「人間は炭素、水素、酸素や金属元素が結合した物質であり死ねば元の元素に戻るだけ」
と考えるなら「出来るだけ快適に、出来るだけ多くの快楽を求めて生きた方が良い。
人が苦しんでも自分にとって良ければそれで良い。どうせみんな最後は物、元素に
なってしまうのだから」と言う生き方をしたくなる。
 しかし、そうすると冬には寒く、夏には熱く不快な事ばかり、自分の手に入れられる物
は微々たる物しか無い。自分の周りは自分ではどうにもならない事ばかり。
子のいる親は子に苦労し、子のいない者は子ができない事を苦にし、お金が無いもっとあれば
と苦にし、お金があれば税金が高いと苦にする。人は皆、同じくらいの苦を背負って生きている。

一方、「肉体は物質だが心は一種のエネルギーがから不滅」と考えると自分がガンダムの様な
モビルスーツである肉体に乗ってこの世で活動する理由、目的と死後の自分の在り様、環境を
考える必要が出て来る。
 古来から人類の知識ある「あの世」について、あの世の生存環境をより快適にするのが
この世でモビルスーツを運転する目的と考えると合理的に辻褄が合う。
それと、人間にとってこの世の真、善、美に普遍的価値がある以上「あの世」も同じ。と言うより
あの世は真、善、美の世界、正に神の領域。
 この世でモビルスーツをどの様に運転するか、あの世の基準にどれだけ適合させられるかで
「あの世」でどれくらい快適に過ごせるかが決まる。人を苦しめる事などとても出来ない。
釈尊は「蓮のように泥沼から生い立って美しい花を咲かせるのが人生の目的」と教えたそうです。