他にもこんな記事が

>左派はなぜ新自由主義を受け入れたのか

中野:日本では1990年代以降の経済停滞に対して、本来であれば福祉国家を志向し、新自由主義に対して反発すべきリベラル、左翼までが、逆に新自由主義的改革に賛同してしまうという現象が生じた。
この傾向はヨーロッパでも多少みられはしましたが、特に日本の新自由主義において顕著な特徴ではないかと思います。

柴山:おっしゃるとおり、反対どころか完全に補完勢力になっていましたね。

中野:左翼がなぜ政府内の改革派の補完勢力となり、新自由主義的改革に賛成したのか。
私の解釈は、それは新自由主義が左翼の好きな、「日本的なるもの、すなわち集団主義の破壊」であるから、というものです。

佐藤:日本の野党は伝統的に「小さな政府」志向です。明治政府は富国強兵を国家目標に掲げましたが、政府主導で産業化や軍事力の整備を進めるとなると、国民の税負担が重くなりやすい。
これに対して野党は、帝国議会が開かれるようになった直後から、「政費節減・民力休養」を公約に掲げて反対しました。歳出カットによってプライマリーバランスを改善し、減税をやれという話です。

戦後になっても、たとえば1965年に佐藤栄作内閣が初の赤字国債を出したとき、野党第一党だった社会党(現・社民党)は「赤字国債は戦争への道」と反対しています。
いわゆる「昭和の戦争」の際、政府は国債を大量に発行しましたが、その経験がトラウマになったのか、「政府負債の増加=戦争(準備)」と決めてかかっているんですね。
佐藤内閣にしてみれば、1964年の東京オリンピックが終わった反動で生じた不況を、何とかしたかっただけなんですが。

https://toyokeizai.net/articles/-/212812