557幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 2019/08/08(木) 12:54:50.660
近代の劇は、人間の意志または性格から必然的に生じ来る悲劇をのみ書こうとする。しかしそ
のように意志や性格の分析または総合などによって論理的に因果づけられた平板な近代劇などで
は割り切れぬ神秘的な力が、人間の上には働いている。そこでその神秘的な力は、必ずしもギリシャ
劇における運命のごとくに悪意ある支配力として、悪魔的なものとしてではないにせよ、偶然
の巡り合わせから人間の建設的な意志を、調和と秩序とを破壊して悲しむべき事態をもたらす。
而してかくの如き悲劇を醸成するものは人間の情熱であり愛欲である。けれども人間の高貴なる
意志が、良心が、悲壮な覚悟をもってこの破壊された道義的世界秩序の再建のために命を捧げ
るとき、深刻な感動が見物の心を捉えるのである。このような劇は果たして運命劇であろうか、それ
とも性格劇であろうか。我々はここに名称のために論議することは差し控えたい。しかしながら
シラーのこの劇における運命は、ソフォクレスの描いているような運命とはよほど性質を異にして
いる。オイディプスの運命はすでに予定されており、いかにしてもこれを避けることの不可能
なものであった。その運命から逃れようと努力した結果が、かえってそれを成就することとなる
からである。従って我々は主人公に対して何等の責任をも罪をも負わせる気にはならない。作者
は当時民衆の間に行われていた運命観によって、かくの如き劇を作ることができた。

 フリードリヒ=シラー 『メッシーナの花嫁』 解説より 岩波文庫 1950年4月 相良守峰