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文学部 邪馬台国畿内説
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0001学籍番号:774 氏名:_____
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2021/03/30(火) 12:58:05.37ID:guTpz5Wh
邪馬台国畿内説は、
1000キロメートル程も離れた陸続きでもない地層を、幾つもの併行関係という物事で、年代を恣意的にずらしながら、細々と繋げることが、絶対年代を決定する証拠なのだ、という非学問的な嘘をつき、
さらには、一般の科学的学問の手法としては、完全に破綻してしまった要素還元主義に基づき、近畿第V様式土器の埋まっていた範囲が邪馬台国なのだ、とする、完全に非科学的な妄想なのだったな。
0093学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/04(日) 10:48:39.70ID:NSsxkZ/7
だが、マツラは壱岐の南端から1000里で、近すぎる呼子や、八方位で東南になってしまう唐津も当てはまらず、
本当は、マツラの渡海地点は、長崎県松浦市西部の御厨港付近なのだから、
そこから、500里東南陸行の伊都國は、伊万里市になるよ。
0094学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/04(日) 10:54:34.72ID:roNQ6pP/
>>93
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦)
↓【東南】陸行500里 (25km)1里50m 福津市→八木山峠越え→直方
伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)

末盧国(福津市辺り・万津浦) : 「田熊石畑遺跡」・「今川遺跡」・「徳重高田遺跡」・「鐘崎上八遺跡」・「手光於緑遺跡」・「朝町町ノ坪遺跡」・「朝町竹重遺跡」・「新原・奴山古墳群」 

伊都国(直方辺り) : 「感田上原遺跡」・「帯田遺跡」   @阿波
0095学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/04(日) 11:36:29.41ID:/eV8B+Vc
>>93
呼子は、出港地としてはともかく、入港しても山道に苦労する。
それに、潮の関係で唐津沖を迂回しての呼子入港なんだから、無駄な努力だと思うよ。
その点、伊万里は特別良港で、貨物便は伊万里のほうが頻繁に使われたのではないか。(倭人伝は遣使便なので、唐津で記述したのではないか)
0096学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/04(日) 11:41:34.93ID:roNQ6pP/
>>95
>その点、伊万里は特別良港で、貨物便は伊万里のほうが頻繁に使われたのではないか。(倭人伝は遣使便なので、唐津で記述したのではないか)


妄想を垂れる前に、その妄想に見合う「集落遺跡」を示せ! アンポンタン。

碌な弥生集落遺跡や鍛冶炉遺構そして資源の無いくそ田舎の九州に、「邪馬臺国」など興る訳がない。  なにを考えているんだか。   @阿波   
0097学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/04(日) 11:46:28.85ID:/eV8B+Vc
>>93
もう一つの文学的問題として、
此伝の書き出しは、「倭人有り、帯方東南大海の中・・」、というメインテーマで始まる。
それだけに、倭国(の伊万里)に上陸して、東に進んでは文学的に台無しだ。
だから倭国に上陸しての第一歩は、何が何でも「東南行」でなくては、折角の陳寿の筆が泣く・・、
0098学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/04(日) 11:48:42.25ID:roNQ6pP/
>>97
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦)
↓【東南】陸行500里 (25km)1里50m 福津市→八木山峠越え→直方   @阿波
0099学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/04(日) 13:48:56.22ID:GfZRJjlt
ID:/eV8B+Vcは、
「だが、マツラは壱岐の南端から1000里で、近すぎる呼子や、八方位で東南になってしまう唐津も当てはまらず、
本当は、マツラの渡海地点は、長崎県松浦市西部の御厨港付近なのだから、
そこから、500里東南陸行の伊都國は、伊万里市になるよ。」
を慌てずに、よく読めば良いよ。
マツラの港=長崎県松浦市西部の御厨港付近
伊都國(イツ)=伊万里の津
500里東南陸行=御厨港付近から伊万里までの東南方向への行程。
0100学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/04(日) 13:57:31.30ID:GfZRJjlt
厳密には、魏志倭人伝には、壱岐からマツラへの方向は示されてはいないが、
南北市糴なので、壱岐は、南方向にも市糴相手があるな。
0101学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/04(日) 14:01:24.86ID:/eV8B+Vc
>>99
ま、伊都国を伊万里とするのは良いとして、
その後の東南100里奴国と、東行100里不彌国はどうなるのかな?  それを心配してやってるんだが・・・、
0102学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/04(日) 15:08:49.34ID:MMPlVI5b
日本史板に書き込むための、無駄になってしまった努力のために、IDが、変わった可能性があるが、
僕達の元のIDは、GfZRJjltです。
ID:/eV8B+Vcに対して、意見を発表します。
「到は、中心に到る。
至は、境界に至る。
故に、伊都の中心から100里で、南東に至ったのは、あくまで、伊都と奴国の境界の関所です。
その関所または伊都の中心から、東100里には、伊都とフヤの境界の関所があった。」
という可能性があるな。
そして、伊都と奴国の境界の関所は、有明海と伊万里湾の分水嶺の何処かの峠にあった可能性があるな。
0103学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/04(日) 15:18:54.72ID:MMPlVI5b
補足します。。
狗邪への行程は、中心地へ。。。到。
狗奴からの行程も、中心地から。
対馬、壱岐、への行程は、島北部の上陸地点。
対馬、壱岐からの行程は、上陸地点とは逆の島南側の出発地点から。
マツラ國への行程は、上陸地点。
マツラ國からの行程は、上陸地点から。
伊都國へは、中心地へ。。。到。
0104学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/04(日) 15:21:29.48ID:MMPlVI5b
ただし、魏志倭人伝の作者が、他の文章で「到」と「至」を使い分けていたかは、まだ、研究していないよ。
0105学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/04(日) 15:27:27.47ID:MMPlVI5b
至=範囲。
0106学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/04(日) 18:00:23.67ID:MMPlVI5b
中心地とは、官がいた、政治の中心地点。
0107学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/04(日) 18:26:50.16ID:/eV8B+Vc
>>104
その通りだ。
考古の前に、まず文学部的な研究によって、三国志の「至」と「到」にどのような使い分けがあるか、深く研究すべきなのではないだろうか。
そしてその研究成果に基づいて、系統的な考古学的な発掘研究が行われるべきだと考える。
0108学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/05(月) 07:53:11.34ID:1qiqCufA
古代はいざ知らず、近〜現代においては、三国志・東夷倭人伝という文学的作品あっての倭国・邪馬台国・女王国・卑弥呼である。
則ち現状は、文学部的根拠(証拠)100%の状態にあり、他方の考古学的根拠(証拠)は、いまだ0%である。
(どこかに3世紀の墓と小枝と桃核が発掘されたから、これは卑弥呼所縁のブツだと言ってみても、それは発掘者の「個人的な感想」に過ぎない)
つまり今は、伝えられる文学部的根拠史料(東夷倭人伝、魏略、廣志等)を、文学部的に一層深く研究することが先決なのではないであろうか・・・。
0109学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/05(月) 08:08:01.63ID:MEYICA9c
>>108
>三国志・東夷倭人伝という文学的作品あっての倭国・邪馬台国・女王国・卑弥呼である。
>他方の考古学的根拠(証拠)は、いまだ0%である。

阿波「邪馬臺国」の決定的考古学的根拠 : 「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」    @阿波  
0110学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/05(月) 09:36:53.45ID:1qiqCufA
阿波は、ちょっかいを出すタイミングが素晴らしいな!? 
ここぞという時に出てくる。
古代史・文芸文学界もだが、吉本でも十分通用する。おそらく其山其道を進んでも、一流を極めたであろうな・・、
(なお東夷倭人伝で「其」と言えは、倭・倭地の意味であり、邪馬台国に限定されることではない)
0111学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/05(月) 10:06:59.29ID:MEYICA9c
>>110
>(なお東夷倭人伝で「其」と言えは、倭・倭地の意味であり、邪馬台国に限定されることではない)

なお、九州は倭・倭地に含まれないので、悪しからず。  北部九州は倭国(阿波)への通り道に過ぎないから。   @阿波
0112学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/05(月) 12:37:06.82ID:1qiqCufA
対馬から、沖ノ島を経て福津/神湊に上陸し、
直方/田川を通って、豊前の中津・宇佐の海岸に達し、
そこから瀬戸内航路で淡路島やアワに至る道の大繁栄、つまり北部九州が、ただの通り道になった歴史は確かにあった。

但しそれは、4世紀に銅で財を成した秦氏(応神天皇)の時代から始まった「北部九州ただの通り道化時代」のことである。
つまり上の@数レスは、阿波が、4世紀の出来事を三世紀だったと誤って認知していることを、明瞭端的に物語るものであろう・・。
0114学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/05(月) 12:50:27.89ID:MEYICA9c
>>112
>但しそれは、4世紀に銅で財を成した秦氏(応神天皇)の時代から始まった「北部九州ただの通り道化時代」のことである。

そんなアホな。
倭国(阿波)は、弥生時代中期末から鉄器を作っていて、朝鮮半島→北部九州→倭国(阿波)の交易ルートが確立されているよ。   @阿波
0115学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/05(月) 13:18:20.52ID:1qiqCufA
>>114
細々と軟弱な弥生鉄をな・・、
九州には、三世紀に強力ハガネ鉄(鋼鉄)技術が入ってきた、それを独占していたのが邪馬台国勢力(肥前/肥後)
そして四世紀になると、こんどは秦氏の銅技術が栄え、そのせいで北部九州がただの通り道になり、淡路や阿波や大和がノシてきたというわけだ。
0116学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/05(月) 13:40:53.24ID:MEYICA9c
>>115
>細々と軟弱な弥生鉄をな・・、

そんなアホな。
「阿波」では、鍛冶工房 SB 2037  弥生中期末   矢野遺跡 U群
砂鉄が出土した鍛冶工房の直ぐ横から出土 Taタイプの鍛冶炉が出土している


>九州には、三世紀に強力ハガネ鉄(鋼鉄)技術が入ってきた、それを独占していたのが邪馬台国勢力(肥前/肥後)

碌な鍛冶炉遺構や弥生集落遺跡、そして資源の無い、くそ田舎の九州に、「邪馬臺国」など興る訳がない。   @阿波  
0117学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/05(月) 15:17:00.16ID:1qiqCufA
四世紀のことを、三世紀だったー、と言い張るのは畿内説の伝統的な手口、
どうやらそれが、阿波にも蔓延してるようだな・・、
0118学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/05(月) 15:20:35.19ID:MEYICA9c
>>117
>どうやらそれが、阿波にも蔓延してるようだな・・、

畿内説といっしょにすんな!  汚らわしい!   @阿波
0119学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/05(月) 16:17:41.66ID:UR9GQRlz
畿内説という印象操作は犯罪です

◆畿内派による印象操作「纏向遺跡の建物は祭祀場であり、大量の桃がお供えされた」

しかし桃の種が発見されたのは柵列の下の別の遺構
https://i.imgur.com/J2EZhbs.png
建物とお供え物の桃が同時期に存在したとは言えない

おそらく纏向遺跡は古墳造営キャンプ場と斎場の跡地ですね
0121学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/05(月) 22:01:41.91ID:+CzZlgDJ
当スレはローカルルールを逸脱しています
適切な板に立て直して移動してください
0122学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/05(月) 22:01:56.46ID:+CzZlgDJ
当スレはローカルルールを逸脱しています
適切な板に立て直して移動してください
0123学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/05(月) 22:18:22.73ID:1qiqCufA
福岡県 粕屋郡 宇美町
 歴史
>日本書紀・古事記の記述では、神功皇后が朝鮮半島出兵(三韓征伐)の帰路に応神天皇を出産した地とされ、
>これにちなんで「産み」に通じる「宇美」という地名がつけられたといわれている。
>また、新井白石が「古史通惑問」で指摘して以来、音が似ている事から魏志倭人伝の行程中に登場する「不彌国」に比定する説もある。

そうかい! 畿内説も九州説も、卑弥呼は神功皇后だったというのだな。すると卑弥呼の墓は、あの神功皇后陵で決まりやんけ。
0124学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/05(月) 22:31:17.42ID:SOG45Qge
だが、神功皇后は、4世紀後半の者だぞ。
0126学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/05(月) 22:34:22.27ID:SOG45Qge
日本史の掲示板に、意見を発表しなくても、真実を発表することは、出来るな。
邪馬台国畿内説は、完全に破綻してしまった。
0127学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/05(月) 22:37:26.24ID:SOG45Qge
「当スレ」とは、「当たりスレスレ」という言葉の略語なのだろうか。
0128学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 07:30:53.62ID:XtgimLsL
(まさに文学部の歴史的大テーマ)
九州説:
 東京帝国大学 白鳥庫吉(文科大学史学科、教授、文学博士、専門・東洋史)
畿内説:
 京都帝国大学 内藤湖南(文科大学史学科、教授、文学博士、専門・東洋史)
0129学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 08:15:50.80ID:XtgimLsL
つまりその根源は、古代中国の歴史書である後漢書・三国志・魏略・廣志・翰苑・晋書・隋書などの
倭国関連事項を、いかに的確に読み解くかという、優れて文学部的課題なのではないであろうか・・、
0130学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 09:33:53.85ID:iWzGlBgG
>>129
まずそれを解明しなきゃね

図面もまだ完成していないのに物を作り始める畿内説は低偏差値の巣窟だよ
0131学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 10:55:59.07ID:GehTEMhw
重大な意見を発表します。
中国人の認識では、魏志倭人伝時代の韓国は、3つの民族がいます。
3つ合わせて、方形の韓国と認識されました。
この方形は、東西両方は海です。北は帯方と濊に隣接しています。南は倭と隣接しています。
つまり、魏志倭人伝時代の韓国に南海岸はありません。
朝鮮半島の南海岸の山や島には、倭人の漁村が連なっていました。
そして、朝鮮半島の南海岸または島である狗邪が、倭にとっての北岸ということは、朝鮮半島の南海岸の東西両端から、八方位で南になる範囲の外側は、絶対に、倭とは、認識されていなかったことになるぞ。
0132学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 10:56:50.75ID:GehTEMhw
濊は、ワイです。
0133学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 10:58:54.99ID:GehTEMhw
瀆盧國の城郭は、倭人の襲撃に備えていた可能性があるな。
0134学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 11:00:58.46ID:GehTEMhw
テストします。。。涜
0135学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 11:01:22.29ID:GehTEMhw
涜盧國の城郭は、倭人の襲撃に備えていた可能性があるな。
0136学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 11:13:26.26ID:GehTEMhw
「魏志倭人伝の邪馬壹は、大和のことなのだ。」と誤認してしまった者によって後漢書が書かれた時代には、倭の北岸だった狗邪が、倭にとって西北界になったのだから、倭はやはり3世紀から5世紀の間に、東に拡大した可能性があるな。
0137学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 11:26:18.69ID:GehTEMhw
研究のための書き残しです。

34°32'15.2"N 128°43'55.8"E
0138学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 11:33:13.70ID:GehTEMhw
>>131
「つまり、魏志倭人伝時代の韓国に南海岸はありません。朝鮮半島の南海岸の山や島には、倭人の漁村が連なっていました。」
の部分は、
「つまり、魏志倭人伝の作者にとって、韓国に南海岸は無く、朝鮮半島の南海岸の山や島には、倭人の漁村が連なっていると理解していました。」
と直した方が良いな。
0139学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 12:52:36.42ID:UwfgGOw3
魏志倭人伝より
卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 殉葬者奴碑百餘人


