弾左衛門は自らを「長吏弾左衛門」と称した

★「穢多」は明らかな蔑称・賤称だった
 弾左衛門は、幕府からは「穢多頭・弾左衛門」と呼ばれて
いましたが、自分からは決してこの呼称を用いませんでした。
江戸時代においても「穢多(えた)」という名称は、差別する
側から一方的に押しつけられた蔑称・賤称だったからです。
ですから歴代弾左衛門は自分のことを、「長吏・弾左衛門」
あるいは「長吏頭・弾左衛門」と自称しました。
 これは弾左衛門配下の被差別民たちにとっても同じ事でした。
幕府や一般社会からは「穢多」と呼ばれた被差別民たちは、
東日本では「長吏(ちょうり)」、西日本では「かわた」と
いう中世以来の呼び方で自称していました。
そして長吏・かわた身分の人たちは、この呼び名に対して
誇りを持っていました。
http://www.asahi-net.or.jp/~mg5s-hsgw/tkburaku/history/danzaemon02.html