邪馬台国畿内説 Part704の>>844
>会稽東治の東は沖縄か台湾あたり

ほぼ九州島付近であるから、この大和説男がバツ。

>そこが帯方より南に1万2千里で邪馬台国のある所というのが魏志倭人伝に書いてある事

「萬二千余里」は、郡から女王之所都の道のり距離の合計。

>行程も九州北部を船出して南に水行陸行すると書いている

「水行二十日」は、不彌國から「側副傍線國説明の投馬國」の所要日説明であり、
「水行十日陸行一月」は、行程の目的地である「女王之所都」の説明文言になるから、
郡から女王之所都の所要日数説明である事になり、
この男の解釈がバツ。