>>816

@visco110
9月4日
返信先: @dokuninjin_blue
「答えないちう応答は存在しない」とはどういうことですか。
小中学生の国語の問題なら〇をもらえそうですが、実際には答えようが答えまいが答案用紙を破り捨てようが教師を殴ろうがそれらはすべて応答ですよ。
問いを鵜呑みにするのと「問いを問う」のでは、あきらかに後者に思想的"分"があるでしょう。

@dokuninjin_blue
9月4日
返信先: @visco110
ありませんよ。「殴る」という応答をとった時点で、「殴るしか応答できなかったのだ」という発話を誘発しますから。
すべてフェミニズムがやってきたことでしょう。違いますか。

@dokuninjin_blue
9月4日
返信先: @visco110
さんざん秩序を攪乱しておいて、いまさら自分たちの思想的構造の攪乱を拒否するというのは、虫の良すぎる話です。

@visco110
9月4日
返信先: @dokuninjin_blue
今は問いに答える-答えないことの差異を検討していたと思いますが、多様な意味をもつ「問に答えないこと=沈黙」がなぜ単一の、どこから来たかわからない「殴る」という応答と一緒にされるのですか。
俗流フェミニズムを以て「フェミニズムとは斯くの如きものである」というような印象操作でしょうか。

@dokuninjin_blue
9月4日
返信先: @visco110
「教師を殴ろうが」と言ったのは安田さん自身では……。

@visco110
9月4日
返信先: @dokuninjin_blue
あ、それか。「答えようが答えまいが答案用紙を破り捨てようが教師を殴ろうが」です。
べつに「教師にキスしようが好きな人にメールしようが弁当を食べようが」と無限に続けてかまいません。

@dokuninjin_blue
9月4日
返信先: @visco110
ええ。ですから、それをした瞬間に、「それをしたということ」が応答として出現するわけです。
そして回答者はそのことの持つ意味から決して自由ではない。「答えない」という戦略はそこで瓦解するわけです。

@visco110
9月4日
返信先: @dokuninjin_blue
というか上のほうで問いの形を組み立てる時点から闘いは開始(はじ)まっているッ…!! みたいなことを御自身で認めているじゃないですか。
だったら、当然問いにはすべて答えなければならない、なんてのは中学生以下の教室のルールであって、そんなものはどの政治的立場にとっても必要ないでしょう。

@visco110
9月4日
返信先: @dokuninjin_blue
それは語るに落ちている。
問いに対するあらゆるリアクションに特権的なものはない、いずれにせよ「そのことの持つ意味から決して自由ではない」という意味で等価だとするならば、冒頭の青識さんの「その前に素直に答えたらいいのでは」という選択が、他より優位であることも成立しません。