祇園山古墳(福岡県)
https://i.imgur.com/3jJf8mz.png
0141学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 14:14:29.27ID:GehTEMhw
涜盧國の城郭は、何処にあったのだろうか。
0142学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 14:22:46.04ID:UwfgGOw3
邪馬台国は伊都国の南です

翰苑(第30巻のみ大宰府天満宮に残る:唐の張楚金の編纂)
が引用している「廣志」に、邪馬台国の場所が記されている。
https://i.imgur.com/aoXGq7Z.png

邪は伊都に届き、傍らは斯馬國に連なる。
廣志曰く、倭国東南陸行五百里、到る伊都国,又南、至る邪馬嘉(臺)国。
※伊都国:福岡県糸島市,福岡市西区あたりと言われている

同文献に記述されている「都」の様子

「憑山負海鎮馬臺以建都」
海に面した山の裾野にある大集落「(邪)馬臺」を都とする
0143学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 15:01:00.49ID:rhLz88Ls
>>142
>海に面した山の裾野にある大集落「(邪)馬臺」を都とする

まさに、「鮎喰川下流弥生後期集落群」が都だな。   @阿波
0144学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 15:14:24.39ID:GehTEMhw
山に憑き海を負い馬を鎮め臺を以て建て都す。

熊本城のことではないのかな。
0145学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 16:17:31.10ID:ki5Spy8k
生涯をかけて研究するためのスレッドが出現したので、紹介します。

魏志倭人伝の研究 邪馬台国畿内説の完全破綻
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/lifework/1617693367/l50
0146学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 21:50:42.42ID:XtgimLsL
「倭人有り、帯方東南、大海の中」
当時、倭人は半島や本州など色々なところに住んでいたのであろうが、
倭人伝では「大海の中の山島(=九州島)に住み、国邑を為している者たち」のみを倭人と定義している。
よって、共立女王国(=九州島)の東渡海の向こうに住んでいた者たちは、別途「倭種」の語を与えられ、区別されている。

「舊は百餘國、漢の時朝見者有り、今使譯所通 三十國」
此れも、前段の「倭人」に関する説明であるから、倭種は除かれる。
因って「舊百餘國」とは、大海の中の山島(=九州島)には、百余の倭人の国があったという意味である。
それが今では、大海の中の倭人の国は三十国であるという。(つまり半島や本州は、帯方東南大海の中とは言い難いのではなかろうか。)

0147学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 22:13:44.72ID:XtgimLsL
これを、さらに具体的に言えば、
漢の頃、九州島には百余の小国が有ったが、(倭国の乱を経て整理統合され)、今帯方郡に通交する倭の国は三十国になっている・・、と読むべきであろう。
その三十国とは、自女王国以北の7国+以南の投馬国+遠絶の21国+1国(華奴蘇奴国は、華奴国+蘇奴国とする)である。
なお、狗奴国は帯方郡に通じていなかったので、倭30国の外数である。
0148学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 23:09:10.31ID:XtgimLsL
奴国は2つでてくる。
これをダブりと解する論者は少なくないが、それは明白に誤りである。
つまり、邪馬台国女王之所都より前に記述されている奴国は、明白に「自女王国以北」の国である。
そしてその後に、其の余の傍国として出てくる奴国は、「遠絶にして不可得詳」なのであるから、
女王国の東西南北のいずれに有ったかも当然不明である。因って、二つの奴国は、名前は同じでも明らかに別の国だったのである。
0149学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/06(火) 23:25:26.83ID:+MxtRLMp
>>148
女王国の紹介で登場する国々は北、東、南方向の国々
これは女王国が西の端であることを意味する
よって女王国=邪馬台国は九州で確定
0150学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 06:01:37.80ID:qvkUTzV/
>>146
「倭人在帶方東南大海之中」

北に瀬戸内海 ・ 西に豊後水道 ・ 南に黒潮太平洋 ・ 東に紀伊水道

まさに、「帶方東南大海之中」まんまの四国だね。  わははははは   @阿波
0151学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 06:25:54.17ID:qvkUTzV/
>>149
ずばり、四国(阿波)を中心とした東・西・北への「忌部一族(阿波勢力)」進出展開記述

「東征毛人五十五國」 =畿内以東(北関東含む)

「西服衆夷六十六國」 =西瀬戸内・九州

「渡平海北九十五國」 =東瀬戸内・山陰・北陸 

これ全部、倭国(阿波)から進出した忌部一族の開拓地域である。   @阿波
0152学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 06:34:04.12ID:qvkUTzV/
>>147
使譯所通三十國(いま外交関係にあるところ)の三十国は、

「自女王國以北」の国々=「東西に貫く大吉野川流域に広がる弥生後期集落遺跡群」のことである。   

「阿波」以外に、このような一大流域弥生後期集落群は存在しない。   @阿波
0153学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 08:05:45.73ID:EdCtdkPq
>>150
>北に瀬戸内海 ・ 西に豊後水道 ・( 南に黒潮太平洋 )・ 東に紀伊水道

瀬戸内海 ・ 豊後水道 ・( )・ 紀伊水道を「大海」と認識しておるか、、、
あのな、昔から「井の中の蛙 大海を知らず・・」、というてな。 ま、いいだろう、阿波のいうことことだ。
0154学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 08:20:33.39ID:qvkUTzV/
>>153
>瀬戸内海 ・ 豊後水道 ・( )・ 紀伊水道を「大海」と認識しておるか、、、


ずばり、四国(阿波)を中心とした東・西・北への「忌部一族(阿波勢力)」進出展開記述

「東征毛人五十五國」 =畿内以東(北関東含む)

「西服衆夷六十六國」 =西瀬戸内・九州

「渡平海北九十五國」 =東瀬戸内・山陰・北陸 

これ全部、倭国(阿波)から進出した忌部一族の開拓地域である。   @阿波
0155学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 08:30:05.98ID:EdCtdkPq
>>146
此番から始まる〜3レスを読み直して、思わず気付いたことがある。
この読み方は、法律の条文を読み解く場合と同じ呼吸・間合いである。陳寿は優秀な古代の法律家でもあったのかもしれない。
つまり倭人伝は文学部的な作品であるが、それを解読するには、法学部の教授先生のお力を借りるのが、好適・適切・早道ではないか。
法文学部なら、なお良し・・・、
0156学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 08:48:52.85ID:EdCtdkPq
案の定、徳島大学は、
医学・薬学・栄養学など、理化学系に専門化してしまっておるな。、
昔は文理学部?というのが有ったような記憶があるが、今はもう、文学部系や法学部系は、きれいさっぱり無くなっておるのか(泣、、、
0157学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 12:36:42.89ID:m6t91WqG
奴国は一つだぞ。
なぜなら、魏志倭人伝に登場する使訳通じる国、30ヶ国は、全て、道理戸数を聞き取り把握できるよ。
即ち、魏志倭人伝に登場する国で、
「女王國東渡海千餘里復有國皆倭種。又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里。又有裸國K齒國復在其東南船行一年可至。」
の部分の「有國皆倭種(おそらく百余国の内の幾つかの国々)と侏儒國裸國K齒國」以外の30ヶ国は、使訳を通じて帯方郡に戸数も完全に把握されているよ。

◆女王にとっては国の境界の尽きる国であり、帯方からみれば女王国の入口である12000里の奴國までの道順を示した5ヶ国。
  狗邪、對馬國、一大國、末盧國、伊都國、奴国 
  (7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000)
◆女王の都に行く道順とは外れる2ヶ国。
  不彌國、投馬國 
◆女王の都
  邪馬壹國
◆女王に属さず女王の南に有る男王國。
  狗奴國
◆そして、邪馬壹國から、奴國までの帰途、つまり女王国内部に次々に通りすぎる20ヶ国。
  次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、
  次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、
  次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、
  次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴厘國、次有支惟國、次有烏奴國、(次有奴國。此女王境界所盡。)

ぴったり、30ヶ国だな。
0158学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 12:38:39.54ID:m6t91WqG
奴国は一つだぞ。
なぜなら、魏志倭人伝に登場する使訳通じる国、30ヶ国は、全て、道理戸数を聞き取り把握できるよ。
即ち、魏志倭人伝に登場する国で、
「女王國東渡海千餘里復有國皆倭種。又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里。又有裸國K齒國復在其東南船行一年可至。」
の部分の「有國皆倭種(おそらく百余国の内の幾つかの国々)と侏儒國裸國K齒國」以外の30ヶ国は、使訳を通じて帯方郡に戸数も完全に把握されているよ。

◆女王にとっては国の境界の尽きる国であり、帯方からみれば女王国の入口である12000里の奴國までの道順を示した6ヶ国。
  狗邪、對馬國、一大國、末盧國、伊都國、奴国 
  (7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000)
◆女王の都に行く道順とは外れる2ヶ国。
  不彌國、投馬國 
◆女王の都
  邪馬壹國
◆女王に属さず女王の南に有る男王國。
  狗奴國
◆そして、邪馬壹國から、奴國までの帰途、つまり女王国内部に次々に通りすぎる20ヶ国。
  次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、
  次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、
  次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、
  次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴厘國、次有支惟國、次有烏奴國、(次有奴國。此女王境界所盡。)

ぴったり、30ヶ国だな。
0159学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 12:53:58.36ID:m6t91WqG
A 自女王國以北其戶數道里可得略載。
B 其餘旁國遠絕不可得詳。

という文章は、自女王國以北かで略載可能か不可能かを示したが、魏志倭人伝内に略載するという宣言ではないよ。
そして、その後に並べた国々が、AとB、どちらの文章に当てはまるかについては、先に示された奴国を最後に配置することで、全て「自女王國以北」だと明示したのだったな。
すなわち、最も重要な物事は、「次」の文字を使用しながら、次々と紹介したことは、脳に異常が無い者には、重要な意味が脳に響き渡るのという事だったな。
◆邪馬壹國から、奴國までの帰途、つまり女王国内部で「次々」に通りすぎる20ヶ国。
  次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、
  次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、
  次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、
  次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴厘國、次有支惟國、次有烏奴國、(次有奴國。此女王境界所盡。)
0160学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 12:58:42.22ID:EdCtdkPq
「奴国」は、間違いなく二つあった。
一つは、女王国への道中に有り、道里戸数が書かれている奴国、
もう一つは、遠絶にして不可得詳の奴国だ。これが博多那の津の奴国(つまり古えの倭奴国)だ。
0161学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 13:06:49.25ID:m6t91WqG
日本中の古ぼけた物事を好む者達を、あのゴッドハンドによる「発掘」の時と同様にして、熱狂させた、
おそらく方形で、数十センチメートル程の深さに掘削された、5世紀末以降に出現した「SX-1002」と完全に平行に隣接し、「SX-1002」との時間的な関係性が強く疑われるが、
謎の勢力に、謎の勢力が作製した観光用の着ぐるみのモデルとなった卑弥呼の時代である3世紀前半に建てられたのだ、と断定されてしまった「建物C」は、
本当は、5世紀以降に、建てられた物体なのだろうか。
0162学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 13:25:48.81ID:m6t91WqG
魏志倭人伝では、奴国は、帯方郡から12000余里の女王国の入り口として、まず、紹介され、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
 到其北岸狗邪韓國、七千餘里(+7000)。
 始度一海千餘里至對馬國(+1000)。方可四百餘里(+400+400)。
 又南渡一海千餘里(+1000)一大國。方可三百里(+300+300)。
 又渡一海千餘里至末盧國(+1000)。
 東南陸行五百里到伊都國(+500)。
 東南至奴國百里(+100)。
  7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして、邪馬壹國からの帰途、つまり北に向かって次々に通りすぎる女王国内部の21ヶ国目の、女王の境界の尽きる最北の国として、再度紹介することで、
帯方から邪馬壹までの道順にある倭人が住む女王国内外の27ヶ国の位置関係の凡そを簡潔に紹介したよ。
0163学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 13:31:11.67ID:EdCtdkPq
>>157
>なぜなら、魏志倭人伝に登場する使訳通じる国、30ヶ国は、全て、道理戸数を聞き取り把握できるよ。

あのな、「聞き取り」とは、単に耳で「聞き取った」までのこと。
「聞き取った」からといって、筆で何かに「略々記載した」ということにはならない。 両者は別の事、これは常識だ。
0164学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 13:32:02.90ID:m6t91WqG
邪馬台国畿内説が、幾ら意味の無い意見を発表しても、
正方形の島の4辺が、緯線や経線とちょうど平行という、確率的に殆ど0の条件でない限り、
正方形の島の内部に入らず、正方形の島の最北端から反対側の最南端に行くには、正方形の島を半周すれば良いという、脳に異常が無い者にはすぐ理解できる真実は、貴方の出来栄えの良くない脳のようには古ぼけはしないよ。

帯方から奴国までの足し算
7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000
奴国=女王の境界の尽きる処=女王国の入り口

次有奴國,此女王境界所盡。
自郡至女王國萬二千餘里。

境界がはっきりし、大きな国は、大きさや形を示し、「面」として扱えば、隣の国との位置関係を、効率的に説明できるということも、
大きさが小さな国や、隣の国との境界が不明なために大きさが不明な国は、宿泊地「点」として扱う以外に、隣の国との位置関係を説明できないということも、
脳に異常の無い者達の、幾何学図形の認識に関する人類の共通プロトコルであることには、あまり、不思議はないよ。
0165学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 14:06:41.20ID:qvkUTzV/
>>162
>魏志倭人伝では、奴国は、帯方郡から12000余里の女王国の入り口として、まず、紹介され、

それだと、帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となるが、いいのか?   @阿波
0166学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 14:20:24.22ID:m6t91WqG
魏志倭人伝の作者は、
「女王にとっては直轄する境界の尽きる国であり、帯方からみれば女王国の入口である12000里の奴國」までの5ヶ国、
  狗邪、對馬國、一大國、末盧國、伊都國、(奴国 )
  (7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000)
つまり、伊都国までの紹介が終わった時点で、
 世有王皆統屬女王國郡使往來常所駐。
という文章を置き、
「世(狗邪、對馬國、一大國、末盧國、伊都國)に王有るが、皆女王に総て属し国や郡の使いが往来し常に駐まる。」
ということを紹介し、ここまでの国は女王の直轄領ではなく、属国の国々であることを明示したのだったね。
0167学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 14:26:03.86ID:m6t91WqG
道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていたことは間違いないが、
それは、魏志倭人伝時代の中国人がキロメートルという単位を知っていたこととは、別であることは勿論だし、
正確な測量に、完全に成功したこととも別だよ。

165学籍番号:774 氏名:_____2021/04/07(水) 14:06:41.20ID:qvkUTzV/
>>162
>魏志倭人伝では、奴国は、帯方郡から12000余里の女王国の入り口として、まず、紹介され、

それだと、帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となるが、いいのか?   @阿波
0168学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 14:27:06.99ID:m6t91WqG
日本中の古ぼけた物事を好む者達を、あのゴッドハンドによる「発掘」の時と同様にして、熱狂させた、
おそらく方形で、数十センチメートル程の深さに掘削された、5世紀末以降に出現した「SX-1002」と完全に平行に隣接し、「SX-1002」との時間的な関係性が強く疑われるが、
謎の勢力に、謎の勢力が作製した観光用の着ぐるみのモデルとなった卑弥呼の時代である3世紀前半に建てられたのだ、と断定されてしまった「建物C」は、
本当は、5世紀以降に、建てられた物体なのだろうか。
0169学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 14:31:15.79ID:m6t91WqG
このスレッドでは、スマートフォンとパーソナルコンピューターを同時に使用しなければ、複数キャラクターを演じることが、出来ないのだったな。
0170学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 14:31:37.00ID:qvkUTzV/
>>167
>道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていたことは間違いないが、

それだと、帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となるが、いいのか?   @阿波
0171学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2021/04/07(水) 14:38:31.44ID:m6t91WqG
「道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていた」
という命題と
「帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となる」
という命題は、
全く違う物事だな。

170学籍番号:774 氏名:_____2021/04/07(水) 14:31:37.00ID:qvkUTzV/
>>167
>道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていたことは間違いないが、

それだと、帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となるが、いいのか?   @阿波
0172おそらくID:m6t91WqGに重複するが、ID:m6t91WqGとは別人だぞ。
垢版 |
2021/04/07(水) 14:41:29.14ID:m6t91WqG
>>171
「道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていた」
という命題は、
「道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていた」
という命題でしかなく、
「帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となる」
という命題は、
「帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となる」
という命題でしかないね。
0173学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2021/04/07(水) 14:42:58.15ID:m6t91WqG
>>172
貴方は、直ぐに、見破りましたね。
0174おそらくID:m6t91WqGに重複するが、ID:m6t91WqGとは別人だぞ。
垢版 |
2021/04/07(水) 14:50:57.08ID:m6t91WqG
>>173
そして、1里が例え何メートルであっても、
「道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていた」
という命題が真実なので、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
 到其北岸狗邪韓國、七千餘里(+7000)。
 始度一海千餘里至對馬國(+1000)。方可四百餘里(+400+400)。
 又南渡一海千餘里(+1000)一大國。方可三百里(+300+300)。
 又渡一海千餘里至末盧國(+1000)。
 東南陸行五百里到伊都國(+500)。
 東南至奴國百里(+100)。
  7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
奴国が、再度、紹介された場面で、

次有奴國,此女王境界所盡。

と明示されたことが、

自郡至女王國萬二千餘里。

という文章と見事に整合するのだったな。
0175学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2021/04/07(水) 14:52:51.79ID:m6t91WqG
日本中の古ぼけた物事を好む者達を、あのゴッドハンドによる「発掘」の時と同様にして、熱狂させた、
おそらく方形で、数十センチメートル程の深さに掘削された、5世紀末以降に出現した「SX-1002」と完全に平行に隣接し、「SX-1002」との時間的な関係性が強く疑われるが、
謎の勢力に、謎の勢力が作製した観光用の着ぐるみのモデルとなった卑弥呼の時代である3世紀前半に建てられたのだ、と断定されてしまった「建物C」は、
本当は、5世紀以降に、建てられた物体である可能性が、高いのだったな。
0176おそらくID:m6t91WqGに重複するが、ID:m6t91WqGとは別人だぞ。
垢版 |
2021/04/07(水) 15:01:27.56ID:m6t91WqG
>>169
逆に言えば、僕達のように、全く偶然にIDが一致してしまう事は、
日本中の古ぼけた物事を好む者達を、あのゴッドハンドによる「発掘」の時と同様にして、熱狂させた「建物C」が、
おそらく方形で、数十センチメートル程の深さに掘削された、5世紀末以降に出現した「SX-1002」と完全に平行に隣接し、
「SX-1002」との時間的な関係性が強く疑われることと同様に、
同一人物であるという強い疑いを、持たれてしまいそうだね。
0177学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2021/04/07(水) 15:13:32.57ID:qvkUTzV/
ID:m6t91WqG よ、

かなり、取り乱したな。  わははははは   @阿波
0178学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2021/04/07(水) 15:19:14.56ID:m6t91WqG
では、@阿波よ。
貴方が、このスレッドに来訪したことへの感謝を込めて、質問するぞ。
「道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていた」
という命題は、
「道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていた」
という命題でしかなく、
「帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となる」
という命題は、
「帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となる」
という命題でしかないが、
仮に、
「帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となる」
という命題が真実だとすれば、奴国は、何処になるのかを発表しろ。
0179学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2021/04/07(水) 15:41:49.77ID:m6t91WqG
>>1
一部の、古ぼけた物事を好む学芸会の者達が、
「最近、数年来、宇宙線の観測が、劇的に進行し、千数百年間、巻向にも数限りなく降り注がれた、破天荒に強大な空気シャワーに含まれる、想像を絶する数量の、中性子が、地表付近の桃の種や壺の吹きこぼれを構成する炭素の同位体比率を激変させる可能性を明らかにし、完全に破綻してしまった炭素年代法」という、炭素についての物事を売り上げる者達に、騙され踊り、最後には、笑われ者になってしまい、
さらには、近畿第V様式土器という謎の物体を売り上げていた、大昔のほんの一部の要素でしかない者に、勝手に騙されてしまっていたのだったね。
0180学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2021/04/07(水) 15:54:50.29ID:qvkUTzV/
>>178
>「帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となる」
>という命題が真実だとすれば、

そもそも、「帯方郡から12000余里の奴国」が、真実ではない!  出直してこい。  わははははは   @阿波
0182学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2021/04/07(水) 16:13:30.28ID:qvkUTzV/
>>181

