つい掃除したくなる気分にさせて
脳内ではピカピカのスッキリお部屋が希望なのに
どうも掃除をする気にならない人に
ガツンっと一発気合入れてくれませんか? フランスに来てから二店目までは、屋根裏部屋や寮に住みこむ日々でしたが、
三店目のヴィヴァロワに勤める頃から、自分の部屋に住むようになりました。
不動産会社には「家賃の六倍の稼ぎがないと、貸せない」
と言われていました。ちょっと、そこまでの稼ぎはなかったのですが
「これから二年分の家賃を前払いにするから、住ませてくれないだろうか」
と交渉して、話をつけたのです。
(中略)
いくら給料が少なくても、住むところだけは折り目正しくありたかった。
そう思うのは、友達の反応を見たからなのです。
屋根裏部屋では、まず、友達を呼ぶことができないですよ。
呼んだとしても、同じ目線では見てくれなくなる。
「外国人労働者が、劣悪な生活環境に住んでいるんだな」
フランスの人から見たら、そういう感想が生まれるだけです。
(中略)
人は外見で判断すべきではないかもしれません。人間を住んでいるところで
判断するべきでもないかもしれません。
しかし、どういうところに住んでいるか。清潔な身なりをしているか。
それを、まわりの人は「それがマサオの生き方なんだ」
という目で見ているのです。
そして、クチでは何を言っていたとしても、その人の住居や身なりには、
生活の現実が浮き出てくるものでしょう。だから、稼ぎがいいとか悪いとかいうよりも、
生き方をきちんとしたいと思っていました。
富んでいるか貧乏かというよりも、住んでいるところを大切にする姿勢を持ちたかった。
洗濯をこまめにする人間でありたかった。 (中略)
自分の基盤が屋根裏部屋ではないと思えることは、部屋を離れていてもうれしいことなんですよ。
お金はかかるけれども、お金ではないんです。気持ちの問題として、
自分の誇りを維持することが、何よりも大切でした。
(中略)
ベランダを掃除できることさえ、うれしかった。
屋根裏部屋には、ベランダなんていうもの自体がなかったのだから。
自分の部屋のお掃除に時間を費やすことができる。
めんどうなことだと思う人もいるかもしれないけれども、
ぼくには大きなよろこびでした。
ヴィヴァロワは、パリの一六区にありました。
(中略)
入ったとたん、黄色いテーブルクロスと白い北欧風の椅子が目に飛びこんでくる。
壁や照明はクリーム色です。
室内の装飾品は、どれも落ち着いていて、高級感に満ちている。
そして、とてつもなく清潔なお店でした。チリひとつありません。
もう、いるだけで気持ちがいいのです。
ぼくはここで働くことになるのか。これが、三つ星レストランなのか。
武者震いをしていました。
(中略)
前にその部屋に住んでいた人の使っていた掃除機を譲り受けたのです。
かなり古くなった掃除機です。使えるようにするために、掃除機を開けてみました。
毛玉がこんがらがっている。
しかたがない。毛玉を指で取ろう。ひとつずつ取らなければ、使えないのだから。
そうしたら、理由はよくわからなかったけれど、ぼくは掃除機の毛玉をきれいにしている
作業そのものに、とても心が満たされました。
(中略)
やっていることはしごく煩雑な操作です。毛玉をひとつずつ指ではがす。除去していく。
手は汚れるし、面倒なだけの作業です。でも、思うところがありました。
「この掃除機は、今の自分のような状態なのではないか?」
やりはじめると、そんなように思えたのです。だから、心がやすらいだ。
この掃除機は、パリに出てきてグチャグチャになっている自分の姿に見えた。
このままでは使いものにならない掃除機。
だけど、能力はある……
巻き込まれている毛玉だのゴミだのは、こんがらがって混乱したぼく自身の感情なんだ。
ぼくは、感情に翻弄されている。 (中略)
でも、このゴミの除去は、ぼくにはとても大切なことに思えたのです。
少しずつだけど、ひとつずつしか進まないけれど、自分でやらなかったら何も変わらない。
ぼくは、今、この掃除機をきれいにしなければならない。
それをやり終えなければ、何もはじまらない。
目の前にある課題は、結局は自分で丁寧に解きほぐすしかないんだ。
ひとつずつ解きほぐせば、必ずうまくいくはずだ。
(中略)
それが、掃除機がヒントになって、ふっきれたんです。
そうだ、何も最初からすべてにおいてすばらしくなることはない。
目の前にある仕事を誠実に遂行すればいい。
あとは運命に任せればいい。
このことは、よく思いだしては自分の方針にしています。
ひとつずつ何かをやっていれば、きっとやりとげることができる。
やりとげられると思わなければ、仕事をはじめられない。