本来は静岡大学医学部として静岡市に建設される計画であり、静岡県議会でも可決された事項であった。
当時の県知事竹山祐太郎(浜松の東隣である磐田市出身)が県議会決定を無視して独断で浜松市への設置手続きを行い、浜松医科大学として発足することになった。
この一件が発端で県中部、県東部の自民党県会議員が竹山知事および浜松医大設置を承認した国に対し反発し、集団離党するという事態に発展した。

50年近くの時を経てついに静大医学部になる可能性が出てきた浜松医科大学