物に執着心がない人集合
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執着してることにも執着しないとか
禅とか般若心経の世界だな 広告やCMに毒されて
物が多い=豊かという思考に染まるから執着が生まれる
一種、買い物依存症
購入したものすべてを十分に活用できているだろうか
ほとんどが持っていることに満足してそのままでは? 嫁ぎ先の一家全員が物に執着心が全くない。
高価な物でも人にあげまくるし、すぐに何でも捨てる・・・
また買えばいいじゃないが口癖。
桁外れの大金持ちだからなんだろうけど、
普通の家庭に育った私は全く理解できない。 >>206
すぐ捨てられて次の新しい嫁を買いそうだなw 最近物品より旅行や観劇などの消えるものにお金を使うようになった。
物は必要な時必要な分だけ買えばいいが、舞台や旅行なんかははもう
見られない、いつ行けるのだろうかと思うと行きたくなってしまう。
もともと写真嫌いで結婚式の写真も銀婚式あたりで「捨てるよ!」と全処分
(ちなみに今でも普通に結婚生活しています)
旅先では絵ハガキを買うくらいだけど、旅行資料や土産物のラベルなどごっそり処分した。
観劇のパンフレットもね。
とうとう私の思い出も、頼りない記憶だけが頼りになったわ。
旅行にカメラはもってかなくなった。うまく撮るのに夢中でゆっくり観賞できなくて
なんとなく感動や思い出が薄くなる。たくさん保存しても見返すことがあんまりない。
記憶に残るぼやけた感じで十分。忘れたらまた行けばいいし
ネットに似たような写真いくらでもある。同行者から記念の1,2枚をもらうことはある がらんとした生活感のないモデルルームみたいな部屋にあこがれるけど
引っ越すたびに物を捨ててるのに全然なんない >>213
わかるわかる。
極力物を置かないようにしてるんだけで、なぜか生活感が出てしまうよね。
遊びに来る友達は、生活感なさすぎて落ち着かないそうですが… >>210
私も写真嫌い。
どうしても写真映りのいいポーズとか表情してしまう自意識過剰が気になるから。
観光地の景色なら絵ハガキの方がいいからそっちを買う。
実家の片付けしてたら10年前に親宛に送ったのが出てきて懐かしかった。
ここの人は社交的でアウトドア派で、まめなイメージ
物がないぶん人付き合いが上手そう 今、身の回りにあるものを大切にすることは大事だけれど、
死んだら物はあの世に持っていけない。
持っていけるのは心の中だけだね。
だから執着しないほうがいいよ。適度にこだわる程度でいい。 家族や身近な人を亡くすと、物はただの物でしかないって実感する。
本人が執着してた物も、他人が見ればただのゴミだったりするから悲しい。
執着心があるってことは、幸せなのかもと思うようになった。
大事な人を亡くした今となっては、物への執着はむなしいだけなんだ。 執着
愛着
思い入れ
こだわり
etc.
これ以外にも様々な表現があって、どれも「物や人への思い」を表すのだけれど、人によって質が大きく違うからねぇ
難しす ある一点が気になると、途端にそのすべてが煩わしくなって
もーどうでもいいや!と衝動的にどさっと捨てることがある
物への執着は
人間への執着に似ている 似ているも何も、同じ執着なんだから似ていて当然じゃね?
とおもったけど、よく考えたら違った気がした。
物への執着は完全な自分のエゴであることが多いけど、
人への執着は、自分のエゴであるにもかかわらず「あなたのためだから」なんて表現に形を変えて
知らず知らずのうちに自分も相手も縛り付けてしまっている場合が多い気がする。
それに加えて
物の場合、「人→物」の一方通行の執着
人の場合、「人⇔人」の双方向の執着(共依存)
なんて図式も描けるような気がするから、
「ものへの執着」と「人への執着」は似て非なるものなんだろうな。 綺麗部屋ばかりじゃないんだよね?物に執着ないならすっからかんでも平気そうだから、綺麗そうなのにな 大事にし過ぎると壊れていきそうで
かけがえない物を作るのが怖かった 物の執着しなくなったら人にも執着、興味が無くなった。
つか色んなものが無意味に思えるようになった。
旅立ちの時か… 随分、保守されてるな
物には執着がなくてもスレには執着があるようだ はーい私執着ありません
物に執着ない私です
ないんです本当に
ねっないでしょ
って感じだね 衣服なんかは興味がないから買わないし買うのがとても苦痛
あまりにもボロで安物、且つ数を持ってないので外出すると恥ずかしい思いをすることが時々ある
妹が見かねて旦那のお古をくれたりするが、それが一番ましなやつかな
お金が無いわけではないが、身を飾るものを選択するのは大の苦手だ
数年に1回、意を決して買いに出ると何を選んでいいかわからなくなる
考えすぎて失敗するw
無難に買えるのは礼服くらいだ
他のもの(車や家電製品、その他色々)についてもいえるが、
あれこれ考えすぎて失敗していると思われ
買い物の才能ゼロだ >>242一緒だ。
接客業で多少身なりも整えないといけないのだけど、あまりにも欲がなくて一年中似たような格好になってしまう。
長持ちしてるからいいけれど、若い子で流行りの服を追ってる子がいるとどうしても出勤時にファッションチェックをされてるようで恥ずかしくなってしまう。 読書とかもしないタイプが多いのかな
食べ物にも執着無い?
自分は食べ物全く執着しないんだけど あーそこら辺は自炊するから、自己管理考える面で「〜作りたい」とかはあるけど
食べようと思ってたものを食べられたりとか、お弁当のおかずの主菜っぽいものやケーキの苺やなんかの飾り等をあげることをなんとも思わずに生きてきた
物に対しても「〜欲しい」っていうのが希薄だから他の人と同じで服も破けるまでそのままだったり、メガネもぼろぼろになってやっと買い換えないと行けないことに気づく
本はかなり読む方なんだけど、読みたいから読むんじゃなくて話題だから読んでおこうとかいう世間話用でしかなかったり、
一度読んだらもう読まないから買うのがもったいなくなってきた
でも、片付けるとイコールじゃないんだよね(同じような人何人か居るみたいだけど)
綺麗な部屋にしていたいっていう執着がない
捨てたいって執着もない
適当にダンボールに積み上げて行って、たまって困ったら一気に捨てる繰り返し
「物がない」って趣味も持たなくなっていくし、趣味も興味もなければ他人と接する時に問題あるし
この「どうでもよさ」ってゴミ部屋作る人の心と紙一重なんじゃないかと最近不安
ああ、性欲もないや 食べ物はこだわったらそれなりにこだわれるんだけど
別にこだわらないならこだわらなくてもいい。
割となんでも食えるし
どっちでもいい。 >>244
読書はする。しかし、買っても何の疑問も無くバラバラに裁断してデジタル化してから読む
食べ物はまず第一にコスト、それに反しない限り栄養
ただし、ネット代、月1480円以上と比較して、この本の情報には価値があるか?
蛋白質100gあたりのこの食品の値段は妥当か?もっと最安値を模索できないか?というようにドケチ道を極める事には異様な執着がある。 >>246
あれ欲しい〜がほんとないね〜。特に物は。
絶食したら意欲がわくって聞いたので
1日絶食やるつもりで試したけど
1食抜いたら強烈に食べたいものが沸いてきたw 家は雨風をしのいで飯食って寝れたらそれだけで満足
家のためにローンを組んで一生を費やすとか馬鹿げている 二十代までは物欲に溢れていた。
三十代の今はいつ死んでもいい位、物を増やしたく無くなった。 執着ないけど
通販番組はよく見る、ジャパネットとか
美の壺もよく見る
建もの探訪
脱衣所にトイレがある「アホ家w」見るのがオモロイ お客さんにトイレ貸す時、脱衣所見られるの?
娘が風呂に入ってたらトイレ行けないよ?
そんな家オラいやだ〜w リサイクルショップにいろいろ持っていったよ。
これからは無駄遣いしないように気をつける。 >>227
UVERworldいいよね
物に執着ないけど音楽聴くのだけは別だよ 小学校のときに死んだばあちゃんの形見の手作り浴衣以外は執着できない。
卒アルと成人式の写真を捨てたら彼氏に叱られた。
「君がいらなくても、僕には必要なの」って。
恋人の過去の写真ってそんなに大事なもんかねぇ…? >>263
それ気持ち悪い
一緒に撮ったわけじゃない写真って自分の思い出であって、
恋人であっても、他人が見返すものじゃないし、自由に見せるものでもなくない? >>270
同じく
自己と他の区別がついていない感じがするわ
変だと思ったら迷わず逃げるといいよ>>263 スマホのおかげで出かけるとき鞄の中が身軽になった
他の物に対する執着は減ったけどスマホだけは手放せない ほんとだよね、スマホ便利
あたしはスマホにイヤホン、Suica、クレカだけ、持ち歩くの >>251
さーんせい
家所有のプレッシャーはないなぁ
でも知識への執着はある、どこでも生きていけるように ものを持たないで幸せな人ってお坊さんなの?
天国での幸福を信じてるから別に今はこだわらないって感じ?
意識してなくても仏教的な考え方の影響があるのかしら 別にお坊さんじゃないよ。
あるかどうかもわからない天国のために我慢してるわけでもないし。
そんなの、死ねばわかるし(?)
今現在、
ものをもたないことで、しがらみから抜けて、すっきりと生きられるから気楽なんだな。
極小のしあわせでも十分。
そりゃ、最低限必要なものはいるけどね。 275は高級外車を乗り回す、巷の坊さん達を知らない 私坊さんだけど
死んでからの幸福はいわないんだよ
今、ここを大切に丁寧に暮らすことを大切にする。
自分がいるところが浄土と考える。
うちもいろんな人が車買え、わしが口きいたる、って言われてるけど
お断りしている。とにかくテーブル買え、クーラー買え、コピー機買えとかすごい。
私は徐々に物を減らしているけど、まわりは真逆な人達が多い。
本来寺は物がなくても別に困らない。 お坊さんは人生の先生だと思ってる
ぜひ部屋うpスレにお部屋のっけて!w
いろいろ買って捨てても心的平和が訪れないんだけど、マスコミに影響された生活スタイルに問題があるのかもと感じてきた
んが、代案になる生活様式を知らないんだ、無教養なせいで
やっぱ無印みたいなさっぱりした部屋が好みなの? >>279
色々大変でしょうが、頑張ってください。
応援しています。
できれば、あなたのお寺の檀家になりたかったです。 >>280
人間はブレるから信仰はあったほうがいいとは思う。
本山以外に末寺はなくてもいいのかもと私も思うけど、
必要としている人がいる限り存続するのかな。50年後はどうかなぁ。
あと所得税は払ってるのよ。固定資産税がかからない。
かかったらほとんどの寺はつぶれるなぁ。法人だし勝手に売れない。
>>281
個人的には無印みたいな色展開が好き。小ざっぱりしている空間が好き。
うちは100年たってもつぶさなくてもいいように内も外もシンプルな家なので
今ふうな家ではないけれど、食う寝るための仮の宿という気持ちで住んでる。
物を買う時に十分に吟味しても、買って満足して活用できないことがある。
きっと物では心的平和は得られないのではないかな。私も同じ。 >>283
法人化して家族を職員として雇ってる事にして食品プラスα分だけの最低限を給与として申請
所得税と年金と国民健康保険は格安に抑える
無職の支払う国民年金より安くなる
家や家の中のモノや車などは全て経費で購入して居住部のリフォームまで経費で賄う
純利益は信仰心というか人間の恐怖心や集団心理を利用して檀家から得る
あと年に数回ヤクザなテキ屋から得る諸場代
でも歴史的にみても50年で一般の人々が目を醒ますとは思えないからもう少し安泰なんじゃない?
先進国の現代の若者か墓に入る頃には集団心理の利用法ももう少し形態を換えないといけないかもしれないけどね 残された人がどのように弔うか・・・
手を合わす場は必要とされるでしょうね。 手に入れた途端、興味が薄れる不思議。物に執着心が無い人は何に興味があるんだろう? 私は何に対しての興味も失せてしまったよ
物に執着心がないどころか、モノアレルギーにすらなっている
日々捨てるものはないか探している。もはや病w
人間関係にも執着がない。全部捨ててしまった
なんかもう虚無状態w
有形無形問わずサービスに興味がない。旅行、グルメ等
正直、何で生きてるのか分からないwww >>288
マジでつまんない生活ですよ
2ch 読書(図書館)瞑想 ヨガ
あとは惰眠 そんくらい お出かけして金を使ってたくさんのお友達だの異性の友人だのがいて、っていう「リア充ライフ」が、いかにゆがんでるか
テレビや雑誌はスポンサーと従属的で不機嫌な消費者のもの
もしかすると救いは外にはないかもしれないし 最終的には読書だけだよ
残るのは。
歴史もそう言ってる
今ならネットもあるから昔よりいい環境 母は物に執着しないけど、買い物で寂しさ?を埋めるのでいらないものばかりなり。 買い物で寂しさを埋めることは実際は出来ないとようやく認めたから
物欲が無くなってしまった。 >>291
昔は選ばれた層しか出来なかった事が、何の取り柄もない庶民にもお金さえあれば出来るんだから
これはマスゴミの煽りだけとも言い切れなくもない >>286
自分自身がのしあがるとか?w
語学とか健康とか知識とか無形だけど大事なものかねぇ?
自分は地頭悪いから物に執着してるがね、参考になるかと思って見に来たのさ 言葉遊びと取られるかもしれないけど
>>287はモノに執着してしまってると思う。
本当に執着しない人なら、何か捨てるモノが無いか探したりしない
必要なくなれば捨てるし、欲しい人がいたら自然にあげる
何かを積極的に排除したいと考えているうちは、その対象にしっかりと執着してしまっている
こう考えたけど、みなはどう思う? 無関心と執着しないというのもまた違うんじゃないかと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています