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小説

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0001学籍番号:774 氏名:_____
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2014/06/25(水) 18:21:01.38ID:???
「私は他(ひと)に欺かれたのです。しかも血のつづいた親戚のものから欺かれたのです。私は決してそれを忘れないのです。私の
父の前には善人であったらしい彼らは、父の死ぬや否(いな)や許しがたい不徳義漢に変ったのです。私は彼らから受けた屈辱と
損害を小供の時から今日まで背負(しょ)わされている。恐らく死ぬまで背負わされ通しでしょう。私は死ぬまでそれを忘れる事がで
きないんだから。しかし私はまだ復讐をしずにいる。考えると私は個人に対する復讐以上の事を現にやっているんだ。私は彼らを憎
むばかりじゃない、彼らが代表している人間というものを、一般に憎む事を覚えたのだ。私はそれで沢山だと思う」


こころ
夏目漱石
0003学籍番号:774 氏名:_____
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2014/06/25(水) 18:24:42.14ID:???
「議論はいやよ。よく男の方は議論だけなさるのね、面白そうに。空の盃でよくああ飽きずに献酬ができると思いますわ」


こころ
夏目漱石
0004学籍番号:774 氏名:_____
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2014/06/25(水) 18:43:17.87ID:???
「あなたのお父さんが亡くなられるのを、今から予想してかかるような言葉遣(ことばづか)いをするのが気
に触(さわ)ったら許してくれたまえ。しかし人間は死ぬものだからね。どんなに達者なものでも、いつ死ぬ
か分らないものだからね」


こころ
夏目漱石
0005学籍番号:774 氏名:_____
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2014/06/25(水) 19:38:57.24ID:???
 先生は大学出身であった。これは始めから私に知れていた。しかし先生の何もしないで遊んでいるという事は、東京へ
帰って少し経(た)ってから始めて分った。私はその時どうして遊んでいられるのかと思った。


こころ
夏目漱石
0006学籍番号:774 氏名:_____
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2014/06/26(木) 09:31:51.32ID:???
 先生が私の家の経済について、問いらしい問いを掛けたのはこれが始めてであった。私の方はまだ先生の暮し向きに関して、何も
聞いた事がなかった。先生と知り合いになった始め、私は先生がどうして遊んでいられるかを疑った。その後もこの疑いは絶えず私
の胸を去らなかった。しかし私はそんな露骨(あらわ)な問題を先生の前に持ち出すのをぶしつけとばかり思っていつでも控えてい
た。若葉の色で疲れた眼を休ませていた私の心は、偶然またその疑いに触れた。
「先生はどうなんです。どのくらいの財産をもっていらっしゃるんですか」
「私は財産家と見えますか」
 先生は平生からむしろ質素な服装(なり)をしていた。それに家内は小人数(こにんず)であった。したがって住宅も決して広く
はなかった。けれどもその生活の物質的に豊かな事は、内輪にはいり込まない私の眼にさえ明らかであった。要するに先生の暮しは
贅沢といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。
「そうでしょう」と私がいった。
「そりゃそのくらいの金はあるさ、けれども決して財産家じゃありません。財産家ならもっと大きな家でも造るさ」
 この時先生は起き上って、縁台の上に胡坐(あぐら)をかいていたが、こういい終ると、竹の杖の先で地面の上へ円のようなもの
を描き始めた。それが済むと、今度はステッキを突き刺すように真直に立てた。
「これでも元は財産家なんだがなあ」
 先生の言葉は半分独り言のようであった。それですぐ後に尾(つ)いて行き損なった私は、つい黙っていた。
「これでも元は財産家なんですよ、君」といい直した先生は、次に私の顔を見て微笑した。私はそれでも何とも答えなかった。むし
ろ不調法で答えられなかったのである。すると先生がまた問題を他(よそ)へ移した。
「あなたのお父さんの病気はその後どうなりました」
 私は父の病気について正月以後何にも知らなかった。月々国から送ってくれる為替と共に来る簡単な手紙は、例の通り父の手蹟で
あったが、病気の訴えはそのうちにほとんど見当らなかった。その上書体も確かであった。この種の病人に見る顫(ふる)えが少し
も筆の運びを乱していなかった。
「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」
「好ければ結構だが、――病症が病症なんだからね」
「やっぱり駄目ですかね。でも当分は持ち合ってるんでしょう。何ともいって来ませんよ」
「そうですか」
 私は先生が私のうちの財産を聞いたり、私の父の病気を尋ねたりするのを、普通の談話――胸に浮かんだままをその通り口にする
、普通の談話と思って聞いていた。ところが先生の言葉の底には両方を結び付ける大きな意味があった。先生自身の経験を持たない
私は無論そこに気が付くはずがなかった。


こころ
夏目漱石
0007学籍番号:774 氏名:_____
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2014/06/26(木) 22:46:59.65ID:???
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中(うち)に、これといって、悪い人間はいないようだといいま
したね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型(いかた)に入れたような悪人は世の中にあるはずがありま
せんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油
断ができないんです」


こころ
夏目漱石
0008学籍番号:774 氏名:_____
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2014/06/26(木) 22:53:49.20ID:???
「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」
「何だかそれは私にも解(わか)らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」
「すると殺されるのも、やはり不自然な暴力のお蔭(かげ)ですね」
「殺される方はちっとも考えていなかった。なるほどそういえばそうだ」


こころ
夏目漱石
0009学籍番号:774 氏名:_____
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2014/06/28(土) 00:16:41.62ID:???
「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、
「滅びるね」と言った。――熊本でこんなことを口に出せば、すぐなぐられる。悪くすると国賊取り扱いにされる。


三四郎
夏目漱石
0011学籍番号:774 氏名:_____
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2014/06/30(月) 22:50:23.10ID:???
私は私を包む若葉の色に心を奪われていた。その若葉の色をよくよく眺めると、一々違っていた。同じ楓の樹(き)でも同じ色を枝に着けているものは一つもなかった。
細い杉苗の頂に投げ被せてあった先生の帽子が風に吹かれて落ちた。

こころ
夏目漱石
0012学籍番号:774 氏名:_____
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2014/07/01(火) 22:26:06.29ID:???
 このくらいよりほかに要領を得た返事は一つもできないので、僕もはなはだ残念に思った。市蔵はようやく諦らめたという眼つきをして、
一番しまいに、「じゃせめて寺だけ教えてくれませんか。母がどこへ埋っているんだか、それだけでも知っておきたいと思いますから」と
云った。けれども御弓の菩提所(ぼだいじ)を僕が知ろうはずがなかった。僕は呻吟しながら、已(やむ)を得なければ姉に聞くよりほか
に仕方あるまいと答えた。
「御母さんよりほかに知ってるものは無いでしょうか」
「まああるまいね」
「じゃ分らないでもよござんす」


彼岸過迄
夏目漱石
0013学籍番号:774 氏名:_____
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2014/07/01(火) 22:42:21.51ID:???
「悪い事をした。怒って出たから妻(さい)はさぞ心配をしているだろう。考えると女は可哀(かわい)そうなものですね。私(わたくし)の妻などは私より外(ほか)にまるで頼りにするものがないんだから」


こころ
夏目漱石
0014学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/07/02(水) 18:50:22.60ID:???
私は理屈から出たとも統計から来たとも知れない、この陳腐(ちんぷ)なような母の言葉を黙然(もくねん)と聞いていた。


こころ
夏目漱石
0016学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/07/02(水) 20:42:30.48ID:???
「つまり、おれが結構という事になるのさ。おれはお前の知ってる通りの病気だろう。去年の冬お前に会った時、ことによ
るともう三月か四月ぐらいなものだろうと思っていたのさ。それがどういう仕合(しあわ)せか、今日までこうしている。起
居(たちい)に不自由なくこうしている。そこへお前が卒業してくれた。だから嬉しいのさ。せっかく丹精した息子が、自分
のいなくなった後で卒業してくれるよりも、丈夫なうちに学校を出てくれる方が親の身になれば嬉しいだろうじゃないか。
大きな考えをもっているお前から見たら、高が大学を卒業したぐらいで、結構だ結構だといわれるのは余り面白くもない
だろう。しかしおれの方から見てご覧、立場が少し違っているよ。つまり卒業はお前に取ってより、このおれに取って結
構なんだ。解ったかい」
 私は一言もなかった。詫まる以上に恐縮して俯向いていた。父は平気なうちに自分の死を覚悟していたものとみえる。
しかも私の卒業する前に死ぬだろうと思い定めていたとみえる。その卒業が父の心にどのくらい響くかも考えずにいた
私は全く愚かものであった。


こころ
夏目漱石
0017学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/07/02(水) 20:43:34.66ID:???
「つまり、おれが結構という事になるのさ。おれはお前の知ってる通りの病気だろう。去年の冬お前に会った
時、ことによるともう三月か四月ぐらいなものだろうと思っていたのさ。それがどういう仕合(しあわ)せか、今
日までこうしている。起居(たちい)に不自由なくこうしている。そこへお前が卒業してくれた。だから嬉しいの
さ。せっかく丹精した息子が、自分のいなくなった後で卒業してくれるよりも、丈夫なうちに学校を出てくれる
方が親の身になれば嬉しいだろうじゃないか。大きな考えをもっているお前から見たら、高が大学を卒業し
たぐらいで、結構だ結構だといわれるのは余り面白くもないだろう。しかしおれの方から見てご覧、立場が少
し違っているよ。つまり卒業はお前に取ってより、このおれに取って結構なんだ。解ったかい」
 私は一言もなかった。詫まる以上に恐縮して俯向いていた。父は平気なうちに自分の死を覚悟していたも
のとみえる。しかも私の卒業する前に死ぬだろうと思い定めていたとみえる。その卒業が父の心にどのくら
い響くかも考えずにいた私は全く愚かものであった。


こころ
夏目漱石
0018学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/07/02(水) 21:11:01.88ID:???
私は田舎(いなか)の客が嫌いだった。飲んだり食ったりするのを、最後の目的としてやって来る彼らは、何か事が
あれば好(い)いといった風の人ばかり揃(そろ)っていた。私は子供の時から彼らの席に侍(じ)するのを心苦しく
感じていた。まして自分のために彼らが来るとなると、私の苦痛はいっそう甚(はなはだ)しいように想像された。し
かし私は父や母の手前、あんな野鄙(やひ)な人を集めて騒ぐのは止せともいいかねた。それで私はただあまり
仰山だからとばかり主張した。


こころ
夏目漱石
0019学籍番号:774 氏名:_____
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2014/07/03(木) 03:15:29.46ID:???
「しかし卒業した以上は、少なくとも独立してやって行ってくれなくっちゃこっちも困る。人からあなたの所
のご二男(じなん)は、大学を卒業なすって何をしてお出(いで)ですかと聞かれた時に返事ができない
ようじゃ、おれも肩身が狭いから」


こころ
夏目漱石
0020学籍番号:774 氏名:_____
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2014/07/05(土) 08:45:07.65ID:???
私は安得烈と彫(ほ)り付けた小さい墓の前で、「これは何と読むんでしょう」と先生に聞いた。「アンドレとでも読ませるつもりでしょうね」といって先生は苦笑した。


こころ
夏目漱石
0021学籍番号:774 氏名:_____
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2014/07/05(土) 08:47:15.62ID:???
 先生はこれらの墓標が現わす人種々(ひとさまざま)の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかった。私が丸い墓石だの
細長い御影の碑だのを指して、しきりにかれこれいいたがるのを、始めのうちは黙って聞いていたが、しまいに「あなたは死という事実をまだ真面
目(まじめ)に考えた事がありませんね」といった。私は黙った。先生もそれぎり何ともいわなくなった。


こころ
夏目漱石
0022学籍番号:774 氏名:_____
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2014/07/07(月) 04:29:04.99ID:???
 
   ソVvミヘ/Wv彡vV/ ミ∠ミ::
  ミミ         _   ミ:::
  ミ    二__, --、r'"___、 ヾ ト、::ヽ
  ミレ'"~,-,、 !  ! ' '" ̄ .ノ \ヾ:、
  K/ー'~^~_/  ヽミ:ー‐‐'"   ヽ i.       _________________
 !〉 ー―'"( o ⊂! ' ヽ   ∪   Y      <うぃっす 東京理科大夜間学部2Iの豊原優だ l
 i     ,.:::二Uニ:::.、.       l i   .   l スレ荒らしに来ますた............   l
 .!     :r'エ┴┴'ーダ      !Kl      l_________________l
 .i、  .   ヾ=、__./        ト=
  ヽ. :、  ゙ -―-    ,;   ,!
  \.  :.         .:    ノ
   ヽ  ヽ.       .    .イ
0023学籍番号:774 氏名:_____
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2014/07/09(水) 21:58:55.33ID:???
 私には先生の返事があまりに平凡過ぎて詰らなかった。先生が調子に乗らないごとく、私も拍子抜けの気味であった。私は澄ましてさっさと歩き出した。いきおい先
生は少し後(おく)れがちになった。先生はあとから「おいおい」と声を掛けた。
「そら見たまえ」
「何をですか」
「君の気分だって、私の返事一つですぐ変るじゃないか」
 待ち合わせるために振り向いて立ち留(ど)まった私の顔を見て、先生はこういった。


こころ
夏目漱石
0024学籍番号:774 氏名:_____
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2014/07/09(水) 22:03:47.94ID:???
宅(うち)に相応の財産があるものが、何を苦しんで、卒業するかしないのに、地位地位といって藻掻(もが)き廻(まわ)るのか。私は
むしろ苦々しい気分で、遠くにいるあなたにこんな一瞥を与えただけでした。


こころ
夏目漱石
0025学籍番号:774 氏名:_____
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2014/07/09(水) 22:07:22.05ID:???
父は一口にいうと、まあマン・オフ・ミーンズとでも評したら好(い)いのでしょう。比較的上品な嗜好をもった田舎紳士だったのです。


こころ
夏目漱石
0026学籍番号:774 氏名:_____
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2014/07/10(木) 08:22:54.50ID:???
何も知らない私は、叔父を信じていたばかりでなく、常に感謝の心をもって、叔父をありがたいもののように尊敬していました。叔父は事業家
でした。県会議員にもなりました。その関係からでもありましょう、政党にも縁故があったように記憶しています。父の実の弟ですけれども、そ
ういう点で、性格からいうと父とはまるで違った方へ向いて発達したようにも見えます。父は先祖から譲られた遺産を大事に守って行く篤実一
方の男でした。楽しみには、茶だの花だのをやりました。それから詩集などを読む事も好きでした。書画骨董といった風のものにも、多くの趣
味をもっている様子でした。


こころ
夏目漱石
0027学籍番号:774 氏名:_____
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2014/07/10(木) 08:31:20.46ID:???
しかし自白すると、私はあなたの依頼に対して、まるで努力をしなかったのです。ご承知の通り、交際区域の狭いというよりも、世の中に
たった一人で暮しているといった方が適切なくらいの私には、そういう努力をあえてする余地が全くないのです。


こころ
夏目漱石
0028学籍番号:774 氏名:_____
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2014/07/10(木) 08:36:13.55ID:???
一歩進めていうと、あなたの地位、あなたの糊口(ここう)の資(し)、そんなものは私にとってまるで無意味なのでした。


こころ
夏目漱石
0029学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/07/10(木) 08:39:42.27ID:???
私の衣食の口、そんなものについて先生が手紙を寄こす気遣いはないと、私は初手から信じていた。しかし筆を執ることの嫌いな先生が、どうしてあの事件をこう
長く書いて、私に見せる気になったのだろう。先生はなぜ私の上京するまで待っていられないだろう。
「自由が来たから話す。しかしその自由はまた永久に失われなければならない」
私は心のうちでこう繰り返しながら、その意味を知るに苦しんだ。私は突然不安に襲われた。私はつづいて後を読もうとした。その時病室の方から、私を呼ぶ大き
な兄の声が聞こえた。私はまた驚いて立ち上った。廊下を馳け抜けるようにしてみんなのいる方へ行った。私はいよいよ父の上に最後の瞬間が来たのだと覚悟
した。


こころ
夏目漱石
0030学籍番号:774 氏名:_____
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2014/07/13(日) 09:00:26.94ID:???
 桃太郎は桃の旗を片手に、日の丸の扇を打ち振り打ち振り、犬猿雉の三匹に号令した。犬猿雉の三匹は仲の好い家来ではなかっ
たかも知れない。が、饑えた動物ほど、忠勇無双の兵卒の資格を具えているものはないはずである。彼等は皆あらしのように、逃
げまわる鬼を追いまわした。犬はただ一噛みに鬼の若者を噛み殺した。雉も鋭い嘴に鬼の子供を突き殺した。猿も――猿は我々人
間と親類同志の間がらだけに、鬼の娘を絞殺す前に、必ず凌辱(りょうじょく)を恣(ほしいまま)にした。……


桃太郎
芥川龍之介
0031学籍番号:774 氏名:_____
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2014/07/13(日) 09:07:21.90ID:???
「お前ここへ帰って来て、宅(うち)の事を監理する気がないか」と兄が私を顧みた。私は何とも答えなかった。
「お母さん一人じゃ、どうする事もできないだろう」と兄がまたいった。兄は私を土の臭いを嗅いで朽ちて行っても惜しくないように見ていた。
「本を読むだけなら、田舎でも充分できるし、それに働く必要もなくなるし、ちょうど好(い)いだろう」
「兄さんが帰って来るのが順ですね」と私がいった。
「おれにそんな事ができるものか」と兄は一口に斥(しりぞ)けた。兄の腹の中には、世の中でこれから仕事をしようという気が充ち満ちていた。


こころ
夏目漱石
0032学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/07/14(月) 08:53:40.65ID:???
私はつづいて後(あと)を読もうとした。その時病室の方から、私を呼ぶ大きな兄の声が聞こえた。私はまた驚いて立ち上った。廊下を馳(か)け抜けるようにして
みんなのいる方へ行った。私はいよいよ父の上に最後の瞬間が来たのだと覚悟した。


こころ
夏目漱石
0033学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/07/14(月) 08:55:40.23ID:???
突然「お光お前(まえ)にも色々世話になったね」などと優しい言葉を出す時もあった。母はそういう言葉の前にきっと涙ぐんだ。そうした後
ではまたきっと丈夫であった昔の父をその対照として想(おも)い出すらしかった。
「あんな憐れっぽい事をお言いだがね、あれでもとはずいぶん酷(ひど)かったんだよ」
母は父のために箒(ほうき)で背中をどやされた時の事などを話した。今まで何遍もそれを聞かされた私と兄は、いつもとはまるで違った気
分で、母の言葉を父の記念(かたみ)のように耳へ受け入れた。


こころ
夏目漱石
0034学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/07/16(水) 17:23:12.46ID:???
私は迂闊なのでしょうか。あるいはそうなのかも知れませんが、おそらくその従妹に無頓着であったのが、おもな源因に
なっているのでしょう。私は小供のうちから市にいる叔父の家へ始終遊びに行きました。ただ行くばかりでなく、よくそこに
泊りました。そうしてこの従妹とはその時分から親しかったのです。あなたもご承知でしょう、兄妹の間に恋の成立した例
のないのを。私はこの公認された事実を勝手に布衍(ふえん)しているかも知れないが、始終接触して親しくなり過ぎた男
女の間には、恋に必要な刺戟の起る清新な感じが失われてしまうように考えています。香をかぎ得るのは、香を焚き出し
た瞬間に限るごとく、酒を味わうのは、酒を飲み始めた刹那にあるごとく、恋の衝動にもこういう際どい一点が、時間の上に
存在しているとしか思われないのです。一度平気でそこを通り抜けたら、馴れれば馴れるほど、親しみが増すだけで、恋の
神経はだんだん麻痺して来るだけです。私はどう考え直しても、この従妹を妻にする気にはなれませんでした。


こころ
夏目漱石
0035学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/07/16(水) 17:27:07.14ID:???
 私の世界は掌を翻すように変りました。もっともこれは私に取って始めての経験ではなかったのです。私が十六、七
の時でしたろう、始めて世の中に美しいものがあるという事実を発見した時には、一度にはっと驚きました。何遍も自分
の眼を疑って、何遍も自分の眼を擦(こす)りました。そうして心の中でああ美しいと叫びました。十六、七といえば、男
でも女でも、俗にいう色気の付く頃です。色気の付いた私は世の中にある美しいものの代表者として、始めて女を見る
事ができたのです。今までその存在に少しも気の付かなかった異性に対して、盲目の眼が忽(たちま)ち開いたのです。
それ以来私の天地は全く新しいものとなりました。

こころ
夏目漱石
0036学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/07/16(水) 17:32:03.89ID:???
けれどもそんな家族のうちに、私のようなものが、突然行ったところで、素性の知れない書生さんという名称の
もとに、すぐ拒絶されはしまいかという掛念(けねん)もありました。私は止そうかとも考えました。しかし私は書
生としてそんなに見苦しい服装(なり)はしていませんでした。それから大学の制帽を被っていました。あなたは
笑うでしょう、大学の制帽がどうしたんだといって。けれどもその頃の大学生は今と違って、大分世間に信用の
あったものです。私はその場合この四角な帽子に一種の自信を見出したくらいです。


こころ
夏目漱石
0037学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/07/17(木) 10:01:25.68ID:???
叔父はもし私が主張するなら、私の卒業まで結婚を延ばしてもいいといいました。けれども善は急げという諺もあるから、できるなら今のうちに
祝言(しゅうげん)の盃(さかずき)だけは済ませておきたいともいいました。当人に望みのない私にはどっちにしたって同じ事です。私はまた断
りました。叔父は厭な顔をしました。従妹は泣きました。私に添われないから悲しいのではありません。結婚の申し込みを拒絶されたのが、女と
して辛かったからです。私が従妹を愛していないごとく、従妹も私を愛していない事は、私によく知れていました。私はまた東京へ出ました。


こころ
夏目漱石
0040学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/07/22(火) 20:39:04.69ID:???
 私は奥さんの態度をどっちかに片付(かたづ)けてもらいたかったのです。頭の働きからいえば、それが明
らかな矛盾に違いなかったのです。しかし叔父(おじ)に欺(あざむ)かれた記憶のまだ新しい私は、もう一歩
踏み込んだ疑いを挟(さしはさ)まずにはいられませんでした。私は奥さんのこの態度のどっちかが本当で、
どっちかが偽(いつわ)りだろうと推定しました。そうして判断に迷いました。ただ判断に迷うばかりでなく、何
でそんな妙な事をするかその意味が私には呑み込めなかったのです。理由を考え出そうとしても、考え出せ
ない私は、罪を女という一字に塗(なす)り付けて我慢した事もありました。必竟(ひっきょう)女だからああなの
だ、女というものはどうせ愚なものだ。私の考えは行き詰まればいつでもここへ落ちて来ました。


こころ
夏目漱石
0042学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/05(火) 22:58:16.34ID:???
 我々が首尾よく試験を済ましました時、二人とももう後一年だといって奥さんは喜んでくれました。そういう奥さん
の唯一の誇りとも見られるお嬢さんの卒業も、間もなく来る順になっていたのです。Kは私に向って、女というものは
何にも知らないで学校を出るのだといいました。Kはお嬢さんが学問以外に稽古している縫針だの琴だの活花だのを、
まるで眼中に置いていないようでした。私は彼の迂闊を笑ってやりました。そうして女の価値はそんな所にあるもので
ないという昔の議論をまた彼の前で繰り返しました。彼は別段反駁もしませんでした。その代りなるほどという様子も
見せませんでした。私にはそこが愉快でした。彼のふんといったような調子が、依然として女を軽蔑しているように見
えたからです。女の代表者として私の知っているお嬢さんを、物の数とも思っていないらしかったからです。今から回
顧すると、私のKに対する嫉妬は、その時にもう充分萌していたのです。


こころ
夏目漱石
0043学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/05(火) 23:00:14.70ID:???
私はただでさえKと宅のものが段々親しくなって行くのを見ているのが、余り好(い)い心持ではなかったのです。私が最初希望し
た通りになるのが、何で私の心持を悪くするのかといわれればそれまでです。私は馬鹿に違いないのです。


こころ
夏目漱石
0044学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/05(火) 23:07:24.13ID:???
Kは私より偉大な男でしたけれども、全くここに気が付いていなかったのです。ただ困
難に慣れてしまえば、しまいにその困難は何でもなくなるものだと極(き)めていたらし
いのです。艱苦(かんく)を繰り返せば、繰り返すというだけの功徳(くどく)で、その艱
苦が気にかからなくなる時機に邂逅(めぐりあ)えるものと信じ切っていたらしいのです。


こころ
夏目漱石
0045学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/06(水) 20:02:18.90ID:???
 私はそこに坐って、よく書物をひろげました。Kは何もせずに黙っている方が多かったのです。私にはそれが考えに耽(ふけ)っているのか、景色に
見惚(みと)れているのか、もしくは好きな想像を描いているのか、全く解(わか)らなかったのです。私は時々眼を上げて、Kに何をしているのだと聞き
ました。Kは何もしていないと一口答えるだけでした。私は自分の傍(そば)にこうじっとして坐っているものが、Kでなくって、お嬢さんだったらさぞ愉快
だろうと思う事がよくありました。それだけならまだいいのですが、時にはKの方でも私と同じような希望を抱いて岩の上に坐っているのではないかしら
と忽然(こつぜん)疑い出すのです。すると落ち付いてそこに書物をひろげているのが急に厭になります。私は不意に立ち上ります。そうして遠慮のな
い大きな声を出して怒鳴ります。纏(まと)まった詩だの歌だのを面白そうに吟(ぎん)ずるような手緩(てぬる)い事はできないのです。ただ野蛮人のご
とくにわめくのです。ある時私は突然彼の襟頸(えりくび)を後ろからぐいと攫(つか)みました。こうして海の中へ突き落したらどうするといってKに聞きま
した。Kは動きませんでした。後ろ向きのまま、ちょうど好(い)い、やってくれと答えました。私はすぐ首筋を抑えた手を放しました。


こころ
夏目漱石
0046学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/06(水) 20:04:01.61ID:???
 たしかその翌(あく)る晩の事だと思いますが、二人は宿へ着いて飯を食って、もう寝ようという少し前になってから、急にむずか
しい問題を論じ合い出しました。Kは昨日自分の方から話しかけた日蓮の事について、私が取り合わなかったのを、快く思ってい
なかったのです。精神的に向上心がないものは馬鹿だといって、何だか私をさも軽薄もののようにやり込めるのです。ところが私
の胸にはお嬢さんの事が蟠(わだかま)っていますから、彼の侮蔑に近い言葉をただ笑って受け取る訳にいきません。私は私で
弁解を始めたのです。


こころ
夏目漱石
0047学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/07(木) 00:09:24.49ID:???
私は自分の傍(そば)にこうじっとして坐っているものが、Kでなくって、お嬢さんだったらさぞ愉快
だろうと思う事がよくありました。それだけならまだいいのですが、時にはKの方でも私と同じような
希望を抱いて岩の上に坐っているのではないかしらと忽然(こつぜん)疑い出すのです。


こころ
夏目漱石
0048学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/09(土) 20:33:35.12ID:???
父は一口にいうと、まあマン・オフ・ミーンズとでも評したら好(い)いのでしょう。比較的上品な嗜好をもった田舎紳士だったのです。だから気性から
いうと、闊達な叔父とはよほどの懸隔がありました。それでいて二人はまた妙に仲が好かったのです。父はよく叔父を評して、自分よりも遥かに働き
のある頼もしい人のようにいっていました。自分のように、親から財産を譲られたものは、どうしても固有の材幹が鈍る、つまり世の中と闘う必要がな
いからいけないのだともいっていました。


こころ
夏目漱石
0049学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/09(土) 21:26:23.18ID:???
「みんな善い人ですか」
「別に悪い人間というほどのものもいないようです。大抵田舎者ですから」
「田舎者はなぜ悪くないんですか」

私はこの追窮に苦しんだ。しかし先生は私に返事を考えさせる余裕さえ与えなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間
はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入
れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。そ
れが、いざという間際に、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」


こころ
夏目漱石
0050学籍番号:774 氏名:_____
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2014/08/15(金) 22:41:23.81ID:???
 最初の夏休みにKは国へ帰りませんでした。駒込のある寺の一間を借りて勉強するのだといっていました。私が帰って来たの
は九月上旬でしたが、彼ははたして大観音の傍の汚い寺の中に閉じ籠っていました。彼の座敷は本堂のすぐ傍の狭い室でした
が、彼はそこで自分の思う通りに勉強ができたのを喜んでいるらしく見えました。私はその時彼の生活の段々坊さんらしくなって
行くのを認めたように思います。彼は手頸(てくび)に珠数(じゅず)を懸けていました。私がそれは何のためだと尋ねたら、彼は親
指で一つ二つと勘定する真似をして見せました。彼はこうして日に何遍も珠数の輪を勘定するらしかったのです。ただしその意味
は私には解りません。円い輪になっているものを一粒ずつ数えてゆけば、どこまで数えていっても終局はありません。Kはどんな
所でどんな心持がして、爪繰(つまぐ)る手を留めたでしょう。詰らない事ですが、私はよくそれを思うのです。


こころ
夏目漱石
0051学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/19(火) 18:18:44.10ID:???
私は、彼と向き合うまで、彼の存在にまるで気が付かずにいたのです。私は不意に自分の前が塞(ふさ)がったので偶然
眼を上げた時、始めてそこに立っているKを認めたのです。私はKにどこへ行ったのかと聞きました。Kはちょっとそこまで
といったぎりでした。彼の答えはいつもの通りふんという調子でした。


こころ
夏目漱石
0052学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/19(火) 19:22:37.63ID:???
「貴様は馬鹿だ」と兄が大きな声を出した。代助は俯向いた儘顔を上げなかつた。
「愚図だ」と兄が又云つた。「不断は人並以上に減らず口を敲く癖に、いざと云ふ場合には、丸で唖の様に黙つてゐる。
さうして、陰で親の名誉に関はる様な悪戯をしてゐる。今日迄何の為に教育を受けたのだ」

夏目漱石
それから
0053学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/20(水) 17:21:24.92ID:???
「貴様は馬鹿だ」と兄が大きな声を出した。代助はうつ向いたまま顔を上げなかった。

「愚図だ」と兄が又いった。

「不断は人並以上に減らず口をたたく癖に、いざという場合には、丸でおしの様に黙っている。そうして、陰で
親の名誉に関はる様な悪戯(いたずら)をしている。今日まで何の為に教育を受けたのだ」


それから
夏目漱石
0054学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/20(水) 17:24:30.69ID:???
先生先生と私が尊敬する以上、その人は必ず著名の士でなくてはならないように兄は考えていた。少なくと
も大学の教授ぐらいだろうと推察していた。名もない人、何もしていない人、それがどこに価値をもっている
だろう。兄の腹はこの点において、父と全く同じものであった。けれども父が何もできないから遊んでいるの
だと速断するのに引きかえて、兄は何かやれる能力があるのに、ぶらぶらしているのは詰(つま)らん人間
に限るといった風の口吻(こうふん)を洩(も)らした。


こころ
夏目漱石
0055学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/20(水) 17:26:42.02ID:???
「先生先生というのは一体誰の事だい」と兄が聞いた。
「こないだ話したじゃないか」と私は答えた。私は自分で質問をしておきながら、すぐ他(ひと)の説明を忘
れてしまう兄に対して不快の念を起した。
「聞いた事は聞いたけれども」
兄は必竟(ひっきょう)聞いても解(わか)らないというのであった。私から見ればなにも無理に先生を兄に
理解してもらう必要はなかった。けれども腹は立った。また例の兄らしい所が出て来たと思った。


こころ
夏目漱石
0056学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/20(水) 17:28:40.59ID:???
広い都を根拠地として考えている私は、父や母から見ると、まるで足を空に向けて歩く奇体(きたい)な人間に異なら
なかった。私の方でも、実際そういう人間のような気持を折々起した。私はあからさまに自分の考えを打ち明けるに
は、あまりに距離の懸隔(けんかく)の甚(はなはだ)しい父と母の前に黙然としていた。


こころ
夏目漱石
0057学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/20(水) 17:31:11.99ID:???
買物のうちで一番私を困らせたのは女の半襟(はんえり)であった。小僧にいうと、いくらでも出してはくれるが、さてどれを選んでいいのか、買う段
になっては、ただ迷うだけであった。その上価(あたい)が極めて不定であった。安かろうと思って聞くと、非常に高かったり、高かろうと考えて、聞か
ずにいると、かえって大変安かったりした。あるいはいくら比べて見ても、どこから価格の差違が出るのか見当の付かないのもあった。私は全く弱
らせられた。そうして心のうちで、なぜ先生の奥さんを煩(わずら)わさなかったかを悔いた。


こころ
夏目漱石
0058学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/20(水) 17:33:49.46ID:???
その内年が暮れて春になりました。ある日奥さんがKに歌留多(かるた)をやるから誰か友達を連れて来ないかといった
事があります。するとKはすぐ友達なぞは一人もないと答えたので、奥さんは驚いてしまいました。なるほどKに友達とい
うほどの友達は一人もなかったのです。往来で会った時挨拶をするくらいのものは多少ありましたが、それらだって決し
て歌留多などを取る柄(がら)ではなかったのです。


こころ
夏目漱石
0059学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/20(水) 18:20:07.14ID:???
崩御の報知が伝えられた時、父はその新聞を手にして、「ああ、ああ」といった。
「ああ、ああ、天子様もとうとうおかくれになる。己(おれ)も……」
父はその後をいわなかった。


こころ
夏目漱石
0060学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/20(水) 18:23:04.57ID:???
父が変な黄色いものも嘔(は)いた時、私はかつて先生と奥さんから聞かされた危険を思い出した。「ああして長く寝てい
るんだから胃も悪くなるはずだね」といった母の顔を見て、何も知らないその人の前に涙ぐんだ。


こころ
夏目漱石
0061学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/20(水) 19:01:27.91ID:???
「お前のよく先生先生という方にでもお願いしたら好(い)いじゃないか。こんな時こそ」
母はこうより外(ほか)に先生を解釈する事ができなかった。その先生は私に国へ帰ったら父の生きているうち
に早く財産を分けて貰えと勧める人であった。卒業したから、地位の周旋をしてやろうという人ではなかった。


こころ
夏目漱石
0062学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/20(水) 19:06:36.21ID:???
父は時々囈語(うわこと)をいうようになった。
「乃木大将に済まない。実に面目次第がない。いえ私もすぐお後(あと)から」


こころ
夏目漱石
0063学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/20(水) 19:13:27.66ID:???
近眼の私には、今までそれがよく分らなかったのですが、Kをやり越した後で、その女の顔を見ると、それが宅(うち)のお嬢さん
だったので、私は少なからず驚きました。お嬢さんは心持薄赤い顔をして、私に挨拶をしました。その時分の束髪(そくはつ)は
今と違って廂(ひさし)が出ていないのです、そうして頭の真中に蛇のようにぐるぐる巻きつけてあったものです。私はぼんやり
お嬢さんの頭を見ていましたが、次の瞬間に、どっちか路(みち)を譲らなければならないのだという事に気が付きました。私は
思い切ってどろどろの中へ片足踏(ふ)ん込(ご)みました。そうして比較的通りやすい所を空けて、お嬢さんを渡してやりました。


こころ
夏目漱石
0064学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/20(水) 20:17:21.28ID:???
「どうせ死ぬんだから、旨いものでも食って死ななくっちゃ」
私には旨いものという父の言葉が滑稽にも悲酸(ひさん)にも聞こえた。父は旨いも
のを口に入れられる都には住んでいなかったのである。


こころ
夏目漱石
0065学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/21(木) 08:23:05.21ID:???
こっちでいくら思っても、向うが内心他の人に愛の眼(まなこ)を注いでいるならば、私はそんな女といっしょになるのは厭なのです。世の中
では否応(いやおう)なしに自分の好いた女を嫁に貰って嬉しがっている人もありますが、それは私たちよりよっぽど世間ずれのした男か、さ
もなければ愛の心理がよく呑み込めない鈍物(どんぶつ)のする事と、当時の私は考えていたのです。一度貰ってしまえばどうかこうか落ち
付くものだぐらいの哲理では、承知する事ができないくらい私は熱していました。つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。同時に
もっとも迂遠(うえん)な愛の実際家だったのです。


こころ
夏目漱石
0066学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/22(金) 21:05:27.16ID:???
日本人、ことに日本の若い女は、そんな場合に、相手に気兼(きがね)なく自分の思った通りを遠慮せずに口にするだけ
の勇気に乏しいものと私は見込んでいたのです。


こころ
夏目漱石
0067学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/22(金) 23:32:22.40ID:???
彼は今日まで何一つ自分の力で、先へ突き抜けたという自覚を有っていなかった。
勉強だろうが、運動だろうが、その他何事に限らず本気に遣り掛けて、貫ぬき終せた試がなかった。
生れてからたった一つ行ける所まで行ったのは、大学を卒業した位なものである。


彼岸過迄
夏目漱石
0069学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/27(水) 20:08:19.07ID:???
Kは低い声で勉強かと聞きました。私はちょっと調べものがあるのだと答えました。それでもKはまだその顔を私から放しません。同じ低い調子で
いっしょに散歩をしないかというのです。私は少し待っていればしてもいいと答えました。彼は待っているといったまま、すぐ私の前の空席に腰をお
ろしました。すると私は気が散って急に雑誌が読めなくなりました。何だかKの胸に一物(いちもつ)があって、談判でもしに来られたように思われ
て仕方がないのです。私はやむをえず読みかけた雑誌を伏せて、立ち上がろうとしました。Kは落ち付き払ってもう済んだのかと聞きます。私は
どうでもいいのだと答えて、雑誌を返すと共に、Kと図書館を出ました。


こころ
夏目漱石
0070学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/27(水) 20:09:55.79ID:???
ある日私は久しぶりに学校の図書館に入りました。私は広い机の片隅で窓から射す光線を半身に受けながら、新着の外国雑誌を、あちらこちらと引っ繰り返して見
ていました。私は担任教師から専攻の学科に関して、次の週までにある事項を調べて来いと命ぜられたのです。しかし私に必要な事柄がなかなか見付からないの
で、私は二度も三度も雑誌を借り替えなければなりませんでした。最後に私はやっと自分に必要な論文を探し出して、一心にそれを読み出しました。


こころ
夏目漱石
0071学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/27(水) 20:12:22.31ID:???
そうして人間の胸の中に装置された複雑な器械が、時計の針のように、明瞭に偽りなく、盤上の数字を指し得るものだろうかと考えました。


こころ
夏目漱石
0072学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/28(木) 00:07:35.34ID:???
二人は別に行く所もなかったので、竜岡町(たつおかちょう)から池の端(はた)へ出て、上野の公園の中へ入りました。


こころ
夏目漱石
0073学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/08/28(木) 00:09:16.19ID:???
実際彼の表情には苦しそうなところがありありと見えていました。もし相手がお嬢さんでなかったならば、私はどんなに彼に都合のいい
返事を、その渇(かわ)き切った顔の上に慈雨の如く注いでやったか分りません。私はそのくらいの美しい同情をもって生れて来た人間
と自分ながら信じています。しかしその時の私は違っていました。


こころ
夏目漱石
0074学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/09/03(水) 19:37:58.82ID:???
「しかし気を付けないといけない。恋は罪悪なんだから。私の所では満足が得られない代りに危険もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」
私は想像で知っていた。しかし事実としては知らなかった。いずれにしても先生のいう罪悪という意味は朦朧(もうろう)としてよく解(わか)らなかった。その上私は少し不愉快になった。


こころ
夏目漱石
0075学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/09/03(水) 19:44:45.94ID:???
「妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいやしない」
先生がどんなに苦しんでいるか、これも私には想像の及ばない問題であった。


こころ
夏目漱石
0076学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/09/04(木) 00:31:17.10ID:???
日蓮は草日蓮(そうにちれん)といわれるくらいで、草書が大変上手であったと坊さんがいった時、字の拙(まず)いKは、何だ下らないという顔をしたのを私
はまだ覚えています。Kはそんな事よりも、もっと深い意味の日蓮が知りたかったのでしょう。坊さんがその点でKを満足させたかどうかは疑問ですが、彼
は寺の境内を出ると、しきりに私に向って日蓮の事を云々し出しました。私は暑くて草臥(くたび)れて、それどころではありませんでしたから、ただ口の先で
好(い)い加減な挨拶をしていました。それも面倒になってしまいには全く黙ってしまったのです。


こころ
夏目漱石
0078学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/09/05(金) 20:26:17.58ID:???
おい天麩羅を持ってこいと大きな声を出した。するとこの時まで隅の方に三人かたまって、何かつるつる、ちゅうちゅう食ってた連中が、ひとし
くおれの方を見た。部屋が暗いので、ちょっと気がつかなかったが顔を合せると、みんな学校の生徒である。先方で挨拶をしたから、おれも挨
拶をした。その晩は久し振に蕎麦を食ったので、旨(うま)かったから天麩羅を四杯平(たいら)げた。


坊っちゃん
夏目漱石
0079学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/09/05(金) 20:31:26.37ID:???
ある日の晩大町と云う所を散歩していたら郵便局の隣りに蕎麦とかいて、下に東京と注を加えた看板があった。おれは蕎麦が大好き
である。東京に居った時でも蕎麦屋の前を通って薬味の香いをかぐと、どうしても暖簾がくぐりたくなった。今日までは数学と骨董で蕎
麦を忘れていたが、こうして看板を見ると素通りが出来なくなる。ついでだから一杯食って行こうと思って上がり込んだ。見ると看板ほ
どでもない。東京と断わる以上はもう少し奇麗にしそうなものだが、東京を知らないのか、金がないのか、滅法きたない。畳は色が変っ
てお負けに砂でざらざらしている。壁は煤(すす)で真黒だ。天井はランプの油烟で燻ぼってるのみか、低くって、思わず首を縮めるくら
いだ。ただ麗々と蕎麦の名前をかいて張り付けたねだん付けだけは全く新しい。何でも古いうちを買って二三日前から開業したに違い
なかろう。ねだん付の第一号に天麩羅とある。


坊っちゃん
夏目漱石
0080学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/09/08(月) 08:24:37.32ID:???
「今度は西洋人が一人水に浸っています。あとから若い女が出て来ました。その女が波の中に立って、二階に残っているもう一人の西洋人を呼び
ます。『ユー、カム、ヒヤ』と云って英語を使います。『イット、イズ、ヴェリ、ナイス、イン、ウォーター』と云うような事をしきりに申します。その英語は
なかなか達者で流暢で羨ましいくらい旨く出ます。僕はとても及ばないと思って感心して聞いていました。


彼岸過迄
夏目漱石
0081学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/09/10(水) 00:13:50.93ID:???
すると彼は卒然(そつぜん)「覚悟?」と聞きました。そうして私がまだ何とも答えない先に「覚悟、――覚悟ならない事もない」と付け加えました。彼の調子は
独言(ひとりごと)のようでした。また夢の中の言葉のようでした。


こころ
夏目漱石
0082学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/09/17(水) 01:09:57.92ID:???
上野(うえの)から帰った晩は、私に取って比較的安静な夜でした。私はKが室へ引き上げたあとを追い懸けて、彼の机の傍(そば)に坐り込みました。そうして取り
留めもない世間話をわざと彼に仕向けました。彼は迷惑そうでした。私の眼には勝利の色が多少輝いていたでしょう、私の声にはたしかに得意の響きがあったの
です。私はしばらくKと一つ火鉢に手を翳(かざ)した後、自分の室に帰りました。外(ほか)の事にかけては何をしても彼に及ばなかった私も、その時だけは恐るる
に足りないという自覚を彼に対してもっていたのです。


こころ
夏目漱石
0083学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/09/17(水) 19:20:35.77ID:???
「事実で差支(さしつか)えありませんが、私の伺いたいのは、いざという間際という意味なんです。一体どんな場合を指すのですか」
先生は笑い出した。あたかも時機の過ぎた今、もう熱心に説明する張合いがないといった風に。
「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」


こころ
夏目漱石
0084学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/09/18(木) 10:04:05.23ID:???
医者の説明を聞くと、人間の胃袋ほど横着なものはないそうです。粥ばかり食っていると、それ以上の堅いものを消化(こな)す力がいつの間にかなくなってしまう
のだそうです。だから何でも食う稽古をしておけと医者はいうのです。

こころ
夏目漱石
0085学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/10/01(水) 23:23:00.67ID:???
私は突然「奥さん、お嬢さんを私に下さい」といいました。奥さんは私の予期してかかったほど驚いた様子も見せませんでしたが、それで
も少時(しばらく)返事ができなかったものと見えて、黙って私の顔を眺めていました。一度いい出した私は、いくら顔を見られても、それに
頓着(とんじゃく)などはしていられません。「下さい、ぜひ下さい」といいました。「私の妻としてぜひ下さい」といいました。奥さんは年を取っ
ているだけに、私よりもずっと落ち付いていました。「上げてもいいが、あんまり急じゃありませんか」と聞くのです。私が「急に貰(もら)いた
いのだ」とすぐ答えたら笑い出しました。そうして「よく考えたのですか」と念を押すのです。私はいい出したのは突然でも、考えたのは突然
でないという訳を強い言葉で説明しました。


こころ
夏目漱石
0086学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/10/08(水) 23:03:26.85ID:???
五、六日経った後、奥さんは突然私に向って、Kにあの事を話したかと聞くのです。私はまだ話さないと答えました。すると
なぜ話さないのかと、奥さんが私を詰(なじ)るのです。私はこの問いの前に固くなりました。その時奥さんが私を驚かした
言葉を、私は今でも忘れずに覚えています。
「道理で妾(わたし)が話したら変な顔をしていましたよ。あなたもよくないじゃありませんか。平生(へいぜい)あんなに親しく
している間柄だのに、黙って知らん顔をしているのは」
 私はKがその時何かいいはしなかったかと奥さんに聞きました。奥さんは別段何にもいわないと答えました。しかし私は進
んでもっと細かい事を尋ねずにはいられませんでした。奥さんは固(もと)より何も隠す訳がありません。大した話もないが
といいながら、一々Kの様子を語って聞かせてくれました。
 奥さんのいうところを綜合して考えてみると、Kはこの最後の打撃を、最も落ち付いた驚きをもって迎えたらしいのです。
Kはお嬢さんと私との間に結ばれた新しい関係について、最初はそうですかとただ一口いっただけだったそうです。しかし奥
さんが、「あなたも喜んで下さい」と述べた時、彼ははじめて奥さんの顔を見て微笑を洩らしながら、「おめでとうございま
す」といったまま席を立ったそうです。そうして茶の間の障子を開ける前に、また奥さんを振り返って、「結婚はいつですか
」と聞いたそうです。それから「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」といったそうです。奥
さんの前に坐っていた私は、その話を聞いて胸が塞るような苦しさを覚えました。


こころ
夏目漱石
0087学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/10/09(木) 09:26:36.46ID:???
「先生先生というのは一体誰の事だい」と兄が聞いた。
「こないだ話したじゃないか」と私は答えた。私は自分で質問をしておきながら、すぐ他(ひと)の説明を忘れてしまう兄に対して不快の念を起した。


こころ
夏目漱石
0088学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/10/14(火) 19:57:50.82ID:???
夏目漱石 「紀元節」永日小品

南向きの部屋であつた。明かるい方を背中にした三十人ばかりの小供が黒い頭を揃へて、塗板を眺めてゐると、廊下から先生が這入つて來た。先生は背の低い、眼の大きい、瘠せた男で、
顎から頬へ掛けて、髯が爺汚く生えかかつてゐた。さうしてそのざらざらした顎の觸る着物の襟が薄黒く垢附いて見えた。この着物と、この髯の不精に延びるのと、それから、かつて小言を
云つた事がないのとで、先生はみなから馬鹿にされてゐた。
先生はやがて、白墨を取つて、黒板に記元節と大きく書いた。小供はみんな黒い頭を机の上に押しつけるやうにして、作文を書き出した。先生は低い背を伸ばして、一同を見廻してゐたが、
やがて廊下傳ひに部屋を出て行つた。
すると、後から三番目の机の中ほどにゐた小供が、席を立つて先生の洋卓の傍へ來て、先生の使つた白墨を取つて、塗板に書いてある記元節の記の字へ棒を引いて、その傍へ新しく紀と
肉太に書いた。ほかの小供は笑ひもせずに驚いて見てゐた。さきの小供が席へ歸つて暫く立つと、先生も部屋へ歸つて來た。さうして塗板に氣がついた。
「誰か記を紀と直したやうだが、記と書いても好いんですよ」と云つてまた一同を見廻した。一同は默つてゐた。
記を紀と直したものは自分である。明治四十二年の今日でも、それを思ひ出すと下等な心持がしてならない。さうして、あれが爺むさい福田先生でなくつて、みんなの怖がつてゐた校長先生
であればよかつたと思はない事はない。
0089学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/10/19(日) 22:54:12.85ID:???
「君は今あの男と女を見て、冷評(ひやか)しましたね。あの冷評のうちには君が恋を求めながら相手を得られないという不快の声が交っていましょう」
「そんな風に聞こえましたか」
「聞こえました。恋の満足を味わっている人はもっと暖かい声を出すものです。しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。解(わか)っていますか」
私は急に驚かされた。何とも返事をしなかった。


こころ
夏目漱石
0090学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/10/21(火) 19:00:27.94ID:???
その時私の受けた第一の感じは、Kから突然恋の自白を聞かされた時のそれとほぼ同じでした。私の眼は彼の室の中を一目見るや否や、あたかも硝子で作った義眼のように、動く能力を失い
ました。私は棒立ちに立ち竦(すく)みました。それが疾風のごとく私を通過したあとで、私はまたああ失策(しま)ったと思いました。もう取り返しが付かないという黒い光が、私の未来を貫いて、一
瞬間に私の前に横たわる全生涯を物凄(ものすご)く照らしました。そうして私はがたがた顫(ふる)え出したのです。

こころ
夏目漱石
0092学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/10/21(火) 19:03:18.19ID:???
私はおいといって声を掛けました。しかし何の答えもありません。おいどうかしたのかと私はまたKを呼びました。それでもKの
身体(からだ)は些(ちっ)とも動きません。私はすぐ起き上って、敷居際(しきいぎわ)まで行きました。そこから彼の室の様子
を、暗い洋燈(ランプ)の光で見廻(みまわ)してみました。


こころ
夏目漱石
0093学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/10/21(火) 19:04:05.55ID:???
自分は薄志弱行(はくしじゃっこう)で到底行先(ゆくさき)の望みがないから、自殺するというだけなのです。


こころ
夏目漱石
0094学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/10/21(火) 19:05:03.76ID:???
しかし私のもっとも痛切に感じたのは、最後に墨(すみ)の余りで書き添えたらしく見える、もっと早く死ぬべきだの
になぜ今まで生きていたのだろうという意味の文句でした。


こころ
夏目漱石
0095学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/10/22(水) 17:18:31.72ID:???
「私は突然Kの頭を抱えるように両手で少し持ち上げました。私はKの死顔が一目見たかったのです。しかし俯伏(うつぶ)しになっている彼の
顔を、こうして下から覗(のぞ)き込んだ時、私はすぐその手を放してしまいました。慄(ぞっ)としたばかりではないのです。彼の頭が非常に重
たく感ぜられたのです。私は上から今触った冷たい耳と、平生(へいぜい)に変らない五分刈(ごぶがり)の濃い髪の毛を少時(しばらく)眺めて
いました。私は少しも泣く気にはなれませんでした。私はただ恐ろしかったのです。そうしてその恐ろしさは、眼の前の光景が官能を刺激して起
る単調な恐ろしさばかりではありません。私は忽然(こつぜん)と冷たくなったこの友達によって暗示された運命の恐ろしさを深く感じたのです。


こころ
夏目漱石
0096学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/10/22(水) 17:20:25.30ID:???
 私はその間に自分の室の洋燈(ランプ)を点けました。それから時計を折々見ました。その時の時計ほど埒(らち)の明かない遅いものは
ありませんでした。私の起きた時間は、正確に分らないのですけれども、もう夜明(よあけ)に間(ま)もなかった事だけは明らかです。ぐるぐ
る廻(まわ)りながら、その夜明を待ち焦(こが)れた私は、永久に暗い夜が続くのではなかろうかという思いに悩まされました。


こころ
夏目漱石
0097学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/10/22(水) 17:22:05.30ID:???
私はどうかしなければならないと思いました。同時にもうどうする事もできないのだと思いました。
座敷の中をぐるぐる廻らなければいられなくなったのです。檻(おり)の中へ入れられた熊のよう
な態度で。


こころ
夏目漱石
0098学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/10/22(水) 17:23:25.54ID:???
その時私は突然奥さんの前へ手を突いて頭を下げました。「済みません。私が悪かったのです。あなたに
もお嬢さんにも済まない事になりました」と詫(あや)まりました。


こころ
夏目漱石
0099学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/10/28(火) 17:30:10.41ID:???
Kは小さなナイフで頸動脈を切って一息に死んでしまったのです。外(ほか)に創(きず)らしいものは何にもありませんでした。私が夢の
ような薄暗い灯(ひ)で見た唐紙の血潮は、彼の頸筋(くびすじ)から一度に迸(ほとばし)ったものと知れました。私は日中の光で明らか
にその迹(あと)を再び眺めました。そうして人間の血の勢いというものの劇(はげ)しいのに驚きました。


こころ

夏目漱石
0100学籍番号:774 氏名:_____
垢版 |
2014/10/28(火) 17:31:21.12ID:???
私はそれでも昨夜(ゆうべ)の物凄(ものすご)い有様を見せずに済んでまだよかったと心のうちで思いました。若い美しい
人に恐ろしいものを見せると、折角の美しさが、そのために破壊されてしまいそうで私は怖かったのです。

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