マリッシュ&パートナーズ
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しかも驚くのが、カード更新率が80%以上あるという点です。今どき、流通系カードはほぼ無料という時代に、有料でも会員
であり続けたい客がこれだけいるというところにコストコの強さが見えてきます。まさに、ディズニーランドの年パスを買う
ような感覚であり、コストコに行くこと自体がレジャー化している証です。
ちなみにコストコの世界での会員数は増え続けており、19年度で9850万人います。有料会員だけで見ても5390万人です。
世界で約1億人のファンクラブを持つ会社と言えば分かりやすいでしょうか。この会員組織がコストコ最大の強みです。
■1店舗の売り上げは200億円超
コストコは1店舗の売り上げが208億円ほどあります(筆者計算値)。つまり日本では26店舗で約5200億円の年商となります。
1店舗あたりの売り場面積はおよそ9300平方メートル(約2800坪)です。小売業の代表的な効率指標である年間1坪当たり
売上高(年坪≒坪効率)に換算すると740万7000円です。日本の一般的な食品スーパーの坪効率が294万円ですから、
2.5倍の効率をたたきだしています。
地方の郊外に立地して、都心の百貨店並みの坪効率をあげているのですから驚きです。
立地は郊外で、建物は倉庫型。華美な装飾はほとんどなく、店内にはしゃれたシャンデリアなどもありません。接客して
売り込んでいるわけではなく、基本はセルフ販売です。客が自ら、縦102センチ×横122センチの専用パレットから商品
を取り出し、それをカートに載せて運ぶのです。
おもてなしを最善とし、店には接客の要素を強く求めてきた日本で、このような店が一般的な店の倍以上の効率を
あげられるまでにはなったのは一体なぜなのでしょうか。
そのカギは同社の理念にありました。
■5つの理念に忠実だったから成長した
コストコが創業以来掲げる倫理規定である「Five Guiding Principles」という5つの理念(経営指針)があります。
同社はこれをひたすら守り続けているからこそ、経営の軸がブレずに、世界中で上手な経営ができていると言えます。
その5つとは以下のような指針です。 【Costco Code of Ethics】
1.Obey the law.(法の順守)
2.Take care of our members.(会員を大切にすること)
3.Take care of our employees.(従業員を大切にすること)
4.Respect our suppliers.(取引先に敬意を表すること)
5.Reward our shareholders.(株主に還元すること)
ここでは特に上記の2〜4に関連するポイントを整理してお伝えします。
■「会員を大切にすること」
日本の女性から圧倒的な支持を得ている理由は、「会員のために徹底的に安く商品を提供する」というポリシーによって
実現しているその価格設定にあります。
1店舗の売り場面積は約1万平方メートル。食品スーパーの平均の10倍以上あります。
ところが取扱商品アイテム数は約4000アイテム。日本のコンビニの平均取り扱いアイテム数とほぼ同じ、イオンなどのGMSの3分の1以下です。
しかし、この絞り込みによって1品当たりの販売金額を増やすことが可能となります。
1アイテム当りに換算すると、日本だけでも1アイテムで1億3600万円の年間売り上げです。コストコ全社で言えば、
1アイテム当たり約40億円の売り上げとなります。
メーカーからすれば、1アイテムだけでもコストコに納品できれば、年間で40億の売り上げになるわけですから、納入原価が
厳しくとも、コストコとはぜひ取引をしたいと考えるのは当然です。
結果的に、日本では卸などの中間流通を通さないと取引しないという慣例を打ち破り、メーカーとの直接取引を実現させ、
中間コストを省いて、その分、販売価格を抑えることに成功しました。
そのため、コストコは商品を市場価格より20%ほど安く提供できています。この圧倒的な価格力こそがコストコが女性に
支持されている最大の理由です。
■「従業員を大切にすること」
ロースコストオペレーションをしながら、従業員に無駄な仕事をさせないようにする工夫がコストコではあちらこちらで見られます。
先日も川崎店に行った際にバックヤードを除く店内で働くスタッフを数えると、20人程度しかいませんでした。
飲食や生鮮食品のバックヤードなども含めれば30人以上はいましたが、それでも同規模の店舗と比較したらかなり人数を絞っています。 しかし、従業員1人当たりの売り上げは高く、正社員1人で1億1000万円を超え、パートタイマーも含めた全従業員平均でも6400万円
(いずれもコストコ全社平均)と大変高い生産性を実現しています。
しかし、現場で働いている従業員はいつもニコニコしています。スタッフ同士で適度に雑談しながら、楽しそうに働いている姿が
印象的です。比較的、高い時給(出店地域の小売業の時給の中でコストコの時給はトップクラス。7月オープン予定の木更津店
では最低時給が1300円。最高で1800円)ということもありますが、それ以上に、無駄な仕事が少なく、業務に集中できることが
大きいのではないかと思います。
実際にコストコは女性が働きやすい職場としても有名です。
完全能力主義、オープンドアポリシー(上司と相談しやすい社風)、性別や国籍にかかわらずチャンスが与えられる機会均等制度
が徹底されており、優秀な女性管理職も多く存在します。社内では「ジャーニーズ」という女性管理職のための社内交流会や勉強会
などが企画され、女性同士の交流にも力を入れています。産休後の社員の復帰率がほぼ100%というのも、コストコの働きやすさ
を表しています。残業もほとんどないということですから、特に女性の働きやすさを意識した職場づくりをしていることが分かります。
売り場ではPOPも極力なくし、ついているのはブランド名、価格、容量などの最低限のものだけ。昼間、商品投入しているのは
食品売り場くらいで、あとは時々乱雑になった衣料品売り場の整理整頓をする程度です。お直しやPOPの書き換え、商品の随時投入
といった通常の小売店で常にやらなければならない業務から解放されているのです。従業員のことを大切にしつつ、ローコスト
オペレーションも徹底するという両輪を回しているからこそ、高い成長率を維持できるのです。
■「取引先に敬意を表すること」
コストコは「もうけすぎないこと」を徹底しています。前述したように、販売力がこれだけ高まると、もっともうかるように
取引条件を改定したり、自社のPB比率を極端に上げたりと、エゴむき出しになることもあります。しかしコストコは、取引先にも
もうけてもらいたいと考えて商売をしています。 コストコでは一定以上の利益はのせないことが社内規定で決まっています。さらに、日本のコストコで売れれば、世界のコストコ
に広がる可能性がある。これは取引先にとっては大きな魅力です。これも全て取引先に敬意を表するというコストコの理念に沿って
商売をしていることが、取引先の共感につながり、商売が広がっていった理由です。
結果的に、日本の店舗には世界から集まったさまざまなメーカーの商品やコストコのPBだけでなく、日本のメーカー・ブランド商品
も多数並ぶようになり、品質に特に厳しい目を持つ日本の女性消費者を虜にしたのです。
取引先を大切にしたことが、会員にも支持されたということで、コストコの考え方がさまざまな人たちに共感され、結果として
コストコファンを20年かけて増やすことになったのです。
会員制というしっかりとした基盤を持ち、それを背景とした強大な仕入れ力、そしてローコスト運営による経費の低減による効率的な事業運営。
「会員の皆様への可能な限りの低価格」を事業の柱にし続けられる同社の工夫です。
1999年、コストコの1号店が福岡県糟屋郡の久山(ひさやま)に出店した時に私が見たコストコは、まだ米国型の、いわゆる「倉庫型の卸売店舗」でした。
しかし最近のコストコは、日本市場に見合った、日本ならではの「小売りのテーマパーク」へと進化しているように思います。
客を楽しませるための自社の独自性にブレがなければ、コストコはまだまだ日本市場で伸びていくのではないかと私は思います。
コストコの理念経営。私たちが学ぶべき点が多い企業です。
(岩崎 剛幸) 夢と消えたアクセス鉄道都心と空港を結ぶ成田新幹線
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200723-30000260-tetsucom-ind
7/23(木) 10:05配信
2010年の京成成田スカイアクセス線開業により、アクセスが大幅に改善された成田空港。
それまでは都心から成田空港までは最速でも約1時間が掛かっていましたが、成田スカイアクセス線経由
となったスカイライナーにより、日暮里〜空港第2ビル間が最速36分で結ばれるようになりました。
しかしながら、成田スカイアクセス線以前にも、都心と成田空港を約30分で結ぶ路線の計画が立てられていました。
2020年現在、着工しながらも計画が消滅した唯一の新幹線である「成田新幹線」です。
■幻と消えた成田新幹線
東京駅と成田空港を結ぶ路線として計画された成田新幹線。計画ルートは、東京駅南側から、越中島、葛西、
原木、鎌ヶ谷、千葉ニュータウン、印旛沼付近、成田市土屋を経て、成田空港に至るというもの。途中、現在の
北総鉄道千葉ニュータウン中央駅付近に、中間駅を設置する計画でした。駅設備は、東京駅と成田空港駅は
島式2面4線、中間駅は通過線を配置した相対式2面4線というもの。開業当初の運行本数は1時間あたり5本で、
東京〜空港間の所要時間は30分程度を想定していました。
国家的プロジェクトである成田空港のアクセス手段として工事が開始された成田新幹線。
しかしながら、その構想は暗礁に乗り上げます。
背景にあったのは、当時問題となっていた公害です。東海道新幹線が通る名古屋市の住民が騒音被害を訴え、
1974年に新幹線の運行差し止めを請求した「名古屋新幹線訴訟」など、公共インフラといえど住民に対し
無条件に騒音などの被害を与え続けることが許されない時代となっていました。
成田新幹線においても、江戸川区議会において建設反対決議が採択されるなど、沿線自治体からの反発が激しく、
用地買収は遅々として進みませんでした。1978年の成田空港(当時は新東京国際空港)開港時にも開業の見通し
は立っていない段階でした。
結果、成田空港開港後に至っても細々と続けられていた工事は中断。
1987年の国鉄民営化と共に建設計画は放棄され、成田新幹線は幻の路線となりました。 ■今も残る新幹線の痕跡
大部分の工事が進められることなく計画倒れとなった成田新幹線。
しかしながら、その痕跡はかつての計画ルート上にいくつか残されています。
始発駅であった東京駅の空間は、現在は京葉線の駅設備として活用されています。とはいっても、現在のホームは
京葉線用に新規に建設したもの。成田新幹線用として建設された設備は、東京駅中央部のコンコースと京葉線コンコース
を結ぶ連絡通路の一部のみです。
東京駅を出た成田新幹線は、現在の京葉線とほぼ同じルートを進み、トンネルを出た地点で京葉線と分かれます。
そこから先は、原木中山駅付近まで、地下鉄東西線の南側を通るルートが計画されました。この東西線と並行する
エリアは、最も反対運動が激しかった場所と言われています。一方、用地買収に成功した場所もあり、真間川付近
では当時設置された土地境界標が残されています。
また、成田新幹線と交差する予定だった武蔵野線にも痕跡が。西船橋〜船橋法典間では、トンネルから出てきた
成田新幹線の線路を乗り越すため、武蔵野線側に橋りょうが設けられました。前後の区間はコンクリート製の高架橋
となっていることから、この地点に成田新幹線が通る予定であったことがわかります。
白井市から印西市(いずれも現在)の区間は、北総線とともに掘割の中を通る計画でした。中間駅が設置される予定
であった千葉ニュータウン中央では、北総線の駅の隣に成田新幹線の駅が建設される予定となっており、現在も
スペースが残されています。
この千葉ニュータウンエリアでは、通勤用路線と成田新幹線、高速道路、一般道の4つの構成で東西の動脈を建設する
計画でした。このうち、通勤用路線は北総線、高速道路と一般道は国道464号線のバイパスおよび側道として実現しました。
計画倒れとなった成田新幹線のスペースは、現在は日本一の長さというメガソーラー発電所となって、その痕跡をとどめています。
工事が進まなかった成田新幹線計画において、唯一大規模な工事が進められたのが、成田市土屋〜成田空港間です。
JR成田線と交差する部分から、高架線とトンネルを駆使して成田空港へ至る約8.4キロの部分は、現在はJR成田線と 京成成田スカイアクセス線が共用しており、それぞれの単線が並行して延びる区間となっています。
工事区間の始点となっていた土屋の高架橋ですが、建設当時から在来線の乗り入れを予定していたことが見て取れます。
1985年、成田新幹線建設中の様子が撮影された航空写真では、現在成田エクスプレスなどが走る成田方面〜空港方面
のアプローチ線が、すでに建設されていることがわかります。
また、アプローチ線の銘板にも注目。工事着手が昭和53年(1978年)3月2日、竣工が昭和56年(1981年)3月24日と
記載されていますが、この期間は土屋〜成田空港間の工事期間と一致します。
さらに、銘板の設計荷重には「KS-16」との表記があります。設計荷重とは、高架橋や鉄橋を走行できる車両重量の
上限を示したもの。国鉄では、在来線向けの「KS荷重」と、新幹線向けの「NP荷重」の2つを規定していました。
このアプローチ線で、新幹線用のNP荷重ではなく在来線用のKS荷重が記載されていることは、建設当時より在来線が
この路盤を使用する想定だったことを暗に示しています。
終点の成田空港駅は、成田新幹線用に建設された駅施設を改築したもの。25メートル級12両編成に対応した島式2面4線
のホームを、JRと京成が半分ずつ分け合う形となっています。駅の内装は1991年の在来線開業にあわせて施工されたほか、
2010年の成田スカイアクセス線開業にあわせて京成側ホームの延伸・増築が実施されたため、現在の駅設備は成田新幹線
建設当時そのものの姿ではありません。
■そして高速鉄道計画は復活へ
成田新幹線計画が難航した結果、1978年に開港した成田空港へのアクセスは、京成のスカイライナーのほか、成田駅で
特急「あやめ」などと接続する連絡バス、そして東京空港交通の「リムジンバス」に代表される空港連絡バスが担うこととなりました。
しかしながら、現在の東成田駅を発着するスカイライナーは、空港駅から空港ターミナルまでの連絡バスに乗り換えが
必要なために利便性は悪い状態。成田駅で特急列車などと接続する連絡バスも乗り換えの手間が嫌われ、多く利用される
ことはありませんでした。 一方の空港連絡バスも、当時は東関東自動車道の高谷ジャンクション〜宮野木ジャンクション間や首都高速湾岸線が開通
しておらず、京葉間の交通は首都高速7号線や京葉道路のみが担っている状態。開港当初は比較的スムーズに運行できて
いましたが、次第にこれら高速道路の渋滞が影響し、定時性に劣るようになっていきました。
この現状を鑑み、運輸省が組織した調査委員会により、1981年に成田空港へのアクセスが再検討されます。この委員会
によって、京葉線や現在の北総線を活用し、国鉄が運営する新線(A案)、京成線と北総線を利用する新線(B案)、
国鉄線を経由し成田駅から新線を建設(C案)の3案が検討されました。
このうちのB案が本命とされ、B案完成までの暫定整備としてC案も建設が決定。1991年3月にC案となる成田線支線が開業し、
同日に空港ターミナル直下へ乗り入れた京成本線とともに、都心と成田空港を結ぶアクセス路線がようやく整備されました。
そして、ターミナル直下への乗り入れ開始から19年後の2010年、成田スカイアクセス線が開業。都心と空港を30分台で
結ぶアクセス鉄道が、ようやく完成したのでした。
都心と空港を最速36分で結ぶスカイライナー。かつての新幹線計画と似たルートを通る高速アクセス列車は、成田新幹線
の遺志を受け継ぎ、成田空港アクセスの主力として活躍しています。 コロナ不況 婚活女子に厳しい現実「年収600万以上」高望みの果て
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200725-00000001-yonnana-soci
7/25(土) 7:02配信
年収600万円以上の男性を希望する女性が多いとされる婚活市場。コロナ不況や残業時間の削減で
男性の収入が減少傾向にある中でも、その傾向は変わらないという。しかし、婚活アドバイザーの
大西明美さんは「高すぎる理想は予想外のリスクを招く」と警鐘を鳴らす。一体どういうことなのか。
コロナ禍の今、婚活中の女性が知っておくべき「年収と年齢差の方程式」について解説してもらった。
■残業規制にコロナが追い打ち
結婚相談所では昨年の年収を申告するルールになっています。
12月に源泉徴収票を提出してもらい、翌1月に年収情報を更新します。
2019年1月は年収が50万円〜150万円下がる男性が続出しました。
働き方改革を背景に前年から残業が制限され始めたことが大きな原因です。
そして迎えた2020年、新型コロナウイルスの流行が追い打ちをかけました。
「ボーナスの額が大幅に下がった」「在宅勤務で残業が原則できなくなった」といった悲鳴が
男性陣から多数寄せられています。ボーナスが全額カットになった人も数人いました。
おそらく、来年はさらに男性の年収が下がります。
しかし、女性が男性に求める年収の条件は全く変わりません。多くの女性は年収600万円以上を希望。
それでいて年の差は5歳以内でなければならないと言います。さらに、この年収条件で「年下じゃないと
恋愛対象として見られない」という強者もいます。あまりにも現実を知らなさすぎると言わざるを得ません。
■無視できぬ「年収と年齢の相関関係」
日本もグローバル化の波にさらされ、年功序列から成果主義へ移行する企業が増えていますが、
結婚相談所で男性の年収を見る限りは、いまだに年功序列の状態が続いています。
高年収の男性を希望した場合、そのぶん年齢は高く設定しなければ、条件に合致する男性が現れません。
つまり、年収600万円以上でなおかつ年の差5歳以内限定の婚活なんて無謀すぎるというわけです。 それでもその条件をやめない女性については、入会時に「お見合いがまったく成立しなくても文句を言いません」
という誓約書にサインをもらっています。
それぐらいのリスクがあることを言っているのだと、彼女たちに強制的に理解してもらうためです。
では、婚活女性は結婚相手の条件としてどういう年収と年齢を設定するべきなのか。20年間で4万件以上の
婚活&恋愛アドバイスを行ってきた私が過去の事例を分析し、導き出した独自の「方程式」が実はあります。
「お見合いがゼロなんて嫌!5人申し込んだら1人はOKしてくれる条件」ということでお答えします。
なぜこの条件で答えるのかというと、女性はすぐに申し込みをやめる傾向が高いからです。
お見合いを一度断られるとショックから立ち直れず、男性からの申し込みを待つようになる人が8割を超えます。
そして、好条件の男性から奇跡的に申し込まれるのを待つだけの日々になります。
こうなってしまった人のうち、1年以内に成婚する人は20人に1人いるかいないかぐらいになります。
5人申し込んで1人OKなら、月10人申し込めば、お見合いは月に2回は出来ます。
本題に戻ります。
年収と年齢を正しく設定するための方程式を活用すれば、無用なリスクを回避することができます。
その方程式は、首都圏とそれ以外の地域で少々異なります。首都圏は圧倒的に年収が高いため、
そのままの方程式では地方に適用できないのです。
■首都圏の方程式
首都圏の方程式は次の通りです。
最低年収÷50万円=上限の年齢
例えば、年収600万円以上の男性を希望する場合、
年収600万円÷50万円=12歳となります。
30歳の女性なら、42歳までの男性が上限になります。
35歳の女性なら、47歳までの男性が上限になります。
この条件にすることで、ようやく5人に1人の確率でお見合いが成立します。
「え、5歳以内がいい!おじさんとお見合いしたくない!」と思う人は、方程式を使って「最低年収」を逆算すればいいのです。
最低年収÷50万円=5歳なので、5歳×50万円=最低年収は250万円となります。 「は?250万円?」と目を疑うかもしれません。でもこれが現実なのです。
最低年収250万円以上というのは、ほぼ100%の男性が満たしていると言えるでしょう。
つまり、年齢を5歳以内にしようと思ったら、年収は度外視で申し込みをしていく必要があるということなのです。
■地方の方程式
地方の方程式は、さらに過酷な結果になります。
最低年収÷40万円=上限の年齢
年収600万円を希望するならば、15歳が上限の年齢になります。
30歳なら45歳、35歳なら50歳ということになります。
こう考えれば、600万円以上という条件がどれほどのことなのかが理解できますね。
もちろん、プロフィール写真や、プロフィールの仕上がりが良ければ(さらに言うと美人であれば)、お見合いの
受諾率はあがります。だからこそ、何も努力をしないで600万円以上なんて言わずに、自分自身のプロフィール
の記載を工夫したり、コツコツと申し込んだりといった努力が問われているのです。
ましてコロナ禍の影響で景気の先行きは不透明な状況が続きます。何もしないで白馬の王子様が迎えに来るなんて
ことはないので、しっかりと自分でやるべきことにも取り組んで行きましょう。(婚活アドバイザー大西明美)
*****
おおにし・あけみ
20年間で4万件以上の婚活&恋愛アドバイスを実施。2010年からクリスチャン専門の結婚相談所を経営。
2016年より男性が医療従事者専門の結婚相談所も開設。お見合いのマッチング業務の成功事例、失敗事例を
分析し、再現性がある婚活の法則を導き出すことを得意とする。著書に、『となりの婚活女子は、今日も迷走中』
(かんき出版2016年8月)。 熾烈!「多摩センター」客争奪戦…京王 vs. 小田急、勝負の行方
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200724-00027923-gonline-bus_all
7/24(金) 11:00配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、京王と小田急、多摩都市モノレールの接続駅「多摩センター」。
■京王の独走状態に小田急が待ったをかけた!
「多摩センター」は東京都多摩市に位置する、京王相模原線、小田急多摩線、多摩都市モノレール線の駅です。
京王線は「京王多摩センター」、小田急線は「小田急多摩センター」が正式な駅名です。
1日の乗降客数は、京王駅9万人強、小田急駅5万人強、多摩都市モノレール駅3.7万人強となっています。
「多摩センター」は、多摩ニュータウンの中心駅。ニュータウンの開発1966年から始まり、2003年に東京都が、
2006年に都市整備機構(旧住宅公団)が、それぞれ事業を終了させるという、実に40年間に渡り造られた大規模
な団地開発でした。八王子市・町田市・多摩市・稲城市の東西14kmの丘陵地帯に、20万人強の人が住んでいます。
そもそもニュータウンの起源は産業革命期のイギリス・ロンドン。様々な都市問題を解決するため、市中心部から
50Km離れた農村地帯に住居と職場が一体化した自立都市を造ろうとしました。一方日本におけるニュータウンの場合、
深刻な住宅不足の解消が命題。一戸でも多くの低所得者向けの住宅を供給することが優先されました。
1971年、「多摩センター」駅の隣、「永山」駅付近の諏訪・永山地区で、第1次入居が開始。当時はまだ鉄道路線が
開通しておらず、まさに陸の孤島。それでも大きな夢を抱いて、人口は着実に増加。3年後の1974年には、ニュー
タウンの人口は3万人に達しました。
鉄道の開通は小田急線が1974年6月に「小田急永山」駅まで、京王線が同年10月に「京王多摩センター」駅まで、
さらに翌年には小田急「小田急多摩センター」駅を開業させました。 街は歩道と車道を分離しているのが特徴で、歩行者の安全と車のスムーズな流れが確保されています。
「多摩センター」駅周辺はニュータウンの中心らしい様相です。専門店街「ココリア多摩センター」(旧そごうや
三越が入っていた百貨店ビル)や「クロスガーデン多摩」、イトーヨーカドーの入る「丘の上プラザ」、イオンシネマ
の入る「丘の上パティオ」など、商業施設やアミューズメント施設が集積。行政施設や民間企業の業務施設も点在し、
職住近接の街づくりが進められました。現在は、日本各地のニュータウンで直面している入居者の高齢化、建物の
老朽化が、ここ多摩ニュータウンでも深刻な問題に。街の再生が急務となっています。
そんな「多摩センター」で近年語られるのが「京王 vs. 小田急」。同じ「新宿」に行くにしても、開通当初から
直通電車を走らせていた京王に対し、小田急は「新百合ヶ丘」での乗換えが必須。利便性から京王が圧倒的な強さ
を見せていました。
風向きが変わったのが、2000年代。小田急が「新宿」や都心への直通電車を走らせたり、複々線化により所要時間
を大幅短縮させたりと攻勢をかけた結果、大きく乗降客数を伸ばすことに成功しました。一方、京王も追加料金なし
の特急を復活させたり、有料座席指定列車「京王ライナー」を走らせたりして対抗。壮絶な利用者争奪戦を繰り広げています。
■ニュータウンの中心駅…生活利便性は抜群の高さ
街の再生が進む「多摩センター」駅周辺は、一般の単身の会社員が住むにはどうなのでしょうか。見てみましょう。
まずは駅周辺の家賃水準。駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は5.19万円、11分を超えると3.54万円(図表1)。
同条件の東京都多摩市の家賃水準は、駅10分圏内で4.47万円、11分を超えると3.57万円。「多摩センター」駅周辺
では、駅チカのエリアを中心に、多摩市の平均を上回る家賃水準となっています。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、25〜29歳で
27.5万円、30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、そこから住民税や所得税
などを差し引いた手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。 「多摩センター」駅周辺は、20代会社員でも十分に検討できる家賃水準のエリアです。大手検索ポータルサイトで、
20代会社員の適正家賃内、徒歩10分圏内を条件に検索すると、多くの単身者向け物件が見つかります。その内訳は、
7割以上が築年数30年以上の築古物件。築10年以内の物件は5%程度で、築年数にこだわりのある人は、条件内の物件
を見つけるのに苦労しそうです。
交通面はどうでしょうか。京王利用で「新宿」42分、相互乗り入れする都営地下鉄新宿線利用で「市ヶ谷」52分。
小田急で「新宿」40分、相互乗り入れする東京メトロ千代田線利用で「表参道」42分、「大手町」57分(所要時間は
「京王多摩センター」「小田急多摩センター」を平日8時に出発した場合の目安)。「新宿」のほか、それぞれ直通運転
する路線を利用して、都心にもアクセスできます。
買い物環境はどうでしょうか。駅周辺のスーパーは「京王ストア」や「イトーヨーカドー」のほか、高級志向の「成城石井」。
大手ドラッグストアチェーンも点在しています。日常品の購入は、駅周辺か、商業施設が集積する駅南側。駅北側に買い物
スポットはコンビニ以外皆無なので、帰りが遅いときは注意が必要です。
また商業施設には、人気アパレルショップや家電、インテリアの量販店が出店。ある程度の買回り品を揃えることができるのもポイントです。
飲食店はどうでしょうか。駅周辺は、単身者でも利用しやすいファストフードやファミレス、牛丼店、定食店など、
お馴染みの大手飲食チェーン店が集積。外食派の人でも困ることはなさそうです。一方で、街の規模に対して居酒屋
などの飲食店は少なめといった印象です。
東京を代表するニュータウンの中心駅「多摩センター」。全国に点在するニュータウン同様、街の再生が課題になって
いますが、多摩センター周辺は大学が点在していることから若年層も多く、活気にあふれている印象です。
生活利便性も高く、単身者でも暮らしやすい街だといえるでしょう。ネックになるのは、通勤時間帯で「新宿」まで40分ほど
という距離感。都心勤務であれば通勤時間は片道1時間程度となるので、居住地としては評価の分かれるところです。 一方で、ライバル関係にある私鉄の争いは、地域住民にとっては利便性向上につながると歓迎ムード。少々遠い未来の話
になりますが、京王相模原線の終点「橋本」駅には、リニア中央新幹線の駅が開業予定。中京圏、関西圏へのアクセスが
グッと近くなれば、多摩ニュータウンエリアの価値も向上するかもしれません。
GGO編集部 ラッシュ時間帯は割高に「JR各社が時間帯別運賃を検討」つまりどういうこと?
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200724-00000031-it_nlab-bus_all
7/24(金) 19:12配信
東日本旅客鉄道(JR東日本)が、2020年7月7日に行った深沢祐二社長の定例会見で「時間帯別の新たな
運賃体系を検討」していることを明らかにしました。併せて、西日本旅客鉄道(JR西日本)も7月22日、
長谷川一明社長が同様に時間帯別運賃や終電繰り上げを検討していると述べました。
「ラッシュ時間帯は運賃を高くする」「終電時間も早める」──。「乗客分散効果、満員電車解決策の
一つになると思う」「実際どうやるんだろう?」「安い時間帯がピークタイムになるだけのオチが見える」
など、ネットでも大きく話題になりました。その背景と課題、ポイントをサクッと解説します。
【1】なぜ時間帯別の運賃体系を検討しているの?
COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の影響で、移動需要が大きく減退しました。
これまで安定した運賃収益の礎であった通勤客の生活様式が変わりました。
JR東日本の2020年第1四半期鉄道営業収入は前年同期比34.1%、特に緊急事態宣言が発令された2020年4月、5月
の利用客減が著しく、前年同月比30%と大きく落ち込みました。
日本労働組合総連合会が2020年4月以降にテレワークを始めた労働者の意識をまとめた調査「テレワークに関する
調査2020」によると、これまでの通勤からテレワークになった人は、26%が「毎日」、72.7%が「勤務日の5割以上」
と回答。これまで定期を買い、固定ルートで通勤していた人が、やはりかなりの率で働き方を変えたことも数字
として表れてきています。
毎日固定ルートで通勤する必要がなくなることから、企業においても定期代の支給ではなく、従業員の柔軟な働き方
に対応できる別の支給方法を取り入れる動きが進んでいます。
テレワークの浸透など客の生活様式が大きく変化する中、鉄道会社も安全に安定したサービスを提供する公共交通機関
としてのとても重要な役目を維持しながら、長期的に経営が成り立つように収益体制を変えていかなければ生き残れません。 機会と理由は、新型コロナウイルスの影響による利用客の減少と生活様式の変化に対応し、安全運行のための保守人員
確保なども含めたコスト面対策のため。時間帯別運賃の導入はその案の1つです。併せて「定期券の位置付けも考えない
といけない」とJR東日本の深沢社長は会見の中で述べています。
【2】「満員電車」の課題解決にも時間帯別運賃が有効
その一方で、都市圏の通勤時間はいまだに混雑が激しい現状もあります。例えばJR東海道線の川崎駅〜品川駅間は、
平日朝6時30分〜7時30分に乗客が集中しています。
鉄道車両は「換気のために、通勤電車の窓を開ける、ドアを開放するといった施策を行っている。鉄道車両は密閉空間
ではなく、空調装置で常時空気循環・入れ替えを行っている(ので安全です)」とうたいます。しかし心配する声があるのも事実です。
働き方が柔軟になる大きな変化を前提に、「ラッシュ時間帯は高くなるというより、ラッシュ時間帯を避ければ明確に安い」
となればどうでしょう。満員電車の解消で「3密(密閉、密集、密接)を避ける」の緩和と、働き方の変化にも対応できる
柔軟な体系としたい考えです。
【3】「同じルートなのに異なる料金」、旅客機では普通に導入交通系ICの利用を前提に実施?
「同じ路線でも値段が変わる料金体系」とはどういうものか。一般的に導入されている旅行・航空業界の料金やチケット
を想像すると分かりやすいです。
例えば航空機チケットは、同一の会社、行き先でも便や申し込む方法によって料金が変わります。早朝の発着便は通常より
安い料金になることが多く、需要の多い土曜、日曜、連休初日などは高くなります。需要予測に合わせた料金設定です。
旅行商品やホテルなどもそうですね。
また、特急列車も「時期別」に料金を分けています。特急列車の普通車指定席料金は「通常期」「繁盛期」「閑散期」
などと分かれており、JR東日本の特急列車も繁盛期は通常期プラス200円、閑散期はマイナス200円などと、少しですが
差があります。こちらも需要予測に合わせています。
海外では例えば、ロンドンの地下鉄がピーク/オフピークで運賃を変える制度を取り入れています。 ロンドン地下鉄は距離別に1から6までのゾーンに区切ったゾーン別運賃を採用しますが、ロンドン市内の公共交通機関で
使える交通ICカード「オイスターカード」利用者はオフピークの料金が設定されます。
具体的には、平日の6時30分〜9時30分、16時〜19時をピーク時間としてこの時間を割高な料金にし、また紙のきっぷを購入
する場合は「常に」オイスターカードのピーク時間料金よりも割高な料金設定にしています。
■実現は可能?開始はいつから……?
日本にも交通系ICカードでは紙のきっぷを買うより安い「ICカード運賃」が既にあるので、交通系ICの利用を前提にした
実現の具体性はそれとなく見えていると考えられます。
導入はいつ頃になるのでしょう。「時間帯別運賃はこれまでの運賃体系から大きく変える仕組みのため(国への変更認可申請、
JR各社や接続する他鉄道会社との大掛かりな調整などで)実現には多少の時間はかかりそう」などの声もあります。JR東日本は
「検討を始めたところである」として開始時期を明言していませんが、同様の考えを示したJR西日本は会見で「(終電繰り上げは)
来春(2021年春)の実現を目指す」としたと報道されています。
鉄道運賃単体で考えるのではなく、複数の移動手段や周辺サービスをまとめて1つのサービスとして捉える
「MaaS(Mobility as a Service)」などの推進とともに、鉄道や移動の在り方もこの先大きく変わるかもしれません。
皆さんはどう思いましたか?
(少年B)
ねとらぼ もはや駅構内プチ散歩レベル 東京駅「京葉線ホーム」はなぜ遠く離れた場所にあるのか
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200725-00010000-metro-life
7/25(土) 8:30配信
■上京当初は「さすが東京」だが……
「東京初の電車は京葉線」という、上京組はけっこう多いのではないでしょうか。
新幹線で東京駅に到着。そのまま東京ディズニーランド(千葉県浦安市)へ行こうとすると、
京葉線に乗り換えて舞浜駅へ向かわなければなりません。途中にあるのは、長い動く歩道。
「さすが東京はすごい。歩道も動くんだ」
と思い、歩くのを止めて身を任していると、追い抜かれることも多く、東京のせわしなさを知るのです。
■慣れると「ここは本当に東京駅なのか」に
そうした初体験は「大都会」をイメージさせるのに十分ですが、いざ上京し、東京に慣れてくるとどうでしょう。
天下の東京駅だというのに、京葉線のホームは他とは比べ物にならなきほど離れているのです。むしろ近いのは有楽町駅。
「なぜ、この駅が東京駅を名乗っているのか」
「ここは本当に東京駅なのか」
と、冗談交じりに考えたことのある人も少なくないでしょう。
東京に住んでいる人が京葉線に乗る機会は、東京ディズニーランドや幕張メッセ(千葉市)、IKEA Tokyo-Bay
(千葉県船橋市)に行くためというのが大半だと思いますが、そのたびに「京葉線は遠い」と考えさせられます。
京葉線ホームが地下に埋まっているのは、鍛冶橋通りの三菱一号館美術館(千代田区丸の内)から東京国際フォーラム
(同)のあたり。有楽町駅のほうがやや近い立地です。
そもそも、なぜこのような場所にホームを建設することになったのでしょうか。
■平日は通勤通学、休日は行楽用として活躍
京葉線は1975(昭和50)年、蘇我〜千葉貨物ターミナル間が貨物線として開業したことに始まる路線です。
路線の目的は千葉県から東京湾岸への貨物輸送でしたが、その後、東京湾岸の人口増などを理由に旅客化が進められ、
現在の姿になっています。なお東京駅のホームは、1990(平成2)年3月に開業しています。 京葉線は蘇我(千葉市)から東京までが通勤快速で、それまでの総武線快速より8分早い43分という所要時間で
到着することが可能となりました。
また朝夕のラッシュ時には、内房、外房、東金線も乗り入れ、都心への通勤圏を広げる役割も果たしています。
それに加えて、東京ディズニーランドにはわずかに15分で行ける「レジャー路線」としても注目を集めました。
京葉線は以来、平日は千葉と東京をつなぐ通勤・通学の足として、休日は行楽の足として多くの利用されているのです。
■ホームが遠く離れている理由
そうであれば、ホームが東京駅のあの位置に建設された理由は平日の利便性、すなわち通勤に便利だからなのでしょうか。
京葉線ホームのすぐ上にはオフィスビルが多く建っており、確かに近隣オフィスに勤める人にとっては便利ですが、
ここに建てる特別な理由はありません。
ということで、ここでネタばらしです。
ホーム建設の大きな理由は、「ほかに空いている土地がなかった」からだとされています。現在の地図を見ると、
東京駅周辺は駅を取り囲むように四方の地下が開発し尽くされているのがわかります。
計画当時、すでに北の永代通りには東西線が、八重洲通りには地下街が、丸の内方面も丸ノ内線や地下街がある状況でした。
このため、開発できるのが現在の場所しかなかったというわけです。
■ひたすら地下に潜る後発の宿命
これも、大都会にあるターミナル駅ならではの特異な事情と言えるでしょう。
いざ建設を始めようとしても地下の浅い部分はすでに使われていたため、深さ約33mまで掘り下げなくてはなりませんでした。
後発の鉄道はどんどん下に潜っていく――京葉線の東京駅ホームは、そんな事象の始まりだったのです。
その後、2000(平成12)年開業の都営大江戸線の六本木駅はさらに深い、地下約42.3mにホームが、2005年開業の
つくばエクスプレスの秋葉原駅は地下約33.6mに存在します。
また、現在工事中のリニア中央新幹線・品川駅は深さ40m以上の地下にホームができる予定です。
地上を走るリニア新幹線にもかかわらず、始発駅は地下鉄並みに深いのは驚きです。 ■幻の「成田新幹線計画」とは
さて、土地が空いているために東京駅から離れた場所に建設された京葉線ホーム。
実は、計画段階では別の理由があったともされています。
それは、幻に終わった「成田新幹線計画」です。
これは成田空港の建設とともに持ち上がった都心と成田空港を新幹線で結ぶ計画で、数ある鉄道計画の中でも具体性があり、
1971(昭和46)年に東北・上越新幹線とともに基本計画が公示されています。
このときに、現在の京葉線ホーム付近が成田新幹線建設時のホーム予定地として検討されましたが、騒音などを理由に計画は進展しませんでした。
■もっと複雑な場所になった可能性も
最大の理由は、計画で成田空港〜東京間に駅が予定されていなかったためです。
そのため、沿線の自治体、とりわけ千葉県の各地域にとって建設のメリットは薄く、自治体の議会では反対決議があがり、
通過される江戸川区は当時の運輸大臣に対して工事認可の取り消しを求めて訴訟まで行っています。
こうして成田新幹線はわずかな部分を除いて用地買収を行えず、1986(昭和61)年の国鉄分割民営化に際して計画中止となります。
この過程で土地が空いていたために、京葉線ホームが建設できたわけですが、もしも成田新幹線が開通していれば、
ホームの場所はもっと複雑になっていたのかも知れません。
なお成田新幹線は東京駅から先、新宿への延伸も計画していたといいます。
これが実現していたとすれば、そのほとんどが地下を通る新幹線となっていたことでしょう。
いったい、新宿駅はどんなホームになっていたのでしょうか?
想像すると、鉄道ファンではなくとも少しドキドキしてしまいますね。
小西マリア(フリーライター) 「オフィスは無駄な出費」 テレワーク定着で解約続出、空室率はジワリ悪化
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200725-00000011-jct-bus_all
7/25(土) 21:00配信
新型コロナウイルスの感染問題を機に、都心などのオフィス需要が縮小する可能性が高まっている。
感染防止のためテレワークなどの在宅勤務が広がり、富士通がオフィス面積を今後、半減すると決めるなど、
オフィス削減の動きが出始めているのだ。
コロナ禍による景気悪化などの影響で東京都心のオフィスビルの空室率は実際に悪化しており、
オフィス市場が転換期に来ているともいえそうだ。
■「テレワークへの転換はそれほど難しくない」との気づき
富士通は2020年7月6日、働き方を抜本的に見直すための取り組みを発表した。目玉は、国内のグループ会社も含め、
オフィスの床面積を23年3月末までに半分に減らすという計画だ。従業員の勤務形態はテレワークを基本とし、
現在賃貸契約しているオフィスを約3年かけて順次解約。
エリアごとに主要拠点となる「ハブオフィス」や会議などに使う小規模な「サテライトオフィス」などに集約する。
オフィスの賃料のほか従業員の通勤定期券の負担がなくなり、同社は「コストメリットもある」と説明している。
満員電車に乗って出社するのは当たり前の光景だったが、多くの企業がコロナ禍を機にやむを得ず在宅勤務を
強いられることになった。くしくも政府による「働き方改革」の大号令が発せられている最中だったこともあり、
在宅勤務を取り入れた多くの企業が「テレワークへの転換はそれほど難しくない」と気づいた。富士通がオフィス半減
の大改革に踏み切るのも、緊急事態宣言が発令された際、約9割を在宅勤務にした経験がきっかけになったという。
富士通のような大手企業の動きはまだ少ないが、既に中小のIT企業を中心にオフィス解約の動きは広がっている。
IT企業は元々、パソコンと通信環境が整った場所さえあれば業務が可能な場合が多く、都心などに大きなオフィス
を構える必要性は小さい。コロナ禍で社会全体に在宅勤務が急増したうえ、業績悪化もオフィス解約を後押ししている。
都心でオフィスを借りれば、月数百万、数千万円を支払うケースも少なくなく、オフィス解約は手っ取り早い
コスト削減にもつながる。 あるIT企業関係者は「これまで頻繁に使っていたスペースでもないのに大金を支払っており、
コロナ問題で無駄な出費だと気づいた」と話す。
◆「オフィス離れ」は進むのか
こうした動きから都心などでは解約の動きがじわじわ広がっている。オフィス仲介の三鬼商事が
発表した6月の東京都心5区(千代田、中央、港、新宿、渋谷)のオフィス平均空室率は前月比
0.33ポイント上昇し、1.97%になった。水準としてはなお歴史的な低さだが、悪化は4カ月連続で、
今回の上昇幅は2010年2月以来、10年4カ月ぶりの大きさだ。
都心の大型ビルなどでは、対処申し込みが相次ぐといった事態は生じていないが、ある不動産関係者は
「オフィス需要はコロナ問題前から、そろそろピークとの声があった。オフィス離れが進めば今後が心配だ」と、
不動産市場の異変への警戒感を隠さない。 東京ミッドタウン・サンシャイン60・東京ドームができる前に建っていた意外な建物の正体
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200725-00010001-metro-life
7/25(土) 21:30配信
■都内超有名施設が建つ前にあった建物
新型コロナウイルス禍にあっても、都内には注目の新商業施設が次々に誕生しています。
6月には「IKEA」初の都心型店舗が出店したことで話題を集めた、「WITH HARAJUKU」(渋谷区神宮前)や、
竹芝駅周辺の再開発で生まれた「ウォーターズ竹芝」(港区海岸)がオープンしました。
また、商業施設、温浴施設、劇場などを擁する「有明ガーデン」(江東区有明)が8月にグラウンドオープン予定です。
こうした大型施設やビルを新設するには、当然ながら立地条件がいい、広大な土地の確保が必要になります。
埋め立て地を除き、そうした場所が以前から更地である訳がなく、それ以前にも何らかの建物が建っていた場合がほとんどです。
ただし、同じような施設があったとは限りません。都内の誰もが知る有名なスポットが生まれる前、
同じ場所に毛色が大きく異なる建物があったケースもあるのです。
■どこか緊張感があったかつての六本木駅周辺
さまざまな商業施設からなる「東京ミッドタウン」(港区赤坂)は、2007(平成19)年3月に開業しました。
では、地下鉄六本木駅に隣接したあのエリアに、「東京ミッドタウン」が建つ前は何があったのでしょう?
かつては、その周辺に何となくものものしい雰囲気が漂っていました。なぜなら、そこに「陸上自衛隊の駐屯地」と
「防衛庁の本庁舎」があったからです。したがって、六本木駅周辺の人の流れも現在とは大きく異なりました。
明治時代より、そこには大日本帝国陸軍の駐屯地がありました。
終戦後、日本が連合国軍総司令部(GHQ)の占領下に置かれることで、一時的に米軍の施設になります。
そして、サンフランシスコ講和条約発効後に日本に返還されると、1962(昭和37)年以降は陸上自衛隊駐屯地となり、
防衛庁本庁舎も置かれることになります。
なお、地下鉄六本木駅の開業は、返還から2年後の1964年のことです。 ■死刑が執行されていた超有名ビル建つエリア
60階建ての超高層ビル「サンシャイン60」(豊島区東池袋)がオープンしたのは1978(昭和53)年4月。
その高さは約240mで、当初は、「新宿三井ビルディング」(新宿区西新宿、225m)を上回る、日本一、そしてアジア一高いビルでした。
また、ビルに連結するかたちで、複合商業施設「サンシャインシティ」が同時期に開業しています。
サンシャイン60を含むサンシャインシティが生まれる前、同地にあったのは、現在の明るく華やかなイメージとはまったく違う建物でした。
そこにあったのは、「拘置所」または、「刑務所」なのです。
第2次大戦前から、そこには「東京拘置所」と呼ばれる施設が建っていました。ただし、これも敗戦後はGHQに接収され、
その期間は「巣鴨プリズン」として戦争犯罪人(容疑者)が収容されていました。「プリズン = Prison」 は「刑務所」という意味です。
また巣鴨プリズンでは、連合国が日本の指導者などを裁いた「東京裁判(極東国際軍事裁判)」で死刑が宣告された
7人への刑の執行が行われています。
1952年に日本に移管された同施設は、「巣鴨刑務所」となり、引き続き戦犯を収容していました。
そして1958年に閉鎖になると、しばらくしてそこに超高層ビルが建てられたという歴史があります。
■巨大ドームの前にあった別の巨大施設は?
新しい「国立競技場」(新宿区霞ヶ丘町)は、旧「国立競技場」の跡地に建設されましたが、1988(昭和63)年3月開場の
「東京ドーム」(文京区後楽)は、旧「後楽園球場」跡地に建てられたのではありません。
日本初のドーム球場は、起工から開場まで約3年を要しています。
当時、後楽園球場は、プロ野球の読売ジャイアンツと日本ハムファイターズ(現・北海道日本ハムファイターズ)が本拠地としていました。
2チームが、後楽園の解体からドーム完成までの間、ホームグラウンドを失うという状況は、ビジネス的に考えられません。
つまり、東京ドームは、後楽園球場を稼働させながら、別の場所に建てる必要があったのです。 何かの広大さを表現する際に、「東京ドームの〇個分」といった表現が用いられるように、大きさの代名詞である
東京ドームですから、その前にあったのも、やはり巨大な施設でした。
■東京ドームの前にあった施設とは
答えは、「競輪場」です。
戦後、東京都が競輪を運営することになり、1949(昭和24)年、後楽園球場の隣に「後楽園競輪場」が開設されました。
つまり、その時代は野球場と競輪場とがドンとふたつ並んでいる状態でした。
ところが、1972年に、都営ギャンブルが廃止されたことで、同年10月を最後に競輪開催は終了します。
そのため同施設はスタンドをそのままに、1973年に「後楽園ジャンボプール」として改装されることになります。
競輪場のフィールドにプールが作られたのです。
そういった意味で“東京ドームの前にあった施設”は、厳密には「プール」が正解だといえるでしょう。
なお後楽園球場があった辺りには現在、「東京ドームホテル」、「プリズムホール」が建っています。
ミゾロギ・ダイスケ(ライター、レトロ文化研究家) 何が「スーパー」だったのか ほぼ全国を走るも激減したJR特急名 一時は新幹線にも
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200726-00098341-norimono-bus_all
7/26(日) 10:22配信
■速達性や新車をアピール JR化後に増えた「スーパー」列車
JRの特急列車は速達料金として特急料金が必要ですが、その速達性は列車によって様々です。
特に旅客需要が高い路線は同じ特急列車でも、停車駅の少ないタイプと主要駅に停車するタイプに分かれているケースがあります。
そこでJR各社は速達性の違いを明確にするために、列車名の前に「スーパー」を付けました。
1988(昭和63)年に783系「ハイパーサルーン」を使用した博多〜西鹿児島(現・鹿児島中央)間の速達列車
「有明」を「スーパー有明」と命名したのを皮切りに、1989(平成元)年には常磐線の「スーパーひたち」、
紀勢本線の「スーパーくろしお」、北陸本線の「スーパー雷鳥」などが登場。
1990年代は多くの列車が「スーパー」を冠しています。
国鉄が分割民営化されJRになったこの時期、ようやく投入され始めたJR独自の新型車両は、いずれも国鉄型より
高い性能や豪華な設備を持っていました。JRとしてはせっかくの新車なので、国鉄型の従来車との差別化を
図るためにこれまでの列車名に「スーパー」を冠し、列車のグレードアップをアピールしました。
そのため「スーパー」を冠する列車は、各線にJR独自の新型車両がひと通り行きわたると設定されなくなり、
2007(平成19)年、JR北海道の「スーパーカムイ」で一段落します。
■新幹線にも期間限定の「スーパー」登場 理由は?
ただし例外的に2013(平成25)年、1年間限定で「スーパー」を冠した列車が新幹線に設定されました。
それは「スーパーこまち」。当時、秋田新幹線で新型車両E6系が営業運転を開始し、従来のE3系で運用される
「こまち」と区別するため、新たに「スーパーこまち」と命名されたのです。
また、E6系を使った「スーパーこまち」はE3系の「こまち」よりも東北新幹線内の特急料金が高く設定されたため、
旅客案内上も両者を区別する必要がありました。しかしE3系は約1年後にも、E6系に置き換わることが決まっていました。 新しい列車名を設定してまで、これまで親しまれた「こまち」の名前を変えるのは得策でないということで、
期間限定で「スーパー」を付けられたというのが理由です。
「スーパー」という表現は、速度にせよ設備にせよ利用者に「これまでよりもすごい」というイメージを
与えやすいため、JR発足後の新車投入時には積極的に使われました。
しかし、国鉄型の車両が引退してJRの車両に統一されると、「スーパー」で差別化する理由がなくなります。
JR北海道では、国鉄時代から使用されてきたキハ183系や781系といった車両が淘汰され、「スーパー」で区分する
意味がなくなったとして、2020年3月のダイヤ改正までに「スーパー北斗」「スーパーおおぞら」「スーパーカムイ」
などの列車名から「スーパー」が外れました。
同じ理由でJR東日本の「スーパーあずさ」も、新型車両のE353系に車両を統一したことで「あずさ」と区分の必要が
なくなり、以降「あずさ」に統一されています。
■従来型車両の引退とともに消える「スーパー」 いま現役なのは?
常磐線の「スーパーひたち」は、車両をE657系に統一したうえで主要駅停車タイプを「ときわ」、品川〜水戸間速達
タイプを「ひたち」として、「スーパー」を使わない体系に改めました。
また、JR西日本は283系の車両に「オーシャンアロー」という名前を付けていました。この283系が「スーパーくろしお」
に運用されると、「スーパーくろしお(オーシャンアロー)」という長い名前になってしまい、かえってわかりづらく
なってしまったため、「くろしお」に改めるといった例もありました。
以上のように“JRのスーパー離れ”が進んだ結果、2020年7月現在JRの旅客列車で「スーパー」が残っているのは、
JR西日本の「スーパーまつかぜ」「スーパーいなば」「スーパーおき」と、智頭急行に直通する「スーパーはくと」
の4列車のみとなりました。
■私鉄の「スーパー」列車は少数派
私鉄では、新車投入の際に従来車と区別するため「スーパー」を冠した例はほとんどありません。 2020年現在、私鉄や第三セクター鉄道で「スーパー」を冠した列車は、前述の「スーパーはくと」のほか、
小田急電鉄の「スーパーはこね」と一畑電車の「スーパーライナー」がある程度。
いずれもほかの列車よりも速達性が高いことを「スーパー」で表しています。
私鉄が特急などの新型車両を乗客にアピールする場合は、東武特急の「リバティ」、西武特急の「ラビュー」、
近鉄特急の「ひのとり」のように車両そのものに愛称を付けるのが主流で、「スーパー○○」といった列車名称
はどちらかというと少数派のようです。
児山 計(鉄道ライター) 「青春18きっぷ」1日でどこまで行ける? 「ながら」ない今夏 東京から西を目指す
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200726-00098451-norimono-bus_all
7/26(日) 16:12配信
■「ムーンライトながら」の運転 2020年夏は発表なし
JR全線の普通列車が乗り放題になる企画乗車券「青春18きっぷ」は、JR全線の普通・快速列車の普通車自由席と、
BRT(バス高速輸送システム)、JR西日本宮島フェリーに自由に乗り降りできるきっぷです。
毎年、春・夏・冬に発売。2020年の夏は発売が8月31日(月)まで、利用が9月10日(木)までです。
値段は5日(回)分で1万2050円(大人・子ども同額)。「1人で5日間」「5人で日帰り」などといった形で使えます。
しかし2020年夏は新型コロナウイルス感染症の影響で、臨時列車の運転が例年と大きく異なる事態に。
特に東海道本線の東京〜大垣間を走る臨時夜行快速「ムーンライトながら」は「青春18きっぷ」
の利用者も乗れる貴重な夜行列車でしたが、今年は運転が発表されていません。
このような中、東京駅を朝一番の始発で出発すると、1日でどこまで行けるのでしょうか。
1日あたり2410円で西を目指した場合の“限界”を調べました。
■「青春18きっぷ」1日で九州の入口まで到達
東京駅を始発で出発して東海道本線・山陽本線の列車を乗り継いだ場合の主要駅時刻は次のとおり。
なお旅程は、2020年6月19日現在の平日ダイヤで、特記以外は普通・快速列車です。
東京4時41分発→熱海6時45分着→静岡8時03分着→名古屋10時58分着→京都13時13分着→大阪13時43分着
→岡山16時31分着→広島19時50分着→下関23時50分着→小倉0時05分着
およそ19時間半を要すものの、2410円で東京駅から北九州市の小倉駅まで行けます。小倉駅に到着するときは
日付が変わりますが、「青春18きっぷ」の1回分は乗車した列車が0時を過ぎて最初に停車する駅まで
(東京・大阪の電車特定区間は最終電車まで)有効であるため、この旅程では小倉駅までが有効となります。
四国方面は徳島や松山まで、山陰方面は鳥取や、途中、第三セクターの智頭急行を経由して松江なども到達可能です。 ただし、これらはあくまで時刻表ベースの乗り継ぎプランです。
実際は食事やトイレ、突発的な運行トラブルなども想定し、余裕をもった旅程を立てた方が無難でしょう。
ちなみに東京〜小倉間を新幹線で移動すると、東京6時00分発「のぞみ1号」の場合、小倉へ10時36分に到着します。
運賃と料金の合計は2万2730円(通常期の「のぞみ」普通車指定席)です。
乗りものニュース編集部 中央線の大本命「阿佐ヶ谷」個性派ぞろい…一般人は住めるか?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200726-00027938-gonline-bus_all
7/26(日) 11:00配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、JR中央線「阿佐ヶ谷」。
■地域を愛する有志が集う…様々なイベントで街を活性化
「阿佐ヶ谷」は東京都杉並区に位置する、JR中央線(快速・各駅停車)の駅です。1日の乗車人数は4.5万人ほどとなっています。
駅名は「阿佐ヶ谷」ですが、住所は「阿佐谷」と記されています。
地名の由来は、杉並から中野にかけて流れる桃園川の浅い谷地だったからといわれていますが、明確なことはわかっていません。
駅が開業したのは、1922年。阿佐ヶ谷村の住民の誘致運動により設置されました。その後に発生した関東大震災に
よって壊滅的被害を受けた都心の人々が、家を求め郊外へ移動するなか、阿佐ヶ谷周辺でも宅地化が進みました。
そのなかには多くの文士もいました。そして生まれたのが「阿佐ヶ谷文士村」です。
1927年に、文士村の中心人物となる井伏鱒二が荻窪に住み、阿佐ヶ谷界隈に顔を出すようになると、
与謝野晶子や太宰治、三好達治、火野葦平などの文士たちもこの地に住むようになり、「阿佐ヶ谷会」
と呼ばれる会合で交流を深めるようになりました。
中央線沿線は、中野、高円寺、荻窪など、個性豊かな街が並ぶことでも有名ですが、阿佐ヶ谷は、その本命ともいわれる街。
そんな「阿佐ヶ谷」駅周辺をみていきましょう。
駅の周りには10ほどの商店街がありますが、なかでも街のシンボルでもあるのが「阿佐谷商店街振興組合(パールセンター)」。
東京メトロ丸ノ内線「南阿佐ヶ谷」駅付近まで続く約700mのアーケードには、240ほどの店が並びます。
最近はどの街にもあるチェーン店が多くなりましたが、有名な甘味処や和菓子店、パン店など、元気な個店もいまだ顕在。
テイクアウトできる店も多く、食べ歩きが楽しい商店街です。 この商店会で有名なのが、例年8月上旬に行われる「阿佐谷七夕まつり」。1954年から続く七夕まつりで、商店街を伝統
のハリボテが彩り、100以上の露店が軒を連ねます。期間中は80万人以上が集うビッグイベントですが、残念ながら、
今年は新型コロナの流行により中止になってしまいました。
もうひとつおすすめなのが、駅北口に150ほどの店が並ぶ「スターロード商店街」。赤提灯に思わず誘われる居酒屋や、
アットホームなバー、小洒落たトラットリアなど、はしごしたくなる地元密着の飲食店がずらりとそろっています。
1人でしっぽりと、友人とワイワイと、様々なシーンで楽しめる商店会です。
そして阿佐ヶ谷で外せないのが、ジャズ。もともと老舗のジャズ喫茶が多く点在する街でしたが、25年前、バブル崩壊、
オウム事件、阪神淡路大震災と暗いムード漂うなか、ジャズで街を元気にしようと「阿佐谷ジャズストリート」がスタート。
街中に60以上の演奏会場が設けられ、期間中、ジャズの音色で街が包まれるイベントです。
元気な商店街に、ディープなスポットが点在する阿佐ヶ谷ですが、街を活気づかせたい有志たちによるイベントが
盛んな街でもあります。この街の魅力を存分に味わうなら、街のイベントに積極的に参加することをおすすめします。
■充実の商店街…日常の買い物もはしごする楽しさ
「阿佐ヶ谷」駅周辺は、一般の単身の会社員が住むにはどうなのでしょうか。見てみましょう。
まずは駅周辺の家賃水準。駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は6.46万円、11分を超えると6.25万円(図表1)。
同条件の東京都杉並区の家賃水準は、駅10分圏内で6.72万円、11分を超えると6.16万円。
「阿佐ヶ谷」駅周辺の家賃水準は、駅チカで区の平均を少々下回っています。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、
25〜29歳で27.5万円、30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、
そこから住民税や所得税などを差し引いた手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は
6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。 「阿佐ヶ谷」駅周辺は、20代でも十分検討できるエリアです。大手検索ポータルサイトで、20代会社員の適正家賃内、
徒歩10分圏内を条件に検索すると、多くの単身者向け物件がヒットします。ただしその7割が、築年数30年以上の築古物件。
トイレ・バス別など、いまどきの賃貸ニーズに応える物件を条件とするなら、8万円程度の家賃が必要と考えておくといいでしょう。
交通面はどうでしょうか。「阿佐ヶ谷」から「新宿」12分、「東京」25分(所要時間は「阿佐ヶ谷」を平日8時に出発した場合の目安)。
混雑を避けるなら、各駅停車を利用。また「中野」からは総武線各駅停車と東京メトロ東西線の始発電車もあるので、
時間に余裕があるなら、乗り換えるという手もあります。
買い物環境はどうでしょうか。駅北口すぐに24時間営業の「西友」のほか、「イトーヨーカドー食品館」「アコレ」、
パール商店街の先には「ピーコックストア」「まいばすけっと」などスーパーがあります。また大手ドラッグストア店
も多くあるので、最寄り品の購入には便利です。また商店街では日常使いできる店もバリエーション豊かに勢ぞろい。
日常品を買うだけでも色々な店をはしごしてしまう楽しさがあります。
飲食店はどうでしょうか。リーズナブルで単身でも利用しやすい、ファストフードやファミレス、牛丼店、定食店など、
お馴染みの飲食チェーン店が多数。また地元密着でアットホームな雰囲気の飲食店も多いので、ぜひ常連を目指したいところ。
商店街には総菜などを買える店も多く、毎日の食卓をおいしく彩ってくれます。
個性派ぞろいの街が並ぶ中央線のなかでもディープと噂される「阿佐ヶ谷」。充実した商店街には、日常使いの店が多く、
生活利便性は抜群。また地域密着のイベントが多く開催されるので、飽きることがありません。気になるポイントを
あげるとすれば、さすが個性派の街、ちょっと愉快な人に出くわすことぐらいでしょうか。
GGO編集部 延伸計画も決定 赤字経営を跳ね返した「多摩モノレール」奮闘の歴史とは
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200727-00010000-metro-life
7/27(月) 7:30配信
■開通は12年後を予定
東京都内の市で唯一鉄道のなかった武蔵村山市に2020年、ついに鉄道がやってくることが決まり、話題となっています。
現在、隣の東大和市の上北台駅が終点となっている多摩都市モノレール線(多摩モノレール)が、
瑞穂町の八高線・箱根ケ崎駅まで延伸する計画が本格的に動き出しているのです。
2020年初頭に発表された東京都の予算案では、調査費などに約1億円を計上。計画では、おおむね12年後の開通
を目指しています。既に、延伸が予定される区間での新青梅街道の道路拡幅工事も進んでおり、期待は膨らんでいます。
■過去に何度も持ち上がった鉄道計画
1970(昭和45)年に誕生した武蔵村山市ですが、郊外のベッドタウンとして人口が増加してきたにもかかわらず、
鉄道も国道もない市としてこれまで知られていました。
鉄道に乗ろうとすれば、バスで周囲の市にある上北台駅、桜街道駅、玉川上水駅、武蔵砂川駅などにアクセス
する必要があったのです。
ただ鉄道がない代わりにバス路線がしっかりと整備されており、「イオンモールむさし村山」(武蔵村山市榎)
のにぎわいからもわかるように、車さえあればまったく不便な場所ではありません。
実はこれまでも、鉄道が武蔵村山市を走る計画は何度もありました。明治末期には、八王子から群馬県の大間々町
(おおまままち。現在のみどり市)をつなぐ阪東鉄道が計画されるも、頓挫。
その後、大正時代には村山軽便鉄道が吉祥寺から、田無と東村山を通って箱根ヶ崎までの路線を計画しますが、
こちらも中断。ちなみに一部は開通し、現在の西武新宿線と西武園線の一部となっています。 ■南側のふたつの延伸計画も
その後、1960年代には吉祥寺から箱根ヶ崎、青梅を通り秩父へ至る武州鉄道という路線が計画されますが、これは
出資者たちが鉄道免許を受けるため、政治家に賄賂を送る事件を起こして立ち消えになりました。
こうして武蔵村山市で鉄道があったのは唯一、1919(大正8)年から多摩湖と狭山湖を建設する際に工事用の鉄道が
敷設されたときだけでした。
さて武蔵村山市への延伸が決まった多摩モノレールですが、南側にも延伸の構想はあります。現在の南側の終点
である多摩センター駅から町田駅までと、八王子駅までのふたつの路線を延伸する計画です。
どちらも鉄道空白地帯になってる地域を通るもので、それぞれの自治体では早期の実現が求められています。
なお八王子市では多摩モノレールの延伸計画が進まないことから、2016年に市で独自に次世代型路面電車(LRT)
を整備する計画も立てましたが、丘陵地帯の続く土地では技術的に困難として断念された経緯もあります。
これらの計画が実現すれば、多摩モノレールの沿線は新たなベッドタウンとして、開発されることが期待されます。
■近年、1日平均乗車人員が急増
そんな多摩モノレールは2019年3月に開業以来初めて、ダイヤの全面改正を行ったことがニュースになりました。
現在の営業路線全線が開通したのは、2000(平成12)年。そこから19年たって初めてダイヤの見直しが行われた
背景には、乗車人員の増加があります。
2000年には7万9815人だった1日平均乗車人員は、2017年には14万2498人と急増。
今では沿線住民の欠かせない足となっています。
これは面目躍如と言ってよいでしょう。
なにしろ、開業当初の多摩モノレールは東京都の財政を悪化させると批判されてきたのです。
■1998年に立川北〜上北台が開通
多摩モノレールは1970年代に、ベッドタウンとして人口が急増していた多摩地域の公共交通として計画され、
東京都は1981(昭和56)年に「多摩地域都市モノレール等基本計画調査」の報告書を公表。
鉄道空白地帯にモノレールを整備する計画を示しています。 この時の報告書では箱根ヶ崎より西には羽村を経由して、秋留を経由し八王子へ。さらに多摩センターから
若葉台を経由して是政へなど、環状路線を含む壮大な計画が立てられました。
これを受けて1986年には第三セクターによる多摩都市モノレール株式会社が設立されます。
工事は1990年に始まり、1998年に立川北〜上北台が。2000年に多摩センター〜立川北が開通しました。
■2008年度に初めて黒字を達成
ところが、開通した多摩モノレールには非難が寄せられます。
乗車人数が予想を下回り、赤字経営となったからです。1998年の開業当初、乗車人数は1日あたり4万3000人
と見込まれていました。ところが、実際には2万人程度と乗客は半分に満たなかったのです。
これに加えて、開業までの土地の取得費用や建設費などの借入金の支払いが大きくのしかかっていました。
2003年には債務超過に。
しかし、次第に経営状態は改善していきます。2008(平成20)年度に、初めて黒字を達成。
2015年には、純利益が10億円を突破します。
利益が増加した理由は、利用者の増加にほかなりません。
開業当初には進んでいなかった沿線開発が10年あまりかけて実施され、大型商業施設なども増加。
また、バスに対して定時運行することの信頼感から通勤・通学ルートの切り替えも進み、乗客は定着していったのです。
現在でも、多摩地域を南北に横断し23区とは違う東京の姿を楽しめる多摩モノレール。
延伸によって、またその地域の人の流れを変えていくことになるのでしょうか。
猫柳蓮(フリーライター) 地下鉄の相互乗入れなし「西武新宿線・田無」にあえて住む理由
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200727-00027950-gonline-bus_all
7/27(月) 11:00配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、西武新宿線「田無」。
■西武新宿線単独駅でNo.1の利用者を誇る街
「田無」は東京都西東京市に位置する、西武鉄道新宿線の駅です。1日の乗車人数は7.5万人ほどとなっています。
「田無」という地名の発祥は、田んぼがないからとか、「棚瀬」から変化したなど諸説ありますが、
はっきりとはわかっていません。歴史上では、小田原城に拠点をおいた後北条家の文献『小田原衆所領役帳』
に「田無」の名が見られることから、室町時代には戦国大名の支配下にあったと推測されます。
江戸時代、青梅街道と所沢街道が交わる宿場町として栄え、1889年、町村制施行により、田無町が発足。
高度成長期には郊外の住宅地として人口が増加し、1967年、田無市に昇格しました。その後2001年、
隣接していた保谷市との合併を果たし、西東京市となりました。
もともと西武新宿線沿線は旧街道が走っていたこともあり、鉄道の誘致に積極的ではありませんでした。
現在の中央線の甲武鉄道が「新宿」〜「立川」を開業したのが1889年、現在の東武鉄道東上線の東上鉄道が
「池袋」〜「田面沢」(現「川越市」〜「 霞ヶ関」にかつてあった駅)を開業したのが1914年、現在の
西武鉄道池袋線の武蔵野鉄道が「池袋」〜 「飯能」を開業したのが1915年でした。
現新宿線は遅れること1927年、「国分寺」〜「川越」を開業させていた川越鉄道の後身、旧西武鉄道が
「東村山」〜「高田馬場」を開業。西武新宿線沿線がほかの近隣路線沿線よりも開発や整備が遅れている
といわれるのは、このような歴史的な背景もあるかもしれません。 「田無」駅が開業したのも、西武新宿線の原形ができた、1927年。西武新宿線単独駅では最多の乗降客を誇る駅です。
西東京市には、北部に西武池袋線が走り、南部に西武新宿線が入りますが、市の代表駅は「田無」駅とされています。
駅周辺を見ていきましょう。北口は商業施設「リヴィン」が入る「田無アスタ」やロータリーなどが整備され、
市の中心らしい洗練された雰囲気。一方で南口は対照的に狭い路地に商店が並び、昭和感あふれる雰囲気が漂います。
駅周辺にはいくつかの商店街が点在。一見すると商店街とわからないくらい商店の集積度は低く、住宅地に溶け込んで
いますが、日常使いに便利な店もあるので、重宝しそうです。
■市の中心駅だが、北口と南口で利便性に大きな差
「田無」駅周辺は、一般の単身の会社員が住むにはどうなのでしょうか。見てみましょう。まずは駅周辺の家賃水準。
駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は6.46万円、11分を超えると6.25万円(図表1)。同条件の東京都杉並区の家賃水準は、
駅10分圏内で6.72万円、11分を超えると6.16万円。「田無」駅周辺の家賃水準は、駅チカで区の平均を少々下回っています。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、25〜29歳で
27.5万円、30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、そこから住民税や所得税
などを差し引いた手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。
「田無」駅周辺は、20代でも十分検討できるエリアです。大手検索ポータルサイトで、20代会社員の適正家賃内、
徒歩10分圏内を条件に検索すると、豊富とはいえませんが、単身者向けの物件がヒットします。その内訳は、3割が
築30年以上の築古物件、3割が築20〜30年、3割が築10〜20年。駅チカは新築、または築5年以内の築浅物件の供給数
は少ないエリアです。徒歩20分圏内まで範囲を広げると、適正家賃内で築年数の新しい物件が豊富。いまどきの賃貸
ニーズに合った物件を望むなら、範囲を広げて探すことをおすすめします。 交通面はどうでしょうか。「田無」から「高田馬場」26分、「西武新宿」30分。「高田馬場」にてJR山手線乗換えで、
「新宿」39分、「渋谷」46分、「池袋」38分。東京メトロ東西線乗換えで「大手町」50分(所要時間は「田無」を
平日8時に出発した場合の目安)。都心1時間圏内ですが、相互乗入れする路線がなく、他路線よりも見劣りするところです。
買い物環境はどうでしょうか。駅周辺のスーパーは「リヴィン田無店(運営:西友)」のほか、「成城石井」、
駅北口徒歩8分のところに「オリンピック」。大手ドラッグストアチェーン店は北口に1店あります。
日常の買い物であれば、北口が圧倒的に便利です。
飲食店はどうでしょうか。リーズナブルで単身でも利用しやすい、ファストフードやファミレス、牛丼店、定食店など、
お馴染みの飲食チェーン店は北口に集中。南口の飲食店は個店中心です。外食がメインの人は、気軽に利用できる店の
多い、北口のほうが何かと便利かもしれません。
2001年に2つの市が合併し誕生した、西東京市の中心駅である「田無」。再開発で整然としている北口に対して雑多な
南口と、出口によってずいぶんと雰囲気が違います。またチェーン店が多い北口に対して、南口は個店が中心。
地元民でない単身者であれば、気軽に利用できる店の多い、北口に住むほうが正解といえるかもしれません。
ただ山手線と接続する私鉄路線にしては珍しく、西武新宿線は地下鉄との相互乗り入れがなく、交通の利便性で
どうしても見劣りします。その分、家賃は他路線よりもリーズナブルです。利便性をとるか、家賃をとるか。
判断が分かれるところです。
GGO編集部 最後の夏を迎えるとしまえん残される西武豊島線の今後は?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200727-00000006-pseven-bus_all
7/27(月) 7:05配信
部分開園から94年、約1世紀の歴史を積み重ねた東京23区の北西部、練馬区にある「としまえん」は
2020年8月31日で閉園する。大きな施設が閉鎖になると、人の流れが変わるために公共交通機関の運行状況
が変わることがある。最寄りの豊島園駅には、わずか1.0キロの路線「西武豊島線」が走っている。
としまえん閉園で西武豊島線の今後はどうなるのか、ライターの小川裕夫氏がレポートする。
***
今年6月、としまえんが閉園を発表した。東京・練馬区にあるとしまえんは、1926年に開園。
都心から近いレジャースポットとして、長らく東京都民や埼玉県民に親しまれてきた。
今般、千葉県浦安市の東京ディズニーリゾートや大阪府大阪市のユニバーサル・スタジオ・ジャパンなど
大型テーマパークが人気を博し、従来の遊園地は苦戦が続いていた。
100年近い歴史を有する老舗遊園地も例外ではなく、そうした遊園地がまたひとつ消える。
ネットをはじめとして、としまえんの閉園を惜しむ声はあちこちから聞こえてくる。
としまえんは、2011年の東日本大震災を機に閉園が検討された。そして、東京都が計画を進める防災公園
として園地の一部を再整備する方針が固まる。買収交渉は難航したが、このほど協議がまとまる。
それが正式な閉園発表につながった。一部は防災公園に、残りは完全に決まったわけではないが、
ハリー・ポッターのテーマパークになると報道されている。
現在、としまえんは西武鉄道のグループ企業になっているが、開園当初の豊島園は実業家の藤田好三郎
が個人で所有していた。もともと練馬城址で、そこを藤田が庭園として再整備した。再整備された広大な
一画は、藤田の意向により豊島園として一般公開される。
風光明媚な遊園地はたちまち評判になる。また、運動場・音楽堂・園芸施設・船型の乗り物で斜面を
駆け下りて池に飛び込むウォーターシュートなどがあり、物珍しさも話題を呼ぶには十分だった。
こうして、近隣から多くの行楽客を集める。 1927年、武蔵野鉄道(現・西武鉄道)が支線・豊島線を開業させたことが豊島園にとって大きな
ターニングポイントになった。練馬駅から一駅だけ分岐した豊島園駅は、豊島園の目の前に開設された。
わずか1キロメートルの支線だが、同路線が開設されたことによって遊園地までのアクセスは飛躍的に向上。
豊島園の来園者も、武蔵野鉄道の利用者も急増した。
豊島園の来園者によって、武蔵野鉄道の利用者は増加。それでも、武蔵野鉄道の経営は安定しなかった。
他方、藤田が開園させた豊島園は武蔵野鉄道との資本関係がない独立経営の遊園地だったために相乗効果
を発揮できなかった。それが豊島園と武蔵野鉄道の経営を逼迫させた。
武蔵野鉄道を救済するべく、堤康次郎が率いる箱根土地(現・プリンスホテル)が手を挙げる。
こうして箱根土地が武蔵野鉄道の経営再建を手がけていくことになるが、箱根土地は集客力のある豊島園も
傘下に収めて相乗効果を図った。
こうした歴史的な流れもあり、としまえんと西武は切っても切り離せない関係になった。両者の深い関係は、
西武池袋線のターミナルとなっている池袋駅からは豊島線に直通する電車が走っていることからも窺える。
池袋駅からの直通電車に乗れば、池袋線と豊島線が分岐する練馬駅で乗り換える手間がいらない。
そうした便宜を図るほど、としまえんは西武にとって大きな存在でもある。
それだけに、としまえんの閉園は西武に大きな打撃を与えることが予想される。しかし、
「としまえんの閉園は残念ですが、閉園しても、すぐに豊島線の利用者が減少するとは考えていません。
そのため、閉園後も豊島線を廃止することはありません。また、豊島園駅という駅名を変更する予定も
ありません」と断言するのは、西武鉄道広報部の担当者だ。
西武にとって、としまえんが集客力の大きい遊園地であることは間違いない。そ
れがなくなるのは豊島線にとって痛手だろう。
しかし、としまえんの隣には、西武グループが経営する温浴施設「豊島園 庭の湯」が2003年にオープンした。
また、西武系列ではないものの、駅前にはシネマコンプレックス「ユナイテッド・シネマとしまえん」もある。 豊島園駅という駅名もあって、としまえんばかりがクローズアップされるが、こうした諸施設に足を運ぶ客も
豊島園駅を利用している。としまえんの来園者ばかりが豊島園駅を使っているわけではないのだ。
こうしたレジャースポットが点在していることに加え、豊島園駅の周辺はここ数十年で宅地化が進んだ。
宅地化により沿線人口は増え、そこに居住する住民たちが豊島線を通勤・通学路線として利用している。
動線としては、池袋駅方面の利用者が多い。そうした背景もあり、
「としまえん閉園後も豊島園駅?池袋駅間を走る直通電車をなくすことは検討していません。
また、運転本数を減らすなどの話も出ていません。仮に運転本数を減らすにしても、ダイヤ改正のタイミング
になると思いますが、今のところダイヤ改正の予定はありません」(同)
今年、としまえんは最後の夏を迎える。コロナ禍でいったん営業を休止したものの、現在は営業再開した。
夏休みはかきいれ時ではあるものの、「密を避けるために入園者は通常時の半分ぐらいまでに制限しています」
(豊島園広報部)という。
回転木馬のカルーセルエルドラドやジェットコースターのサイクロン、アドベンチャーゾーンのアフリカ館
など、としまえんにはたくさん思い出が詰まっていることだろう。それだけに、別れを惜しむファンが
最後に押し寄せることも想定される。コロナ禍において、それを阻む入園制限は仕方のない措置ではある。
としまえんの閉園で周辺からにぎわいが薄れてしまうことは避けられないが、住民の足・来園者の足として
利用されてきた豊島線は、これからも変わらずに走り続ける。 鉄道とホテルの二重苦、西武の「現状打破」戦略
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200727-00364539-toyo-bus_all
7/27(月) 5:20配信
新型コロナウイルスが鉄道各社の経営を直撃し、どの会社も株価が低迷している。
中でも株価が大きく落ち込んでいるのが西武ホールディングス(HD)だ。
7月22日の株価は1056円で年初来下落率は42%。同業他社と比べても苦戦を強いられている。
4〜5月の在宅勤務やテレワークの進展で、西武鉄道の旅客運輸収入は大きく落ち込んだ。
しかし、通勤定期客に限れば、電車には乗らなくても定期券は保持している人が多いため、落ち込みの度合いは小さい。
西武の鉄道業における4〜5月の通勤定期の収入も前年比2割減レベルにとどまっている。
定期外客を含む鉄道業全体の収入は5割減程度。見かけほどは減少していない。
ところが、西武HDにとって鉄道と並ぶ売り上げの柱であるホテル業は4月の宿泊客数が前年比93%減、
5月が97%減というありさまだ。これまでホテルの高稼働に大きく貢献してきたインバウンド需要は当面は期待薄。
ほかの鉄道会社と比べホテル業のウエイトが高い西武HDの株価が低迷するのはある意味で当然の帰結ともいえる。
このような状況下において、同社の後藤高志社長は、「当社はこれまでもピンチをチャンスと捉え、
企業価値を高めてきた」と話し、今後の経営に自信を示す。西武HDは、今回のコロナ禍にどのようなビジネス
チャンスを見出そうとしているのか。7月初めに行った後藤社長へのインタビューを手がかりに、将来像を解きほぐす。
■「リモート披露宴」に意気込み
ホテル業で後藤社長が「ぜひやりたい」と意気込むのが、「リモート披露宴」である。
新郎と新婦が都内のプリンスホテルで披露宴を行う場合、これまでなら、新郎と新婦の親族・友人が全国から
上京して一同に介していたが、リモート披露宴の場合は、親族・友人は最寄りのプリンスホテルに集まる。
主会場とサブ会場がネットでつながり、全国のホテルからいろいろな人に「おめでとう」と言ってもらう。
オンライン飲み会の拡大版と考えればわかりやすい。 後藤社長は「全国にネットワークがあるプリンスホテルならではのアイデア。ほかのホテルとの差別化という意味
では非常に有力」と自信を示す。地方在住者が都内のプリンスホテルに泊まらないので収入減になる可能性もあるが、
各地のプリンスホテルで宴会場を利用してもらえるというメリットのほうが上回ると後藤社長は考えている。
品川プリンスホテルではビュッフェ形式のレストラン「リュクスダイニングハプナ」の営業を7月15日から
再開したが、ここにも変革の取り組みがある。同レストランは1994年の開業以来、「行列のできるレストラン」
として人気を博してきたが、「ウィズコロナ」の時代には大勢の客がビュッフェコーナーに出向いて自分で
料理を皿に盛るというスタイルに抵抗を示す人も出かねない。そこで、プリンスホテルでは、前菜、パン、和食、洋食、
中華、デザート、ドリンクといったさまざまなワゴンが各テーブルを回り、スタッフが料理を取り分けるスタイルに変更したのだ。
「好きなときに好きなものを好きなだけ食べられるというビュッフェのよさと安全をどう両立させるかを
考えた結果、新しいスタイルが生まれた」とプリンスホテルの武井久昌専務執行役員は話す。
点心がワゴンで運ばれる香港の飲茶がヒントになったという。「料理を自分の席で選べるので、お客様
どうしの会話が中断されることもありません」と、プリンスホテルのスタッフがメリットを説明する。
料金はディナーが大人6500円からで従来比で300円値上がりした。ワゴンを押すスタッフの人件費が
かさんだのかと思ったら、「既存のスタッフで回しており、人数は増やしていない。
価格改定は食材のクオリティーを高めた結果だ」とのことだった。
営業開始日の前日にあたる14日に催された発表会では、本来なら最初の段階でやってくるべきパンの
ワゴンが最後のほうに来るなどオペレーションの乱れも散見されたが、「この日は100人を超える報道陣が
一度に着席したのでテーブルによってはワゴンの順序が前後したかもしれないが、15日以降は予約制なので、
お客様のニーズに合わせて料理を提供できる」という。
今後、ほかのプリンスホテルのビュッフェレストランでもワゴンによる料理の提供を検討するという。
コロナによって、新たなビュッフェのスタイルが生まれた。 ■旅客減を補うシェアオフィス事業
ホテル業だけではない。鉄道業では旅客の減少を補う方策として後藤社長が注目しているのが、シェアオフィスだ。
西武グループが練馬駅の2階に開業したシェアオフィス「emiffice(エミフィス)」の稼動率が上がっているという。
エミフィスは2019年9月に開業。アフタースクール(学童保育)を併設し、子どもを見守りながら落ち着いて仕事
ができるのが特徴だ。「子どもが自宅にいると在宅では仕事に集中できず、ストレスがたまるという人にとっては、
シェアオフィスのニーズは高い」と、後藤社長は説明する。また、西武新宿線で連続立体交差事業が進んでいること
から、今後高架下の開発余地が生まれる。これらのスペールをシェアオフィスとして活用していくことも検討するという。
有料着席列車、いわゆる通勤ライナーの今後については2つの見方がある。
テレワークが進むと電車の中で仕事をする人が増え、需要が増えるという見方と、時差通勤が進んで通常の
通勤列車でも座れるようになり需要が減るという見方だ。
後藤社長は、「両方考えられる」と言う。西武は横長のロングシートの座席を特急列車のようなクロスシート
の座席に転換できる40000系という車両を2017年から導入しているが、こうした通常の列車と通勤ライナーの
両方に使える列車をこれからも投入していきたいという。
■としまえん跡地はどうなるか
西武HDの今後で注目されるのが、8月末で閉園する「としまえん」のその後の活用方法だ。東京都はとしまえん
を中心としたエリアを防災公園にする計画だが、一部のエリアに民間のスタジオツアー施設の開設が検討されている。
6月12日にワーナー・ブラザースの日本法人と都、練馬区、伊藤忠商事、西武HDの間で覚書が締結された。
どのようなスタジオツアーになるかは明らかにされていないが、ワーナー・ブラザースはロンドンで
「ハリー・ポッター」のスタジオツアーを行っていることを考えると、としまえん跡地がハリポタの
スタジオツアーとして生まれ変わるとみてよいだろう。 「最期の優良銘柄」東京メトロ、ついに株式上場かコロナと五輪延期で高まる期待〈週刊朝日〉
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200727-00000045-sasahi-life
7/28(火) 8:00配信
東京地下鉄(東京メトロ)が株式を上場するという観測が高まりつつある。
新型コロナウイルス対策や東京五輪の延期に伴って費用がふくらむため、同社の大株主である国と東京都が、
上場によって見込める保有株の売却益をその財源に充てるのではないかという見方が出てきた。
東京メトロ株は、国が53.4%、都が46.6%をそれぞれ保有する。メトロの準拠法が「できる限り速やかに」
株式を手放すよう定めているのに加え、東日本大震災の復興財源確保法も、国に対し、株を売って得た収入
を復興財源に充当するよう求めている。そのため、もともと株式上場への期待はあった。
そんな中で浮上したのが、今回の財源不足への懸念だ。鉄道ジャーナリストの梅原淳さんは
「国や都が財源を確保する手段は限られ、上場の必要性は高まるでしょう」とにらむ。
「これまでのコロナ対策で都の『貯金』にあたる財政調整基金は大きく減りました。
感染拡大が収まらなければ、五輪の開催時期もさらに先延ばしされて延期費用がふくらんでいく可能性もあります。
東京メトロの“完全民営化”に、より目が向けられやすくなるのではないでしょうか」
ただ、上場に向けては課題も多い。国は復興財源の確保に向け、売却自体には前向きだとみられる一方、
都はメトロへの影響力を一定程度、維持しておきたい意向が強いとされる。都の担当者はこう話す。
「都内の交通ネットワークのさらなる拡充とサービスの向上が重要だと考えており、その中で東京メトロ
は大事な役割を果たすと考えています。同社株式の保有についても、こうした状況を総合的に勘案しながら
検討していきたい」
先の通常国会では復興関連法が改正。震災の復興財源にあてるために国のメトロ株を売却する期限が、
2022年度から27年度へ5年延びた。上場時期は遠のいたようにも映るが、そう簡単ではなさそうだ。
コロナ対策で震災の復興が後回しにされるようなことがあれば批判も予想され、そもそも政府が見積もる
復興財源は、日本郵政株の売却が計画通りに進んでいないことなどから不足しているからだ。 前出の梅原さんは、コロナ後の急落から持ち直しつつある最近の株式市場に注目する。
「上場するなら当然、株価が比較的高い水準にあるタイミングが有利です。いまは日本銀行の緩和策などで
下支えされているとも言われていますが、これからは企業の業績が一段と下がり、雇用環境も悪化していく
と考えられています。いつまでいまの水準が続くかわかりません」
東京メトロは、鉄道会社のなかでも収益力が高い優良銘柄だ。
コロナの影響を受けたため20年3月期決算は、営業収益(売上高に相当)が前年比0・4%減の4331億円、
純利益が15・3%減の513億円。減収減益となったが、本業を通じて「稼ぐ力」を示す営業利益率は20%近く、
業界で高い水準にある。売上高が3兆円近いJR東日本や1兆円超の東京急行電鉄など、ほかの鉄道大手より
事業規模こそ小さいものの、乗客の多い都心部を走るため利益率が高いのだ。上場した場合の時価総額は
「1兆円を超える」(市場関係者)との見方もある。
コロナ感染が再び広がるなか、鉄道民営化による「最後の優良案件」の動向に目が離せない。
(本誌・池田正史)
*週刊朝日オンライン限定記事 JR東日本が時間帯別運賃の導入を検討事実上の値上げになる可能性も
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200728-00010001-wordleaf-bus_all
7/28(火) 6:30配信
新型コロナウイルスの影響で鉄道会社の収益が大幅に低下しています。
こうした中、JR東日本は時間帯別運賃の導入検討を表明しました。ラッシュ時間帯の運賃
を高くすることで、通勤の分散化を図る意向ですが、背景には総収入の低下を防ぎたい
との意図があります。場合によっては事実上の大幅値上げになる可能性もあり得るでしょう。
■鉄道営業収入が大幅減
コロナ危機の発生以降、非常事態宣言が発令されたことや、国民の自主的な外出抑制、テレワーク
への移行などによって鉄道を利用する人の数は大幅に減少しています。JR東日本の月別の鉄道営業収入
は、4月が前年同月比76%減、5月は71%減となっており、自粛が緩和されたかに見えた6月も46%減
と低く推移しています。政府は観光や旅行を回復させようと需要喚起政策である「Go To トラベル」
キャンペーンを開始しましたが、多くの国民は依然として外出に抑制的となっており、効果を発揮
しない可能性も指摘されています。
こうした中、JR東日本は、運賃制度の見直しに向けた議論に着手する方針を表明しました。
具体的な手法としては、ラッシュ時間帯に運賃を高くするといった仕組みが検討されています。
JR東日本が運賃体系の変更を検討する最大の理由は、今後の鉄道の利用見通しです。現時点において
鉄道各社は旅客数の減少に見舞われていますが、同社の深沢祐二社長は「以前のように利用客は
戻らないと思う」という見解を示しています。つまり、現時点での減収は一時的なものではなく、
今後も中長期にわたって利用者の減少が続くと予想しているわけです。 当然のことながら、鉄道会社は現時点での利用者数を前提に経営を行っていますから、
長期的な見通しが変わる場合には、そのビジネスモデルも大きく変えなければなりません。
鉄道はインフラ事業ですから、短期的に大胆なコスト削減はできませんから、収益低下を補う
最大の手法は値上げということになります。
■消費者にとって厳しいが…
鉄道の場合、利用者はほかに選択肢がないケースがほとんどですから、嫌だからといって利用しない
という話にはなりません。ラッシュ時間帯の運賃を上げ、空いている時間帯の運賃を下げてくれれば、
利用者にも選択肢が生まれますが、ラッシュ時の時間帯だけが上がり、空いている時間帯が据え置き
となった場合には、事実上の一方的値上げとなってしまうでしょう。
これは鉄道に限らず、飲食店や小売店も同じことですが、利用者数が減っている以上、事業者は
値上げをしなければ生き残れません。消費者にとっては厳しい状況ですが、コロナという現実を
考えると、ある程度は受け入れる必要があるのかもしれません。
(The Capital Tribune Japan) 下松駅から相模鉄道「20000系」を甲種輸送相鉄・東急直通線用車両
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200727-00000069-minkei-l35
7/27(月) 22:45配信
日立製作所笠戸事業所(山口県下松市)で製造された相模鉄道(神奈川県横浜市)の新型車両
「20000系」が7月27日、下松駅から神奈川県海老名市の「かしわ台車両センター」に向け
甲種輸送された。(周南経済新聞)
2017年に100周年を迎えた相模鉄道が進める都心直通プロジェクトの一つ、「相鉄・東急直通線」
用の車両として開発された同車両。第1編成は2017年(平成29年)7月31日に同事業所から輸送され、
2018年(平成30年)2月11日に営業を開始している。同鉄道のイメージカラーである濃紺色
「YOKOHAMA NAVYBLUE(ヨコハマネイビーブルー)で塗装された車両は、鉄道愛好者団体
「鉄道友の会」が選定する「2019年ローレル賞」や「グッドデザイン賞(2018年度)」を受賞する
など高い評価を受けている。
今回、第2編成目として甲種輸送された1編成10両は、11時ごろ、日立製作所への専用線を持つ下松駅に登場。
あいにくの雨にもかかわらず駅や沿線には、鉄道ファンら十数人が駆け付け、熱心に撮影する姿が見られた。
相模鉄道によると、同車両は2023年度までに計16編成の導入を計画しているという。相鉄・東急直通線は、
2022年度下期に開業を予定。新幹線が止まる新横浜や渋谷など東京都心部への直接乗り入れが可能となり、
利便性の向上や所要時間の短縮などに期待が高まっている。 「永久在宅勤務」が日本で主流の働き方になる日
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200728-00365062-toyo-bus_all
7/28(火) 5:40配信
5月、6月とは比較にならないほど、街中で見かける人の数が増えてきました。筆者が住む
東京都内は6月12日に東京アラートがステップ3に移行して以降、飲食店の営業は夜0時まで
可能となり、「飲みに行って」ストレス解消する人でにぎわう様子も見かけるようになりました。
リモート勤務を活用しながらも段階的に出勤日を増やす会社が増え、オフィス街にも人がかなり戻っています。
そうした中、東京では1日に200人を超える感染者が出る日が続き、再びの自粛懸念も
ささやかれています。経済活動を本格化させるためにも、感染を最小限に食い止めつつ
仕事も止めない、新しい働き方がいよいよ必要となってきています。
そこで出てきたのが、「永久在宅勤務」の社員を増やしていこうとする動きです。
この動きについて、この記事では一緒に考えていきたいと思います。
■経営者に在宅勤務のリアルさがなかった
コロナの影響が起きる前から在宅勤務する会社員は一定数いました。ただ、数にすればごくわずかなもの。
日本テレワーク協会の調査ではコロナ前は週に1日テレワークを利用している人の割合で16.6%程度。
8割弱の人が在宅勤務を未経験でした。
管理職が自分の目の届く状況でマネジメントをしたい、社員自身も職場で対話しながら勤務する
ことを希望している――。そうした理由もありましたが、それ以上に、在宅勤務ではパフォーマンス
が下がると考えられていたことが大きかったように思えます。
システム開発会社を経営する知人も、コロナ前までは「在宅だとサボるに違いない」との懸念から
在宅勤務に反対派でした。同じように反対する発言を(主に経営者から)聞くことがよくありました。 同じオフィスで密につながりを感じながら仕事することで働く意欲が高まり、パフォーマンスが出た
という成功体験を自らが持っているからかもしれません。逆に言えば在宅勤務の成功体験を持つ経営者
には、ほぼ遭遇したことがありません。組織運営を行うキーマンにとってリアルさがないことも、
活用を阻む壁になっていたかもしれません。
ところがコロナの影響で在宅勤務を容認せざるえない時期が数カ月続き、在宅でもパフォーマンスが
下がらないパターンがおぼろげながらみえてきました。在宅勤務を継続できうる「人物×職種」の定義
が検討され始めているのです。
タイプ的には、自発的に動けて指示待ちにならず、わからないことは積極的に聞いていける人。
周りとの作業ペースを確認しながら仕事を積極的に取っていける人。与えられた仕事にきちんと
優先順位をつけて取り組める人。困ったときや疑問を感じたら、しっかり言語化して質問できる
コミュニケーション力のある人。あるいは個人作業で集中力を維持できる人。
職種としては、ネット環境があれば1人でできる仕事で、成果物が明確なもの。
これらの条件がそろう場合、半永久的な在宅勤務を認める会社が増えていくかもしれません。
例えば、エンジニアやデザイナーという職種で、前述したタイプの人に対して、在宅勤務の継続を
決定する会社がすでに出てきています。コロナに関係なく、出勤不要の“永久在宅社員”に転換するのです
(もちろん、本人との面談で希望を聞いて決定するというプロセスは必要です)。
反対派だった知人経営者も、幹部社員の発案で、エンジニア職の一部に永久在宅勤務制度を導入しました。
時代の変化を感じる決断です。 ■在宅に適さない「人物×職種」の場合
ただ、在宅に適さないと判断された「人物×職種」の社員などは、コロナ感染の不安を感じながら出社を再開しています。
例えば、情報を自宅に持ち出せない財務など、管理部門の職種の社員。加えて、育成段階にある若手社員
なども在宅に適さないと判断し、出社を促している会社も多いのではないでしょうか。
この状況に対して「本当は怖いから出社したくない」と強い不安を感じる人も少なくありません。
「感染を回避する対策を明確に提示してほしい」といった意見が出たり、中には「出社が必須なら辞める」
と言い出す人も出て、人事部を中心に対策の検討を強いられている会社もあります。
オフィスビルの管理をする会社に聞いたところ、コロナの影響でオフィスレイアウトの大幅変更を依頼してくる
会社も急増しているとのこと。マスクの着用や手洗い励行を前提として、オフィス内での2mの身体的距離の確保をするため、
・これまでの倍くらいの間隔で席を配置
・向かいあう状況ではアクリル板を立てる
・お誕生日席に位置する上長席は使わない(感染リスクが高いと思われるから)
といった、変更のニーズが多いのだそうです。
コロナで業績も厳しく、オフォスの一部を返すつもりだったのに、出社する社員のスペースを十分に
確保するため変更できない――。そう嘆いていたのは、ネット系広告代理店の総務部長。そこで、
永久在宅社員をもっと増やして、出社する社員は最小限にする方向で検討が進んでいるとのこと。
“永久在宅”を増やす要因が、経済的判断でも出てきたのです。
例えば、営業職における在宅社員の新規採用。求人サイトを眺めてみると「在宅勤務が基本」と書かれた
営業職の募集が増えています。ある企業では、入社後の研修から会議にいたるまで出社は不要。
営業成績のみで評価が行われる職種として採用をすることにしたとのこと。
永久在宅社員が増える傾向が、加速するのは間違いないでしょう。
多くの企業は、この流れに逆らうことは難しいかもしれません。その理由のひとつは、人材の確保です。 ■「転職するならリモートワークの会社」というニーズ
ある金融系企業では、コロナが拡大した後に同業からの転職応募が急増したとのこと。
転職理由を聞いたところ「いまの会社は出社を強いるから」と回答する応募者が多かったようです。
密な環境で会議や打ち合わせが行われる。コロナ感染を恐れる姿勢を示すと「仕事に意欲的でない」
と思われる雰囲気があり、続けていくことに不安を感じたことが転職を決めた要因。
転職先は社員の健康を考えて、無理な出社を強いない、リモートワークの環境整備を進める会社を探したようです。
応募が増えたある会社では、入社後の勤務形態はリモートが前提で、面談も最終プロセスまでリモートで行っています。
在宅社員には交通費に変わるリモート手当てが支給され、自宅のPC環境の整備にも補助金が出るとのこと。
その会社ではリモート推進に否定的な役員もいたようですが、社長の決断で業界に先駆けて取り組みを行いました。
人事部の担当者は、応募数が減ったり、辞退になるリスクがあるのではと懸念していたそうですが、ふたを
あけてみれば、応募数が増えて、優秀な人材の確保にも寄与しそうなので驚いている……と語ってくれました。
「転職するならリモートワークの会社」とのニーズを無視していては今後、人材確保もままならないかも
しれないことは踏まえておく必要がありそうです。
高城 幸司 :株式会社セレブレイン社長 全社テレワーク制度化にオフィス半減、富士通社長の真意
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200728-00010003-newswitch-bus_all
7/28(火) 11:24配信
富士通の経営改革がコロナ禍で進化を遂げている。感染拡大防止で全社に広がったテレワーク(在宅勤務)
を常態化し、国内従業員の9割近くにのぼる約8万人を対象に、場所を問わない新しい勤務形態
「ワーク・ライフ・シフト」を導入した。さらにコロナ禍で先送りになっていた国内特化型の新会社
「富士通Japan」の10月発足を決定した。それぞれの狙いを富士通の時田隆仁社長に聞いた。
―全社テレワークの制度化に迷いはなかったですか。
「迷わなかった。私の意見でもあるが、従業員のうち3万5000人に行ったアンケートから導き出した結果でもある。
場所にとらわれない働き方は、海外4万人の従業員の働き方と基本的には同じだ。グローバル展開している会社
としては、そもそも働く場所を問うべきではない」
―全社テレワークに加え、全席をフリーアドレス化し、2022年度末までにオフィス規模を現状から半減する目標も話題です。3年後の見通しは。
「半減自体が目的ではなく、結果としてそうなるのだ。もとより、半減してもそれが完成形ではない。
従業員が働きやすくなることが第一。目標を立てることは重要だが、常に中間点でしかない」
―在宅勤務中にすべてがトレース(追跡)されると、監視の色合いが強まりませんか。
「そんなことをしたいわけではない。上司と部下との1対1のコミュニケーションなどを通して、
従業員と会社との“トラスト(信頼)”を築いていくことが重要だ。併せて時間管理の本質を議論し、
職務上の役割に応じて報酬が決まるジョブ型人事制度を全社に拡大するのが良いと判断した」
―富士通Japanの発足への思いは。
「ソリューションはグローバルだが、各国ごとのローカライズは必要だ。そこをきちんと事業の中に
埋め込むために米国やアジアなど六つのリージョン(地域)があり、日本もその一つだ。
ジャパンリージョンを土台に国内事業部門を統合し新会社を発足する」 ―時田体制の布陣が整い、本格展開といっていいのでしょうか。
「創業85周年の6月19日に全社員へのメッセージに『ONE 富士通』という言葉を就任以来、初めて使った。
全世界の全従業員が見る方向性が定まり、それを体現しようと思った。準備は遅ればせながら整った」
【記者の目】
就任時に「全従業員13万人の思考プロセスをひっくり返す」(時田社長)と明言し、全社改革に向けて、
矢継ぎ早に手を打ってきた。全社テレワークの常態化はコロナ禍による事業環境の変化を逆手にとった
改革の一手で、驚きは社内外に広がった。グローバル起点の次の一手にも注目したい。
日刊工業新聞・斉藤実 テレワーク下で「部下を一人前に育てる」ための3つのポイント
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200728-00242967-diamond-bus_all
7/28(火) 6:01配信
コロナ禍で急速に普及したテレワーク。全員が出社することが珍しくなったという職場も少なくない。
こうした新しい働き方が浸透する中で、一つ大きな課題となっているのが「部下の育成」だ。
部下の働く姿を直接見る日が減る中で、どのように部下を育てていけばいいのか。
『あなたが部下から求められているシリアスな50のこと』の著者で、これまでに4万人のビジネスパーソン
を指導してきた濱田秀彦氏が、コロナ時代の「部下の育て方」を解説する。
●テレワーク下で 一人前の部下は育つのか?
私は、マネジメント研修の講師として、22年間で4万人を指導してきた。
その中で、最も多いのが、「部下の育成」をテーマにした研修である。
企業の状況に応じた「こうすれば部下育成はうまくいく」という指導を行い、評価を得てきた。
そして現在の新型コロナウイルスによるテレワーク下においても、多くのマネジメント層の方から
「部下の育成」に関するお悩みやご相談を受けている。
本質的には、これまで私が「こうすれば」とお勧めしてきたことに変わりはない。
そのうえで、特にテレワークにおいてはどんなことに注意し、心がけることで、直接会う機会が
少なくてもスムーズに指導し、部下の成長を促すことができるのか。
ここで改めて、そのポイントを整理し、お伝えしようと思う。
「新型コロナウイルスの収束後もテレワークを前提にした働き方を継続しよう」という志向が広がるなか、
今回は、テレワークを活用した新しい働き方において、「部下の育て方」がどうあるべきかについて考えてみたい。
これまでも、上司層が部下育成に熱心だったわけではない。プレーイングマネジャーが多い状況で、
部下育成にそうそう時間はかけていられなかった。それでも、部下は育ってきた。 例えば、新入社員を育てる場合、配属前に人事部門が集合研修でビジネスマナーなど基本的なことは
指導してくれる。配属後は、上司や先輩が断片的とはいえ対面で指導する。加えて、新入社員は見よう
見まねで仕事を覚える。その結果、上司が多くの時間をかけなくても、育ってきたというのが実態だ。
これらの部下育成法の共通点は「対面」が前提であったことだ。しかし、テレワーク下ではその前提が消滅した。
既に一人前になっている部下なら、テレワーク下でも、ある程度育成することは可能だろう。
しかし、まだ一人前になっていない若手社員をテレワーク下で育成するのはとても難しい。とはいえ、
いつまでたっても戦力化できなければ、困るのは上司だ。「対面」を前提としない環境で若手社員を
育てる方法を考えなければならない。
●テレワーク下の部下育成のポイント(1) 育成のゴールを設定する
そもそも、「人を育てる」とは何をすることなのか――。
これまで、そのような本質的なことは考えなくてもよかった。
しかし、難しい環境下だからこそ、本質に立ち返る必要がある。
「人を育てる」とは「『こうなれば育ったと言える』という(1)ゴールを設定し、そこに向けて相手の
(2)能力と(3)意識を高めていくこと」である。これは若手社員に限らず、すべての部下に対して言えることだ。
その観点で、まずはゴール設定から考えよう。上司と部下の直接的な接点の多い環境ならば、
お互いに多くの時間を共有する中で、漠然とではあってもゴールを設定することができる。
しかし、接点が少ないテレワーク下では、自然にゴールをイメージすることができない。
だからあらかじめ、きちんとゴールを設定しておく必要がある。 例えば、新人営業マンならば「3年後には自分で企画書を書いて商談ができ、年間1億円の予算達成ができる」
といったものが、ゴールイメージだ。そこに向けて「1年目はアポをとって、引き合いをもらって、
小さな商談ならば自分一人の力で成約までできるようになる」「2年目は得意先を持って、中規模商談
を一人で成約し、年間5000万円の予算達成ができる」といった中間ゴールを設定する。
そして、こうしたゴールは部下との話し合いを通じ、お互いに納得した上で共有しておく。
●テレワーク下の部下育成ポイント(2) 能力を高める「トレーニング」
ゴールが設定できたら、次に重要なのは、そこに部下を導く方法論を組み合わせることだ。
先述の通り、育てるとは、突き詰めれば「ゴールに向けて、能力と意識を高める」ことであった。
先に「能力を高める方法」を考えよう。
能力は経験の積み重ねでも高まるが、テレワーク下で、新入社員や若手社員に、いきなり仕事を与え、
任せるわけにもいかない。同じオフィスにいれば、ある程度部下の行動が見えるため、最初は仕事を
任せておいて、適切なタイミングで支援するということも可能だ。
しかし、テレワーク下では行動が見えず、単に放置してしまうことになりかねない。
そこで、先にある程度、その仕事の対応能力を高める指導をしておいた上で、「部分的に任せる」
というアクションが必要になる。
能力を高める指導法は「トレーニング」と呼ばれるものだ。進め方は「やってみせ、説いて聞かせ、
させてみて、フィードバックし、見届ける」という流れになる。できれば、この指導はオンライン
ではなく、限定された出社日に行いたいが、オンラインでも可能ではある。
例えば、新人営業マンに顧客向けのアポ取り電話のかけ方を教えるとしよう。まずは上司がトーク
のデモンストレーションをする(やってみせ)、その上で話の組み立て方などを説明する(説いて聞かせて)、
そして実践させ(させてみて)、改善ポイントを指摘し(フィードバック)、再度実践とフィードバック
を繰り返して仕上げる。そして、実際の仕事の場面でできるかどうか確認する(見届ける)。 効率よく指導するために、「やってみせ、説いて聞かせる」部分はオンライン教材などを活用するのも手だ。
このようにやり方を見せて、説明した上で、実際にアポ取り電話をかけさせ、経験を積ませる。
ただ、ここで一点、問題が残る。最後の「見届ける」というステップが、テレワーク下だと実現しづらいのだ。
そこで、次に紹介する「コーチング」が必要になる。
●テレワーク下の部下育成ポイント(3) 意識を高める「コーチング」
部下の意識を高めるには「コーチング」という指導法を使う。コーチングとは問い掛け、考えさせ、
相手から答えを引き出す指導法で、カウンセリングに似たイメージだ。自らやるように仕向ける指導法と言ってもよい。
テレワーク中には、部下の姿を見ることはできない。だからといって、進捗を事細かく確認したり、
プレッシャーをかけて面従腹背状態にさせてしまったりすると、育成の実態が把握できなくなる。
実践する姿が見えないテレワーク下では特に、「やらせる」のではなく、自らの意思で実践するように
仕向けることが大切だ。こうした中で、コーチングは必須指導スキルと言える。しかも、コーチングは
ビデオ会議システムや電話で行いやすいというメリットもある。
では、実際のやり方を説明しよう。例えば、先ほどのアポ取り電話をかけさせた後に、一緒に反省会をやるとする。
基本的な流れは「状況把握→原因探索→解決策立案→具体化」。例えば、次のような会話になる。
上司「アポ取り電話お疲れさま。やってみて、うまくいったところはどういうところ?」
部下「一応、詰まらずに話せました」
上司「それはよかった。うまくいかなかったところはどういうところ?」
部下「10件やってみて、アポが1件も取れなかったことです」
上司「そうか。原因はなんだと思う?」
部下「会ってみようと思わせるようなメリットが足りなかったのかもしれません」
上司「なるほどね。次にやってみるときにはどんなことをしたらいいと思う?」
部下「もう少し、目的を明確にして話してみます」
上司「それはいいね。具体的にはどんなことを言えばいいかな?」 このように相手から引き出すことで、自ら実践するように仕向けていく。また、相手から答えを引き出した後で
「一つやってみるといいことがあるよ」とアドバイスする、あるいは「どんな支援があるといいかな」
と協力を申し出るのも効果的だ。
そして、コーチングを実践すると、大きな副産物が得られる。それは、部下の状況や考え方がよく分かるということだ。
これは、若手社員に限らず、相手が中堅、ベテラン社員であっても同様だ。
こう考えると、コーチングという指導法は、まさにテレワーク環境向けの指導法である。
●「テレワークで部下を育てられる」ことは 上司にとっても大きなメリットに
以上のように、テレワーク下の部下指導は、事前に明確なゴールを決め、そこに向けてトレーニングで
能力を高め、コーチングで意識を高めるというように育成手法を組み合わせて進めることがポイントになる。
また、テレワーク下では、「気がついたときにアドバイスする」という方法が取りにくいため、意図的に
機会を作り、事前に準備をしてから指導に臨む必要がある。これまでに比べ、精神的エネルギーを使うだけ
でなく、時間も割くことになる。しかし、これからの時代、「テレワーク下で部下を育成できる」という
スキルを持っていることは、管理職本人の大きなアドバンテージになる。
部下が育てば、職場の戦力もアップし、業績の向上につながる。これも、上司にとってのメリットだ。
難しいテーマではあるが、「テレワーク下の部下育成」に本腰を入れて取り組んでみてはどうだろう。
濱田秀彦 東工大のお膝元「大岡山」一度住んだら離れられない魅力の数々
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200728-00027983-gonline-bus_all
7/28(火) 11:00配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、東急電鉄目黒線、大井町線の「大岡山」。
■「目蒲線」から「目黒線」へ、街の魅力も飛躍的に向上
「大岡山」は東京都大田区に位置する、東急電鉄目黒線と大井町線の接続駅です。
1日の乗降者数は、目黒線が2.2万人強、大井町線が3万人弱となっています。
駅は目黒区に接し、住所は大田区北千束の「大岡山」。駅名は、目黒区にある町名です。
戦前に発行された『目黒区大観』によると、「明治中ごろの郵便集配区域を明記した表に、碑衾村(ひぶすまむら)
・衾(ふすま)・大官山とあり、かつてはオオカンヤマと呼ばれていた時代もあった」と記されています。
大岡山は古くからある地名で由来は諸説ありますが、北から南に小高い丘が長く続く地形がルーツでは、といわれています。
明治時代、碑衾町大字衾(ひぶすままち おおあざ ふすま)の字名として、平南大岡山(たいらみなみ おおおかやま)、
平北大岡山(たいあきた おおおかやま)があり、1932年の区制施行の際に町名になりました。
駅の開業は、目黒蒲田電鉄線(現在の目黒線)が開通した1923年。その翌年、東京高等工業学校(現在の東京工業大学)
が東急と土地を等価交換し、大岡山に移転してくると、街の開発に弾みがつきます。1927年に、目黒蒲田電鉄大井町線
(現在の東急電鉄大井町線)が開通すると、駅の北側には商店が集積します。世田谷区、目黒区、大田区の3区に
跨る呑川を見渡せる台地には、高級住宅地が形成されました。
東急目黒線と東急多摩川線に分割される前の目蒲線は、「目黒」と「蒲田」を結ぶ、東急電鉄のなかでもローカルな
路線でした。都心との直通運転もなく、居住地候補としても注目されることの少ないエリアだったのです。 しかし、2000年。混雑が問題視されていた東急電鉄東横線のバイパス路線として、目蒲線を「目黒」〜「多摩川園」
の目黒線と「多摩川園」〜「蒲田」の多摩川線に分割する大規模改修を実施。目黒線が東京メトロ南北線・都営地下鉄
三田線と相互運転を開始すると、大岡山は都心にダイレクトにアクセスできる、交通至便なエリアとして注目を集めました。
また環七、環八、目黒通り、中原街道と、四方を幹線道路に囲まれているため、タクシーやバスなど、車のアクセスが
良好であるのも魅力です。
駅周辺を見ていきましょう。駅上にあるのは、日本初の駅上病院「東急病院」。内科や外科、眼科、皮膚科など診療の
幅は広く、一人暮らしの強い味方です。駅改札から北へと伸びる全長500mほどの「大岡山北口商店街」は、飲食店のほか
鮮魚店や電気店など、個店が元気な商店街です。学生が多いエリアなので、多くの店がリーズナブル。特にラーメン激戦区
として知られ、各店、しのぎを削っています。またドイツパンの「ベッカライ・ヒンメル」やプリンが美味しいと評判の
「イトキト」など、パン店の激戦区としても有名です。
ディープスポットとして知られているのが、駅南側にある「大岡山地下飲食街」。地下へと続く階段の向こうには、
昭和のまま時が止まったようなノスタルジックな空間に、居酒屋やスナック、雀荘など、個性豊かな店が並びます。
ほかにも、桜や紅葉の名所である「洗足池公園」へは駅南口から徒歩10分、買い物が楽しい「自由が丘」までは電車で2駅、
歩いても20分程度。人気スポットが徒歩圏内にあることも「大岡山」の魅力といえるでしょう。
一度住んだらなかなか離れることができない、という声が多いのも納得です。
■生活の中心は駅から北口に集中…庶民的な店も豊富
「大岡山」駅周辺は、一般の単身の会社員が住むにはどのような街なのでしょうか。見てみましょう。まずは駅周辺の
家賃水準。駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は7.4万円(図表1)。同条件の東京都大田区の家賃水準は、駅10分圏内で
7.13万円、目黒区の家賃水準は、駅10分圏内で8.36万円。「大岡山」駅周辺の家賃水準は、大田区のなかでは若干高く、
目黒区の平均よりは1万円近くもリーズナブルなエリアです。 厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、25〜29歳で27.5万円、
30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、そこから住民税や所得税などを差し引いた
手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。
「大岡山」駅周辺は、30代会社員であれば十分検討できるエリアです。大手検索ポータルサイトで、30代会社員の適正家賃内、
徒歩10分圏内を条件に検索すると、豊富とはいえませんが単身者向けの物件がヒットしました。物件の内訳を見ると、
5割が築30年以上、3割が20〜30年。駅チカのエリアでは新築の供給が少なく、築年数にこだわるなら周辺駅が最寄り駅
となりえる、徒歩20分圏内まで範囲を広げる必要があります。
交通面はどうでしょうか。「大岡山」から「目黒」8分、「溜池山王」22分、「飯田橋」31分、「大手町」26分
(所要時間は「大岡山」を平日8時に出発した場合の目安)。東京メトロ南北線や都営地下鉄三田線直通電車で、都心にも
ダイレクトにアクセスできるほか、「目黒」乗換えでJR山手線、「自由が丘」乗換えで東急電鉄東横線〜東京メトロ副都心線
を利用し、都心の様々なエリアにリーチできます。
買い物環境はどうでしょうか。駅周辺〜北口にかけて「東急ストア」「ヒルママーケットプレイス」「まいばすけっと」
「イチバン」と4店のスーパーがあります。また商店街には大手ドラッグストアチェーン店も。単身の会社員が日常品を
買うのに便利なスポットは、駅から北口エリアに集中しています。ハイソな雰囲気のお店も多いですが、学生街なだけあり、
リーズナブルな店も充実しています。
飲食店も駅周辺から北口の商店街エリアに集中し、単身者でも利用しやすいファストフードやファミレス、牛丼店、
定食店など、大手飲食チェーン店が点在しています。学生をターゲットにしたリーズナブルな飲食店も豊富で、
定番の店に飽きても楽しめます。外食がメインの人でも困ることはありません。 東急電鉄沿線の「大岡山」は、人気ランキングでは見かけることはありませんが、交通面でも生活面でも利便性の高い街です。
目黒区と大田区といった、高級住宅地のイメージが強いエリアにある街ですが、学生向けの店が多く、庶民的な一面を
持ち合わせています。その利便性から、大学を卒業し社会人になっても住み続ける人が多いとか。
幹線道路に囲まれていますが、街中の道は狭く、歩いていると自動車や自転車でヒヤッとする場面も。
また「岡」「山」という地名から分かる通り、住むエリアによっては坂がキツイと感じることもあるかもしれません。
ただ、そのような欠点も気にならないくらい、住む人をひきつける魅力を、この街は持っています。
GGO編集部 23区有数の閑散駅「北区・尾久」4年で利用客115%増の理由
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200729-00028009-gonline-bus_all
7/29(水) 11:00配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、JR東北本線の「尾久」。
■駅の南側に広がる車両基地を抜けると、また車両基地!?
「尾久」は東京都北区に位置する、JR東北本線の駅です。1日の乗車数は1万人強。
利用客の少なさでは、東京都23区内のJR駅のなかでも3本の指に入ります。
駅があるのは北区昭和町。駅名の読み方は「おく」ですが、駅北東の地名、荒川区東尾久、西尾久の読みは「おぐ」です。
尾久の由来は、鎌倉幕府の歴史をつづった『吾妻鏡』内の記述が有力です。同書に「武蔵国豊嶋庄犬食名」
と記されていますが、この「犬食」は「大食(おおぐい)」の書き間違いで、それが「おぐ」になったという説があります。
武蔵国にあった豊島郡の“奥”、江戸の北限である隅田川を背にしているから江戸の“奥”など、ほかにも諸説あります。
室町時代、太田道灌が江戸城を築いたころに書かれた『長禄江戸図』に「尾久」の地名が出てくることからも、
古くからある地名であることには間違いありません。
江戸時代までは郊外の農村地域でしたが、明治から大正にかけて工場が進出。一方でラジウム鉱泉が湧いたことで
花街としても発展しました。しかし戦後、温泉が枯渇すると、その賑わいも消滅してしまいます。
慣習的に「おぐ」と呼ばれていた尾久ですが、1929年に駅が開業することで混乱を招きます。駅ができたのは、
前出の通り北区昭和町であって、荒川地域ではありませんでした。しかし花街として賑わっていたエリアに人を
呼び込もうと、駅名を「尾久」としました。 当時の鉄道省は「おく」と命名しました。駅の読みが「おぐ」ではなかったのは、「尾久の地名は、豊島郡の奥、
江戸の奥から訛って『おぐ』になったのだから、正式には『おく』である」と鉄道省が考えたから、といわれています。
駅の出入り口は1箇所。駅北側には明治通りが走り、多くの車が行き交っています。
「尾久」は23区のJR駅のなかでも有数の閑散駅ですが、そんな雰囲気はあまり感じません。
一方で、駅南側は見渡す限り線路が広がる「尾久車両センター」。南北2,200m、東西250mの車両基地で、
それを横断する地下道をくぐると、閑静な住宅街が広がっています。さらに住宅街を進むと、新幹線の車両基地
である「東京新幹線車両センター」があり、奥の高架線を東北・上越・北陸新幹線が走ります。
奥には京浜東北線などの電車が行き交う線路があり、京浜東北線「上中里」駅があります。
車両基地が広がっているため、駅南側に居住地はほとんどありません。また都電荒川線「梶原」「荒川車庫」
「荒川遊園地前」「小台」は徒歩10分前後、京浜東北線「上中里」は徒歩15分、JR山手線「田端」は徒歩18分と、
周辺に多くの駅があり、利用者が分散しています。「尾久」の利用者は駅北側の限られた住民に限られているため、
閑散駅になってしまったのです。
■「暮らすだけなら困らない」程度の買い物環境は揃う
「尾久」駅周辺は、一般の単身の会社員が住むにはどうなのでしょうか。見てみましょう。まずは駅周辺の家賃水準。
駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は6.60万円(図表1)。同条件の東京都北区の家賃水準は、駅10分圏内で6.62万円。
「尾久」駅周辺の家賃は、北区平均とほぼ同水準です。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、25〜29歳で
27.5万円、30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、そこから住民税や所得税
などを差し引いた手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。 「尾久」駅周辺は、20代会社員でも十分に検討できる地域です。大手検索ポータルサイトで、20代会社員の適正家賃内、
徒歩10分圏内を条件で検索すると、居住地が限られるため豊富とはいえませんが、単身者向けの物件がヒットします。
築30年以上の物件が半数を占めますが、ヒットした物件の3割が築10年以下と、築年数の浅い物件も多く見つかります。
しかし専有面積は15u以下の物件がほとんど。20u以上の専有面積をもつ物件を希望するなら、築年数の条件を
ゆるくしたほうがいいでしょう。
交通面はどうでしょうか。「尾久」から「上野」6分、「東京」11分、「品川」22分(所要時間は「尾久」を
平日8時に出発した場合の目安)。2015年に上野東京ラインが開通し、「東京」や「品川」にダイレクトにアクセス
できるようになったことで、「尾久」の交通利便性は飛躍的に向上しました。
買い物環境はどうでしょうか。駅北側にスーパーが「東武ストア」「スーパーバリュー」「オリンピック」の3店、
ドラッグストアが1店。商店の集積はほとんどありませんが、最寄り品の購入であれば、特に困ることはありません。
道も平坦なので、自転車があれば便利です。
飲食店は、駅前にファストフード店があるほか、明治通り沿いにファミレスが3店ほどあります。23区のJR駅としては、
飲食店の数は極端に少なく感じるでしょう。外食がメインの人は、職場近くで食事を済ませるのがパターンになりそうです。
東京23区内でも閑散駅として知られる「尾久」。
車両基地に隣接するうえ、近隣に他路線の駅が多いという立地で利用客が限られる特別な事情がありました。
また住宅街にある駅で商店の集積はほとんど見られず、「暮らすこと」が主体となる駅です。
駅としては閑散しているものの、「上野」「東京」「品川」へのアクセスは抜群。特に生活環境よりも交通利便性
を重視する単身者からの支持が高まっています。上野東京ラインが開通した2015年の乗車人数は8,000人強でしたが、
2019年の乗車人数は115%増。地味ながら、確実に利用客は増えています。
GGO編集部 「足立区・西新井」再開発で評判アップ、憧れの街に変貌…か?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200731-00028032-gonline-bus_all
7/31(金) 11:00配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、東武鉄道伊勢崎線、大師線の「西新井」。
■大規模な再開発で街が一変!治安も良好に
「西新井」は東京都足立区に位置する、東武鉄道伊勢崎線と大師線の接続駅です。1日の乗降者数は、6.6万人ほど。
東武伊勢崎線は、東京メトロ日比谷線と半蔵門線と直通運転をしていて、都心にもダイレクトにアクセスすることができます。
西新井大師(正式名称:五智山遍照院總持寺<ごちさんへんじょういんそうじじ>)は、大師線でひと駅の「大師前」、
「西新井」からも徒歩15分ほど場所にあります。古くから「関東の高野山」と呼ばれ、都内でも最大級のパワースポットです。
「関東三大厄除大師」のひとつであり、正月三が日の初詣客は50万人を数えるといわれています。
広い境内には、見どころがいろいろ。境内前の山門は、江戸時代後期に建立された、迫力のあるものです。
山門の向こうにある塩まみれの地蔵「塩地蔵」は、イボ取りなどのご利益があるといわれています。
四国八十八箇所巡りの霊場と高野山の砂が敷き詰められた「四国八十八箇所お砂踏み霊場」は、一周すれば
弘法大師・空海のご利益と観音慈悲の功徳を受けられるスポット。そして境内の中央にそびえるのが、
圧倒的な存在感を放つ大本堂。十一面観音と弘法大師をまつる黄金の本堂内で、護摩祈祷などが行われます。
境内のなかにひっそりある「加持水の井戸」は、西新井大師のなかでも重要な場所。
平安時代、不作と疫病で多くの人が苦しんでいるなか、十一面観音のお告げを聞いた弘法大師・空海が訪れ、
人々を助けるため、十一面観音像と自身の像を彫り、21日間の祈願を行いました。
結果、枯れていた井戸から水があふれだし、人々を救ったといいます。 この逸話が、お堂の西側にある井戸から始まったことから「西新井」という地名がついたとか。
つまり西新井にとって、この井戸は始まりの地ともいうべき場所なのです。
駅周辺を見ていきましょう。
西新井駅直結の専門店「西新井トスカ」「エキア西新井」には、普段使いに便利なショップや飲食店が入っています。
東口を出ると「イオン西新井店」。裏には環七通りが走り、その先には住宅街が広がっています。
西口を出ると、ロータリーを囲むように雑居ビルが建ち並んでいますが、その一角にあるのが40強の店からなる
商業施設「パサージオ」。2000年代に入ってから行われた再開発事業「西新井ヌーヴェル」によって生まれた、
新しい街の玄関口ともいえる建物です。
もともと駅南西側にあった日清紡績東京工場の跡地を中心とした再開発は、A〜Hの街区に分けられ、A街区には
前述の「パサージオ」、H街区には「イトーヨーカドー」と「TOHOシネマズ」、111の専門店街からなる「アリオ西新井」
が誕生。ほかの街区には、分譲マンションや賃貸マンションが建てられ、総戸数は2000戸を数えます。
また各街区の角地には「街かど広場」が設けられているほか、G街区には都市公園として「西新井さかえ公園」もオープン。
電柱のない街並み、人車分離の安全な動線と、計算された良好な都市空間が広がります。
足立区といえば、下町情緒あふれる街が点在する一方で、どこかマイナスイメージが先行することも珍しくないエリア。
西新井も、以前は決して評判の良い街ではありませんでした。しかし再開発によって、街のイメージは大きく変化。
特に再開発エリアには警察署もつくられ、治安面でも安心できるでしょう。
■買い物環境が向上…西新井だけですべてが揃う!?
「西新井」駅周辺は、一般の単身の会社員が住むにはどうなのでしょうか。見てみましょう。まずは駅周辺の家賃水準
駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は5.19万円、11分を超えると5.50万円(図表1)。同条件の東京都足立区の家賃水準は、
駅10分圏内で5.80万円、11分を超えると5.69万円。「西新井」駅周辺の家賃水準は、足立区のなかでもリーズナブルといえるでしょう。 厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、
25〜29歳で27.5万円、30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、
そこから住民税や所得税などを差し引いた手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半
は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。
「西新井」駅周辺は、20代会社員でも十分検討できるエリアです。大手検索ポータルサイトで、20代会社員の適正家賃内、
徒歩10分圏内を条件に検索すると、多くの単身者向けの物件がヒットします。半数は築30年以上の築古物件ですが、約2割は
築10年以内の比較的新しい物件です。
バス・トイレ別、浴室乾燥機、オートロックなど、昨今の賃貸ニーズを満たす物件も、比較的多い印象です。
交通面はどうでしょうか。「西新井」から「北千住」5分、半蔵門線直通で「大手町」30分、「永田町」45分、「渋谷」54分、
日比谷線直通で「日比谷」42分、「六本木」52分(所要時間は「西新井」を平日8時に出発した場合の目安)。
東京メトロ半蔵門線と日比谷線との直通運転があるので、都心東部の主要エリアであれば30分程度、西部の主要エリア
であれば1時間程度でアクセスできます。
買い物環境はどうでしょうか。駅東側には「イオン」、西側には「イトーヨーカドー」と、駅を挟んだ両エリアに大規模な
スーパーがあります。大手ドラッグストアチェーン店も両エリアにあるので、最寄り品の購入で困ることはありません。
また商業施設内には人気ファッションブランド店や雑貨店などがあるほか、「イオン」のなかには家電量販店の「ノジマ」、
西口には「ドン・キホーテ」があり、ある程度の日常品は、西新井だけで揃えることができそうです。
飲食店はどうでしょうか。駅周辺はファストフードやファミレス、牛丼店、定食店など、大手飲食チェーン店が充実し、
商業施設内の飲食フロアは単身者でも入りやすい店が揃っています。また再開発エリア以外では、定番に飽きたときに
重宝しそうな、昔ながらの飲食店も残っています。西新井では、外食メインの人でも困ることはないでしょう。 都内随一のパワースポットから近い「西新井」ですが、それにも関わらず、以前はイメージが良いとはいえない街でした。
しかし大規模な再開発で、イメージは一変。特に再開発エリアに昔の面影はありません。
もともと治安も安定していた地域でしたが、警察署が移設してきたことで、より安心感も増しました。
恒例の街ランキングではまだ登場していませんが、確実に住みやすい街へと変貌を遂げています。
GGO編集部 94年の歴史に幕…20代会社員、あえて「豊島園」に住んでみる
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200801-00028033-gonline-bus_all
8/1(土) 11:00配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、西武鉄道豊島線、都営地下鉄大江戸線の「豊島園」。
■8月31日に閉園…さようなら「としまえん」
「豊島園」は東京都練馬区に位置する、西武鉄道豊島線と都営地下鉄大江戸線の駅です。
1日の乗降者数は、西武駅が1.4万人ほど、地下鉄駅が1.2万人ほど。駅名の通り、遊園地「としまえん」の最寄駅です。
今月末をもって、94年の歴史に幕を閉じる「としまえん」。このニュースを聞いて寂しい気持ちになった人も多いことでしょう。
そもそも、「なぜ練馬区にあるのに『としまえん』なのか?」と疑問に思ったことはないでしょうか。
それはこの一帯が、かつて豊島郡に属していたことに由来しています。
としまえんが開園したのは1926年で、全面開園したのが、翌年の1927年。この年、武蔵野鉄道豊島園線が開通し、
「豊島」駅として開業しました。1933年に、現在の駅名に改称されています。開業時にあったのは、ウォーター
シュートやボート池、小動物園、音楽堂など。1929年には、大プール、小プールが完成、「としまえん=プール」
の歴史はこのときに始まりました。
1944年、戦況の悪化で一時閉園しますが、1946年に営業再開。戦後は、次々と遊具を増やして人気を集めました。
また1958年、世界初の屋内スキー場、1965年には世界初の流れるプールとローラーコースター、1988年には日本初
の大型ウォータースライダー…と、としまえんは“世界初”とか“日本初”の触れ込みが多い遊園地でもありました。 そしてとしまえんのシンボルのひとつでもあるメリーゴーラウンド「カルーセルエルドラド」は、1907年にドイツ
のヒューゴー・ハッセによって作られたもの。バンド・DREAMS COME TRUEのファーストアルバムのジャケット写真
がこのメリーゴーラウンドで撮られたことは、ファンの間ではよく知られています。
貴重な文化遺産として「機械遺産」にも選ばれている施設で、今後の動向も気になるところです。
一時は年間400万人近くの人が訪れていた人気遊園地でしたが、生活様式のなどの変化もあり、近年の来場者数は
100万人ほどに減少。それでも閉園のニュースは大々的に報道されました。遊園地の跡地は、防災拠点となる公園や、
世界で2番目となる『ハリー・ポッター』のスタジオツアー施設の設置が検討されています。
そんな「としまえん」の最寄り駅である「豊島園」ですが、温浴施設「豊島園 庭の湯」や、シネマコンプレックス
「ユナイテッド・シネマ としまえん」があったりと、レジャースポットが点在するほかは、閑静な住宅街が広がっています。
練馬区の拠点であり、商業集積地でもある「練馬」駅は、当駅から徒歩10分ほどと生活圏内。
「豊島園」駅周辺は、意外と利便性も兼ね備えたエリアです。
■落ち着いた住環境…買い物は徒歩圏内の「練馬」で
「豊島園」駅周辺は、一般的な単身会社員が住むにはどうなのでしょうか。見てみましょう。まずは駅周辺の家賃水準。
駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は5.96万円(図表1)。同条件の東京都練馬区の家賃水準は、駅10分圏内で6.27万円。
「豊島園」駅周辺の家賃水準は、練馬区のなかでもリーズナブルといえるでしょう。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、25〜29歳で27.5万円、
30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、そこから住民税や所得税などを差し引いた
手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。 「豊島園」駅周辺は、20代会社員でも十分検討できるエリアです。大手検索ポータルサイトで、20代会社員の適正家賃内、
徒歩10分圏内を条件で検索すると、豊富とはいえませんが、単身者向けの物件がヒットします。それらの物件の内訳を
見ると、6割以上が築30年以上の築古物件で、築浅物件は1割程度。新築供給数は多いとはいえないエリアなので、
築年数にこだわるなら、範囲を広げて探すといいでしょう。
交通面はどうでしょうか。西武線利用で「豊島園」から「池袋」14分。大江戸線利用で「新宿」29分、「六本木」39分、
「汐留」49分(所要時間は「豊島園」を平日8時に出発した場合の目安)。西武線駅は7時台に5本、8時台に5本の各駅停車
「池袋」行きがあります。本数は少ないですが、始発駅なので、座っての通勤がかないます。
買い物環境はどうでしょうか。駅周辺には小型スーパー「まいばすけっと」とコンビニが数軒ある程度。
「豊島園」駅単体では、買い物環境は良好とはいえません。ただ前述の通り「練馬」駅は徒歩圏内。駅周辺に「西友」
や「業務スーパー」などのスーパーや、大手ドラッグストア店など、買い物スポットが集積しています。
最寄り品の購入で困ることはほとんどないでしょう。
飲食店はどうでしょうか。「豊島園」駅周辺では、駅前のテナントビルにいくつかの飲食店があったり、ファストフード店
や牛丼店があったりする程度で、充実しているとはいえません。隣駅の「練馬」周辺は飲食店も充実しているので、
外食派の人は何かと重宝するでしょう。
遊園地の閉園というニュースで、岐路に立っている「豊島園」。しばらくはにぎわいも少なくなり、寂しい雰囲気が
漂うかもしれませんが、居住地として見た場合、練馬区の拠点である「練馬」駅を生活圏とするエリアで、良好な
住環境が広がっています。本数は限られますが、池袋方面の勤務であれば座って通勤することができ、新宿方面にも
ダイレクトにアクセスできます。駅名から、遊園地しかないと思われがちですが、実は暮らすにも良い街だといえるでしょう。
GGO編集部 路線はほぼ「Go To 東京」、埼玉ご当地鉄道事情
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200730-00365541-toyo-bus_all
7/30(木) 5:10配信
鉄道のネットワークは、全国くまなくつながっているものだ。
だから、旅先でもいつも使っている地元の鉄道の感覚で乗ってしまう。
都心暮らしならば10分も待たずに乗れるとか、10両もの長大編成でやってくるとか、
昼すぎでも座れたらラッキーだとか、そういう感覚はなかなか抜けない。
鉄道関係の取材をする機会の多い筆者でも、なんだかんだそんなものである。
だが、裏を返せばそれでは充分にその地域の鉄道を活用しているとは言えないということになる。
それではいささかもったいないのではなかろうか。
というわけで、全国各地の鉄道事情を都道府県ごとにおさらいしていくことにしたい。
まずは、首都・東京のお隣の埼玉県。東京の延長のように考えがちだが、果たして……。
■“東京へ”が埼玉の鉄道の役割?
埼玉県の鉄道ネットワークは、とにかくほとんどが東京を向いている。
このところ、新型コロナウイルス感染症の影響で「県境を跨ぐ移動」があれこれ言われているが、
埼玉の鉄道は東京との都県境を跨ぐことにその本領があるといっていい。
京浜東北線や埼京線、宇都宮線(東北本線)といったJRの路線はもとより、私鉄の東武東上線や
西武池袋線なども東京都心のターミナルと埼玉県内を結んでいる。埼玉視点でいうならば、
“ほとんどの路線が東京を向いている”といったところか。
この傾向はJRにおいてとくに顕著で、埼玉県内だけを走っているJR路線は川越線だけである。
その川越線にしたって、大宮―川越間は埼京線に直通して池袋を目指すし、川越―高麗川間は
八高線に直通して八王子を目指す。結局、この川越線の役割も埼玉県内の地域輸送というよりは
“Go To 東京”なのだ。
浦和に住んでいる知人に聞けば、「言われてみると電車に乗るのは東京に行くときだけ。
埼玉県内だけ乗ったのはさいたまスーパーアリーナに行ったときくらいかも」と返ってきた。
もちろん埼玉県内に会社もあれば商業施設もあるから、県内に限った移動も少なくない。 が、それを踏まえても鉄道路線の構造という点でいえばほとんどの路線が東京を向いている
ことは間違いないといっていい。
ちなみに、同じように首都圏に含まれる神奈川県や千葉県を見ると、東京との連絡を担う路線
があると同時に、県内だけを走って地域輸送を専門とする路線も多い。大半の路線が“東京を
向いている”という点は、埼玉県の鉄道ネットワークならではの特徴なのだ。
■大宮駅を避けて通れない
例えば新幹線に乗って東北や上越、北陸方面を目指すとき。はたまた、青春18きっぷなどを
握りしめて東北方面の旅をしようと試みたとき。それが東京都民だったら、決まって埼玉県
を通ることになる。JRの場合、ほとんど経由せずにいられないのが大宮駅である。
大宮駅はまさしく埼玉県の鉄道ネットワークの中心といっていい。県庁があるのは大宮駅と
同じさいたま市でも浦和だから、行政の中心は浦和だ。それに対して、鉄道は大宮駅をハブ
として、さらに県内各地やほかの都県に向けて伸びている。
路線図を見ればそれはひと目でわかる。東北新幹線と上越新幹線が分かれるのは大宮駅だし、
宇都宮線と高崎線も大宮駅で分かれる。京浜東北線や埼京線ももちろん乗り入れてくるし、
西には川越線が伸びて東に向けては東武野田線(アーバンパークラインと呼ぶべきですかね……)。
複数の路線が分岐する文字通りのターミナルであり、大宮を通らねばどこにも行けない首都圏
北部の“関所”のような存在感を持っている。
大宮駅を通らない路線ももちろんあり、県南西部を目指す東武東上線や西武池袋線などがそうだ。
また、県の東側を南北に抜ける東武伊勢崎線(スカイツリーライン)も大宮駅を無視する路線の1つ。
ただ、ことJR線に限っていえば大宮駅を通らない路線は八高線と武蔵野線だけである。
18きっぷで大宮駅を無視して埼玉県を抜けようとすると、埼玉県内唯一の非電化路線でもある
八高線に乗って関東平野の端っこをのんびり走らねばならぬのだ。 筆者も何度か八高線の非電化区間(高麗川―高崎間)に乗ったことがあるが、まったく大都会の近くを走る
路線とは思えないのどかな路線である。2両編成の気動車、という点だけをもっても人口730万人を超える県
を走る路線らしからぬ風情。平日の昼下がりともなると乗客も数人ばかりと、純然たるローカル線である。
そうした一部の路線を除くと、ほぼすべての鉄道路線が大宮駅をハブとしている。
埼玉県内の鉄道を乗り潰そうと思ったら、大宮駅をスタート地点とするのがよいように思える。
■かゆいところに手が届く
大宮駅をハブとして、“東京を向いて”走っている埼玉県の鉄道ネットワーク。
となれば、弱点となるのは県の東西を結ぶ路線である。大宮から県内の路線をあれこれ乗ろうと
思っても、この東西を結ぶ路線が貧弱であるがゆえに難儀することになるのだ。
それもこれもほとんどの路線が東京を向いているから致し方ないし、先に登場してもらった浦和在住の知人も
「いやあ……そんな路線があっても使わないでしょう、普通」と苦笑いをしながら一蹴するほどだ。
さらに聞けば、「せいぜい武蔵野線を使うことがあるかな、くらいなものですよ」。乗り潰しを試みるわけ
でもなければ、東西を結ぶネットワークが貧弱でもあまり問題はないようだ。
とはいえ、まったくないのは困ったもの。東京だって、都心から放射状に伸びる路線ばかりで多摩地区を
南北に結ぶ路線が貧弱すぎると言われるくらいだ。そうした中で気を吐いているのが秩父鉄道である。
東京都民にとって、秩父鉄道は西武池袋線・秩父線の終端の西武秩父駅と隣接する御花畑駅から乗り換えて、
SLに乗ったり長瀞観光を楽しんだり、というイメージが強い。だが、秩父鉄道の本領はそこにはなくて、
羽生―熊谷間。これによって、埼玉県東部を走る東武伊勢崎線と、中央部を南東から北西に向かって走る
JR高崎線を相互に結ぶという役割を果たしているのだ。 実際、この区間は埼玉県北部の通勤路線になっているようで、朝の通勤時間帯に乗ったことがあるが、
なかなかの混雑ぶりだった(さすがに都心ほどではないが)。埼玉県内で完結する事実上唯一のローカル
私鉄・秩父鉄道は、ローカルだからこそ、の存在感を放っている。
ちなみに、秩父鉄道は埼玉県内で唯一交通系ICカードが使えない路線でもある。
このほかにも東西を結ぶ路線はあって、大宮をハブとする川越線や東武野田線、県南部を走る武蔵野線。
とくに武蔵野線は東京都心を経由せずに東京多摩地区・千葉県内を連絡しており、首都圏の鉄道の弱点
を補って存在感は大きい。ただ、埼玉県内の地域輸送というよりはこれも“東京向き”の路線の1つだろう。
東京と埼玉を結ぶ私鉄といえば、西武鉄道と東武鉄道が双璧である(というか私鉄では事実上この2社しかない)。
西武鉄道は池袋線と新宿線が埼玉県に入ってすぐの所沢駅で接続し、池袋線は入間・飯能を経て秩父方面へ。
新宿線は狭山市を経て川越へ向かう。いずれも東京と埼玉を結ぶ路線といっても南部にとどまっており、
意外と北に広い埼玉県内全域を対象としているとは言いがたい。
■埼玉県は東武王国
ところが、東武鉄道はなかなかすごい。西武池袋線と対で取り上げられることも多い東上線。こちらは
川越を経て坂戸から寄居、最終的には小川町駅まで向かう。寄居―小川町間は運転系統が分離していて
事実上別路線のようになっているが、それにしても広い範囲で東京都心への通勤通学輸送を担っているのだ。
さらに東武には県東部を走るスカイツリーライン・伊勢崎線がある。スカイツリーラインという愛称の区間
は日光線と分岐する東武動物公園駅で終わりを告げるが、さらにそこから先も伊勢崎線として久喜駅で
宇都宮線と交差、さらに県北部のJRに無視された地域を走っていく。
ほぼ県の中央を通るJR高崎線を中心軸に、東はスカイツリーライン・伊勢崎線、西に東上線。
この2路線が埼玉県を広く東京都心への通勤圏内に仕立て上げた。「“東京のベッドタウン”埼玉県」
は東武の2路線によって形成されたと言えるのだ。
最後に、新幹線のお話である。
大宮駅は東北新幹線と上越新幹線が分かれるハブ駅であることはすでに述べた。大宮駅には新幹線列車のすべてが停車する。 筆者は東京西部、多摩地区に住んでいるのだが、東北方面の新幹線に乗ろうと
思って乗り換えルート検索などをすると、決まって「新宿駅から埼京線で大宮駅に行って新幹線へ」
というルートが示される。実際、スムーズに行けばこのほうが早いらしい。とはいえ、何度も乗り換える
のが面倒な気がして、結局東京駅で乗ることがほとんどなのだが、それだけ新幹線においても大宮駅は
重要なターミナルなのだろう。
で、ここで問題になるのは県内のほかの新幹線駅だ。東北新幹線はとっとと埼玉県を通り過ぎてしまって、
栃木県内の小山駅が大宮駅の隣駅である。それほど広くもない埼玉県内に2つも新幹線駅はいらない、
ということなのだろうか。
■新幹線を使うには微妙な距離
しかし、上越新幹線(北陸新幹線でもいい)だと話が違う。
県内には大宮以外にも熊谷駅・本庄早稲田駅の2つの駅があるのだ。停車列車の関係と都心からの
近さもあって、東京から熊谷に向かうときには新幹線に乗るべきか在来線に乗るべきか少し悩む。
まあ、現実的には新幹線の速達効果は微々たるものなので、費用対効果を考えればどう考えても在来線一択だ。
ただ、本庄早稲田駅に行くなら新幹線以外の手段がない(バスに乗り継ぐという手もあるが……)。
だいたい本庄早稲田駅に用があることはほとんどないのだが、上越新幹線において最初の新幹線単独駅
が埼玉県内の本庄早稲田駅というのはおもしろい。
長距離輸送を旨とする新幹線も、地方では通勤通学に用いる地域輸送路線という顔もある。
もしかすると、埼玉県内もそうした地方の1つということなのかもしれない。
あくまでも筆者の主観で、という断り付きにはなるが、埼玉県の鉄道事情を簡単にまとめてみた。
47都道府県で5番目に人口の多い埼玉県だけあって、鉄道網は充実しているほうだといえる。ただ、その
ネットワークの方向性は、あくまでも“東京向き”。純粋な県内地域輸送路線は秩父鉄道だけといっていい。
こうした特徴は、埼玉県という県の特徴とも大いに重なっているような気がするのだが、いかがだろうか。
鼠入 昌史 :ライター JR東、コロナが問う「時間帯別運賃」の本気度
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200802-00365758-toyo-bus_all
8/2(日) 5:01配信
コロナ禍における外出自粛要請で人の移動が制限され、鉄道業界は大きな打撃を受けた。
資金繰り確保のため、設備投資の先送りや社員の一時帰休を余儀なくされた会社も少なくない。
中期経営計画の中止を発表した会社もある。業界最大手のJR東日本も収入が毎月1000億円減っているという。
しかし、深澤祐二社長は「20年後、30年後を念頭において作った中期計画をコロナの影響によって、
より早く実行しないといけなくなった」と話し、成長投資やイノベーション投資は減らさない方針を示した。
時間帯別運賃の検討、ITを活用した効率的な運行管理、さらには都市や地域の再開発まで、深澤社長が
アフターコロナ時代における鉄道のあるべき姿を語った。
■生活に合わせて運賃制度を変えていく
――コロナ後の鉄道需要をどう喚起しますか。
短期、中期という視点に分けて考えないといけない。短期的には、安心して電車に乗ってもらうための
取り組みをいろいろと行っている。多くの人に移動してもらう旅行商品として、価格面だけではなく、
1人でも過ごせるといったニーズに合わせた商品を提供しなくてはいけない。
難しいのは「3密」を避けることだ。たくさんの人が集まりそうな企画は今のタイミングでは出せない。
来年の3月まで実施するなど、意識して期間を長く設定した企画を作っている。
中期的にはビジネスの基本的な部分の変革が必要だ。現在の運行ダイヤや運賃は従来の生活スタイル
に合わせて定められてきた。通勤電車の利用のピークは朝の出勤時と夜の帰宅時にあったが、現在は
朝のピークの山が従来の半分くらいになり、その前後の時間帯が増えて、台形のような形になっている。
夕方も終電ぎりぎりまで多くの人が乗っていたが、より早い時間帯に利用がシフトしている。
こうした生活スタイルの変化に合わせて運賃制度を変えていきたい。
例えば、定期ならピークの時間帯よりもピークの前後に乗るほうがメリットのある商品を検討している。 車両や要員も、その多くは利用のピークに合わせてそろえている。一方で満員電車に乗る利用者は
大変つらい思いをして通勤している。軽井沢や那須塩原などから新幹線で遠距離通勤している人は、
平日は都内で仕事をして週末に自宅でゆっくりと過ごしていた。それがコロナ禍で、都内で仕事するのは
週に何日かとし、あとは自宅や最寄りのサテライトオフィスで仕事をするという例も見られる。
満員電車で通勤していた人が、もっと遠くに移住して新幹線で通う動きもこれからは増えてくると思う。
毎月の利用が少ない人にとって通勤定期は割高となるので、こうした長距離通勤者向けに週何日かだけ
使えるような商品を検討していく。
■検討を重ねてきた時間帯別運賃
――定期券だけですか。
今のピーク時間帯は定期の利用者が多く、(新商品の検討は)まず定期でと考えている。
最近はポイント制度も使えるようになってきているので、ポイントとの組み合わせも考えていく。
――時間帯別運賃は今回初めて出たアイデアですか。
今までも検討は重ねてきた。海外の導入事例もある。だが世界的に見ても日本ほど鉄道が使われている国はない。
その非常にボリュームの大きい利用者に合わせて運賃の仕組みが作られていたため、なかなか手をつけられなかった。
今回、それを根本的に変えたい。われわれ自身がフレキシブルに物事を考えていくきっかけにしたい。
――時間帯別運賃を導入し、ピーク時の運賃を高くすると、「値上げ」と考える人もいるのでは。
在宅勤務などで鉄道の利用が減って、かつ運賃が下がると収入全体が減ってしまう。
どういう仕組みにするのかはしっかりと議論しなくてはいけないし、利用者の理解を得ながら進めていきたい。
(検討期間は)1〜2年というスパンで考えている。ダイヤ改正は年1回(通常は3月)行っているが、
そのタイミングに合わせるためには、どのようなことをやるのか。早めに決めなくてはいけない。 ――JR東日本単独で実施するのですか。
ダイヤ改正の場合は始発や終電での接続もあるし、相互直通している私鉄各社との関係もある。
どのような取り組みをするかは各社それぞれに考えていくことだが、このような商品はどこも出していないので、
事前に「こういうことをやります」という話はしていく。
「週刊東洋経済プラス」のインタビュー拡大版では、「Suicaの今後の展開」「駅を中心とした再開発のあり方」
「成長やイノベーション投資に対する考え方」についても語っている。
大坂 直樹 :東洋経済 記者 山手線の終点がじつは「田端駅」なのはナゼか?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200731-00243906-diamond-soci
7/31(金) 6:01配信
鉄道アナリスト・川島令三氏の新刊書『思わず誰かに話したくなる鉄道なるほど雑学』の中から、
鉄道に関するディープなウンチクをご紹介。
今回は、首都圏の通勤電車としておなじみのJR各路線についての、意外と知らない豆知識です。
日頃はユーウツな朝の通勤電車も、これを知れば少しは楽しくなることうけあい…!?
●山手線の正式区間は、 どこからどこまで?
例の家電量販店のCMの「丸い緑の山手線」という歌詞にあるように、一周しているのが山手線だと
思われがちだが、正式な山手線は、品川駅を起点に渋谷、新宿、池袋を通って田端駅が終点となる
延長20.6キロの路線である。残る田端―東京間は東北本線、東京―品川間は東海道本線の「電車線」である。
これら電車線も複々線になっているが、そのうちの複線を山手線電車が走り、もう一方は京浜東北線電車が走る。
この「○○線電車」という意味では山手線電車は一周している。
山手線建設の目的は東海道本線と東北本線を結ぶことだった。明治5(1872)年に新橋―横浜間が開業、
当時の新橋駅は汐留にあり、横浜駅は今の桜木町駅にあった。上野―大宮間の開業は明治16(1883)年で、
私鉄の日本鉄道が開通させた。
横浜側は官設鉄道の東海道線として西に線路を延ばし、大宮側は日本鉄道が東北線として北に線路を延ばしていった。
両線を結ぶ必要があったが、新橋―上野間は市街地のため用地買収がしにくく、人家がまばらな山手地区の
品川―赤羽間を日本鉄道の手で明治18(1885)年に開通させた。次に日本鉄道の海岸線(現常磐線)と東海道線
を結ぶ目的の池袋―田端間の豊島線が明治36(1903)年に開通。旅客を運ぶというよりも貨物を運ぶ意味合いが強かった。
このため遠回りでもよかったのである。 明治39(1906)年に日本鉄道は国有化され、明治42(1909)年の線路名称制定時に山手線の区間は赤羽―品川間と
池袋―田端間、大崎―大井間とした。大崎―大井間は東北本線から東海道本線まで折り返しなしで行けるように
建設された区間である。同年には品川―田端間が複線化されている。
明治42年に烏森(現新橋)―品川―上野間と池袋―赤羽間の電車運転が開始された。従来、常磐線からはストレート
で山手線に行けていたが、田端に広大な田端操車場を設置、そこで貨物の仕訳をしてから山手線方面へ行くように変更した。
上野―東京間が開通していなかった頃は、電化していた中央本線の中野―東京間と東京―品川―池袋―田端―上野間
をつないだ「の」の字運転だった。そして大正14(1925)年3月に貨客分離のため複々線化、11月に神田―上野間が
開通して環状運転が開始された。運転間隔は12分を基準に、混雑時は6分ごとにしていた。
今のような閑散時4分ごと、朝ラッシュ時2分30秒ごとになるとは考えられもしなかった。
●意外と知られていない!? 横須賀線の正式区間
横須賀線は東京―久里浜間と案内されているし、一般にそう思われている。しかし、正式な区間は大船―久里浜間である。
横須賀線が開通してからずっと、東京―大船間は東海道本線の線路を横須賀線電車も走っていた。
これでは東海道本線も横須賀線も輸送力増強ができない。
そこで、横須賀線電車用の線路を新たに追加することにした。昭和55(1980)年10月に、東京―品川間は地下に別線を設置、
品川―鶴見間は東海道本線の支線の通称・品鶴線を横須賀線電車線に転用した。品鶴線の鶴見駅にはホームがないし、
この先は高島支線と羽沢支線(いずれも通称)に分かれていたので、手前の新鶴見信号場―大船間は貼付線増
(既存の線路に並行して線路を設置する方法)で複線を追加した。
ところが、湘南新宿ラインの運行開始で、同ラインの電車も走るようになり、さらに特急「成田エクスプレス」や
相鉄(相模鉄道)直通電車も走る。今や大船以北は横須賀線電車専用ではなくなった。 ●次は何と呼ぶ? 愛称が何度も変わる「京浜東北線」
「京浜東北線」も正式な路線名ではない。東京駅を境に南側は東海道本線の電車線、北側は東北本線の電車線であり、
両電車線は横浜―大宮間で直通運転をしていて、これに京浜東北線という愛称名を付けている。
この愛称は、定着するまでにいろいろと変えられていった。まずは大正3(1914)年12月に東海道本線東京―高島町(廃止)間
に電車運転を開始したときには「東京横浜間電車」の愛称が付けられた。東京―品川間の電車線には山手線電車が走っていたが、
品川以南では蒸気機関車牽引の客車列車しか走っていなかった。そこに頻繁運転(ここではあまり待たずに列車がやって来る
という意味)で駅を増やした電車専用線路を新設したことから「東京横浜間電車」と呼ぶようにしたのである。
ただし、運転開始初日に運転不能になる故障が多発して、翌年の5月まで線路や架線、電車の手直しを余儀なくされた。
その後、桜木町駅まで延長した。当時は桜木町以南の根岸線はなく、横浜―桜木町間は東海道本線に含まれていた。
東京―品川間は山手線電車と同じ線路を走っていた。当然、「東京横浜間電車」も上野への乗入れをすることになるが、
山手線電車との違いを明確にするために「東海道線電車」という呼称に改めた。そして田端まで延長運転をした後の
昭和3(1928)年2月に、東北本線の田端―赤羽間も電車線を増設して「東海道線電車」が乗り入れることになったが、
このとき呼称を「京浜線電車」に改めた。
東北本線の電車線だから、ほかに言い方もあっただろうが、当時を知る方から「赤羽京浜線電車」ということには
抵抗があったように聞いている。そうこうしているうちの昭和7(1932)年9月に大宮駅まで電車線が延び、このとき
「東北・京浜線」の呼称に変更し、この呼称が長らく使用されるようになる。
しかし、もとからこの電車が走っていた品川以南の鉄道員たちは、駅の案内放送などでは「京浜線」、呼称や案内板も
「京浜東北線」を使っていた。
昭和20(1945)年の日本国有鉄道発足時に「京浜・東北線」と変更したものの、やがて「・」が取れて「京浜東北線」
になった。しかし、昭和40年代後半になっても、東京以南の各駅では、まだ「京浜線」という案内放送も聞かれた。 昭和39(1964)年5月に桜木町―磯子間が開通したときには路線名を京浜東北線にするかと思いきや、京浜東北線は
正式路線名ではないということから、根岸線を正式路線名にし、横浜―桜木町間を根岸線に編入した。
京浜東北線と似た直通運転形態をしている三鷹―千葉間の各駅停車線は「中央総武線」とは書かない。
「中央・総武緩行線」あるいは「中央線・総武線各駅停車」としている。令和2(2020)年3月まで早朝深夜の時間帯
では総武線各駅停車は千葉―御茶ノ水間、中央線各駅停車は東京―高尾間の運転だったためである。3月14日から各停は
終日、千葉―三鷹間の運転になったことから、今後は「中央総武線」の呼び方に変わるかもしれない。
川島令三 駅出たら即ホテル街「山手線・鶯谷」20代会社員は住めるか?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200802-00028059-gonline-bus_all
8/2(日) 11:00配信
どこの街に住むかの選択は、仕事やプライベートに大きな影響を与える。
さらに家賃が家計支出の大きなウェイトを占めることを考えると、居住地は資産形成までも左右するといえる。
総合的に考えて住みやすい街はどこなのだろうか? 20代後半から30代前半の単身会社員の住み心地を考えていこう。
今回取り上げるのは、JR山手線、京浜東北線の「鶯谷」。
■改札を出たらホテル街…どうしてこんなことに?
「鶯谷」は東京都台東区に位置する、JR山手線と京浜東北線の駅です。
1日の乗車人は2.5万人ほど。2019年時点、山手線駅で一番利用客が少ない駅です。
駅があるのは台東区根岸ですが、なぜ「鶯谷」という駅名が付いたのでしょうか。江戸時代後期に作られた
『新編武蔵風土記稿』によると、元禄時代(1688〜1704年)、江戸のウグイスの鳴き声に不満をもった寛永寺
(現在は駅の西側に所在)の門主が、京都からウグイスを運ばせ放鳥したのが、「鶯谷」の名の由来とあります。
ウグイスの鳴き声は後天的に学習したもので、平安時代から「美声のウグイスを放鳥して、飼っているウグイス
に鳴き声を学ばせる」ということが行われていたそうです。
ただ鶯谷がどのあたりの地名だったのか、はっきりとはわかっていません。1829年の地誌書『御府内備考』
では「七面坂から南、御切手同心組屋敷の間の谷を鶯谷という」、『新編武蔵風土記稿』には「信濃岩村田藩
内藤氏抱屋敷の裏の坂を鶯谷という」とあります。これらの場所は「日暮里」駅や「西日暮里」駅に近い場所。
にもかかわらず、「鶯谷」と命名されたのは、謎のままです。
乗客が少ない背景には、山手線でも少数派である、他路線との接続がない駅であることが関係しています。
最寄とする台東区根岸や下谷、入谷あたりは、中高層住宅が少ないエリア、つまり人口密度が低く、
必然的に駅の利用客が少ないのです。 駅周辺は、江戸時代、寛永寺領であったため多数の寺院が残っています。また根岸は「下町の別荘地帯」といわれ、
古くから多くの文人に愛された街として知られています。明治から昭和初期にかけては、正岡子規をはじめとする文人が
多数住み、根岸党という文学人のサロンもありました。現在、正岡子規の住んだ家「子規庵」は、駅の北側、根岸2丁目にあります。
このように見ていくと、鶯谷は文化の薫りがする落ち着いた街、という印象を受けるでしょうが、多くの人が知っている
鶯谷は、「=ラブホテル街」ではないでしょうか。ほかの繁華街では、奥まったところにラブホテルはあり、街の印象には
影響を与えません。ところが鶯谷は駅を降りてすぐ到着という立地。鶯谷が良いイメージを持たれないのは、
そのような事情があるのでしょう。
鶯谷は「上野」駅に近い立地から、集団就職などで上京してきた人たちをターゲットにした、簡易宿泊所が多く立地。
しかし時代の流れの中で客が減少し、男女向けの休憩中心になっていき、いまのようなラブホテル街が形成されていきました。
■交通至便でほどほどの生活環境…単身者なら申し分なし
ラブホテル街の印象から、あまり良いイメージがない「鶯谷」駅。一般的な単身会社員の居住地としてはどうなのでしょうか。
見ていきましょう。まずは駅周辺の家賃水準。駅から徒歩10分圏内の1Kの平均家賃は8.63万円(図表1)。
同条件の東京都台東区の家賃水準は、駅10分圏内で8.76万円。「鶯谷」駅周辺の家賃相場は、台東区の平均とほぼ同水準です。
厚生労働省が発表している「賃金構造基本統計調査」によると、都内勤務の男性会社員の平均月給は、25〜29歳で27.5万円、
30〜34歳で34.1万円です(図表2)。企業規模によって平均給与は異なりますが、そこから住民税や所得税などを差し引いた
手取り額の1/3以内を適正家賃と考えると、都内勤務20代後半は6.9万円、都内勤務30代前半は8.5万円です。
「鶯谷」駅周辺の家賃相場は、30代会社員であれば検討できる水準です。大手検索ポータルサイトで、30代会社員の適正家賃内、
徒歩10分圏内を条件で検索すると、多くの単身者向けの物件がヒットします。 内訳を見ると、3割が築30年以上の築古物件である一方、3割が新築、または築5年以内の築浅物件で、
オートロックや浴室乾燥機など、今どきの賃貸ニーズに応えるもの。
山手線沿線の駅チカで築年数にこだわった物件選びができるのは、貴重です。
交通面はどうでしょうか。「上野」3分、「東京」11分、「品川」24分、「池袋」15分、「新宿」24分、「渋谷」31分
(所要時間は「鶯谷」を平日8時に出発した場合の目安)。山手線沿線の主要エリアは、30分前後で移動が可能。
他路線との接続がないので、乗換えは必須ですが、都心の主要エリアへのアクセスも、おおむね良好です。
買い物環境はどうでしょうか。駅東側を走る言問通り沿いに「業務スーパー」や「まいばすけっと」などのスーパーがあります。
また北口改札を出たところには、大手ドラッグストアチェーン店も。規模の大きな買い物スポットはありませんが、単身者の
1人暮らしであれば、困ることのない充実度。また「上野」駅には徒歩11分で、生活圏にできる距離です。
飲食店はどうでしょうか。駅前にはファストフードや牛丼店、定食店などがあるほか、言問通り沿いにはファミレスなど
飲食店も並んでいます。また鶯谷はラーメン激戦区としても知られ、遠方からファンも訪れるほど。さらに前述の通り
「上野」駅が徒歩圏内なので、外食派の人でも困ることはないでしょう。
山手線駅で最も利用客が少なく、またイメージも良くない「鶯谷」。ただ単身者の居住地として考えた場合、「上野」
からひと駅で、しかも生活圏内という至近距離。駅単体でもほどほどの買い物環境で、利便性に申し分はありません。
また数値的に治安も良く、住環境も悪くはありません。ホテル街にネガティブな印象を抱かなければ、十分、居住地
として魅力的な街ではないでしょうか。
GGO編集部 渋谷の宮下公園が「公立空中庭園『ミヤシタパーク』」に!「街・公園・商業施設の一体化」は新トレンドとなるか?
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200802-00225111-hbolz-soci
8/2(日) 8:34配信
渋谷区立宮下公園」が「街・公園・商業施設の一体化」をめざした「個性的な公立公園」としてリニューアル
を遂げ、いよいよ8月4日にグランドオープンを迎える。
渋谷駅の利用者ならば「宮下公園」の名前は聞いたことがあろうが、一方で「どの部分が公園だったか良く知らない」
「単に駐車場の上にあるちょっとした森のことだと思っていた」という人も多いのではないだろうか。
果たしてどういうかたちに生まれ変わったのか――実際に現地を訪れて「一体化」による個性を味わってみた。
■耐震化問題で閉鎖された「区立宮下公園」、高層化して「屋上公園」に
7月末、グランドオープンを前にした宮下公園に足を運ぶとそこあったのは――大きなショッピングセンターであった。
何を隠そう、リニューアルした渋谷区立宮下公園は、三井不動産の新商業施設
「三井ショッピングパーク レイヤードミヤシタパーク(RAYARD MIYASHITA PARK)」の4階部分にあるのだ。
このミヤシタパークは渋谷区が宮下公園を人が集まる場所にすることを目的として、官民協働事業(PPP)
の一環として渋谷区と三井不動産が共同で開発したもので、渋谷区初となる立体都市公園制度活用事例となった。
全国各地に「屋上庭園」は数多くあれども、公立公園が商業施設の屋上に設けられるのは極めて珍しい。
初代の宮下公園は戦前に都市計画公園として一部開園。開園当初は公園付近に旧皇族・梨本宮家の邸宅があり、
公園一帯が宮下町と呼ばれていたため、地名に合わせて公園名が命名された。
現在のミヤシタパークの前身・渋谷区立宮下公園は1953年に全面開園したもの。1966年には重層化され、
下層階は駐車場に、上層階は公園となった。2011年4月には渋谷区とネーミングライツ契約を締結した
ナイキ・ジャパンとの連携のもと複合施設「宮下ナイキパーク」としてフットサル場やクライミングウォール、
スケートパークなどを整備するリニューアルを実施。 ■館内ウォークは公園までの「街歩き」
「三井ショッピングパーク レイヤードミヤシタパーク」の建物のうち、南街区の商業棟は1〜4階(15,922平方メートル)、
北街区の商業棟は1〜3階(10,649平方メートル)。かつての宮下公園の敷地全体を活用しており、敷地面積は
約10,740平方メートル、延床面積は約46,000平方メートル、全長は約330メートルにも及ぶ。
また、北街区の北側4〜18階は三井不動産ホテルマネジメントの次世代型新ホテルブランド1号店
「シークエンス ミヤシタパーク」(240室)となるほか、建物の地下には駐車場が設けられている。
商業施設部分は北街区の下層階には「GUCCI」「COACH」などのラグジュアリーブランドが多く並ぶ一方、
南街区の1階には「渋谷横丁」と銘打った屋台街を思わせる街区が登場、盛岡冷麺やハントンライス、宇都宮餃子、
長浜ラーメンなどの郷土料理を気軽に楽しむことができる。このギャップが面白い。
さらに目を惹くのが、建物の規模に対してかなり多く設置されている「階段」や「エスカレーター」の多さ。
「階段」「エレベーター」「エスカレーター」はそれぞれ各4ヶ所に設けられており、館内を歩いていると
自然に上層階――そして商業施設の「メインコンテンツ」である屋上公園へと足を運びやすい構造になっている。
館内を巡ると、体験型のキットカットショップ「キットカットショコラトリー」(南館2階)、天狼院書店による
BOOK&CAFE「天狼院カフェSHIBUYA」(南館3階)、多国籍料理が味わえる「フードホール」(南館3階)、渋谷初
となる都市型ワイナリー「渋谷ワイナリー」(北館3階)など、食を中心に様々な業態の店舗が設けられており、
大人から子供・地元民から観光客まで幅広いターゲットを想定していることが分かる。そこまで広くない面積、
それも「細長い2館体制」という難しいかたちでこれだけのコンテンツを詰め込んだのは、流石は「三井不動産」
の手腕だと思わされる。館内をぶらぶら歩きつつ、近くにある階段やエスカレーターで上へとのぼっていけば、
いよいよ4階、「渋谷区立宮下公園」に到達だ。
■いよいよ地上4階の空中庭園へ!
装いも新たになった「渋谷区立宮下公園」は建物の4階部分にあたり、営業時間は8:00〜23:00。
公園面積は約1万平方メートルにも及ぶ。 以前の鬱蒼とした樹木が生い茂る宮下公園とは打って変わって、開放的な芝生広場には多くのベンチが並ぶ。
この芝生広場の広さは約1000平方メートルで、イベントの開催にも対応している。
広場の周囲には「ボルタリングウォール」、「スケート場」、「多目的コート」などのスポーツ施設が設けられている。
これらのスポーツ施設の利用は9:00〜22:00(受付は21:30まで)で、ボルタリング場とスケート場の利用料金は
2時間1000円(小中学生480円)、渋谷区民は半額。ボルタリングなどは専門スタッフによって指導して貰うこともできる。
また、公園内にはスターバックスコーヒーが出店。渋谷駅チカに勤務している人は、行き交う電車を眺めながら
スタバ片手に芝生広場でお弁当を広げるのもいいし、時間があればボルタリングで食後の運動…ということも可能だ。
公園内を見渡すと、フルフラットとなっており「重層化」していながらバリアフリーに配慮されていることがわかる。
なお、広場内にテントなど立体物の構築をおこなうことは禁止されているため、くれぐれも「ここをキャンプ地としよう」
などとは思わないように。園内には渋谷のシンボルである「ハチ公」をモチーフとしたオブジェなども設けられており
「映える写真」の撮影もできそうだ。
■「街・公園・商業施設の一体化」が新トレンドに?
さて、戦前に開設された当初の宮下公園は「渋谷」という「街の中にある公園」であった。
しかし、近年の宮下公園は、下層階の殆どが駐車場となっていたため「街と分断された公園」になっており、
フットサルなどの利用者以外にとっては馴染みが薄い存在となっていた。
今回の「さらなる重層化」により「街と分断された公園」はさらに街と分断されるかと思われたが、それは杞憂であった。
先述したとおり、商業施設「レイヤードミヤシタパーク」の館内には比較的多くのテラスや階段が設けられていることが特徴だ。
さらに、1階に設けられた「横丁」の雰囲気も相まって、ぶらりと「館内を街歩きの感覚でめぐり、近くにあるエスカレーター
や階段を上っていくと公園に到達できる」仕組みとなっていた。
この仕組み、どこかで最近見かけたような……と考える間も無く、公園から周囲を見渡して気付いた。
それはすぐ近くにある「渋谷パルコ」だ。 建替えにより昨年11月に新装開業した「渋谷パルコ」にはスペイン坂から屋上庭園まで続く大規模な「立体街路」
が設けられていることが特徴で、上層階からも立体通路のテラスに出てぶらぶら歩いていると(エスカレーター併設)
屋上庭園に辿りつく、という構造になっている。ハコ型の商業施設でわざわざテラスに出るなんて…と思うかも
知れないが、渋谷パルコのテラスではミニライブやDJイベントなど様々なイベントが開かれていることもあり、
訪問時には立体通路を行き交う客もいたほか、テラスや屋上は夜景を見て楽しむ人たちで賑わっていた。
かつて、全国各地の大型商業施設の多くが屋上遊園地や屋上庭園に力を入れており、これらは「市民の憩いの場」
として親しまれていた。東京都心の百貨店などでは現在も「屋上庭園」として存続している例が比較的みられるが、
全国的に見ると防災面の問題などもあって屋上に出られる商業施設は数が減っている。
しかし、新装なった宮下公園や渋谷パルコ以外にも、今年4月にはユニクロが横浜市に屋上公園と一体化した店舗
「ユニクロパーク横浜ベイサイド」を開業させるなど、近年は「屋上の整備に力を入れる」どころか
「街・公園・商業施設の一体化をおこない、公園自体を建物のアイデンティティとする」商業施設が増えてきている。
一般的に大型商業施設は街に対して「内向き」になりがちであるが、今後は「街・公園・商業施設の一体化」をめざした
「個性的な屋上」を持った商業施設が増えていくことになるかも知れない。もちろん、そのためには
「人類が新型コロナウイルスに打ち勝ち、再び公園でくつろげる時代が来ること」が必須となるのだが――。
<取材・文・撮影/若杉優貴 ウラカシ(都市商業研究所)>
【都市商業研究所】
若手研究者で作る「商業」と「まちづくり」の研究団体『都市商業研究所』。Webサイト「都商研ニュース」では、
研究員の独自取材や各社のプレスリリースなどを基に、商業とまちづくりに興味がある人に対して「都市」と「商業」
の動きを分かりやすく解説している。Twitterアカウントは「@toshouken」
ハーバー・ビジネス・オンライン 富士通が2020年度の経営方針を説明“パーパス”実現のために4つの取り組みを実施
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200731-00000010-impress-sci
7/31(金) 0:02配信
富士通株式会社は30日、2020年度の経営方針について説明した。
同社の時田髏m社長は、「ニューノーマルの時代において、レジリエントな社会づくりに貢献したい。
これまでの習慣や常識とは非連続の新たな生活様式や考え方が生まれるなかで、富士通は社会や
お客さまのあるべき姿を新しい視点でとらえ、テクノロジーで形にすることで、柔軟で、力強い
社会づくりに貢献したい」などと述べた。
また中期目標として掲げている、テクノロジーソリューションの2022年度の売上収益3兆5000億円、
営業利益率10%の計画を維持する一方、非財務指標として、人権・多様性、ウェルビーイング、環境、
コンプライアンス、サプライチェーン、安全衛生、コミュニティの7つの課題bノついて、NPS
(Net Promoter Score)を用いて評価する仕組みを導入する準備を進めていることを明らかにした。
ここでは、組織やカルチャーの変革の進捗を、経済産業省が推進するDX推進指標を用いて、客観的に
測定する考えも示している。
「財務・非財務両面の経営目標を設定することで、長期的で、安定した貢献を行い、その結果、富士通
の成長につながるポジティブなループを描きたい」と述べた。
さらに今回の会見で、時田社長は、「For Growth」と「For Stability」という、事業領域を分類する名称を新たに示した。
「新型コロナウイルスの影響があり、2020年度のIT支出は減少すると見られているが、その後は緩やかに
回復すると予想している。そうしたなかでも、DXやモダナイゼーション、クラウドといったデジタル分野は、
従来のSIビジネスやオンプレミス、システム保守といった従来型ITよりも、成長すると想定され、富士通
として注力する分野になる」とする。
続けて、「DXやモダナイゼーションといったデジタル領域を、お客さまの事業の変革と成長に貢献する
事業領域として、For Growthを定める一方、システム保守や運用、プロダクト提供といった従来型IT領域を、
IT基盤の安定への貢献と、品質向上に取り組む領域としてFor Stabilityとし、富士通は、この2つの事業領域で展開する。 For Growthでは、規模の拡大と収益規制の両方を伸ばし、For Stabilityは効率性を上げ、
利益率を高める。この2つの事業領域でお客さまや社会への価値提供を最大化したい」と述べた。
For Growth領域では、2022年度に売上収益で1兆3000億円を目指し、テクノロジーソリューション
のうち、37%を占める計画だ。
一方、時田社長は、「ニューノーマル時代に求められる富士通の役割は、テクノロジーを用いて、安心、
安全で、利便性の高い社会づくりに貢献していくことである」と主張。
「そのために富士通自身がリファレンスとなるべく、テレワークやウェブ会議などのテクノロジーの活用
を率先して行うのに加えて、Work Life Shiftのように、新たな生活様式に適した人事制度や、オフィス、
ビジネスの在り方まで見直す取り組みを進めている。すでに、ソフトウェア開発業務においては、協力会社
を含めて、5000人規模でのリモート開発にシフトした。お客さまととともに、新たなビジネスの在り方を
構想し、その実現に取り組むReimagine(リイマジン)キャンペーンを開始している。ここでは、働き方、
ものづくり、医療といった分野で新たな時代に最適な価値を提供したい。富士通はDX企業としてデジタル社会
の実現を目指しており、その視点と、これまで多様な業種での実績を生かして、大きな役割を果たせる」と述べた。
2020年5月に発表した「パーパス(存在意義)」についてもあらためて言及。「イノベーションによって社会に信頼
をもたらし、世界をより持続可能にしていくというパーパスに基づいて、富士通は、すべての活動を行っていく」
としながら、富士通グループ全社員の原理原則である「Fujitsu Way」を、12年ぶりに刷新したことにも触れた。
「新たなFujitsu Wayは、社員全員がパーパス実現に向けて、自律的に意思を決定し、行動していくためのより
どころである。Fujitsu Wayは、パーパス、大切にする価値観、行動規範で構成している。富士通グループは、
すべての行動をFujitsu Wayに照らし合わせて判断し、パーパスの実現に取り組むことになる」。 今回の説明では、パーパス実現のために取り組む課題として、「価値創造」の観点から
「グローバルビジネス戦略の再構築」、「日本国内での課題解決力強化」、「お客さま事業の一層の安定化に貢献」、
「お客さまのDXベストパートナーへ」という4つの取り組みに触れたほか、「自らの変革」の観点から、
「データドリブン経営強化」、「DX人材への進化・生産性の向上」、「全員参加型、エコシステム型のDX推進」
の3点を説明した。
「グローバルビジネス戦略の再構築」では、日本を含む6リージョン体制に再編。「グローバルで戦略を着実に
実行する体制を整えた。グローバルで共通のポートフォリオ、アカウントプラン、オファリングを実現し、
リージョンごとに最適化したサービスを提供する。これらを支えるテクノロジーについては、重点領域に
リソースを集中して、富士通ならではの強みの確立に取り組む」とした。
このほか、5Gビジネスにおいて海外展開を進めていることや、ポスト5Gの技術研究に取り組んでいること、
富岳のテクノロジーを、HPEを通じて、グローバルに広く展開している例なども示した。
「日本国内での課題解決力強化」では、日本市場に根ざしたビジネスを強化するために、富士通Japanを、
2020年10月1日に発足することに触れた。
「富士通Japanは、日本特有の要素が大きい自治体や文教、ヘルスケア、中堅民需市場のビジネスを担う。
日本は人口減少や少子高齢化など、世界のなかでも課題先進国であるほか、新型コロナウイルスの感染拡大
でも、日本固有の課題が浮き彫りになった。富士通Japanはデジタル技術を活用して社会課題の解決に取り組む
ほか、豊富な業界、業務ノウハウを生かしたビジネス起点での提案を行い、クラウドファーストへのシフトも進める。
また、国内グループ会社の最適化も進めるきっかけとなる。富士通フロンテック株式の公開買い付けを行うこと
を発表したが、同社が持つ金融、流通向けソリューションや、手のひら静脈認証などについても、富士通グループ
として一体化を図る」とした。 なお時田社長は、「富士通Japanは、もともと7月1日に設立する予定であったが、その後に、国内グループ会社
の最適化を行うプロセスを想定していた。新型コロナウイルスの影響で10月1日の発足へと時期を変更したが、
グループ会社の最適化の一部をこのタイミングで同時に行うことになったともいえる」とコメント。
「今後は、富士通本体がグローバルに展開するソリューション開発をメインに行う体制になり、製造、流通、
金融向けソリューションを残して、グローバルにポートフォリオを作る役割を担う。一方で、日本を含む
6リージョン体制によって、各リージョンでのデリバリーやローカライズを、マネジメントの目線であわせた。
富士通Japanはジャパンリージョンのなかで展開することになる。日本は、新型コロナウイルスでも日本固有
の課題がある。特に、行政、医療、文教などは日本固有の習慣などがあり、本体と分けて身近な環境で対応
していくことになる。国内に“ミニ富士通”がたくさんあるという課題も解決できる」とした。
「お客さま事業の一層の安定化に貢献」としては、ジャパン・グローバルゲートウェイの取り組みについて触れた。
ジャパン・グローバルゲートウェイは、グローバル標準で開発を行う、世界8カ国のグローバルデリバリーセンター
を活用するための日本の組織で、「現場とグローバルデリバリーセンターをつなげ、リモートでの対応や標準化
を一層進めることで、お客さまへのサービス提供のスピードと品質向上につなげられる」とした。
「お客さまのDXベストパートナーへ」では、DXパートナーとしての人員強化を挙げた。デザインを重要な
経営資源と位置づけ、あらゆる事業活動にデザインシンキングを取り入れるための組織としてデザインセンター
を、また、Society 5.0の実現に向けた組織としてソーシャルデザイン本部を、それぞれ7月1日に新設。
「ヘルスケアや教育、ファイナンスなどのテーマに沿って、社会や生活者の視点で新規事業を創出し、
次の時代の社会に貢献することになる」と位置づけた。 ここでは、デジタル通貨やポイントなどの相互変換による取引・決済を行うための、トークンエコノミー
プラットフォームを提供する取り組みを開始したこと、データ解析のPalantirへの出資し、すでに富士通社内
でこれを活用していること、4月に設立したDX具体化のための新会社Ridgelinezの活動が本格化し、共創活動
が開始されていることにも触れた。
さらに、「自らの変革」に含まれる「データドリブン経営強化」では、データに基づいたスピーディーな
経営判断を行うことができるように、プロセスやシステムの刷新も進めていることを紹介。「今後、見るべき
指標を決定し、全社で同じデータを参照できる仕組みを整備していく。財務/経理、購買、ロジスティクス
などが先行してグローバルでの統合を図っており、すでにOne ERPプロジェクトを始動している」とした。
「DX人材への進化・生産性の向上」では、社員13万人がDX人材となることを目指し、デザイン思考やア
ジャイルマインドの教育を進めていることを紹介し、「多様性を重んじた風土への転換を図るとともに、制度面
でもジョブ型人事制度を開始して、これを国内1万5000人まで拡大した。高度人材の積極的な登用も進める」と述べた。
また「全員参加型、エコシステム型のDX推進」では、CDXO(Chief Digital Transformation Officer)である
時田社長と、SAPジャパンの前社長から富士通入りした福田譲執行役員常務に加えて、社内15部門にDX Officerを配置。
「CDXO直下の専任チームとともに、横ぐしの体制で推進する全社プロジェクトを7月1日からスタートした。
富士通自身のDXを一層加速させる」と述べた。
富士通では、こうした「価値創造のための投資」と「自らの変革のための投資」として、今後5年間で
5000〜6000億円の投資を行う考えも示した。「サービス、オファリングの開発投資のほか、M&Aや有力パートナー
とのアライアンス、ベンチャー企業といった外部への投資、将来を見据えた戦略的なDXビジネスへの投資を行う。
また、高度人材の獲得や社内人材の強化、システム強化のための投資も実行する」という。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています