布とかそのあたりで普通にお縄だろうとは思われる

実際にフェミ側が呼称する萌え絵自体は特にエロティシズムではないものも多く
過敏な人ほどエロく感じるというのは確かであろうし
フェミ側が萌え絵と称する絵で露骨なものが町中におけるとなれば
高尚化して芸術作品として認められて年数を重ねて
世間的にもこれは裸だけど芸術なんだと理解しないと無理だろう

問題はフェミ側でここの部分を使ってオタクを失笑やネタ化してしまっているので
オタク側には反感等しか買ってなく冷静な話し合いどころか
オタク側に一切届いてないのではないだろうか

自分も実際、何をバカにしてるんだ?何かおかしなことあるか?
と思いながら頭痛を何度も経験し
何度も冷静に考えが落ち着くまで冷静に考えを巡らせて発見したこの部分こそが問題の核なのではないかと

だからこそ秋葉原のエロゲの看板の時に、オタク側からも
エロゲの看板は駄目でしょって意見に
>これはわかるのに宇崎ちゃんはわからないのがわからない
と言った人もいたのはこのあたりなのではないだろうか

単純に言ってしまえば、色々許されてる表現の自由の中でのそれぞれの価値基準がぶつかり合ってるだけで
フェミとかオタクとか関係ないただの個人的な感覚の話を
(フェミの看板背負ってたり同意で意見をかさ増ししてたりで
 意見が非常にややこしく個として見づらい状態を自分たちで演出してることに気付いてほしいが

ごちゃごちゃ理由つけて文句言ってる人が自分の感覚との乖離やズレや摩擦を撒き散らしてるだけで
それにみんな巻き込まれてるっていうだけかと
だからオタクやゲイ等のフェミ側とは違う意見、異質と判断した人たちに攻撃的になってるだけで
フェミ側に必要なのは冷静になって、その対象物がなぜ気に入らないのか
なぜだめだと思うのかをもっと煮詰めて話をしてくれたら賛同者も増えた可能性はあったと思うのだが
ツイフェミを見る限りは、お気持ちと揶揄されてもしょうがない部分はあっただろうなと同時に
クソリプ飛ばして騒ぎに便乗してる連中全員が激しい迷惑だったことと
もうちょっと言葉を使える人がいなかったのだろうかとも思う
バカにしてるわけではなくて、本気で問題と思うのであれば伝える人がいたのでもよかったのではないかなと