文学部 邪馬台国畿内説
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
邪馬台国畿内説は、 1000キロメートル程も離れた陸続きでもない地層を、幾つもの併行関係という物事で、年代を恣意的にずらしながら、細々と繋げることが、絶対年代を決定する証拠なのだ、という非学問的な嘘をつき、 さらには、一般の科学的学問の手法としては、完全に破綻してしまった要素還元主義に基づき、近畿第V様式土器の埋まっていた範囲が邪馬台国なのだ、とする、完全に非科学的な妄想なのだったな。 >>142 >海に面した山の裾野にある大集落「(邪)馬臺」を都とする まさに、「鮎喰川下流弥生後期集落群」が都だな。 @阿波 山に憑き海を負い馬を鎮め臺を以て建て都す。 熊本城のことではないのかな。 「倭人有り、帯方東南、大海の中」 当時、倭人は半島や本州など色々なところに住んでいたのであろうが、 倭人伝では「大海の中の山島(=九州島)に住み、国邑を為している者たち」のみを倭人と定義している。 よって、共立女王国(=九州島)の東渡海の向こうに住んでいた者たちは、別途「倭種」の語を与えられ、区別されている。 「舊は百餘國、漢の時朝見者有り、今使譯所通 三十國」 此れも、前段の「倭人」に関する説明であるから、倭種は除かれる。 因って「舊百餘國」とは、大海の中の山島(=九州島)には、百余の倭人の国があったという意味である。 それが今では、大海の中の倭人の国は三十国であるという。(つまり半島や本州は、帯方東南大海の中とは言い難いのではなかろうか。) 。 これを、さらに具体的に言えば、 漢の頃、九州島には百余の小国が有ったが、(倭国の乱を経て整理統合され)、今帯方郡に通交する倭の国は三十国になっている・・、と読むべきであろう。 その三十国とは、自女王国以北の7国+以南の投馬国+遠絶の21国+1国(華奴蘇奴国は、華奴国+蘇奴国とする)である。 なお、狗奴国は帯方郡に通じていなかったので、倭30国の外数である。 奴国は2つでてくる。 これをダブりと解する論者は少なくないが、それは明白に誤りである。 つまり、邪馬台国女王之所都より前に記述されている奴国は、明白に「自女王国以北」の国である。 そしてその後に、其の余の傍国として出てくる奴国は、「遠絶にして不可得詳」なのであるから、 女王国の東西南北のいずれに有ったかも当然不明である。因って、二つの奴国は、名前は同じでも明らかに別の国だったのである。 >>148 女王国の紹介で登場する国々は北、東、南方向の国々 これは女王国が西の端であることを意味する よって女王国=邪馬台国は九州で確定 >>146 「倭人在帶方東南大海之中」 北に瀬戸内海 ・ 西に豊後水道 ・ 南に黒潮太平洋 ・ 東に紀伊水道 まさに、「帶方東南大海之中」まんまの四国だね。 わははははは @阿波 >>149 ずばり、四国(阿波)を中心とした東・西・北への「忌部一族(阿波勢力)」進出展開記述 「東征毛人五十五國」 =畿内以東(北関東含む) 「西服衆夷六十六國」 =西瀬戸内・九州 「渡平海北九十五國」 =東瀬戸内・山陰・北陸 これ全部、倭国(阿波)から進出した忌部一族の開拓地域である。 @阿波 >>147 使譯所通三十國(いま外交関係にあるところ)の三十国は、 「自女王國以北」の国々=「東西に貫く大吉野川流域に広がる弥生後期集落遺跡群」のことである。 「阿波」以外に、このような一大流域弥生後期集落群は存在しない。 @阿波 >>150 >北に瀬戸内海 ・ 西に豊後水道 ・( 南に黒潮太平洋 )・ 東に紀伊水道 瀬戸内海 ・ 豊後水道 ・( )・ 紀伊水道を「大海」と認識しておるか、、、 あのな、昔から「井の中の蛙 大海を知らず・・」、というてな。 ま、いいだろう、阿波のいうことことだ。 >>153 >瀬戸内海 ・ 豊後水道 ・( )・ 紀伊水道を「大海」と認識しておるか、、、 ずばり、四国(阿波)を中心とした東・西・北への「忌部一族(阿波勢力)」進出展開記述 「東征毛人五十五國」 =畿内以東(北関東含む) 「西服衆夷六十六國」 =西瀬戸内・九州 「渡平海北九十五國」 =東瀬戸内・山陰・北陸 これ全部、倭国(阿波)から進出した忌部一族の開拓地域である。 @阿波 >>146 此番から始まる〜3レスを読み直して、思わず気付いたことがある。 この読み方は、法律の条文を読み解く場合と同じ呼吸・間合いである。陳寿は優秀な古代の法律家でもあったのかもしれない。 つまり倭人伝は文学部的な作品であるが、それを解読するには、法学部の教授先生のお力を借りるのが、好適・適切・早道ではないか。 法文学部なら、なお良し・・・、 案の定、徳島大学は、 医学・薬学・栄養学など、理化学系に専門化してしまっておるな。、 昔は文理学部?というのが有ったような記憶があるが、今はもう、文学部系や法学部系は、きれいさっぱり無くなっておるのか(泣、、、 奴国は一つだぞ。 なぜなら、魏志倭人伝に登場する使訳通じる国、30ヶ国は、全て、道理戸数を聞き取り把握できるよ。 即ち、魏志倭人伝に登場する国で、 「女王國東渡海千餘里復有國皆倭種。又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里。又有裸國K齒國復在其東南船行一年可至。」 の部分の「有國皆倭種(おそらく百余国の内の幾つかの国々)と侏儒國裸國K齒國」以外の30ヶ国は、使訳を通じて帯方郡に戸数も完全に把握されているよ。 ◆女王にとっては国の境界の尽きる国であり、帯方からみれば女王国の入口である12000里の奴國までの道順を示した5ヶ国。 狗邪、對馬國、一大國、末盧國、伊都國、奴国 (7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000) ◆女王の都に行く道順とは外れる2ヶ国。 不彌國、投馬國 ◆女王の都 邪馬壹國 ◆女王に属さず女王の南に有る男王國。 狗奴國 ◆そして、邪馬壹國から、奴國までの帰途、つまり女王国内部に次々に通りすぎる20ヶ国。 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴厘國、次有支惟國、次有烏奴國、(次有奴國。此女王境界所盡。) ぴったり、30ヶ国だな。 奴国は一つだぞ。 なぜなら、魏志倭人伝に登場する使訳通じる国、30ヶ国は、全て、道理戸数を聞き取り把握できるよ。 即ち、魏志倭人伝に登場する国で、 「女王國東渡海千餘里復有國皆倭種。又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里。又有裸國K齒國復在其東南船行一年可至。」 の部分の「有國皆倭種(おそらく百余国の内の幾つかの国々)と侏儒國裸國K齒國」以外の30ヶ国は、使訳を通じて帯方郡に戸数も完全に把握されているよ。 ◆女王にとっては国の境界の尽きる国であり、帯方からみれば女王国の入口である12000里の奴國までの道順を示した6ヶ国。 狗邪、對馬國、一大國、末盧國、伊都國、奴国 (7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000) ◆女王の都に行く道順とは外れる2ヶ国。 不彌國、投馬國 ◆女王の都 邪馬壹國 ◆女王に属さず女王の南に有る男王國。 狗奴國 ◆そして、邪馬壹國から、奴國までの帰途、つまり女王国内部に次々に通りすぎる20ヶ国。 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴厘國、次有支惟國、次有烏奴國、(次有奴國。此女王境界所盡。) ぴったり、30ヶ国だな。 A 自女王國以北其戶數道里可得略載。 B 其餘旁國遠絕不可得詳。 という文章は、自女王國以北かで略載可能か不可能かを示したが、魏志倭人伝内に略載するという宣言ではないよ。 そして、その後に並べた国々が、AとB、どちらの文章に当てはまるかについては、先に示された奴国を最後に配置することで、全て「自女王國以北」だと明示したのだったな。 すなわち、最も重要な物事は、「次」の文字を使用しながら、次々と紹介したことは、脳に異常が無い者には、重要な意味が脳に響き渡るのという事だったな。 ◆邪馬壹國から、奴國までの帰途、つまり女王国内部で「次々」に通りすぎる20ヶ国。 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴厘國、次有支惟國、次有烏奴國、(次有奴國。此女王境界所盡。) 「奴国」は、間違いなく二つあった。 一つは、女王国への道中に有り、道里戸数が書かれている奴国、 もう一つは、遠絶にして不可得詳の奴国だ。これが博多那の津の奴国(つまり古えの倭奴国)だ。 日本中の古ぼけた物事を好む者達を、あのゴッドハンドによる「発掘」の時と同様にして、熱狂させた、 おそらく方形で、数十センチメートル程の深さに掘削された、5世紀末以降に出現した「SX-1002」と完全に平行に隣接し、「SX-1002」との時間的な関係性が強く疑われるが、 謎の勢力に、謎の勢力が作製した観光用の着ぐるみのモデルとなった卑弥呼の時代である3世紀前半に建てられたのだ、と断定されてしまった「建物C」は、 本当は、5世紀以降に、建てられた物体なのだろうか。 魏志倭人伝では、奴国は、帯方郡から12000余里の女王国の入り口として、まず、紹介され、 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 到其北岸狗邪韓國、七千餘里(+7000)。 始度一海千餘里至對馬國(+1000)。方可四百餘里(+400+400)。 又南渡一海千餘里(+1000)一大國。方可三百里(+300+300)。 又渡一海千餘里至末盧國(+1000)。 東南陸行五百里到伊都國(+500)。 東南至奴國百里(+100)。 7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 そして、邪馬壹國からの帰途、つまり北に向かって次々に通りすぎる女王国内部の21ヶ国目の、女王の境界の尽きる最北の国として、再度紹介することで、 帯方から邪馬壹までの道順にある倭人が住む女王国内外の27ヶ国の位置関係の凡そを簡潔に紹介したよ。 >>157 >なぜなら、魏志倭人伝に登場する使訳通じる国、30ヶ国は、全て、道理戸数を聞き取り把握できるよ。 あのな、「聞き取り」とは、単に耳で「聞き取った」までのこと。 「聞き取った」からといって、筆で何かに「略々記載した」ということにはならない。 両者は別の事、これは常識だ。 邪馬台国畿内説が、幾ら意味の無い意見を発表しても、 正方形の島の4辺が、緯線や経線とちょうど平行という、確率的に殆ど0の条件でない限り、 正方形の島の内部に入らず、正方形の島の最北端から反対側の最南端に行くには、正方形の島を半周すれば良いという、脳に異常が無い者にはすぐ理解できる真実は、貴方の出来栄えの良くない脳のようには古ぼけはしないよ。 帯方から奴国までの足し算 7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000 奴国=女王の境界の尽きる処=女王国の入り口 次有奴國,此女王境界所盡。 自郡至女王國萬二千餘里。 境界がはっきりし、大きな国は、大きさや形を示し、「面」として扱えば、隣の国との位置関係を、効率的に説明できるということも、 大きさが小さな国や、隣の国との境界が不明なために大きさが不明な国は、宿泊地「点」として扱う以外に、隣の国との位置関係を説明できないということも、 脳に異常の無い者達の、幾何学図形の認識に関する人類の共通プロトコルであることには、あまり、不思議はないよ。 >>162 >魏志倭人伝では、奴国は、帯方郡から12000余里の女王国の入り口として、まず、紹介され、 それだと、帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となるが、いいのか? @阿波 魏志倭人伝の作者は、 「女王にとっては直轄する境界の尽きる国であり、帯方からみれば女王国の入口である12000里の奴國」までの5ヶ国、 狗邪、對馬國、一大國、末盧國、伊都國、(奴国 ) (7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000) つまり、伊都国までの紹介が終わった時点で、 世有王皆統屬女王國郡使往來常所駐。 という文章を置き、 「世(狗邪、對馬國、一大國、末盧國、伊都國)に王有るが、皆女王に総て属し国や郡の使いが往来し常に駐まる。」 ということを紹介し、ここまでの国は女王の直轄領ではなく、属国の国々であることを明示したのだったね。 道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていたことは間違いないが、 それは、魏志倭人伝時代の中国人がキロメートルという単位を知っていたこととは、別であることは勿論だし、 正確な測量に、完全に成功したこととも別だよ。 165学籍番号:774 氏名:_____2021/04/07(水) 14:06:41.20ID:qvkUTzV/ >>162 >魏志倭人伝では、奴国は、帯方郡から12000余里の女王国の入り口として、まず、紹介され、 それだと、帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となるが、いいのか? @阿波 日本中の古ぼけた物事を好む者達を、あのゴッドハンドによる「発掘」の時と同様にして、熱狂させた、 おそらく方形で、数十センチメートル程の深さに掘削された、5世紀末以降に出現した「SX-1002」と完全に平行に隣接し、「SX-1002」との時間的な関係性が強く疑われるが、 謎の勢力に、謎の勢力が作製した観光用の着ぐるみのモデルとなった卑弥呼の時代である3世紀前半に建てられたのだ、と断定されてしまった「建物C」は、 本当は、5世紀以降に、建てられた物体なのだろうか。 このスレッドでは、スマートフォンとパーソナルコンピューターを同時に使用しなければ、複数キャラクターを演じることが、出来ないのだったな。 >>167 >道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていたことは間違いないが、 それだと、帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となるが、いいのか? @阿波 「道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていた」 という命題と 「帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となる」 という命題は、 全く違う物事だな。 170学籍番号:774 氏名:_____2021/04/07(水) 14:31:37.00ID:qvkUTzV/ >>167 >道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていたことは間違いないが、 それだと、帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となるが、いいのか? @阿波 >>171 「道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていた」 という命題は、 「道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていた」 という命題でしかなく、 「帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となる」 という命題は、 「帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となる」 という命題でしかないね。 >>173 そして、1里が例え何メートルであっても、 「道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていた」 という命題が真実なので、 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 到其北岸狗邪韓國、七千餘里(+7000)。 始度一海千餘里至對馬國(+1000)。方可四百餘里(+400+400)。 又南渡一海千餘里(+1000)一大國。方可三百里(+300+300)。 又渡一海千餘里至末盧國(+1000)。 東南陸行五百里到伊都國(+500)。 東南至奴國百里(+100)。 7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 奴国が、再度、紹介された場面で、 次有奴國,此女王境界所盡。 と明示されたことが、 自郡至女王國萬二千餘里。 という文章と見事に整合するのだったな。 日本中の古ぼけた物事を好む者達を、あのゴッドハンドによる「発掘」の時と同様にして、熱狂させた、 おそらく方形で、数十センチメートル程の深さに掘削された、5世紀末以降に出現した「SX-1002」と完全に平行に隣接し、「SX-1002」との時間的な関係性が強く疑われるが、 謎の勢力に、謎の勢力が作製した観光用の着ぐるみのモデルとなった卑弥呼の時代である3世紀前半に建てられたのだ、と断定されてしまった「建物C」は、 本当は、5世紀以降に、建てられた物体である可能性が、高いのだったな。 >>169 逆に言えば、僕達のように、全く偶然にIDが一致してしまう事は、 日本中の古ぼけた物事を好む者達を、あのゴッドハンドによる「発掘」の時と同様にして、熱狂させた「建物C」が、 おそらく方形で、数十センチメートル程の深さに掘削された、5世紀末以降に出現した「SX-1002」と完全に平行に隣接し、 「SX-1002」との時間的な関係性が強く疑われることと同様に、 同一人物であるという強い疑いを、持たれてしまいそうだね。 ID:m6t91WqG よ、 かなり、取り乱したな。 わははははは @阿波 では、@阿波よ。 貴方が、このスレッドに来訪したことへの感謝を込めて、質問するぞ。 「道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていた」 という命題は、 「道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていた」 という命題でしかなく、 「帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となる」 という命題は、 「帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となる」 という命題でしかないが、 仮に、 「帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となる」 という命題が真実だとすれば、奴国は、何処になるのかを発表しろ。 >>1 一部の、古ぼけた物事を好む学芸会の者達が、 「最近、数年来、宇宙線の観測が、劇的に進行し、千数百年間、巻向にも数限りなく降り注がれた、破天荒に強大な空気シャワーに含まれる、想像を絶する数量の、中性子が、地表付近の桃の種や壺の吹きこぼれを構成する炭素の同位体比率を激変させる可能性を明らかにし、完全に破綻してしまった炭素年代法」という、炭素についての物事を売り上げる者達に、騙され踊り、最後には、笑われ者になってしまい、 さらには、近畿第V様式土器という謎の物体を売り上げていた、大昔のほんの一部の要素でしかない者に、勝手に騙されてしまっていたのだったね。 >>178 >「帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となる」 >という命題が真実だとすれば、 そもそも、「帯方郡から12000余里の奴国」が、真実ではない! 出直してこい。 わははははは @阿波 畿内説は方角もアレだが、そもそも圏外ですw 「自郡至女王國萬二千餘里」 魏志倭人伝には、女王の都は帯方郡から約1万2千里と明記されています https://i.imgur.com/mr9U9FZ.png とのこと。 >>181 九州も圏外だな。 該当するのは、「阿波」。 @阿波 https://www.bing.com/images/search?view=detailV2& ;insightstoken=bcid_S3gyNtXaI5kCliZ5N45fpO2T2gHK.....yc*ccid_eDI21doj&form=ANCMS1&iss=SBIUPLOADGET&selectedindex=0&id=1294645963&ccid=eDI21doj&exph=341&expw=600&vt=2&sim=11 1里が例え何メートルであっても、 「道のりとして、魏志倭人伝時代の中国人に、帯方から奴国までが12000里と理解されていた」 という命題が、次の通り、完全に真実なので、 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 到其北岸狗邪韓國、七千餘里(+7000)。 始度一海千餘里至對馬國(+1000)。方可四百餘里(+400+400)。 又南渡一海千餘里(+1000)一大國。方可三百里(+300+300)。 又渡一海千餘里至末盧國(+1000)。 東南陸行五百里到伊都國(+500)。 東南至奴國百里(+100)。 7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 奴国が、邪馬壹國からの帰途、つまり、都から北に向かって次々に通りすぎる女王国内部の21ヶ国目の、女王の境界の尽きる最北の国として、再度、紹介された場面で、 次有奴國,此女王境界所盡。 と明示されたことが、 自郡至女王國萬二千餘里。 という、郡から女王国の最北端の入り口までの道のりが12000余里であることを示す文章と、 見事に整合するのだったな。 >>184 >「帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となる」 >という命題が真実だとすれば、 そもそも、「帯方郡から12000余里の奴国」が、真実ではない! 出直してこい。 わははははは @阿波 「計其道里當在会稽東治之東」 会稽東治(江蘇省宿遷市宿城区)と同じ緯度(北緯33度56分〜58分)に女王国(阿波)がある。 @阿波 https://www.bing.com/images/search?view=detailV2& ;insightstoken=bcid_S3gyNtXaI5kCliZ5N45fpO2T2gHK.....yc*ccid_eDI21doj&form=ANCMS1&iss=SBIUPLOADGET&selectedindex=0&id=1294645963&ccid=eDI21doj&exph=341&expw=600&vt=2&sim=11 「自郡至女王國萬二千餘里」 なぜ魏志倭人伝で、「從郡至倭・・・」の行程記述とは別に、「自郡至女王國萬二千餘里」が ポツンと 分離して書かれているのだろうか? それは、行程記述と「自郡至女王國萬二千餘里」が、別事項だからである。 「自郡至女王國萬二千餘里」は、帯方郡から女王国までの距離が、「直線距離」で一万二千余里を特記したもの。 だからことさら、行程記述とは切り離して記述している。 その心は、帯方郡から女王国までの距離が、「直線距離」なのであって、間違っても決して「行程里数加算距離」と取られないため。 @阿波 南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月。 官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳鞮可七萬餘戶。 自女王國以北其戶數道里可得略載其餘旁國遠絕不可得詳。 次有斯馬國。(次々に女王国内の帰途の国々)。次有奴國。此女王境界所盡。 其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王。 自郡至女王國萬二千餘里。 という部分は、女王国内部と女王国の南の説明として、一塊なのだから、 その一塊の中にある、 次有奴國、此女王境界所盡。 自郡至女王國萬二千餘里。 という2文は、脳に異常の無い者ならば、直ぐに結びつき、 自郡至女王國萬二千餘里は、 自郡至奴国。奴国女王境界所盡萬二千餘里。 のことだと分かるね。 南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月。 官有伊支馬次曰彌馬升次曰彌馬獲支次曰奴佳鞮可七萬餘戶。 自女王國以北其戶數道里可得略載其餘旁國遠絕不可得詳。 次有斯馬國。(次々に女王国内の帰途の国々)。次有奴國。此女王境界所盡。 其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王。 自郡至女王國萬二千餘里。 という部分は、女王国内部と女王国の南の説明として、一塊なのだから、 その一塊の中にある、 次有奴國、此女王境界所盡。 自郡至女王國萬二千餘里。 という2文は、脳に異常の無い者ならば、直ぐに結びつき、 自郡至女王國萬二千餘里は、 奴国女王境界所盡、自郡至奴国、萬二千餘里。 のことだと分かるね。 >>188 それだと、帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となるが、いいのか? @阿波 けっきょく奴国は、博多那の津だったという筋立てのようだな。 しかし、魏志倭人伝も、魏略も、廣志も、「倭国に上陸したら東南へ進め」と言っている。 末盧国からみると、那の津は北東だが、それだと魏志倭人伝や、魏略や、廣志は間違いだということになるが、いいのか? >>192 上陸地点が呼子ということだよ 呼子から見て東南に伊都国だから 呼子から見ても、糸島や博多は東だが、それでいいのか? >>194 忘れたフリすんなよ低脳 【基礎知識】 魏志倭人伝の記述 「至對馬國(対馬)〜乗船南北市糴〜又南渡一海千餘里〜至一大國(壱岐)〜亦南北市糴」 対馬←→壱岐の位置関係が南北と記載されています https://i.imgur.com/Ixx2XXX.png そしてこの景色の南の方に邪馬台国があると書かれているわけです https://i.imgur.com/t1La2wr.png 忘れたフリすんなよ低脳 【魏志倭人伝の冒頭記述】 「倭人有り 帯方東南 大海の中」と書かれているわけですが・・、 >>196 後漢時代の倭は100国あった その頃は伊勢遺跡などからも朝貢に行ってたんだろう 基本、その時代の記録をコピペしてるだろ だから奴国が二回も出てくるんだよ みんな遠慮して(というか、小ばか毛嫌いして)、ぜんぜん行かないが、 末盧国から東南500里の伊都国は、佐賀平野の山寄りの大和町川上だ、 そこから更に東南100里、つまり末盧国からは東南600里の奴国は、現在の佐賀の市街地にあたるな。 此処が最初に出てくるほうの奴国。 そして遠絶傍国として出てくる奴国が、博多の那の津だよ。 なお大和町川上・伊都国の東方100里の不彌国は、かの有名な吉野ヶ里だな。(このように比定すると悩まなくて済む、正解ハッピー) >>959 名前:日本@名無史さん 2021/01/20(水) 14:17:38.34 http://i.imgur.com/puNLnRK.png 素晴らしい九州の古道図だ。上陸地点は唐津湾。 魏志倭人伝、魏略、廣志の記述通り、唐津へ上陸したら、唐津古道を東南へ下る。 → 賀周駅→ 磐氷駅→ 高来駅→ 佐嘉駅(ここが伊都国)→ここから東南100里に佐賀市街の奴国が見える。 また →佐嘉駅(伊都国)から東行100里して→ 神崎駅(ここが不彌国)。 なおこの不彌国から、 (陸路を)南へ行けば投馬国に至ることができる、(帯方郡からは、全行程水行で20日)。 (同様にして陸路を)南へ行けば、邪馬台国女王之所都に至る。(帯方郡からは、唐津までの水行10日と唐津からの陸行1月) 日本中の古ぼけた物事を好む者達を、あのゴッドハンドによる「発掘」の時と同様にして、熱狂させた、 おそらく方形で、数十センチメートル程の深さに掘削された、5世紀末以降に出現した「SX-1002」と完全に平行に隣接し、「SX-1002」との時間的な関係性が強く疑われるが、 謎の勢力に、謎の勢力が作製した観光用の着ぐるみのモデルとなった卑弥呼の時代である3世紀前半に建てられたのだ、と断定されてしまった「建物C」は、 本当は、5世紀以降に、建てられた物体である可能性が、高いのだったな。 奴国は一つだぞ。 なぜなら、魏志倭人伝に登場する使訳通じる国、30ヶ国は、全て、道理戸数を聞き取り把握できるよ。 即ち、魏志倭人伝に登場する国で、 「女王國東渡海千餘里復有國皆倭種。又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里。又有裸國K齒國復在其東南船行一年可至。」 の部分の「有國皆倭種(おそらく百余国の内の幾つかの国々)と侏儒國裸國K齒國」以外の30ヶ国は、帯方郡の派遣した使訳に戸数も完全に把握されているよ。 ◆女王にとっては国の境界の尽きる国であり、帯方からみれば女王国の入口である、道のり12000里の奴國までの道順を示した6ヶ国。 狗邪、對馬國、一大國、末盧國、伊都國、奴国 (7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000) ◆女王の都に行く道順とは外れる2ヶ国。 不彌國、投馬國 ◆女王の都である1ヶ国 邪馬壹國 ◆女王に属さず女王の南に有る1ヶ国。 狗奴國 ◆そして、邪馬壹國から、終点として再び掲げた、「帯方からみれば女王国の入口である、道のり12000里の奴國」までの帰途、 つまり、「次」という文字で道順であることを明示して紹介した、女王国内部を都から最北の出口へ向かったときに、次々に通りすぎる20ヶ国。 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴厘國、次有支惟國、次有烏奴國、(次有奴國。此女王境界所盡。) ぴったり、30ヶ国だな。 >>203 郡からの使訳は、邪馬壹國と狗奴國との合戦を目撃しただけではなく、 卑弥呼、男王、壹與までの交代劇も目撃し、 その間、 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ◆女王にとっては国の境界の尽きる国であり、帯方からみれば女王国の入口である、道のり12000里の奴國までの道順を示した6ヶ国。 狗邪、對馬國、一大國、末盧國、伊都國、奴国 (7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000) ◆女王の都に行く道順とは外れる2ヶ国。 不彌國、投馬國 ◆女王の都である1ヶ国 邪馬壹國 ◆女王に属さず女王の南に有る1ヶ国。 狗奴國 ◆そして、邪馬壹國から、終点として再び掲げた、「帯方からみれば女王国の入口である、道のり12000里の奴國」までの帰途、 つまり、「次」という文字で道順であることを明示して紹介した、女王国内部を都から最北の出口へ向かったときに、次々に通りすぎる20ヶ国。 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴厘國、次有支惟國、次有烏奴國、(次有奴國。此女王境界所盡。) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 の30ヶ国の調査を実行する時間が有ったのだな。 >>204 やはり、貴方ならば、真実の意見を分かってもらえると思っていました。 そして、壹與が贈った男女生口三十人は、 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ◆女王にとっては国の境界の尽きる国であり、帯方からみれば女王国の入口である、道のり12000里の奴國までの道順を示した6ヶ国。 狗邪、對馬國、一大國、末盧國、伊都國、奴国 (7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000) ◆女王の都に行く道順とは外れる2ヶ国。 不彌國、投馬國 ◆女王の都である1ヶ国 邪馬壹國 ◆女王に属さず女王の南に有る1ヶ国。 狗奴國 ◆そして、邪馬壹國から、終点として再び掲げた、「帯方からみれば女王国の入口である、道のり12000里の奴國」までの帰途、 つまり、「次」という文字で道順であることを明示して紹介した、女王国内部を都から最北の出口へ向かったときに、次々に通りすぎる20ヶ国。 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴厘國、次有支惟國、次有烏奴國、(次有奴國。此女王境界所盡。) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 の30ヶ国から、一人づつ選抜されて、贈られた可能性も、あるよ。 日本中の古ぼけた物事を好む者達を、あのゴッドハンドによる「発掘」の時と同様にして、熱狂させた、 おそらく方形で、数十センチメートル程の深さに掘削された、5世紀末以降に出現した「SX-1002」と完全に平行に隣接し、「SX-1002」との時間的な関係性が強く疑われるが、 謎の勢力に、謎の勢力が作製した観光用の着ぐるみのモデルとなった卑弥呼の時代である3世紀前半に建てられたのだ、と断定されてしまった「建物C」は、 本当は、5世紀以降に、建てられた物体である可能性が、高いのだったな。 >>205 >◆女王にとっては国の境界の尽きる国であり、帯方からみれば女王国の入口である、道のり12000里の奴國 それだと、帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となるが、いいのか? @阿波 実際には完全に間違えだったことが判明した、「方形周溝墓があったのだ」という早とちりの誤認と同時に発表された、 「「巻向遺蹟の(掘立柱建物なのだ、と発表されている、)建物群は、 観光用の着ぐるみのモデルとなった女王の時代である3世紀前半の遺蹟なのだ。」 という推定の唯一の理由とされた「柱穴には溝との切り合い関係があったのだ。」という発表」には、 そのための客観的に完全な物的証拠となる「遺跡を発掘破壊した当時の映画や写真やスケッチ」は、存在するのだろうか。 実際には完全に間違えだったことが判明した、「方形周溝墓があったのだ」という早とちりの誤認は、 ジグザグの溝を、方形周溝墓の溝と勘違いしたものだったのだが、 もし、 「建物Dが、そのジグザグの溝よりも数十年程度古い掘立柱建物であった。」という推定が真実ならば、 柱穴の深さが、交錯しているジグザグの溝の深さよりも、浅いことから、 「底面が1メートル×1.7メートルもある柱穴の深さが70センチと不自然な程浅く、ジグザグの溝は、1m程の深さだったか」 それとも、 「ジグザグの溝が2m程と不自然な程深く、底面が1メートル×1.7メートルもある柱穴の底の深さが、1.7m程の深さだったか」 のどちらかの間で、ジグザグの溝と底面が1メートル×1.7メートルもある柱穴の底の深さを、想定しなければならなくなるのだったな。 邪馬台国畿内説を完全に論破された「奥山氏=1 ◆n7jxAxKCBhb6 」が、討論での正々堂々の反論を放棄し、 「埋め立てやマルチポスト」という理由で、正々堂々の討論にとっては敗北宣言の意味にしかならない、5ちゃんねるへのくだらない告発をしたので、 僕達は永久に規制され、5ちゃんねるの日本史板という掲示板を、追放されてしまった可能性が高いな。 210 名前:学籍番号:774 氏名:_____ 2021/04/08(木) 11:42:35.29 ID:OggpfLhV なんだまだ規制中なのか?w そもそも、その里程を加算するのが間違いの元! 魏志倭人伝のどこにも、加算して「万二千里」などとは書かれていない! すべて直線距離で表されている。 @阿波 >>211 畿内スレや奥山など、小雑魚はほっておけばよろしい。 レスという水をやらなければ、遠からず、干からびて消滅する おまけにこのところの畿内スレからは、腐臭も漂っている。 どうやら、バイ菌もわき始めたようだ。皆んな〜、ホイホイ近づくでないぞ。 完全に破綻してしまっている邪馬台国畿内説の立場を整理すると、 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 魏志倭人伝中にある、九州北部から投馬国を経て邪馬台国への行程での2つの南至は東至の間違い。 魏志倭人伝中にある、2つの自女王国以北は自女王国以西の間違い。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 という、少なくとも合計4回の間違いがあるのだが、 下の@からCまでのどの間違いの組み合わせであったとしても、4回という回数は、不自然すぎるな。 81日本@名無史さん2021/04/08(木) 11:37:52.45 >>79 漠然と「魏志の間違い」という表現を使うあたりさすが低脳w 一字違いで全てを否定してみたり、「径百歩」だけで箸墓確定などとほざいたり低脳妄想はなはだしいなw @魏志作成時の記述間違い A魏志の編集の間違い B魏志複写時の転記間違い C陳寿が参照した記録類の間違い どれだよ? 万が一、魏志倭人伝時代に、壱岐や北部九州、そして、巻向を、全て訪問した、レベルの高い中国人がいるのならば、 壱岐や北部九州が、巻向よりも赤道に近いことを、簡単に見抜いてしまいそうだな。 「計其道里當在会稽東治之東」 会稽東治(江蘇省宿遷市宿城区)と同じ緯度(北緯33度56分〜58分)に女王国(阿波)がある。 @阿波 https://www.bing.com/images/search?view=detailV2& ;insightstoken=bcid_S3gyNtXaI5kCliZ5N45fpO2T2gHK.....yc*ccid_eDI21doj&form=ANCMS1&iss=SBIUPLOADGET&selectedindex=0&id=1294645963&ccid=eDI21doj&exph=341&expw=600&vt=2&sim=11 >>106 >阿波より手前に北部九州があるだろ? 帯方郡から12000余里の奴国は、12000*75=900000=900` となるが、いいのか? @阿波 そもそも、その里程を加算するのが間違いの元! 魏志倭人伝のどこにも、加算して「万二千里」などとは書かれていない! すべて直線距離で表されている。 「計其道里當在会稽東治之東」 会稽東治(江蘇省宿遷市宿城区)と同じ緯度(北緯33度56分〜58分)に女王国(阿波)がある。 @阿波 view=detailV2&insightstoken=bcid_S3gyNtXaI5kCliZ5N45fpO2T2gHK.....yc*ccid_eDI21doj&form=ANCMS1&iss=SBIUPLOADGET&selectedindex=0&id=1294645963&ccid=eDI21doj&exph=341&expw=600&vt=2&sim=11 そもそも、その里程を加算するのが間違いの元! 魏志倭人伝のどこにも、加算して「万二千里」などとは書かれていない! すべて直線距離で表されている。 「計其道里當在会稽東治之東」 会稽東治(江蘇省宿遷市宿城区)と同じ緯度(北緯33度56分〜58分)に女王国(阿波)がある。 @阿波 https://www.bing.com/images/search?view=detailV2& ;insightstoken=bcid_S3gyNtXaI5kCliZ5N45fpO2T2gHK.....yc*ccid_eDI21doj&form=ANCMS1&iss=SBIUPLOADGET&selectedindex=0&id=1294645963&ccid=eDI21doj&exph=341&expw=600&vt=2&sim=11 阿波「邪馬臺国」の決定的証拠 : 「其山有丹」=「若杉山辰砂採掘遺跡」 @阿波 うーん・・、 自郡 至奴国 萬二千余里ねえ、 それだと、東行100里至る不彌国の100里が、字余りになりになっちゃって、しまりがよろしくないねえ。 晩年のフルタも、自説にやや自信を無くし、それが遠因で、東日流にでも活路を見出すか・・、と思うようになったのだろうねえ。 壹與が贈った男女生口三十人は、 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ◆女王にとっては国の境界の尽きる国であり、帯方からみれば女王国の入口である、道のり12000里の奴國までの道順を示した6ヶ国。 狗邪、對馬國、一大國、末盧國、伊都國、奴国 (7000+1000+400+400+1000+300+300+1000+500+100=12000) ◆女王の都に行く道順とは外れる2ヶ国。 不彌國、投馬國 ◆女王の都である1ヶ国 邪馬壹國 ◆女王に属さず女王の南に有る1ヶ国。 狗奴國 ◆そして、邪馬壹國から、終点として再び掲げた、「帯方からみれば女王国の入口である、道のり12000里の奴國」までの帰途、 つまり、「次」という文字で道順であることを明示して紹介した、女王国内部を都から最北の出口へ向かったときに、次々に通りすぎる20ヶ国。 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴厘國、次有支惟國、次有烏奴國、(次有奴國。此女王境界所盡。) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 の30ヶ国から、一人づつ選抜されて、贈られた可能性も、あるよ。 あっちのすれの 180 日本@名無史さん メッセージをお届けくださって、どうもありがとうございます。 謝々、、。 >◆女王にとっては国の境界の尽きる「国」であり、、、 これには、別の読み方もある。 つまり、此処 女王の境界尽きる「国」(=奴国)、と書かれているわけではない。 伝曰く、此処 女王の境界尽きる「処」(=範囲)、であるからして、以上に記述した処(=30国)で、女王の勢力範囲は尽きる・・,とも読b゚る。 希荘繧フ名文筆家・鋳ツ寿の文章としbトは、こちらの演゚のほうが相演桙オいのではなb「であろうか。 女王の直轄領(女王国)の境界の村々(国々)をグルリと順に「次々と」示したのならば、 最初に示される斯馬國の前に「次」の字は置かれないな。 斯馬國の前に置かれた「次」の字が意味することは、 あくまでも、「邪馬壹國の次には、」であり、 順に「次々と」示した出発点は、邪馬壹國=女王之所都にしかならないよ。 そして、この順で最後になる奴国こそ、この道順で、唯一、女王国の境界が尽きる場所なのだぞ。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ◆邪馬壹國から、終点として再び掲げた、「帯方からみれば女王国の入口である、道のり12000里の奴國」までの帰途、 つまり、「次」という文字で道順であることを明示して紹介した、女王国内部を都から最北の出口=奴国へ向かったときに、次々に通りすぎる20ヶ国。 (邪馬壹國女王之所都。) 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴厘國、次有支惟國、次有烏奴國、(次有奴國。此女王境界所盡。) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 230 名前:学籍番号:774 氏名:_____ 2021/04/09(金) 08:14:38.07 ID:tkPiXZM/ >◆女王にとっては国の境界の尽きる「国」であり、、、 これには、別の読み方もある。 つまり、此処 女王の境界尽きる「国」(=奴国)、と書かれているわけではない。 伝曰く、此処 女王の境界尽きる「処」(=範囲)、であるからして、以上に記述した処(=30国)で、女王の勢力範囲は尽きる・・,とも読める。 希代の名文筆家・陳寿の文章としては、こちらの解釈のほうが相応しいのではないであろうか。 倭人伝「此 女王境界 盡きる所 」 の解釈としては、 以下、Bの抽象的な解釈の C場面、局面、あたりが適切。 ところ 【所/▽処】 の解説 A. 空間的な場所。人や物が存在する場所。 @ 住んでいる場所。住所。住居:「おところとお名前を教えてください」 A その地域。地方:「ところの人に尋ねる」 B 連体修飾語によって限定される場所*「県庁のあるところ」 B. 抽象的な場所。場面。範囲。 @ ふさわしい地位や立場:「職場で、ところを得る」 A その人の所属している組織や集団:「知り合いのところに発注する」 B 部分。箇所。点:「悪いところを直す」「粋なところのある人」 C 場面。局面:「今のところ、おとなしい」「今日のところは許してやろう」 D ちょうどその所。場合。際。おり:「さっき着いたところだ」 E 事柄。内容。こと:「思うところあって、辞任する」「自分の信じるところを貫く」 F 範囲。程度:「調べたところでは、そんな事実はない」「歩いて30分といったところかな」 (邪馬壹國女王之所都) 次有斯馬國、次有已百支國、次有伊邪國、次有都支國、次有彌奴國、 次有好古都國、次有不呼國、次有姐奴國、次有對蘇國、次有蘇奴國、 次有呼邑國、次有華奴蘇奴國、次有鬼國、次有爲吾國、次有鬼奴國、 次有邪馬國、次有躬臣國、次有巴厘國、次有支惟國、次有烏奴國、次有奴國。 (と、列記したところ・所/処で、女王の境界=範囲/服属国は盡きる。) 魏志倭人伝には、「邪馬壹國女王之所都」という句があるよ。 つまり国=所だよ。 そして、次々に示した国々の始点である「邪馬壹國女王之所都」という句の対比として、 次々に示した国々の終点である「此(=奴国)女王境界所盡」という句がある。 邪馬壹國-女王-之-所-都 邪馬壹國、女王、之(強調)にて、都す処。 奴国-女王-境界-所-盡 奴国、女王、界を境して、尽く処。 始点と終点を明示するための、国=所を構文とする、この対句を理解できなければ、魏志倭人伝の作者の意図は理解できないぞ。 >魏志倭人伝には、「邪馬壹國女王之所都」という句があるよ。 >つまり国=所だよ。 ・・・・A. 空間的な場所。人や物が存在する物理的場所を示する事例。 >此-女王-境界-所-盡 ・・・・ B. 抽象的な場所、場面、範囲、或は文章中の位置や範囲や区切りを示す事例。 倭人伝には、空間的・実態的な使用例と、抽象的・文学的・文字列的な使用事例の2種類が出てくる。これを読み分けなくてはならぬ。 邪馬台国畿内説を宣伝している「奥山氏=1 ◆n7jxAxKCBhb6 」がまたしても、奥山氏の脳の異常を、晒しているな。 脳に可哀想な障害のある奥山氏は、 弥生時代終末の九州で「人面土器」がどれだけの数、出土し、 弥生時代終末の本州で「人面土器」がどれだけの数、出土し、弥生時代終末の本州で出土した「人面土器」がどの程度の割合で、黥面土器だったのかを示さなければ、 弥生時代終末の九州で鯨面文化が無く、弥生時代終末の本州で鯨面文化があったことの根拠にならないばかりか、 単に、弥生時代終末の九州と畿内の「人面土器」作製の慣習の違いを示すこともできないことも、 全く理解できないのだな。 261 ◆n7jxAxKCBhb6 2021/04/08(木) 03:39:54.59 ◆FAQ 24 Q:黥面文身は九州の習俗で畿内には無いだろう! A:黥面文身を九州説の根拠とすることは不可能である。 黥面土器の分布から見て、弥生時代終末から庄内併行期にこの習俗が特に盛行したのは岡山県及び愛知県(設楽1989)であり、九州ではない。 両地域と深い交流のあった纒向に黥面の人々がいたことは確実であろう。 >>236 貴方の指摘する統計的な検証が全くされていないだけではなく、 鯨面土器を作製した人物という一要素で、時代や地域の特色に還元して推定してしまうという、頭の出来栄えの良くない者が多用する、科学的には既に完全に破綻した要素還元の手法だな。 >>237 またしても、貴方とIDが、一致してしまいましたね。 同じスレッドの会話の中のこれほど時間的に近い箇所で、IDが一致してしまったのでは、 まるで、 魏志倭人伝の中の女王に関連の深い箇所で、「場所+女王+〜+所+〜」という形が、完全に一致してしまったのでは、 「場所+女王+〜+所+〜」という形が指し示す物事が 次々に国々を紹介する部分の始点の国と終点の国という同一構文による国名なのだ、と断定されるようにして、 ID:JCciXP4pが指し示す物事が、 次々に意見を発表するための、会話を装った同一人物による投稿なのだ、と断定されてしまいそうですね。 邪馬台国畿内説を宣伝する「奧山氏=1 ◆n7jxAxKCBhb6」が作製したスレッドで、 奥山氏の先祖が、朝鮮半島で産まれた人物なのか、 それとも、 奧山氏自身が、朝鮮半島で産まれたのか、 どちらなのかという研究会が、進行しているな。 ERROR: 余所でやってください。[history] 問い合わせID:○○○○ 問い合わせIDと投稿のIDは、関連がなさそうだな。 >>235 (追加・書き直し) >此-女王-境界-所-盡 ・・・・ B. 抽象的な場所、場面、範囲、或は文章中の位置や範囲や区切りを示す事例。 つまり、以上の30国を書き終えたところ(所)で、女王の勢力範囲(境界)は尽(盡)きる、という意味の用例である。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる