正しくは、「経木(きょうぎ)」という、
木を薄く削り取って出来た物を使っていた。
 今から1300年くらい前、奈良時代では、現代のように紙が豊富になかった物だから、
役所の伝令や伝達には
木簡(もくかん)といって、木の板に漢字を書いて伝え合ったのだ。
 使い終わった後は、その文書が書かれた表面を削り取って使えばいい。
削り滓は上の通り。
また、最後まで削りきって、伝達にはどうも使いようがないような物も
トイレットペーパー代わり。
 その証拠に、奈良の平城京跡の屋敷の遺跡を発掘したとき、古代のトイレとおぼしき場所からは
大量の有機物と、回虫・蟯虫・条虫・肝蛭と言った、
当時の人々の体に巣くった寄生虫卵が
大量に発見されるし、
それに伴って、経木、さらには瓜の種、魚の骨と言った、彼らが主に食していた物まで出てくる。
  昔は、便所のことを「厠(かわや)」といった。これは、トイレットその物が
”建物の側(そば)”に立っていることが語源にもなっているが、
「川屋(かわや)」とかいて字の如く読ませるように、
川、というか道路側溝を、屋敷内に引っ張って、その上に上屋(うわや)を建てて
便所とした物もあったらしい。