【解剖】献体について語るスレ【医大】
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今回の事件は献体に回る可能性あるのかな
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念のためにのせておきます
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ILNG1 親族と絶縁してたら保証人誰がなるの?
資料は取り寄せたけど保証人いないから困ってる >>170
別にMetal好きだから全然
構わないし、屍に敬意も糞も
あるかい。
CarcassかBody countを
かけて切り刻んで欲しいわw 手術して頂いて、病状を少しでも良くして頂いた医療関係者の方々に、感謝と敬意を表して献体登録したいと思っている >>180
なんの手術か知らんけど、ちゃんと臓器揃ってるか?
五体満足じゃないといらないって言われる可能性あるよ。
そりゃ実習で初めて内蔵見て勉強するんだから、
胃が半分とかないとかじゃ使えないよな。 献体関連の仕事してる俺がきましたよ、こんなスレあったんだな
過疎ってるしアレだが、ざっとスレ見た感じの疑問を解決できる事を書いておこうと思う
まずは献体して下さった方には常に感謝の気持ちがあります。これは建前でも何でもなくガチのやつ。
献体数の過不足は大学によって全然違うから、希望者はとりあえず近隣の医科歯科大に相談するべし。大代表に「献体の件で」と言って通じるかは不明だが、担当者にさえ繋がれば無碍にされることはないはず。
もしくは解剖学会事務局に電話したら紹介してくれるかも知れないが、近隣の大学と白菊会教えてくれる程度だと思うから、あんまり意味はないかも。
登録や実際の献体に際して一番ネックになるのは感染症。肝炎や性行為感染症の類が特に危ない。
それ以外は多少臓器足りなくても大丈夫な大学が多いだろうが、献体が足りている大学ほど条件が厳しい傾向にあるはず。
その辺も含めてとにかく電話して相談すべし、条件は似通ってるけどバラバラと考えてくれ。
後から揉めるのを極端に嫌がるから、同意者がいないと登録できないところが多い。ゴリ押しで相談すればなんとかしてくれる可能性はないでもない。
葬式は自由にしてくれてオーケー、その後お預かりに行く。ただし葬儀費用はご遺族の負担だ。
解剖実習は時期も使うご遺体の数も決まってるから、お骨返すまではどうやっても時間がかかる。すまんな。 あと勘違いしてる人もいるから、解剖に関してちょっと説明だけしておく。
解剖は大きく分けて行政(法医)解剖、病理解剖、系統解剖がある。
行政→事件や不明死の解明(要は死因が分からないまま死体が見つかった時)
病理→病院で病死した際に、病気の原因や治療の効果などを解明する為。通常は臓器を取り出し、必要な部分だけを保存してすぐに縫合、遺族にご遺体をお返し。
系統→医学・歯学で一般的な体の構造を勉強するための解剖。教員指導の下、学生が解剖する。
俺は系統解剖の関係者だから、行政と病理は詳しくないが概要はこれで間違ってないはず。
一般的に献体と言うと系統解剖。 関係者の方来てるので質問です。側わん症で手術してチタン入れるかもしれないですが献体出来ますか?また側わん症の研究に献体で役立てますか? それはそういう研究が盛んな所に自ら電話をして聞くべき。
いわゆる医学部用の検体とは用途は別なんだろうし。
たくさんの症例を解剖する意義があるかどうかだろう。
肉が就いている状態をたくさんほしいか。
といっても似たり寄ったりの性別年齢ばっかりじゃ
お腹いっぱいだろうし。 コロナで死んだら献体登録済んでいる人もダメだろうね。 最近まで医学生だった者だけど授業の中で解剖実習が1番為になった
医師を目指す者としての自覚を促す神聖な儀式という感じだった
献体される/された方には感謝申し上げたい 献体もコロナチェックで大変なのかな
コロナで死んだ人は登録済みでもダメなんだろうし。 サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん 2時間SP 親族2人の献体に付き合ったので経過を書いておく
連絡すると死亡したホームに引き取りに来る、すぐ来る
通夜、告別式はやらなかった
約2年後に合同慰霊祭に招待される
その後、遺骨入骨壷を引き取る(宅配便可)
うちは墓地に納骨した 体が動かないだけで意識があるかもしれないからお断りだな。
本当に意識がないという保証は? 熱々のカキフライを乳首の上に乗せる仕事始めたら母親が泣いた これって囚人の義務でしょ?
献体して誰かの役に立ってあげるのって
死刑囚だろうけどね 献体ってさ、本人が希望するなら良いことだと思うけどさ
単に葬儀の省略や供養の費用をけちるために、本人に何も言わず、
子や親族が本人に隠れて登録するのがほとんどなんじゃあないだろうか?
書類へのサインや認め印なんて何の確認にもなっていない
きちんと本人の意思を確認してる大学があるのだろうか?
本人の意思確認を電話でするとか手紙を出すとかで確認すべきだと思う 墓を荒らし死体を漁る泥棒たち、19世紀英国で横行した死体売買、奇形はより高値に
横行する死体の盗掘
当時の法律では、死体は「財産」と見なされなかったため、墓泥棒は軽犯罪でしかなく、
罰金か6カ月以内の懲役しか科されることはなかった。しかし、死体を包む布、棺の取っ手、
死者の衣服など、ほかの埋葬物を持ち去れば、長期間の実刑を受けるリスクもあった。
そのため、裸にした死体をカゴや箱に入れ、馬車に積んで運ぶという方法が主流だった。
死体盗掘者が愛用する道具は4つ。木製のシャベル(金属製よりも静か)、
ランタン、金属製の大型フック、そしてロープだ。まず棺が姿を現すまで掘り進め、
棺の蓋にフックを引っかけて開け、中の死体にロープを結んで引っ張り出す。
上半身の力がかなり強くなければできない作業だ。“一流”の死体盗掘者は、
一晩に6体もの死体を掘り出し、それらを引っ張り上げて墓地の壁を超えた。
ただし、罰則は軽くても、世間からは白い目で見られる行為なので、
極秘裏に行うことが絶対条件だった。死体泥棒が最も横行していた
1820年代後半には、専業の死体盗掘者が独占的に作業を行っていた。
「彼らは、パートタイマーや日雇い労働者が参入してきて、価格を押し下げたり、
軽率な行動を取ったりすることを望みませんでした」と歴史学者のサラ・ワイズ氏は話す。
「実際その通りでした。新参者によって、この商売は台なしになったのです」 死体泥棒が高じて連続殺人事件に
1827年に起きた出来事が、まさにその例だった。アイルランドからの移民で、
エディンバラでそれぞれ妻と暮らしていたウィリアム・バークとウィリアム・ヘアは、
死体の販売に手を染めるようになった。2人とも労働者で、ヘアの妻は下宿を営んでいた。
ある日、その入居人の一人であり、家賃を滞納していた年金受給者が突然死亡した。
死体を引き取る家族がいなかったので、バークとヘアはこの死体をロバート・ノックスに売ることにした。
ノックスは市内で一流の解剖学者であり英エディンバラ王立外科大学の特別研究員で、
学生が1人につき1体、解剖用の死体を確実に使える「パリ式」の教育を行うことを宣言していた。
ノックスから7ポンド10シリング(1ポンドは20シリング)を受け取って味を占めたバークとヘアは、
死体を手に入れるためにより直接的な手段をとった。それは、無防備な他人を殺害することだった。
2人は10カ月の間に16人を殺害し、死体をノックスに売った。やがて2人は逮捕されたが、
ヘアはバークに不利な証言をすることと引き換えに、訴追を免除された。
バークは有罪となり、1829年1月に絞首刑が執行されたあと、死体は公開解剖され、
骨格はエディンバラ医学校解剖学博物館に展示された。 ノックスがこの犯罪についてどれほど知っていたかはわからない。
しかし、評判が悪化したため、彼はエディンバラを出てロンドンに移らざるをえなくなった。
その3年後にも、「ロンドン・バーカーズ」と呼ばれるグループが、ラム酒と、
アヘンが主成分の薬を使って人を動けなくしてから殺害し、死体を売るという事件が起きた。
このグループのジョン・ビショップとトーマス・ウィリアムスは、
不自然に新鮮な14歳の少年の死体をキングス・カレッジの解剖学部に売ろうとして逮捕された。
取り調べの結果、2人は「イタリア人少年」の殺害を自供。カルロ・フェラーリという少年だった。
ビショップとウィリアムスは1831年12月に絞首刑となったが、
この犯罪によって議会は法律を変えざるをえなくなった。
1832年の解剖法によって、引き取り手のない貧困者の死体を合法的に解剖できるようになり、
死体盗掘者の取引は激減した。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています