この祭事は本来、大厄をむかえた男性のために若い男性が
接待の上、厄払いのために社寺に代参するいわば行事。
この代参に先立って、海岸で裸になって禊を行うことから裸まいりと呼ばれるようになった。
したがって、裸になるのは身を清める海中だけで足り、
本来道中を全裸で走る必要などまったくない上に、
その部分に文化的価値を見出しているわけでもない。
海中においても禊という目的において全裸になる必要があるかどうかは
単にそれを行う人間の考え方に委ねられているゆえ、
全裸でなければならないということもない。
昨今発生している諸問題の解決と予防を念頭におけば、全裸は全面的に廃止するのが
当然の成り行きだろう。
当該神事が無形文化財の指定を受けていることも承知している。
まぁ、諸事情との関係によって文化財保護法や県文化財保護条例による文化財指定が
解除されることもあるので、廃止の訴えが無意味ということは必ずしも言えないが、
おそらく廃止というより改善の方向で訴えていったほうが了解を得やすいだろう。
(サポーター・褌着用の維持や撮影の禁止、着替え時における参加者以外の人間の出入り禁止、
ルール違反者に対する厳罰など)

裸が見れなくなってつまらなくなったなどという自分勝手な批判や、
観光資源化による地域活性化の効果が少なからずあったことなども考慮してみたが、
それが当該祭事によらなければならない理由はどこにもないし、
人権・児童ポルノ問題などの改善のための正当かつ合理的な理由を有した訴えに対して、
それに対抗しうる相当程度の正当かつ合理的理由があるとは到底思えない。

そもそも、文化財保護法や県文化財保護条例の規定から文化財の保守や活用から受ける利益を
l個人の性的関心などの個別的利益として保護する趣旨を導くことはできず、また、祭事についての
学術研究上の利益についても法規上保護されているわけではない。
したがって当該神事の改善に反対する者には、そもそも訴えの要件である原告適格が認めらていない。