九州も圏外だな。  該当するのは、「阿波」。   @阿波
0183学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2021/04/07(水) 16:21:09.06ID:qvkUTzV/
https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&;insightstoken=bcid_S3gyNtXaI5kCliZ5N45fpO2T2gHK.....yc*ccid_eDI21doj&form=ANCMS1&iss=SBIUPLOADGET&selectedindex=0&id=1294645963&ccid=eDI21doj&exph=341&expw=600&vt=2&sim=11
0184学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2021/04/07(水) 16:26:10.09ID:m6t91WqG
1里が例え何メートルであっても、
「道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていた」
という命題が、次の通り、完全に真実なので、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
 到其北岸狗邪韓國、七千餘里(+7000)。
 始度一海千餘里至對馬國(+1000)。方可四百餘里(+400+400)。
 又南渡一海千餘里(+1000)一大國。方可三百里(+300+300)。
 又渡一海千餘里至末盧國(+1000)。
 東南陸行五百里到伊都國(+500)。
 東南至奴國百里(+100)。
  7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
奴国が、邪馬壹國からの帰途、つまり、都から北に向かって次々に通りすぎる女王国内部の21ヶ国目の、女王の境界の尽きる最北の国として、再度、紹介された場面で、

次有奴國,此女王境界所盡。

と明示されたことが、

自郡至女王國萬二千餘里。

という、郡から女王国の最北端の入り口までの道のりが12000余里であることを示す文章と、
見事に整合するのだったな。
0185学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 16:40:19.84ID:qvkUTzV/
>>184
>「帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となる」
>という命題が真実だとすれば、

そもそも、「帯方郡から12000余里の奴国」が、真実ではない!  出直してこい。  わははははは   @阿波
0186学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 16:42:16.49ID:qvkUTzV/
「計其道里當在会稽東治之東」

会稽東治(江蘇省宿遷市宿城区)と同じ緯度(北緯33度56分〜58分)に女王国(阿波)がある。   @阿波      

https://www.bing.com/images/search?view=detailV2&;insightstoken=bcid_S3gyNtXaI5kCliZ5N45fpO2T2gHK.....yc*ccid_eDI21doj&form=ANCMS1&iss=SBIUPLOADGET&selectedindex=0&id=1294645963&ccid=eDI21doj&exph=341&expw=600&vt=2&sim=11
0187学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 16:45:12.07ID:qvkUTzV/
「自郡至女王國萬二千餘里」

なぜ魏志倭人伝で、「從郡至倭・・・」の行程記述とは別に、「自郡至女王國萬二千餘里」が ポツンと 分離して書かれているのだろうか?

それは、行程記述と「自郡至女王國萬二千餘里」が、別事項だからである。

「自郡至女王國萬二千餘里」は、帯方郡から女王国までの距離が、「直線距離」で一万二千余里を特記したもの。  

だからことさら、行程記述とは切り離して記述している。  

その心は、帯方郡から女王国までの距離が、「直線距離」なのであって、間違っても決して「行程里数加算距離」と取られないため。   @阿波 
0188学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 17:05:17.08ID:m6t91WqG
南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月。
官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳鞮可七萬餘戶。
自女王國以北其戶數道里可得略載其餘旁國遠絕不可得詳。
次有斯馬國。(次々に女王国内の帰途の国々)。次有奴國。此女王境界所盡。
其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王。
自郡至女王國萬二千餘里。

という部分は、女王国内部と女王国の南の説明として、一塊なのだから、
その一塊の中にある、

次有奴國、此女王境界所盡。
自郡至女王國萬二千餘里。

という2文は、脳に異常の無い者ならば、直ぐに結びつき、
自郡至女王國萬二千餘里は、

自郡至奴国。奴国女王境界所盡萬二千餘里。

のことだと分かるね。
0189学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 17:07:23.42ID:m6t91WqG
南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月。
官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳鞮可七萬餘戶。
自女王國以北其戶數道里可得略載其餘旁國遠絕不可得詳。
次有斯馬國。(次々に女王国内の帰途の国々)。次有奴國。此女王境界所盡。
其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王。
自郡至女王國萬二千餘里。

という部分は、女王国内部と女王国の南の説明として、一塊なのだから、
その一塊の中にある、

次有奴國、此女王境界所盡。
自郡至女王國萬二千餘里。

という2文は、脳に異常の無い者ならば、直ぐに結びつき、
自郡至女王國萬二千餘里は、

奴国女王境界所盡、自郡至奴国、萬二千餘里。

のことだと分かるね。
0190学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 17:11:01.99ID:qvkUTzV/
>>188

それだと、帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となるが、いいのか?   @阿波
0191学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 18:42:28.38ID:+1aaF8Vv
>>189
スマホで見ると文字化け?がひどい
0192学籍番号:774 氏名:_____
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2021/04/07(水) 19:01:01.96ID:EdCtdkPq
けっきょく奴国は、博多那の津だったという筋立てのようだな。
しかし、魏志倭人伝も、魏略も、廣志も、「倭国に上陸したら東南へ進め」と言っている。
末盧国からみると、那の津は北東だが、それだと魏志倭人伝や、魏略や、廣志は間違いだということになるが、いいのか?
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