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2017-10-04
明日の授業に備えて、プーシキンの詩を読んでいる。
「チャアダーエフに」、「悪魔」、「海に」を読む予定。
「チャアダーエフに」は学生時代には、こんなに良い詩だとは思わなかったなあ。
"Пока свободою горим" という単純なフレーズが、真っすぐ胸に響いてくる。
理想のために戦っているつもりの大人たちがこういう詩を好むのだろうが、そういう大人たちは実は独善的で、嫌な顔をしている。
あんたたち、偉そうなことを言っているけれど、鏡で自分の顔を見てみたらどうだい、と言いたくなる。
あんたたちはそんなに正しいのかい、立派なのかい?
だが、10代のプーシキンが書いたこの詩には、そんなところはまったくない。
пока (うち)という言葉ひとつで「終わり」を予感させる。
それは青春の終わりだろうし、人生の終わりだろう。
そして、生が終わるまでは魂は静かに燃え続けるだろうし、それは圧政のもとでも自由なのだ。
自由だからこそ、清々しく、美しいのである。
逆に言えば、嫌な顔をした大人たちというのは、きっと何かにとらわれているのだろう。
そして、美への憧れを忘れているのだろう。
岩本和久 (id:kazuhisaiwamoto-su)