根拠のわからない 「常識」 が多い
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根拠不明なことでも、常識って言えば正当化できるから
実際、根拠不明・意味不明な常識が蔓延してる
また、そういう常識に疑問持つ人も少ない 現実で常識、非常識 って言葉を使う時は気をつけるべき
>>1の言うように、こういうあいまいな言葉を使う時は頭のレベルがモロに出るから 自分の周りだけの暗黙の了解や習慣を常識だと思ってる奴いるよね 同じ型に嵌った人種ほど「常識」や「定義」等と言った洗脳を行う事が多い。 常識=その文化圏の大多数の人間が正しいと思い共有している知識
非常識:「マニフェスト無視が横行してるので、政治不信は数字で表れた方が良いと思います。
なので、投票率を下げるために選挙には行きません。」
常識:「政治に参加するのは国民の義務。普段政治の事は何も考えてなくても
選挙には参加するべき。」 社会契約思想の根拠がわからない。
誰も契約した覚えはないのにこの世に生まれた時点でいつのまにか契約したことにされている。
こんなにを「契約」と言うことができるなら、身分社会だって契約社会だろって理屈が成り立つ。 常識がわからない、根拠がわからないというのは、ある意味仕方がない。
日本はそういうものを教育する修身という科目をなくしてしまったのだから。
でももし知るつもりがあるなら、「わからない」と無知をさらすより自ら学ぶべきだと思う。
取っ掛かりとして修身の教科書の復刻した低年齢のものから
森信三の修身教授録は中学生・高校生にも理解できる内容だと思う。
ちなみに今の大人でも「常識だ」という人は理由・根拠を自分でわかってないことも多い。
しかしそれでも「常識」と認識しておけば、通用するのも社会と言える。
九々を覚えるのに2の束がふたつ、2の束がみっつと数えるより
暗記してしまった方が速いのに似てるかもしれない。
円周率は3.14と覚える方が円周率の証明より楽でしょ? で、>>9の疑問にすっきり答えられる奴っているの?
というか、社会契約論と常識ってどういう関係だと思ってる? 現代社会では社会契約論が法治国家を正統化する常識になっているから。 >>10
>>1が言ってるのはそういう話(常識が理解できない)ではなくて、
理由や根拠を自分でも分かっていないのに「常識」をマジックワードにして使う人々の存在に苦言を呈してるのだと思う。
認識していれば有利というのは確かに。 どんなに意味不明なことでもマスコミ使って、流行らせれば鵜呑みにするバカがいて
それがやがて常識となる バブル以降 精神性を破壊して利益至上主義が優先されてきたからな、常識は権力側の常識。或は新しい価値をアピールした側の価値観。古い価値観を破壊する=良い価値観 みたいになってる 結婚披露宴に参加した場合、現状だと祝儀を3〜5万程度包むのが「常識」となってるが
例えばこれが40年くらい前からマスコミが「祝儀はナンセンス、新郎新婦の自己満足なんだから全額自腹でやって、招待客に負担かけさせたらいけません!来てもらえるだけでありがとうと言いましょう」
などと吹きまくっていたら、祝儀なしが「常識」となっていただろう
常識なんてその程度のもんだ
常識にとらわれる必要なんてない 少なくとも無思慮な人間たちの間では「常識」はもう口癖みたいなもので、
こういった言葉を乱用する人間からは知性を欠いてる印象を受ける。
「多くの人がそう考えており社会的に正当な考えである」という思い込みを他者に押し付ける
妙な説教臭さが常套化していて実にくだらない。
こういう広く場を弁えず使われている言葉は状況に応じて多義化していくから、
結局のところ文脈依存性は高く、ちゃんと筋の通った話ができれば、
わざわざ印象操作でしかないこのような言葉を用いるまでも無い。
そう考えるからこそ俺は普段から曖昧な言葉はなるべく使わないように気を付けてる。 「HISオンライン予約センタ−」で海外旅行ツア−の「空売り販売」の被害にあいました。
その原因分析と再発防止対策をHIS責任者と詰めて行く中で次の事が判りました。
@「空売り販売」(詐欺商法、違法行為)を知りながら、在庫商品の処分調整に組織的、恒常的に活用実施している。
A販売者側は「違法行為、詐欺商法」を認識しながら、「代替商品」対応で良しとしている。違法行為、犯罪の認識が全くない。
B消費者の「泣き寝入り」「あきらめ」の心理、窮状を悪用した詐欺商法であり、組織ぐるみの犯罪である。
C行政監督諸官庁(国土交通省、観光庁、消費者庁、国民生活センタ−、日本旅行業協会その他)に調査依頼するも
HISの対応の口実パタ−ンは「代替品でお客様の了解を得ているので何も問題はありません」だ。
本質的な「オンライン販売」での「空売り販売」(詐欺、違法行為、不法行為)の認識と原因追求を明らかにしていない。
「HISオンライン予約センタ−」の「海外ツア−旅行の空売り詐欺販売商法」に騙されない様、この情報を見たた方は
知人、友人、ご家族へ大至急、お知らせし、「空売り、代替え商品すり替え詐欺販売」に合わない様、周知徹底にご協力下さい。
食事は箸やスプーンやフォークを使うのが常識だ、手掴みは非常識
大学出たら就職するのが常識だ、就職しないのは非常識
いろいろあるけど、どれも常識って言えるのかな・・・・?
法律で明記されてるような話なら常識だと言えると思うけど
法律になきゃあか?マニュアルがなきゃあだな。
大人の側から言わせてもらうと、親に躾もされずに社会に放り出されたガキに
説明すればできるが、そんなの面倒、相手にしちゃいられないというのはある。
挨拶は基本が常識か否か、食べ物を食べるのに箸やスプーンやフォークを使うのが常識かなんてのを
いちいち相手にしちゃいられない。
インドやマレーシアの料理を箸で食べて日本やフランスの料理を手づかみで食べてみればいい。
日本家屋に靴を脱がずにあがってみればいい。 >>21
法律が常識だと思うと失敗するよ。非常識な法律もあると承知しといた方がいい。 常識というのは、人や場所や教育によって如何様にも変わる。
しかし日本において社会人としてというのはある。そこに業種業態立場でまた変化がある。
たとえば日本において国歌斉唱もしくは吹奏、国旗掲揚を宣言されたらどうするか。
日本人は規律脱帽のうえ気をつけの状態で国旗に正対する。
最近の青少年は日教組教育が行き届いているのか、自由だろ?とか、
皆が同じことしたら北朝鮮みたいで恐いとか
他国の選手の真似なのか胸に手を当てるポーズを取る者がいる。
なでしこジャパンしかり亀田兄弟しかり。
あげく、男子の選手は一部しか胸に手をあてないから国に対する忠誠が足りない
などとトンチンカンなことを言い出す者までいる。
国歌国旗の時に胸に手を当てる教育を厳しくしているのは近場だとお隣り韓国だ。
韓国の小学校の教科書には載っているらしいし、厳しく躾られる。
日本国に住まう日本国民としての規律や決まりを教えられずに社会に出てくる馬鹿者。
親や小学校教師が教えるようなこと、いちいち噛み砕いて教えちゃいられないよ。 根拠のわからん常識や習慣やマナーを他人に押し付ける奴が嫌い、勝手に思うだけならそれぞれが好きにしたらいいけどな
根拠不明な常識習慣マナーを、盲信する人間が俺には理解できないね 包茎チンポは不潔だと!。
そんなことねえよ、チキチョー!! 日本のような頭を使わない人が多い島国だと、
根拠なんかないことでも常識だとかマナーだとか当たり前だ、ということにすれば、皆それに従ってくれる
所謂、「そういうもん」となる。しかもそれに疑問を持つ人間を勝手に村八分にして黙らせてくれる
政治家、企業経営者、官僚からするとこれほど楽なことはない 「考え過ぎ」という言葉がある。
字義的には過度に考えるということ。
何事もやり過ぎは良くないという風習があるのだが、
考えることの程度というものは考える人間の裁量であり、
相手に向けた「考えすぎ」といった発言は愚にもつかないのは明らかだ。
ここで3行目の「何事も〜」という言葉はあえて使ってみたが
この言葉は愚劣な全称命題的規定を行う無思慮ワードのひとつである。
「何事も考えすぎはよくない」「何事も最初が肝心」言った言葉が日常的に用いられ、
無思慮な人間たちはそれを都合の良いように納得し共感する。
共感を生むのは単純な事で、
明らかに筋の通っていない事柄でも言葉尻一つで好印象という凡庸な概念によって納得する。
凡庸な人間は共感を絶対的価値として共感から脱することが出来ず度々正誤判断を誤る。
だが彼らはこれまた凡庸な幸福という概念によってそれを隠ぺいし納得し続ける。
勝負における敗者が述べる「〜に意義がある」というような凡庸なフレーズを用いることが常態化し
それは凡庸な者たちに一定の共感・感動というものを与える。もはや感情のコントロールすらテンプレートなのである。
彼らはボロ布になろうがお古を着続ける。
凡庸な人間は思慮することで自らを飾ること、それを放棄し、自らの醜悪さすら気づかず恥部を晒し続ける。
そして一部の非凡な人間によってそういった凡庸な人間は搾取される。
凡庸な考えを持つ人間とは速攻で関係を切るべきだと考えるね。まじで得しない。 妊娠→おめでた
意味不明すぎる
何がめでたいんだよ
人によるだろ 人生は素晴らしい
これも意味不明
人によるだろ
この世に生まれる事が絶対的に素晴らしいみたいな風潮完全に嘘だろ
21世紀だしもうそろそろやめねえかそういうの 根拠のわからん常識→自分が無知・無学・未熟でわからないとは考えないのか?
多分そういう者は茶道で茶碗を回すのも根拠のわからん常識とか言っちゃうんだろうな。 人間は絶対的な死から逃れられない
なのに子供を作って生まれてきたらおめでた
誕生日を祝い死んだら悲しむ
意味不明
死ぬのなんてわかってて作っただろ
人類の繁栄が良い事 とする意味も不明
そもそも人類の繁栄を考えたらもう人口が多すぎるので減らした方がいい >>39
そう思うなら、なぜ自分を減らさない?自分の親族を減らさない? >>38
>>39
生けるものはいつ死んでもぜんぜん不思議じゃないから
何年生きれたねって節目をもうけて祝うんだと思うよ。 適度に年を取った女の人でも誕生日を祝ってあげると喜ぶもんですよ。
でも、女の人の年齢を聞くのはやっぱり非常識になるのかな? >>1の「根拠のわからない」
という文言だけだとそれが何を持ってわからないかがわかりにくいので、
大きく二つのパターンに分けてみる。
1. それを根拠とする妥当性が低い。
2. 特定のグループの常識のため門外漢の者・浅学の者では理解できない。
前者は、
生活習慣として刷り込れた言動の反復よって
無意識の言動の中に潜む「常識」で、
凡人には思考がされ難い領域であるため、
その明確な根拠が考えられず示されない不明瞭な場合。
例えば「前からやってる」「みんなやってる」など、
こういう返しを事情・状況を選ばず発言する人間は、
誰かの受け売りを根拠も考えず盲信し思考を欠いている場合が多い。
四字熟語・ことわざ・名言集の名言の類を引用するダサい人間は
同様の思考回路と見做して差支えないだろう。
後者は、
ある特定の知識を有したグループから外れた者、もしくはそのグループに入って間もない者が
話し手or書き手の根拠がわからない(理解できない)とするパターン。
まだ掛け算割り算を習っていない人間が微分積分の解法をすぐに理解することが困難なように。 まあ、「常識」言う人がいて根拠が怪しけりゃ詰問すりゃ良い。
答えに正当性が無ければ、そいつが思い込んでいる「常識」の正しさは証明されないことになる。
ただし、根拠の正当性・ゴールをどこに設定するのかという問題もある。
根拠が怪しければ質問すれば良いのだが、
仮に解答に正当性が確かめられても
質問者がその根拠の根拠を問い続けるという場合がある。
論理の性質上根拠の根拠が間違っていれば間違いだからな
基本的に根拠を説明する側のほうに負担があって、
質問すればするほど説明する側が結局ボロを出す可能性は高いわけで、
質問馬鹿や悪意のある懐疑論者によって
行きつくところまで行くと認識論とかの話になりかねない。
あとは明らかに正しい説明に対して、
帰納法的な答えを求めて悪魔の証明を強いる輩もいるので
質問する側の善悪も考慮の対象になるだろう。
なんか一般的な根拠の話になってしまったが、
言いたいのは「常識」という言葉は
自分の正しさを証明するうえでは
リスキーな表現だから使うべきではないな、と。 あと、「社会的に」って言葉も曖昧だね
自分にとって都合の良い使い方してる人が多いと思う
自分の思い込みを正当化する時に、「常識だよ」って言ったり マスコミによる間違った業界イメージも厄介だなぁ。
業界スレで明らかなシッタカちゃんたちの語る業界話って、あまりにも実態からかけ離れてて苦笑させられる。
でも、業界外の人にとっては、そのイメージが「常識」なんだよなぁ。 常識って言葉もそうだけど、偏見を信じてる奴も凄くやっかい
明らかに偏見で現実・事実と違うから、それ違うよって言っても、聞きゃしない・・・・
自分が思い込んでるその偏見を正しいと信じて譲らないような奴
どこにでもいると思うけど、本当やっかい >>45
わからない者がわかる者に質問、あるいは教えを請うのに「詰問」って表現はどうよ?
「常識」について根拠がどうのなんてことは、自分で趣味で調べてもらいたい。
それより社会に出る時、「常識」を覚えてきてほしい。
上座下座、電話、挨拶、敬語、新入社員研修でこんなことまで教えなきゃいけなくなってる。
「挨拶しなさい」『どうしてですか?』
「常識だ」『根拠は?』
目に見えるようだ。
50代の役員が知らない顔の新入社員に朝自分から『おはようございます』と言った。
そしたら新入社員の彼は「おはよう」と返した。
人によっては何がおかしいの?と言うかもしれないな。
ニュー速の記事でも取引先との飲み会でタクシーに乗る時とっとと自分が先に乗ってしまうとか
部署の宴会に遅れはしたが顔を出してくれた役員を入口横の空いてる末席に置くとか。
そういうことでわざわざ根拠や由来を説明なんて、学校じゃないんだから。
常識だと指摘されたら『常識』だとインプットして、
根拠や由来が知りたければ命令者に聞かず、帰宅後自分で調べる。
大人だったらそのくらいしてくれ。 >>50
広く会社組織とかで言えばそれはそうだろうな。
社会的承認が多く得られていることはそりゃその大衆の信頼性が
「常識」として堅固な武器になるから、
それはあくまでスタンダードな常識の立ち位置としてこのスレの前提ではないだろうか。
だからこそそういう「堅固な常識」がありつつも「常識」という言葉そのものの曖昧で定位しずらい性質から
その適用範囲のあり方に恣意的な言葉の使用が偏在してるというのが
ある種の常識を疑う余地に繋がるのだとは思うが。
あと加えていうと「わからない者がわかる者に質問、あるいは教えを請うのに「詰問」って表現はどうよ?」という件があるが、
そういう質問者・非質問者の人物イメージを規定して表現が良い悪いというのは不毛だろ。
>45の「根拠が怪しけりゃ」ってのがどう怪しいか具体的な事例それによっても変わってくるはずだ。
だから具体例へ当てはめてそれの真偽性のあれこれをいうのは不毛だ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています