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2015/07/05(日) 07:26:43.63ところで、私の弟は高槻の真上に住んでいます。嫁は獣医医院の院長です。
医院は住居の近くにあるので、松が丘にお住まいであれば、たぶんご存知かもしれません。
弟も自然が身近にある高槻が子供の環境に良いと思って選んだと思います。
私は十代の大半を高槻で過ごしました。なので私の基本となっている部分の多くは高槻にいる時に
吸収したものです。九中の入学式で「鉄は熱いうちに打て」と校長が言われたことを今でも覚えています。
高校の入学式で校長が言ったことは覚えていません。この度、高槻で過ごした時代を回想して思ったことは
引っ越した当時のことは、鮮明に覚えていて、後になるほどあまり覚えていないということでした。
やはり引っ越した当時、高槻に自然が多かったことが、圧倒的に心に焼き付いているのだと思います。
高校、大学へと進むに連れ、自然とは疎遠になりました。
ところで当時、高槻はどちらかというと、リベラルな教育をしていたようで、中学の時は平和教育が盛んでしたし、
高校の地元集中受験などもありました。
そういう空気が今の自分にも少なからず残っているように思います。
あまり苦労もせず、わりと穏やかに日々を暮せたように思うので、この点は自分の親と高槻という町に感謝しています。
いつの日か、近いうちに現在の高槻を確認しようと思います。
その時は報告します。ありがとうございました。