いかなる論理を採用したとしても、エロ本が単に一見「良くないもののように見える」から設置するべきではない、とする論理には無理があるように思われます。
本当にそれが不快な人が多いのであれば、コンビニの集客は、エロ本を設置しない店舗に偏るはずであって、そうなれば、自然とコンビニはエロ本を置かなくなるでしょう。
逆に、エロ本を置くということは、それから不快感を受ける人よりも、それに魅力を感じてコンビニにお金を落とす人のほうが多いということの表れにすぎません。
私達には、エロ本を陳列するような店舗を自分からあえて利用しないという自由が存在しており、個人的な不利益については個人の自由の範囲で対処可能であるはずです。
そしてまた、そうした店舗を避けることが、結果的にはエロ本の陳列を減らすことにも(間接的に)つながっていくことになります。
https://note.mu/dokuninjin_blue/n/na1a5516195d5

ここまで断言して公立美術館の件に対してああ言っていたなら今回も問題でないとならざるをえないか
つまるところ、
「エロ本を置かないということは、その販売中止に不快感を受ける人よりも、それに魅力を感じてコンビニにお金を落とす人のほうが多いということの表れにすぎません。
私達には、エロ本を陳列しないような店舗を自分からあえて利用しないという自由が存在しており、
そしてまた、そうした店舗を避けることが、結果的にはエロ本の陳列を増やすことにも(間接的に)つながっていくことになります。」
となるわけだ