アディダスの訴えによってMラインが使えなくなったミズノがランバードラインを考案したのが1983年
同じ年、3年後のメキシコW杯で自社のスパイクを履いた選手が活躍することを目標にサッカー用スパイクの開発がスタートした
プロサッカー選手として活躍する水島武蔵とアドバイザー契約を締結したり、ブラジル人選手やホペイロから意見を聞いて1985年に完成
メキシコの都市から名前をとってモレリアとした

水島が所属していたサンパウロのブラジル人選手にも評判で1985年12月にカレカと契約
ミズノのスパイクが1986年6月1日にワールドカップデビューするとカレカはモレリアを着用して5ゴールを挙げた
翌年の1990年イタリアワールドカップではブラジル代表22人中15人がモレリアを着用するほど人気となる
カレカと同じ頃からモレリアを履いたのがマラドーナ
プーマと契約していたためランバードラインを消してプーマのラインを描いて履いていた

1991年世界陸上東京で若手に押されていたカール・ルイスと契約
当時の最先端技術を注ぎ込んだスパイクを提供してルイスを世界新で優勝させる
この話を聞いたアイルトン・セナは自らミズノに連絡してドライビングシューズの開発を依頼する

ブラジルサッカー黄金期のブラジルで開発されたことや
ブラジルの英雄セナが事故死するまで着用したことで
リバウドとミズノが契約したりヨーロッパから帰国したカカが選んだりする
ランバードラインって歴史的に凄いよね