0169愛と死の名無しさん
2019/04/28(日) 21:46:33.84ID:q2nCqFSX――スポーツは何かしていましたか。
小学校では陸上やミニバスケット、中学では剣道。ただ、改めてスポーツをしなくても、
毎朝、家から学校までダッシュして、チャイムが鳴り終わるまでに、教室がある4階まで
階段を上りきるという毎日でした。今も週2回、子どもを送った後、4〜5キロ走っています。
落ち着きがないので、筋トレみたいにその場から動かない運動は苦痛ですが、走るのは全然、苦痛ではないです。
遺伝なのか、うちの子も落ち着きがないです。1歳で歩けるようになったころ、
街中でベビーカーのベルトを外して脱走したので、追いかけようとして、
私がベビーカーに引っかかって転倒しました。以来、ベビーカーはやめました。
自分もそうなので、気持ちはよくわかります。
「そうだよね、いやだよね、座っているのは」って。
●つぶれない会社に入って無難に生きたかったが……
――上京してすぐスカウトされましたが、タレント志望ではなかった?
想像もしていませんでした。将来は、つぶれない会社に入って無難に生きていけばいい
と思っていました。芸能界に入ってもう20年ですが、そんなに長くは絶対に食って
いけないから、大学卒業後は就職するつもりでした。でも、当時はすごい就職氷河期で……。
――今は、この道を選んで良かったと思いますか。
結果的には、そうですね。自分からアクションを起こすというより、結構ハードなところに
身を置いて頑張るという働き方が合っていました。次から次へ仕事をむちゃ振りされて、
「ゴロでもいいから打つ」という感じで打席に立ってきました(笑)。