『クィアセクソロジー』の中村実亜も、身体差や個体差は認めつつ、それが性差になる社会的な合意の段階を議論していたように思う。どの論文か忘れてしまったが、ソースなくてすまん。
身体差はある。個体差もある。ただ、それが性差になるにはなんらかの認識の枠組みが必要で、それがバトラーが『ジェントラ』で言うところの「異性愛のマトリクス」であるように思う。
個体差が、女は家事、男は仕事って社会的な性差に現れるための条件を、どうやら中村は探しているようだな。