平成生まれに言っても信じてもらえないこと 6
昭和の日本は大変だった。
怪獣や宇宙人がひっきりなしに地球に侵略してきたり、巨大ロボットを作って
世界を壊滅させようとしたり、人間を拉致して改造人間にして人々の生活を
脅かそうとしたりする連中が後を絶たなかった。しまいには悪魔連中が人間を
破滅させようと次々と悪魔を送り込んでくる始末。
この未曽有の危機を、よくもまあ人類は乗り越えてきたものだ。昭和の日本人は
実に偉かった。 しかしそんな日本も地震一発でめちゃめちゃになってしまった・・・ 20代の後輩に肥溜めの事話したら何の事だかわからないようだった。 昭和の日本ではコックリさんという遊びが爆発的に流行った。
今思えは、なんであんなのが流行ったのかさっぱりわからないが、ただの遊びに
とどまらず、いろいろと後遺症を残す人もいたらしい。で、もっと悪質だなと思った
のは、漫画で霊現象を描いたあげく、コックリさんの特集をして、あれは霊現象だ、
霊が来ているんだ、恐ろしいのだ…とたきつけた漫画家である。あれは青少年の
不安定な心理に付け込んだ、悪質な煽情商法だったと今では思っている。 小さい頃は江戸時代で大きく成ると明治時代に成るの? 自分の記憶にある最後の江戸時代の生き残りは
泉重千代さんだったな 泉重千代さんといえば日本最高齢の時だったかのインタビューが印象深い
「好きな女性のタイプは?」
「年上の女性」 >>327
マジかジョークかわからんけどもジョークならオシャレな受け答えだね。 昭和の時代はカンフーが大流行した。
ブルース・リーというスーパースターがいたからだが、その余波を受けてか、
ブルース・リャンや日本の倉田保明もひっぱりだこだった。
後者二人は日本のハードボイルドドラマのGman75でもしばしばカンフーの演武をした。
平成に入ってからはカンフーもアクションもテレビから姿を消した。
この現状は少々寂しい。 昭和のCMはかなりの誇張があった。
たとえば野球盤のCMでは、消える魔球の描写で本当に球が消えるという
ものであったが、実物を買ったら穴があいて下に入るだけであった。
当時はこんなCMを流しても苦情はこなかった。 昭和の頃はベイシティローラーズというグループが信じられないくらいはやった。
歌自体は決して悪くはないが、そんなに熱狂する腐女子の心理が理解できなかった。
また、あれだけ人気があったのに間もなく消えたのも理解できなかった。 榊原郁恵とか河合奈保子は樽ドルって呼ばれてたんだよ >>336-337
本当だよ
ttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/32833 昭和時代には、小学校の身体測定のとき、
教室からパンツ一枚で保健室まで行き、
測定後パンツ一枚で教室に戻ってくる学校も珍しくなかった。
もちろん女子も。 >>342
昭和の身体検査とはパンチュの検査だったのですね! 昭和の時代には妙な替え歌が流行った。
「森とんかつ 泉にんにく かーこんにゃく まれてんぷら」
「インドの山奥でんでんむし拾って食べちゃった」
平成ではこの手の替え歌は聞かれなくなった。 昭和の時代には、東海地方で妙なCMソングが流れていた。
「ぽぽぽいのぽい、お口へぽい、
白、黒、抹茶、あずき(あがり)、コーヒー、ゆず、さくら、
青柳ういろう〜、
くやしかったら言って見な、
白、黒、抹茶、あずき(あがり)、コーヒー、ゆず、さくら、
七つの味を残らずぽい、
ぽぽぽいのぽい、ぽい、ぽい、
青柳ういろう〜、食べちゃた〜あ、あ。」
平成ではこの手の歌はほとんど聞かれなくなった。 >>277
硬貨を入れて、またがるサトちゃんもあったな。
コボちゃんも、地震が来た瞬間に4コマ目でまたがってたw 昭和のバラエティ番組ではアイドルがコントをやったりお芝居をしたりトークをした。
内容にバラエティがあり、文字通りのバラエティ番組だった。 電鉄会社は通勤電車に冷房車を連結したら得意になってアピールしていた。 昔は冷凍車が有って出て来るとキンキンに凍りついていた 霊柩車ならぬ霊柩電車が名古屋にあり
最終駅から墓地と火葬場を併設した霊園まで運航していた。 ウンコは貴重な資源です!プッヒャヒャヒャヒャヒャヒャ! 西武鉄道の車両は黄色でも銀色でもなくピンクっぽい栗色というかえんじ色というか、
そういう冴えない色だった。車両も木の床にニスを塗りたくったものがあって、やたら臭った。
運転席も今の三分の一くらいの狭いものだった。 日本では、昭和50年ごろまでは汲み取り式便所が主流で、
月1,2回、バキュームカーが汲み取りにきていた。
今でもど田舎などでは汲み取り式便所がある。 http://blog.goo.ne.jp/nichikon1/e/da81f66fa7c437e7ca19667c2bf35065?fm=entry_awc
http://blog.goo.ne.jp/nichikon1/e/788f3056778b0f74495648964bfb1d1e?fm=entry_awc
http://blog.goo.ne.jp/nichikon1/e/93b5c268d3aefeccd92753a7c58a6ded?fm=entry_awc
http://blog.goo.ne.jp/nichikon1/e/e066fd39cd23872a3c73cf91f4b50b8c?fm=entry_awc
霊能者の八意先生は埼玉県八潮市生まれ育ちの21歳。
迷惑メールが多くてアドレスを変えたことがある(普段どんなサイト見てるんだ?)。
魔物が来ていることがわかる。
他人の運気が良いか悪いかわかる。
魔物を潰せる(指ぱっちんだけで魔物が消滅する。)。
神域を浄化できる。
東日本大震災は、霊的なものではなく日付遊びが好きな連中によって引き起こされたと言っている。
関東大震災の発生が近いので、埼玉県八潮市に住み続けると地震で亡くなるので、
神様の命令で京都・伏見稲荷の近くに2014年3月に引っ越した。
関東大震災は2016年6月11日または2016年9月11日に発生
(崔は2016年6月26日、ヒギ先生は2017年1月19日に発生すると予想している。)して、
死者が163万人、東京スカイツリーが倒壊すると予想している(日にちを出せば、
逆に神様はその日には地震を発生させないと言っているが、しっかり日にちを出している。)。
元落ち神で、2体の狐(狼)と1体の龍が憑いている。
前世は流浪陰陽師。
魔物を潰すと、猛烈に疲れてへとへとになる。
神様に霊界に入れてもらえる。
歩くだけで邪霊を浄化できる。
怖い顔をした狐のお面を欲しがる。
ヒーリングで痛みなどを治せる。
脳内辞書で気の流れの出入り口やツボがわかる。
崔隆雄と相性が良い(魔と聖の関係、磁石でいうとN局とS局の関係のため。)。
まだまだ若造ですが、どうか相談してやってください。 昭和の芸能関係で一番衝撃的だったのは、某アイドル歌手の飛び降り自殺だった。
昭和の時代は、彼女の無残な遺体をカラー写真で報道したり、遺体は写さないまでも、
流れる血をテレビで写して報道したりしていた。
他にも、某超能力探偵が透視したという湖にテレビクルーが乗り込み、水面に浮かんでいる
遺体をモザイクもかけないで放映していた。今からはとても考えられない。 男子は半ズボン+白いソックス以外のコーディネートは殆ど見なかった
女子は知らん、覚えとらん
あと大人も子供もスキーをよくやってた >>369
将来クローン作るってファンが道に散乱した脳ミソ採取してたね 世界の災害スペシャルなどでは「ジョエルマビル火災」が定番でやっていた。
人が落ちた瞬間に「ぐしゃ」というSEが入っていた。 女子はブルマ+白いパンツ以外のコーディネートは殆ど見なかった
男子は知らん、覚えとらん
あと大人も子供もスケートをよくやってた それにしても、可愛い娘のブルマ姿は本当に魅力的だった。
ブルマから白いパンツが少しはみ出ているのに気付かないで
体操を続けるかわいい女の子なんて、身近なポルノ女優だったよ。 今頃のホームセンターに行くと入り口付近は必ずカラフルな虫カゴの山
「東京ではデパートでカブトムシ売ってるらしいよ〜」「うっそー!」みたいな会話絶対してるはず
スイカや夏野菜なんかは自然の川の水を自宅近くに引き入れてそこにぶっこんどくだけでかなり冷えた 昭和の時代は白いブリーフしかなかった。
色付きや柄物のブリーフをさがすのは大変だった。
今は多少改善されているようだが。 >>374
ちょっとした町にはかならずスケート場ってあったな。
あとボウリング場があちこちにあった。
あと、映画館はシネコンのような小奇麗な感じではなく、場末感ただよう
感じであった。 >>380
お前の言う昭和は限らなく平成に近い末期だ(笑
本当の昭和は映画館や巨大なボウリング場が建ち並びアメリカングラフィティさながらの華やかだった! >>380
そんな光景は地方に残ってるしプッヒャヒャヒャヒャ! 小学校5年のときの身体測定で、いつもは男子が先に測定していたのに、
あるとき今日は女子を先にやろうと担任が言い出した。
すでに保健室に男女とも入室して座っていたので、そのまま測定を始めることになった。
女子たちは初めは恥ずかしがってなかなか服を脱ごうとしなかったが、
学級委員の可愛い女子が脱ぎ始めたのをきっかけに全員脱いで下着一枚になった。
測定が始まり下着一枚で並んでいた女子を男子はじろじろ鑑賞していた。
女子はみんな胸をしっかり隠していたが、下着は丸見えだった。
ほとんどの女子は白い下着だったが、
ピンクと、水色のストライプ、白地に黒っぽい水玉模様の下着の女子が1人ずついたと思う。
まるで、同じクラスの女子のストリップショーのようだった。
くしゃくしゃになって脱いでであったブルマが印象的だった。
本当に昼間からいいものを見せてくれたと思っている。
昭和55年ぐらいの話です。 女子も「昼間からいいものを見せてくれた」と、それまでは(男子が先だったころ)
思っていたということになるまいか? >>384
作り話に一々釣られるなよ!
いいものなんてジジイの感覚だぞ(笑 >>385
作り話じゃなく、ホントの話。
男の教師が俺らにサービスしてくれたのかどうかかは不明。 >>388
お前さんの昭和時代を語ってくれ
今日は夕方くらいに堺正章と榊原郁恵司会のトップテンがやってたから見たかったけど、わんこの散歩優先して見れなんだわ
この二人の司会は日航機墜落事故らへんだよな
あの頃のランキング見たかったー 小学校はたいてい、クラスに一人は「貧乏人」がいた。
服は、いつも薄汚れた体育着。
中学以降は制服だからわからなくなってしまうが。
でも遊びに行く時は、そいつだけ「学校ジャージ」だったりする。 >>390
自己紹介乙!プッヒャヒャヒャヒャー! >>390
いたなぁ、たしかに。
そいつの母ちゃんが学校に毎日給食を貰いに来ていた。
そいつは「こ○き」と呼ばれていた。 >>392
またまた自己紹介ですか!プッヒャヒャヒャヒャー! 昭和の貧乏は半端なかったからね
ホームレスだって本当に野宿で数年で死んだもんだよ
今は食べる物には困らないし段ボールハウスやビニールシートで暮らして
家電製品やカセットコンロで調理するホームレスも多いからね あとで知ったんだけど、クラスの貧乏人の家って創価学会やってんのな。
ってことは生活h、いや、なんでもない。 現代の最新技術を使ったアニメを見慣れた目で昭和の白黒アニメを見ても、
不思議にそれほど見劣りがしない。悪役がみんな黒帽子に黒メガネに黒外套で
武器はピストルというふうに、キャラデザインが画一的で安直なのも別にどうということもない。
パトカーの赤色灯が一個しかないのも変だとは思わなかったし、設定がトンデモなのも別に
違和感なく受け入れられる。不思議なもんだなあ。白黒アニメは現在の技術で簡単に彩色
できるだろうが、あれをカラーにしたらかえって違和感が出ると思う。
昭和のアニメは不思議に説得力があった。 漫画は漫画
その映像化とは別物
それは昭和でもいっしょ 12チャンネルは夕方になると「まんがのくに」とかいう番組で
アメリカの古い、それも赤茶けたマンガを放映していた。 >>400
モノクロ時代アニメーションとは呼んでいない 「まんがにっぽん昔話」であって「アニメにっぽん昔話」ではなかったよな
あの頃は漫画もアニメも一緒くたに「まんが」 ★天才霊能者の八意先生平成生まれは埼玉県八潮市生まれ育ちの21歳。
http://blog.goo.ne.jp/nichikon1/e/da81f66fa7c437e7ca19667c2bf35065?fm=entry_awc
http://blog.goo.ne.jp/nichikon1/e/788f3056778b0f74495648964bfb1d1e?fm=entry_awc
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お祓いにより、他人に憑いている悪霊、家にいる悪霊を全て潰せる。
無料鑑定で、憑依している霊体数(指導霊・背後霊含む)を知らせる。
そのうち、いわゆる悪霊で除霊・浄霊の必要のある霊体数を知らせる。
有料鑑定(5,000円)で、それらの霊が何であるか、
放置しているとどうなるかを電話で直接知らせる。
除霊・浄霊(50,000円)で、憑いている悪霊を、
即時、遠隔で除霊、浄霊する。
無料鑑定で、写真や動画に写り込んだ不思議な物体が霊であるかどうか、
また、その霊が悪霊かどうか、その写真・動画を持ったままで良いかどうかを知らせる。
有料鑑定(5,000円)で、それらの霊が何であるか、
霊が伝えたいことを電話で直接知らせる。
除霊・浄霊(50,000円)で、その霊を遠隔で、供養・浄霊する。
有料(200,000円)で、その建物そのものを丸ごと除霊・浄霊する
(現地に出向いての場合、出張費10,000円、
伏見稲荷駅からの往復運賃の実費が別途必要となる。)。
有料(400,000円)で、嫌な奴が住む家に、悪霊を強制的に送り込み、
その家に住む人は不幸にさせる(交通事故に遭う、病気になる、など。)
まだまだ若造ですが、どうか相談してやってください。 昭和の時代に「狩人」という二人組の歌手がいた。「あずさ二号」という曲で切々と悲しみを歌い、
大ヒットになった。しかし、その後が鳴かず飛ばず、ついには「悲しみクライマックス」という曲で
ピンク・レディよりも激しい振付をつけて踊り狂うと言う仰天するようなイメージチェンジを行った
が、これが大失敗して、ついには自らの歌手生命を終わらせることとなった。
同じく昭和の時代に菊池桃子というアイドルがいた。すさまじいほどのかわいらしさで一躍人気
アイドルとなり、青春を歌う曲でヒットを重ねた。しかし、19歳の時に「ラ・ムー」というロックバンドを
組んで激しい振付を伴うロッカーへの変貌を試みたが見事に外してその後人気が衰えた。
昭和のプロダクションは、かようにアーティストのマネージメントが下手だった。平成ではありえない。 昭和の子供の旅行のお土産はキーホルダー
なぜかみんながキーホルダー >>407
ラ・ムーに振り付けなんてあったっけ?
ロックなのに寝てしまいそうな曲調しか覚えてない。 >>410
記憶障害が見られますね
念のためアルツハイマー検査を受けて下さい