マリッシュ&パートナーズ
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交通面はどうでしょうか。「田無」から「高田馬場」26分、「西武新宿」30分。「高田馬場」にてJR山手線乗換えで、
「新宿」39分、「渋谷」46分、「池袋」38分。東京メトロ東西線乗換えで「大手町」50分(所要時間は「田無」を
平日8時に出発した場合の目安)。都心1時間圏内ですが、相互乗入れする路線がなく、他路線よりも見劣りするところです。
買い物環境はどうでしょうか。駅周辺のスーパーは「リヴィン田無店(運営:西友)」のほか、「成城石井」、
駅北口徒歩8分のところに「オリンピック」。大手ドラッグストアチェーン店は北口に1店あります。
日常の買い物であれば、北口が圧倒的に便利です。
飲食店はどうでしょうか。リーズナブルで単身でも利用しやすい、ファストフードやファミレス、牛丼店、定食店など、
お馴染みの飲食チェーン店は北口に集中。南口の飲食店は個店中心です。外食がメインの人は、気軽に利用できる店の
多い、北口のほうが何かと便利かもしれません。
2001年に2つの市が合併し誕生した、西東京市の中心駅である「田無」。再開発で整然としている北口に対して雑多な
南口と、出口によってずいぶんと雰囲気が違います。またチェーン店が多い北口に対して、南口は個店が中心。
地元民でない単身者であれば、気軽に利用できる店の多い、北口に住むほうが正解といえるかもしれません。
ただ山手線と接続する私鉄路線にしては珍しく、西武新宿線は地下鉄との相互乗り入れがなく、交通の利便性で
どうしても見劣りします。その分、家賃は他路線よりもリーズナブルです。利便性をとるか、家賃をとるか。
判断が分かれるところです。
GGO編集部 最後の夏を迎えるとしまえん残される西武豊島線の今後は?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200727-00000006-pseven-bus_all
7/27(月) 7:05配信
部分開園から94年、約1世紀の歴史を積み重ねた東京23区の北西部、練馬区にある「としまえん」は
2020年8月31日で閉園する。大きな施設が閉鎖になると、人の流れが変わるために公共交通機関の運行状況
が変わることがある。最寄りの豊島園駅には、わずか1.0キロの路線「西武豊島線」が走っている。
としまえん閉園で西武豊島線の今後はどうなるのか、ライターの小川裕夫氏がレポートする。
***
今年6月、としまえんが閉園を発表した。東京・練馬区にあるとしまえんは、1926年に開園。
都心から近いレジャースポットとして、長らく東京都民や埼玉県民に親しまれてきた。
今般、千葉県浦安市の東京ディズニーリゾートや大阪府大阪市のユニバーサル・スタジオ・ジャパンなど
大型テーマパークが人気を博し、従来の遊園地は苦戦が続いていた。
100年近い歴史を有する老舗遊園地も例外ではなく、そうした遊園地がまたひとつ消える。
ネットをはじめとして、としまえんの閉園を惜しむ声はあちこちから聞こえてくる。
としまえんは、2011年の東日本大震災を機に閉園が検討された。そして、東京都が計画を進める防災公園
として園地の一部を再整備する方針が固まる。買収交渉は難航したが、このほど協議がまとまる。
それが正式な閉園発表につながった。一部は防災公園に、残りは完全に決まったわけではないが、
ハリー・ポッターのテーマパークになると報道されている。
現在、としまえんは西武鉄道のグループ企業になっているが、開園当初の豊島園は実業家の藤田好三郎
が個人で所有していた。もともと練馬城址で、そこを藤田が庭園として再整備した。再整備された広大な
一画は、藤田の意向により豊島園として一般公開される。
風光明媚な遊園地はたちまち評判になる。また、運動場・音楽堂・園芸施設・船型の乗り物で斜面を
駆け下りて池に飛び込むウォーターシュートなどがあり、物珍しさも話題を呼ぶには十分だった。
こうして、近隣から多くの行楽客を集める。 1927年、武蔵野鉄道(現・西武鉄道)が支線・豊島線を開業させたことが豊島園にとって大きな
ターニングポイントになった。練馬駅から一駅だけ分岐した豊島園駅は、豊島園の目の前に開設された。
わずか1キロメートルの支線だが、同路線が開設されたことによって遊園地までのアクセスは飛躍的に向上。
豊島園の来園者も、武蔵野鉄道の利用者も急増した。
豊島園の来園者によって、武蔵野鉄道の利用者は増加。それでも、武蔵野鉄道の経営は安定しなかった。
他方、藤田が開園させた豊島園は武蔵野鉄道との資本関係がない独立経営の遊園地だったために相乗効果
を発揮できなかった。それが豊島園と武蔵野鉄道の経営を逼迫させた。
武蔵野鉄道を救済するべく、堤康次郎が率いる箱根土地(現・プリンスホテル)が手を挙げる。
こうして箱根土地が武蔵野鉄道の経営再建を手がけていくことになるが、箱根土地は集客力のある豊島園も
傘下に収めて相乗効果を図った。
こうした歴史的な流れもあり、としまえんと西武は切っても切り離せない関係になった。両者の深い関係は、
西武池袋線のターミナルとなっている池袋駅からは豊島線に直通する電車が走っていることからも窺える。
池袋駅からの直通電車に乗れば、池袋線と豊島線が分岐する練馬駅で乗り換える手間がいらない。
そうした便宜を図るほど、としまえんは西武にとって大きな存在でもある。
それだけに、としまえんの閉園は西武に大きな打撃を与えることが予想される。しかし、
「としまえんの閉園は残念ですが、閉園しても、すぐに豊島線の利用者が減少するとは考えていません。
そのため、閉園後も豊島線を廃止することはありません。また、豊島園駅という駅名を変更する予定も
ありません」と断言するのは、西武鉄道広報部の担当者だ。
西武にとって、としまえんが集客力の大きい遊園地であることは間違いない。そ
れがなくなるのは豊島線にとって痛手だろう。
しかし、としまえんの隣には、西武グループが経営する温浴施設「豊島園 庭の湯」が2003年にオープンした。
また、西武系列ではないものの、駅前にはシネマコンプレックス「ユナイテッド・シネマとしまえん」もある。 豊島園駅という駅名もあって、としまえんばかりがクローズアップされるが、こうした諸施設に足を運ぶ客も
豊島園駅を利用している。としまえんの来園者ばかりが豊島園駅を使っているわけではないのだ。
こうしたレジャースポットが点在していることに加え、豊島園駅の周辺はここ数十年で宅地化が進んだ。
宅地化により沿線人口は増え、そこに居住する住民たちが豊島線を通勤・通学路線として利用している。
動線としては、池袋駅方面の利用者が多い。そうした背景もあり、
「としまえん閉園後も豊島園駅?池袋駅間を走る直通電車をなくすことは検討していません。
また、運転本数を減らすなどの話も出ていません。仮に運転本数を減らすにしても、ダイヤ改正のタイミング
になると思いますが、今のところダイヤ改正の予定はありません」(同)
今年、としまえんは最後の夏を迎える。コロナ禍でいったん営業を休止したものの、現在は営業再開した。
夏休みはかきいれ時ではあるものの、「密を避けるために入園者は通常時の半分ぐらいまでに制限しています」
(豊島園広報部)という。
回転木馬のカルーセルエルドラドやジェットコースターのサイクロン、アドベンチャーゾーンのアフリカ館
など、としまえんにはたくさん思い出が詰まっていることだろう。それだけに、別れを惜しむファンが
最後に押し寄せることも想定される。コロナ禍において、それを阻む入園制限は仕方のない措置ではある。
としまえんの閉園で周辺からにぎわいが薄れてしまうことは避けられないが、住民の足・来園者の足として
利用されてきた豊島線は、これからも変わらずに走り続ける。 鉄道とホテルの二重苦、西武の「現状打破」戦略
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200727-00364539-toyo-bus_all
7/27(月) 5:20配信
新型コロナウイルスが鉄道各社の経営を直撃し、どの会社も株価が低迷している。
中でも株価が大きく落ち込んでいるのが西武ホールディングス(HD)だ。
7月22日の株価は1056円で年初来下落率は42%。同業他社と比べても苦戦を強いられている。
4〜5月の在宅勤務やテレワークの進展で、西武鉄道の旅客運輸収入は大きく落ち込んだ。
しかし、通勤定期客に限れば、電車には乗らなくても定期券は保持している人が多いため、落ち込みの度合いは小さい。
西武の鉄道業における4〜5月の通勤定期の収入も前年比2割減レベルにとどまっている。
定期外客を含む鉄道業全体の収入は5割減程度。見かけほどは減少していない。
ところが、西武HDにとって鉄道と並ぶ売り上げの柱であるホテル業は4月の宿泊客数が前年比93%減、
5月が97%減というありさまだ。これまでホテルの高稼働に大きく貢献してきたインバウンド需要は当面は期待薄。
ほかの鉄道会社と比べホテル業のウエイトが高い西武HDの株価が低迷するのはある意味で当然の帰結ともいえる。
このような状況下において、同社の後藤高志社長は、「当社はこれまでもピンチをチャンスと捉え、
企業価値を高めてきた」と話し、今後の経営に自信を示す。西武HDは、今回のコロナ禍にどのようなビジネス
チャンスを見出そうとしているのか。7月初めに行った後藤社長へのインタビューを手がかりに、将来像を解きほぐす。
■「リモート披露宴」に意気込み
ホテル業で後藤社長が「ぜひやりたい」と意気込むのが、「リモート披露宴」である。
新郎と新婦が都内のプリンスホテルで披露宴を行う場合、これまでなら、新郎と新婦の親族・友人が全国から
上京して一同に介していたが、リモート披露宴の場合は、親族・友人は最寄りのプリンスホテルに集まる。
主会場とサブ会場がネットでつながり、全国のホテルからいろいろな人に「おめでとう」と言ってもらう。
オンライン飲み会の拡大版と考えればわかりやすい。 後藤社長は「全国にネットワークがあるプリンスホテルならではのアイデア。ほかのホテルとの差別化という意味
では非常に有力」と自信を示す。地方在住者が都内のプリンスホテルに泊まらないので収入減になる可能性もあるが、
各地のプリンスホテルで宴会場を利用してもらえるというメリットのほうが上回ると後藤社長は考えている。
品川プリンスホテルではビュッフェ形式のレストラン「リュクスダイニングハプナ」の営業を7月15日から
再開したが、ここにも変革の取り組みがある。同レストランは1994年の開業以来、「行列のできるレストラン」
として人気を博してきたが、「ウィズコロナ」の時代には大勢の客がビュッフェコーナーに出向いて自分で
料理を皿に盛るというスタイルに抵抗を示す人も出かねない。そこで、プリンスホテルでは、前菜、パン、和食、洋食、
中華、デザート、ドリンクといったさまざまなワゴンが各テーブルを回り、スタッフが料理を取り分けるスタイルに変更したのだ。
「好きなときに好きなものを好きなだけ食べられるというビュッフェのよさと安全をどう両立させるかを
考えた結果、新しいスタイルが生まれた」とプリンスホテルの武井久昌専務執行役員は話す。
点心がワゴンで運ばれる香港の飲茶がヒントになったという。「料理を自分の席で選べるので、お客様
どうしの会話が中断されることもありません」と、プリンスホテルのスタッフがメリットを説明する。
料金はディナーが大人6500円からで従来比で300円値上がりした。ワゴンを押すスタッフの人件費が
かさんだのかと思ったら、「既存のスタッフで回しており、人数は増やしていない。
価格改定は食材のクオリティーを高めた結果だ」とのことだった。
営業開始日の前日にあたる14日に催された発表会では、本来なら最初の段階でやってくるべきパンの
ワゴンが最後のほうに来るなどオペレーションの乱れも散見されたが、「この日は100人を超える報道陣が
一度に着席したのでテーブルによってはワゴンの順序が前後したかもしれないが、15日以降は予約制なので、
お客様のニーズに合わせて料理を提供できる」という。
今後、ほかのプリンスホテルのビュッフェレストランでもワゴンによる料理の提供を検討するという。
コロナによって、新たなビュッフェのスタイルが生まれた。 ■旅客減を補うシェアオフィス事業
ホテル業だけではない。鉄道業では旅客の減少を補う方策として後藤社長が注目しているのが、シェアオフィスだ。
西武グループが練馬駅の2階に開業したシェアオフィス「emiffice(エミフィス)」の稼動率が上がっているという。
エミフィスは2019年9月に開業。アフタースクール(学童保育)を併設し、子どもを見守りながら落ち着いて仕事
ができるのが特徴だ。「子どもが自宅にいると在宅では仕事に集中できず、ストレスがたまるという人にとっては、
シェアオフィスのニーズは高い」と、後藤社長は説明する。また、西武新宿線で連続立体交差事業が進んでいること
から、今後高架下の開発余地が生まれる。これらのスペールをシェアオフィスとして活用していくことも検討するという。
有料着席列車、いわゆる通勤ライナーの今後については2つの見方がある。
テレワークが進むと電車の中で仕事をする人が増え、需要が増えるという見方と、時差通勤が進んで通常の
通勤列車でも座れるようになり需要が減るという見方だ。
後藤社長は、「両方考えられる」と言う。西武は横長のロングシートの座席を特急列車のようなクロスシート
の座席に転換できる40000系という車両を2017年から導入しているが、こうした通常の列車と通勤ライナーの
両方に使える列車をこれからも投入していきたいという。
■としまえん跡地はどうなるか
西武HDの今後で注目されるのが、8月末で閉園する「としまえん」のその後の活用方法だ。東京都はとしまえん
を中心としたエリアを防災公園にする計画だが、一部のエリアに民間のスタジオツアー施設の開設が検討されている。
6月12日にワーナー・ブラザースの日本法人と都、練馬区、伊藤忠商事、西武HDの間で覚書が締結された。
どのようなスタジオツアーになるかは明らかにされていないが、ワーナー・ブラザースはロンドンで
「ハリー・ポッター」のスタジオツアーを行っていることを考えると、としまえん跡地がハリポタの
スタジオツアーとして生まれ変わるとみてよいだろう。 「最期の優良銘柄」東京メトロ、ついに株式上場かコロナと五輪延期で高まる期待〈週刊朝日〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200727-00000045-sasahi-life
7/28(火) 8:00配信
東京地下鉄(東京メトロ)が株式を上場するという観測が高まりつつある。
新型コロナウイルス対策や東京五輪の延期に伴って費用がふくらむため、同社の大株主である国と東京都が、
上場によって見込める保有株の売却益をその財源に充てるのではないかという見方が出てきた。
東京メトロ株は、国が53.4%、都が46.6%をそれぞれ保有する。メトロの準拠法が「できる限り速やかに」
株式を手放すよう定めているのに加え、東日本大震災の復興財源確保法も、国に対し、株を売って得た収入
を復興財源に充当するよう求めている。そのため、もともと株式上場への期待はあった。
そんな中で浮上したのが、今回の財源不足への懸念だ。鉄道ジャーナリストの梅原淳さんは
「国や都が財源を確保する手段は限られ、上場の必要性は高まるでしょう」とにらむ。
「これまでのコロナ対策で都の『貯金』にあたる財政調整基金は大きく減りました。
感染拡大が収まらなければ、五輪の開催時期もさらに先延ばしされて延期費用がふくらんでいく可能性もあります。
東京メトロの“完全民営化”に、より目が向けられやすくなるのではないでしょうか」
ただ、上場に向けては課題も多い。国は復興財源の確保に向け、売却自体には前向きだとみられる一方、
都はメトロへの影響力を一定程度、維持しておきたい意向が強いとされる。都の担当者はこう話す。
「都内の交通ネットワークのさらなる拡充とサービスの向上が重要だと考えており、その中で東京メトロ
は大事な役割を果たすと考えています。同社株式の保有についても、こうした状況を総合的に勘案しながら
検討していきたい」
先の通常国会では復興関連法が改正。震災の復興財源にあてるために国のメトロ株を売却する期限が、
2022年度から27年度へ5年延びた。上場時期は遠のいたようにも映るが、そう簡単ではなさそうだ。
コロナ対策で震災の復興が後回しにされるようなことがあれば批判も予想され、そもそも政府が見積もる
復興財源は、日本郵政株の売却が計画通りに進んでいないことなどから不足しているからだ。 前出の梅原さんは、コロナ後の急落から持ち直しつつある最近の株式市場に注目する。
「上場するなら当然、株価が比較的高い水準にあるタイミングが有利です。いまは日本銀行の緩和策などで
下支えされているとも言われていますが、これからは企業の業績が一段と下がり、雇用環境も悪化していく
と考えられています。いつまでいまの水準が続くかわかりません」
東京メトロは、鉄道会社のなかでも収益力が高い優良銘柄だ。
コロナの影響を受けたため20年3月期決算は、営業収益(売上高に相当)が前年比0・4%減の4331億円、
純利益が15・3%減の513億円。減収減益となったが、本業を通じて「稼ぐ力」を示す営業利益率は20%近く、
業界で高い水準にある。売上高が3兆円近いJR東日本や1兆円超の東京急行電鉄など、ほかの鉄道大手より
事業規模こそ小さいものの、乗客の多い都心部を走るため利益率が高いのだ。上場した場合の時価総額は
「1兆円を超える」(市場関係者)との見方もある。
コロナ感染が再び広がるなか、鉄道民営化による「最後の優良案件」の動向に目が離せない。
(本誌・池田正史)
*週刊朝日オンライン限定記事 JR東日本が時間帯別運賃の導入を検討事実上の値上げになる可能性も
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200728-00010001-wordleaf-bus_all
7/28(火) 6:30配信
新型コロナウイルスの影響で鉄道会社の収益が大幅に低下しています。
こうした中、JR東日本は時間帯別運賃の導入検討を表明しました。ラッシュ時間帯の運賃
を高くすることで、通勤の分散化を図る意向ですが、背景には総収入の低下を防ぎたい
との意図があります。場合によっては事実上の大幅値上げになる可能性もあり得るでしょう。
■鉄道営業収入が大幅減
コロナ危機の発生以降、非常事態宣言が発令されたことや、国民の自主的な外出抑制、テレワーク
への移行などによって鉄道を利用する人の数は大幅に減少しています。JR東日本の月別の鉄道営業収入
は、4月が前年同月比76%減、5月は71%減となっており、自粛が緩和されたかに見えた6月も46%減
と低く推移しています。政府は観光や旅行を回復させようと需要喚起政策である「Go To トラベル」
キャンペーンを開始しましたが、多くの国民は依然として外出に抑制的となっており、効果を発揮
しない可能性も指摘されています。
こうした中、JR東日本は、運賃制度の見直しに向けた議論に着手する方針を表明しました。
具体的な手法としては、ラッシュ時間帯に運賃を高くするといった仕組みが検討されています。
JR東日本が運賃体系の変更を検討する最大の理由は、今後の鉄道の利用見通しです。現時点において
鉄道各社は旅客数の減少に見舞われていますが、同社の深沢祐二社長は「以前のように利用客は
戻らないと思う」という見解を示しています。つまり、現時点での減収は一時的なものではなく、
今後も中長期にわたって利用者の減少が続くと予想しているわけです。 当然のことながら、鉄道会社は現時点での利用者数を前提に経営を行っていますから、
長期的な見通しが変わる場合には、そのビジネスモデルも大きく変えなければなりません。
鉄道はインフラ事業ですから、短期的に大胆なコスト削減はできませんから、収益低下を補う
最大の手法は値上げということになります。
■消費者にとって厳しいが…
鉄道の場合、利用者はほかに選択肢がないケースがほとんどですから、嫌だからといって利用しない
という話にはなりません。ラッシュ時間帯の運賃を上げ、空いている時間帯の運賃を下げてくれれば、
利用者にも選択肢が生まれますが、ラッシュ時の時間帯だけが上がり、空いている時間帯が据え置き
となった場合には、事実上の一方的値上げとなってしまうでしょう。
これは鉄道に限らず、飲食店や小売店も同じことですが、利用者数が減っている以上、事業者は
値上げをしなければ生き残れません。消費者にとっては厳しい状況ですが、コロナという現実を
考えると、ある程度は受け入れる必要があるのかもしれません。
(The Capital Tribune Japan) 下松駅から相模鉄道「20000系」を甲種輸送相鉄・東急直通線用車両
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200727-00000069-minkei-l35
7/27(月) 22:45配信
日立製作所笠戸事業所(山口県下松市)で製造された相模鉄道(神奈川県横浜市)の新型車両
「20000系」が7月27日、下松駅から神奈川県海老名市の「かしわ台車両センター」に向け
甲種輸送された。(周南経済新聞)
2017年に100周年を迎えた相模鉄道が進める都心直通プロジェクトの一つ、「相鉄・東急直通線」
用の車両として開発された同車両。第1編成は2017年(平成29年)7月31日に同事業所から輸送され、
2018年(平成30年)2月11日に営業を開始している。同鉄道のイメージカラーである濃紺色
「YOKOHAMA NAVYBLUE(ヨコハマネイビーブルー)で塗装された車両は、鉄道愛好者団体
「鉄道友の会」が選定する「2019年ローレル賞」や「グッドデザイン賞(2018年度)」を受賞する
など高い評価を受けている。
今回、第2編成目として甲種輸送された1編成10両は、11時ごろ、日立製作所への専用線を持つ下松駅に登場。
あいにくの雨にもかかわらず駅や沿線には、鉄道ファンら十数人が駆け付け、熱心に撮影する姿が見られた。
相模鉄道によると、同車両は2023年度までに計16編成の導入を計画しているという。相鉄・東急直通線は、
2022年度下期に開業を予定。新幹線が止まる新横浜や渋谷など東京都心部への直接乗り入れが可能となり、
利便性の向上や所要時間の短縮などに期待が高まっている。 「永久在宅勤務」が日本で主流の働き方になる日
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200728-00365062-toyo-bus_all
7/28(火) 5:40配信
5月、6月とは比較にならないほど、街中で見かける人の数が増えてきました。筆者が住む
東京都内は6月12日に東京アラートがステップ3に移行して以降、飲食店の営業は夜0時まで
可能となり、「飲みに行って」ストレス解消する人でにぎわう様子も見かけるようになりました。
リモート勤務を活用しながらも段階的に出勤日を増やす会社が増え、オフィス街にも人がかなり戻っています。
そうした中、東京では1日に200人を超える感染者が出る日が続き、再びの自粛懸念も
ささやかれています。経済活動を本格化させるためにも、感染を最小限に食い止めつつ
仕事も止めない、新しい働き方がいよいよ必要となってきています。
そこで出てきたのが、「永久在宅勤務」の社員を増やしていこうとする動きです。
この動きについて、この記事では一緒に考えていきたいと思います。
■経営者に在宅勤務のリアルさがなかった
コロナの影響が起きる前から在宅勤務する会社員は一定数いました。ただ、数にすればごくわずかなもの。
日本テレワーク協会の調査ではコロナ前は週に1日テレワークを利用している人の割合で16.6%程度。
8割弱の人が在宅勤務を未経験でした。
管理職が自分の目の届く状況でマネジメントをしたい、社員自身も職場で対話しながら勤務する
ことを希望している――。そうした理由もありましたが、それ以上に、在宅勤務ではパフォーマンス
が下がると考えられていたことが大きかったように思えます。
システム開発会社を経営する知人も、コロナ前までは「在宅だとサボるに違いない」との懸念から
在宅勤務に反対派でした。同じように反対する発言を(主に経営者から)聞くことがよくありました。 同じオフィスで密につながりを感じながら仕事することで働く意欲が高まり、パフォーマンスが出た
という成功体験を自らが持っているからかもしれません。逆に言えば在宅勤務の成功体験を持つ経営者
には、ほぼ遭遇したことがありません。組織運営を行うキーマンにとってリアルさがないことも、
活用を阻む壁になっていたかもしれません。
ところがコロナの影響で在宅勤務を容認せざるえない時期が数カ月続き、在宅でもパフォーマンスが
下がらないパターンがおぼろげながらみえてきました。在宅勤務を継続できうる「人物×職種」の定義
が検討され始めているのです。
タイプ的には、自発的に動けて指示待ちにならず、わからないことは積極的に聞いていける人。
周りとの作業ペースを確認しながら仕事を積極的に取っていける人。与えられた仕事にきちんと
優先順位をつけて取り組める人。困ったときや疑問を感じたら、しっかり言語化して質問できる
コミュニケーション力のある人。あるいは個人作業で集中力を維持できる人。
職種としては、ネット環境があれば1人でできる仕事で、成果物が明確なもの。
これらの条件がそろう場合、半永久的な在宅勤務を認める会社が増えていくかもしれません。
例えば、エンジニアやデザイナーという職種で、前述したタイプの人に対して、在宅勤務の継続を
決定する会社がすでに出てきています。コロナに関係なく、出勤不要の“永久在宅社員”に転換するのです
(もちろん、本人との面談で希望を聞いて決定するというプロセスは必要です)。
反対派だった知人経営者も、幹部社員の発案で、エンジニア職の一部に永久在宅勤務制度を導入しました。
時代の変化を感じる決断です。 ■在宅に適さない「人物×職種」の場合
ただ、在宅に適さないと判断された「人物×職種」の社員などは、コロナ感染の不安を感じながら出社を再開しています。
例えば、情報を自宅に持ち出せない財務など、管理部門の職種の社員。加えて、育成段階にある若手社員
なども在宅に適さないと判断し、出社を促している会社も多いのではないでしょうか。
この状況に対して「本当は怖いから出社したくない」と強い不安を感じる人も少なくありません。
「感染を回避する対策を明確に提示してほしい」といった意見が出たり、中には「出社が必須なら辞める」
と言い出す人も出て、人事部を中心に対策の検討を強いられている会社もあります。
オフィスビルの管理をする会社に聞いたところ、コロナの影響でオフィスレイアウトの大幅変更を依頼してくる
会社も急増しているとのこと。マスクの着用や手洗い励行を前提として、オフィス内での2mの身体的距離の確保をするため、
・これまでの倍くらいの間隔で席を配置
・向かいあう状況ではアクリル板を立てる
・お誕生日席に位置する上長席は使わない(感染リスクが高いと思われるから)
といった、変更のニーズが多いのだそうです。
コロナで業績も厳しく、オフォスの一部を返すつもりだったのに、出社する社員のスペースを十分に
確保するため変更できない――。そう嘆いていたのは、ネット系広告代理店の総務部長。そこで、
永久在宅社員をもっと増やして、出社する社員は最小限にする方向で検討が進んでいるとのこと。
“永久在宅”を増やす要因が、経済的判断でも出てきたのです。
例えば、営業職における在宅社員の新規採用。求人サイトを眺めてみると「在宅勤務が基本」と書かれた
営業職の募集が増えています。ある企業では、入社後の研修から会議にいたるまで出社は不要。
営業成績のみで評価が行われる職種として採用をすることにしたとのこと。
永久在宅社員が増える傾向が、加速するのは間違いないでしょう。
多くの企業は、この流れに逆らうことは難しいかもしれません。その理由のひとつは、人材の確保です。 ■「転職するならリモートワークの会社」というニーズ
ある金融系企業では、コロナが拡大した後に同業からの転職応募が急増したとのこと。
転職理由を聞いたところ「いまの会社は出社を強いるから」と回答する応募者が多かったようです。
密な環境で会議や打ち合わせが行われる。コロナ感染を恐れる姿勢を示すと「仕事に意欲的でない」
と思われる雰囲気があり、続けていくことに不安を感じたことが転職を決めた要因。
転職先は社員の健康を考えて、無理な出社を強いない、リモートワークの環境整備を進める会社を探したようです。
応募が増えたある会社では、入社後の勤務形態はリモートが前提で、面談も最終プロセスまでリモートで行っています。
在宅社員には交通費に変わるリモート手当てが支給され、自宅のPC環境の整備にも補助金が出るとのこと。
その会社ではリモート推進に否定的な役員もいたようですが、社長の決断で業界に先駆けて取り組みを行いました。
人事部の担当者は、応募数が減ったり、辞退になるリスクがあるのではと懸念していたそうですが、ふたを
あけてみれば、応募数が増えて、優秀な人材の確保にも寄与しそうなので驚いている……と語ってくれました。
「転職するならリモートワークの会社」とのニーズを無視していては今後、人材確保もままならないかも
しれないことは踏まえておく必要がありそうです。
高城 幸司 :株式会社セレブレイン社長 全社テレワーク制度化にオフィス半減、富士通社長の真意
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200728-00010003-newswitch-bus_all
7/28(火) 11:24配信
富士通の経営改革がコロナ禍で進化を遂げている。感染拡大防止で全社に広がったテレワーク(在宅勤務)
を常態化し、国内従業員の9割近くにのぼる約8万人を対象に、場所を問わない新しい勤務形態
「ワーク・ライフ・シフト」を導入した。さらにコロナ禍で先送りになっていた国内特化型の新会社
「富士通Japan」の10月発足を決定した。それぞれの狙いを富士通の時田隆仁社長に聞いた。
―全社テレワークの制度化に迷いはなかったですか。
「迷わなかった。私の意見でもあるが、従業員のうち3万5000人に行ったアンケートから導き出した結果でもある。
場所にとらわれない働き方は、海外4万人の従業員の働き方と基本的には同じだ。グローバル展開している会社
としては、そもそも働く場所を問うべきではない」
―全社テレワークに加え、全席をフリーアドレス化し、2022年度末までにオフィス規模を現状から半減する目標も話題です。3年後の見通しは。
「半減自体が目的ではなく、結果としてそうなるのだ。もとより、半減してもそれが完成形ではない。
従業員が働きやすくなることが第一。目標を立てることは重要だが、常に中間点でしかない」
―在宅勤務中にすべてがトレース(追跡)されると、監視の色合いが強まりませんか。
「そんなことをしたいわけではない。上司と部下との1対1のコミュニケーションなどを通して、
従業員と会社との“トラスト(信頼)”を築いていくことが重要だ。併せて時間管理の本質を議論し、
職務上の役割に応じて報酬が決まるジョブ型人事制度を全社に拡大するのが良いと判断した」
―富士通Japanの発足への思いは。
「ソリューションはグローバルだが、各国ごとのローカライズは必要だ。そこをきちんと事業の中に
埋め込むために米国やアジアなど六つのリージョン(地域)があり、日本もその一つだ。
ジャパンリージョンを土台に国内事業部門を統合し新会社を発足する」 ―時田体制の布陣が整い、本格展開といっていいのでしょうか。
「創業85周年の6月19日に全社員へのメッセージに『ONE 富士通』という言葉を就任以来、初めて使った。
全世界の全従業員が見る方向性が定まり、それを体現しようと思った。準備は遅ればせながら整った」
【記者の目】
就任時に「全従業員13万人の思考プロセスをひっくり返す」(時田社長)と明言し、全社改革に向けて、
矢継ぎ早に手を打ってきた。全社テレワークの常態化はコロナ禍による事業環境の変化を逆手にとった
改革の一手で、驚きは社内外に広がった。グローバル起点の次の一手にも注目したい。
日刊工業新聞・斉藤実 テレワーク下で「部下を一人前に育てる」ための3つのポイント
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200728-00242967-diamond-bus_all
7/28(火) 6:01配信
コロナ禍で急速に普及したテレワーク。全員が出社することが珍しくなったという職場も少なくない。
こうした新しい働き方が浸透する中で、一つ大きな課題となっているのが「部下の育成」だ。
部下の働く姿を直接見る日が減る中で、どのように部下を育てていけばいいのか。
『あなたが部下から求められているシリアスな50のこと』の著者で、これまでに4万人のビジネスパーソン
を指導してきた濱田秀彦氏が、コロナ時代の「部下の育て方」を解説する。
●テレワーク下で 一人前の部下は育つのか?
私は、マネジメント研修の講師として、22年間で4万人を指導してきた。
その中で、最も多いのが、「部下の育成」をテーマにした研修である。
企業の状況に応じた「こうすれば部下育成はうまくいく」という指導を行い、評価を得てきた。
そして現在の新型コロナウイルスによるテレワーク下においても、多くのマネジメント層の方から
「部下の育成」に関するお悩みやご相談を受けている。
本質的には、これまで私が「こうすれば」とお勧めしてきたことに変わりはない。
そのうえで、特にテレワークにおいてはどんなことに注意し、心がけることで、直接会う機会が
少なくてもスムーズに指導し、部下の成長を促すことができるのか。
ここで改めて、そのポイントを整理し、お伝えしようと思う。
「新型コロナウイルスの収束後もテレワークを前提にした働き方を継続しよう」という志向が広がるなか、
今回は、テレワークを活用した新しい働き方において、「部下の育て方」がどうあるべきかについて考えてみたい。
これまでも、上司層が部下育成に熱心だったわけではない。プレーイングマネジャーが多い状況で、
部下育成にそうそう時間はかけていられなかった。それでも、部下は育ってきた。 例えば、新入社員を育てる場合、配属前に人事部門が集合研修でビジネスマナーなど基本的なことは
指導してくれる。配属後は、上司や先輩が断片的とはいえ対面で指導する。加えて、新入社員は見よう
見まねで仕事を覚える。その結果、上司が多くの時間をかけなくても、育ってきたというのが実態だ。
これらの部下育成法の共通点は「対面」が前提であったことだ。しかし、テレワーク下ではその前提が消滅した。
既に一人前になっている部下なら、テレワーク下でも、ある程度育成することは可能だろう。
しかし、まだ一人前になっていない若手社員をテレワーク下で育成するのはとても難しい。とはいえ、
いつまでたっても戦力化できなければ、困るのは上司だ。「対面」を前提としない環境で若手社員を
育てる方法を考えなければならない。
●テレワーク下の部下育成のポイント(1) 育成のゴールを設定する
そもそも、「人を育てる」とは何をすることなのか――。
これまで、そのような本質的なことは考えなくてもよかった。
しかし、難しい環境下だからこそ、本質に立ち返る必要がある。
「人を育てる」とは「『こうなれば育ったと言える』という(1)ゴールを設定し、そこに向けて相手の
(2)能力と(3)意識を高めていくこと」である。これは若手社員に限らず、すべての部下に対して言えることだ。
その観点で、まずはゴール設定から考えよう。上司と部下の直接的な接点の多い環境ならば、
お互いに多くの時間を共有する中で、漠然とではあってもゴールを設定することができる。
しかし、接点が少ないテレワーク下では、自然にゴールをイメージすることができない。
だからあらかじめ、きちんとゴールを設定しておく必要がある。 例えば、新人営業マンならば「3年後には自分で企画書を書いて商談ができ、年間1億円の予算達成ができる」
といったものが、ゴールイメージだ。そこに向けて「1年目はアポをとって、引き合いをもらって、
小さな商談ならば自分一人の力で成約までできるようになる」「2年目は得意先を持って、中規模商談
を一人で成約し、年間5000万円の予算達成ができる」といった中間ゴールを設定する。
そして、こうしたゴールは部下との話し合いを通じ、お互いに納得した上で共有しておく。
●テレワーク下の部下育成ポイント(2) 能力を高める「トレーニング」
ゴールが設定できたら、次に重要なのは、そこに部下を導く方法論を組み合わせることだ。
先述の通り、育てるとは、突き詰めれば「ゴールに向けて、能力と意識を高める」ことであった。
先に「能力を高める方法」を考えよう。
能力は経験の積み重ねでも高まるが、テレワーク下で、新入社員や若手社員に、いきなり仕事を与え、
任せるわけにもいかない。同じオフィスにいれば、ある程度部下の行動が見えるため、最初は仕事を
任せておいて、適切なタイミングで支援するということも可能だ。
しかし、テレワーク下では行動が見えず、単に放置してしまうことになりかねない。
そこで、先にある程度、その仕事の対応能力を高める指導をしておいた上で、「部分的に任せる」
というアクションが必要になる。
能力を高める指導法は「トレーニング」と呼ばれるものだ。進め方は「やってみせ、説いて聞かせ、
させてみて、フィードバックし、見届ける」という流れになる。できれば、この指導はオンライン
ではなく、限定された出社日に行いたいが、オンラインでも可能ではある。
例えば、新人営業マンに顧客向けのアポ取り電話のかけ方を教えるとしよう。まずは上司がトーク
のデモンストレーションをする(やってみせ)、その上で話の組み立て方などを説明する(説いて聞かせて)、
そして実践させ(させてみて)、改善ポイントを指摘し(フィードバック)、再度実践とフィードバック
を繰り返して仕上げる。そして、実際の仕事の場面でできるかどうか確認する(見届ける)。 効率よく指導するために、「やってみせ、説いて聞かせる」部分はオンライン教材などを活用するのも手だ。
このようにやり方を見せて、説明した上で、実際にアポ取り電話をかけさせ、経験を積ませる。
ただ、ここで一点、問題が残る。最後の「見届ける」というステップが、テレワーク下だと実現しづらいのだ。
そこで、次に紹介する「コーチング」が必要になる。
●テレワーク下の部下育成ポイント(3) 意識を高める「コーチング」
部下の意識を高めるには「コーチング」という指導法を使う。コーチングとは問い掛け、考えさせ、
相手から答えを引き出す指導法で、カウンセリングに似たイメージだ。自らやるように仕向ける指導法と言ってもよい。
テレワーク中には、部下の姿を見ることはできない。だからといって、進捗を事細かく確認したり、
プレッシャーをかけて面従腹背状態にさせてしまったりすると、育成の実態が把握できなくなる。
実践する姿が見えないテレワーク下では特に、「やらせる」のではなく、自らの意思で実践するように
仕向けることが大切だ。こうした中で、コーチングは必須指導スキルと言える。しかも、コーチングは
ビデオ会議システムや電話で行いやすいというメリットもある。
では、実際のやり方を説明しよう。例えば、先ほどのアポ取り電話をかけさせた後に、一緒に反省会をやるとする。
基本的な流れは「状況把握→原因探索→解決策立案→具体化」。例えば、次のような会話になる。
上司「アポ取り電話お疲れさま。やってみて、うまくいったところはどういうところ?」
部下「一応、詰まらずに話せました」
上司「それはよかった。うまくいかなかったところはどういうところ?」
部下「10件やってみて、アポが1件も取れなかったことです」
上司「そうか。原因はなんだと思う?」
部下「会ってみようと思わせるようなメリットが足りなかったのかもしれません」
上司「なるほどね。次にやってみるときにはどんなことをしたらいいと思う?」
部下「もう少し、目的を明確にして話してみます」
上司「それはいいね。具体的にはどんなことを言えばいいかな?」 このように相手から引き出すことで、自ら実践するように仕向けていく。また、相手から答えを引き出した後で
「一つやってみるといいことがあるよ」とアドバイスする、あるいは「どんな支援があるといいかな」
と協力を申し出るのも効果的だ。
そして、コーチングを実践すると、大きな副産物が得られる。それは、部下の状況や考え方がよく分かるということだ。
これは、若手社員に限らず、相手が中堅、ベテラン社員であっても同様だ。
こう考えると、コーチングという指導法は、まさにテレワーク環境向けの指導法である。
●「テレワークで部下を育てられる」ことは 上司にとっても大きなメリットに
以上のように、テレワーク下の部下指導は、事前に明確なゴールを決め、そこに向けてトレーニングで
能力を高め、コーチングで意識を高めるというように育成手法を組み合わせて進めることがポイントになる。
また、テレワーク下では、「気がついたときにアドバイスする」という方法が取りにくいため、意図的に
機会を作り、事前に準備をしてから指導に臨む必要がある。これまでに比べ、精神的エネルギーを使うだけ
でなく、時間も割くことになる。しかし、これからの時代、「テレワーク下で部下を育成できる」という
スキルを持っていることは、管理職本人の大きなアドバンテージになる。
部下が育てば、職場の戦力もアップし、業績の向上につながる。これも、上司にとってのメリットだ。
難しいテーマではあるが、「テレワーク下の部下育成」に本腰を入れて取り組んでみてはどうだろう。
濱田秀彦 東工大のお膝元「大岡山」一度住んだら離れられない魅力の数々
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200728-00027983-gonline-bus_all
7/28(火) 11:00配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、東急電鉄目黒線、大井町線の「大岡山」。
■「目蒲線」から「目黒線」へ、街の魅力も飛躍的に向上
「大岡山」は東京都大田区に位置する、東急電鉄目黒線と大井町線の接続駅です。
1日の乗降者数は、目黒線が2.2万人強、大井町線が3万人弱となっています。
駅は目黒区に接し、住所は大田区北千束の「大岡山」。駅名は、目黒区にある町名です。
戦前に発行された『目黒区大観』によると、「明治中ごろの郵便集配区域を明記した表に、碑衾村(ひぶすまむら)
・衾(ふすま)・大官山とあり、かつてはオオカンヤマと呼ばれていた時代もあった」と記されています。
大岡山は古くからある地名で由来は諸説ありますが、北から南に小高い丘が長く続く地形がルーツでは、といわれています。
明治時代、碑衾町大字衾(ひぶすままち おおあざ ふすま)の字名として、平南大岡山(たいらみなみ おおおかやま)、
平北大岡山(たいあきた おおおかやま)があり、1932年の区制施行の際に町名になりました。
駅の開業は、目黒蒲田電鉄線(現在の目黒線)が開通した1923年。その翌年、東京高等工業学校(現在の東京工業大学)
が東急と土地を等価交換し、大岡山に移転してくると、街の開発に弾みがつきます。1927年に、目黒蒲田電鉄大井町線
(現在の東急電鉄大井町線)が開通すると、駅の北側には商店が集積します。世田谷区、目黒区、大田区の3区に
跨る呑川を見渡せる台地には、高級住宅地が形成されました。
東急目黒線と東急多摩川線に分割される前の目蒲線は、「目黒」と「蒲田」を結ぶ、東急電鉄のなかでもローカルな
路線でした。都心との直通運転もなく、居住地候補としても注目されることの少ないエリアだったのです。 しかし、2000年。混雑が問題視されていた東急電鉄東横線のバイパス路線として、目蒲線を「目黒」〜「多摩川園」
の目黒線と「多摩川園」〜「蒲田」の多摩川線に分割する大規模改修を実施。目黒線が東京メトロ南北線・都営地下鉄
三田線と相互運転を開始すると、大岡山は都心にダイレクトにアクセスできる、交通至便なエリアとして注目を集めました。
また環七、環八、目黒通り、中原街道と、四方を幹線道路に囲まれているため、タクシーやバスなど、車のアクセスが
良好であるのも魅力です。
駅周辺を見ていきましょう。駅上にあるのは、日本初の駅上病院「東急病院」。内科や外科、眼科、皮膚科など診療の
幅は広く、一人暮らしの強い味方です。駅改札から北へと伸びる全長500mほどの「大岡山北口商店街」は、飲食店のほか
鮮魚店や電気店など、個店が元気な商店街です。学生が多いエリアなので、多くの店がリーズナブル。特にラーメン激戦区
として知られ、各店、しのぎを削っています。またドイツパンの「ベッカライ・ヒンメル」やプリンが美味しいと評判の
「イトキト」など、パン店の激戦区としても有名です。
ディープスポットとして知られているのが、駅南側にある「大岡山地下飲食街」。地下へと続く階段の向こうには、
昭和のまま時が止まったようなノスタルジックな空間に、居酒屋やスナック、雀荘など、個性豊かな店が並びます。
ほかにも、桜や紅葉の名所である「洗足池公園」へは駅南口から徒歩10分、買い物が楽しい「自由が丘」までは電車で2駅、
歩いても20分程度。人気スポットが徒歩圏内にあることも「大岡山」の魅力といえるでしょう。
一度住んだらなかなか離れることができない、という声が多いのも納得です。
■生活の中心は駅から北口に集中…庶民的な店も豊富
「大岡山」駅周辺は、一般の単身の会社員が住むにはどのような街なのでしょうか。見てみましょう。まずは駅周辺の
家賃水準。駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は7.4万円(図表1)。同条件の東京都大田区の家賃水準は、駅10分圏内で
7.13万円、目黒区の家賃水準は、駅10分圏内で8.36万円。「大岡山」駅周辺の家賃水準は、大田区のなかでは若干高く、
目黒区の平均よりは1万円近くもリーズナブルなエリアです。 厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、25〜29歳で27.5万円、
30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、そこから住民税や所得税などを差し引いた
手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。
「大岡山」駅周辺は、30代会社員であれば十分検討できるエリアです。大手検索ポータルサイトで、30代会社員の適正家賃内、
徒歩10分圏内を条件に検索すると、豊富とはいえませんが単身者向けの物件がヒットしました。物件の内訳を見ると、
5割が築30年以上、3割が20〜30年。駅チカのエリアでは新築の供給が少なく、築年数にこだわるなら周辺駅が最寄り駅
となりえる、徒歩20分圏内まで範囲を広げる必要があります。
交通面はどうでしょうか。「大岡山」から「目黒」8分、「溜池山王」22分、「飯田橋」31分、「大手町」26分
(所要時間は「大岡山」を平日8時に出発した場合の目安)。東京メトロ南北線や都営地下鉄三田線直通電車で、都心にも
ダイレクトにアクセスできるほか、「目黒」乗換えでJR山手線、「自由が丘」乗換えで東急電鉄東横線〜東京メトロ副都心線
を利用し、都心の様々なエリアにリーチできます。
買い物環境はどうでしょうか。駅周辺〜北口にかけて「東急ストア」「ヒルママーケットプレイス」「まいばすけっと」
「イチバン」と4店のスーパーがあります。また商店街には大手ドラッグストアチェーン店も。単身の会社員が日常品を
買うのに便利なスポットは、駅から北口エリアに集中しています。ハイソな雰囲気のお店も多いですが、学生街なだけあり、
リーズナブルな店も充実しています。
飲食店も駅周辺から北口の商店街エリアに集中し、単身者でも利用しやすいファストフードやファミレス、牛丼店、
定食店など、大手飲食チェーン店が点在しています。学生をターゲットにしたリーズナブルな飲食店も豊富で、
定番の店に飽きても楽しめます。外食がメインの人でも困ることはありません。 東急電鉄沿線の「大岡山」は、人気ランキングでは見かけることはありませんが、交通面でも生活面でも利便性の高い街です。
目黒区と大田区といった、高級住宅地のイメージが強いエリアにある街ですが、学生向けの店が多く、庶民的な一面を
持ち合わせています。その利便性から、大学を卒業し社会人になっても住み続ける人が多いとか。
幹線道路に囲まれていますが、街中の道は狭く、歩いていると自動車や自転車でヒヤッとする場面も。
また「岡」「山」という地名から分かる通り、住むエリアによっては坂がキツイと感じることもあるかもしれません。
ただ、そのような欠点も気にならないくらい、住む人をひきつける魅力を、この街は持っています。
GGO編集部 23区有数の閑散駅「北区・尾久」4年で利用客115%増の理由
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200729-00028009-gonline-bus_all
7/29(水) 11:00配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、JR東北本線の「尾久」。
■駅の南側に広がる車両基地を抜けると、また車両基地!?
「尾久」は東京都北区に位置する、JR東北本線の駅です。1日の乗車数は1万人強。
利用客の少なさでは、東京都23区内のJR駅のなかでも3本の指に入ります。
駅があるのは北区昭和町。駅名の読み方は「おく」ですが、駅北東の地名、荒川区東尾久、西尾久の読みは「おぐ」です。
尾久の由来は、鎌倉幕府の歴史をつづった『吾妻鏡』内の記述が有力です。同書に「武蔵国豊嶋庄犬食名」
と記されていますが、この「犬食」は「大食(おおぐい)」の書き間違いで、それが「おぐ」になったという説があります。
武蔵国にあった豊島郡の“奥”、江戸の北限である隅田川を背にしているから江戸の“奥”など、ほかにも諸説あります。
室町時代、太田道灌が江戸城を築いたころに書かれた『長禄江戸図』に「尾久」の地名が出てくることからも、
古くからある地名であることには間違いありません。
江戸時代までは郊外の農村地域でしたが、明治から大正にかけて工場が進出。一方でラジウム鉱泉が湧いたことで
花街としても発展しました。しかし戦後、温泉が枯渇すると、その賑わいも消滅してしまいます。
慣習的に「おぐ」と呼ばれていた尾久ですが、1929年に駅が開業することで混乱を招きます。駅ができたのは、
前出の通り北区昭和町であって、荒川地域ではありませんでした。しかし花街として賑わっていたエリアに人を
呼び込もうと、駅名を「尾久」としました。 当時の鉄道省は「おく」と命名しました。駅の読みが「おぐ」ではなかったのは、「尾久の地名は、豊島郡の奥、
江戸の奥から訛って『おぐ』になったのだから、正式には『おく』である」と鉄道省が考えたから、といわれています。
駅の出入り口は1箇所。駅北側には明治通りが走り、多くの車が行き交っています。
「尾久」は23区のJR駅のなかでも有数の閑散駅ですが、そんな雰囲気はあまり感じません。
一方で、駅南側は見渡す限り線路が広がる「尾久車両センター」。南北2,200m、東西250mの車両基地で、
それを横断する地下道をくぐると、閑静な住宅街が広がっています。さらに住宅街を進むと、新幹線の車両基地
である「東京新幹線車両センター」があり、奥の高架線を東北・上越・北陸新幹線が走ります。
奥には京浜東北線などの電車が行き交う線路があり、京浜東北線「上中里」駅があります。
車両基地が広がっているため、駅南側に居住地はほとんどありません。また都電荒川線「梶原」「荒川車庫」
「荒川遊園地前」「小台」は徒歩10分前後、京浜東北線「上中里」は徒歩15分、JR山手線「田端」は徒歩18分と、
周辺に多くの駅があり、利用者が分散しています。「尾久」の利用者は駅北側の限られた住民に限られているため、
閑散駅になってしまったのです。
■「暮らすだけなら困らない」程度の買い物環境は揃う
「尾久」駅周辺は、一般の単身の会社員が住むにはどうなのでしょうか。見てみましょう。まずは駅周辺の家賃水準。
駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は6.60万円(図表1)。同条件の東京都北区の家賃水準は、駅10分圏内で6.62万円。
「尾久」駅周辺の家賃は、北区平均とほぼ同水準です。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、25〜29歳で
27.5万円、30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、そこから住民税や所得税
などを差し引いた手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。 「尾久」駅周辺は、20代会社員でも十分に検討できる地域です。大手検索ポータルサイトで、20代会社員の適正家賃内、
徒歩10分圏内を条件で検索すると、居住地が限られるため豊富とはいえませんが、単身者向けの物件がヒットします。
築30年以上の物件が半数を占めますが、ヒットした物件の3割が築10年以下と、築年数の浅い物件も多く見つかります。
しかし専有面積は15u以下の物件がほとんど。20u以上の専有面積をもつ物件を希望するなら、築年数の条件を
ゆるくしたほうがいいでしょう。
交通面はどうでしょうか。「尾久」から「上野」6分、「東京」11分、「品川」22分(所要時間は「尾久」を
平日8時に出発した場合の目安)。2015年に上野東京ラインが開通し、「東京」や「品川」にダイレクトにアクセス
できるようになったことで、「尾久」の交通利便性は飛躍的に向上しました。
買い物環境はどうでしょうか。駅北側にスーパーが「東武ストア」「スーパーバリュー」「オリンピック」の3店、
ドラッグストアが1店。商店の集積はほとんどありませんが、最寄り品の購入であれば、特に困ることはありません。
道も平坦なので、自転車があれば便利です。
飲食店は、駅前にファストフード店があるほか、明治通り沿いにファミレスが3店ほどあります。23区のJR駅としては、
飲食店の数は極端に少なく感じるでしょう。外食がメインの人は、職場近くで食事を済ませるのがパターンになりそうです。
東京23区内でも閑散駅として知られる「尾久」。
車両基地に隣接するうえ、近隣に他路線の駅が多いという立地で利用客が限られる特別な事情がありました。
また住宅街にある駅で商店の集積はほとんど見られず、「暮らすこと」が主体となる駅です。
駅としては閑散しているものの、「上野」「東京」「品川」へのアクセスは抜群。特に生活環境よりも交通利便性
を重視する単身者からの支持が高まっています。上野東京ラインが開通した2015年の乗車人数は8,000人強でしたが、
2019年の乗車人数は115%増。地味ながら、確実に利用客は増えています。
GGO編集部 「足立区・西新井」再開発で評判アップ、憧れの街に変貌…か?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200731-00028032-gonline-bus_all
7/31(金) 11:00配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、東武鉄道伊勢崎線、大師線の「西新井」。
■大規模な再開発で街が一変!治安も良好に
「西新井」は東京都足立区に位置する、東武鉄道伊勢崎線と大師線の接続駅です。1日の乗降者数は、6.6万人ほど。
東武伊勢崎線は、東京メトロ日比谷線と半蔵門線と直通運転をしていて、都心にもダイレクトにアクセスすることができます。
西新井大師(正式名称:五智山遍照院總持寺<ごちさんへんじょういんそうじじ>)は、大師線でひと駅の「大師前」、
「西新井」からも徒歩15分ほど場所にあります。古くから「関東の高野山」と呼ばれ、都内でも最大級のパワースポットです。
「関東三大厄除大師」のひとつであり、正月三が日の初詣客は50万人を数えるといわれています。
広い境内には、見どころがいろいろ。境内前の山門は、江戸時代後期に建立された、迫力のあるものです。
山門の向こうにある塩まみれの地蔵「塩地蔵」は、イボ取りなどのご利益があるといわれています。
四国八十八箇所巡りの霊場と高野山の砂が敷き詰められた「四国八十八箇所お砂踏み霊場」は、一周すれば
弘法大師・空海のご利益と観音慈悲の功徳を受けられるスポット。そして境内の中央にそびえるのが、
圧倒的な存在感を放つ大本堂。十一面観音と弘法大師をまつる黄金の本堂内で、護摩祈祷などが行われます。
境内のなかにひっそりある「加持水の井戸」は、西新井大師のなかでも重要な場所。
平安時代、不作と疫病で多くの人が苦しんでいるなか、十一面観音のお告げを聞いた弘法大師・空海が訪れ、
人々を助けるため、十一面観音像と自身の像を彫り、21日間の祈願を行いました。
結果、枯れていた井戸から水があふれだし、人々を救ったといいます。 この逸話が、お堂の西側にある井戸から始まったことから「西新井」という地名がついたとか。
つまり西新井にとって、この井戸は始まりの地ともいうべき場所なのです。
駅周辺を見ていきましょう。
西新井駅直結の専門店「西新井トスカ」「エキア西新井」には、普段使いに便利なショップや飲食店が入っています。
東口を出ると「イオン西新井店」。裏には環七通りが走り、その先には住宅街が広がっています。
西口を出ると、ロータリーを囲むように雑居ビルが建ち並んでいますが、その一角にあるのが40強の店からなる
商業施設「パサージオ」。2000年代に入ってから行われた再開発事業「西新井ヌーヴェル」によって生まれた、
新しい街の玄関口ともいえる建物です。
もともと駅南西側にあった日清紡績東京工場の跡地を中心とした再開発は、A〜Hの街区に分けられ、A街区には
前述の「パサージオ」、H街区には「イトーヨーカドー」と「TOHOシネマズ」、111の専門店街からなる「アリオ西新井」
が誕生。ほかの街区には、分譲マンションや賃貸マンションが建てられ、総戸数は2000戸を数えます。
また各街区の角地には「街かど広場」が設けられているほか、G街区には都市公園として「西新井さかえ公園」もオープン。
電柱のない街並み、人車分離の安全な動線と、計算された良好な都市空間が広がります。
足立区といえば、下町情緒あふれる街が点在する一方で、どこかマイナスイメージが先行することも珍しくないエリア。
西新井も、以前は決して評判の良い街ではありませんでした。しかし再開発によって、街のイメージは大きく変化。
特に再開発エリアには警察署もつくられ、治安面でも安心できるでしょう。
■買い物環境が向上…西新井だけですべてが揃う!?
「西新井」駅周辺は、一般の単身の会社員が住むにはどうなのでしょうか。見てみましょう。まずは駅周辺の家賃水準
駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は5.19万円、11分を超えると5.50万円(図表1)。同条件の東京都足立区の家賃水準は、
駅10分圏内で5.80万円、11分を超えると5.69万円。「西新井」駅周辺の家賃水準は、足立区のなかでもリーズナブルといえるでしょう。 厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、
25〜29歳で27.5万円、30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、
そこから住民税や所得税などを差し引いた手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半
は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。
「西新井」駅周辺は、20代会社員でも十分検討できるエリアです。大手検索ポータルサイトで、20代会社員の適正家賃内、
徒歩10分圏内を条件に検索すると、多くの単身者向けの物件がヒットします。半数は築30年以上の築古物件ですが、約2割は
築10年以内の比較的新しい物件です。
バス・トイレ別、浴室乾燥機、オートロックなど、昨今の賃貸ニーズを満たす物件も、比較的多い印象です。
交通面はどうでしょうか。「西新井」から「北千住」5分、半蔵門線直通で「大手町」30分、「永田町」45分、「渋谷」54分、
日比谷線直通で「日比谷」42分、「六本木」52分(所要時間は「西新井」を平日8時に出発した場合の目安)。
東京メトロ半蔵門線と日比谷線との直通運転があるので、都心東部の主要エリアであれば30分程度、西部の主要エリア
であれば1時間程度でアクセスできます。
買い物環境はどうでしょうか。駅東側には「イオン」、西側には「イトーヨーカドー」と、駅を挟んだ両エリアに大規模な
スーパーがあります。大手ドラッグストアチェーン店も両エリアにあるので、最寄り品の購入で困ることはありません。
また商業施設内には人気ファッションブランド店や雑貨店などがあるほか、「イオン」のなかには家電量販店の「ノジマ」、
西口には「ドン・キホーテ」があり、ある程度の日常品は、西新井だけで揃えることができそうです。
飲食店はどうでしょうか。駅周辺はファストフードやファミレス、牛丼店、定食店など、大手飲食チェーン店が充実し、
商業施設内の飲食フロアは単身者でも入りやすい店が揃っています。また再開発エリア以外では、定番に飽きたときに
重宝しそうな、昔ながらの飲食店も残っています。西新井では、外食メインの人でも困ることはないでしょう。 都内随一のパワースポットから近い「西新井」ですが、それにも関わらず、以前はイメージが良いとはいえない街でした。
しかし大規模な再開発で、イメージは一変。特に再開発エリアに昔の面影はありません。
もともと治安も安定していた地域でしたが、警察署が移設してきたことで、より安心感も増しました。
恒例の街ランキングではまだ登場していませんが、確実に住みやすい街へと変貌を遂げています。
GGO編集部 94年の歴史に幕…20代会社員、あえて「豊島園」に住んでみる
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200801-00028033-gonline-bus_all
8/1(土) 11:00配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、西武鉄道豊島線、都営地下鉄大江戸線の「豊島園」。
■8月31日に閉園…さようなら「としまえん」
「豊島園」は東京都練馬区に位置する、西武鉄道豊島線と都営地下鉄大江戸線の駅です。
1日の乗降者数は、西武駅が1.4万人ほど、地下鉄駅が1.2万人ほど。駅名の通り、遊園地「としまえん」の最寄駅です。
今月末をもって、94年の歴史に幕を閉じる「としまえん」。このニュースを聞いて寂しい気持ちになった人も多いことでしょう。
そもそも、「なぜ練馬区にあるのに『としまえん』なのか?」と疑問に思ったことはないでしょうか。
それはこの一帯が、かつて豊島郡に属していたことに由来しています。
としまえんが開園したのは1926年で、全面開園したのが、翌年の1927年。この年、武蔵野鉄道豊島園線が開通し、
「豊島」駅として開業しました。1933年に、現在の駅名に改称されています。開業時にあったのは、ウォーター
シュートやボート池、小動物園、音楽堂など。1929年には、大プール、小プールが完成、「としまえん=プール」
の歴史はこのときに始まりました。
1944年、戦況の悪化で一時閉園しますが、1946年に営業再開。戦後は、次々と遊具を増やして人気を集めました。
また1958年、世界初の屋内スキー場、1965年には世界初の流れるプールとローラーコースター、1988年には日本初
の大型ウォータースライダー…と、としまえんは“世界初”とか“日本初”の触れ込みが多い遊園地でもありました。 そしてとしまえんのシンボルのひとつでもあるメリーゴーラウンド「カルーセルエルドラド」は、1907年にドイツ
のヒューゴー・ハッセによって作られたもの。バンド・DREAMS COME TRUEのファーストアルバムのジャケット写真
がこのメリーゴーラウンドで撮られたことは、ファンの間ではよく知られています。
貴重な文化遺産として「機械遺産」にも選ばれている施設で、今後の動向も気になるところです。
一時は年間400万人近くの人が訪れていた人気遊園地でしたが、生活様式のなどの変化もあり、近年の来場者数は
100万人ほどに減少。それでも閉園のニュースは大々的に報道されました。遊園地の跡地は、防災拠点となる公園や、
世界で2番目となる『ハリー・ポッター』のスタジオツアー施設の設置が検討されています。
そんな「としまえん」の最寄り駅である「豊島園」ですが、温浴施設「豊島園 庭の湯」や、シネマコンプレックス
「ユナイテッド・シネマ としまえん」があったりと、レジャースポットが点在するほかは、閑静な住宅街が広がっています。
練馬区の拠点であり、商業集積地でもある「練馬」駅は、当駅から徒歩10分ほどと生活圏内。
「豊島園」駅周辺は、意外と利便性も兼ね備えたエリアです。
■落ち着いた住環境…買い物は徒歩圏内の「練馬」で
「豊島園」駅周辺は、一般的な単身会社員が住むにはどうなのでしょうか。見てみましょう。まずは駅周辺の家賃水準。
駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は5.96万円(図表1)。同条件の東京都練馬区の家賃水準は、駅10分圏内で6.27万円。
「豊島園」駅周辺の家賃水準は、練馬区のなかでもリーズナブルといえるでしょう。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、25〜29歳で27.5万円、
30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、そこから住民税や所得税などを差し引いた
手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。 「豊島園」駅周辺は、20代会社員でも十分検討できるエリアです。大手検索ポータルサイトで、20代会社員の適正家賃内、
徒歩10分圏内を条件で検索すると、豊富とはいえませんが、単身者向けの物件がヒットします。それらの物件の内訳を
見ると、6割以上が築30年以上の築古物件で、築浅物件は1割程度。新築供給数は多いとはいえないエリアなので、
築年数にこだわるなら、範囲を広げて探すといいでしょう。
交通面はどうでしょうか。西武線利用で「豊島園」から「池袋」14分。大江戸線利用で「新宿」29分、「六本木」39分、
「汐留」49分(所要時間は「豊島園」を平日8時に出発した場合の目安)。西武線駅は7時台に5本、8時台に5本の各駅停車
「池袋」行きがあります。本数は少ないですが、始発駅なので、座っての通勤がかないます。
買い物環境はどうでしょうか。駅周辺には小型スーパー「まいばすけっと」とコンビニが数軒ある程度。
「豊島園」駅単体では、買い物環境は良好とはいえません。ただ前述の通り「練馬」駅は徒歩圏内。駅周辺に「西友」
や「業務スーパー」などのスーパーや、大手ドラッグストア店など、買い物スポットが集積しています。
最寄り品の購入で困ることはほとんどないでしょう。
飲食店はどうでしょうか。「豊島園」駅周辺では、駅前のテナントビルにいくつかの飲食店があったり、ファストフード店
や牛丼店があったりする程度で、充実しているとはいえません。隣駅の「練馬」周辺は飲食店も充実しているので、
外食派の人は何かと重宝するでしょう。
遊園地の閉園というニュースで、岐路に立っている「豊島園」。しばらくはにぎわいも少なくなり、寂しい雰囲気が
漂うかもしれませんが、居住地として見た場合、練馬区の拠点である「練馬」駅を生活圏とするエリアで、良好な
住環境が広がっています。本数は限られますが、池袋方面の勤務であれば座って通勤することができ、新宿方面にも
ダイレクトにアクセスできます。駅名から、遊園地しかないと思われがちですが、実は暮らすにも良い街だといえるでしょう。
GGO編集部 路線はほぼ「Go To 東京」、埼玉ご当地鉄道事情
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200730-00365541-toyo-bus_all
7/30(木) 5:10配信
鉄道のネットワークは、全国くまなくつながっているものだ。
だから、旅先でもいつも使っている地元の鉄道の感覚で乗ってしまう。
都心暮らしならば10分も待たずに乗れるとか、10両もの長大編成でやってくるとか、
昼すぎでも座れたらラッキーだとか、そういう感覚はなかなか抜けない。
鉄道関係の取材をする機会の多い筆者でも、なんだかんだそんなものである。
だが、裏を返せばそれでは充分にその地域の鉄道を活用しているとは言えないということになる。
それではいささかもったいないのではなかろうか。
というわけで、全国各地の鉄道事情を都道府県ごとにおさらいしていくことにしたい。
まずは、首都・東京のお隣の埼玉県。東京の延長のように考えがちだが、果たして……。
■“東京へ”が埼玉の鉄道の役割?
埼玉県の鉄道ネットワークは、とにかくほとんどが東京を向いている。
このところ、新型コロナウイルス感染症の影響で「県境を跨ぐ移動」があれこれ言われているが、
埼玉の鉄道は東京との都県境を跨ぐことにその本領があるといっていい。
京浜東北線や埼京線、宇都宮線(東北本線)といったJRの路線はもとより、私鉄の東武東上線や
西武池袋線なども東京都心のターミナルと埼玉県内を結んでいる。埼玉視点でいうならば、
“ほとんどの路線が東京を向いている”といったところか。
この傾向はJRにおいてとくに顕著で、埼玉県内だけを走っているJR路線は川越線だけである。
その川越線にしたって、大宮―川越間は埼京線に直通して池袋を目指すし、川越―高麗川間は
八高線に直通して八王子を目指す。結局、この川越線の役割も埼玉県内の地域輸送というよりは
“Go To 東京”なのだ。
浦和に住んでいる知人に聞けば、「言われてみると電車に乗るのは東京に行くときだけ。
埼玉県内だけ乗ったのはさいたまスーパーアリーナに行ったときくらいかも」と返ってきた。
もちろん埼玉県内に会社もあれば商業施設もあるから、県内に限った移動も少なくない。 が、それを踏まえても鉄道路線の構造という点でいえばほとんどの路線が東京を向いている
ことは間違いないといっていい。
ちなみに、同じように首都圏に含まれる神奈川県や千葉県を見ると、東京との連絡を担う路線
があると同時に、県内だけを走って地域輸送を専門とする路線も多い。大半の路線が“東京を
向いている”という点は、埼玉県の鉄道ネットワークならではの特徴なのだ。
■大宮駅を避けて通れない
例えば新幹線に乗って東北や上越、北陸方面を目指すとき。はたまた、青春18きっぷなどを
握りしめて東北方面の旅をしようと試みたとき。それが東京都民だったら、決まって埼玉県
を通ることになる。JRの場合、ほとんど経由せずにいられないのが大宮駅である。
大宮駅はまさしく埼玉県の鉄道ネットワークの中心といっていい。県庁があるのは大宮駅と
同じさいたま市でも浦和だから、行政の中心は浦和だ。それに対して、鉄道は大宮駅をハブ
として、さらに県内各地やほかの都県に向けて伸びている。
路線図を見ればそれはひと目でわかる。東北新幹線と上越新幹線が分かれるのは大宮駅だし、
宇都宮線と高崎線も大宮駅で分かれる。京浜東北線や埼京線ももちろん乗り入れてくるし、
西には川越線が伸びて東に向けては東武野田線(アーバンパークラインと呼ぶべきですかね……)。
複数の路線が分岐する文字通りのターミナルであり、大宮を通らねばどこにも行けない首都圏
北部の“関所”のような存在感を持っている。
大宮駅を通らない路線ももちろんあり、県南西部を目指す東武東上線や西武池袋線などがそうだ。
また、県の東側を南北に抜ける東武伊勢崎線(スカイツリーライン)も大宮駅を無視する路線の1つ。
ただ、ことJR線に限っていえば大宮駅を通らない路線は八高線と武蔵野線だけである。
18きっぷで大宮駅を無視して埼玉県を抜けようとすると、埼玉県内唯一の非電化路線でもある
八高線に乗って関東平野の端っこをのんびり走らねばならぬのだ。 筆者も何度か八高線の非電化区間(高麗川―高崎間)に乗ったことがあるが、まったく大都会の近くを走る
路線とは思えないのどかな路線である。2両編成の気動車、という点だけをもっても人口730万人を超える県
を走る路線らしからぬ風情。平日の昼下がりともなると乗客も数人ばかりと、純然たるローカル線である。
そうした一部の路線を除くと、ほぼすべての鉄道路線が大宮駅をハブとしている。
埼玉県内の鉄道を乗り潰そうと思ったら、大宮駅をスタート地点とするのがよいように思える。
■かゆいところに手が届く
大宮駅をハブとして、“東京を向いて”走っている埼玉県の鉄道ネットワーク。
となれば、弱点となるのは県の東西を結ぶ路線である。大宮から県内の路線をあれこれ乗ろうと
思っても、この東西を結ぶ路線が貧弱であるがゆえに難儀することになるのだ。
それもこれもほとんどの路線が東京を向いているから致し方ないし、先に登場してもらった浦和在住の知人も
「いやあ……そんな路線があっても使わないでしょう、普通」と苦笑いをしながら一蹴するほどだ。
さらに聞けば、「せいぜい武蔵野線を使うことがあるかな、くらいなものですよ」。乗り潰しを試みるわけ
でもなければ、東西を結ぶネットワークが貧弱でもあまり問題はないようだ。
とはいえ、まったくないのは困ったもの。東京だって、都心から放射状に伸びる路線ばかりで多摩地区を
南北に結ぶ路線が貧弱すぎると言われるくらいだ。そうした中で気を吐いているのが秩父鉄道である。
東京都民にとって、秩父鉄道は西武池袋線・秩父線の終端の西武秩父駅と隣接する御花畑駅から乗り換えて、
SLに乗ったり長瀞観光を楽しんだり、というイメージが強い。だが、秩父鉄道の本領はそこにはなくて、
羽生―熊谷間。これによって、埼玉県東部を走る東武伊勢崎線と、中央部を南東から北西に向かって走る
JR高崎線を相互に結ぶという役割を果たしているのだ。 実際、この区間は埼玉県北部の通勤路線になっているようで、朝の通勤時間帯に乗ったことがあるが、
なかなかの混雑ぶりだった(さすがに都心ほどではないが)。埼玉県内で完結する事実上唯一のローカル
私鉄・秩父鉄道は、ローカルだからこそ、の存在感を放っている。
ちなみに、秩父鉄道は埼玉県内で唯一交通系ICカードが使えない路線でもある。
このほかにも東西を結ぶ路線はあって、大宮をハブとする川越線や東武野田線、県南部を走る武蔵野線。
とくに武蔵野線は東京都心を経由せずに東京多摩地区・千葉県内を連絡しており、首都圏の鉄道の弱点
を補って存在感は大きい。ただ、埼玉県内の地域輸送というよりはこれも“東京向き”の路線の1つだろう。
東京と埼玉を結ぶ私鉄といえば、西武鉄道と東武鉄道が双璧である(というか私鉄では事実上この2社しかない)。
西武鉄道は池袋線と新宿線が埼玉県に入ってすぐの所沢駅で接続し、池袋線は入間・飯能を経て秩父方面へ。
新宿線は狭山市を経て川越へ向かう。いずれも東京と埼玉を結ぶ路線といっても南部にとどまっており、
意外と北に広い埼玉県内全域を対象としているとは言いがたい。
■埼玉県は東武王国
ところが、東武鉄道はなかなかすごい。西武池袋線と対で取り上げられることも多い東上線。こちらは
川越を経て坂戸から寄居、最終的には小川町駅まで向かう。寄居―小川町間は運転系統が分離していて
事実上別路線のようになっているが、それにしても広い範囲で東京都心への通勤通学輸送を担っているのだ。
さらに東武には県東部を走るスカイツリーライン・伊勢崎線がある。スカイツリーラインという愛称の区間
は日光線と分岐する東武動物公園駅で終わりを告げるが、さらにそこから先も伊勢崎線として久喜駅で
宇都宮線と交差、さらに県北部のJRに無視された地域を走っていく。
ほぼ県の中央を通るJR高崎線を中心軸に、東はスカイツリーライン・伊勢崎線、西に東上線。
この2路線が埼玉県を広く東京都心への通勤圏内に仕立て上げた。「“東京のベッドタウン”埼玉県」
は東武の2路線によって形成されたと言えるのだ。
最後に、新幹線のお話である。
大宮駅は東北新幹線と上越新幹線が分かれるハブ駅であることはすでに述べた。大宮駅には新幹線列車のすべてが停車する。 筆者は東京西部、多摩地区に住んでいるのだが、東北方面の新幹線に乗ろうと
思って乗り換えルート検索などをすると、決まって「新宿駅から埼京線で大宮駅に行って新幹線へ」
というルートが示される。実際、スムーズに行けばこのほうが早いらしい。とはいえ、何度も乗り換える
のが面倒な気がして、結局東京駅で乗ることがほとんどなのだが、それだけ新幹線においても大宮駅は
重要なターミナルなのだろう。
で、ここで問題になるのは県内のほかの新幹線駅だ。東北新幹線はとっとと埼玉県を通り過ぎてしまって、
栃木県内の小山駅が大宮駅の隣駅である。それほど広くもない埼玉県内に2つも新幹線駅はいらない、
ということなのだろうか。
■新幹線を使うには微妙な距離
しかし、上越新幹線(北陸新幹線でもいい)だと話が違う。
県内には大宮以外にも熊谷駅・本庄早稲田駅の2つの駅があるのだ。停車列車の関係と都心からの
近さもあって、東京から熊谷に向かうときには新幹線に乗るべきか在来線に乗るべきか少し悩む。
まあ、現実的には新幹線の速達効果は微々たるものなので、費用対効果を考えればどう考えても在来線一択だ。
ただ、本庄早稲田駅に行くなら新幹線以外の手段がない(バスに乗り継ぐという手もあるが……)。
だいたい本庄早稲田駅に用があることはほとんどないのだが、上越新幹線において最初の新幹線単独駅
が埼玉県内の本庄早稲田駅というのはおもしろい。
長距離輸送を旨とする新幹線も、地方では通勤通学に用いる地域輸送路線という顔もある。
もしかすると、埼玉県内もそうした地方の1つということなのかもしれない。
あくまでも筆者の主観で、という断り付きにはなるが、埼玉県の鉄道事情を簡単にまとめてみた。
47都道府県で5番目に人口の多い埼玉県だけあって、鉄道網は充実しているほうだといえる。ただ、その
ネットワークの方向性は、あくまでも“東京向き”。純粋な県内地域輸送路線は秩父鉄道だけといっていい。
こうした特徴は、埼玉県という県の特徴とも大いに重なっているような気がするのだが、いかがだろうか。
鼠入 昌史 :ライター JR東、コロナが問う「時間帯別運賃」の本気度
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200802-00365758-toyo-bus_all
8/2(日) 5:01配信
コロナ禍における外出自粛要請で人の移動が制限され、鉄道業界は大きな打撃を受けた。
資金繰り確保のため、設備投資の先送りや社員の一時帰休を余儀なくされた会社も少なくない。
中期経営計画の中止を発表した会社もある。業界最大手のJR東日本も収入が毎月1000億円減っているという。
しかし、深澤祐二社長は「20年後、30年後を念頭において作った中期計画をコロナの影響によって、
より早く実行しないといけなくなった」と話し、成長投資やイノベーション投資は減らさない方針を示した。
時間帯別運賃の検討、ITを活用した効率的な運行管理、さらには都市や地域の再開発まで、深澤社長が
アフターコロナ時代における鉄道のあるべき姿を語った。
■生活に合わせて運賃制度を変えていく
――コロナ後の鉄道需要をどう喚起しますか。
短期、中期という視点に分けて考えないといけない。短期的には、安心して電車に乗ってもらうための
取り組みをいろいろと行っている。多くの人に移動してもらう旅行商品として、価格面だけではなく、
1人でも過ごせるといったニーズに合わせた商品を提供しなくてはいけない。
難しいのは「3密」を避けることだ。たくさんの人が集まりそうな企画は今のタイミングでは出せない。
来年の3月まで実施するなど、意識して期間を長く設定した企画を作っている。
中期的にはビジネスの基本的な部分の変革が必要だ。現在の運行ダイヤや運賃は従来の生活スタイル
に合わせて定められてきた。通勤電車の利用のピークは朝の出勤時と夜の帰宅時にあったが、現在は
朝のピークの山が従来の半分くらいになり、その前後の時間帯が増えて、台形のような形になっている。
夕方も終電ぎりぎりまで多くの人が乗っていたが、より早い時間帯に利用がシフトしている。
こうした生活スタイルの変化に合わせて運賃制度を変えていきたい。
例えば、定期ならピークの時間帯よりもピークの前後に乗るほうがメリットのある商品を検討している。 車両や要員も、その多くは利用のピークに合わせてそろえている。一方で満員電車に乗る利用者は
大変つらい思いをして通勤している。軽井沢や那須塩原などから新幹線で遠距離通勤している人は、
平日は都内で仕事をして週末に自宅でゆっくりと過ごしていた。それがコロナ禍で、都内で仕事するのは
週に何日かとし、あとは自宅や最寄りのサテライトオフィスで仕事をするという例も見られる。
満員電車で通勤していた人が、もっと遠くに移住して新幹線で通う動きもこれからは増えてくると思う。
毎月の利用が少ない人にとって通勤定期は割高となるので、こうした長距離通勤者向けに週何日かだけ
使えるような商品を検討していく。
■検討を重ねてきた時間帯別運賃
――定期券だけですか。
今のピーク時間帯は定期の利用者が多く、(新商品の検討は)まず定期でと考えている。
最近はポイント制度も使えるようになってきているので、ポイントとの組み合わせも考えていく。
――時間帯別運賃は今回初めて出たアイデアですか。
今までも検討は重ねてきた。海外の導入事例もある。だが世界的に見ても日本ほど鉄道が使われている国はない。
その非常にボリュームの大きい利用者に合わせて運賃の仕組みが作られていたため、なかなか手をつけられなかった。
今回、それを根本的に変えたい。われわれ自身がフレキシブルに物事を考えていくきっかけにしたい。
――時間帯別運賃を導入し、ピーク時の運賃を高くすると、「値上げ」と考える人もいるのでは。
在宅勤務などで鉄道の利用が減って、かつ運賃が下がると収入全体が減ってしまう。
どういう仕組みにするのかはしっかりと議論しなくてはいけないし、利用者の理解を得ながら進めていきたい。
(検討期間は)1〜2年というスパンで考えている。ダイヤ改正は年1回(通常は3月)行っているが、
そのタイミングに合わせるためには、どのようなことをやるのか。早めに決めなくてはいけない。 ――JR東日本単独で実施するのですか。
ダイヤ改正の場合は始発や終電での接続もあるし、相互直通している私鉄各社との関係もある。
どのような取り組みをするかは各社それぞれに考えていくことだが、このような商品はどこも出していないので、
事前に「こういうことをやります」という話はしていく。
「週刊東洋経済プラス」のインタビュー拡大版では、「Suicaの今後の展開」「駅を中心とした再開発のあり方」
「成長やイノベーション投資に対する考え方」についても語っている。
大坂 直樹 :東洋経済 記者 山手線の終点がじつは「田端駅」なのはナゼか?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200731-00243906-diamond-soci
7/31(金) 6:01配信
鉄道アナリスト・川島令三氏の新刊書『思わず誰かに話したくなる鉄道なるほど雑学』の中から、
鉄道に関するディープなウンチクをご紹介。
今回は、首都圏の通勤電車としておなじみのJR各路線についての、意外と知らない豆知識です。
日頃はユーウツな朝の通勤電車も、これを知れば少しは楽しくなることうけあい…!?
●山手線の正式区間は、 どこからどこまで?
例の家電量販店のCMの「丸い緑の山手線」という歌詞にあるように、一周しているのが山手線だと
思われがちだが、正式な山手線は、品川駅を起点に渋谷、新宿、池袋を通って田端駅が終点となる
延長20.6キロの路線である。残る田端―東京間は東北本線、東京―品川間は東海道本線の「電車線」である。
これら電車線も複々線になっているが、そのうちの複線を山手線電車が走り、もう一方は京浜東北線電車が走る。
この「○○線電車」という意味では山手線電車は一周している。
山手線建設の目的は東海道本線と東北本線を結ぶことだった。明治5(1872)年に新橋―横浜間が開業、
当時の新橋駅は汐留にあり、横浜駅は今の桜木町駅にあった。上野―大宮間の開業は明治16(1883)年で、
私鉄の日本鉄道が開通させた。
横浜側は官設鉄道の東海道線として西に線路を延ばし、大宮側は日本鉄道が東北線として北に線路を延ばしていった。
両線を結ぶ必要があったが、新橋―上野間は市街地のため用地買収がしにくく、人家がまばらな山手地区の
品川―赤羽間を日本鉄道の手で明治18(1885)年に開通させた。次に日本鉄道の海岸線(現常磐線)と東海道線
を結ぶ目的の池袋―田端間の豊島線が明治36(1903)年に開通。旅客を運ぶというよりも貨物を運ぶ意味合いが強かった。
このため遠回りでもよかったのである。 明治39(1906)年に日本鉄道は国有化され、明治42(1909)年の線路名称制定時に山手線の区間は赤羽―品川間と
池袋―田端間、大崎―大井間とした。大崎―大井間は東北本線から東海道本線まで折り返しなしで行けるように
建設された区間である。同年には品川―田端間が複線化されている。
明治42年に烏森(現新橋)―品川―上野間と池袋―赤羽間の電車運転が開始された。従来、常磐線からはストレート
で山手線に行けていたが、田端に広大な田端操車場を設置、そこで貨物の仕訳をしてから山手線方面へ行くように変更した。
上野―東京間が開通していなかった頃は、電化していた中央本線の中野―東京間と東京―品川―池袋―田端―上野間
をつないだ「の」の字運転だった。そして大正14(1925)年3月に貨客分離のため複々線化、11月に神田―上野間が
開通して環状運転が開始された。運転間隔は12分を基準に、混雑時は6分ごとにしていた。
今のような閑散時4分ごと、朝ラッシュ時2分30秒ごとになるとは考えられもしなかった。
●意外と知られていない!? 横須賀線の正式区間
横須賀線は東京―久里浜間と案内されているし、一般にそう思われている。しかし、正式な区間は大船―久里浜間である。
横須賀線が開通してからずっと、東京―大船間は東海道本線の線路を横須賀線電車も走っていた。
これでは東海道本線も横須賀線も輸送力増強ができない。
そこで、横須賀線電車用の線路を新たに追加することにした。昭和55(1980)年10月に、東京―品川間は地下に別線を設置、
品川―鶴見間は東海道本線の支線の通称・品鶴線を横須賀線電車線に転用した。品鶴線の鶴見駅にはホームがないし、
この先は高島支線と羽沢支線(いずれも通称)に分かれていたので、手前の新鶴見信号場―大船間は貼付線増
(既存の線路に並行して線路を設置する方法)で複線を追加した。
ところが、湘南新宿ラインの運行開始で、同ラインの電車も走るようになり、さらに特急「成田エクスプレス」や
相鉄(相模鉄道)直通電車も走る。今や大船以北は横須賀線電車専用ではなくなった。 ●次は何と呼ぶ? 愛称が何度も変わる「京浜東北線」
「京浜東北線」も正式な路線名ではない。東京駅を境に南側は東海道本線の電車線、北側は東北本線の電車線であり、
両電車線は横浜―大宮間で直通運転をしていて、これに京浜東北線という愛称名を付けている。
この愛称は、定着するまでにいろいろと変えられていった。まずは大正3(1914)年12月に東海道本線東京―高島町(廃止)間
に電車運転を開始したときには「東京横浜間電車」の愛称が付けられた。東京―品川間の電車線には山手線電車が走っていたが、
品川以南では蒸気機関車牽引の客車列車しか走っていなかった。そこに頻繁運転(ここではあまり待たずに列車がやって来る
という意味)で駅を増やした電車専用線路を新設したことから「東京横浜間電車」と呼ぶようにしたのである。
ただし、運転開始初日に運転不能になる故障が多発して、翌年の5月まで線路や架線、電車の手直しを余儀なくされた。
その後、桜木町駅まで延長した。当時は桜木町以南の根岸線はなく、横浜―桜木町間は東海道本線に含まれていた。
東京―品川間は山手線電車と同じ線路を走っていた。当然、「東京横浜間電車」も上野への乗入れをすることになるが、
山手線電車との違いを明確にするために「東海道線電車」という呼称に改めた。そして田端まで延長運転をした後の
昭和3(1928)年2月に、東北本線の田端―赤羽間も電車線を増設して「東海道線電車」が乗り入れることになったが、
このとき呼称を「京浜線電車」に改めた。
東北本線の電車線だから、ほかに言い方もあっただろうが、当時を知る方から「赤羽京浜線電車」ということには
抵抗があったように聞いている。そうこうしているうちの昭和7(1932)年9月に大宮駅まで電車線が延び、このとき
「東北・京浜線」の呼称に変更し、この呼称が長らく使用されるようになる。
しかし、もとからこの電車が走っていた品川以南の鉄道員たちは、駅の案内放送などでは「京浜線」、呼称や案内板も
「京浜東北線」を使っていた。
昭和20(1945)年の日本国有鉄道発足時に「京浜・東北線」と変更したものの、やがて「・」が取れて「京浜東北線」
になった。しかし、昭和40年代後半になっても、東京以南の各駅では、まだ「京浜線」という案内放送も聞かれた。 昭和39(1964)年5月に桜木町―磯子間が開通したときには路線名を京浜東北線にするかと思いきや、京浜東北線は
正式路線名ではないということから、根岸線を正式路線名にし、横浜―桜木町間を根岸線に編入した。
京浜東北線と似た直通運転形態をしている三鷹―千葉間の各駅停車線は「中央総武線」とは書かない。
「中央・総武緩行線」あるいは「中央線・総武線各駅停車」としている。令和2(2020)年3月まで早朝深夜の時間帯
では総武線各駅停車は千葉―御茶ノ水間、中央線各駅停車は東京―高尾間の運転だったためである。3月14日から各停は
終日、千葉―三鷹間の運転になったことから、今後は「中央総武線」の呼び方に変わるかもしれない。
川島令三 駅出たら即ホテル街「山手線・鶯谷」20代会社員は住めるか?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200802-00028059-gonline-bus_all
8/2(日) 11:00配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、JR山手線、京浜東北線の「鶯谷」。
■改札を出たらホテル街…どうしてこんなことに?
「鶯谷」は東京都台東区に位置する、JR山手線と京浜東北線の駅です。
1日の乗車人は2.5万人ほど。2019年時点、山手線駅で一番利用客が少ない駅です。
駅があるのは台東区根岸ですが、なぜ「鶯谷」という駅名が付いたのでしょうか。江戸時代後期に作られた
『新編武蔵風土記稿』によると、元禄時代(1688〜1704年)、江戸のウグイスの鳴き声に不満をもった寛永寺
(現在は駅の西側に所在)の門主が、京都からウグイスを運ばせ放鳥したのが、「鶯谷」の名の由来とあります。
ウグイスの鳴き声は後天的に学習したもので、平安時代から「美声のウグイスを放鳥して、飼っているウグイス
に鳴き声を学ばせる」ということが行われていたそうです。
ただ鶯谷がどのあたりの地名だったのか、はっきりとはわかっていません。1829年の地誌書『御府内備考』
では「七面坂から南、御切手同心組屋敷の間の谷を鶯谷という」、『新編武蔵風土記稿』には「信濃岩村田藩
内藤氏抱屋敷の裏の坂を鶯谷という」とあります。これらの場所は「日暮里」駅や「西日暮里」駅に近い場所。
にもかかわらず、「鶯谷」と命名されたのは、謎のままです。
乗客が少ない背景には、山手線でも少数派である、他路線との接続がない駅であることが関係しています。
最寄とする台東区根岸や下谷、入谷あたりは、中高層住宅が少ないエリア、つまり人口密度が低く、
必然的に駅の利用客が少ないのです。 駅周辺は、江戸時代、寛永寺領であったため多数の寺院が残っています。また根岸は「下町の別荘地帯」といわれ、
古くから多くの文人に愛された街として知られています。明治から昭和初期にかけては、正岡子規をはじめとする文人が
多数住み、根岸党という文学人のサロンもありました。現在、正岡子規の住んだ家「子規庵」は、駅の北側、根岸2丁目にあります。
このように見ていくと、鶯谷は文化の薫りがする落ち着いた街、という印象を受けるでしょうが、多くの人が知っている
鶯谷は、「=ラブホテル街」ではないでしょうか。ほかの繁華街では、奥まったところにラブホテルはあり、街の印象には
影響を与えません。ところが鶯谷は駅を降りてすぐ到着という立地。鶯谷が良いイメージを持たれないのは、
そのような事情があるのでしょう。
鶯谷は「上野」駅に近い立地から、集団就職などで上京してきた人たちをターゲットにした、簡易宿泊所が多く立地。
しかし時代の流れの中で客が減少し、男女向けの休憩中心になっていき、いまのようなラブホテル街が形成されていきました。
■交通至便でほどほどの生活環境…単身者なら申し分なし
ラブホテル街の印象から、あまり良いイメージがない「鶯谷」駅。一般的な単身会社員の居住地としてはどうなのでしょうか。
見ていきましょう。まずは駅周辺の家賃水準。駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は8.63万円(図表1)。
同条件の東京都台東区の家賃水準は、駅10分圏内で8.76万円。「鶯谷」駅周辺の家賃相場は、台東区の平均とほぼ同水準です。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、25〜29歳で27.5万円、
30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、そこから住民税や所得税などを差し引いた
手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。
「鶯谷」駅周辺の家賃相場は、30代会社員であれば検討できる水準です。大手検索ポータルサイトで、30代会社員の適正家賃内、
徒歩10分圏内を条件で検索すると、多くの単身者向けの物件がヒットします。 内訳を見ると、3割が築30年以上の築古物件である一方、3割が新築、または築5年以内の築浅物件で、
オートロックや浴室乾燥機など、今どきの賃貸ニーズに応えるもの。
山手線沿線の駅チカで築年数にこだわった物件選びができるのは、貴重です。
交通面はどうでしょうか。「上野」3分、「東京」11分、「品川」24分、「池袋」15分、「新宿」24分、「渋谷」31分
(所要時間は「鶯谷」を平日8時に出発した場合の目安)。山手線沿線の主要エリアは、30分前後で移動が可能。
他路線との接続がないので、乗換えは必須ですが、都心の主要エリアへのアクセスも、おおむね良好です。
買い物環境はどうでしょうか。駅東側を走る言問通り沿いに「業務スーパー」や「まいばすけっと」などのスーパーがあります。
また北口改札を出たところには、大手ドラッグストアチェーン店も。規模の大きな買い物スポットはありませんが、単身者の
1人暮らしであれば、困ることのない充実度。また「上野」駅には徒歩11分で、生活圏にできる距離です。
飲食店はどうでしょうか。駅前にはファストフードや牛丼店、定食店などがあるほか、言問通り沿いにはファミレスなど
飲食店も並んでいます。また鶯谷はラーメン激戦区としても知られ、遠方からファンも訪れるほど。さらに前述の通り
「上野」駅が徒歩圏内なので、外食派の人でも困ることはないでしょう。
山手線駅で最も利用客が少なく、またイメージも良くない「鶯谷」。ただ単身者の居住地として考えた場合、「上野」
からひと駅で、しかも生活圏内という至近距離。駅単体でもほどほどの買い物環境で、利便性に申し分はありません。
また数値的に治安も良く、住環境も悪くはありません。ホテル街にネガティブな印象を抱かなければ、十分、居住地
として魅力的な街ではないでしょうか。
GGO編集部 渋谷の宮下公園が「公立空中庭園『ミヤシタパーク』」に!「街・公園・商業施設の一体化」は新トレンドとなるか?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200802-00225111-hbolz-soci
8/2(日) 8:34配信
渋谷区立宮下公園」が「街・公園・商業施設の一体化」をめざした「個性的な公立公園」としてリニューアル
を遂げ、いよいよ8月4日にグランドオープンを迎える。
渋谷駅の利用者ならば「宮下公園」の名前は聞いたことがあろうが、一方で「どの部分が公園だったか良く知らない」
「単に駐車場の上にあるちょっとした森のことだと思っていた」という人も多いのではないだろうか。
果たしてどういうかたちに生まれ変わったのか――実際に現地を訪れて「一体化」による個性を味わってみた。
■耐震化問題で閉鎖された「区立宮下公園」、高層化して「屋上公園」に
7月末、グランドオープンを前にした宮下公園に足を運ぶとそこあったのは――大きなショッピングセンターであった。
何を隠そう、リニューアルした渋谷区立宮下公園は、三井不動産の新商業施設
「三井ショッピングパーク レイヤードミヤシタパーク(RAYARD MIYASHITA PARK)」の4階部分にあるのだ。
このミヤシタパークは渋谷区が宮下公園を人が集まる場所にすることを目的として、官民協働事業(PPP)
の一環として渋谷区と三井不動産が共同で開発したもので、渋谷区初となる立体都市公園制度活用事例となった。
全国各地に「屋上庭園」は数多くあれども、公立公園が商業施設の屋上に設けられるのは極めて珍しい。
初代の宮下公園は戦前に都市計画公園として一部開園。開園当初は公園付近に旧皇族・梨本宮家の邸宅があり、
公園一帯が宮下町と呼ばれていたため、地名に合わせて公園名が命名された。
現在のミヤシタパークの前身・渋谷区立宮下公園は1953年に全面開園したもの。1966年には重層化され、
下層階は駐車場に、上層階は公園となった。2011年4月には渋谷区とネーミングライツ契約を締結した
ナイキ・ジャパンとの連携のもと複合施設「宮下ナイキパーク」としてフットサル場やクライミングウォール、
スケートパークなどを整備するリニューアルを実施。 ■館内ウォークは公園までの「街歩き」
「三井ショッピングパーク レイヤードミヤシタパーク」の建物のうち、南街区の商業棟は1〜4階(15,922平方メートル)、
北街区の商業棟は1〜3階(10,649平方メートル)。かつての宮下公園の敷地全体を活用しており、敷地面積は
約10,740平方メートル、延床面積は約46,000平方メートル、全長は約330メートルにも及ぶ。
また、北街区の北側4〜18階は三井不動産ホテルマネジメントの次世代型新ホテルブランド1号店
「シークエンス ミヤシタパーク」(240室)となるほか、建物の地下には駐車場が設けられている。
商業施設部分は北街区の下層階には「GUCCI」「COACH」などのラグジュアリーブランドが多く並ぶ一方、
南街区の1階には「渋谷横丁」と銘打った屋台街を思わせる街区が登場、盛岡冷麺やハントンライス、宇都宮餃子、
長浜ラーメンなどの郷土料理を気軽に楽しむことができる。このギャップが面白い。
さらに目を惹くのが、建物の規模に対してかなり多く設置されている「階段」や「エスカレーター」の多さ。
「階段」「エレベーター」「エスカレーター」はそれぞれ各4ヶ所に設けられており、館内を歩いていると
自然に上層階――そして商業施設の「メインコンテンツ」である屋上公園へと足を運びやすい構造になっている。
館内を巡ると、体験型のキットカットショップ「キットカットショコラトリー」(南館2階)、天狼院書店による
BOOK&CAFE「天狼院カフェSHIBUYA」(南館3階)、多国籍料理が味わえる「フードホール」(南館3階)、渋谷初
となる都市型ワイナリー「渋谷ワイナリー」(北館3階)など、食を中心に様々な業態の店舗が設けられており、
大人から子供・地元民から観光客まで幅広いターゲットを想定していることが分かる。そこまで広くない面積、
それも「細長い2館体制」という難しいかたちでこれだけのコンテンツを詰め込んだのは、流石は「三井不動産」
の手腕だと思わされる。館内をぶらぶら歩きつつ、近くにある階段やエスカレーターで上へとのぼっていけば、
いよいよ4階、「渋谷区立宮下公園」に到達だ。
■いよいよ地上4階の空中庭園へ!
装いも新たになった「渋谷区立宮下公園」は建物の4階部分にあたり、営業時間は8:00〜23:00。
公園面積は約1万平方メートルにも及ぶ。 以前の鬱蒼とした樹木が生い茂る宮下公園とは打って変わって、開放的な芝生広場には多くのベンチが並ぶ。
この芝生広場の広さは約1000平方メートルで、イベントの開催にも対応している。
広場の周囲には「ボルタリングウォール」、「スケート場」、「多目的コート」などのスポーツ施設が設けられている。
これらのスポーツ施設の利用は9:00〜22:00(受付は21:30まで)で、ボルタリング場とスケート場の利用料金は
2時間1000円(小中学生480円)、渋谷区民は半額。ボルタリングなどは専門スタッフによって指導して貰うこともできる。
また、公園内にはスターバックスコーヒーが出店。渋谷駅チカに勤務している人は、行き交う電車を眺めながら
スタバ片手に芝生広場でお弁当を広げるのもいいし、時間があればボルタリングで食後の運動…ということも可能だ。
公園内を見渡すと、フルフラットとなっており「重層化」していながらバリアフリーに配慮されていることがわかる。
なお、広場内にテントなど立体物の構築をおこなうことは禁止されているため、くれぐれも「ここをキャンプ地としよう」
などとは思わないように。園内には渋谷のシンボルである「ハチ公」をモチーフとしたオブジェなども設けられており
「映える写真」の撮影もできそうだ。
■「街・公園・商業施設の一体化」が新トレンドに?
さて、戦前に開設された当初の宮下公園は「渋谷」という「街の中にある公園」であった。
しかし、近年の宮下公園は、下層階の殆どが駐車場となっていたため「街と分断された公園」になっており、
フットサルなどの利用者以外にとっては馴染みが薄い存在となっていた。
今回の「さらなる重層化」により「街と分断された公園」はさらに街と分断されるかと思われたが、それは杞憂であった。
先述したとおり、商業施設「レイヤードミヤシタパーク」の館内には比較的多くのテラスや階段が設けられていることが特徴だ。
さらに、1階に設けられた「横丁」の雰囲気も相まって、ぶらりと「館内を街歩きの感覚でめぐり、近くにあるエスカレーター
や階段を上っていくと公園に到達できる」仕組みとなっていた。
この仕組み、どこかで最近見かけたような……と考える間も無く、公園から周囲を見渡して気付いた。
それはすぐ近くにある「渋谷パルコ」だ。 建替えにより昨年11月に新装開業した「渋谷パルコ」にはスペイン坂から屋上庭園まで続く大規模な「立体街路」
が設けられていることが特徴で、上層階からも立体通路のテラスに出てぶらぶら歩いていると(エスカレーター併設)
屋上庭園に辿りつく、という構造になっている。ハコ型の商業施設でわざわざテラスに出るなんて…と思うかも
知れないが、渋谷パルコのテラスではミニライブやDJイベントなど様々なイベントが開かれていることもあり、
訪問時には立体通路を行き交う客もいたほか、テラスや屋上は夜景を見て楽しむ人たちで賑わっていた。
かつて、全国各地の大型商業施設の多くが屋上遊園地や屋上庭園に力を入れており、これらは「市民の憩いの場」
として親しまれていた。東京都心の百貨店などでは現在も「屋上庭園」として存続している例が比較的みられるが、
全国的に見ると防災面の問題などもあって屋上に出られる商業施設は数が減っている。
しかし、新装なった宮下公園や渋谷パルコ以外にも、今年4月にはユニクロが横浜市に屋上公園と一体化した店舗
「ユニクロパーク横浜ベイサイド」を開業させるなど、近年は「屋上の整備に力を入れる」どころか
「街・公園・商業施設の一体化をおこない、公園自体を建物のアイデンティティとする」商業施設が増えてきている。
一般的に大型商業施設は街に対して「内向き」になりがちであるが、今後は「街・公園・商業施設の一体化」をめざした
「個性的な屋上」を持った商業施設が増えていくことになるかも知れない。もちろん、そのためには
「人類が新型コロナウイルスに打ち勝ち、再び公園でくつろげる時代が来ること」が必須となるのだが――。
<取材・文・撮影/若杉優貴 ウラカシ(都市商業研究所)>
【都市商業研究所】
若手研究者で作る「商業」と「まちづくり」の研究団体『都市商業研究所』。Webサイト「都商研ニュース」では、
研究員の独自取材や各社のプレスリリースなどを基に、商業とまちづくりに興味がある人に対して「都市」と「商業」
の動きを分かりやすく解説している。Twitterアカウントは「@toshouken」
ハーバー・ビジネス・オンライン 富士通が2020年度の経営方針を説明“パーパス”実現のために4つの取り組みを実施
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200731-00000010-impress-sci
7/31(金) 0:02配信
富士通株式会社は30日、2020年度の経営方針について説明した。
同社の時田髏m社長は、「ニューノーマルの時代において、レジリエントな社会づくりに貢献したい。
これまでの習慣や常識とは非連続の新たな生活様式や考え方が生まれるなかで、富士通は社会や
お客さまのあるべき姿を新しい視点でとらえ、テクノロジーで形にすることで、柔軟で、力強い
社会づくりに貢献したい」などと述べた。
また中期目標として掲げている、テクノロジーソリューションの2022年度の売上収益3兆5000億円、
営業利益率10%の計画を維持する一方、非財務指標として、人権・多様性、ウェルビーイング、環境、
コンプライアンス、サプライチェーン、安全衛生、コミュニティの7つの課題bノついて、NPS
(Net Promoter Score)を用いて評価する仕組みを導入する準備を進めていることを明らかにした。
ここでは、組織やカルチャーの変革の進捗を、経済産業省が推進するDX推進指標を用いて、客観的に
測定する考えも示している。
「財務・非財務両面の経営目標を設定することで、長期的で、安定した貢献を行い、その結果、富士通
の成長につながるポジティブなループを描きたい」と述べた。
さらに今回の会見で、時田社長は、「For Growth」と「For Stability」という、事業領域を分類する名称を新たに示した。
「新型コロナウイルスの影響があり、2020年度のIT支出は減少すると見られているが、その後は緩やかに
回復すると予想している。そうしたなかでも、DXやモダナイゼーション、クラウドといったデジタル分野は、
従来のSIビジネスやオンプレミス、システム保守といった従来型ITよりも、成長すると想定され、富士通
として注力する分野になる」とする。
続けて、「DXやモダナイゼーションといったデジタル領域を、お客さまの事業の変革と成長に貢献する
事業領域として、For Growthを定める一方、システム保守や運用、プロダクト提供といった従来型IT領域を、
IT基盤の安定への貢献と、品質向上に取り組む領域としてFor Stabilityとし、富士通は、この2つの事業領域で展開する。 For Growthでは、規模の拡大と収益規制の両方を伸ばし、For Stabilityは効率性を上げ、
利益率を高める。この2つの事業領域でお客さまや社会への価値提供を最大化したい」と述べた。
For Growth領域では、2022年度に売上収益で1兆3000億円を目指し、テクノロジーソリューション
のうち、37%を占める計画だ。
一方、時田社長は、「ニューノーマル時代に求められる富士通の役割は、テクノロジーを用いて、安心、
安全で、利便性の高い社会づくりに貢献していくことである」と主張。
「そのために富士通自身がリファレンスとなるべく、テレワークやウェブ会議などのテクノロジーの活用
を率先して行うのに加えて、Work Life Shiftのように、新たな生活様式に適した人事制度や、オフィス、
ビジネスの在り方まで見直す取り組みを進めている。すでに、ソフトウェア開発業務においては、協力会社
を含めて、5000人規模でのリモート開発にシフトした。お客さまととともに、新たなビジネスの在り方を
構想し、その実現に取り組むReimagine(リイマジン)キャンペーンを開始している。ここでは、働き方、
ものづくり、医療といった分野で新たな時代に最適な価値を提供したい。富士通はDX企業としてデジタル社会
の実現を目指しており、その視点と、これまで多様な業種での実績を生かして、大きな役割を果たせる」と述べた。
2020年5月に発表した「パーパス(存在意義)」についてもあらためて言及。「イノベーションによって社会に信頼
をもたらし、世界をより持続可能にしていくというパーパスに基づいて、富士通は、すべての活動を行っていく」
としながら、富士通グループ全社員の原理原則である「Fujitsu Way」を、12年ぶりに刷新したことにも触れた。
「新たなFujitsu Wayは、社員全員がパーパス実現に向けて、自律的に意思を決定し、行動していくためのより
どころである。Fujitsu Wayは、パーパス、大切にする価値観、行動規範で構成している。富士通グループは、
すべての行動をFujitsu Wayに照らし合わせて判断し、パーパスの実現に取り組むことになる」。 今回の説明では、パーパス実現のために取り組む課題として、「価値創造」の観点から
「グローバルビジネス戦略の再構築」、「日本国内での課題解決力強化」、「お客さま事業の一層の安定化に貢献」、
「お客さまのDXベストパートナーへ」という4つの取り組みに触れたほか、「自らの変革」の観点から、
「データドリブン経営強化」、「DX人材への進化・生産性の向上」、「全員参加型、エコシステム型のDX推進」
の3点を説明した。
「グローバルビジネス戦略の再構築」では、日本を含む6リージョン体制に再編。「グローバルで戦略を着実に
実行する体制を整えた。グローバルで共通のポートフォリオ、アカウントプラン、オファリングを実現し、
リージョンごとに最適化したサービスを提供する。これらを支えるテクノロジーについては、重点領域に
リソースを集中して、富士通ならではの強みの確立に取り組む」とした。
このほか、5Gビジネスにおいて海外展開を進めていることや、ポスト5Gの技術研究に取り組んでいること、
富岳のテクノロジーを、HPEを通じて、グローバルに広く展開している例なども示した。
「日本国内での課題解決力強化」では、日本市場に根ざしたビジネスを強化するために、富士通Japanを、
2020年10月1日に発足することに触れた。
「富士通Japanは、日本特有の要素が大きい自治体や文教、ヘルスケア、中堅民需市場のビジネスを担う。
日本は人口減少や少子高齢化など、世界のなかでも課題先進国であるほか、新型コロナウイルスの感染拡大
でも、日本固有の課題が浮き彫りになった。富士通Japanはデジタル技術を活用して社会課題の解決に取り組む
ほか、豊富な業界、業務ノウハウを生かしたビジネス起点での提案を行い、クラウドファーストへのシフトも進める。
また、国内グループ会社の最適化も進めるきっかけとなる。富士通フロンテック株式の公開買い付けを行うこと
を発表したが、同社が持つ金融、流通向けソリューションや、手のひら静脈認証などについても、富士通グループ
として一体化を図る」とした。 なお時田社長は、「富士通Japanは、もともと7月1日に設立する予定であったが、その後に、国内グループ会社
の最適化を行うプロセスを想定していた。新型コロナウイルスの影響で10月1日の発足へと時期を変更したが、
グループ会社の最適化の一部をこのタイミングで同時に行うことになったともいえる」とコメント。
「今後は、富士通本体がグローバルに展開するソリューション開発をメインに行う体制になり、製造、流通、
金融向けソリューションを残して、グローバルにポートフォリオを作る役割を担う。一方で、日本を含む
6リージョン体制によって、各リージョンでのデリバリーやローカライズを、マネジメントの目線であわせた。
富士通Japanはジャパンリージョンのなかで展開することになる。日本は、新型コロナウイルスでも日本固有
の課題がある。特に、行政、医療、文教などは日本固有の習慣などがあり、本体と分けて身近な環境で対応
していくことになる。国内に“ミニ富士通”がたくさんあるという課題も解決できる」とした。
「お客さま事業の一層の安定化に貢献」としては、ジャパン・グローバルゲートウェイの取り組みについて触れた。
ジャパン・グローバルゲートウェイは、グローバル標準で開発を行う、世界8カ国のグローバルデリバリーセンター
を活用するための日本の組織で、「現場とグローバルデリバリーセンターをつなげ、リモートでの対応や標準化
を一層進めることで、お客さまへのサービス提供のスピードと品質向上につなげられる」とした。
「お客さまのDXベストパートナーへ」では、DXパートナーとしての人員強化を挙げた。デザインを重要な
経営資源と位置づけ、あらゆる事業活動にデザインシンキングを取り入れるための組織としてデザインセンター
を、また、Society 5.0の実現に向けた組織としてソーシャルデザイン本部を、それぞれ7月1日に新設。
「ヘルスケアや教育、ファイナンスなどのテーマに沿って、社会や生活者の視点で新規事業を創出し、
次の時代の社会に貢献することになる」と位置づけた。 ここでは、デジタル通貨やポイントなどの相互変換による取引・決済を行うための、トークンエコノミー
プラットフォームを提供する取り組みを開始したこと、データ解析のPalantirへの出資し、すでに富士通社内
でこれを活用していること、4月に設立したDX具体化のための新会社Ridgelinezの活動が本格化し、共創活動
が開始されていることにも触れた。
さらに、「自らの変革」に含まれる「データドリブン経営強化」では、データに基づいたスピーディーな
経営判断を行うことができるように、プロセスやシステムの刷新も進めていることを紹介。「今後、見るべき
指標を決定し、全社で同じデータを参照できる仕組みを整備していく。財務/経理、購買、ロジスティクス
などが先行してグローバルでの統合を図っており、すでにOne ERPプロジェクトを始動している」とした。
「DX人材への進化・生産性の向上」では、社員13万人がDX人材となることを目指し、デザイン思考やア
ジャイルマインドの教育を進めていることを紹介し、「多様性を重んじた風土への転換を図るとともに、制度面
でもジョブ型人事制度を開始して、これを国内1万5000人まで拡大した。高度人材の積極的な登用も進める」と述べた。
また「全員参加型、エコシステム型のDX推進」では、CDXO(Chief Digital Transformation Officer)である
時田社長と、SAPジャパンの前社長から富士通入りした福田譲執行役員常務に加えて、社内15部門にDX Officerを配置。
「CDXO直下の専任チームとともに、横ぐしの体制で推進する全社プロジェクトを7月1日からスタートした。
富士通自身のDXを一層加速させる」と述べた。
富士通では、こうした「価値創造のための投資」と「自らの変革のための投資」として、今後5年間で
5000〜6000億円の投資を行う考えも示した。「サービス、オファリングの開発投資のほか、M&Aや有力パートナー
とのアライアンス、ベンチャー企業といった外部への投資、将来を見据えた戦略的なDXビジネスへの投資を行う。
また、高度人材の獲得や社内人材の強化、システム強化のための投資も実行する」という。 また、財務目標として「キャピタルアロケーションポリシー」を導入。「今後5年間で1兆円以上のフリーキャッシュ
フローを創出し、これを最適に配分する。現在の健全な財務基盤を維持しながら、成長投資にかじを切る。また、
安定的な株主還元を継続的に実施する。収益性と資本効率性の観点から一株当たり当期利益(EPS)も重視する」と述べた。
■2020年度第1四半期は減収増益
一方、富士通が発表した2020年度第1四半期(2020年4月〜6月)連結業績は、売上収益が前年同期比4.3%減の8027億円、
営業利益が同558.0%増の222億円、税引前利益が同314.4%増の259億円、当期純利益が同156.2%増の181億円となった。
富士通 取締役執行役員専務/CFOの磯部武司氏は、「新型コロナウイルスの影響としては、売上収益ではマイナス
358億円の影響があった。また、営業利益ではマイナス121億円の影響があった。新型コロナウイルスの影響を除くと
売上収益は前年並の実績となっている。テクノロジーソリューションは、富岳の貢献や5G基地局の所要が増加して増収。
ユビキタスソリューションは、前年のWindows 7のサポート終了に伴う特需の反動を受けて、大きく減収。デバイス
ソリューションは事業再編の影響により減収となった。だが、すべてのセグメントで採算性を改善している」と総括した。
また、新型コロナウイルスのマイナス影響の部分だけを見ると、売上収益で655億円、損益で220億円のマイナスが
あるとしたほか、プラス影響としては、売上収益で296億円、損益で99億円の効果があるとし、テレワークなどの
リモート関連のPCやインフラの増設、コールセンターの効率化、自動化に向けたソリューションなどの商談が増加
しているという。
セグメント別業績では、テクノロジーソリューションの売上収益が前年同期比0.3%減の6791億円、営業利益は
同66.8%増の126億円。営業利益率は0.8%となった。
そのうち、ソリューション・サービス事業の売上収益が前年同期比3.1%減の3768億円、営業利益が同1.5%減の178億円。
「公共分野の増加はあるものの、製造、流通、ヘルスケアを中心にコロナ影響を大きく受け、前年実績からは減収になっている」という。 また、システムプラットフォーム事業の売上収益は前年同期比24.0%増の1517億円、営業利益は前年同期の64億円
の赤字から黒字転換し、50億円。そのうち、システムプロダクトの売上収益が前年同期比25.9%増の1059億円、
ネットワークプロダクトの売上収益が同20.0%増の458億円となった。「システムプロダクトは、メインフレームの商談
の増加、スーパーコンピュータの富岳の出荷により増収。ネットワークプロダクトは5G基地局の所要増加が貢献した」という。
海外リージョンの売上収益は前年同期比8.2%減の1710億円、営業利益は前年同期の5億円の赤字から悪化し、37億円の赤字。
「欧州・アジアを中心としたコロナ影響や、ユーロ、ポンドが前年から円高に推移した影響に加えて、欧州の不採算国や
北米のプロダクトビジネスからの撤退の影響により、減収になった」とした。
ユビキタスソリューションは、売上収益が前年同期比28.2%減の738億円、営業利益は同18.1%増の42億円。
「前年度Windows 7の買替特需の反動を受けて減収となったが、営業利益は減収影響はあるものの、ハイスペック品
の割合が増加したのに加え、販売価格維持による採算性の改善により増益になった」という。
デバイスソリューションは、売上収益は前年同期比18.1%減の683億円、営業利益は前年同期の77億円の赤字から、
53億円の黒字に転換した。2019年第3四半期から、半導体生産の三重工場が連結対象外となった事業再編により、
売上収益ではマイナス143億円の影響があったという。
なお、国内の受注状況については、2020年度第1四半期が前年同期比9%減となっており、「前年同期のPC特需の
反動が大きいが、これを除いても3%減である。過去の景気減速時を振り返ると、大規模、長期間のプロジェクト
が多い富士通は、経済動向から少し遅れて業績に影響する傾向がある。業種ごとの強弱はあるが、第2四半期以降
の売上が低調な水準になることが懸念される」と分析した。
■2020年度の通期見直しを発表
2020年度の通期見通しについては、売上収益が前年比6.4%減の3兆6100億円、営業利益が同0.2%増の2120億円、
当期純利益は前年並の1600億円とした。同社では、2020年度見通しについては、これまで公表していなかった。 「新型コロナウイルスの影響もあり、売上収益は減少するが、営業利益率は前年度並を確保できる。
特に、本業となるテクノロジーソリューションは、利益率の高いサービスにシフトすることで営業利益率は
6.4%となり、前年度よりも改善する」(時田社長)という。
新型コロナウイルスの影響として、売上収益では1100億円のマイナス、営業利益では380億円のマイナスを想定している。
磯部CFOは、「通期見通しの前提は、新型コロナの経済活動への影響は第1四半期に底をうち、第2四半期、
第3四半期と徐々に回復に向かい、第4四半期には企業活動が本格的に再開していることという状況である。
現在、感染が再拡大している状況が見られているが、再び緊急事態宣言が発令され、経済活動が停滞することは
織り込んでいない。だが日本では、製造、流通、小売、ヘルスケアでの収益に影響が生じることは想定している。
また海外では、厳格なロックダウンにより経済活動の停滞が大きく、当社のビジネス基盤が弱いことで、業績の
回復に時間を要すると考えている」とした。
ここでは、新型コロナウイルスの影響については、マイナス影響とプラス影響について、それぞれを説明した。
新型コロナウイルスのマイナス影響としては、売上収益で1780億円、損益で600億円のマイナスがあるとし、
ICT投資予算の延期や規模の縮小、中堅および中小規模向け顧客に対する商談活動が停滞することを挙げた。
またプラス影響としては、売上収益で680億円、損益で220億円の効果があるとし、テレワーク商談のほか、
デジタル化や非接触、無人化に対応したソリューション、政府や自治体の緊急対策、行政のデジタル化の
加速などを想定しているという。
なお、セグメント別業績では、テクノロジーソリューションの売上収益が前年比3.3%減の3兆900億円、
営業利益は前年並の1880億円。ユビキタスソリューションは、売上収益が前年比29.9%減の3190億円、
営業利益は70.0%減の80億円。デバイスソリューションは、売上収益は前年比9.2%減の2800億円、
営業利益は前年同期の32億円の赤字から、160億円への黒字転換を目指す。
クラウド Watch,大河原 克行 東京近郊「物価が安いと感じる街」ランキングTOP10、3位東十条(北区)、2位小台(荒川区)、1位は?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200802-00010004-seraijp-life
8/2(日) 15:03配信
「住みたい街ランキング」はよく目にすると思いますが、今回は、株式会社リクルート住まいカンパニー
による「物価が安いと感じる街ランキング」をご紹介します。
関東(東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県・茨城県)に居住している人を対象に“物価が安い”と評価された
街を改めて集計。その結果、よくある「住みたい街ランキング」とは全く異なる街がランクインしました。
【TOP10にランクインした街の特長】
●上位10位を東京都の北区、荒川区、足立区の街が寡占。半数を足立区が占める結果に
●1位の十条、3位の東十条は、池袋や新宿、東京など都心ターミナル駅から近いにも関わらず、他地域を抑え上位に
●300円で洋服が買える商店街、コロッケ1個28円、キャベツ1玉50円、シイタケ1パック50円といった
激安商品がそろうスーパーなど、驚きのコストパフォーマンス店が続出
【都心に近いのに物価が安い!東京都北区 十条(1位)、東十条(3位)】
■赤羽駅の隣に位置する十条駅(JR埼京線)と東十条駅(JR京浜東北線)。
十条駅から埼京線で池袋駅6分・新宿駅12分、東十条駅から京浜東北線快速で上野駅11分・東京駅17分
となっており、都心に近いのに物価が安いエリアと言える。
■十条駅前には戦前から残る「十条銀座商店街」が広がり、コロッケ1個28円、つくねボール1個19円など
揚げ物ややきとりが並ぶ「あい惣家」、やさいコロッケ1個30円、やきとり1本60円の「惣菜みやはら」など
の激安惣菜が充実している。レタス1玉69円、なす1本29円など激安な青果店が複数あるほか、鮮魚店や精肉店
もそろっており、スーパーに行かずとも商店街で食料品の買い物が完結する。生鮮食品だけでなく、工場直売
の靴屋で靴が1足1500円で買える。靴下99円、スニーカーソックス60円、洋服が300円台で買える激安ショップも。
■東十条駅前には台湾ラーメン400円のお店など安いランチのお店や、ヘアカット980円の理髪店も。 【下町の昔ながらの街並みが残る!東京都荒川区 小台(2位)、荒川遊園地前(7位)】
■都電荒川線の王子駅前駅と町屋駅前駅の中間に並ぶ小台駅と荒川遊園地前駅がランクイン。
■都電荒川線の小台駅(住所は小台ではなく東京都荒川区西尾久)から住宅街に抜ける「あっぷるロード」
をしばらく行くと小さな商店街「小台銀座」にたどり着く。長ネギ2本100円、にんじん1袋100円などわかり
やすい価格設定の昔ながらの青果店や、鮮魚店、精肉店が並び、下町の昔ながらの風景を見ることができる。
■荒川遊園地前駅近くの「スーパーバリュー」では、レタス1玉99円、セロリ1袋98円などの安い食材が並ぶ。
「荒川遊園地」は23区内で唯一の公営遊園地。入園料が大人200円、小中学生100円、未就学児は無料。
(現在、休園中。2021年の夏頃にリニューアルオープン予定)
【物価の安い街激戦区の東京都足立区!梅島(4位)、西新井(6位)、五反野(8位)、竹ノ塚(9位)、青井(10位)】
■北千住の先の東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)に並ぶ、五反野駅、梅島駅、西新井駅、竹ノ塚駅。
つくばエクスプレスの北千住駅の隣にある青井駅は、五反野駅から約1.5kmに位置する。
東京都足立区の駅がトップ10のうち半数の5駅を占める結果に。
■五反野駅と梅島駅の中間に位置する激安スーパー「ABS卸売スーパー 足立店」は、倉庫のような店内で100円均一
ショップより安い68円コーナーがある。アメ横などに卸しを行っているスーパーで、アメ横よりも安い価格で食料品が並ぶ。
■西新井駅東口にはスーパー「イオン」が隣接。きゅうり1本47円、レタス1玉98円と駅前にも関わらず、安く生鮮食品が購入できる。
■西新井駅西口には、「ドン・キホーテ」が。「ファッションセンターしまむら」も駅前にあるため、生活用品
や洋服も駅前で安く購入できる。駅から徒歩8分の場所にある「アリオ西新井」では、「ユニクロ」、「GU」、
「無印良品」、「アカチャンホンポ」、「TOHOシネマズ」といった店舗・施設が軒を連ねている。 ■竹ノ塚駅は東口を出るとロータリーを囲むように団地が並んでいる。1階部分が「竹の塚駅前名店街」となっており、
大根1本98円、ピーマン1袋98円などの青果店や、ハイボール1杯150円で昼飲みができる居酒屋が並ぶ。団地の先の
「ニコニコ通り商店街」にも小さな青果店が並び、安く生鮮食品を購入できる。道端で野菜が無人で販売されていて、
店舗以外でも安く食材を手に入れられる。
■青井駅の近くには昔ながらの「青井兵和通り商店街」が広がっていて、精肉店や鮮魚店、青果店が並ぶ。
毎月第2土曜日夕方には出店者を募集する形の“まんぞく市”を開催。毎月第4日曜日には朝市を開催。
日曜朝市では花火の合図に合わせて午前7時からやきそば1皿100円が販売される。
【中古一戸建てが350万円から手に入る!? 千葉県八街市 八街(5位)】
■東京都以外では唯一のTOP10入りとなった八街駅。市としては県庁所在地千葉市の隣に位置しており、
東京まで特急利用で片道1時間以内、各駅停車でも朝夜は乗り換えなしで1時間20分以内で移動ができる。
■八街駅近辺では中古一戸建てが350万円から手に入るなど、土地・物件価格が安価であることが特徴。
駅前の駐車場も1日最大300円という価格。
■八街市は落花生の生産量全国第1位の街であり、温暖な気候から農業が盛んで地元の新鮮野菜が手ごろな値段で入手可能。
近隣のスーパーも、きゅうり1本39円、長ネギ1本87円、とうもろこし1本97円、新玉ねぎ1個39円など、リーズナブルに買い物ができる。
* * *
いかがだったでしょうか。スタイリッシュで洗練された都会的な街はあこがれの対象かもしれませんが、実際に住むとなると、
物価が安い街の方が暮らしやすい、という本音の部分での結果となったのではないでしょうか。 <調査概要>
■調査目的
1都4県(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、茨城県)の街(駅)について、特徴や魅力を把握し、それらの項目ごとに評価されている街を明らかにすること。
■調査対象
1都4県(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、茨城県)在住の20歳以上の男女。1都4県(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県、茨城県)にある駅。
■調査方法
インターネットによるアンケート調査
1次調査にて、お住いの最寄り駅を調査。2次調査にて1次調査回答者のうち、調査対象駅が最寄駅と回答した人に対して、住んでいる街の魅力について調査した。
■調査期間
スクリーニング調査:2020年1月6日(月)〜2020年1月27日(月)
本調査:2020年1月22日(水)〜2020年1月31日(金)
■集計対象(ランキング表示の対象)の街(駅)の抽出方法と対象駅数、有効回答数
夜間人口(2015年国勢調査250mメッシュ)上位800駅もしくは乗降客数(2017年国土数値情報駅別乗降客数データ)上位800駅
のいずれかに該当する駅と2019年に新しく開業した1168駅のうち,1次調査で30人以上,2次調査で20以上の有効回答が得られた
1,066駅をランキング対象とした。
●1次調査対象数:1,505,779人1次調査回収数:342,787人 1次調査有効回答数:297,518人
●2次調査対象数:55,479人2次調査回収数:44,908人 2次調査有効回答数:43,547人
上記43,547人から得られた街の魅力に関する回答結果を掲載
■調査実施機関
株式会社インテージ
■調査設計協力
株式会社日建設計総合研究所
サライ.jp 東京メトロ03系がなぜ長野に?長野電鉄3000系デビューを追う
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200804-00337653-bizspa-life
8/4(火) 8:45配信
東京メトロ(旧営団地下鉄)日比谷線の第2世代車両として、長らく活躍した03系が2020年2月28日をもって、
32年の歴史に幕を閉じた。軽量に定評のあるアルミ車体に加え、18メートル車は、複数の中小私鉄で新たな
歴史を刻むことになった。今回は「3000系」として新たなスタートを切った長野電鉄を紹介しよう。
■日比谷線の第1・2世代車両が26年ぶりの再会
長野電鉄は2005年から2009年にかけて、東京急行電鉄(現・東急電鉄)8500系を6編成18両導入し、
自社各駅停車用の8500系として営業運転を開始した。これに伴い、自社オリジナルの特急形電車2000系、
日比谷線第1世代車両の3500系(2両車)、3600系(3両車)の一部を置き換えた。
しかし、8500系は抑速ブレーキ(下り勾配でも一定速度に保ったまま走行できる)を装備しておらず、
40パーミルの急勾配が存在する長野線信州中野―湯田中間に入線できない。同区間の各駅停車は
日比谷線第1世代車両3500系、3600系の独壇場であったが、寄る年波には勝てなくなってきた。
長野電鉄が“次世代の中古車”を探したところ、「当社にあった仕様(18メートル車×3両)であり、
3500系、3600系の取替時期と一致したことによる」(同社談)が決め手となり、日比谷線第2世代車両の
03系を導入することになった。奇しくも日比谷線車両の世代交代が、26年ぶりに同社で“再現”
することになったのだ。これに伴い、将来の各駅停車は全列車3両編成に統一される。
■新型コロナウイルス禍で波乱の幕開け
同社は3000系搬入直前の2020年1月31日、03系5編成15両の導入を発表。
2019年度は2編成6両が長野入りし、須坂の車両基地で営業運転に向けた準備が進められた。
なお、車両を03系から「3000系」に変えたのは、同社の称号規程による。 2020年3月23日から26日にかけて、前面を赤帯に“お色直し”。試運転も順調に進み、当初は
ゴールデンウイークにデビューする予定を立てていた。しかし、新型コロナウイルスの影響で延期。
計画されていた報道公開も白紙となった。
デビューしたのは同社創立100周年にあたる5月30日、須坂8時18分発の各駅停車長野行き(各駅停車は
全列車ワンマン運転)で、メディアを披露することもなく、ひっそりと出発式が執り行なわれた。
意外なことに、営団地下鉄や熊本電気鉄道では、デビュー記念の出発式が開催されておらず「旧03系」
ながら初のヒノキ舞台となった。
開幕戦は長野―須坂間1往復運転のあと、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、翌日より
営業運転を見合わせていたが、6月22日より再開された。
■3000系の走行機器類は03系を極力活用
長野電鉄移籍第1陣の03系第4・8編成は、新製から30年以上を経過しているが、2012年から2013年にかけて、
電車を動かすのに必要な制御装置を高周波分巻チョッパ制御からVVVFインバータ制御へ、乗降用ドア上に
設置された旅客情報案内装置を3色LEDのままドット数を増やしたものに、それぞれ更新。
2・7号車に車椅子スペースを設置するなどの簡易リニューアルを受けた。
今回の3000系はメトロ車両(東京メトロの関連企業)で改造され、03系の走行機器類、旅客情報案内装置、
ドアチャイムなどは引き続き使用する。また、最高速度は110km/hから90km/hに引き下げられている。
3000系はモーターつき2両、モーターなし1両という組み合わせにするため、解体された03系の機器を活かし、
旧03-800形を電装した。長野電鉄ではデハ3010形と名乗る。さらに電動空気圧縮機の新設、旧03-300・700形
に搭載されていた補助電源装置の移設が行なわれた。 先頭車の前面は先述の帯色変更のほか、スカート(排障器)の装着、車両番号と運行番号表示器の撤去、
行先表示器を幕式からフルカラーLEDに更新(すべての車体側面も含む)された。
ちなみに、長野電鉄は2006年に1000系ゆけむり(元小田急電鉄10000形HiSE)の導入を機に、称号規程の
改正を行ない、モーターつきの先頭車を「デハ」、モーターつきの中間車を「モハ」とした。すなわち、
長野電鉄のデハはJRグループの「クモハ」に相当する(クは先頭車、モとデは電動車、ハは普通車)。
■運転台は03系のままワンマン運転対応に
運転台は基本的に03系時代のままながら、TIS(Train-control Information Management System:
車両制御情報管理装置)の撤去、抑速ブレーキやワンマン運転の対応機器を搭載した。保安装置も
同社用のATS(Automatic Train Stop:自動列車停止装置)に更新されている。同社によると、
ワンマン運転に関する対応として「車掌側でなく、運転士側で乗降用ドアの操作が行なえるように
した回路の改造」「自動放送の変更」などがあるという。
このほか乗務員室内にミラーを設置した。停車時に運転士が車内を監視できるよう、補助的な意味合いもあるという。
なお、駅のホームにもミラーを設置しており、運転士は車内外の安全を確認してから発車するようだ。
同社はかつて、一部の車両に整理券発行機、運賃箱、運賃表が設置され、無人駅に停まると、運転士が
車内で運賃を収受していた。現在は中野松川―上条間を除く無人駅に券売機が設置されたため、乗車券は
運転士が直接回収、もしくは備えつけの収札箱に乗客が入れる方式としている。
■長野電鉄初の半自動ボタンを採用
3000系で目新しいのは、1号車の1番ドア、2号車の2番ドア、3号車の3番ドアに限り、半自動ボタンを
設置したこと。冷暖房使用時、車内保温維持の観点から、地下駅の長野を除く始発駅、列車の行き違い
待ちなど停車時間が長い駅での使用を前提としている。同社によると、駅停車後、すべての乗降用ドアを
開けて客扱いをしたのち、半自動ドアに切り替え、乗降は各車両1か所に限定するという。 また、半自動ドアは既存の3500系、3600系、8500系にも各車両の両側1か所に設置しているという。ただし、
上記は手で開け閉めを行なう。乗降用ドアは意外と重く、力のない人にとっては開閉しにくい難点がある。
半自動ドアボタンの設置により、乗客の負担が低減された。
残念ながら新型コロナウイルス感染防止対策の一環として、全国的に半自動ドアの使用が休止されている。
3000系はデビュー後、1度も使用されておらず、ベールを脱ぐのはかなり先になりそうだ。
このほか、室内灯のLED化。
寒冷地を走行するため、各乗降用ドアにレールヒーターを設置し、凍結による車両不具合を防止している。
■今だけの日比谷線第1・2世代車両の共演
取材時、3000系は長野―須坂・信州中野間、3500系は須坂・信州中野―湯田中間の各駅停車(3600系は未確認)
に運用され、日比谷線第1・2世代車両の乗り継ぎができた。約30年前と同様に“隔世の感”がよみがえったのだ。
当時と異なるのは、第1世代車両にも冷房機が搭載されたことだ。冷房能力に差があるものの、それなりに過ごせるのは大きい。
同社では、はがきサイズの「長電フリー乗車券」を長野駅や東京都千代田区の書泉グランデ6階などで発売している。
1日用は大人2,070円、小児1,040円、2日用は大人2,580円、小児1,290円で、特急にも乗車できる。
また、長野駅では、はがきサイズの「日本一大きな入場券」(170円)も健在だ。長野で1・2泊して、
長野線の旅を満喫するのはいかがだろうか。
■永年存続に向けて地域密着の取り組みも
かつて同社は長野線長野―須坂間(当時)、河東線屋代―木島間(のちに屋代―須坂間は屋代線、
須坂―信州中野間は長野線に分割)、山ノ内線(現・長野線)信州中野―湯田中間、計70.5キロを有していたが、
21世紀に入ると信州中野―木島間12.9キロ、屋代―須坂間24.4キロが廃止された。
残る長野線長野―湯田中間33.2キロは永年存続に向けて、長野駅と須坂駅にエキナカ店舗を開くなど、
地域に密着した取り組みが行なわれている。これからも庶民や観光客などの足として愛されることを願う。 ■03系引退後の現況
03系は2020年2月28日、南千住16時02分発の中目黒行きから営業運転が始まり、中目黒18時41分発の
北千住行きがラストランとなった。
引退後、一部の車両が千住検車区、深川検車区行徳分室に留置され、中小私鉄への譲渡待ちと思われる。
また、第1編成は廃車後、3両に短縮のうえ、新木場車両基地に留置されている。
東京メトロによると、今後については未定だという。
■第2弾と第3弾はデビューの順序が逆の展開
03系“転職”の第1弾は熊本電気鉄道03形で、デビュー当初は上熊本―北熊本間の限定運用だったが、
2020年3月17日から藤崎宮前―御代志間でも営業運転を開始し、全線の運転に対応できるようになった。
また、4月27日から待望の2編成目が営業運転に就く。2020年度には3編成目が入る予定である。
第2弾は北陸鉄道で、2020年1月11日に浅野川線の車両基地に1編成搬入された。しかし、7月時点、
いまだ営業運転に就いていないほか、プレスリリースも発表していない。
【取材協力:長野電鉄、熊本電気鉄道、東京地下鉄】
<取材・文・撮影/岸田法眼>
bizSPA!フレッシュ 編集部 西武鉄道の“ナゾ”「なぜ“所沢駅”はターミナル駅になった?」「所沢駅には何がある?」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200803-00039434-bunshun-soci
8/3(月) 6:01配信
以前、文春オンラインで「ナゾの終着駅」として 西武池袋線の小手指駅を訪れたことがある。
池袋線の多くの列車が「小手指行」を名乗っているものの、そもそも読み方が難しいしどんな
ところなのか降りたことがある人は少ないのでは……というわけで訪れたのだ。
実際に小手指駅がどんなところなのかはその記事を見ていただくとして、そもそも小手指駅
よりももっと“ナゾ多き”駅があるではないか、と気がついた。所沢駅である。
所沢駅はご存知の通り池袋線と新宿線が交差するターミナルだ。西武線ユーザーなら誰でも
所沢という駅の存在は知っている。それどころか、埼玉西武ライオンズの本拠地がある地として、
所沢(市)の名は全国に轟く。しかし、それだけ有名なのに所沢駅で降りた人はどれだけいる
のだろうか。西武ドーム(メットライフドーム)に向かうときに乗り換えで使った、くらいの
人も少なくなかろう。そして、何よりナゾなのは、東京から少しだけ埼玉県にはみ出た所沢が
池袋線と新宿線が交差する立派なターミナル駅になったワケ。
果たして、ナゾのターミナル駅・所沢には一体何があるのだろうか……。
■「西武鉄道さん、所沢駅ってどんなところですか?」
というわけで、池袋線に揺られて20分少々。所沢駅にやってきた。中央の島式ホームを池袋線
の上りと新宿線の上り列車が利用し、それを挟んで池袋線下りと新宿線下りのホーム。その上に
コンコースが広がっている橋上駅舎だ。改札内にもいくつかの店舗があり、改札を出て通路を
東口に向かって少し歩けば西武の商業施設「グランエミオ所沢」。
平日の昼下がりにも関わらず、多くの人が行き交う実に賑やかな駅である。
で、この所沢駅の東口を出ると、ロータリーの一角に鎮座しているのが西武鉄道の本社だ。
せっかくなので所沢駅がどんなところなのか、西武鉄道の人に聞いてみよう……。
対応してくれたのが、所沢駅管区長の笠間秀行さんと広報部課長の内田智則さん。
ナゾの駅扱いして申し訳ないですが、所沢ってどんなところなんですか? ■「1日約10万人、7番目に多いんですね」
「乗降人員でいいますと、1日平均で約10万人。当社の駅では7番目に多いんですね。
グランエミオ所沢のような商業施設もありますし、最近では高層マンションも増えてきています。
住宅と商業施設が多いということで、こちらから都心方面に通勤するお客さまがメインです。
池袋線と新宿線が交わりますから、利便性はとってもいいと思いますよ」(笠間さん)
確かに、池袋線に乗れば池袋駅はもとより地下鉄直通で都心にもそのまま乗り入れる。さらに新宿線では
高田馬場駅で地下鉄東西線に乗り換え可能。利便性という点ではなかなか優れていることは間違いない。
「万が一どちらかの線が止まってしまっても、片方が動いていればそちらに乗ったら都心に
出られますからね。お客さまもスムーズに乗り換えています。その点も便利だと思いますよ。
だから駅としては池袋線と新宿線の接続に気を使っていますね。特急から各駅停車に乗り換える方
も多いですから、ダイヤが乱れたときには特に」(笠間さん)
■「2010年までは比較的小さな駅だったんです」
ちなみに、特急ラビューに乗れば池袋駅からノンストップで最速19分。新宿駅から中央線で19分
というと武蔵境くらいだから、所沢は意外と近いのだ。こうしたこともあって、西武鉄道にとって、
所沢は池袋と並ぶ“拠点”。駅ビルの商業施設「グランエミオ所沢」は2018年3月に完成したもの。
今年9月には「グランエミオ所沢」の第2期工事が完成し、所沢駅はさらに賑やかになる見込みだという。
「駅舎の改良工事は2010年に着手しました。以前も橋上駅舎でしたが、今のように広いコンコースが
あるわけでもない比較的小さな駅だったんです。それを大きくリニューアルして2012年から2013年
にかけてまず駅舎が現在のものになりました。次いで駅ビルの工事を進めまして、9月にグランエミオ
の第2期工事が完了して、所沢駅のリニューアルが完成します」(内田さん)
このグランエミオ所沢の誕生によって、それまでは駅前の商店街やワルツ所沢というショッピングセンター
だけだった商業施設が拡充し、さらにマンションも増えて利用者が伸びてきているというわけだ。
では、このグランエミオができるまではどんな駅だったのだろうか。 「駅周辺の再開発は1985年ごろに行われているんですよね。西口のワルツ所沢ができたのもそのくらいですし、
東口も区画整理されて1986年に西武鉄道の本社も池袋から移転してきました。特に東口は『くすのき台』
という新しい地域で、区画整理以降主に住宅地として開発が進んできました」(内田さん)
■所沢駅が開業したのは1895年
……そんな話を聞きながら、駅の周りを歩いてみることにする。西口に出ると、立派なロータリーと
それを取り囲むペデストリアンデッキとワルツ所沢。さらに北西に向かって「プロペ通り」と名乗る
商店街が伸びている。商店街は人通りも多く、実に賑やかだ。
「この商店街を抜けてさらに歩くと、高層マンションがいくつも建っているエリアがあるんです。
そのあたりは“旧市街”とも呼ばれていて、昔からの所沢の中心地で、以前は所沢市役所もありました」(内田さん)
なるほど、古くからの町の中心と駅を結ぶ動線の途中に商店街が生まれて賑わうようになったのだろう。
ここで気になるのは、どうして所沢が2路線の交わるターミナルになったのか。所沢駅が開業したのは1895年。
国分寺と川越を結ぶ川越鉄道の駅として誕生した。次いで1915年に武蔵野鉄道が開業し、所沢駅に乗り入れる。
川越鉄道は現在の西武新宿線、武蔵野鉄道は西武池袋線で、現在の“ターミナル”としての形は1915年に完成していたことになる。
■江戸時代も“物流拠点”だった
川越鉄道がなぜ所沢に駅を設けたのか、調べてみると鉄道敷設計画を聞きつけた所沢の人々(当時は所沢町)
が駅誘致の請願を行って開業にこぎつけたものだという。さらに“鉄道以前”にさかのぼってみると、所沢は
秩父方面と川越方面の街道が分かれる地点。江戸時代には周辺の物資が集まり六斎市が開かれるなど“商業都市”
として賑わった。幕末から明治にかけては所沢絣と呼ばれた木綿製品の集積地にもなっていたようだ。つまり、
所沢は近世以来の物流拠点であった。そうした歴史を踏まえれば、鉄道の時代に入って複数の路線が乗り入れて
ターミナル化したのは必然といっていい。 さらに1910年に陸軍の臨時軍用気球研究会試験場が設けられて以来、所沢は“航空の町”として発展していった。
1911年には所沢飛行場が開設され、1913年には陸軍飛行大隊が設置、さらに陸軍航空学校も開校するなど、
航空産業の一大拠点になったのだ。これら施設は終戦後は米軍に接収、返還後には所沢航空記念公園など
として整備されている。その最寄駅は新宿線の航空公園駅だが、所沢駅前のロータリーにも「航空発祥の地」と誇らしげに書かれている。
■駅の南西側、大きな空き地の“正体”は?
と、そんな所沢の賑やかな西口を歩いていると、駅の南西側に大きな空き地があった。これは何かと内田さん
に聞けば、「2000年まで当社の所沢車両工場があったところなんです」と教えてくれた。西武鉄道では所沢に
工場を設けて自社で電車を製造していたことがあった。国鉄などにも採用された「ST式戸閉機構」を開発するなど、高い技術力を誇っていたという。
「所沢駅からの引き込み線も通っていたんです。今でもよく見るとその跡がわかるんですよ。
今後は2020年代半ばを目処に大型商業施設がオープンする予定になっています」(内田さん)
どうやら、所沢は東京都心から30分にも満たない近さと2路線が交わるターミナルという利便性を背景に居住者
を増やし、さらには商業の中心地として成長しつつあるようだ。西武鉄道でも今後一層の発展に期待しているという。
「特に最近はコロナの影響もあって、都心に出て買い物をするのがちょっと怖い。そういう方がご自宅から
近い所沢で買い物をされるケースが増えているように感じます。肌感覚ですが、コロナ前と比べても池袋より
所沢のほうがお客さまが戻ってきている。グランエミオもだいたいコロナ前の8割くらいまでに戻っていると聞いています」(笠間さん)
確かに、コロナ感染者が増えている中で都心に買い物に出るのはちょっとリスクを感じてしまう。そこで自宅
から近い郊外に所沢のような“商業の拠点”があれば大助かり。それに、近くにはメットライフドームや
西武園ゆうえんちのようなレジャー施設、緑豊かな狭山丘陵という環境もまた良し。
平日の昼下がりに訪れたにもかかわらず、駅やその周辺が賑やかなのはこうした事情もあるのだろう。
所沢、ナゾの駅なんていってスミマセンね……。
写真=鼠入昌史 荒川が流れてないのになぜか「荒川区」――東京「名実不一致」問題にズバッと切り込む
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200805-00010000-metro-life
8/5(水) 7:32配信
■江戸時代から続く長き水害との闘い
東京のあちこちにある、「○○(地名)なのに、○○にない問題」。
東京ディズニーランドは千葉県。品川駅は港区。目黒駅は品川区など……。
いくつも思いついてしまう地名と、実際の所在地がズレている問題。とりわけマンションや商業施設になると、
イメージのよい地名を使ったり名の通った駅名を掲げたりしているので「ここが○○(地名)だって?」
と首をかしげてしまうことも。
そんな東京の所在地で、ぜひ知っておいてほしいことがあります。それは、「荒川区に荒川が流れていない」問題です。
この問題、ちょっと東京に詳しい人なら知っているかもしれません。
そう、「荒川が隅田川になったんだよね」。
……でも、そこに至る「水との闘い」を語ることができてこそ、アーバンな東京人。今回は、その話題です。
■全く異なる流れだった江戸期の荒川
徳川家康が江戸に入る以前、荒川の流れは今とはまったく異なるものでした。
埼玉県・山梨県・長野県の3県が接する甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)を源流に流れる荒川は、現在の埼玉県越谷市・
吉川市付近で利根川に合流し、東京湾(当時は江戸湾)へと注いでいました。
■利根川を東へ、荒川を西への大工事
江戸に入った家康は、この利根川の河川改修工事を始めます。改修とはいいますが、東京湾に注いでいる利根川の
流れを、銚子(ちょうし)方面から太平洋へ注ぐように付け替える大工事です。
この工事の目的はいくつもありました。まずは江戸の町を水害から守ることです。同時に、河川を整理することで
水運を利用した交易路を確保することもありました。 さらに、新田開発や江戸城の北の防備を固める意味もあります。いずれにしても、江戸の町を安定して発展させる
ためには欠かせない工事だったのです。
この工事を命じられたのが関東郡代(ぐんだい)の伊奈忠次(いな ただつぐ)でした。以降、忠治、忠克と、
伊奈氏は3代にわたって利根川の流れを変えるための工事を続けます。
一方では川を締め切り、他方では河道を開削して水を流す大工事です。「利根川東遷事業」は1655年(明暦元、承応4)
にいったんは完成し、利根川は東京湾から離れました。
この工事によって、荒川は熊谷付近から南へ向かい途中で和田吉野川・入間川と合流して現在の隅田川のルートで
東京湾に注ぐようになります。
ここでまた、ややこしいことがあります。
このルートはもともとは入間川が東京湾に注ぐ河道だったのです。それが、入間川が荒川に合流するように変更
されたわけです。これによって当時の荒川 = 墨田川となったわけですが、ここにもちょっと複雑な話があるのです。
■荒川、墨田川、大川……数々の通称
隅田川は平安時代から「住田河」と呼ばれていたようです。教科書にも使われる平安時代の古典『伊勢物語』の
「東下り」の段にも「すみだ河」の名前は登場します。
隅田川にかかる業平橋(なりひらばし)は『伊勢物語』の主人公とされる在原業平に由来するもの。
なので、在原業平はここで川を渡ったのだろう……と思いがちですが、これも全く違います。
橋の名前の由来は、江戸初期に在原業平が亡くなったと伝わる場所にあった業平天神社なのです。ですので、
元の入間川つまり江戸時代の荒川が『伊勢物語』のすみだ河であるという確証も、いまいちありません。
江戸時代を通じて、この荒川の下流域は、隅田川・大川・浅草川……などさまざまな通称で呼ばれています。
1817(文化14)年に書かれた『新編武蔵国風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)』では、千住大橋より上流を
荒川、下流を隅田川、大川と呼ぶとあるので、江戸時代の後期にはなんとなく隅田川か大川の名前で定着していたようです。
この川は水運には極めて重要なものでしたが、川の流れが遅く大雨で水量が増えると洪水を起こす、問題のある川でした。 明治時代になっても洪水は耐えず、この問題を解決するために新たな放水路を建設する計画が立てられます。
工事が始まったのは1913(大正2)年。現在の北区にある岩淵水門から、幅500m、約22kmの河道を開削する大工事です。
工事は、途中でも台風や地震の被害を受ける難工事となりました。1924(大正13)年に岩淵水門が完成し、放水路
への分流が始まりましたが、関連工事が終わったのは1930(昭和5)年のことでした。
■法改正に伴って荒川の名前が変更に
その流域の北豊島郡では、1932(同7)年に東京市域の拡張により南千住町・三河島町・尾久町・日暮里町が東京市
に編入されます。合併し東京市20区のひとつとなることになった四つの町は、区の名前を決めることになります。
このとき、地域を流れている川の名前をとって、荒川区が誕生します。
ところが1965(同40)年に河川法の改正が行われると、人工河川だった放水路が「荒川」とされ、岩淵水門から
下流にある本来の荒川の正式名称は「隅田川」とされます。
元の荒川が隅田川にされた理由は不明ですが、1998(平成10)年9月8日付の産経新聞は、建設省(当時)関東地方
建設局荒川下流工事事務所に取材し、
「詳しい資料は残っていないが、現在の隅田川の呼び名が、場所によってめちゃめちゃだったので、統一したためではないか」
という証言を得ています。
確かに河川を管理する上では、荒川が本来の流れと放水路とふたつあり、片方は通称の隅田川の方が知られている
では不便だったのではないでしょうか。
ちなみに、区の由来が消滅してしまうことになった荒川区では、特に反対の声はなかったそうです。
業平橋渉(都内探検家) 常磐線「亀有 vs 金町 vs 松戸」…20代会社員はどの街を選ぶ?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200807-00028178-gonline-bus_all
8/7(金) 11:01配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、常磐線各駅停車「金町」。
■地名は川の蛇行に由来…洪水リスクは?
「金町」は東京都葛飾区に位置する、JR常磐線各駅停車の駅です。1日の乗車数は5.1万人ほど。
駅南口前には京成電鉄金町線「京成金町」駅があり、「京成高砂」方面へアクセスできます。
金町の地名の由来には諸説ありますが、はっきりしたことはわかっていません。ひとつ、この周辺で江戸川が
大きく蛇行していることが関係する、という説があります。大工が使う、直角に折れ曲がった形の金属製の
物さし「曲尺(かねじゃく)」は、「金尺」とも書きました。「金」には「蛇行」の意味があり、
「河川の決壊や氾濫が起こりやすい場所」ということで「金町」になった、との説です。
そのようにいうと「金町は水害リスクが高い街なんだ」と考えるでしょう。葛飾区のハザードマップを確認してみます。
葛飾区は、荒川、中川、江戸川が氾濫した際のハザードマップを公表しています。
それを見ると、荒川、中川が氾濫した際、金町付近で浸水被害は想定されていません。
一方、江戸川が氾濫した際は、金町周辺で3〜5mの浸水が想定されています。
想定の前提は、3日間総雨量が336mm。およそ200年に一度の規模の大雨です。
埼玉県吉川市あたりで氾濫が起きると葛飾区でも浸水の恐れがありますが、氾濫水が到達するのは、
早くても10時間、遅い場合は2〜3日程度になるとか。昨今、東京・東部エリアでの洪水リスクについて
議論される機会が増えていますが、これらに比べると安心できるのではないでしょうか。
ただ200年に一度のことが明日起きるかもしれないので、用心を重ねても損はありません。 そんな「金町」駅周辺をみていきましょう。駅北口は少々小さめのロータリーをぐるっと雑居ビルが囲みます。
昔ながらの商店街は飲食店が中心で、風俗店の集まるエリアもあります。
しかし歓楽街というほどの雰囲気ではありません。
雑然とした駅前を抜けた先には、2013年に開設された「東京理科大学葛飾キャンパス」。
キャンパスの一部は地域の人にも開放されているそう。駅周辺に学生が増えたことで、学生をターゲットにした店も増えています。
また駅から徒歩20分のところには、23区内で最も広い水郷公園「水元公園」があります。
桜と花菖蒲の名所としても有名で、散策の楽しいスポットです。
一方、駅南口は北口のような雑然とした印象はありません。現在、再開発が進行中で、すでに完成している街
のシンボル的存在のタワーマンション「ヴィナシス金町」には、葛飾区立中央図書館のほか、スーパーや飲食店、
クリニックなどのテナントも。使い勝手は抜群です。
■買い物環境抜群、23区でも格安の家賃水準も魅力
「金町」駅周辺の家賃相場をみていきましょう。駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は5.19万円、11分を超える
と4.74万円(図表1)。同条件の東京都葛飾区の家賃水準は、駅10分圏内で5.92万円、11分を超えると5.31万円。
「金町」駅周辺の家賃相場は、葛飾区平均と比べてリーズナブルな水準です。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、25〜29歳
で27.5万円、30〜34歳で34.1万円です(図表2)。
企業規模によって平均給与は異なりますが、そこから住民税や所得税などを差し引いた手取り額の1/3以内を
適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。
「金町」駅周辺は、20代会社員でも十分に検討できる地域です。大手検索ポータルサイトで、20代会社員の
適正家賃内、徒歩10分圏内を条件で検索すると、多くの単身者向けの物件がヒットします。約半数が築30年以上
の築古物件で、約1割が新築、または築5年以内の築浅物件です。専有面積20u前後、風呂・トイレ別の物件が多く、
なかには、30u近くの広々とした物件も適正家賃内で見つかります。 交通面はどうでしょうか。JR常磐線各駅停車は東京メトロ千代田線と相互運転していて、「北千住」9分、
「大手町」28分、「表参道」42分(所要時間は「金町」を平日8時に出発した場合の目安)。
千代田線沿線であれば、都心まで30分前後、乗換なしでアクセス可能です。
買い物環境はどうでしょうか。駅北口には「東急ストア」「イトーヨーカドー」、南口には「マルエツ」と、
品揃えのいいお馴染みのスーパーが駅両出口にあります。特に「マルエツ」は24時間営業。仕事で遅くなる
ときでも、安心して買い物できます。
飲食店はどうでしょうか。駅周辺には、ファストフードやファミレス、牛丼店、定食店など、単身者でも利用
しやすい大手飲食チェーン店が多く、外食が多い人でも困ることはありません。地元密着型の飲食店もそこそこ
揃っていて、定番に飽きたときなど重宝しそうです。
「金町」周辺は買い物環境が良好で、また都心から離れているので、23区でありながら都会の喧騒から離れた
落ち着いた暮らしが手に入ります。ただ隣駅は大型商業施設が人気の「亀有」と、東葛地域の中心のひとつ「松戸」。
所要時間は、「亀有」〜「金町」は3分、「金町」〜「松戸」は7分。駅10分圏内1Kの平均家賃は、「亀有」5.83万円、
「松戸」5.27万円。3駅のなかで「金町」の家賃水準が一番安いですが、両駅周辺の利便性も魅力的で、決定打に欠けます。
通勤時間で選ぶか、街の利便性で選ぶか、家賃水準で選ぶか、なかなかの難問です。
GGO編集部 東武、「SL2機体制」で試される日光戦略の勝算
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200807-00367690-toyo-bus_all
8/7(金) 5:20配信
東武鉄道が運行する蒸気機関車「SL大樹」が8月5日、日光線の東武日光駅にお目見えした。
SL大樹は同社が鬼怒川線の下今市駅から鬼怒川温泉駅までの12.4kmで走らせている観光列車。
デビュー3周年を前に日光・鬼怒川エリアのもう一方の玄関口、東武日光駅に初めて乗り入れた。
10月に下今市駅から同駅までの営業運転に乗り出す。
■東武日光に新たに乗り入れ
東武では7月末、真岡鉄道(栃木県)で活躍していたSLが検修庫のある南栗橋車両管区に到着。
今年12月からは同社が運行するSLが2機体制となる。
2021年夏以降、鬼怒川線でも平日を含めて毎日運転するなど、SLによる地域の観光振興を一層強化していく方針だ。
同社は8月5日、東武日光駅でSL大樹のお披露目と新プロモーションの発表会を開催した。
同駅に乗り入れる列車は「SL大樹『ふたら』」と命名。中禅寺湖の北にそびえる男体山の異称で、
日光の地名の由来でもある「二荒山(ふたらさん)」にちなんで名付けた。
デビューは10月3日を予定。その後、当面は臨時列車として月1回程度、下今市―東武日光間の7.1km
を17〜23分かけて走る。一方、鬼怒川線のSLの列車名称は従来どおりSL大樹とする。
併せて「It’s SLOW time」と銘打った新しい観光プロモーションの開始を発表。女優の門脇麦さんを起用
したテレビCMを展開し、ゆっくりとしたSLの旅の魅力を20〜30代をターゲットに訴えていく考えだ。
SL大樹は3年前の2017年8月10日に営業運転を開始した。名称の「大樹」は江戸幕府を開いた徳川家康を
まつる日光東照宮にあやかって、征夷大将軍の唐名から採用された。ヘッドマークは徳川家の「三つ葉葵」
の紋とC11形の3つの動輪を掛け合わせたようなデザインになっている。
現在使用するSLは1941年製の「C11形207号機」。2016年にJR北海道から借り受けた。長く北海道で活躍して
1974年にいったん廃車となったが、動態保存機として復活し「SLニセコ号」などで人気を呼んだSLだ。
「カニ目」と呼ばれる離れた2つの前照灯が霧の多い北の大地出身であることを物語っている。 編成はSLを先頭に、自動列車停止装置(ATS)を備えた車掌車、国鉄時代の14系客車3両、最後尾で支援する
ディーゼル機関車(DL)の6両で構成。東武の「SL復活運転プロジェクト」には全国各地の鉄道会社が協力
しており、車掌車はJR貨物とJR西日本、客車はJR四国、DLはJR東日本から譲り受けた。
設備面では、終着駅でSLの進行方向を変える転車台をJR西日本から譲渡された。発着駅となる下今市駅と
鬼怒川温泉駅にある転車台は、それぞれ長門市駅(山口県)と三次駅(広島県)から運ばれた。
機関士・機関助士や検修員は大井川鉄道など、SL運行の知見がある各社で養成した。
■真岡鉄道のSLも仲間入り
全国の鉄道会社から車両や設備、ノウハウを集めて実現した復活運転だが、今年7月31日にまた仲間が増えた。
同社の南栗橋車両管区にSL「C11形325号機」が到着し、報道関係者に公開された。
325号機は茨城・栃木両県にまたがる真岡鉄道で活躍。只見線などJR東日本管内に“出張”する機会も多く、
各地で人気を集めていた。が、維持コストがかさむことから売却が決定。2019年3月に実施した一般競争入札
で東武が落札した。JR東日本の大宮総合車両センターでの検査の後、栗橋駅のJR・東武間の連絡線を経由して
南栗橋へ運ばれた。今後、改造工事や乗務員の訓練を経て今年12月にデビューする予定だ。
325号機のほか、JR東日本からDL「DE11 09」とJR北海道から14系客車「スハフ14 501」1両も新たに導入した。
大樹は現在、特急のグリーン車座席を使用した「ドリームカー」を含む5両の客車を組み変えながら運用して
いるため、もう1両ある車掌車と合わせ、客車3両のSL列車を2編成つくることができるようになる。
東武にとってSLが2機体制になるメリットは大きい。1機だけの場合は、大きな検査になると長期間運行が
できなくなってしまう。実際に、埼玉県の秩父鉄道が熊谷―三峰口間で運行する「SLパレオエクスプレス」
は全般検査のため、2020年はSL運転ができない。
SLが2機あれば、一方が検査に入っても、もう一方を使って運転が継続できる。また、東武は今年6月6日の
ダイヤ改正で大樹をSLとDLによる牽引がそれぞれ2往復の1日計8本とした。 新型コロナウイルス感染拡大の影響で現在はSL2往復のみとなっているが、2機体制になると4往復すべてを
SLで運転することが可能になる。
東武の広報担当者は「日光・鬼怒川エリアへ行けばいつでもSLを楽しめる環境を整えられた」と強調する。
207号機は2021年1月から夏頃まで中間検査に入る。
その後、325号機とともに鬼怒川線で毎日運転を始める計画となっている。
■3機体制で広がる可能性
本来、2機目としてデビューする予定のSLは別にあった。もとは滋賀県の江若(こうじゃく)鉄道(1969年廃止)
などで使われ、引退後は日本鉄道保存協会が静態保存していたC11形だ。譲り受けて2018年11月に南栗橋車両管区へ搬入した。
今年冬までに運転ができる状態に復元することを目指していたが、修繕箇所の多さや新型コロナの影響で工程
が遅れているといい、完成めどを2021年冬に延期した。復元作業が終了すれば東武が運行するSLは3機となる。
同社日光・鬼怒川エリア営業推進部の小金井敦課長は「複数機となれば他路線への出張運転も視野に入ってくる」
と語る。鬼怒川温泉より先の会津方面への乗り入れや2機のSLによる重連運転といった活躍の幅が広がりそうだ。
一方で「アイデアはあるものの、いずれも技術的な問題などをいくつもクリアしていく必要がある」と慎重な姿勢を示す。
東武は近年、SLプロジェクト以外にも鬼怒川線の活性化に力を入れてきた。
2017年4月には都心から同線を経て会津田島までを結ぶ新型特急「リバティ」を投入。同年7月には、世界の名建築
をミニチュアにしたテーマパーク「東武ワールドスクウェア」の最寄りに新駅を開設、さらに今年6月のダイヤ改正
で全列車が停車するようにした。SL大樹の唯一の途中停車駅でもある。1993年に開業した同園は最近、SNS映えする
スポットとして再注目されているという。
同社によると、SL大樹の運行開始からこれまで約24万人が乗車した。運行日には沿線に見物に来た家族連れの姿が
目立ち、鬼怒川温泉の駅前広場にある転車台はカメラを構えた観光客でにぎわうスポットとなっている。
転車台への入線時刻はホームページ上で公開していて、乗車したり、ホームに入場したりしなくてもSLの音や
匂いを間近で楽しめるのが売りだ。 だが、SLの人気を支えているのは東武の関係者ばかりではない。
■沿線を挙げて盛り上げ
日光市の観光、商工関係者や各地区の自治会などは「いっしょにロコモーション協議会」を設立。
「『SL大樹にみんなで手を振ろう』プロジェクト」といった住民参加型の企画を展開している。
乗客をもてなす「SL観光アテンダント」を務めるのは観光協会のスタッフだ。沿線案内のほか
「沿線から地元の方が手を振ってくれています。皆さまも元気よく手を振り返してみてください」
といったアナウンスで車内を盛り上げる。
今回の東武日光への乗り入れは、日光市観光協会や日光温泉旅館協同組合といった地元の団体や、二社一寺
(日光東照宮・日光二荒山神社・日光山輪王寺)などが一緒になって要望書を提出したことがきっかけで実現した。
観光客だけでなく沿線の多くの人々の期待を乗せるSL大樹。コロナ禍で全国の有名観光地が軒並み大ダメージ
を受ける中、大手私鉄で唯一、SLを沿線活性化の目玉に据える東武の独自戦略が本領を発揮できるかが試されている。
橋村 季真 :東洋経済 記者 東京ドーム改修100億円は適正? シティ全体がスタジアムとなる新しい観戦スタイルとは
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200807-00010000-realspo-spo
8/7(金) 12:04配信
巨人と東京ドームが7月20日に会見を行い、総額約100億円の改修を行うと発表した。
これはMazda Zoom-Zoom スタジアム広島(マツダスタジアム)が新たに一つ建設できる規模の改修費であり、
新型コロナウイルス対策を第一とした今回の改修は果たして妥当なものなのだろうか。
マツダスタジアムなど数々のスポーツ施設を手掛けてきたスタジアム・アリーナの専門家・上林功氏が
「国内スタジアムとしてはもっとも成功している事例」と東京ドームを高く評価しつつ、この度の改修
に対しては疑問が残るという部分を解説する。
(文=上林功)
■東京ドームのグラウンド地下にあるものとは?
7月20日、東京ドームの大規模な改修が発表されました。総額約100億円かけた大改修で換気能力の向上
やトイレや洗面の衛生対策など新型コロナウイルス対策や非接触によるキャッシュレスへの対応などが
盛り込まれるほか、横幅126mの国内最大規模となる大型ビジョンの設置などが公表されています。
一方で、こうした改修に対して、スタジアムがもう一つできてしまうほどの規模の設備改修をする
意味があるのかとの意見も聞こえています。
日本を代表する野球場である一方、かつての後楽園球場とは異なり、全天候型のドーム球場はもはや
野球だけでなく、多くのイベントに利用される多目的な施設です。また、スタジアム単体だけでなく
東京ドームシティというエリア全体での施設運用も考えたとき、改めて今後の国内のスタジアムの
方向性について気づきを与えてくれるものだと考えます。
そこで今回は東京ドームを通じて、改めてスタジアムの在り方について考えてみたいと思います。
東京ドームは収容人数5万5000人(野球時、約4万6000人)、国内初の空気膜構造スタジアムとなっています。
空気圧膜構造の歴史は古く、世界初のものは1970年の大阪万博アメリカ館にまでさかのぼり、館内に空気を
送り込むことで室内の気圧を上げ、風船がふくらむ要領と同じように気圧差で屋根がかかる構造となっています。 東京ドームは、隣接する小石川後楽園の景観配慮などから庭園側に10分の1程度屋根が傾いており、
これがそのままファールやホームラン軌跡を内包できるよう計画された世界で唯一の「傾いた屋根」
を持つ空気膜構造スタジアムともいえます。
多目的に利用することを当初から想定しており、野球場以外にもコンサートやフィスティバル、アメリカン
フットボール、集会やコンベンション利用に合わせた座席・フィールド配置が計画図にも見て取れます。
ピッチャーマウンドが昇降式になっていることは有名ですが、グラウンド地下に競輪競技用のバンク(競争路)
が格納されていたり、観客席の一部が可動観客席となっていたりと当初からあらゆる利用を想定された施設
であることがわかります。
■東京ドームを語るうえで“野球場”との捉え方は説明不足
東京ドームのプロ野球利用による年間入場者数は約300万人、1試合平均4万人を超す国内でも最大規模の動員数
となっています。これだけではありません。プロ野球以外の年間入場者数も合わせ、おおむね800万人台を推移
していた入場者数は2019年度には970万人を突破し、多目的施設としても国内トップクラスであることがわかります。
年間のイベント回数は200件を超えており、これは世界的にも稼働率が高いスポーツ施設であるイギリス・ロンドン
のThe O2の211件(2018年)やアメリカ・ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンの320件(2019年)にも
引けを取らない世界的なイベント施設といっても差し支えないでしょう。
また東京ドームを語るうえで単体の野球場との捉え方はいささか説明不足であり、周辺の東京ドームシティの
存在が不可欠となっています。述べ約13.3ha(ヘクタール)の敷地に設けられたドーム以外のホテル、
アトラクション、商業施設、温浴施設、複数の多目的ホールを備えています。
東京ドームホテルは地上43階建ての総客室数1006室、レストラン、宴会場やプールを併せ持つ都内有数の
シティホテルで、設計者は代々木第一体育館やフジテレビ本社屋なども設計した建築家の丹下健三、ドーム利用
の宿泊者だけでなく、周辺施設や都内アクセスのしやすい好立地と併せた宿泊・宴会利用が行われています。 アトラクション施設はドームに続くメインアプローチに面したアトラクションズエリアと通りを挟んだラクーア
エリアに分かれており、商業施設や温浴施設を含む多用途な都市型遊園地になっています。ラクーアにある観覧車
ビッグ・オーは中心が空いた世界初のセンターレス観覧車として当時話題となりました。建築的にはジェット
コースターの支柱も注目すべき点で、国内では珍しいテンション構造(鋼材とワイヤーロッドによる張弦柱)
が採用されていたり、商業施設の一部をかすめるような構成は都市的なアトラクション施設として舌を巻きます。
現在までの東京ドームの軌跡を見る限り、国内スタジアムとしてはもっとも成功している事例の一つといえますし、
施設を使い続けるうえでの今回の改修100億円とみると妥当であるともいえるかもしれません。
しかしながら、個人的には今回公表されている改修内容については疑問が残る部分がないわけではありません。
おおむね、コロナ対策やこれまで未着手であったキャッシュレスなどのIT化、加えて大型ビジョンを導入すること
で試合の演出のみならず、イベント利用などにも対応できる素晴らしい内容のようにも思えますが、これらの
設備投資に対して、来場者や観戦者に対する新たな体験やサービスにつながっていない点に不安が残ります。
■利用者にとっては「やって当然」な内容?
現在、東京ドームのみならず多くのスタジアムにおいて、コロナ対策やそれにともなう設備投資が必要とされて
いますが、これらは利用者が魅力的に感じる体験の提供につながっているかというと、これまでの安全性や利便性
のベースアップが行われたにすぎません。利用者にとっては「やって当然」な内容であり、本来ならば長期的な
視点で更新していくべき設備更新が、新型コロナウイルスに併せてごく短期に集中的に行わなくてはならなく
なったと考えることができそうです。
似たような設備更新については、例えばトイレの人感センサーや自動水洗があります。従来、指で触れて、蛇口を
ひねって使用するものでしたが、細菌性の感染予防のため非接触で操作できる仕組みがここ10年程かけて国内の
ほとんどのスタジアムで入れ替えられてきました。 ここでもわかる通り、本来こうした設備更新は集中的に行うと多額のコストがかかることもあり、少しずつ
長期的な視点で行うことが一般的といえます。東京ドームの今回のコロナ禍への対応は必要なものではあり
ますが、設備投資をその点に集中させることがスタジアムビジネスの安定的な運用に影響を及ぼさないか
一抹の不安を感じずにはいられません。
さらに今回発表された「世界トップレベルの清潔・安全・快適なスタジアム」とされる「清潔」、「安全」、
「快適」はスポーツ消費者行動研究においては、スタジアムへのリピーター観戦につながる「再観戦行動」
との関係は乏しく、スポーツ観戦者は「当然行われているべきサービス・クオリティ」と考えている場合が多く、
短期的には現在のコロナ禍での他施設との差別化は図れそうですが、こうした設備投資はやはり観戦者の
ベネフィットとして置き換えられにくいと考えられます。
早稲田大学スポーツビジネス研究所の調査では、5月15日から約2週に一度の頻度で「スタジアムやアリーナ
における直接観戦の心配」についてアンケート調査を行っており、「飲食店での店員からの提供」や「観客席
での通路での行き来」などでは不安が徐々に減っているのに対し、「大勢の人が同じタイミングで集まること」
や「観客の応援行為」などへの不安は相変わらず払拭されていないことが見て取れます。基礎的な公衆衛生の
充実は必要ではあるものの、そもそも人々が集まること、応援することそのものに不安があることを考えると、
スポーツ観戦・応援スタイルそのものに対して提案しなければならないのではと考えます。
■シティ全体がスタジアムとなる新しい観戦スタイル
極めて個人的な意見ではありますが、東京ドームがもし何か投資を行うとするならば、それはスタジアムの中
ではなく外、東京ドーム周辺施設だと考えています。東京ドームシティ アトラクションズの年間来場者数は
約590万人となっていますが、これは他の競合施設と比べても飛び抜けており、上野動物園の約496万人や
長崎ハウステンボスの約272万人など、東京ディズニーリゾートの3000万人を超える来場者にはかなわない
ものの都内随一の来場エリアとなっています。 無料で入場できる点ではシティ全体で約4000万人の来場者数となっており、誰もが立ち寄れる都心のエンタメ
体験空間となっている点が大きな特徴だと思います。
個人的には、すでに東京ドームシティにあるスポーツバーなどのスタジアム連携店舗をもっとシティ全体の
屋外スペースに拡張し、周辺パブリックビューイングエリアとして展開してみてはと考えます。3密を避け、
現在の商業店舗での運用方法をそのまま継続できるように規模を制限すれば、安全性も確保できそうです。
ドーム内のビジョンを充実させるのもいいですが、東京ドームシティの敷地全体でデジタルサイネージや
ビジョンを充実させ、ドーム内と連携させて中継を屋内外に展開させれば、プロ野球時にはシティ全体が
スタジアムとなるようなオープンで3密を避けつつも、新しい観戦スタイルを提案できるのではと考えます。
一方、これには課題もあります。東京ドームシティは敷地全体の13.3haのうち12.8haが都市計画公園の指定
を受けており、その施設計画や運用について制限があることはあまり知られていません。民間企業が整備す
る東京ドームシティではありますが、公園的性格を持つものとして法規制を受けているのが実状です。
実際にこうした取り組みを行うには官民連携による規制緩和が必要となるでしょう。また、スタジアムでの
観戦体験を拡張するうえでIT化が遅れていることは否めません。ローカル5Gの活用なども視野に入れて、
ドーム内外についてスタジアムアプリなどを介してつなぐ工夫も必要だと思います。
今こそ、新しい生活様式としてのスポーツ観戦環境の提案を、東京ドームシティをモデルケースとして展開
できる絶好の機会なのではと思います。これができるのは、東京ドームができた1980年代、もっとさかのぼれば
1940年代から継続してこの地域の社会価値を構築してきた歴史あるこの場所でしか成しえないのではと考える次第です。
<了> 時が止まった下町「墨田区・東向島」に夢見る若者が集うワケ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200809-00028206-gonline-bus_all
8/9(日) 11:01配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、東武鉄道伊勢崎線「東向島」。
■衰退著しい商店街で始まっている、新しい街づくり
「東向島」は東京都墨田区に位置する、東武鉄道伊勢崎線の駅です。1日の乗降者数は2.0万人ほど。
東武伊勢崎線は東京メトロ半蔵門線と直通運転を行っていますが、「東向島」に乗入れ電車は停車しないので、
隣の「曳舟」で乗り換える必要があります。
向島の地名の由来には諸説ありますが、浅草など隅田川の西側から見て川の向こうの島だから、という説が有力です。
墨田区には他にも「柳島」「寺島」「京島」など島がつく地名が多く残っています。
向島といえば、江戸時代から風光明媚な場所として知られ、花街が栄えていました。隆盛を極めた昭和初期には、
芸妓置屋120軒、芸妓240人、料亭23軒、待合130軒があったとか。高度成長期以降は衰退していきましたが、
現在でも100名近くの芸妓を抱える都内一の花街であり、夜には芸妓がそぞろ歩く姿も見られます。
もうひとつ栄枯盛衰の話としては、「東向島」駅付近には以前、京成電気軌道(現・京成電鉄)の「京成玉ノ井」
駅があり、その玉ノ井には私娼街があったことで知られています。永井荷風の小説『?東綺譚』の舞台になった私娼街で、
戦前は500軒近くの娼家に1,200人ほどの娼婦が働いていたのだとか。東京大空襲により一時的に消滅しましたが、その後復活。
戦後、赤線地区はおおいに賑わいましたが、1957年、売春防止法施行により、私娼街は消滅しました。
そんな歴史をもつ街にある「東向島」駅は、1902年「白鬚」駅として開業。一時、駅は廃止されましたが、1924年
「玉ノ井」駅として営業を再開し、1987年に現在の駅名に改称となりました。 現在の駅周辺は、町工場の多い下町の住宅街です。工場の稼働は夕方までなので、夜には静寂が街を包み込みます。
幹線道路沿いには規模の大きなマンションが建っていますが、一本路地を入ると、昔ながらの長屋風の戸建ても多く残っています。
まるで時の流れから取り残されたような、典型的な下町「東向島」。狭い路地に古い木造住宅が密集し、なかなか
再開発も進められない……。そんな事情により地域住民の高齢化、街の衰退が問題視されています。
一方で、昨今注目されているのが、駅から南に歩くこと15分、隣の「曳舟」駅からも近い「鳩の街通り商店街振興組合」。
使われなくなった集合住宅を商店街が一括で借り上げ、希望者に安く貸し出す「鈴木荘プロジェクト」など、空き家・
空き店舗を利用した街の活性化プロジェクトを推進。店を開きたいという若者や、ギャラリーを開きたいというクリエイター
など、若い人が集い、新しいムーブメントを巻き起こしています。昔ながらの地縁を大事にする一方よそ者にそっけない、
というのが下町の一般的なイメージですが、新旧が融合し、新しい街づくりが始まっているのです。
■単身会社員には利便性劣るも、夢見る人には適した環境
「東向島」駅周辺の家賃相場をみていきましょう。駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は7.21万円(図表1)。
同条件の東京都墨田区の家賃水準は、駅10分圏内で8.24万円。
「東向島」駅周辺の家賃相場は、墨田区平均と比べてリーズナブルな水準です。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、25〜29歳で27.5万円、
30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、そこから住民税や所得税などを差し引いた
手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。
「東向島」駅周辺は、30代会社員であれば検討でき、20代会社員では予算オーバーとなる家賃水準です。
大手検索ポータルサイトで、20代会社員の適正家賃内、徒歩10分圏内を条件で検索してみましょう。
条件内の物件は決して多くありませんが、20代会社員の適正家賃内の物件もみつかります。 半数は築30年以上の築古物件ですが、2割強は築10年以下の、比較的新しい物件です。
築古物件の多くが専有面積30uほど、築浅物件であれば専有面積が20u以下。築年数か、広さか。志向に合わせて選ぶことができます。
交通面はどうでしょうか。「浅草」11分、「曳舟」で東京メトロ半蔵門線直通電車に乗換えで、「大手町」27分、
「永田町」36分、「渋谷」44分(所要時間は「東向島」を平日8時に出発した場合の目安)。乗換えが必須であること
がネックではありますが、半蔵門線沿線であれば、スムーズにアクセスすることができます。
買い物環境はどうでしょうか。駅周辺のスーパーは「グルメシティ」のみ。ただし「ライフ」(駅徒歩7分)、
「旬鮮食品館カズン」(駅徒歩8分)、「コモディイイダ」(駅徒歩12分)と、住宅街にもスーパーがあり、
日常品は揃えることができます。また駅前に大手ドラッグストアチェーン店もあり、何かと重宝するでしょう。
飲食店はどうでしょうか。駅周辺にあるお馴染みのチェーン店は、ファストフードが1店とコーヒー店が1店くらい。
地域密着型の個店もチラホラありますが、多くはありません。「東向島」は自炊派の人のほうが向いている街だといえます。
典型的な下町である「東向島」。買い物環境や飲食店、都心への交通を考えると、単身の会社員の居住地候補としては、
三番手、四番手といった印象です。ただし地域活性化プロジェクトに見られるように、古き下町のなかに、新しい息吹
が感じられる街でもあります。人との交流が盛んな地域なので、起業を志している人などにはぴったりの街かもしれません。
GGO編集部 コロナで日本人の恋愛が壊滅している…!6割超が「婚活休止」の現実
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200810-00074647-gendaibiz-bus_all
8/10(月) 8:31配信
婚活や恋活というと、どことなく「大したニュースではない」ように感じられてしまうかもしれない。
だが、恋愛・婚活人口が減れば、子どもの数は減る。
そしていま、全体の64%が「新型コロナウイルスの影響で婚活・恋活を休止」している。
日本の恋愛は、壊滅しているのだ。
■新型コロナで壊滅する日本の恋愛市場
国内最大級の恋活・婚活マッチングアプリ「Pairs」の母体である株式会社エウレカは、
「新型コロナウイルスの恋愛・結婚の価値観への影響調査」を実施した。
その結果、全体の64%が新型コロナウイルスの影響で婚活・恋活を中止したと発表した。
いまや、成婚者の4人に1人は婚活サービスを使っている。
したがって、婚活市場が新型コロナウイルス以前の34%まで縮小すれば、結婚できる確率もガクンと下がる。
そしてもちろん、婚活市場が小さくなっているのは「結果」であって、原因ではない。
新型コロナウイルスの影響で、出会いがリスクになっているのだ。
したがって、残りの「自然な出会い派」も、おおっぴらにデートを持ちかけることはできない。
したがって、婚活のみならず結婚に繋がるすべての出会いがリスクにさらされている。
■「結婚のオンライン化」対応を取るも…
この状況で手をこまねいている婚活サービス企業は少ない。結婚相談所、街コン・合コンの企画会社、
マッチングアプリが一斉に「出会いのオンライン化」を推し進めた。
結婚相談所は従来であれば、初回のヒアリングを対面で実施していた。それが一斉にオンラインへ移行した。
街コン・合コン等の主催会社はZoomやWherebyなどのオンライン会議システムを導入し、オンライン出会いイベントを開催。
そのうち最大手の街コン団体では、現実の出会いと比べて費用が安いこともあって連日満席に近い状況だ。
さらに、マッチングアプリでは「マッチングしても、どうせデートできない」からと休眠会員が増えて
しまうことを懸念し、オンラインデートのシステムを導入。 大手マッチングアプリのOmiai、Dine、Pairsはすでにオンラインデートを公式に推し進めている。
つまり、企業努力がここまで費やされての婚活人口・64%減だったのだ。想定できていたとはいえ、落胆は大きい。
■寄り添ってほしいのに、寄り添える人に出会えない
実際に、婚活を休止している女性(30代・コンサルタント)にお話をうかがった。
「婚活をやめたい、とは全く思ってないです。ただそこまでする元気がないんです。オンラインデートするなら、
これまで映画とか食事で埋まってた時間をなにか話題作らなくちゃいけなくて、そういう企画力とかないので……。
もともとコロナで元気がないから出会いたいのに、そこでデートの企画まで組む力ないよなって思うと、続かなくて。
マッチングアプリでマッチした人もいるんですけど、放置しちゃってますね……」
いまこそ寂しさを感じる時期である。本当は出会いたい、だが出会うチャンスが新型コロナウイルスで奪われている。
オンラインでデートをするなら、何らかのコンテンツを自ら生み出さないといけない。そのパワーがない……という悪循環なのだ。
婚活を継続している男性(30代・メーカー)からも、話を聞いてみた。
「婚活やってますけど、厳しいっすよね。前より(マッチングアプリでコンタクトを取る条件になる)いいね
を貰えることは少ないですし、話しかけても次に繋がらないっていうか。いま出会うやつはヤバイみたいな
空気もあるじゃないですか。こっちは真剣でも、デートに誘うだけで□□□□(伏字:遊び目当てのこと)と誤解されるし。
逆に遊んでる人は割り切ってて楽なのかな?どうせ呼び出して実際に来る子しか興味ないですもんね。
でもさらにダラダラしてたら、もう一度緊急事態宣言が来そうだし。そうなったらもう絶対会えないっすからね。あせってます」
確かに、筆者の周りでも遊び目的の男性はwithコロナだろうが何だろうが、態度は変わらない。どんな時期でも、
呼び出して来る女性を狙えばいいからだ。割を食っているのは、どうやら真剣交際を望む男性たちである。 ■オンラインの経験後満足度は高い
だが、ここで朗報もある。
マッチングアプリなびの調査によると、一度オンラインデートをした男女の95%が
再度の参加を希望しているというのだ。
その理由を見ると、「気軽にできる」が筆頭に上がっている。
たしかに、現実のデートと異なり、オンラインデートは下半身がパンツでもバレない。
さらに香水をつけたり、ニンニクが入っていない食べ物を選んで、口臭を防ぐこともない。
隠せるものもあれば、出せるものもある。
たとえば通常のデートで「相手の家の様子」を見るのはかなり時間が経ってからになるが、
オンラインイベントなら、初回から相手の家が見られる。自宅を見ればある程度の生活は
想像がつくから、意外と見えないところが見えるのかもしれない。
新型コロナウイルスの終息が見えない以上、ワクチンが普及するまでは「withコロナ」前提
の婚活へ徐々にシフトしていくしかない。
そのためには、どうやら「とりあえず1回やってみて、意外と楽しいことに気づく」ことが大事なようだ。
今後、日本の出生数というマクロな面でも、各種婚活サービス会社の取り組みに期待したい。 「説明が的を射ない人」と上手な人の決定的な差
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200813-00366942-toyo-bus_all
8/13(木) 8:11配信
この数年、「雑談力」に関する書籍やセミナーが人気のようです。私の知人にもこのテーマのベストセラー
著者が数名おりますが、多くのビジネスパーソンにとって必要なものであることは間違いないでしょう。
■「雑談力」を身につけたその後、どうなりましたか?
ところで「雑談力」さえあればビジネスパーソンは成果を出せるのでしょうか。私の答えは「NO」です。
例えば営業パーソンの世界。明るく元気で雑談力もある山田(仮名)がちっとも成果が出ないのに、寡黙で
お世辞にもコミュニケーションが上手とは言えない佐藤(仮名)のほうが成果を出す。
そんな事例をたくさん聞きます。いったいなぜなのか。
私の答えは「いざ重要な局面でのコミュニケーション」が最適ではないからです。
裏を返せば「雑談力」が通用しない場面でのコミュニケーションが成果を決めていることを意味します。
一般的に雑談は仲良くはなれるがビジネスの重要な局面では通用しない。これが私の持論です。
雑談ではないコミュニケーションの質が相手の「信頼」を勝ち取れるかを決めている。
「仲良くなる」と「信頼を勝ち取る」は大きく違う。そう思いますがいかがでしょう。
過剰表現に思われるかもしれませんが、私はビジネス数学教育家として普段の活動においてわかりやすく説明する
ことが生命線であり、本気で命を懸けています。そんな私が今とても思うことは、多くのビジネスパーソンは雑談
上手なのにいざ重要な局面での「説明」が驚くほど苦手であることです。これではビジネスで成果が出ません。
この問題は、そのビジネスパーソン本人はもちろん、その人物が所属する企業の業績、もっといえば日本の生産性
にも直結する問題です。
本題に入りましょう。さっそくですが重要な問いです。「信頼を勝ち取る」ためのコミュニケーションとは
いったい何でしょうか。私の答えは次の1行です。 ・わかりやすく、かつ論理的に説明できることである
あまりに普通のことで期待外れでしょうか。しかし普通のことが意外に難しいもの。
「明るく元気に挨拶をすること」や「食事のときは“いただきます”と言う」は当たり前のことですが、
それをきちんとできている人は意外に少ないものです。
どうすれば「わかりやすく、かつ論理的に説明する」ができるようになるか。拙著『数学的に考える力をつける本』
で詳しく書いていますが、私の結論を申し上げると「数学的な説明をする」となります。
数学的な説明とは、構造化して伝えることです。
そして構造化とは、次の2要素からなります。
A 説明する内容を塊で捉える
B 塊を矢印(→)でつなぐ
塊で捉えるとは、要素に分解することを意味し、矢印(→)でつなぐとは論理展開をつくることを意味します。
とても抽象的なので具体例を挙げましょう。
(問題例)
五角形の面積をどう求めるか説明しなさい
(回答例)
@ すべての五角形は3つの三角形に分解できる
↓(さらに)
A 三角形の面積は(底辺×高さ÷2)で求められる
↓(そこで)
B 3つの三角形の面積をそれぞれ求める
↓(すなわち)
C 3つの面積を合計すれば五角形の面積も求められる
数学に慣れている方はこれを無意識にやって答えを求めてしまいます。しかしその行為はこのように大きく4つの塊
に分解することができ、それを矢印(→)でつなげていくことで説明できます。塊に分け、それを矢印(→)でつなぐ。
これがいわゆる論理的でわかりやすい説明の構造になっているのです。
■「カーナビ」をお手本にする
唐突ですが、カーナビを使ったことがありますか?
私はカーナビの説明が「わかりやすくかつ論理的に説明する」(すなわち数学的な説明)のお手本だと思っています。
出発地と目的地を設定し、その(最短)経路を特定し、それを複数の塊に分解し、矢印(→)でつなげて説明を設計しています。
出発地点
↓(まずは1km直進して左折)
経由地A
↓(続いて5km直進して右折)
経由地B
↓(最後に300m直進すれば) 目的地周辺
カーナビの説明はある意味で完璧です。あれ以上わかりやすく説明しゴールまで導いてくれるコミュニケーション
は世の中に存在しません。だから私は企業研修やビジネス書などで「カーナビのように話しましょう」と提案します。
最初は「?」という反応がほとんどです。中にはバカにしたように鼻で笑うベテラン社員もいます。
しかしその真意を説明することで最後は納得いただけます。カーナビのような機械的な話し方ではなく、カーナビの
ように構造化して話すのがわかりやすいということです。
ビジネスパーソンの日常は9割が雑談力で事足りるシーンかもしれません。しかし残りの1割はいわゆる勝負どころ。
会議での説明。上司へのプレゼンテーション。金額の大きな商談。ここだけは雑談力では乗り切れません。
信頼されるコミュニケーションが必要だからです。極論、内容よりもまず伝え方に信頼がおけるかが重要なのです。
そしてそんな場面で信頼を勝ち取っている人とは、実は数学的に説明する人なのです。
わずか1割の場面でカーナビになれるか。
これがビジネスの成果を決めているのです。
■この記事も構造化して書いている
最後にこの記事の構造を明らかにしておきます。
【問題提起】雑談力があればビジネスで成果は出るのか?
↓(そこで)
【主張】信頼を勝ち取るコミュニケーションは別である
↓(具体的に)
【提案】構造化する技術
↓(例えば)
【具体例】カーナビ
↓(以上より)
【結論】わずか1割の場面でカーナビになれるか
これがまるで数学の問題解説のように見えるのは私だけでしょうか。ビジネスで成果を出したければ、
数学的に説明する技術を身につけましょう。「話す力」を鍛えるのではなく、「構造化する力」を鍛えるのです。
もちろん今からでもそれは可能です。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています