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日本の精神医療史(戦後)
戦後のヨーロッパでは、精神病院の開放化と、収容患者の地域移行化が進んだが、日本はそうした潮流に全く逆行した道をたどった。
1950年代末から、社会治安の一環として、精神病者を精神病院に入れるというキャンペーンを国単位で行っていた

1964(昭和39)年 ライシャワー事件:
ライシャワー大使が、19歳の統合失調症患者に刺された事件。のちに少年は自殺。
エドウィン・O・ライシャワー|Wikipedia
日本の精神医療に大きな影響を与えたライシャワー事件

1965(昭和40)年 「精神衛生法」改正:
上記の事件を引き金に、「緊急措置入院制度」(自傷他害の恐れのある精神病者を、強制入院させることが可能)の新設。私宅監置の禁止。
これにより、家でカラオケをしていただけで通報され、以後何十年も精神病院に入院することになった人も存在するほど、精神病者を「本人の同意なく」(本人の同意が最優先されるようになるのは何と1988年)、簡単に入院させることが可能になった。

国の低金利融資を受け、私立精神病院の建設ラッシュ

1967(昭和42)年 WHOから日本政府に「クラーク勧告」がなされるが、無視:
患者の過剰収容による精神病院の利益追求が、大きな人権侵害につながるという内容

1968(昭和43)年 栗岡病院事件:
院長と看護人が患者13人を角材で殴打、1人を死なせる
1968(昭和43)年 安田病院事件:
看護人が患者3人をバットで撲殺し隠蔽。数ヶ月後に、看護助手をさせられていた「患者」が、他の患者を撲殺して発覚
(以降、病院スタッフによる患者殺害事件が、数十件単位で多発しているが、代表的なもののみ記載)

1975(昭和50)年 日本精神神経学会がロボトミー手術の廃止を宣言:
ロボトミーとは、高度な思考や感情を司る前頭葉を切断する手術。うつ病患者などに行われ、日本では1938年から始まった。多くが廃人化するなど、非常に問題ある手術だった。

1984(昭和59)年 宇都宮病院事件:
国連人権委員会で討議され、日本政府に改善勧告が出されたほどの大事件。
事件発覚までの3年余で、院内死した患者は200余人以上に上る。
宇都宮病院事件:Wikipedia