>>219
そう思うなら金払わなきゃ良いだけ。
@「葬儀費用」を高くしているのは、遺族自身に起因するのです。葬儀社のランク付けの祭壇、僧侶の数、香典返し、満中陰返し、目を見張るご馳走・・・。全ては、遺族の見栄と世間体とによって、遺族が希望した結果なのです。
A「戒名料」などというものは、本来仏教にはないのです。何某かの感謝の意味を含めて寄進(布施)されていく種類のものです。
読経料などと書いては、それこそ商売。値札が付いていないと納得しないと、こだわっているのは、遺族なのです。
B戒名の字数が多いとか少ないとかにこだわっているのも、遺族そのものです。いくら長い戒名?でも、戒名と言う部分はわずかに漢字二文字なのです。あとは誉号・位号などと言われる部分なのです。
Cそもそも「戒名」とは「仏の弟子になって、仏教の戒律を守った生活を送っていく」という人に授けられる仏弟子の名前なのです。
死んでから授けられても本当は意味のないものですね。戒名とは、あの世へ行くための改名ではないのです。
D「人は死んだら仏になる」とは限りませんね。そんなに甘く考えないで下さい。「諸仏の仲間になる」とは聞きますが、完全無比なる存在である「仏」になれるなんて、傲慢にもほどが過ぎませんか?
Eだいたい、このような事をおっしゃる方は、生前に寺へは参ったこともなく、仏事に参加したこともなく、真摯に仏教に向かったということもないと推測出来ます。
(私の実体験から) キリスト教では毎週家族で教会へ行き、ミサに参加し、そして多少の寄付を続けていきます。収入の2割は宗教へ使うといわれています。
F「僧侶は亡き人を冥途に導く責務がある」 びっくり仰天しますね。そんな魔力は持ち合わせていません。冥途へ導かれる「因」は、「亡き人の生きざま」なのです。
責任転嫁もいい加減にしてください。因みに「冥途」とは「暗闇の世界」ということです。そんなへ行きたいのですか? 遺族や僧侶が祈念したって、成仏できるとお思いですか?
G「僧職を天職とすべきです」 えっ?。なんとあなたのご都合論ですねぇ。天職としているなら、それを支えてあげるのはあなたの努めではないですか?