日本の精神医療史(戦前)
さて、明治時代の日本は、欧米との不平等条約改定にあたり、精神病院の有無が文明化の証の一つとなると考えた。
そのため、先ほど述べたように、第二次世界大戦前にヨーロッパが取っていた「精神病者の隔離収容政策」を取り始めたのである。
1900(明治33)年 「精神病者監護法」の成立:
精神病院が不足していたため、精神病者の「私宅監置」(座敷牢への閉じ込め)について、監護責任者(主に肉親)に届け出を義務づけたもの。
つまり、本来は国が負うべき、精神病者の管理を、家庭に押しつけた法律。

1916(大正5)年 入江事件・榊原事件(私宅監置されていた精神病者による殺人事件)により、それまではなかった「(地域で平和に暮らしている者も含めて)精神病者は危険な存在」という偏見が広まった

1919(大正8)年 「精神病院法」の制定:
上記事件が引き金となり、「地方長官が特に入院を必要と認めた者」などが、精神病院に収容されるようになった。
また、公立精神病院の設置を命じるが、財政難のため、民間資本の私立病院増設に依存するようになってくる。

精神病院の誕生に伴い、民間治療場の終息または管理化、民間療法の根絶

1940(昭和15)年 「国民優生法」の制定:
精神病者に強制的に不妊手術を受けさせることによって、「悪質なる遺伝性疾患の素質を有する者」(精神病者のこと)の増加を絶つことが目的だった。
女性障害者 第3回「優生思想の過ちをただす」|NHK福祉ポータル「ハートネット」
流れとしては、明治初期の「精神病は一時的な病」という認識から、「精神病者は危険であり、監禁すべき存在」を経て、「精神病者を増やさないために去勢する」という地点にまで達したのが恐ろしい。
また、戦後から現在までに影響を及ぼす、「国が負うべき負担を家族に丸投げ」「(同じく)私立病院に丸投げ」「治療ではなく隔離・監視」という流れができていたことを押さえておきたい。